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2026年10月10日土曜日

マイケル・ハドソン マルクス主義・経済的寄生者・債務免除

 https://youtu.be/d2hWvaqjMmk?si=yxMdXcA3s75ZVJFt

のGemini翻訳 第5章第6章は秀逸です。

 

章ごとの要約一覧

 第1章:イントロダクション(番組の紹介と概要)
   ポッドキャストの概要および、ハドソン教授の著書『Killing the Host(寄生主を殺す)』を中心とした債務の周期性、歴史的「徳政令(債務免除)」、経済的寄生者の病理に関する議論の目的が紹介されます。


 第2章:「オータムナル・ドレイン」と景気循環の起源
   経済の周期性や金融危機の起源が、古代メソポタミアから近代に至る農業社会の「秋の収穫・決済(オータムナル・ドレイン)」とツケ(信用)の累積、不作による連鎖デフォルトにあることが説明されます。


 第3章:経済思想における歴史の役割
   ハドソン教授がウォール街(チェース・マンハッタン銀行)で第三世界の返済不能な債務分析に携わった経験から、主流派経済学の限界を悟り、古代アテネやバビロニアの債務免除史の研究へ進んだ経緯が語られます。


 第4章:債務免除(徳政令)の歴史と古代近東
   古代シュメール・バビロニアにおいて、社会の二極化や兵士・農民の失地を防ぐため新王即位時に「白紙化(クリーン・スレート)」と呼ばれる周期的な債務免除が不可欠であった歴史が示されます。


 第5章:アリストテレス、プラトン、そして債務免除
   プラトンの『国家』におけるソクラテスの対話を取り上げ、貨幣への執着(ウェルス・アディクション)という中毒性と、富裕層寡頭勢力から社会を守るための政治的・思想的枠組みが再解釈されます。


 第6章:古代ギリシャ・ローマにおける債務と制度の病理
   債務免除の伝統を持たない地中海へ利息制が流入したことで二極化が進行したこと、債務免除が経済の自動調整神話に対する現実的な均衡維持策および軍事戦術であったことが明らかにされます。


 第7章:現代の新自由主義経済学が抱える問題

 
   現代の大学教育が歴史や債務の本質を除外し、物々交換モデルや「新自由主義」「リバタリアニズム」といった実質的な金融寡頭制の広報に陥っている現状が批判されます。


 第8章:「主の祈り」、キリスト教、そして債務免除
   アウグスティヌス以降のカトリック教会がイエスの「債務免除」の教えを「性的罪の赦免」へとすり替え、12〜13世紀の十字軍や金融動員を通じて債務を崇拝する宗教へと変質した経緯が語られます。


 第9章:FIRE(金融・保険・不動産)部門と経済的寄生者
   FIRE部門が実体的な生産や富を生み出さず、既存資産の価格吊り上げやLBOによる企業解体で富を吸い上げる「寄生者」であり、さらに社会の「脳(認識・概念)」まで乗っ取っている様が解説されます。


 第10章:私たちは経済的寄生者の「宿主」なのか?
   寄生的な金融資本(IMF・世界銀行・米ハゲタカファンド等)が発展途上国や実体経済(宿主)を借金漬けにして解体・収奪し、最終的に崩壊へ至らしめるプロセスがアルゼンチン等の事例で示されます。


 第11章:経済破綻に対する緊縮措置の批判

 
   経済破綻時の「緊縮財政(オーステリティ)」が解決策ではなく、国内産業の育成阻止、労働運動の解体、対米従属の固定化を狙う手段にすぎないことが指摘されます。


 第12章:銀行・土地・インフラの「公共化」と古典派自由市場の真義
   アダム・スミスやミルら19世紀古典派経済学本来の「不労所得(地代・レント)からの自由市場」という理念に基づき、銀行・土地・住宅・保険を公共インフラとして管理すべきだという解決策が提示されます。

 

 第1章:イントロダクション(番組の紹介と概要)


「金銭への愛(執着)は、バナナを食べるようなこととはわけが違います。食べ物とは異なり、金銭には中毒性があるのです。そして富裕層……ソクラテスが言うには、彼らは自らの私利私欲を追求し、社会を破壊するほどの金銭欲に取り憑かれてしまうのです」

こんにちは、ロビンソン・エアハートです。「Robinson's Podcast」第198回のイントロダクションをお届けします。今回のゲストは、ミズーリ大学カンザスシティ校の経済学特別研究教授であり、長期経済動向研究所(ISLET)の所長を務めるマイケル・ハドソン氏です。マイケルは経済学史、歴史を形作る上での債務(借金)の役割、そして現代の国内・国際金融について研究しています。

マイケルは第180回でも素晴らしいゲストとして出演してくれましたが、これほど早く再登壇いただいたのはそのためです。前回は新自由主義、産業資本主義、そしてレント型経済(不労所得生活者層、すなわち地代や利子などのレントを吸い上げて生計を立てる人々や組織)について語り合いました。

今回のエピソードでは、マイケルの著書『Killing the Host(寄生主を殺す)』に焦点を当てて議論を深めます。具体的には、債務の周期性と経済崩壊、経済学研究における歴史の役割、非常に長大で魅力的な「債務免除(徳政令)」の歴史、マルクス主義、経済的寄生者、そして病んだ経済をいかに治療すべきかといったテーマに踏み込んでいきます。

マイケルのウェブサイトや著書『Killing the Host』へのリンクは概要欄に記載しています。レビュー、高評価、コメント、チャンネル登録をいただけると大変励みになります。広告なしのRSSフィードや充実した番組ノート(Show Notes)にアクセスできるPatreon(リンクは概要欄)もあります。もちろん、Tシャツをお求めの方向けの「Robinson's Fashion Empire」もご用意しています。

それでは前置きはこのくらいにして、私がマイケルと語り合って楽しんだのと同じくらい、皆さんがこの対話を楽しんでくださることを願っています。



第2章:「オータムナル・ドレイン」と景気循環の起源


ロビンソン:
著書『Killing the Host』を拝読したのですが、マイケルさんはテレンス・マッカーシーという経済学者に出会ったことがきっかけで経済学者になる道を選ばれたそうですね。彼から「なぜ金融危機は秋、収穫期の後に起きやすいのか」という話を聞かされたと。これは実に興味深い逸話ですが、具体的にどういう経緯だったのでしょうか。また、その対話の何がそこまであなたを惹きつけたのですか?

マイケル・ハドソン:
かつて、ほとんどの経済は農業経済でした。それが中心だったのです。そこには「オータムナル・ドレイン(秋の資金流出/Autumnal Drain)」と呼ばれる現象がありました。つまり作物の出荷・流通の時期になると、穀物の卸売業者が農家から買い取るための代金を支払う必要が生じ、銀行はそのための信用供与(融資)を行わなければなりませんでした。

その結果、銀行システムから現金・準備金が吸い出されることになります。もし銀行のレバレッジが高すぎたり、十分な裏付け資産や準備金を持っていなかったりすれば、銀行は債務超過(破綻)に陥ってしまいます。借金は累積していく傾向がありましたが、そこには一種のリズム(周期)が存在していました。

私は、そこに極めて規則的なリズム――クラッシュの時期だけでなく、ほぼ暦通りの周期が存在することに魅了されました。負債の負担が膨らむにつれて破綻の規模はどんどん巨大化し、最終的にシステム全体が崩壊して、倒産・破産によって多くの負債が清算されるのです。

当時私が知らず、その後の40年に及ぶ紀元前3千年紀のメソポタミアにおける信用と貨幣の起源の研究を通じて発見したのは、紀元前3千年紀から封建時代のヨーロッパ、そして近代に至るまで、経済において実際に「お金(現物決済手段)」が使われていたのは、基本的に作物が収穫される年の「一時期」だけだったという事実でした。

では、作物を植え付け、作物が育っているあいだ、農民たちはどうしていたのか。人々は「信用(ツケ・掛け売り)」で暮らしていたのです。作物を植えた後はツケで生活をやりくりし、ビールを買うこともありました。実際、バビロニアの記録には、耕作民がビールを買い、醸造・居酒屋を営む女性(エール・ウーマン)の店でツケを溜めていたことが残っています。

現代で給料生活者がバーに行って給料日までツケにしておくのと同じように、古代社会から20世紀に至るまで、人々の「給料日」とは作物が収穫される「秋」だったのです。メソポタミアでは、すべての借金は脱穀場(収穫場)で精算されなければなりませんでした。実際に決済のために貨幣(現物貨幣)が必要だったのは、その瞬間だけだったのです。

中世ヨーロッパでも同様でした。すでに13世紀には、秋に支払期日が到来する信用取引が行われていました。そしてヨーロッパや北米に部分準備銀行制度が導入された後も、農民は種付けのために多額の資金(往々にして信用・借入)を使い、植え付けを手伝う労働者を雇い、機械や以前の時代であればプラウ(犂)を引く牛を借りるなどしてツケを溜めるという慣行が続いていました。

これらの負債はすべて秋に期日を迎えます。そのため、経済に大きな衝撃(バンプ)が生じるのです。これがアメリカにおいて「景気循環(ビジネス・サイクル)」という概念を生み出す母体になったのだと私は考えています。もちろん、それは単に延々と永遠に続く単純な循環ではありませんでした。負債の総額が増大していく循環だったのです。

その時私は、債務危機は農業部門だけでなく、社会全体がある意味で農業部門のようになっていく以上、不可避なのだと気づきました。企業も借入れを行い、家主も建物を購入するために借入れをし、誰もが後で返済できると見込んでいます。しかし、何かが起きてしまう――とりわけ作物が不作になればどうなるでしょう。銀行が農機具の供給業者や種子会社、その他あらゆる業者に融資していたところへ、突然の凶作に見舞われたと想像してみてください。地下水位が低下して干ばつが起きれば収穫は失敗し、連鎖的な債務不履行(デフォルト)が発生します。

テレンスが語っていたのは、中西部における水位が上昇・下降する傾向があり、金融崩壊のタイミングには実際に環境的・自然要因が存在していたということでした。

私はそれにすっかり魅了されました。突如として経済学が、ある種の芸術のように、信じられないほど魅力的なものに見えたのです。テレンスから「最終的に債務は返済できなくなり、危機が訪れる。そしてそれこそが社会が直面する最大の問題になる」と説得された私は、それを確かめるためにウォール街の銀行部門で働き始めました。これが1960年〜1961年のことです。

 第3章:経済思想における歴史の役割


ロビンソン:
少しメタ的な脱線になりますが、あなたは明らかに単なる経済学者ではなく、経済思想史家でもあります。私のバックグラウンドである哲学の領域では、現代の論文を書く際にもアリストテレスやプラトン、中世の哲学者を常に振り返ります。彼らは私たちが今考えているのと同じ問いに取り組み、卓越した洞察を残しており、時には彼らの考えの方が正しかったりするからです。

しかし、私がそれほど詳しくない経済学の分野において、今回の例で言えば古代バビロニアやビールの売り子(エール・ウーマン)にまで遡るような経済学史が、なぜ現代の問題を理論化する上でそれほど重要になるのでしょうか。その理由を端的に示していただけますか?

マイケル・ハドソン:
私が1964年からチェース・マンハッタン銀行で第三世界諸国の国際収支統計を分析し始めたとき、銀行から求められた問いは「アルゼンチン、ブラジル、チリは我々からあといくら借りられる余力があるか? 彼らの債務返済能力と、負担可能な利払い・元本返済(デット・サービス)の規模を割り出してほしい」というものでした。

調べてみると、彼らはすでに債務返済能力の限界に達しているように見えました。繰り返しますが、これは1964年〜1965年のことです。彼らがすでに目一杯融資を受けていることは明白でした。

しかし、連邦準備制度(FRB)と米国政府はチェースや他の銀行に対してこう言ったのです。「心配するな。利払いのための資金は我々が彼らに貸し出す。彼らを破綻させるわけにはいかない。なぜなら、彼らに資金を貸し付けて米ドル中心の経済システムに繋ぎ止めておくことこそが、アメリカの国益だからだ」と。

商務省の経済分析局(BEA)は、3ヶ月ごとに『サーベイ・オブ・カレント・ビジネス』誌で国際収支統計を発表しており、その「表5」は合衆国政府の国際収支上の役割を示す表でした。そこには、外国が米国の銀行に利息を返済するための対外援助という名目で、一つの独立したカテゴリーが設けられていたのです。

そこで私が気づいたのは、アメリカの対外援助の大半は、外国為替の動きをまったく伴っていないということでした。一握りの資金すら米国外に出ていなかったのです。米政府がブラジルやアルゼンチン、チリに自国通貨へ換金させるために実際に送金し、彼らがそれを再び米ドルに換えて返済していたわけではありません。米財務省から、それらの国々に融資していたニューヨークの大手銀行へ直接支払われていただけだったのです。

私は、諸国が抱える債務を自力で返済できない現実を目の当たりにしました。その後チェースを離れ、アーサー・アンダーセンやハドソン研究所を経て、1970年代末には国連訓練調査研究所(UNITAR)のエコノミストとなり、第三世界の債務問題に関する大規模な論文を3本執筆しました。米国政府が米国の銀行へ利息を支払うための資金を幾何級数的に貸し付け続けない限り、南半球の国々が負っている債務を返済できない理由を論じたのです。

1979年から1980年頃、UNITARの会議がメキシコで開催されました。当時のメキシコ大統領が国連事務総長を目指しており、この会議を後援していたのです。私はそこで、債務危機が差し迫っていることを説明する論文を発表しました。メキシコの債務不履行(デフォルト)が中南米の債務爆弾を爆発させる3年前、1979年のことでした。

会場は騒然となりました。そして私は、ほとんどの人々にとって「債務が返済不能になる」という発想自体が思考の埒外にあるのだと痛感しました。彼らは借金が返済されない事態を想像すらできなかったのです。秋の資金流出や、破産を伴う景気循環、農民が周期的に返済不能に陥ることは想像できても、「システムそのものが必然的に崩壊せざるを得ない」ということは受け入れられませんでした。

そこで私は「債務免除(徳政令)」の歴史に強い関心を持ち、その歴史を書き始めました。古代アテネや古代ローマの主張、そしてアテネの危機を回避するために農民の負債を帳消しにしたソロンの改革(セイサクテイア)にまで遡りました。聖書を読んで「ヨベルの年」に行き当たり、さらにこれらすべてに先立つバビロニアの先例があり、近東地域こそがその源流であったという個別の報告に辿り着いたのです。

私は近東に関する文献を手当たり次第に読み漁り始めました。氷河期の社会や文字の専門家であった友人のアレックス・マーシャックに自らの発見を相談したところ、彼はハーバード大学のピーボディ博物館(同大学の人類学部を管轄)の館長だったカール・ランバーグ=カルロフスキーを紹介してくれました。大学は私をバビロニア考古学の研究員として採用してくれたのです。

それから約8年間、私はバビロニアやシュメールに関するあらゆる史料の研究に没頭しました。その結果、古代近東においては債務免除が極めて日常的・周期的に行われていたことを示す膨大な記録を見出したのです。しかし、当時の現代の書籍や論文の索引をいくらめくっても、「債務」や「債務免除」という項目は見当たらず、単についでに言及されているに過ぎませんでした。


ですから、私は膨大な量の文献を読み込む必要がありました。

やがて私はハーバード大学側を説得し、「債務はどのように始まったのか」「利息というものが初めて課されるようになったとき、なぜ統治者たちは『利息は認めるが、周期的に崩壊が起きることは不可避だ』と見抜いていたのか」を解明することこそ真に重要な課題だと納得させることができました。

ハンムラビ法典を読めば、彼が干ばつや洪水が起こることを熟知していたと分かります。ハンムラビ法典の条文の一つには、嵐の神アダドの災厄に見舞われた際には債務が帳消しにされ、個人の農業債務を返済する必要はないと定められています。

そこで私たちは数名の教授陣を集め、古代近東の経済史を書き起こすプロジェクトを立ち上げることにしました。なぜなら、度量衡、貨幣として用いられた一定重量の金属片(鋳造硬貨の前身)、帳簿記録、利息の徴収、契約といった現代の経済慣行のほぼすべてが古代近東で成立していたにもかかわらず、ほとんどすべての通史は西洋文明の起源を古代近東ではなくギリシャやローマに求めていたからです。

私たちは一連の学術コロキウム(研究討議)を重ねて出版物を刊行することに決めました。最初のテーマは一般的な「民営化」とし、民間部門に対する宮殿や国家の役割とは何だったのかを議論しました。統治者たちはいかにして債務を帳消しにすることができ、なぜそれに反発が起きなかったのか。当時は誰もが債務免除の必要性を認めていたのです。ハンムラビ王朝の新たな王が即位するたび、またそれに先立つ紀元前3千年紀のシュメールの統治者たちも同様に、すべての新王は「白紙(クリーン・スレート)」から治世を始め、債務のない原状(ステータス・クオ・アンテ)を回復させました。


 第4章:債務免除(徳政令)の歴史と古代近東


彼らが行っていたことこそ、ユダヤ教の聖書(旧約聖書『レビ記』第25章)における文字通りの「ヨベルの年」の原型でした。彼らが免除したのは銀で計算される商業上の債務ではなく、農民が負っていた穀物による個人債務でした。負債によって奴隷身分(負債担保の隷属)に落とされた債務者を解放し、債権者に没収されていた土地を元の持ち主に返還したのです。そうすることで、自立した独立市民であり、兵士ともなる耕作民層を維持しようとしたのです。

当時、古代ユダヤにおいて「ヨベルの年」が実際に施行されたことなど一度もなかったというのが通説でした。どの社会であれ、現実に債務を帳消しにしたことなどあるはずがないと信じられていたのです。ハーバードでのコロキウムを始める前、私は債務免除の歴史に関する原稿を執筆し、カリフォルニア大学出版会に提出したことがありました。出版会はその査読を私の知人に依頼したのですが、彼が多忙だったため、ある極めて保守的なアッシリア学者に回されてしまいました。彼は文学批評家であり、経済記録の知識を持ち合わせていませんでした。その査読者はこう言ったのです。
「ラビ・ヒレルが言った通り、もし借金を帳消しにしてしまえば、債権者はどうやって再び金を貸すというのか」と。

しかし、その答えは明快でした。当時の債権の大部分は「宮殿」と「神殿」に対して負っていたものだったからです。自分自身に対する債権を帳消しにすることは容易です。中国政府がそれを熟知しているのと同じ理屈です。だからこそ中国は、アメリカが抱えるような種類の債務問題を抱えずに済んでいるのです。自らが債権者であるため、企業を倒産させず、金融資本家層を破産させず、銀行を破綻させることもなく債務を減免(帳消し)にできます。また、必要に応じていくらでも通貨を供給できるからです。これこそが、銀行制度、信用、そして利息の起源において存在していた状況そのものでした。

つまり、利息を伴う負債と、それらを定期的に帳消しにする必然性とは、文明の夜明けそのものに深く組み込まれていたのです。

この慣行は、文字記録に残る紀元前2500年頃――現存する最古の記録はシュメールの港湾都市ラガシュの統治者エンメテナによる債務免除です――から紀元前1200年頃まで続き、さらに紀元前1千年紀に入ってもアッシリアやバビロニアの王たちによって行われていました。

しかし、紀元前1200年頃に気候変動が起き、近東からヨーロッパにかけて「暗黒時代」が到来しました。ギリシャの宮殿経済では文字記録が失われ、人口の急減と過疎化が生じました。交易が再開するまでに約4〜5世紀を要したのです。

そして紀元前8世紀に至り、フェニキア商人や近東の商人たちがエーゲ海や地中海へ進出して交易を再開しました。その際、彼らは「利息を伴う負債」という慣行をヨーロッパへと持ち込みました。当時のヨーロッパには、負債に対して利息を課すという土壌はまったく存在していませんでした。利息を徴収するという発想は、決して普遍的なものではなく、世界のある一つの地域――南メソポタミアのシュメールやバビロニア――で生まれたものだったのです。

この利息徴収の慣行が、近東の商人たちと交易を行っていた現地の首長たちに伝えられました。現地の首長たちには「首長制」の観念はあっても、考古学者が言うところの近東の「神聖王権」の観念はありませんでした。正義の神々に従うことを誓い、新たな統治者の即位時に債務を帳消しにするような中央集権的な権威が存在しなかったのです。

その結果、利息を伴う負債は瞬く間に民衆を隷属状態へ叩き落とし、土地を奪い去っていきました。そしてギリシャ全土で革命が勃発したのです。最初の革命が起きたのはアテネのすぐ北……カルタゴではなく、コリントス地峡などの都市でした。そこでは、いわゆる「僭主(民衆派指導者)」たちが貴族政を打倒し、債務を帳消しにして土地を再分配しました。同様の事態はスパルタでも起こり、スパルタでは債務を帳消しにしただけでなく、貨幣そのものや利息の禁止にまで踏み切りました。そして最後の国は……

ギリシャで最も反動的(保守的)だった国がアテネでした。そして最終的に、右派寡頭制(オリガルキー)を打倒する革命の機運が高まり、危機の中でソロンがアルコン(最高政務官)に任命される事態へと至ります。

ソロンは債務帳消しの必要性を理解していました。そして誰もが、コリントスからスパルタに至る他のギリシャ諸都市で起きたことと同様の措置、すなわち土地の再分配まで行われることを期待していました。しかし、ソロンは土地の再分配を行いませんでした。その結果、彼は人望を失い、事実上の亡命生活を送ることになります。貴族層は担保土地の抵当負債(ヘクテモロイに関わる負債)を帳消しにされたことに激怒していました。これらの負債の正確な実態については諸説ありますが、とにかくソロンはアテネ市民を負債による隷属(債務奴隷)からは解放したものの、土地そのものを市民たちに返還・再分配することはしなかったのです。

そのため、実質的な民主制への道を開く役割はペイシストラトスとその息子たちに委ねられることになりました。私が学んだシカゴ大学の付属高校(ラボラトリー・スクール)やシカゴ大学は極めて右派的な気風の学校で、そこではペイシストラトスらは「独裁者(僭主)」として描かれていました。なぜ独裁者とされたかといえば、彼らが身辺警護の親衛隊(ボディガード)を連れていたからです。しかし、なぜ親衛隊が必要だったのかといえば、寡頭権力層が彼らを常に暗殺しようとしていたからにほかなりません。改革者につきまとう問題とは常にそれであり、現代世界と同じく、人々は改革者を殺そうとするのです。

ペイシストラトス父子は数々の改革を推し進めましたが、紀元前6世紀末のアテネで起きたことは、まさにコリントスで起きたことの再現でした。貴族の傍系の出身者であったクレイステネスが、基本的には債務を帳消しにし、アテネの政治制度全体を再設計したのです。ルイス・ヘンリー・モルガンはその名著『古代社会』の中で、ギリシャ民主制の起源をソロンでもペイシストラトスでもなく、クレイステネスによる徹底的な大改革に位置づけています。こうしてようやく抜本的な改革が成し遂げられ、その結果としてアテネの目覚ましい飛躍(テイクオフ)がもたらされたのです。

言うまでもなく、私が読んできたギリシャ史の著作の大半は、こうした経済的側面を軽視・過小評価していました。



第5章:アリストテレス、プラトン、そして債務免除


シカゴ大学で学んでいた頃、大きな焦点の一つとなっていたのが、先ほど言及されたアリストテレスとプラトンでした。大学側は主にアリストテレス主義寄りでしたが、私は昔からプラトンを好んでいました。大学の学際的教養課程(シンセシス・コース)で「知識の組織・方法・諸原理」を学ぶ際、私たちはプラトンの『国家(ポリテイア)』を読まされたのですが、そこで教え込まれたのは、プラトンやソクラテスが論じた内容を都合よく去勢した、極右的な解釈でした。

そこで教えられた論理は、「必要とされるのは高貴な独裁者、すべてを巧みに統御できる知性ある人物だ」というものでした。要するに、当時のロバート・ハッチンス学長のような人物がアメリカに独裁者を望んでいたような構図です。教員陣は極めて右派的であり、彼らにとっては「知性ある哲人統治者(守護者)」「社会的な王」を置くことこそがすべてでした。

彼らは『国家』全体の枠組みを都合よく削ぎ落としていたのです。この点は我々の議論にも密接に関わりますが、その冒頭部分について触れてもよろしいでしょうか?

ロビンソン:
ええ、ぜひお願いします。

マイケル・ハドソン:
物語は、ソクラテスがあるアテネ市民(ケファロスら)と対話するところから始まります。相手は「借りた負債は返済しなければならない」と論じていました。そこでソクラテスは問いかけます。
「借りたものは本当に何であれ返さなければならないのだろうか。例えば、誰かから武器を借りたとしよう。軍で戦うためなど何らかの理由で借りたとして、それを持ち主に返さなければならないとする。だが、その持ち主が狂気にとらわれた殺人者であり、極めて危険な人物だと分かっている場合、他者に危害を加えると分かっている人物に武器を返却することが、果たして正義(正しいこと)と言えるだろうか?」

アテネ市民は答えに窮します。そこでソクラテスは話を負債へと展開させます。
「では、君が負っている負債について考えてみよう。もし君が債権者に金を返済し、債権者がその金を使って他の人々に貸し付けたらどうなるか。貧しい耕作民に金を貸し、その耕作民が借金を返すために自分の土地ではなく債権者の土地で労働を強いられる(隷属する)ことになったらどうだろう。さらに、債権者たちが結託して社会を牛耳り、政府を支配して社会を搾取し、危機を引き起こすとしたら、果たしてそのような者たちに借金を返済することが正しいと言えるだろうか?」

これこそが『国家』の発端となる枠組みです。相手のアテネ市民は尋ねます。
「なぜ債権者たちはそれほどまでに自滅的な振る舞いをするのでしょうか。そうした危機を防ぐような、真に賢明な統治者を置くことはできないのでしょうか?」

ソクラテスは答えます。
「富裕層の精神構造には、『富への耽溺(ウェルス・アディクション)』、すなわち『金銭愛(フィロフルマティアー)』と呼ばれる病理が組み込まれているのだ」

アテネの悲劇や喜劇――例えばアリストパネスの劇作――でも、富への耽溺やヒュブリス(傲慢)が破滅をもたらす様が描かれています。ソクラテスが語るのもまさにこのヒュブリスに酷似した状態であり、彼らは際限なく富を求めずにはいられないのです。

ソクラテスが説明した論理は、現代の新古典派経済学の貿易理論・効用理論の根本が完全に間違っていることを突いています。新古典派理論では、「バナナを多く手に入れるほど限界効用は逓減し、満腹になって喜びが薄れるため、どこかで消費をやめる」とされます。しかし、アリストパネスもソクラテスも、そして紀元前4世紀のアテネの演劇と哲学の全体が喝破していたのは、「金銭への愛は、バナナを食べるようなものとは違う」ということでした。

食物とは異なり、貨幣には依存症(中毒性)があります。富裕層はあまりに中毒化してしまうため、自らの私利私欲と貪欲な金銭愛を押し通して社会を崩壊させてしまうのだとソクラテスは論じます。

アテネ市民が「では、この罠から抜け出す手立てはないのか」と問うと、ソクラテスはこう答えます。
「まず第一に、極めて特殊な資質を備えた統治者を選ばなければならない。決して富裕層の家系から統治者を選んではならない。富裕な家柄に生まれ育てば、富への依存、金銭への執着を抱えて育つことになるからだ。理想的な統治者とは、自らの私有財産を持たない者でなければならない」

彼は、いかにして債務という病、債権者の病理から自由な人物を得るかを論じていたのです。これこそが『国家』の真の主題でした。しかし、シカゴ大学ではそうした話など一言も教えられませんでした。大学側は徹底して債権者の擁護者だったからです。そもそもシカゴ大学はジョン・D・ロックフェラーがバプテスト系の大学として基金を拠出して設立した機関(ロックフェラー大学とも称されるべき背景を持つ場)でしたから、それも当然でしょう。

私がその事実に気づいたのは、古代経済史の著作である『古代の崩壊(The Collapse of Antiquity)』の執筆に取り組み、これらすべての戯曲や哲学文献を読み直したときのことでした。アテネ人やスパルタ人、そしてギリシャ人の大半が気づいていたのは、「債務を帳消しにする何らかの仕組みを持たなければならないが、そのためには寡頭権力(オリガルキー)の形成を許さない政治システムが必要だ」ということだったのです。



第6章:古代ギリシャ・ローマにおける債務と制度の病理


プラトンの弟子であったアリストテレスは、弟子たちと共にギリシャ全土で入手可能なあらゆるポリスの国制を調査しました。そこで彼が見出したのは、「すべての国制は民主制を自称しているが、実態はことごとく寡頭制である」という冷徹な事実でした。一見すると民主制に見え、誰もが投票権を持っているように見えても、政治制度の仕組みや政策決定の実権が最富裕層の手に握られているため、実質的には寡頭制にほかなりませんでした。

これは古代世界の全体が抱えていた病理でした。そしてこの病理は、紀元前3世紀末にスパルタに戦争を仕掛けて焼き払い完全に壊滅させ、さらに民衆の忠誠を保つために債務免除を行おうとしていたマケドニアなどの諸地域へと侵略を進めていった古代ローマにおいて、より露骨な形で現れます。

ローマにおける投票制度は、現代のアメリカの状況と酷似していました。富裕層の1票は、下層階級の1票に対して10倍から100倍もの重みを持っていました。階級・資産額によって組織されていたのです。現代アメリカにおいて、政治候補者にどれだけの資金を注ぎ込むかを決めるのが大口献金者階級(ドナー・クラス)であり、テレビ広告枠を買い占め、買収資金をばらまき、意のままになる裁判官を送り込めるだけの巨額の資金を用立てられる者が勝つのと全く同じです。私たちはまさに同じ種類の寡頭制の中に生きています。

したがってギリシャ、ローマ、そして現代に至る社会は、古代近東の統治者たち――ハンムラビやシュメール、アッシリアの王たち――が解決していた問題を何一つ解決できていません。

経済的民主主義、すなわち債権者階級への借金返済のために隷属労働を強いられる境遇からの真の「自由(リバティ)」を実現するためには、債権者寡頭層に対する債務を定期的に帳消しにすることを誓約する中央権力者を置く以外に道はないということが判明したのです。

今日において、そうした発想は常軌を逸した暴論とみなされ、「社会主義」と呼ばれます。しかし、まさにそれこそが社会主義の本質でした。1世紀前、カール・カウツキーのような論客たちが「原初のユダヤ教は社会主義的だったのか」といった論考を著していたのもそのためです。古代ユダヤやイスラエルにおいては、すべての土地を独占しようとする富裕層・高利貸し債権者と、債務者たちとの間で7世紀以上にわたる闘争が繰り広げられていました。

バビロニアの経済文献や、新王が即位して経済的自由を宣言する布告文の解読が進んだ結果、バビロニア語で「アンドゥラールム(andurārum)」と呼ばれていた言葉が、ヘブライ語の「デロール(dərōr)」と同根語であることが明らかになっています。これらは一語一語そのまま「ヨベルの年」を意味していました。

そして明らかになったのは、「ヨベルの年(債務免除)」とは経済の均衡を破壊するようなユートピア的妄想などではなく、むしろ「債務を帳消しにすることこそが経済の均衡を保ち、債務を帳消しにしないことこそが致命的な不均衡をもたらす」という冷厳な事実でした。

この認識は、バビロニアや古代近東の文献に繰り返し現れるだけでなく、古代ギリシャにおいても、アイネイアス・タクティカス(戦術家アイネイアス――当時のギリシャでは筆名を用いたり、生涯のどこかで新たな名前を名乗ったりしたのでしょう)が著した軍事手引書にすら明確に記されているのです。


彼(タクティカス)は都市の防衛と攻略に関する書物を著しました。その中で彼は、「将軍が都市を攻撃する際、どのような戦術をとるべきか」と問いかけています。彼が挙げた第一の手立ては、「市民たちに対し、債務を帳消しにすると約束すること」でした。そうすれば、市民たちは攻撃側に寝返るからです。そして次に、「攻撃を仕掛けてくる将軍から都市を防衛するにはどうすればよいか」と問います。その答えもまた、「市民たちに債務免除を約束すること」でした。一部の奴隷を解放するかどうかは別としても、負債によって隷属させられた人々(債務奴隷)は確実に解放しなければならない、と。これこそが為すべき戦術だったのです。

これらすべては、古代人の精神構造そのものに深く織り込まれていました。そして、全5巻のシンポジウム論文集を刊行した我々のハーバード研究グループが明らかにしたのは、「経済秩序の回復」という発想が、「経済には自動的な自己調整機能など存在しない」という明確な認識に基づいていたという点でした。

「市場の自動調整機能」などというものは、経済を不安定化させたい寡頭権力層(オリガルヒ)が流布した現代の神話にすぎません。もし彼らが、「現在起きている現象はすべて、富を彼らに集中させ、残りの90%を貧困化させることによって経済が安定へ向かう自然なプロセスなのだ」と大衆を信じ込ませることができれば、民衆は何も手を打てなくなるからです。

ですから、我々のアッシリア学グループやエジプト学グループの発見は、世間ではほとんど顧みられていません。ロゼッタ・ストーンのおかげでエジプトのヒエログリフが解読されたことは誰もが知っていますが、そのロゼッタ・ストーンの内容自体が「債務免除の布告」であったこと――ファラオに対する納税債務の免除であったことを知る人はほとんどいません。古代における負債の大半は宮殿に対するものであったため、先述の通り、宮殿は自分自身に対する債権を帳消しにしていたのです。

やがて2世紀から3世紀のローマ皇帝たちも最終的に債務免除を行いましたが、その頃には一般庶民はすでに破産し尽くしていたため、帳消しにされたのは皮肉にも主に富裕層が負っていた納税債務でした。

しかし、こうした事実はすべて歴史の勘定から都合よく除外されています。『Plato to NATO(プラトンから北大西洋条約機構へ)』という著作がありますが、そこでは古代史の改ざん、ギリシャ・ローマ哲学の偽りの歴史が、いかにして「それらの哲学が本来何をめぐる思索であったのか、いかなる社会問題に取り組んでいたのか」という文脈を消し去るために仕組まれたものであったかが示されています。

もし経済の自然な傾向が「二極化と不安定化」にあると認識するならば、外部から介入してそれを覆す「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」、すなわち強力な統治者が必要となります。「すべての負債は返済されねばならないという教条を墨守するがために、経済を犠牲にし、社会を二極化させ、暗黒時代を招くような真似はさせない。最富裕層の1%が残りの99%を貧困に陥れてさらに富むことよりも、社会全体が存続することの方がはるかに重要である」と宣言できる統治者です。

それこそが、古代思想の最初の3000年間にわたって培われてきた知恵でした。しかし、西洋文明の語り口にはその一言すら出てきません。西洋文明は、これらすべての経済的・金融的・社会的な文脈を都合よく漂白した上で、あたかもギリシャやローマの寡頭勢力が文明を破壊し尽くそうとした張本人ではなく、文明の創始者であったかのように描く神話を捏造したのです。

この構造を理解すれば、なぜ現代において中国が優位に立ちつつあるのかも理解できます。中国は、貨幣の発行、債務の創出、銀行業、そして信用供与を「公共インフラ(公益事業)」として中央集権的に管理しているからです。それはかつてシュメール、バビロニア、アッシリアといった古代社会の至るところで行われていたことと全く同じです。これは、社会をどのように構造化するかという根本的なパラダイムの違いなのです。


 第7章:現代の新自由主義経済学が抱える問題


あなたにとっては、これは哲学的な問いに見えるかもしれません。しかし私にとっては、これは純然たる経済学の問題でした。ただ、現代の経済学のカリキュラムにはそれを取り上げる余地が一切ありません。大学ではもはや「経済史」も教えなければ、「債務(借金)」の本質も教えないからです。

現代の経済モデルはすべて、物々交換を前提として組み立てられています。「市場における単なる交換取引」として経済がどのように動くかばかりを論じ、何がその市場の枠組みを形作っているのかには目を向けません。市場自体なら紀元前3千年紀にも存在しました。いかなる経済にも市場は存在します。

しかし、現代の経済学者たちは「市場とは、政府の介入がなく、度量衡の監視もなく、独占の防止もなく、公共の利益への配慮も一切ない状態のことだ」と強弁します。これは極右の思想であり、率直に言えば「ネオ・ファシズム」です。今日、それは「新自由主義(ネオリベラリズム)」、あるいはさらに悪質な形態としては「リバタリアニズム」と呼ばれています。

リバタリアンたちの発想とは、要するに「中央計画経済は必要だが、その中央計画者(プランナー)は政府ではなくウォール街でなければならない」というものです。すべてを民間部門に委ね、銀行こそが社会の計画者となるべきであり、銀行に対する規制など一切あってはならず、民衆を徹底的に貧困化させるがままにさせよ、というわけです。

新自由主義者やリバタリアンは、政治的スペクトラムにおいて極右の寡頭制勢力に位置しています。そして嘆かわしいことに、社会主義者たちもこの本質を捉え損ねてきました。ヨーロッパの社会民主主義・社会党勢力は、あたかもそれが技術的・必然的な進歩であるかのように、ことごとく新自由主義を受け入れてしまったのです。

その結果、西洋文明には致命的な盲点が生まれることになりました。古代近東でいかにして真の文明が始まり拡散していったかという歴史に対する盲点だけでなく、西洋経済を二極化させ、かつてローマ帝国が暗黒時代へと崩壊していったのと全く同じ破滅の道へと、今日ふたたび突き動かしている根本的な力学に対する盲点です。

ロビンソン:
素晴らしいお答えですね。咀嚼すべき論点が満載ですが、二点ほど所感を述べさせてください。

まず手短に言えば、敵軍や敵国の市民の負債を帳消しにするという発想には驚嘆しました。歴史のどこかには登場するはずの策ですが、これまで考えたこともありませんでした。

それから『国家』のソクラテスの逸話は、現代の負債というよりは「徴税」の議論を想起させます。もっとも、先ほど「納税債務」の話をされたので、私が思っていた以上に的を射ていたのかもしれませんが。いずれにせよ、良心的兵役拒否のような文脈で、「税金の一部が現在中東で起きている特定の戦争に使われる可能性がある」ことを理由に、現代のアメリカに対して納税を拒否したくなるようなケースを連想させます。

しかし、マイケルさんのお話を要約すれば、経済学史を振り返る大きな意義の一つは、それが単なる過去の事例集にとどまらず、現代のアカデミアでは無視されている優れた着想や成功例の宝庫である点にあると言えます。現代の経済学部では債務の本質も経済史も教えなくなってしまったわけですが、古代近東の事例は、経済を健全に保つために「周期的な債務帳消しが有効に機能した」という豊富な証拠を提供してくれています。

マイケル・ハドソン:
その通りです。完璧な要約ですよ。

ロビンソン:
そこでもう一つ、より大きな疑問が浮かびます。お話の中で社会主義やリバタリアニズム、さらにはマルクス主義や資本主義といった言葉が出ましたが、ご自身は何か特定の「イズム(主義)」に帰属しているとお考えでしょうか。それとも、ご自身の独自の体系、固有の「イズム」をお持ちなのでしょうか?

マイケル・ハドソン:
後者と言わざるを得ないでしょうね。世間の多くの人々は、左派といえばマルクス主義者だと短絡的に考えがちです。

もちろん、マルクスは負債の問題を的確に見抜いていました。『資本論』第3巻を見れば、19世紀のいかなる経済学者、歴史家、あるいは他の誰よりも深く切り込んでいます。マルクスは複利の力学や、いかに負債が急速に倍増していくかに関するあらゆる文献や引用を徹底的に収集していました。どのような利率であれ、そこには元本が倍増する年数(いわゆる「72の法則」)が存在します。本日取り上げている私の著書でも丸々一章をこれに割いていますが、マルクスはこれらの債務が最終的に返済不能に陥ることを証明しました。

そして彼は、例えばマルティン・ルターの言葉を引用しています。皮肉なことに、私が『資本論』第3巻でその引用を読んだ直後、ルーテル教会が出版しているルターの経済論集を買いに走ったのですが、マルクスが引用していたルターの高利貸し批判の説教は収録されていませんでした。ルターが宗教と利息の役割について語った真のテクストを読める場所は、皮肉にもマルクスの『資本論』第3巻だけだったのです。ルーテル教会自身が「これは我々の知るマルティン・ルターではない」として、その部分を削ぎ落として(検閲して)しまっていたわけです。

これは驚くべき事態ですが、「主の祈り」の改竄と全く同じ構図です。

 第8章:「主の祈り」、キリスト教、そして債務免除


キリスト教がローマ帝国の国教とされた後、アウグスティヌスに始まる流れの中で起きたことでした。アウグスティヌスが行ったことの一つは、アレクサンドリアのキュリロスの反ユダヤ主義に追従し、ローマ軍を呼び寄せて自らに従わない「真のキリスト教徒たち」――ローマの指導部に屈しなかったドナトゥス派の信徒たちを虐殺させたことでした。

そしてアウグスティヌスは、イエスが説いた教えは「債務免除」のことではないと強弁しました。イエスが最初に行った説教は、イザヤ書の巻物を紐解きながら「自分はヨベルの年を回復するために来た」と告げるものだったにもかかわらずです。アウグスティヌスは「いや違う、イエスの教えは債務免除ではなく『罪』、とりわけ『性的な罪』についてなのだ」と言い換えました。カトリック教会全体を「性的な罪」や性的なエゴイズム、アダムに由来する「原罪」をめぐる教義へと塗り替えてしまったのです。

そして教会は「これは都合が良い。免罪符(贖宥状)の代金を教会に支払えば罪は消え去り、天国へ行ける」としました。実に見事な仕組みです。

こうして「主の祈り」の文言も骨抜きにされ、原典の「我らに負債ある者を免したる如く、我らの負債をも免したまえ」が、「我らに過ちを犯す者を許すが如く、我らの過ちをも許したまえ(罪や侵犯の赦免)」へと改変されました。ドイツ語の「Schuld(シュルト)」という言葉が「過ち・罪」と同時に「負債」を意味し、古代の賠償金(贖罪金/ウェルギルド)の支払いを意味するように、あらゆる印欧語族の言語において「罪」と「債務・支払い」を指す言葉は同根でした。

古代ヨーロッパ社会において人々が負う主要な負債とは、生活費や借地料の借金ではなく、誰かに危害を加えた際に部族間の血の復讐(抗争)を防ぐために被害者側に支払う「贖罪金(ウェルギルド)」だったからです。支払えなければ一族が連帯して支払いました。

しかしカトリック教会は、「主の祈り」から「負債」の意味合いを事実上消し去りました。そして12世紀から13世紀にかけて、ローマ教会は他のキリスト教徒に対する十字軍を展開します。十字軍はイスラム教徒に対するものだったと思われがちですが、実態は自らに服従しない他のキリスト教勢力を屈服させるための侵略でした。

南フランスのカタリ派と戦い、ローマへの貢納を拒むドイツ勢力と戦い、キリスト教の筆頭格であったコンスタンティノープルの東方正教会に対抗するため、歴代教皇たちはヨーロッパに侵入してきたノルマン人の軍閥(ウォーロード)を雇い入れました。教皇庁は1050年頃から南イタリアやシチリアで軍閥と取引を結び始め、「ロベルト・ギスカルドを王として承認する代わりに、ローマの封建家臣(属国)となり、コンスタンティノープルに忠誠を誓う東方典礼の真のキリスト教徒たちを根絶やしにせよ」と命じたのです。

次いで1066年には、別の軍閥である征服王ウィリアムとも取引を行いました。「イングランド王位を認める代わりに、聖ピエトロの Pence(教皇への貢納金)を納め、司教の任命権をローマに委ねよ。教会の財産を王が着服せず教皇へ納めさせるためだ」と。

13世紀の全貌とは、教皇庁が後援する銀行家たちからノルマン諸王が巨額の借金を重ねて教皇の敵と戦うのを、現地の貴族層がいかに阻止するかという闘争でした。ジョン王のもとでマグナ・カルタ(大憲章)が成立し、息子のヘンリー3世のもとで再確認されたのも、王が無制限に借金を重ねる権能を制限するためでした。教皇(インノケンティウス3世ら)は、王に戦費を貸し付けたイタリア系銀行家への利払いに反対する者を片っ端から破門しました。

こうしてキリスト教は、債務の帳消しではなく、「債務を崇拝する宗教」へと堕落していったのです。これは十字軍の一般的な歴史書には書かれていませんが、最初の標的はシチリア、南イタリア、そしてイングランドでした。そしてその軍事・金融動員力を基盤として、教皇庁は大軍を率いてコンスタンティノープルを略奪し、東方諸教会を乗っ取っていったのです。当時五大総主教座(コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレム、ローマ)の中で、ローマは最下位に位置する最も教養の低い壊滅的な地域でした。10世紀のカトリック教会自身が「ポルノクラシー(娼婦政治)」と認めている通り、現地の有力家系が勝手に身内を教皇に据えていたような惨状だったのです。

私は現在、十字軍から現代に至る債務の歴史を執筆中ですが、西洋文明における「債務」の再登場が、いかに教会主導で推し進められたかには驚かされました。その頂点が1515年、メディチ家出身の教皇レオ10世による公会議であり、利息の徴収が公式に正当化されたのです。

債務関係という観点から経済や社会の進化を見直すと、因果関係や、何が政治・社会制度・宗教・価値観を形作ってきたのかについて、全く異なる地平が開けてきます。公会議をめぐる大論争も、経済闘争も、14世紀や15世紀以降の農民反乱も、すべては「債務」をめぐる闘争でした。

それにもかかわらず、フロイトが登場する以前に「性」がタブー視されて語られなかったのと全く同じように、今日において「債務」は思考の枠組みから完全に削ぎ落とされています。フロイトが性に対して果たした役割を、私は債務に対して果たしたいと考えています。これは決定的に重要な問題なのです。

ロビンソン:
素晴らしい着眼点ですね。複利の話、そして本日の主題であるご著書『Killing the Host(寄生主を殺す)』についてですが、リスナーの皆さんにとっても、この書名が「ある対象」と「寄生者(パラサイト)」との比喩であることは明らかだと思います。そこで……


第9章:FIRE(金融・保険・不動産)部門と経済的寄生者



ロビンソン:
FIREという頭文字を聞いたことがあっても、よく知らないリスナーもいるかと思います。現代における「FIRE部門」とは具体的に何を指し、なぜそれを「寄生者(パラサイト)」に明確になぞらえているのでしょうか?

マイケル・ハドソン:
FIRE部門とは、金融(Finance)、保険(Insurance)、不動産(Real Estate)の頭文字をとったものです。

私が1960年代に大学院で博士号を取得するために学んでいた頃、教科書には銀行が工場に融資を行い、労働者が弁当箱を手にその工場へ出勤し、稼いだ金で家を買うといった、喜ばしい経済循環のイラストが描かれていました。

しかし、銀行はそのような目的のために金を貸しているわけではありません。銀行は工場や新たな生産手段のために融資したことなど一度もないのです。銀行は「担保」に対して融資を行います。あなたが家を買うために融資しますが、その家自体を担保に取ります。あるいは既存の産業企業を買収するための資金は貸し付けますが、産業企業が自らの事業を構築・拡大するための設備投資資金を貸すことはしません。事業拡大は通常、株式市場や新規株式公開(IPO)、そして主には内部留保(利益の再投資)によって賄われます。企業は自力で自己金融を行っているのです。

ちょうど映画製作者の多くが、映画を撮るための資金を得るために、親から相続した自宅を担保に借金をして製作を始め、プロデューサーに見せる映画を完成させてキャリアをスタートさせるようなものです。

銀行融資の実に80%は不動産を担保としています。紀元前3千年紀から今日に至るまで、最大の融資市場とは不動産・土地に対する融資でした。

今日においてそれは、銀行の利益、すなわち金融・保険・不動産部門が共生関係にあることを意味します。住宅に保険をかける保険会社も同様です。銀行は住宅ローンを組む際、住宅保険への加入を義務付けますが、その保険会社はたいてい銀行と提携関係にあります。これらはすべて一つの「金融階層」を形成しているのです。

そして、この銀行融資は彼ら自身の取り分を増やすだけで、社会の実質的な所得を増やすことはありません。生産を増やすこともありません。なぜなら、住宅ローンのほぼすべては、すでに存在する不動産――既存の住宅、オフィスビル、既存の企業――に対する融資だからです。

彼らは、あなたが企業に乗り込んで解体・破壊するための買収資金なら喜んで貸し付けます。プライベート・エクイティ(未公開株投資会社)が借金をしてシアーズ・ローバックを買収し、破産に追い込むための資金を貸し出します。トイザらスを買収して破産に追い込むための資金を貸し出します。しかし、それは事業を成長させるためではなく、単に企業を粉砕し、切り売りし、労働者を解雇するためです。あるいは企業を買収した後に人員を整理し、拠点をオフショア(海外)へ移転して中国やアジアの安価な労働力に置き換えるための資金です。

したがって、銀行部門は本質的に「寄生型(パラシティック)」なのです。自ら新たな富・所得を生み出しているわけではないという意味においてです。銀行融資が膨張すればするほど生じる結果とは、住宅の購入価格を吊り上げることだけです。銀行は住宅に対して際限なく貸付額を増やしていきます。

その結果、人々が生活するための持ち家を手に入れるために背負わねばならない債務の額が膨らみ続けます。企業側も、買収者が借金して乗っ取りを仕掛けてこないよう、自ら借金を抱え込んでライバル企業を買収したり、経営陣へ配当を吐き出したりする「ポイズンピル(毒薬条項)」的な負債を抱え込む羽目になります。

彼らが成し遂げたのは、人々の現実認識そのものを改変してしまうことでした。現代の経済学者たちは、現実がどのように動いているかを理解しないよう教育されています。彼らが学んでいるのはサイエンス・フィクション(空想科学小説)です。並行世界の絵空事を語っているのですから、彼らは経済学部ではなく人文学部の文学科に所属させるべきでしょう。

そこで私が辿り着いた比喩が「寄生(パラサイティズム)」でした。

一般に寄生とは、銀行がまさにやっているように、宿主の所得から富を吸い上げる行為だと考えられています。アメリカやヨーロッパでは、労働者は賃金所得のますます多くを銀行への利息として支払わねばならず、企業は収益の多くを債務返済に充てねばならず、政府は公的債務の国債保有者への利払いに歳入の多くを奪われています。

では、なぜ人々はこの搾取構造に気づかないのでしょうか。なぜ銀行を「私たちの味方であり、家を買わせてくれる存在だ」と思い込んでしまうのでしょうか。銀行が家を買わせてくれる結果として、国民全体が所得のより大きな割合を住宅費に支払う羽目になっているにもかかわらずです。

私が1960年代にウォール街で働いていた頃、住宅ローンの返済負担は所得の25%程度が標準でした。しかし今や、米国の平均的な世帯は所得の約42%(政府保証付きローンを含む)を住居費に費やさざるを得なくなっています。多くの家庭が住居のために支払う負担割合は、かつての2倍近くに跳ね上がっているのです。これこそが寄生です。

さらに私が気づいたのは、真の寄生とは宿主から単に金を奪うだけでなく、「宿主の脳を乗っ取る」ことにあるという事実です。生物界の寄生虫が宿主の神経系を麻痺させて自らに都合よく操るように、金融部門は人々の認識を支配し、「金融こそが社会を助けており、国民所得や国内総生産(GDP)に貢献している」と信じ込ませるのです。

数年前、ゴールドマン・サックスの経営トップ(ロイド・ブランクフェイン)が「ゴールドマン・サックスのパートナーたちは全米で最も生産的な労働者だ」と公言しました。彼らが手にする莫大なボーナスの額を見よ、というわけです。彼らのボーナスはすべてGDPに計上されます。人々が支払う利息も「事業コスト」として経済活動を支えているとみなされ、GDPに加算されます。

労働者がクレジットカードの支払いに遅れ、カード会社がペナルティとして金利を19%から30%へ引き上げたとします。その増額された金利負担分もすべて「金融サービスの提供」として扱われ、GDPに計上されるのです。

こうして金融部門は、「経済成長とは何か」「GDPとは何か」「国民所得とは何か」という概念そのものを乗っ取ってしまいました。銀行家やゴールドマン・サックス、企業買収者、ブラックストーンやブラックロックといった金融勢力が、あたかも私たちの繁栄を牽引しているかのように錯覚させているのです。

その結果として生じるのが、ニューヨーク・タイムズの論説などでポール・クルーグマンのような主流派論客が示すような見解です。彼らは「なぜアメリカ国民はこれほど愚かで、現状がいかに素晴らしいかに気づかないのか。見よ、富裕層はかつてない豪華なヨットを買い、より巨大な豪邸を手に入れ、ますます豊かになっているではないか。なぜ有権者はバイデン政権や民主党のもとで暮らしが良くなっていると実感しないのか」と首を傾げるのです。


マイケル・ハドソン:
さて、クルーグマンのような人物が備えているものこそ、現代において真面目な専門家として扱われるための必須条件なのです。新古典派経済学のノーベル賞(経済学賞)を得るための条件、経済界の「導師(グールー)」として祭り上げられるための条件とは、「経済が実際にどう動いているかを理解していないこと」にほかなりません。

もしあなたが、経済がいかに金融中心に動いており、経済計画の実権がいかに金融部門に一元化されているかを真に理解してしまえば、それだけで資格剥奪です。「オーバースペック(資格過剰)だ」「余計な教育を受けすぎている」と言われ、「それは経済学ではない、単なる『外部性(外部効果)』にすぎない」と片付けられてしまいます。

彼らにとっては、債務も外部性、地球温暖化も外部性、犯罪やホームレス問題もすべて外部性です。およそ現実のあらゆる問題は、彼らが考える「経済学の本質」の外側にあると切り捨てられます。彼らにとっての経済学とは、「銀行から借金をして負債を増やせば、誰もがより豊かになれる。債権者はあなたを助けてくれるのだ」というお題目を唱えることだけだからです。

これは完全なSF(空想科学小説)です。そして「寄生者が宿主の脳を乗っ取る」というのは比喩にとどまりません。金融資本はビジネススクールや大学への資金提供・基金の寄付を牛耳り、採用される経済学教授たちが「経済は本質的に物々交換で動いている」「債務など気にする必要はない。どうせ『自分たち自身に対する借金(We owe it to ourselves)』なのだから」という神話を教え込むように仕組んでいるのです。

彼らが「自分たちに対する借金」と言うとき、その実態は「99%の大衆が、1%の富裕層に対して負っている借金」を意味しています。ジョージ・オーウェルの『1984年』を読めば、彼が「ダブルスピーク(二重語法)」や「ダブルシンク(二重思考)」で何を告発しようとしていたのかがよく理解できるはずです。経済学部の卒業生たちは実質的にそうした誤った教育を刷り込まれ、金融・銀行部門の広報担当者(PRマン)として社会に送り出されているのです。

ロビンソン:
寄生虫の比喩には幾重もの側面があって非常に興味深いです。アリの脳を乗っ取る冬虫夏草のように、FIRE部門が一般消費者の脳を乗っ取るという話をされましたが、宿主の脳の乗っ取りは「政府」という形態に対しても起きているとお考えですか?

マイケル・ハドソン:
その通りです。考えてもみてください。政府は財務省の高官や中央銀行の幹部に誰を任命するでしょうか?

大口献金者階級(ドナー・クラス)、すなわち金融階層は、上院や下院の銀行委員会のメンバーが誰であるかを常に注視しています。例えば民主党の場合、各委員会の委員長は民主党全国委員会(DNC)に対して一定額以上の政治資金を集めて上納しなければなりません。では、誰が最も多くの資金を集められるのか。献金者たちは「銀行委員会のトップに我々の息のかかった人物が就いた。彼の選挙運動に巨額の資金を注ぎ込もう」と考えます。そして、もしその委員長が自分たちの意に沿わない行動を取れば、相手候補に巨額の献金を回すだけです。民主党だろうと共和党だろうと関係ありません。掲げるレトリック(弁舌)こそ違えど、どちらも同じ献金者階級を代表しているからです。

製薬業界でも全く同じことが起きています。製薬会社が「誰を関係委員会の委員長に据えたいか」を決めます。軍産複合体も「外交委員会や軍事委員会のトップに誰を据えたいか」を決め、自らの意に従う人物を送り込みます。

したがって実質的に起きているのは、法律を制定し、その法律を執行(あるいは骨抜きに)する官僚を任命する「連邦議会の各委員会」そのものの民営化と金融化です。

これらすべては表からは見えないように覆い隠されています。彼らはこれを「民主主義」と呼びます。アメリカ国民は、献金者階級から最も多額の資金を集めることに成功した候補者のいずれかに投票できるからです。しかし、ゲームの勝敗は最初から仕組まれています。有権者に与えられるのは「トゥイードルダムとトゥイードルディー(五十歩百歩の瓜二つ)」の選択肢にすぎず、どちらを選ぼうと、議会で献金者階級を代表するよう選別された人物が当選するだけなのです。

ロビンソン:
なるほど。寄生者(パラサイト)の側については十分に伺いました。では次に「宿主(ホスト)」について伺いましょう。『Killing the Host(寄生主を殺す)』において、宿主とは実体経済そのものを指すわけですが……


第10章:私たちは経済的寄生者の「宿主」なのか?


ロビンソン:
何をもって「宿主を殺す」ことになるのでしょうか? 金融崩壊そのものが宿主を殺すことなのでしょうか、それともクラッシュは宿主が侵された病の単なる兆候にすぎないのでしょうか?

マイケル・ハドソン:
実際のところ、クラッシュ(金融崩壊)は通常、寄生関係に終止符を打ちます。なぜなら、クラッシュは寄生者自身をも道連れにして倒してしまうからです。

自然界における賢い寄生虫は、宿主をできる限り生かしておこうとします。いよいよ最後という段階に至るまで生かしておき、その瞬間に卵を産みつけ、孵化した幼虫が宿主の肉体を食い尽くすのです。

興味深いことに、経済学の専門用語でも実際に「ホスト・カントリー(受入国/宿主国)」という言葉が使われています。投資家にとっての「ホスト国」とは、外国の投資家がインフラや国内企業を買収し、その支配権を握ることを許す国のことです。

受け入れ国はアメリカやヨーロッパの企業を受け入れます。すると米系子会社は、米国の銀行や欧州の銀行団から資金を借り入れて投資を行います。そして彼らは実質的に、ホスト国の政府に税金を納めません。所得税のないオフショア(租税回避地)にある100%出資の子会社――リベリアやパナマのような、自前の通貨すら持たず(為替下落リスクがなく)米ドルを通貨として使用している、まともな国家とは言えないような地域――から借入れを行っている体裁を装うからです。

こうしてホスト国の政府は資金難に陥ります。そこへ国際通貨基金(IMF)や世界銀行がやってきて、その国に対してアメリカ製品と競合しないような輸出産業――例えば大農園(プランテーション)作物や熱帯農産物――の開発を奨励します。自国民のための食料自給をやめさせるわけです。

IMFと世界銀行は、為替レートを維持するためにますます借金を重ねざるを得ないような債務構造へと国々を誘導します。そしてアダム・スミスが言うところの「破滅へと急行する国」に対して、IMFは資金を融通し続けます。自国内に進出した米企業を潤す政策に従っている限り、あるいは米国を「不可欠な国家(唯一無二の覇権国)」たらしめるために米国の戦略家たちが望む世界的な分業体制に寄与している限り、資金を貸し付け続けるのです。米国が制裁を科したり、戦争を仕掛けたり、政権転覆や政治的暗殺に資金を出したりして他国の経済を破壊できる唯一の国であり続けるために――かつて1950年代のグアテマラ、1954年のイラン、そしてリビアに対して行われたのと同じように、世界がアメリカに依存し続けるように仕向けているのです。

その結果、諸国はますます債務の深みに嵌まり、債券保有者からさらに借金を重ねることを余儀なくされます。その典型が昨今のアルゼンチンです。

アルゼンチンは長年にわたり、おそらく中南米で最も反動的な寡頭権力層(オリガルヒ)によって支配されてきました。過去100年間を見れば、ピノチェト支配下のチリ以上に、世界で最も極右的な寡頭支配層と言ってよいでしょう。そして国家は「救いようのない破綻状態(バスケット・ケース)」に陥っています。

この寡頭支配層は、実体経済全体に極めて重い税や負担を課すため、自前の産業を育てることも、独立した農業を営むこともできません。そして債券保有者への返済能力を維持するために、借入金はすべて米ドル建てで行われます。報道で絶えず攻撃されている「ヤンキー債権者(米国のハゲタカファンド)」の実態は、実はオランダ領西インド諸島やパナマなどのオフショアに拠点を置くアルゼンチンの富裕層自身であり、彼らがアルゼンチンの外貨建てドル債を保有しているのです。「ああ、米ドル債は酷いものだ」と嘯きながら。

米国の一般債券投資家は、アルゼンチンの債務を買うのを恐れています。彼らは私が50年〜60年前にやったのと同じように統計を精査し、「アメリカが追加融資をしない限り、彼らに返済能力などあるはずがない。すべては人工的なバブルにすぎない」と当然ながら見抜いているからです。

こうして国々は、いよいよ破綻の瀬戸際に追い詰められるまで延命させられます。そしてその限界が訪れたとき、IMFはオリガルヒたちに耳打ちするのです。
「もうこれ以上、この国に融資することはできない。今のうちに資金を逃がしなさい。通貨を買い支えるための資金をアルゼンチンやチリに貸し付けるから、その間に自国通貨をできるだけ速やかに米ドルへ換えて国外へ退避させよ。その後に梯子を外し、通貨を暴落させる」と。

社会主義勢力が選挙で政権を奪還することを見越した上で、彼らはこう宣伝するのです。「見よ、経済が崩壊しているではないか。彼らは債務を返済できない」と。当然です、IMFがもはや資金を貸し出さないからです。彼らは極右・ネオファシスト政権にしか金を貸しません。ファシストに従わなければ金は出ない――これこそがジャネット・イエレンらの基本原則です。寡頭制を受け入れなければ資金は得られず、農地改革を試みようものならグアテマラで起きたことの二の舞になり、資金ではなく政権転覆が送り込まれます。

彼らは極限まで国民を絞り上げ、人々が絶望のあまりアルゼンチンのハビエル・ミレイのような狂気じみた人物に投票せざるを得ない状況へと追い込みます。ミレイは「もうどうにでもなれ、米ドルそのものを公式通貨として採用しよう。ドル化すれば富裕層は何の損失も被らない。どうせ99%の庶民には貯金などないのだから関係ない。為替リスクすら心配しなくて済むようドル化するのだ」と言い放ちます。国は完全に救いようのない破綻状態です。

先ほど触れた通り、これは100年前にまで遡る病理です。かつてハドソン研究所で私の上司だったハーマン・カーンは、よくこう語っていました。「1950年代や1960年代は実に見事な繁栄の時代だったが、当時は閉塞感(マレイズ)が漂い、人々はその恩恵に気づいていなかった。しかし、その繁栄を痛感していた国が一つだけあった。アルゼンチンだ。彼らだけはその繁栄の果実を一切享受できていなかったからだ」と。

事実、第一次世界大戦前の1910年代から1920年代初頭にかけて、誰もがアルゼンチンは世界で最も豊かな国になるだろうと信じていました。豊かな大地、肥沃な土壌、広大な牛の群れ――あらゆる自然の恵みを備えていたからです。しかし、アルゼンチンには「真に寄生的な支配階級」が存在していました。「ファシズム」という言葉が生まれる前からファシストであった連中です。彼らは常にアルゼンチンを窒息させ続けてきました。

現在の経済・社会構造のままでは、アルゼンチンの経済問題に解決策はありません。この寡頭支配層を一掃し、土地、石油、原材料、鉱物資源の利権を国民全体と実体経済のために活用できるようにするためには、毛沢東主義的な徹底した革命でも起こす以外にないでしょう。

しかし、そうした変革が起きることはありません。1970年代のピノチェト政権以降、アメリカは巨大な国家テロリズムのプログラムに資金を注ぎ込んできたからです。労働組合の指導者、進歩派の経済学者、農地改革を唱える人々を標的とした大規模なテロと虐殺が行われました。アルゼンチンにおいて進歩的な経済改革を試みることは、文字通りの死刑宣告に等しいのです。

したがって、あなたの問いに答えるならば――寄生者が「もうこれ以上吸い上げる富は残っていない」と悟ったとき、彼らは実体経済を見殺しにして死に至らしめ、バラバラに解体して奪えるものを奪い去り、資金をアルゼンチンからアフリカやアジアなどの新たな獲物へ移動させ、同じプロセスを繰り返すのです。例えばギリシャのような国で行われたことを見れば、それがよく分かります。


ロビンソン:
世間一般の通説では、病んだ経済を治療するのは「緊縮財政(オーステリティ)」措置だと考えられています。


第11章:経済破綻に対する緊縮措置の批判


いま伺ったお話の中に、緊縮措置はどのように位置づけられるのでしょうか。もし緊縮が解決策でないとすれば、真の解決策とは何なのでしょうか?

マイケル・ハドソン:
緊縮の役割とは、端的に言えば「経済成長を阻害すること」にあります。

緊縮の第一の狙いは、労働者が賃金の引き上げを勝ち取るのを阻止することです。IMFから融資を受ける国々が飲まされる必須条件の一つに、「労働組合運動の解体」があります。全米民主主義基金(NED)のような組織が乗り込んできて、彼らの言う「民主主義」を実行する――すなわち、労働運動の指導者を暗殺し、その組織を破壊するのです。

緊縮措置は国内市場の拡大を阻み、自前の国内産業が立ち上がるのを妨げます。経済全体を貧困化させる緊縮によって国内市場が育たないため、仮に国内の事業者が工業製品を生産しようとしても、労働者(賃金稼得者)たちには自分たちが生産した製品を買い取るだけの購買力がありません。

したがって緊縮とは、諸国の対米依存を固定化し、彼らの経済が成長してアメリカやその従属国(クライアント・ステート)と競合するのを封じ込めるための手段なのです。かつてのヨーロッパもそうした従属国でしたが、今やアメリカはアルゼンチンでやったのと同様に、ヨーロッパをも解体する方針に舵を切りました。

第12章:銀行・土地・インフラの「公共化」と古典派自由市場の真義


ロビンソン:
アメリカ本国とFIRE部門の話に戻りましょう。前回の対談でも触れましたが、大規模な債務減免(帳消し)を行おうとすれば途方もない反発が起きるはずであり、本格的な政治革命が必要になります。

しかし前回議論しなかったのは、「では、FIRE部門はどうあるべきなのか」という点です。仮に債務の減免が実現し、学生ローンや住宅ローンといった重荷が一掃されたとして、同じ事態が再発するのをどう防ぐべきなのでしょうか。今後のFIRE部門はどのような姿をしているべきなのですか?

マイケル・ハドソン:
それこそまさに、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、リカード、マルクス、アルフレッド・マーシャルといった19世紀イギリスの古典派経済学・政治経済学の全体が取り組んでいた核心の問いそのものです。

そして、それこそが現代の大学で経済思想史が教えられなくなった理由でもあります。古典派の学者たちはすでにこの問題を徹底的に議論し、事実上の解決策を提示していたからです。

彼らは「この事態を防ぎ、産業資本主義を発展させるためには、封建制の残滓を一掃しなければならない」と主張しました。アダム・スミスや、彼に先立つフランスの重農主義者たち、そしてイギリスの土地社会主義者たちにとっての「寄生者」とは、地主層(ランドロード)のことでした。

ジョン・スチュアート・ミルが指摘したように、地主とはかつてカトリック教会の後援を得てイングランドを征服したノルマン軍閥の世襲の後継者たちであり、彼らは土地を受け継ぎ、地代(レント)を巻き上げていました。ミルは「地主は眠っているあいだにも地代を稼ぎ出す」と言ったのです。

古典派経済学の全員が支持し、事実『共産党宣言』の最初の条項にも掲げられた共通の政策が「地価税(土地課税)」でした。

共同体が繁栄するにつれ、学校、美術館、公園などを備えた良好な生活環境が整い、立地条件が向上するにつれて、土地の価格や価値は際限なく上昇していきます。人々が喜んで支払う地代も上がります。しかし、この地代を地主階級に支払わせてはなりません。彼らはそれをさらなる土地の買い占めに使うだけだからです。この増分こそが、公的な「自然の課税基盤」とされるべきでした。

今日ではアメリカのジャーナリストだったヘンリー・ジョージの名で知られていますが、本来これは「価値と価格の理論」に基づいた古典派経済学全体の基盤だったのです。彼らによる価値と価格の区別とは、「価格のうち価値を超過する部分が経済的レント(不労所得)を表す」というものでした。「価値」とは生産費用(コスト)ですが、自然の産物である土地には生産費用がありません。所有者が地代を課す特権を握っているにすぎないのです。地代は生産的な活動を伴わない不労所得(unearned income)であるため、これこそが自然な課税基盤とされました。

合衆国で所得税法が導入された1913年末、そして第一次世界大戦の初期に至るまで、全米人口のうち所得税の確定申告をしなければならなかったのは、わずか1%にすぎませんでした。課税基準が、富裕な地主か銀行家であるほどの富豪からしか適用されなかったためです。基本的に、金融・保険・不動産(FIRE)から得られる不労所得だけが課税対象だったのです。

古典派経済学の基本方針は明確でした。「地主階級を排除し、経済成長を助けもせず収奪するだけの略奪的な銀行階級を排除せよ」ということです。

したがって、

 銀行は「公共インフラ(公益事業)」でなければならない
 土地は「公共インフラ」でなければならない
 住宅は「基本的人権」でなければならない
 保険は基本的に公営でなければならない
 そして独占企業を民営化してはならない

通常、銀行家たちは国家の債務を返済させる名目で、政府に独占企業を設立させて売却させようとします。かつてイギリスが東インド会社や西インド会社、南海泡沫事件を生み出したのも、フランスでジョン・ローのミシシッピ会社事件が起きたのも、そしてイングランド銀行が戦費調達の債務120万ポンドを償還するための特権的な独占銀行として創設されたのも、すべて同じ手口でした。

ですから古典派の理念とは、「経済はレント(不労所得)ではなく価値に基づくべきであり、レント享受者階級(不労所得生活者層)――地主階級、独占資本家階級、金融階級を一掃せよ」というものでした。

19世紀最後の四半世紀において、誰もが何らかの形で自らを「社会主義者」と呼んでいたのはそのためです。キリスト教社会主義、マルクス主義社会主義、リバタリアン社会主義、空想的社会主義、科学的社会主義など、あらゆる潮流が存在しました。検索してみれば多種多様な類型が見つかりますが、それらすべてに共通していた分母は「経済的レントに課税せよ」という一点でした。立地価値の上昇に伴う経済的レントが税金として回収されれば、それが銀行への利払いに回る余地はなくなります。

現在のアメリカやヨーロッパには、もはや世襲の地主階級はいません。その代わりに存在するのが「世襲の金融階級」です。かつての地主たちは土地を売却し、銀行家や金融家へと鞍替えしました。今や誰でも土地を買うことができます。かつてのように先祖が現地の住民を虐殺して土地を奪った血統である必要はありません。誰でも自宅や土地を購入できますが、そのためには資金を借り入れなければなりません。

つまり、現代の銀行部門は、19世紀半ばに地主階級が占めていたのと全く同じ地位に収まっているのです。

「解決策は何か」というあなたの問いに対する答えは、まさにアダム・スミスが構想した真の「フリー・マーケット(自由市場)」の実現です。それは「経済的レントから自由な市場」「地主から自由な市場」「独占から自由な市場」「略奪的金融部門から自由な市場」にほかなりません。

しかし、古典派経済哲学の議論を綺麗に削ぎ落とした現代の経済学カリキュラムは、「自由市場」の定義を完全に書き換えてしまいました。「政府の規制から自由な市場」「反独占規制から自由な市場」「土地への課税から自由な市場」へと歪曲したのです。その結果、地代の価値は土地価格を吊り上げるために融資を行う銀行階級へとそっくり流れ込み、かつて19世紀に地主が果たしていたのと全く同じ寄生的な役割を、現代の銀行家たちが担っているのです。

アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミルの『経済学原理』、そして彼らの社会哲学を丹念に読めば、マルクスが単に古典派経済学の正統な系譜の延長線上にあり、古典派の分析をより精緻化したにすぎないことがよく分かります。『資本論』の第2巻と第3巻の主題は、まさに「地代論」であり、金融理論としての「債務論」でした。

それゆえ、現代における「マルクス主義叩き」の真の狙いは、マルクス一人を標的にしているのではなく、アダム・スミスを、ジョン・スチュアート・ミルを、そして科学的な経済学そのものであった19世紀の古典派経済改革の全体を葬り去ることにこそあるのです。

ロビンソン:
なるほど……マイケルさん、前回の対談でもそうでしたが、これら諸問題に対するあなたの百科事典的な博識には、対話の相手としてただただ圧倒されるばかりです。今回も貴重なお時間を割いてお話しいただき、本当にありがとうございました。


 まとめ:歴史系語らしたら天下一品ですね。面白いですね。でも実際には人間はエゴにまみれた生き物でして、理想どおりにはゆかないと思いますが、それでも検討の価値はあると思います。



マイケル・ハドソン ネオリベラリズム、産業資本主義、負債の増加

 https://youtu.be/4cQbyYBUvzY?si=URZXg1bGVeSAmSeB

の日本語訳

【冒頭要約】章ごとの要約一覧

  • 第1章:はじめに(Introduction) ホストのロビンソン・エハートによる番組およびゲストのマイケル・ハドソン氏の紹介と、番組運営支援(Patreon)に関するお知らせ。
  • 第2章:マイケルの経済学的バックグラウンド(Michael’s Background in Economics) シカゴ大学やニューヨーク大学(NYU)でのエピソードを通じて、現実を無視した新古典派経済学への違和感や、金融機関での実務経験が自身の研究の原点となった経緯を語る。
  • 第3章:経済学者は債務をどう捉えているのか?(How Does an Economist Think of Debt?) 複利による債務の指数関数的増大が「債務デフレ」を引き起こす仕組みと、金融業界の規制緩和や詐欺的融資が2008年の住宅バブル崩壊(リーマンショック)をもたらしたプロセスを明かす。
  • 第4章:なぜレントと「不労所得者階級」が経済危機の核心なのか?(Why Are Rent and the “Rentier Class” Crucial to What’s Wrong with the Economy?) 古典派経済学における「レント(不労所得)」の定義と、現代のGDPや統計がレンティア(不労所得者)階級による搾取をいかに不透明化・隠蔽しているかを批判する。
  • 第5章:産業資本主義とは何か?(What Is Industrial Capitalism?) 産業資本主義の本来の志向(インフラ・医療・教育の公営化を通じた生産コスト引き下げ、金融の公共事業化)と、社会主義への過渡期としての役割を解説する。
  • 第6章:なぜアメリカではこれほど高利貸しが横行しているのか?(Why Is Usury So Prevalent in the United States?) プライベート・キャピタル(PEファンド)や企業買収者(レイダー)による略奪的融資、資産の収奪、インフラ破綻(英国テムズ・ウォーターの事例など)といった、富の上位吸い上げ構造を解明する。
  • 第7章:中国はトリクルダウン経済の好例と言えるのか?(Is China A Good Example of Trickle-Down Economics?) 中国の経済成長は民間のトリクルダウンではなく政府支出・公的投資によるものであり、中央銀行業務を公共インフラとして位置づける混合経済モデルの特徴と課題を示す。
  • 第8章:特権階級から経済を救う方法(How to Save the Economy from the Upper Class) 民営化(クレプトクラシー)の阻止、地価税(土地税)の導入、金融・インフラの公営化(シカゴ・プラン)、そして経済再生のために不可欠な「全額の債務帳消し(Clean Slate)」という抜本的改革案を提唱する。


第1章:はじめに(Introduction)

マイケル・ハドソン: 地主とは、働かずに寝ているだけで金儲けをする不労所得(レント)の受取人です。つまりレント(地代・不労所得)とは、生産活動に一切寄与しない地主や独占企業、鉱山・石油会社、あるいは銀行などの金融機関へ支払われる対価のことなのです。

ロビンソン・エハート: こんにちは、ロビンソン・エハートです。『Robinson’s Podcast』第180回のイントロダクションをお届けします。今回のゲストは、ミズーリ大学カンザスシティ校で経済学の特任研究教授を務めるマイケル・ハドソン氏です。他の多くのゲストと同様、マイケルも複数の研究プロジェクトを手がけていますが、その一部を挙げると、歴史、国内外の金融、上流階級を支え社会の階層化を形づくる債務(借金)の役割など多岐にわたります。

しかし、今回主に語り合うのはその最後のテーマについてです。私たちは「不労所得生活者階級(不労所得者層/レンティア)」について議論しました。恥ずかしながら私はマイケルの研究に触れるまでその概念を聞いたことがありませんでした。さらに、債務がいかにして産業資本主義や新自由主義と結びついているのか、そして現代の経済的苦境に対するマイケルの解決策へと話題を進めていきます。

本題に入る前に、小さくも大きなお知らせがあります。多くのご要望と、私の現在の(願わくば一時的であってほしい)経済的な事情もあり、Patreon(パトレオン)を開設することにしました。もちろん、寄付を強制するつもりはまったくありませんが、もしご支援いただけるなら大変ありがたいです。本来はチャンネル登録者がもっと増え、広告が増えてから始めるつもりでした(現在Spotifyには広告が1つしか入っていません)。現時点では月額5ドルで、広告なしの配信、各エピソードのショーノート(補足資料)、文字起こしテキストをご利用いただけます。リンクは概要欄または RobinsonErhardt.com にあります。

それ以外にも、いつも通り「いいね」「レビュー」「チャンネル登録」は信じられないほど励みになりますので、ぜひよろしくお願いします。

それでは前置きはこのくらいにして、私がマイケルと楽しんだのと同じくらい、皆さんもこの対話を楽しんでいただけることを願っています。


第2章:マイケルの経済学的バックグラウンド(Michael’s Background in Economics)

ロビンソン: 私はシカゴ出身なのですが、あなたがシカゴ大学のラボ・スクール(付属校)、そしてシカゴ大学本体に通われていたと知りました。どちらも私には馴染み深い学校です。当時はシカゴ学派が自由市場を推進し、おそらく全盛期を迎えていた頃ですよね。その環境にいながら、なぜ、あるいはいつ頃から、表向きはリバタリアン的なイデオロギーに見えるものが、実際には金融利害関係者が政府を操り、99%の人々を欺くための道具に成り下がっていると考えるようになったのでしょうか?

マイケル: 私がシカゴ大学にいたのは1955年から1959年でした。経済学部には一度も行ったことがなく、経済学部のことなど何一つ知りませんでしたし、そこに知り合いもいませんでした。

ある時、パーティーでビジネススクール(経営大学院)の学生に出会ったんです。彼はとても不器用で野暮な男でした。ある魅力的な女の子に電話番号を聞いたのですが、彼女は明らかに彼を嫌がっている様子でした。それでも彼女は番号を教えたんです。彼はドイツ語の集まり(ドイツ語テーブル)の仲間だったので、私もそのグループを通じて彼のことを知っていました。実は私の専攻はドイツの歴史と文献学だったのです。

すると彼はこう言いました。「あの子、すごくバカなんだよ。美人だけど本当に頭が悪い。自分の電話番号すら覚えてないんだから」。私が「どういうこと?」と聞くと、彼は「消防署の番号を教えてきたんだ」と言ったんです。彼は自分が騙されたこと(一杯食わされたこと)に気づいていなかったんですね。

これが、自由市場派の経済学者がどう物事を考えているのかを知る最初のきっかけでした。彼らはすべてを表面的にしか捉えず、その背後にある構造をまったく理解していないのです。

ただ、私はビジネススクールに知り合いはいませんでしたし、シカゴ学派の経済学に興味もありませんでした。私がドイツ語を専攻した理由は、ドイツ語の教員たちが他のさまざまな学科を兼任していたからです。ハリー・ヨリス教授は比較文学や文化史の学科を担当していました。私が本当に勉強したかったのは文化史だったのです。文化史専攻では、カフェテリア方式で好きな科目を自由に履修できました。そのため、美術の講義を取ったり、同時にデポール大学やルーズベルト大学で音楽を学んだりしていました。比較文学科もドイツ語系の教授陣が担当していたので、実質的に何でも好きなように選べたわけです。

当時の付き合いは主に人文学や文学、歴史の教授たちでした。私が学んでいたのは歴史であり、経済学とは無縁でした。1960年〜61年にニューヨークへ行くまで、経済学を勉強しようなんて考えは一切ありませんでしたよ。

ロビンソン: 期待していた以上に面白く、素晴らしいエピソードですね(笑)。では、自由市場を無批判に礼賛せず、より深い視点から見つめるきっかけとなったのは、その後のニューヨーク大学(NYU)時代だったのでしょうか?

マイケル: いいえ、NYUでも自由市場についての深い議論などありませんでした。あそこには私が今まで出会った中で最も愚かな教授の一人、金融論(貨幣理論)を教えていたスティーブン・ルースアスがいました。彼は典型的な新古典派・新自由主義者で、言っていることは何から何まで間違っていました。

私は「貨幣と銀行業務」の講義で「C+」をつけられたことがあります。その試験問題はハイマン・ミンスキーに関するものでした。当時のミンスキーは、後に有名になるような「現代貨幣理論(MMT)」の先駆けとしてはまだ知られていませんでした。1963年頃、ミンスキーは「貯蓄銀行(Savings Banks)が金融循環を悪化させている」という趣旨の論文を書いていました。

彼の理論は、「貯蓄銀行が預金の一部を商業銀行に預け、その商業銀行が実体経済に対して個人ローンや住宅ローンなどを貸し出す」という抽象的な前提に基づいていました。

しかし、ミンスキーもその教授も知らなかった事実があります。私は当時、1961年から64年頃までの約2〜3年間、貯蓄銀行の中央銀行にあたる「貯蓄銀行信託会社(Savings Banks Trust Company)」で働いていたのです。ニューヨーク州にある135の貯蓄銀行は、すべての準備金をこの貯蓄銀行信託会社に預けており、そこは世界銀行債や国債などの債権にしか投資していませんでした。実体経済への一般融資など一切行っていなかったのです。そもそもそのような目的で設立された組織ではありませんでした。

したがって、「商業銀行なのだから、他の商業銀行と同じように行動するはずだ」と考えるのは、いわゆる「因果関係を伴わない相関関係の混同」にすぎません。しかしルースアス教授は「君は理論を理解していない。現実など理論には関係ない。君が学ぶべきは理論であって現実ではない」と言い放ちました。これが、私の金融論専攻への第一歩でした。

NYUの唯一の良さは、私の頭脳を求めておらず、ただ授業料という「お金」だけを求めていた点です。私は1学期で全20講座を履修しようとしたのですが、大学側は非常に偽善的で、「物事の理解には時間がかかる。修士号には1年、博士号には2年かかる」と主張しました。中身のない「無」をいくら引き延ばしても「無」のままであり、3年かけても何も変わらないということに気づいていなかったのです。

結局、私は学位という名の「組合員証(資格)」を手に入れました。当時、私はまず貯蓄銀行で働き、1964年12月からはチェース・マンハッタン銀行で働いていましたから。


第3章:経済学者は債務をどう捉えているのか?(How Does an Economist Think of Debt?)

ロビンソン: なるほど。本題の核心に入る前にもう一つ伺いたいのですが——あなたの著作、特に『文明の運命(The Destiny of Civilization)』において、あなたが「債務(借金)」や「債務インフレ(debt inflation)」をどう捉え、定義しているのかについてお聞きしたいのです。債務は今回の議論の根幹に関わるテーマなので、経済学者にとってこれが日常会話で使う以上の特別なニュアンスを持つ専門用語なのかどうか、あらかじめはっきりさせておくのが良いと思いました。

マイケル: 私は「債務インフレ」という言葉を使った覚えはありませんが、どういう意味でおっしゃっていますか?

ロビンソン: あ、いや、だからこそ伺ったのです。著書に出てきた記憶があったのですが……。「債務インフレ」とは、時間の経過とともに債務が増大していくこと、という意味でしょうか?

マイケル: ああ、それなら私は「複利による債務の指数関数的増大」と呼んでいますね。今回は『宿主を殺す(Killing the Host)』の話をするのかと思っていましたが(別の本でも構いませんが)、その著書の中で私は「複利」に丸々一章を割いています。

債務の総量は、単に数学的な原理(複利計算)によって掛け算式に増えていくのであり、生産性や返済能力、あるいは実体経済とは何の関係もありません。信用と債務からなる金融システムは、生産と消費からなる実体経済の「上に覆いかぶさっている(寄生している)」だけであり、生産や消費、利潤、賃金、所得、返済能力といった関係性を反映したものではないのです。単にそれらに割り込み、侵食しているにすぎません。

そして、複利による債務の指数関数的増大は、国内所得やGDP、つまり景気の波によって浮き沈みする実体経済の成長能力や返済能力を、常に上回る傾向があります。複利には景気後退などなく、ただひたすら右肩上がりに増え続けるからです。

経済が失速する原因の一つは、この「債務の重荷(オーバーヘッド)」が膨らみすぎて、経済を縮小(デフレ化)させてしまうからです。私が語っているのは「債務インフレ」ではなく、「債務デフレ(debt deflation)」です。私が繰り返し使う用語はまさにこの「債務デフレ」なのです。

債務デフレとは、債権者(金融セクター)に借金を返済することで、消費者の支出や、企業の産業資本形成への投資から購買力が奪われてしまう現象を指します。つまり私たちは債務デフレに直面しているわけです。一方で、信用(融資)によって資産価格が釣り上がる「資産価格インフレ」も存在します。これは多くの場合、借金によって賄われますが、資産価格インフレは「債務デフレ」という犠牲の上に成り立っているのです。

ロビンソン: その「債務デフレ」と「信用の膨張(信用インフレ)」という概念こそが、10年ほど前の住宅市場崩壊(リーマンショック)を引き起こした要因の一つなのでしょうか?

マイケル: その通りです。実際、私が貯蓄銀行信託会社にいた頃の仕事は、預金と住宅ローンの動向を追跡することでした。当時、貯蓄銀行は資金循環の仕組みとして、集めた預金をすべて住宅ローンとして貸し出すことになっていました。

各銀行の預金トレンドを見るとジグザグの線をたどっており、利息が口座に入金される3か月ごとに跳ね上がっていました。つまり、人々が自発的に貯蓄を増やしていたわけではなく、住宅購入者への融資から得た金利収入をもとに、銀行が預金者に支払う利息の累積によって預金が増えていただけだったのです。

私は、貯蓄銀行の資産が増えれば増えるほど、それを住宅市場に再融資(リサイクル)せざるを得なくなる構造に気づきました。政治的にも、貯蓄銀行はより多くの住宅ローンを貸し出せるよう規制緩和を求めてロビー活動を行っていました。ニューヨーク州外にまで融資を広げたがっていたのです。

私が結婚した時の話ですが、妻とその家族は地元の貯蓄銀行に20年以上も預金していました。当然、住宅ローンを借りる資格があると思いますよね。ところが銀行側はこう言ったのです。「いや、貸せません。フロリダに貸し出したほうが金利規制も緩く、需要も高いのでもっと儲かるんです。ニューヨーク市民や預金者にはもうほとんど貸していません」と。

私は「相互貯蓄銀行(Mutual Savings Bank)の理念はどうなったんだ? 相互扶助どころか『相互敵対』銀行じゃないか」と思いましたよ。結局、私は当時勤めていたチェース・マンハッタン銀行で住宅ローンを借りました。身内だったので簡単でしたから。

このように、指数関数的に増大する債務が、住宅市場への過剰な融資として再循環されていったのです。私が1960年代に貯蓄銀行や商業銀行の市場を見ていた頃、銀行業界には経験則がありました。借り手に貸し出す住宅ローンは「借り手の収入の25%以内」に収めなければならず、30年返済の元利均等返済で、少なくとも10%、できれば30%の頭金を入れさせ、確実に回収できるようにしていたのです。

やがて銀行はさらに儲けを出すようになり、米国やイギリスなどでは商業銀行の融資の80%が住宅ローンで占められるようになりました。そしてレーガン時代になると、商業銀行が貯蓄銀行を襲撃し、事実上食い尽くしてしまいました。両者を合併させて資金をすべて奪い、預金者には本来還元されるべき利益を一切渡さず、ニューヨークの貯蓄銀行の預金を根そこぎ盗み取ったのです。

元米連邦預金保険公社(FDIC)総裁のシーラ・ベア氏が、ある日私にウォール街の狙いとその手口を詳しく説明してくれましたが、私はそのプロセスを現場で目の当たりにしていました。かつての貯蓄銀行の取締役は、配管工やレストランのオーナーなど、自分たちで預金をしていた普通の人々で、金融の狡猾な知識を持っていませんでした。ウォール街は「これからはプロが資産を運用してやる」と約束したものの、実際に行ったのは貧困地域やマイノリティ居住区、低所得地域の貯蓄銀行を閉鎖することでした。まったくの茶番劇です。

質問の答えに戻ると、商業銀行が住宅ローンの条件を極限まで緩和した結果、2008年の危機時には「頭金ゼロ」で家が買えるようになっていました。それどころか、物件価格の101%や102%といった価格以上の融資(オーバーローン)を受けられたため、手元資金がなくても家の塗装代や保険料、仲介手数料まで賄えてしまう状態でした。

返済比率も、かつての「収入の25%以内」から「43%」にまで引き上げられました。今日でも、政府系住宅金融公庫のファニーメイ(Fannie Mae)は、借り手の収入の43%を超えない限り、銀行が住宅ローンで損をしないよう保証しています。現在のアメリカでは、住宅費が所得の約40%を占めるようになっています。

さらに2008年当時のもう一つの問題は、頭金の低さや返済比率の上昇だけでなく、「建物の不正鑑定」が横行していたことです。鑑定士と結託して査定額を不正に吊り上げることで、より多額の融資を焦げ付かせずに実行できるように見せかけました。

そして第4の要因は、買い手に返済能力(所得)があるかどうかの確認を一切放棄したことです。銀行はブローカーと共謀して架空の所得証明書を捏造し、無職で無収入の人間でも買えるかのように偽装しました。住宅価格を偽装し、あとはそれを売りつける「カモ」を探したのです。

そして最大のカモになったのが、いつの時代もそうであるようにドイツ人、具体的にはドイツの各州の地方貯蓄銀行(ランデスバンク)でした。今のドイツも「ノルドストリームを爆破したのはロシアやウクライナだ」と信じ込まされているようですが、要するに「アメリカ人を疑うな、アメリカ人が言うなら正しいに違いない」という盲従的なメンタリティを持っていたのです。彼らはそうしたゴミ(不良債権)を買い漁りました。ウォール街は年金基金を買収してこれらの証券化商品を押し付けました。実態は完全にクズ(ジャンク)であり、だからこそ2008年以前からメディアでも「ジャンク・モーゲージ」や「NINJAローン(No Income, No Job, No Assets=無所得・無職・無資産)」と呼ばれていたのです。

つまり、住宅バブル崩壊を招いたのは規制緩和でした。私の同僚であるビル・ブラックが指摘したように、これは本質的に「組織的な金融詐欺」だったのです。彼は1980年代のS&L(貯蓄貸付組合)破綻事件で検察官として不正を追及した人物ですが、グリーンスパン議長のもとで起きた商業銀行による詐欺はそれよりはるかに大規模だったにもかかわらず、誰も刑務所に入りませんでした。

それどころか、オバマ大統領は被害者を罰したのです。ジャンクローンの被害者を救済せず、800万ものアメリカ人世帯を立ち退かせて債務不履行に追い込みました。その結果、投げ売りされた不動産を買い叩く空前のバーゲンセールが生まれ、アメリカは「持ち家経済」から「賃貸経済」へと変貌しました。危機の結果、持ち家比率は急落したのです。

それこそが民主党の狙いであり、現在の狙いでもあります。持ち家社会を「不労所得者(レンティア)社会」「地主社会」へと置き換え、19世紀以前のヨーロッパのような経済へと逆戻りさせること——一種の「ネオ封建主義(新封建主義)」です。

ロビンソン: 非常に分かりやすい解説をありがとうございます。この話は、後ほど掘り下げる「経済の金融化」という概念にも直結していますね。


第4章:なぜレントと「不労所得者階級」が経済危機の核心なのか?(Why Are Rent and the “Rentier Class” Crucial to What’s Wrong with the Economy?)

ロビンソン: 議論の導入部として重要な概念を整理しておくのは有意義だと思います。あなたは先ほど「不労所得者社会」とおっしゃいましたが、もう一つ掘り下げておきたいのが「レント(経済的地代・不労所得)」という概念です。原理的に、レントは「利潤(利益)」や「賃金」といった他の所得形態とどう異なるのでしょうか?

マイケル: 重農主義者からアダム・スミス、リカード、マルサス、ジョン・スチュアート・ミル、マルクス、ソースティン・ヴェブレンに至るまで、古典派経済学が一貫して焦点を当てていたのは「価値と価格の理論」でした。

彼らは、財やサービス、あるいは資産の価格すべてが「生産コストに見合った価値」を持っているわけではないことを見抜いていました。「レント(地代・不労所得)」とは、実際の生産コストを上回る超過分の価格のことです。

債務や金融が経済の上に押し付けられているのと同様に、不動産所有もまた経済に課された負担です。イギリスやフランスを征服し、自らに地代を割り当てたノルマン人の子孫である「世襲の地主階級」は、およそ800年にわたり地代によって実体経済を圧迫し続けてきました。

古典派経済学の政治的な主眼は、この地主階級の存在をなくすことにありました。建物を使い、住み、所有するすべての人間が、生産活動に一切寄与せず「寝ているだけで金を儲ける」世襲地主階級に地代を払わなければならない状況を打破しようとしたのです。

これこそが、ジョン・スチュアート・ミルが地主を評して使った表現です。「地主とは、働かずに寝ているだけで金儲けをするレントの受取人である」と。

したがってレントとは、生産活動にまったく関与しない地主や独占企業、鉱山・石油会社、あるいは銀行などの金融機関へ支払われる対価を意味します。必要な生産コストを一切反映しない価格を徴収する地主や独占企業の階級が存在するなら、それはすべて「経済的レント」です。

今日、GDP(国内総生産)や国民所得と呼ばれるものの多くは、製造業などの企業が財やサービスを生産して得る賃金や利潤ではなく、「経済的レント」、とりわけ「土地の地代」という形をとっています。米国の住宅や商業不動産の価格上昇の大部分は、銀行の融資枠(信用の膨張)によって吊り上げられた「土地の立地価値の上昇」によるものであり、銀行がいくら貸すかによって価格が決まっているのです。

また「独占レント」もあります。アメリカのマスメディアはこれを「プロフィット・インフレーション(便乗値上げによる利潤インフレ)」と呼んでいますが、その実態は、競争相手がおらず歯止めが利かない独占企業が、勝手に価格を引き上げているだけです。見かけ上は「企業の利益」として計上されますが、本質はレント(不労所得)です。

問題は、1890年頃から過去約130年間にわたり、経済統計がレントを記録するのをやめてしまったことです。地主階級が巻き返しを図り、銀行家たちも彼らを後押ししました。反古典派的、反規制的、反政府的な新古典派経済学は、「不労所得などというものは存在しない」と主張し始めたのです。

私の著書『宿主を殺す』でもジョン・ベイツ・クラークらの言葉を多数引用していますが、現代の新古典派経済学は「すべての所得は働いて稼いだものであり、すべての富は正当に得られたものだ。大富豪が存在するなら、彼らは経済で生産的な役割を果たしたからこそ稼いだのだ」という虚構を前提にし、不労所得の存在そのものを否定しているのです。

国民所得勘定(GDPなどの統計)には、「不労所得者(レンティア)の所得」という概念が存在しません。すべてが「利潤(企業の利益)」、あるいは「サービスの提供」として計上されてしまうのです。

例えば、現在の統計を見るとクレジットカードの支払いが滞る人が増えており、カードの金利手数料が通常の19〜23%程度から30%以上に跳ね上がっていることがわかります。では、この増額分や延滞ペナルティを国民所得統計がどう扱っているかご存知でしょうか? クレジットカード会社は、いまや通常の金利収入以上にペナルティ(違約金)で巨額の利益を上げています。ところが、これらはすべて「金融サービスの提供」として国民所得に計上されるのです。「サービス」ですよ!

預金者へのペナルティを引き上げることがサービス扱いされる——これこそが、「経済的レント(不労所得)」を不労所得として認めようとしない統計が引き起こす異常事態です。レントの支払いは生活費を押し上げ、事業コストを跳ね上げます。探して企業は、労働者がそうしたさまざまなレントを支払えるように賃金を払わなければならなくなる。しかし、レント自体は生産活動のどこにも寄与していません。

したがって、「米国のGDPは成長している」という主張は、実質的な生産物が頭打ちになるか縮小しているという事実を見落としています。「成長」と呼ばれているものの正体は、その大半がレントを搾取することで富を築いている上位10%の富裕層の膨張にすぎません。

これは富を吸い上げるだけの「収奪行為」であり、ゼロサムゲームです。金融セクターや地主、独占企業が得る金は、実体経済に何ら新たな価値を付け加えていません。消費者や賃貸人、あるいは債務者から、頂点に君臨する不労所得者への「所得移転」にすぎないのです。このように、私たちの経済統計は一見実証的であるかのように装っていますが、現実世界のありようをまったく描写していません。描かれているのは一種の「パラレルワールド」なのです。

ロビンソン: なるほど。私の数字の解釈が間違っていなければ良いのですが、先ほどあなたは「20世紀の米国の経済構造は、18世紀以前の様式へと逆戻りしつつある」とおっしゃいましたよね。これは裏を返せば、同じく資本主義社会であったはずの「19世紀」には、何かまったく別の動きが起きていたことを示唆しています。

世間では「資本主義」という言葉があたかも単一の意味を持つ概念であるかのように使われがちですが……。


第5章:産業資本主義とは何か?(What Is Industrial Capitalism?)

マイケル: いいえ、違います。「資本主義(Capitalism)」という言葉を定着させたのは、ドイツのヴェルナー・ゾンバルトです。

ロビンソン: ええ、私が言いたかったのは、「他者から資本を奪う」という意味合いから来たのか、あるいは単に「資本が使われている」状態を指すのか、その語源に起因するのかはわかりませんが……。

マイケル: 資本というアイデアを「資本主義」という包括的な概念へと体系化させたのは、もともと彼らではありませんでした。

ロビンソン: おっしゃる通りです。私が言いたいのは、あなたが「資本主義」を一括りにせず、同列には扱えない複数の形態に明確に区別しているという点です。その議論の出発点として最適なのが「産業資本主義」だと思います。

では、産業資本主義とはどのようなシステムであり、もし目的と呼べるものがあるとするなら、それは何だったのでしょうか?

マイケル: 産業資本主義が封建制や古代の生産様式といかに根本的に異なっていたかを的確に解き明かしたのは、実のところマルクスでした。

マルクスは、あらゆる時代には労働から余剰(剰余価値)を生み出す独自の様式があると述べています。

  • 封建制: 農奴制でした。農奴は土地に縛り付けられ、収穫物を領主や地主に引き渡さなければなりませんでした。
  • 古代の生産様式: 奴隷制と高利貸しでした。
  • 資本主義の生産様式: 「自由な労働(賃労働)」です。労働者は土地に縛られず、住む場所も働く場所も自由でした。実態としては土地から追い出され、賃金労働者としての職を求めて都市へ流入したわけです。

産業資本家は、封建制の基盤であった地主や貴族階級とは決定的に異なっていました。産業資本家は「賃金労働者を雇って製品を生産した」からです。工場を建て、製品を作るために労働者を雇い、機械を買い、それを動かす燃料を調達するための資金を用意しました。そして、労働者を雇うコストや原材料費、生産設備費を上回る価格で製品を販売できるよう、生産の仕組みそのものを組織したのです。

マルクスによれば、あらゆる形態の労働支配は何らかの意味で搾取的です。古代の奴隷制は、労働者に生きていく最低限の糧だけを与えて搾取しました。封建制は、農民を土地に縛り付けて生産物を巻き上げることで搾取しました。これらは純粋な搾取にすぎません。

しかし資本主義における労働の搾取は性質が異なります。確かに資本家は労働者を雇うことで利潤を得ますが、地主や奴隷所有者とは異なり、資本家は生産を組織化するという「生産的な役割」を実際に果していたのです。産業を組織し、経済成長を可能にしたのは産業資本家でした。

特に19世紀のアメリカの経済学者たちが指摘したように、知的な資本家は「低賃金の労働者よりも、高賃金の労働者のほうが結果として生産性が高い」という事実に気づいていたのです。

ですから、賢明な資本家は2つのことを行います。第一に、労働者がより健康で、十分な食事、衣服、教育を得られるだけの賃金を支払うことです。そうすることで、資本主義のもとで労働者の生活水準は引き上げられます。「労働者にはできる限り少ない賃金しか払わず、利益をすべて搾取する」という封建的・不労所得者的(レンティア的)な発想とは異なり、資本家は経済の拡大(パイを広げること)に加担せざるを得なかったのです。

しかし同時に、資本家は労働者にかかる費用の多くを自ら直接負担したいとは思いませんでした。そこで彼らは、政府の役割の拡大を求めました。

イギリス以外の国の資本家たちは、「工業製品に対する保護関税」を求めました。国内の価格水準を十分に高く保ち、国内の産業資本家たちがイギリスに対抗できるだけの工場や設備への資本投資を行えるようにするためです。これこそがドイツやアメリカが実践した保護主義でした。

第二に彼らが求めたのは、今日でいう「生産の外部コスト」を可能な限り政府に肩代わりさせることでした。雇い主が直接負担しなくて済む労働者の消費(生活費)は、できる限り政府が負担すべきだと考えたのです。

そのため、イギリス、アメリカ、ドイツといった先進的な資本主義国家は、医療のように本来は独占されるべきではない基本的な需要を政府に提供させようとしました。そして、この改革を力強く推し進めたのは、実は保守派であり、資本家階級だったのです。

例えばイギリスでは、ベンジャミン・ディズレーリが「健康こそがすべてである」と主張し、公衆衛生の確立を提唱しました。これは今日のサッチャー主義的な政策よりもはるかに進んだものでした。

もう一つの例が「教育」です。アメリカは学区制を敷き、各地域が公立教育を資金面で支える仕組みを作りました。また、特にヨーロッパの政府は、自然独占になり得るあらゆるインフラを「政府が担うべき領域」として扱いました。政府であれば、それらのサービスを採算度外視で無償(教育や医療のように)、あるいは補助金を出した低廉な価格で提供できるからです。

こうしてヨーロッパの諸政府は、公営の電話網、通信網、公共交通機関、上下水道を整備していきました。独占されやすい産業はすべて政府が担うのが適切とされたのです。そうすることで生活費を最小限に抑え、医療や教育、基礎的な需要に労働者が支払うコストを引き下げ、ひいては雇い主や経済全体にとっての「事業コスト(人件費)」を最小化しようとしました。

だからこそマルクスは、「産業資本主義の歴史的傾向(運動法則)は、社会主義へと向かうことである」と述べたのです。公的な資本投資の役割がますます増大していく方向へと進化していくのだ、と。

さらに、産業資本主義には金融による裏付けが必要でした。マルクスは、資本主義が少なくともドイツにおいて金融のあり方を革命的に変化させたと指摘しています。イギリス、オランダ、アメリカの旧来の金融システムは、完全に略奪的であり、非生産的なものでした。融資といえば戦争資金の調達のためのものだったのです。13世紀の十字軍以来、十字軍や戦争の戦費を調達するためにヨーロッパの金融システムを組織する上で主導的な役割を果たしたのはバチカンでしたが、そこには何の生産的な役割もありませんでした。

しかしマルクスは、産業資本主義によって信用(融資)がようやく戦争や腐敗、非生産的な政府への貸付とは無関係な形で利用されるようになったと評価しました。産業資本主義は、政府自身を生産的な存在へと変革していったのです。

そのために、交通や医療、教育だけでなく、「銀行業務(金融)」そのものも事実上の公共事業(公的インフラ)へと変革していきました。これこそが、第一次世界大戦に至るまでにドイツで進展していた事態です。

第一次世界大戦が勃発した頃には、イギリスの『エコノミック・ジャーナル』などの経済誌にさえ、次のような懸念を示す論文が掲載されていました。「ドイツが第一次世界大戦に勝利するのではないか。なぜならドイツには、実際の設備投資に資金を供給できる『公共インフラとしての生産的な銀行システム』があるからだ。それに対してイギリス、ヨーロッパ、アメリカの銀行は、単に資産を略奪(資産ストリッピング)し、利益を配当として株主や債券保有者に還元して儲けることばかりを考え、ドイツや中央ヨーロッパのように生産を拡大するための再投資を行おうとしない」と。

したがって、資本主義とは本来「社会主義への過渡期」であり、混合経済から出発するものでした。当時のあらゆる資本主義経済は混合経済だったのです。

しかし、混合経済である以上、政治的闘争の焦点は「いかにして政府の支配権を地主や不労所得者階級の手から奪い取り、賃金労働者階級と同盟を結んだ産業資本家階級の手に委ねるか」という点にありました。地主階級に対抗するため、労働者と産業資本家が手を組んだのです。1848年革命の本質もまさにこれでした。地主、独占企業、銀行に対抗する「労働と産業資本」の連合です。これこそが、資本主義が持っていた本来の政治的志向でした。

当然ながら、これには「貴族院(上院)に牛耳られていたイギリスやフランスなどの政府の主導権をどう奪い返すか」という課題が伴いました。貴族院は、土地への課税や、ナポレオン戦争終結の1815年以来イギリスの食糧価格を吊り上げていた保護関税(穀物法)の撤廃に対して徹底的に抵抗しました。

産業資本家たちが求めたのは、地主を保護しない自由貿易であり、イギリス国内の食糧費を最も安価な市場(当時は主にアメリカ)の生産コスト水準まで引き下げることでした。このように、産業資本主義の目的は、公共インフラへの投資を通じて政府に生産コストの多くを肩代わりさせ、労働者の雇用コストを含む全体の生産コストを引き下げることで、他国との競争に勝つことにあったのです。


第6章:なぜアメリカではこれほど高利貸しが横行しているのか?(Why Is Usury So Prevalent in the United States?)

ロビンソン: ……自社株買いや土地の買い占めなどを通じて、結局のところその資本は資産を所有していない層にはまったく還元されない、ということなのでしょうか?

マイケル: ええ、明らかに富はトリクルダウン(下へ滴り落ちる)などしておらず、上へと吸い上げられているのです。

経済の建前としては、「レント(不労所得)を吸い上げる者たちも経済の構成要素である」とされています。だからこそ、彼らが吸い上げた資金のすべてが国民所得・生産勘定(NIPA)において「生産(プロダクト)」として計上されているのです。しかし、それは実質的な生産物ではありません。

実際の生産物は、実体的な生産や消費の現場から奪い去られているのです。そうした「ゼロサム」で「付加価値ゼロ」の活動によって、富がすべて上層へと吸い上げられています。

先ほど申し上げたように、金融資産は複利と資産価格インフレによって指数関数的に膨らみ続けます。金融システムへのお金が、株式や債券、不動産、レントを生み出す資源のさらなる買い占めへと再循環されることで、アメリカの賃金労働者は住宅にはるかに高い負担を強いられることになります。

かつて1940年代や50年代には、アメリカ人が住宅にかける費用は所得の25%未満でした。しかし今やそれが40%を超えています。住宅費として余分に支払われるこれらのお金はすべて、金融セクターや不動産セクターへと流れ込んでいます。

本質的に、「レント(家賃や地代)を支払うことは、銀行への利息を支払うこと」なのです。誰でも家を買うことはできますが、住宅ローンを組んで家を買うためには、稼いだレントのすべてを銀行家に差し出さなければなりません。買い手に残された唯一の希望は、信用(融資枠)によって不動産価格が吊り上げられ、キャピタルゲイン(資産価格の上昇益)を得られることくらいです。

「こうした地主たちも、得たお金を経済に再投資して消費に回しているのではないか? 銀行家たちも実体経済にお金を還流させているのではないか?」という建前があります。

しかし答えは「ノー」です。彼らはそんなことはしません。銀行家は工場建設や工作機械、その他の生産的な設備投資のために融資を行うわけではないのです。彼らが何に融資するかといえば、「産業企業を買収し、その資産を略奪(ルート)する企業買収者(コーポレート・レイダー)」に対してです。

それこそがプライベート・キャピタル(未公開株ファンド/PEファンド)の手口です。プライベート・キャピタルは企業を乗っ取り、かつての「トイザらス」や「シアーズ」、その他倒産に追い込まれた数々の企業に対して行ってきたのと同じ略奪を働きます。

サミュエル・ゼルが「シカゴ・トリビューン」に対して行ったことがまさにそれです。彼らはトリビューン紙を買収した銀行への借金を返済するために、まず従業員が保有していた同社の株式価値を食いつぶしました。従業員たちは自らが企業の共同所有者であると信じていましたが、所詮マイノリティの少数株主には何の権利も与えられておらず、資産を収奪されただけでした。

さらに、そうした企業買収者はこう画策します。「よし、不動産資産の一部を売り払おう。自社ビルを売却して、それをリースバック(売却後に賃借)すればいい。そしてビルを売って得た売却益で、自分たちに『特別配当』を支払うんだ」と。

こうして突然ゼルたち自身に巨額の配当が支払われる一方で、会社には自社ビルだった建物の賃料(レント)を新たな所有者に支払い続ける重荷がのしかかります。

あるいは、投資ファンドが銀行へ出向き、「価格を引き上げて利益を出す計画があるから、追加融資をしてくれ。当社の不動産や事業、独占部門、化学会社や製造会社から得られる安定したレントや利益から返済することを約束する」と持ちかけます。探して融資を引き出すと、その資金を生産拡大のためではなく、自分たちへの特別配当として懐に入れてしまうのです。

その結果、企業は借り入れたあらゆる相手に対する巨額の負債を抱え込むことになりますが、その資金は実体経済には1ドルたりとも投じられていません。

現在イギリスで大問題になっている「テムズ・ウォーター(水道会社)」を見れば、この仕組みが実によく分かります。マーガレット・サッチャーが民営化を決断した後のテムズ・ウォーターの買収者たちは、巨額の借金を重ね、その借入金で自分たちに莫大な配当を支払い続けました。

その一方で、下水が水道システムや海水浴場へ垂れ流されている老朽配管の改修すら行いませんでした。水漏れする配管を直さず、インフラ投資もほとんど行わず、彼らが果たした役割といえば、英国の水道システムを破壊し、略奪し、泥沼の廃墟にして放置することでした。実体経済へお金を還流させているような顔をして、裏では天文学的な富を吸い上げていたのです。

ですから、テムズ・ウォーターのオーナーたちからも、アメリカの企業買収者たちからも、富が下へとトリクルダウンすることなど絶対にありませんでした。だからこそ彼らは「レイダー(略奪者)」と呼ばれるのです。彼らは自分たちの懐を肥やし、可能であれば価格を吊り上げます。先ほど触れたように、メディアはこれを「プロフィット・インフレーション(利潤インフレ)」と呼びますが、その本質は単なる「独占レントの力」の行使にすぎません。

現在のバイデン政権は、いかにも「労働者の味方」「反独占」であるかのように振る舞い、リナ・カーン(FTC委員長)が独占と戦おうとしています。しかしその裏で政権は、Googleが独占禁止法で解体されるのを阻止するために必死で抵抗しています。政権の実態は、独占の擁護者なのです。言うこととやることが正反対なのは世界中の政治の常かもしれませんが、今日のアメリカ政治におけるその乖離は前例のないレベルに達しています。

「不労所得者(レンティア)は生産的である」という建前こそが、現代のあらゆる経済モデルや経済統計の根底にある前提です。しかし、統計の数字にそう書かれているからといって、それが現実世界の姿であるわけではありません。それはパラレルワールドであり、サイエンス・フィクション(空想科学小説)の世界なのです。

ロビンソン: なるほど。では、レンティアの話を一旦脇に置くとして、長年にわたり工業的な急成長を遂げてきた中国は、あなたが多くの論考を発表されている地域でもあります。中国は、富が実際に広く国民へ行き渡り、トリクルダウンしている好例と言えるのでしょうか?


第7章:中国はトリクルダウン経済の好例と言えるのか?(Is China A Good Example of Trickle-Down Economics?)

マイケル: 中国は、まさにその「トリクルダウン」を防ごうとしてきました。人々が「トリクルダウン」と言うとき、それは通常「富裕層から一般庶民へと富が滴り落ちること」を意味しますよね。

確かに中国でも多くのビリオネア(億万長者)が誕生しました。しかし、彼らの富が実際に下へ滴り落ちたかどうかは疑問です。社員持ち株会社であるファーウェイ(華為技術)のような企業であれば従業員へ富が分配されますが、中国で富を生み出してきた最大の原動力は、1930年代以降のアメリカの富が主にテネシー川流域開発公社(TVA)などの政府支出によって作られたのと同様、主として「政府支出(公的投資)」なのです。

ですから、「経済が豊かになっているからトリクルダウンが起きている」と考えるのは見当違いです。富の大半は政府自身の資本投資と国家政策によって生み出されているからです。

しかも中国では、欧米とは異なり「通貨発行と中央銀行業務が公共インフラ(公共事業)」として位置づけられています。

中国に大富豪が存在すること自体、本来のマルクス主義的視点からすれば想定外の事態です。確かにジャック・マーのように、起業家として自ら企業を築き上げ、巨万の富を手にした人物も現れました。しかし中国政府はその後、「富を政府に差し出し、公共のためにより多く排出しなければならない」と圧力をかけました。

中国の富裕層から一般国民へ富が還元されるとすれば、それは政府が彼らに睨みを利かせ、「その富を社会のために使わなければ、資産の保有も過去のような法外な利益の獲得も許さない」と介入できる範囲においてのみです。

中国政府は、かつてドイツ政府が混合経済の中で主導的な役割を果たしたのと同様、産業の組織化において強力なリーダーシップを発揮してきました。中国は純粋な共産主義でも完全な社会主義経済でもなく、「混合経済」です。これこそが、ソビエト・ロシアのスターリン主義経済よりも中国がはるかに高い生産性を発揮できた理由です。ソ連には実質的な民間部門が存在せず、民間起業家が新しいイノベーションを起こす余地がありませんでした。

一方、中国のアプローチはいわば「百花斉放」でした。人々が需要のある製品を生産する好機を見出し、生産的になって相応の財を成すことを容認したのです。

現在中国が直面している課題は、富のあまりに多くが単なる不動産投機や不動産金融によって生み出されてしまった点にあります。この歪みをどう回避するかが、まさに彼らが日々取り組んでいる課題ですが、これはまた別の問題です。


第8章:特権階級から経済を救う方法(How to Save the Economy from the Upper Class)

ロビンソン: 庶民層の豊かさが、中国でも、そして歴史的なアメリカでも政府の公的支出によって生み出されてきたのだとすれば、私たちはどう改革を進めるべきなのでしょうか。議論を再びアメリカに絞りますが、このレンティア経済(不労所得者経済)から脱却するために導入すべき抜本的な改革への道筋をどう描けばよいでしょうか?

マイケル: 富の大半が公的セクターによって生み出されているとすれば、略奪者(プレデター)の視点に立ってみると分かりやすいでしょう。銀行強盗が「なぜ銀行を襲うのか?」と聞かれて「そこに金があるからだ」と答えたのと同じ理屈です。

略奪者たちはこう考えます。「政府が創り出した富を奪い取って自分のものにすれば、大金持ちになれるぞ」と。マーガレット・サッチャー政権下のイギリスがやったように、すべてを民営化すればよいのです。「政府からテムズ・ウォーターを1ドルで払い下げてもらい、そこから10億ドルを吸い上げてやろう」と企むわけです。

1991年にソ連が崩壊した後の「盗賊政治(クレプトクラシー)」と同じ手法です。石油採掘権や電力網、公企業を民間のオーナーたちにそのまま無償同然で配り分けました。現在のロシアの民間富豪たちの富はすべて、ソ連政府が築き上げた富を私物化(民営化)することによって生まれたものです。

そしてアメリカも今、かつてロシアに押し付けたクレプトクラシーと同じ計画を自国でなぞっています。可能な限りあらゆる富を民営化しようとしているのです。公道を toll road(有料道路)に変え、シカゴでは歩道や路上パーキングメーターを民営化した結果、駐車料金が跳ね上がりました。

アメリカではすでに19世紀の時点で、鉱山会社や石油会社は国有地から採掘した資源に対して1セントたりとも対価を支払う必要がありませんでした。そして現在、政府のあらゆる機能を民営化しようとする潮流は、共和党と民主党という政治システムそのものの民営化(私物化)によって頂点に達しています。

政府から民間へとすべての富を移転させる——そして富が民間の手に渡った瞬間、その目的は「社会全体の繁栄」ではなく「国民の困窮化」へと反転します。民営化された富は、貧困と債務を作り出すことによって自らの利益を稼ぎ出すからです。

貧困と負債を創出することで、地代、独占レント、金利負担、金融手数料といった経済的レントを、レンティア階級のもとへとことん吸い上げます。このように、民営化とは本質的に「中央計画の立案権」そのものをレンティア部門の手に引き渡す行為なのです。

ロビンソン: その点について、より具体的な改革案と、それをいかに実行すべきかについて伺いたいと思います。まず、レントの支払いが富裕層だけでなく社会全体に還元されるようにするためには、税制をどのように変更すべきでしょうか?

マイケル: それこそまさに、アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミルら19世紀の古典派経済学者が書き残したテーマのすべてです。

彼らは、「税制の基本は地価税(土地税)から始めなければならない」と説きました。なぜなら地主たちこそが、過去千年にわたって経済を支配してきた階級であり、何ら生産的な役割を果たさず、単に「所有権を握っているだけ」の存在だからです。

もし不動産の「上昇する土地価値(キャピタルゲイン)」に適切に課税すればどうなるでしょうか。現在、そのレント価値はすべて銀行に利息として吸い上げられ、住宅価格が高騰しています。本来、経済が繁栄し、公的セクターが公園や美術館を建設して周辺環境を改善すれば、それによって土地の価値が上がります。

例えばニューヨーク市が2番街沿いに地下鉄を延伸した際、沿線の不動産価格は、地下鉄の建設費として市が投じた実費の3倍も跳ね上がりました。ニューヨーク市は、この原因不明に膨れ上がった未実現の不動産価格の上昇益(不労利得)に対して地価税を課すこともできたはずです。そうしていれば、一般の納税者が地下鉄の建設費を1ドルも負担する必要はありませんでした。

しかし市が実際にやったことは、一般市民の固定資産税を引き上げ、地下鉄やバスの運賃を値上げすることでした。つまり、一般の乗客や納税者が費用を負担して、アッパー・イースト・サイドの地主たちに莫大な不動産価格の上昇(土地レント)をプレゼントしたのです。地価税を導入していれば、このような不条理は防げました。

地価税は、古典派経済学が提唱した「経済的レントへの課税」の根幹です。

同様に、石油や天然資源・鉱物は自然が与えてくれた恵みであり、そこに人間の生産コストなど存在しません。それらを私物化するためにかかるコストといえば、せいぜい地主や弁護士への支払い、そして環境を守ろうとする現地住民を排除するための暴力や、民営化を渋る政権を力ずくで従わせるための軍事費くらいです。

鉱物資源は本来その国家の共有財産(パトリモニー)であるべきであり、米欧の投資家に安値で売り払って利益を誤魔化され無税にされるのではなく、全額課税されるべきなのです。

そして金融セクターへの課税も必要ですが、金融は本質的に脱税を常套手段とする犯罪誘発的な(criminogenic)セクターであるため、税金だけで抑え込むのは困難です。だからこそ、金融セクターが牛耳っている「自然独占を公的領域(公共の手)へと奪還する」必要があります。金融と銀行業務そのものを公共インフラ(公共事業)にしなければならないのです。

皮肉なことに、1930年代にシカゴ学派が提唱した「シカゴ・プラン」の本来の構想は、まさに商業銀行の「100%準備預金制度」でした。商業銀行に勝手な信用創造(通貨発行)を許さないということです。なぜなら民間の商業銀行は、企業の敵対的買収や不動産価格のバブルを吊り上げるという、略奪的な目的のためにばかり信用を創出してしまうからです。

信用創造の権限は政府が握るべきです。そうすれば、地域の銀行が「工場を建てたいという生産的な借り手がいるのに、手元準備金が足りなくて融資できない」と言ってきたとしても、政府が直接その生産的事業に対して資金を供給できるようになるのです。

政府が銀行に預金を供給することで、この「100%準備預金制度」のもとで銀行が融資を行えるようにするのです。この仕組みにおいて、政府は「最後の預金者(預金の最終供給者)」となります。

このシカゴ・プランは、2016年にデニス・クシニッチ(元米下院議員)が提唱していたものでもあります。当時のシカゴ大学は、マネタリストやミルトン・フリードマン、ハイエクの一派によって押し出されてしまう前であり、「自由市場とは真に何であるか」をまだ正しく理解していた時代の話です。

ロビンソン: 税制の抜本的改革と、レントを生み出す資源を公共の領域に取り戻すことが鍵だというお話はよく分かりました。

税率を引き上げ、その課税根拠を転換すれば、庶民の負担が減り、地方・国の政府の財政が潤うのは理解できます。しかし、貧困層の手元資金を自由にする以上の効果として、住宅ローン、学生ローン、クレジットカードの負債、医療費の支払いといった形で庶民が抱える「借金の山」に対して、即効性のある解決策になるとは思えません。

この点から伺いたいのですが、あなたは政府が国民に代わって大規模な「債務帳消し(債務免除)」や肩代わりを行うべきだとお考えでしょうか?

マイケル: それこそが、私の政策提案の中で最も議論を呼ぶ核心部分です。

答えは「イエス」です。債務を帳消し(減免)にしなければ、アメリカの再工業化(産業再生)は不可能です。

債務はすでに臨界点に達しており、放置すればアメリカ経済は、1920年代の賠償金に苦しんだドイツや、ドイツからの賠償金支払いを当てにして対米戦時債務を抱え込んだ英仏のような泥沼へと急速に近づいていくでしょう。

レントを搾取する財産権を取り上げるだけでなく、「帳消し(Clean Slate=借金の一括帳消し/徳政令)」を実行しない限り、真の自由市場経済を創り出すことなど不可能です。

1948年のドイツの「経済の奇跡」がまさにそれでした。彼らはすべての債務を一挙に帳消しにしました。当時のドイツでは、債権の大半が旧ナチスに対するものだったため、「ナチスに金を持たせたくない」という世論の後押しもあり、政治的には容易に実行できたのです。

しかし、現在のアメリカでそれをやるのは極めて困難です。連邦議会は学生ローンの帳消しにすら猛烈に抵抗していますから。

しかし、帳消しにすべきは学生ローンだけではありません。すべての債務を帳消しにすべきなのです。

債務帳消しのメリットは、単に債務者を返済の苦しみから解放することだけにとどまりません。「債務を帳消しにする」ということは、同時に「上位1%の富裕層の金融資産(貯蓄)を消滅させる」ことを意味します。社会の寄生虫であり、現代の新たな封建領主である1%の富裕層——彼らが握る資産こそが、庶民の負債の裏返しなのです。

バランスシート(貸借対照表)には資産と負債の二面があります。住宅所有者の負債(借金)を帳消しにすれば、彼らの抱える債務が消滅すると同時に、富裕層が持つ債権も帳消しになります。

もちろん、これが単に不在地主の台頭を招くような事態は避けなければなりません。ですから、住宅ローンが帳消しになった分は、住宅所有者の所得の43%も吸い上げるのではなく、例えば20〜25%程度に収まるような適切な「不動産税(地価税)」に置き換えるのです。返済能力に見合った水準にリセットするわけです。

債務を減免し、返済能力の範囲内に収めること——これこそが、経済に回復力(レジリエンス)を取り戻すあらゆる改革の目的でなければなりません。

これは小出しに少しずつ進めることはできず、一挙に「量子的飛躍(抜本的転換)」として断行する必要があります。そのためには知的な革命が不可欠ですし、現在の1%の支配層が極度に武装化し残忍になっている現実を考えれば、政治的革命をも伴うことになるでしょう。ヨーロッパの歴史を見ても、通常こうした転換には実力行使(力)が伴ってきました。

人々が直視したがらない現実がここにあります。私のように経済を捉え、経済改革の目的が「経済的レントの根絶」にあると考えるなら、これまで賃金や産業の利潤を吸い上げ、債権者の金融資産へと転換してきたレントの構造そのものを解体しなければなりません。

現代の課題は、19世紀のような「土地の地主階級による支配」ではなく、「略奪的な金融による支配」です。19世紀の社会が地主階級に対して行ったことを、現代は金融に対して実行しなければならないのです。略奪的で非生産的な形で金融や銀行システムを私物化させてきた財産権を剥奪し、債務を帳消しにすること。

この必要性は、ラテンアメリカ、アフリカ、東南アジアといったグローバルサウスの国々を見れば最も明白です。現在彼らが進めている「脱ドル化」の議論もまさにこの文脈にあります。しかし、これはアメリカ自身やヨーロッパにとっても不可欠な改革なのです。債務の帳消しがなければ、西側諸国の経済は完全な行き止まり(死活問題)に行き着くしかありません。

ロビンソン: すべてのお話が、あなたが先ほど触れた一つの疑問へとつながります。すなわち、「これらの問題は現実にどうやって解決され得るのか?」ということです。

ロビー活動を通じて目の当たりにするように、強力な金融利害関係者が政府を事実上牛耳っているとすれば、あなたが提案するような税制改正や債務帳消しが行われた場合、彼らは天文学的な富を失うことになります。だとすれば、変化が起きる余地はあるのでしょうか? 現実的な道筋は「暴力的な革命」しかないのでしょうか? あなたは先ほど「力(実力行使)」とおっしゃいましたが、それは同じ意味ですよね?

マイケル: 短期的には、そのような変化は起きないでしょう。

しかし、10年後、20年先を見据えてみてください。BRICSプラス、中国、アジア諸国、そして彼らが南米やアフリカにもたらそうとしている経済変革が進展したとしましょう。西側諸国が衰退し、アメリカやヨーロッパの生活水準や文化が縮小していく一方で、混合経済や社会主義的経済が技術、生活水準、文化のあらゆる面で遥か先へと成長していく現実を目の当たりにしたとき、西側諸国はかつてのヨーロッパと同じ選択を迫られることになります。

かつてのヨーロッパも、封建的な地主階級に支配されていたにもかかわらず、自らを改革し、第一次世界大戦に至るまで社会主義的な方向へと舵を切ることができました。19世紀にそれができたのであれば、西側でも再び起こり得ます。

もちろん、第一次世界大戦後のヨーロッパの革命は暴力を伴いました。1848年革命もある程度の暴力を伴いましたし、パリ・コミューンも暴力的でした。何らかの暴力は避けられないでしょう。

本質的に、アメリカ自身が暴力の道を歩んできたのです。CIAの元長官が「マーダー・インク(殺人株式会社)」と表現したように、アメリカはチリにおいてシカゴ学派の「自由市場」を導入する際、その本質を露骨に示しました。彼らはこう告げたのです。

「チリ国内で経済学を教えるすべての大学を閉鎖し、我々の教えに置き換えない限り、自由市場など実現できない。労働組合のリーダーをことごとく暗殺し、農地改革者を殺し、『別の選択肢がある』と主張する大学教授を殺し、あらゆる進歩主義者を抹殺する覚悟がなければならない。知的なエリート層を虐殺し、我々がチリやアルゼンチン、そしてラテンアメリカ全土で実行してきたような大量虐殺を行う覚悟がない限り、いわゆる『自由市場』など手に入らないのだ」と。

彼らにとっての「自由市場」とは、経済から奪えるものをすべて奪い尽くし、社会を粉々に粉砕するための「自由」を意味していたのです。

ロビンソン: マイケル、非常に簡潔でありながら包括的に、すべての質問に答えていただきありがとうございました。実に濃密な内容を網羅できたと思います。今回お時間をいただき、この対談に応じてくださったことに心から感謝いたします。

マイケル: あなたが入念に準備し、私の著作やこれまでの主張を深く理解してくれているのがよく分からましたよ。この議論ができて大変嬉しかったですし、テキストとして文字起こしされるのを楽しみにしています。


まとめ:2023年の番組です。私は右派でして、「社会に階級はあるものだ」と考えているので、実はこういう考え方は好きじゃないです。でも左派がまともじゃないと社会運営が上手くゆかないことも事実なのですね。日本の左派の皆さんに読んで欲しくてGemini翻訳続けています。

2026年10月9日金曜日

マイケル・ハドソン  イラン, イスラエス・第三次世界大戦

https://youtu.be/A6b4mhbKOXE?si=f8pdsnSpiUmNOgR
のGemini翻訳ですが、冗長ですので第6章のみ読めば十分かも

 【全文冒頭要約】各章の要約一覧

 第1章:米国外交政策の変質と「石油・ドル」の兵器化
  米国の外交政策は市場メカニズム依存から脱却し、貿易・ドル・軍事行動を「兵器化」して自国の覇権を強固にする強圧的な姿勢へと変質しています。米国は石油の自由な流通を保障すると唱えつつ、実際にはドル建て決済に応じない国を孤立させる「ペトロダラー体制」を維持し、国際法や国連憲章の主権尊重の原則を無視して世界各地にチョークポイントと制裁を設けています。

 第2章:経済思想の対立と「第三次世界大戦」のイデオロギー的背景
  現在進行中の国際的対立の根底には、新自由主義・民営化・金融化を進め「FIRE(金融・保険・不動産)セクター」が支配する米欧モデルと、古典派経済学に基づき実物産業・公的インフラ・国家主導の成長を目指す「中国・ロシア・グローバル・マジョリティモデル」という2つの経済哲学の戦いがあります。米国は自国の産業空洞化により、情報技術やエネルギー等の独占レントに依存しています。

 第3章:トランプ政権の特質と中東・代理勢力の構図
  トランプ政権の外交政策は過去20年以上のネオコン戦略を踏襲しつつ、トランプ一族の私腹を肥やすことや特定の政治献金者(AIPAC等)への政策売却が顕著である点が特徴です。米国は米軍の直接的損害を避けるため、中東ではイスラエルやアルカイダを「不沈空母」や代理勢力(クライアント・アーミー)として利用し、地域の支配を図っています。

 第4章:ロシア・ウクライナ紛争の真因と欧州の二極化
  ソ連崩壊後に欧州・米国の略奪的経済策で壊滅的打撃を受けたロシアは、NATOの東方拡大やウクライナを戦場とした代理戦争に対し強く反発しています。米国はウクライナを利用してロシアの消耗を狙いましたが、ロシアは東側(アジア・中東)へシフトし、逆に欧州が安価なエネルギーを失って深刻な産業打撃と不況に陥っています。

 第5章:技術・エネルギー争奪戦とAI・メディア検閲
  米国は中国の産業化から利潤を吸い上げようと試みましたが、中国は自国技術の保護と公的インフラ拡充によって自立的成長を果たしました。米国は半導体露光装置やTikTokなどの規制を通じて中国の台頭を阻止しようとしていますが、AI運用に必要な電力需要とエネルギーのボトルネック、そして言論を抑圧する検閲体制の強化という内発的課題を抱えています。

 第6章:第一次世界大戦からの歴史的展開と金利生活者資本主義
  第一次世界大戦後、米国が連合国に対して戦時債務の厳格な返済と緊縮財政を強要したことが世界恐慌とファシズムの台頭を招きました。第二次世界大戦後、米国は金(ゴールド)とドルの支配を確立して英仏等の旧経済帝国を解体し、IMFや世界銀行を通じて自由貿易と食料・石油依存を強いることで、開発途上国の自立的発展を阻害してきました。

 第7章:欧州指導部の失策とアメリカ帝国の衰退・デカップリング
  欧州の現指導層は民意に反して米国の対露・対中強硬路線に従属し、自国憲法や国際法を無視して社会保障や産業基盤を壊滅させています。米国には他国に混乱とカオスをもたらす能力しか残されておらず、中国・ロシア・イランを軸とするグローバル・マジョリティのデカップリング(切り離し)が進むことで、最終的に米国自身が孤立し帝国として衰退していくと結論づけられます。

 第1章:米国外交政策の変質と「石油・ドル」の兵器化

ロビンソン・エアハルト: これまで何度もこの番組にご出演いただいていますが、米国の現状や外交政策について直接お話しいただく機会はほとんどありませんでしたね。どちらかといえば、歴史について語り合うことが多かったと思います。そこでまず伺いたいのですが、なぜ今日、現在進行形の事態について話そうと思われたのでしょうか?

マイケル・ハドソン: ええ、あなたが米国の外交政策について話そうと提案してくれたとき、当初はいつものアプローチを取るつもりでした。つまり、これまでも議論してきたように、債務や金融政策の観点から青銅器時代までさかのぼり、「アメリカの外交政策はどのように進化してきたのか」「なぜ1945年に我々自身が創出を助けた世界が失われてしまったのか」を説明しようと考えていたのです。しかし、ここ数日の間に中東で起きた出来事を見れば、米政府が昨年12月に発表した「国家安全保障戦略報告書」の歴史的記述がいかに虚構に満ちたものであるかが浮き彫りになったと思います。ですから、本日はまず「米国の外交政策がいかにして現在の混乱を生み出したのか」「どうしてここに至ったのか、そしてどのような政策がこれを招いたのか」という話から始めたいと思います。

当然ながら、米国の外交政策に関する米政府の公式発表や説明において、「我々の政策が世界を二分している」などと明かされることはありません。つまり、一方に米国・NATO諸国・日本や韓国といった同盟国を置き、もう一方には、米国の貿易やドル、さらには近東への攻撃を通じた軍事行動そのものまでをも「兵器化」して対抗している「それ以外の全世界」が存在するという構図です。まず言えるのは、今起きている事態が示している通り、米国の外交政策は極めて利己的になり、ドナルド・トランプが言うように「アメリカが勝者でなければならない」という姿勢を頑なに崩さないということです。彼らにとってこれは「勝ちか負けか(ゼロサム)」の勝負であり、それがトランプの基本戦略です。そして、この戦略が1945年以降いかに機能してきたかを振り返ると、当時は他国を米国に依存させるために市場メカニズムを活用することができました。第二次世界大戦後、各国は工業的な支援や、少なくともIMFと米国が定めた債権者主導のルールに基づく金融支援を米国に求めていました。しかし、かつて米国を利していたこれらすべての要素は、自国の産業空洞化と、米ドルの「兵器化(weaponize)」によって損なわれてしまいました。「兵器化」という言葉は、昨年以前には外交政策の文脈で使われることなどほとんどなかったと思います。それが今や、ほぼすべての主要メディアや新聞が「貿易の兵器化」「ドルの兵器化」という言葉を使うようになっています。この事実は、米国の外交政策が敵対的な姿勢を強めていること、そして米国が掲げる理念と実態がまったく逆であることを物語っています。

例えば、直近の24時間以内にもトランプ大統領は次のように発表しました。引用すると「必要とあれば、米海軍は可及的速やかにホルムズ海峡を通過するタンカーの安全護衛を開始する」。彼は昨日、自身のブログ「Truth Social」にこう投稿し、大文字で「いかなる状況であれ、米国は世界へのエネルギーの自由な流通を保証する」と述べました。しかし、過去70年間にわたる米国外交政策の主眼は、まさに他国への「石油の自由な流通を阻止すること」にありました。米国の言いなりにならない国、自国の外交政策の主導権を渡そうとしない国、石油のドル建て決済に応じない国へのアクセスを遮断し孤立させることだったのです。OPECが石油価格を4倍に引き上げた1974年以降、産油国には石油輸出で得たドルを米国に還流させ、米財務省証券(米国債)や米国株に投資・貯蓄するよう合意させました。がいわゆる「ペトロダラー体制」です。米国が他の産油国に対して何をしてきたか、その歴史を振り返ってみてください。1953年、自国の石油産業を国有化しようとしたイランの政権は転覆させられました。1990年頃のジョージ・H・W・ブッシュ、そしてその息子ジョージ・W・ブッシュによる2度のイラク戦争。オバマ政権下でのリビア。2022年のウクライナ戦争に伴うロシア産石油・ガスの貿易遮断。ここ数年で引き裂かれたシリア、そして直近のベネズエラ。

石油の自由な流通を望みながらも、ドル建て決済を拒み、自国の石油を使い、米国が「実存的な敵」「競争相手」と呼んで貿易を禁じる中国などの政権と取引しようとした国々は、ことごとく制裁や介入の対象にされてきました。これこそが、トランプの「解放の日」関税政策の狙いでもあったわけです。このように、すべての国が石油を必要とするがゆえに、米国は20世紀を通じて、特に1945年以降、石油を国際外交の基盤として利用してきました。米国としては、自国に有利になるよう市場メカニズムを誘導し国際法の枠組みを作りたい一方で、極めて強圧的な手段を維持し続けたいと考えていたのです。これこそが、現実に起きてきたことです。当初から、とりわけ1945年以降の米国の政策には常に強圧的な要素が含まれており、米国は自国の外交政策にいくつかの「支柱」を打ち立てました。第一に、拒否権を持てない国際機関には一切参加しないという点です。国連安全保障理事会における拒否権を主張し、IMFや世界銀行でも拒否権を行使できるだけの強力な出資比率を主張しました。また、拒否権が与えられない限り、国際刑事裁判所などの国際規制機関や、パリ協定のような枠組みにも背を向けようとします。

同時に、先ほど触れた12月公表の国家安全保障文書によれば、米国の安全保障は要するに「他国の主権を認めないこと」に依存しています。他国が米国にとって好ましからざる、あるいは脅威となる政策を追求できる状態にある限り、米国は自国の安全を実感できないのです。そのため、マルコ・ルビオ国務長官は、ネタニヤフを戦争犯罪人として告発しイスラエルによるガザでの行為を問題視したことを理由に「国際刑事裁判所とその権限は米国の国家安全保障に対する脅威だ」と主張しました。トランプ政権の他の声明でも「米国の安全保障は国連によって脅かされている」とされています。しかし、1648年のヴェストファーレン条約から国連憲章に至る国際法の根本原則は、「他国の政治、内政、主権への干渉は国際法違反である」ということです。にもかかわらず、第二次世界大戦以降の米国が一貫して行ってきたことといえば、ギリシャでの外国選挙への介入や、イタリアにおける「グラディオ作戦」を通じたパルチザンの主軸であった共産党勢力への弾圧など、まさにその原則を破る干渉そのものだったのです。全米民主主義基金(NED)の全活動も、基本的には米国にとって好ましくない政権の「体制転換(レジームチェンジ)」をもたらすためのものでした。つまり、他国を支配しようとする米国の外交政策そのものが、国連が掲げる国際法の諸原則と真っ向から衝突しているのです。

そしてこれこそ、ドナルド・トランプが数か月前に「国連は時代遅れだ。私が統括する『平和委員会』を立ち上げる」と発言したときに説明したことそのものです。私は数日前、「Democracy Collaborative」に長文の記事を寄稿したばかりですが、そこでも米国の外交政策が国際法の原則に対していかに戦いを挑んできたかを詳細に記述しました。その結果として生じているのは、米国が世界を攻撃やテロから守るどころか、まったく正反対の存在になってしまったという事態です。現在、NATO諸国やその他の国々において米国が基本的に主張していることを見れば、それは事実上の「世界大戦の布告」に等しいと言えます。では、米国の外交政策はどのようにして世界大戦へと突き進んでいるのでしょうか? イランへの攻撃は、ロシアと戦うためにNATOと米国がウクライナでクーデターを仕掛け、ウクライナを戦場として利用したことや、アフガニスタンでの戦争と同じ文脈で捉えるべきです。米国がこれまで行ってきたこれらすべての戦争は、実質的に全世界を戦争の脅威に晒しています。以前もイラン……失礼、ウクライナでの紛争について少し議論したと思いますが、今やドイツのメルツやフランスのマクロンは「対ロシア防衛のためにウクライナへ核ミサイルを提供する用意がある」と発言し、それに対してプーチン大統領は「もしそうなら、ロシアは先制攻撃を辞さない」と応じました。

トランプがNATOや他国に突きつけているあらゆる要求を正当化している都合のよいフィクションは、「同盟国は米国を支援し、経済的な朝貢に等しい金を米国に支払わなければならない。そうして初めて、我々は諸国の周囲にある800もの軍事基地へ十分な資金を投じ、ロシアがポーランドやドイツを再び進撃して全欧州を征服し、ソビエト帝国を復活させようとする野心から守ってやれるのだ」というものです。これはあまりに露骨な虚構であり、正気の沙汰とは思えません。しかし、欧州に極端な軍備拡大を迫り、軍事費を従来の2%から大半が米国製兵器の購入に充てられる5%へと引き上げることを正当化するためのナラティブ(言説)として、これが使われているのです。周知の通り、ドイツをはじめとする欧州はロシア産エネルギーの輸入を断ったことで産業的に深刻な打撃を受けています。ロシアと西欧の間で戦争の脅威が高まり、今やイランを起点に中東全域が戦争の渦に巻き込まれつつあります。そして、この戦争は石油をめぐるものであるため――世界の全国家が工場を動かし、暖房をつけ、電力を確保し、燃料を供給し、さらに化学産業や肥料産業の基盤としてガスを輸入しなければならない以上――世界の産業を麻痺させています。特にここ1〜2日、カタールやアラブ首長国連邦などがガス輸出を停止・遮断したことで、その影響は甚大です。これらを再稼働させるには数週間かかります。

世界は今、深刻な「チョークポイント(要衝)」に直面しています。米国の外交政策は、まさにこうしたチョークポイントを作り出し、それを兵器化して利用し続ける能力の上に成り立ってきました。アンド「他国が我々の『ルールに基づく秩序』から逸脱し、自国の経済的利益や主権に従うなら、ロシアや中国、イラン、ベネズエラに科したのと同様に制裁を科す」と脅しをかけるのです。ですから、米国の外交政策が石油であれ何であれ「自由貿易の促進」に基づいているとは到底言えません。「資本の自由な移動」に基づいているわけでもありません。ベルギーのユーロクリアに保管されていたロシアの外貨準備3000億ドルの没収をはじめ、米国がロシアに科した制裁を見ればそれは明らかです。このように、米国外交の実際の行動は、彼らが掲げる「自国は世界を戦争から守る平和国家であり、世界の自由貿易と自由な移動を守り、他国が自国の国益に基づいて行動する民主主義を守っている」というナラティブとは正反対の場所にあります。米国は必要とあらば至る所に戦争をもたらし、すべてを統制しようとしているのです。

ロビンソン・エアハルト: 先生にこの番組へ来ていただく醍醐味のひとつは、こうした即興の講義を特等席で聴ける点にあります。ただ困ったことに、先生がお話しされるたびに聞きたい質問が溢れすぎて、とても一度には聞ききれないということです。

 第2章:経済思想の対立と「第三次世界大戦」のイデオロギー的背景

しかし、先ほどのお話の中で特に強く印象に残ったのは、米国の振る舞いを「世界大戦の宣言」、あるいは「第三次世界大戦への意志」と解釈された点です。私自身はアメリカ人とはいえ、意思決定機関の人間ではない部外者ですから、権力者であれ一般のアメリカ人であれ、なぜ第三次世界大戦を望む人間がいるのか想像すらできません。素朴かつ推測を交えた質問になりますが、一体誰がそこから利益を得るのでしょうか? そしてどのように?

マイケル・ハドソン: その利益とは、究極的には「イデオロギー的」なものなのです。先ほど申し上げた「米国主導のNATO諸国、西欧とその同盟国」と「グローバル・マジョリティ(世界の多数派諸国)」との間の対立の本質は、一体どのような経済システムを採用するのかという点にあります。それは、1980年代に英国のマーガレット・サッチャーや米国のロナルド・レーガンによって始められたような、新自由主義的な金融化や民営化の路線なのでしょうか。その政策とは、政府のインフラを解体して民営化・売却し、インフラを経済成長の補助や生活費・事業コストの引き下げに役立てる――例えば水道などの自然独占による法外な利用料を抑える――代わりに、英国のテムズ・ウォーターのように、公的供給を民間に置き換えてしまうような仕組みです。これこそ、19世紀に西欧の産業国家が自らを発展させた手法とは正反対の、西側流の対案の典型例です。

英国、ドイツ、そして米国がどのように産業を発展させたかを振り返ってみてください。産業資本主義の精神そのものが、元来は革命的なものでした。まず英国では、「英国を世界の工場にしたいのであれば、食料費や生活コストを下げなければならない。雇用主が労働者に過剰な賃金を支払わずに済むようにしなければならず、外国貿易を制限して莫大な地代を貪る英国の地主に労働者が依存する状況を断ち切らなければならない」と言われました。つまり、あらゆる形態の「経済的レント(不労所得的利潤)」から経済を解放する必要があったのです。アダム・スミスからジョン・スチュアート・ミル、カール・マルクスに至るすべての経済学者、そしてレントを搾取する独占企業や、生活費と生産コストを吊り上げる独占価格の力を打ち砕こうとする一連の運動は、本質的に地主や独占資本の権力を弱めるためのものでした。彼らに対抗する戦いは、生産コストを引き下げ、実質的に現在の中国が実践しているような政策を推進するために、政府の権限を強化する運動だったのです。今日、米国は「我々は民主主義であり、中国は専制主義だ」と主張します。しかし、中国が成し遂げたこととは、かつて英国、ドイツ、フランス、米国が富を築くために歩んだ道を再び踏襲したにすぎません。政府による補助金、保護関税、輸入規制、1890年の米国の反トラスト法に代表される独占形成の抑制、そして保護関税です。

さらに、欧米では行われず中国が実践した決定的な政策は、「通貨そのものを公共財(インフラ)として扱い、産業の成長資金を供給するために提供する」ということでした。もっとも、これに近い萌芽は19世紀のドイツで始まっていました。ドイツの銀行システムは、英米の英語圏の銀行とはまったく異なる路線で発展しました。ドイツの銀行業は、本質的に重工業および政府と緊密に連携しながら通貨と信用を供給しようとしたのです。政府、銀行、産業の「三者一体の連携」が存在し、これこそがドイツが急速に産業を発展させ、英国を追い抜き追い越す原動力となりました。米国でも同様でした。当時、米国や欧州において、レントシーキング(利権獲得行動)や搾取を防ぐための政府規制へ向かう運動全般は「社会主義」と呼ばれていました。当時の社会主義は決して悪者扱いされる言葉ではありませんでした。米国の代表的な保護貿易主義者であり、最初のビジネススクールであるウォートン・スクールの初代経済学教授となったサイモン・パットンは、「政府によるインフラ支出や公共投資は、産業資本家の支出とは根本的に異なる」と述べています。産業資本家は利益を追求し、産業を組織し、供給や生産、市場を組み立てることでその利益を得ます。一方、政府のインフラとは、第一にエリー運河のような交通網をはじめとする自然独占領域であり、事業コストを引き下げ、生活必需品を可能な限り低コストで提供して経済全体のコスト構造を引き下げるための公的整備です。

したがって、政府投資のリターン(見返り)とは、「民間セクターのコスト構造をいかに引き下げられたか」の度合いによって測られる、とパットンは説きました。彼にとってこれこそが社会主義であり、「社会的な支出」だったのです。パットンは、ドイツ歴史学派の薫陶を受けた数多くの優れたアメリカ人経済学者の一人でした。彼は、極めて偏狭な自由貿易主義に傾斜し、今日の新自由主義への道を歩んでいたアメリカ経済学会(AEA)と袂を分かち、アメリカ社会学会(ASA)を創設しました。国家戦略と経済思想を、経済学者が「外部性」と呼ぶ社会的影響へと拡張させたのです。パットンが述べたように、政府による規制と投資とはまさにこの「外部性」を扱うものにほかなりません。このようにして第一次世界大戦に至るまで、全世界は社会主義的な方向へと進んでいると信じられていました。しかしその後、金利生活者(ランティエ)の利権勢力が反撃を開始したのです。地主の利権、金融の利権、独占資本の利権がすべて結託しました。これこそが、私の著書『Killing the Host(宿主を殺す寄生虫)』で描き出した構図なのです。米国のJ・ベイツ・クラークは、「経済的レントなどというものは存在しない。価値と価格の間に区別などない」と主張しました。誰もが望むだけの報酬を得ており、どう稼いだかは関係ない、得られた以上はすべて正当な所得であり、あらゆる富は生産的活動によって生み出されている、という理屈です。しかし、これは古典派経済学が探求してきたことと正反対です。

現代世界とあなたの質問に関係づけて言えば、今、世界は「待て、富をどう生み出すかには決定的な違いがあるはずだ」という原点に立ち返ろうとしています。アンド米国以外の国々は、新自由主義的なフリーマーケットの美名のもとで企業が参入し、競合を飲み込んで独占を築き、独占レント(超過利潤)を搾り取るのを許したくはないのです。独占的・金融的手法で得た富を使って政府の支配権を買い取り、金融資産や不動産への課税を引き下げて、その税負担を労働や実物産業に押し付けるようなやり方を拒絶しているのです。彼らは労働と実物産業を税負担から解放し、政府を自己資金調達型にするか、中国のように自国で通貨を発行してインフラや産業に投資したいと考えています。つまりここには、発展モデルをめぐる「2つの異なる経済哲学」の対立があります。そして、現在起きている事実上の「第三次世界大戦」の核心もここにあります。それは、ドナルド・トランプが公言するように、他国が経済の脱ドル化を進め、自国通貨で貿易を行い、外貨輸出で得た稼ぎを米国へ送金することを回避し、自国の貯蓄を自らの産業成長と開発のために回すのを阻止できるかどうかの戦いなのです。中国モデル、あるいはかつての日本モデルに倣って他国が成果を上げようとするのを、米国は力づくで止めようとしています。

急成長を遂げている経済――今やGDPの観点から見ればロシアもその一部に含まれますが――世界の国々は急速に工業化を進めて成長し、生活水準や社会環境を向上させています。その一方で、米国、欧州、そしてその同盟国は正反対の道を進んでいます。彼らは自国経済を債務まみれにし、2008年のサブプライム住宅ローン危機以降に膨らんだ富のほぼすべてが、金融・保険・不動産、いわゆる「FIRE(ファイア)セクター」に集中する極端な二極化を引き起こしました。他国はこの轍を踏みませんでした。他国は富を新たな研究開発や、新工場の建設、生産性向上のためのツールや生産手段へと再投資してきました。これに対して、米欧の実物産業の生産性、労働力、研究開発はことごとく切り捨てられてきたのです。では、その結果として米国には何が残されたのでしょうか? 残されたのは、外国貿易を独占しようとする力だけです。「よし、石油だけでなく、情報技術やシリコンバレーの巨大SNSプラットフォームも独占しよう。他国が自前の方法でこうした製品を独自開発し、米国から自立するのを阻止し続ける限り、我々は全世界から独占レントを搾り取ることができる」という発想です。

これが他国に対してどれほど決定的な挑戦状(ガントレット)を叩きつけたか、想像がつくでしょう。自国の若者のために自前の技術を開発し、国民を豊かにして経済成長へ還流させるのか。それとも、情報技術や石油といった主要なチョークポイントを米国に牛耳られ、米国経済へ貢ぎ物を納め続けるための道具に甘んじるのか。これこそが、現在の戦いの全貌です。

 第3章:トランプ政権の特質と中東・代理勢力の構図

ロビンソン・エアハルト: つまり、冒頭でおっしゃったように、これは世界的な経済構造をめぐる「イデオロギー戦争」だということですね。ただ、その仮説を額面通り受け取ったときに一つ疑問が生じます。少なくともメディアの描写では、これは「ドナルド・トランプの戦争」であり、彼がすべての采配を振るっているように見えます。しかし、トランプがこれほどイデオロギー的に精通しており、グローバルな経済構造のイデオロギー闘争を本気で重視しているとはどうしても思えません。今起きている事態の中で、彼やトランプ政権はどう位置づけられるのでしょうか?

マイケル・ハドソン: その指摘はまったく正しいと思います。実質的にトランプは、かつてのバイデン政権が推し進めていたのと寸分違わぬ政策をなぞっているにすぎません。それは「ネオコン(新保守主義)の戦略」そのものです。さかのぼれば2001年、ウェズリー・クラーク将軍は「我々は5年間で近東の7カ国を侵略する」と明言していました。近東を支配できれば、他国が他の産油地域と取引するのを封じる限り、世界の石油を支配できるからです。この戦略は実に四半世紀にわたって練り上げられてきた既定路線なのです。では、トランプは何が違うのかと言えば、トランプ政権下での米国外交の主眼の一つが「彼自身、家族、そして側近グループの個人的な私腹を肥やすこと」にある点です。その手口は、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の元へ行き、「我が一族の不動産事業に巨額の融資をしてくれないか。もし融資して大富豪にしてくれるなら、喜んであなたの国を支援し、イランからの防衛も提供しよう。かつてクリントン一家が大富豪になったように、自分たちもそうなりたいのだ」と持ちかけることです。トランプは実質的に、米国の外交政策を「最高額の入札者」へ売りに出しているのです。そして当然ながら、その最高額をつける入札者とは、長年にわたって米国外交を裏で牛耳り続けてきたネオコン勢力にほかなりません。トランプが掲げる「MAGA(Make America Great Again:アメリカを再び偉大に)」という政策は、今や「ミリアム・アデルソンがアメリカを支配している(Miriam Adelson Governs America)」とすら揶揄されています。彼女はトランプに2億5000万ドル(約370億円)という巨額の献金を行い、その見返りとしてマルコ・ルビオを国務長官に指名させ、イスラエルを全面支援させました。彼女こそ、米国の上下両院議員たちにとっても最大の資金提供者なのです。

(AIPACの背後にいるのは)まさにAIPAC(米イスラエル公共問題委員会)や、その連携下にある親シオニスト系の政治行動団体(PAC)です。かつて「汚職・腐敗」と呼ばれていたような、経済・政治政策を競売にかけて売りに出す行為こそが、現在の米国外交政策の決定的な特徴となっています。トランプが従来のネオコンや民主党、あるいはかつての共和党主流派と異なる唯一の点は、自分の一族や身内を個人的に潤わせようとするその強欲さの度合いだけです。政策そのものは何一つ変わっておらず、彼個人の利益への執着と、いわば個人的な奇癖が上乗せされているにすぎません。

ロビンソン・エアハルト: イスラエルの話が出ましたのでもう一つ伺いたいのですが、少なくとも私が素朴に聞かされて信じてきたのは、「米国とイスラエルの同盟関係は、中東における戦略的足がかりを米国が確保する必要性に基づいている」という見方でした。しかし、私が意見を交わした多くの人々は、「それは誤りであり、ナイーブすぎる」と指摘します。先生もそうした見方には懐疑的でしょうか?

マイケル・ハドソン: まったく違います。それについては実例をお話ししましょう。私は1972年から1975年頃までハドソン研究所に在籍していました。今もそうであるように、当時も有力な国家安全保障シンクタンクでした。そこで同僚だったのが、後にモサドの長官となりネタニヤフの首席国家安全保障顧問を務めることになるウジ・アラド(Uzi Arad)です。1973年か74年頃のことだったと思いますが、彼と一緒に日本や韓国などアジア歴訪へ出かけ、サンフランシスコでトランジット(給油立ち寄り)をしました。そこで何人かの将軍や軍高官たちと会合を持った際、ある米軍の将軍が駆け寄ってきてウジの肩を抱き、こう言ったのです。「君たちは、中東における我々の『不沈空母(陸の空母)』だよ。我々自身が手を下さずに済むよう、あの地域全域を支配してくれる君たちを頼りにしているんだ」。ウジはその発言に非常に気まずそうな表情を浮かべていましたが、そう言われて返す言葉もありませんでした。米国は当初からこう考えてきたのです。「米軍自らが他国で戦うコストを背負いたくはない。なぜなら、我が軍は直接介入するたびに敗北してきたからだ。ベトナムでも負け、アフガニスタンでも負けた。スズメバチの巣のような近東に米軍本体を巻き込ませたくはない」。そこで米国は2つの「代理軍(クライアント・アーミー)」を抱えることにしました。第一に、地域を制圧するためのイスラエルです。そして現在、イスラエルと並んで米国が手を組んだのがアルカイダでした。

カーター政権下でブレジンスキーが抱いた極端なロシア恐怖症がアフガニスタンでの戦争を引き起こし、結果としてアルカイダを生み出しました。そして過去数十年にわたり、米国はイラクを恐怖に陥れ、シリアを解体するためにアルカイダを陰で支援し続けたのです。アルカイダやISIS(イスラム国)は、イスラエルとお互いを決して攻撃し合うことなく、実質的に足並みを揃えて動いてきました。両者は、米国に代わって中東地域を支配するために民族的・宗教的テロリズムを利用する道具となってきたのです。したがって、イスラエルと米国の間にはいわゆる「利害の一致(harmony of interests)」が存在します。アンドその利害の一致は、単に米国の親シオニスト勢力が政治家へ多額の献金をしているという事実をはるかに超えたものです。構図としてはこうです。まず米議会がイスラエルへ巨額の軍事・財政援助資金を交付します。イスラエルはその資金の一部をAIPACなどのロビー団体へ還流させ、自分たちに資金を配分してくれた米国の政治家たちへ献金という形でキックバックし、彼らの懐を潤わせるのです。昨日か一昨日、ルビオ国務長官が述べた発言を見てみてください。彼はこう言いました。「我々はイスラエルがイランを攻撃することを知っていた。過去15年ほどの間、ネタニヤフは『イランが原爆を開発している』というあの大嘘を繰り返し主張してきた。イスラエルは産油地域を自らの手で制圧したがっている」。

1970年代当時、私が知り合いだったイスラエルの治安関係者たちは皆、冗談めかしてこう言っていました。「神はなぜ我々をサウジアラビアに導いてくれなかったのか。なぜあそこに(約束の地を)配置しなかったのか」と。彼らは石油の支配権を欲しており、米国にとっても、サウジアラビアが現在行っているのと同様の形で米国に代わって石油を管理してくれるのであれば、イスラエルに支配権を委ねることに何の異存もありません。ルビオは続けてこう述べました。「イスラエルがイランを攻撃することは分かっていた。そしてイラン側は、米国とイスラエルが極めて緊密である以上、いずれ米国も攻撃してくると受け止めるだろうと考えた。だからこそ、イランが反撃してくる前に先手を打って叩きたかったのだ。イスラエルが先に火をつけたことで近東情勢は緊迫し、米国にとって深刻な問題が生じていた。放置すれば我々が巻き添え被害(コラテラル・ダメージ)を受けてしまうため、イランの方を巻き添えにしてやったのだ」。これは私の要約ですが、この発言の趣旨はすでに各メディアで報じられています。米国の指導者たちが実際に何を口にしているか、耳を傾ければ実態は明白です。

ロビンソン・エアハルト: 先生が使われた「利害の一致」という表現は非常に的を射ていますね。イスラエルが米国内で絶大な政治的影響力を行使していることは周知の事実ですが…… しかし、非常にシンプルに整理するとすれば――この戦争、あるいはこの戦争に対する米国の関与を「世界的な経済構造をめぐるイデオロギー戦争」と捉える限りにおいて――主な利害の一致とは、「米国は自らの目標を推進するためにイスラエルを利用し、イスラエルは自国の安全保障や国内政治の思惑のために米国を利用している」と表現しても差し支えないでしょうか?

マイケル・ハドソン: その構図はイスラエルにとどまりません。ウクライナについても全く同じことが言えます。ウクライナは民族的テロリズムに手を染めるテロ国家です。「我々こそが人間であり、ロシア語話者は人間以下の存在(劣等人種)だ。人間ではないのだから根絶しなければならない」と言い放ち、ロシア系ウクライナ人に対する戦いは彼らを抹殺し、その言語を公の場から完全に排除するための戦いとなっています。本質的に、ウクライナとは欧州にとっての「ガザ地区」のようなものだと言えます。極めて似通っているのです。行われているのは同様の民族浄化であり、同様の思想であり、同様の対外行動です。これはイスラエルという一国の枠をはるかに超えています。米国が支援してきた他のテロ組織を見てみてください。アフガニスタンでのアルカイダや、タリバン運動全体、そしてワッハーブ派のスンニ派アラブ諸国から広まった宗教的過激主義運動――他のイスラム会派やサラフィー主義に従わない者すべてに民族的・宗教的戦争を仕掛ける動き――から、イスラエルの対パレスチナ戦争、ウクライナの対ロシア語話者戦争に至るまで、そのすべてが酷似しており、同じ手法をとっています。

そしてこれこそが、米国の外交政策を「テロリスト的」たらしめている要因なのです。米国はテロから世界を守っているのではなく、むしろ世俗的な世界全体を脅かすテロ政策を推進しているのです。世界は「待て、誰もが同じ人間だ。ウクライナがロシアに対して行っていることは人道に対する罪だ。イスラエルが非難されているのと同様に、国連憲章が定める戦時国際法のあらゆるルールを破っている」と声を上げています。アルカイダに資金を提供したサウジアラビアのワッハーブ派勢力に対しても、同様の告発がなされるべきでしょう。こうしたテロ組織の数々は、米国にとって「社会主義に代わる選択肢」なのです。自国の成長を優先して民主的に行動しようとする諸国に対抗し、米国の利益に従属させ続けるための道具なのです。世界各国は今やこの事実に気づき始めています。「我々はテロから世界を守る正義の味方だ」という欺瞞のナラティブと、米国自身がテロリストであるという過酷な現実との落差があまりにも浮き彫りになってきたからです。

 第4章:ロシア・ウクライナ紛争の真因と欧州の二極化

ロビンソン・エアハルト: ウクライナをそこまで痛烈に批判されるのを耳にして少々驚きました。というのも、私が目にする多くの論客、とりわけ左派の論者ほど、この紛争におけるロシアを「弁解の余地なき絶対悪」として語りたがる傾向が強いからです。現代の米国外交政策を考える上で最も極めて重要な紛争の一つとなるはずですので、先生がこの紛争全体をどのように捉えていらっしゃるのか、もう少し詳しく伺えますか?

マイケル・ハドソン: そもそもソ連が1980年代後半に崩壊したのは、「スターリニズムは破綻した」という共通認識が定着したためでした。機能しなかったのです。そして彼らは「スターリニズムの対極にあるもの」を求め、ロシア国内に流布していた「スターリニズム=共産主義であり、ロシアは社会主義国家だった」という虚構のナラティブを鵜呑みにしてしまいました。実際には社会主義などでは全くなく、あれは官僚的集団主義、あるいは管理主義とでも呼ぶべき体制でした。官僚的な無能や弊害のすべてを「社会主義」と同一視したいのでもない限り、到底あれを社会主義と呼ぶことはできません。そのため、彼らはロシア社会を再設計してもらおうと、アメリカ人やIMF、世界銀行を招き入れました。欧米がロシアの復興を支援し、欧米諸国が歩んだような近代的な工業化をもたらしてくれると期待したのです。しかし、米国が行ったことはそれとは正反対でした。米国は略奪体制(クレプトクラシー)と破滅的な経済危機を生み出しました。政府の機能を事実上解体し、工場、石油埋蔵地、ニッケル鉱山、電力インフラなどの国家資産を、オリガルヒ(新興財閥)が私利私欲のために自分名義で登記することを容認したのです。

その結果、人口は激減し、1000万人をはるかに超える命が失われました。2000年にプーチン大統領が就任した際、「ロシアの工業的発展を助けてくれると信じて米国に依存した結果失われたロシア人の命は、第二次世界大戦での戦死者数に匹敵する」と述べるほどでした。ロシアは次第に、「欧州は自分たちを助ける気など毛頭なく、ただ切り捨てようとしているだけだ」と気づきました。そして米国はNATOの東方拡大を推し進め続けたのです。私は長年にわたりラブロフ外相やプーチン大統領の演説を読み込んできましたし、一族の背景もあって幼少期からロシアの歴史を極めて詳細に追ってきました。ロシアにとって「ソビエト帝国を復活させる」ことなど、最も望まない選択肢でした。東ドイツからハンガリー、ポーランドに至る中央・東欧の統治がいかに強圧的で無能であったにせよ、信じがたいことに、ロシアは自国の富の多くを犠牲にして西側の共産圏諸国を支えていたのです。もちろん、その支援はあまりに官僚的で腐敗していたため、支援される側から感謝されることはありませんでしたが。

しかし米国は、「我々は共産主義の打倒に勝利した。今こそNATOを東へ拡大すべきだ」と判断しました。そしてNATOを防衛同盟から攻撃的な組織へと変貌させ、エリツィン時代のような略奪体制をロシアに再建し、理想を言えばロシアを5つの地域に解体しようと目論んだのです。特に、米国のNATO拡大が皮肉にもロシアと中国を急接近させて以降、その傾向は一層強まりました。米国の対露包囲網はさらに激化しました。米国は、「ウクライナでの戦闘を通じてロシアの経済的活力を消耗させれば、ロシアは揺らぎ、破産し、国民がプーチン政権を打倒して親米的な傀儡体制を復活させるだろう」と踏んだのです。それは浅薄な妄想にすぎませんでしたが、彼らはそれを本気で信じていました。さらに、ロシアの軍事力を消耗させておけば、米国の真の脅威である中国を支援することもできなくなるだろうと考えたのです。中国は単なる競争相手にとどまらず、「産業社会主義」というオルタナティブな経済組織のモデルを提示しているからこそ、米体制にとっての真の脅威なのです。もし米国が、中国を工業大国へと押し上げた論理に従うことになれば、FIREセクター(金融・保険・不動産)による支配、金融資本による支配、不労所得をむさぼる金融資本主義(ランティエ資本主義)の権力構造が崩壊してしまうからです。

ロシアは攻撃の標的にされたのです。ロシア指導層の演説を読めば、そこに滲み出ているのは、ドイツ、フランス、英国の振る舞いに対する底知れぬ「失望と嫌悪感」にほかなりません。そしてロシアが望んでいることといえば、「我々は東を向く。アメリカよ、ヨーロッパはお前にくれてやる。我々にはもう欧州など必要ない」と告げることだけです。昨日もプーチンはこう述べたと思います。「欧州はロシア産ガスや石油に制裁を科す必要すらなくなる。我々の方から欧州へのガス輸出を停止するからだ。イランが中東のガス輸出能力の大半を事実上破壊した今、我々は東側のより友好的な同盟国へとガス輸出をシフトさせている」。これが基本的な地政学の構図です。それにもかかわらず、欧州や米国のメディアには根深いロシア恐怖症(ルソフォビア)が蔓延しています。そしておっしゃる通り、米国のいわゆる「左派」の多くは民主党支持層ですが、彼らは実質的には左派などではなく、単なるロシア嫌悪の集団にすぎません。

ロビンソン・エアハルト: 先生の表現をお借りすれば、極めて巨視的な視点において、第三次世界大戦とはイデオロギーと世界経済の構造をめぐる戦いである一方、より局地的なイランの文脈で言えば、この戦争は何よりもまず「石油」をめぐる戦いである、ということですね?

マイケル・ハドソン: その通りです。なぜなら、石油は米国の国際収支にとって決定的な鍵を握っているからです。一般に経済学者が貿易理論を語る際、すべてを抽象化してしまい、輸出品を「ウィジェット(架空の工業製品)」などと呼びます。実際の石油統計の実態など見ていません。しかし、1960年代にウォール街のチェース・マンハッタン銀行で石油と国際収支を分析することこそが私の仕事でした。その後、アーサー・アンダーセンや国連でも同様の調査を手がけました。国際収支のからくり、とりわけ石油産業の具体的な構造などは大学では決して教えられません。現場で実務に携わらなければ理解できない分野です。当時、チェースのために私が行っていた統計調査のスポンサーの一つであったニュージャージー・スタンダード・オイルの財務担当役員から、手取り足取りその内幕を叩き込まれました。当時その実務を担っていたのは私一人でした。

ロビンソン・エアハルト: そこで伺いたいのですが、米国がウクライナやロシアと直接交戦しているわけではないにせよ、米国にとって、あるいはトランプにとって、この戦争の狙いは何なのでしょうか?

マイケル・ハドソン: ロシアに打撃を与えることです。現在の米国に残された唯一の対外的な手段とは、「他国に打撃を与え、混乱を生み出す能力」だけです。そのため、アメリカ人は他国に向かってこう持ちかけるのです。「我が国には、他国には決して提供できない特別な提案がある。君たちは喉から手が出るほどこれを受け入れたいはずだ。その提案とは、『君たちの経済を混乱させず、カオスを引き起こすのを思いとどまってやる』ということだ。君たちが依存している米国市場を突如閉鎖したり、制裁を科したり、政権転覆(レジームチェンジ)を仕掛けて君たちを破滅させたりしないでおいてやる。だから我々に従え。従うなら危害を加えるのをやめてやろう。我が国の制裁方針に同調し、ロシアを解体し、イランを解体し、アンド最終的に中国と対決・解体する手助けをしろ」。これこそが、大局的な構図(ビッグピクチャー)なのです。

 第5章:技術・エネルギー争奪戦とAI・メディア検閲

ロビンソン・エアハルト: 本日の対談の冒頭で、「米国の外交政策と現在地を語るにあたり、まずは我々が今どこに立っているのかを整理し、その後に歴史的な経緯へ移りたい」とおっしゃいました。現在の外交政策を形作る極めて重要な要素や出来事として、イランとの戦争、イスラエルとの関係、ロシア・ウクライナ戦争が挙がりました。中国との関係についてもさらに掘り下げる必要があると思いますが、歴史的経緯に入る前に、押さえておくべき他の出来事や状況はありますでしょうか?

マイケル・ハドソン: あなたが重要だと感じるものであれば、何でもテーマになり得ます。この問題にはタマネギの皮のように幾重もの側面がありますから。そもそも、当初のロシアに対する敵意の根底にあったのは「社会主義への憎悪」でした。もっとも、ロシアが実現した体制は真の社会主義とは程遠いものでしたが(その点ではチトー政権下のユーゴスラビアの方がはるかに成功していました)。そして中国が「中国の特色ある社会主義」あるいは産業資本主義を発展させようと決断した際、彼らが最も避けたかったのは西側のマルクス主義者と議論することでした。1970年代の当時、彼らはその姿勢を私に対して極めて明確にしていました。皮肉なことに、シカゴ大学のミルトン・フリードマンが上海を訪れ、「自由市場が必要だ。政府の計画経済が革新的であるはずがない。『百花斉放』のように自由競争を促すべきだ」と説いたのです。そして中国は、強固な社会主義的・社会民主主義的な公的インフラを基盤にしつつ、民間発意や企業家精神の自由な発揮を認めるという「混合経済」の柔軟性を取り入れました。これこそが完璧な融合でした。中国は、19世紀後半に欧米諸国が辿ったのとまさに同じ組み合わせを成功させたのです。

本質はここにあります。クリントン政権下で米国が産業を空洞化させ、製造業を中国へオフショアリング(海外移転)した際、米国はこう高を括っていました。「中国の安価な労働力を利用すればいい。米国の多国籍企業を進出させ、現地の工場で安い労働者を雇って、我々が作らなくなった工業製品を生産させよう。高い米国の労働コストを払うより、はるかに安く輸入できる」。当時の米国はこれを歓迎し、「脱工業化社会(ポスト工業社会)」と呼びました。産業の空洞化とは呼ばなかったのです。1970年代から80年代にかけて、ダニエル・ベルらによるポスト工業経済・ポスト工業社会をめぐる議論が盛んに行われました。「もはや労働者階級は存在しなくなる。ブルーカラーの現場労働者はいなくなり、誰もが専門職・管理職階級(PMC)になるのだ」という幻想が描かれていたのです。米国の目論見とは要するに、「中国が工業化するというなら勝手にさせればいい、大歓迎だ。ただし、そこから生まれる利潤(利益)はすべて我が国が吸い上げる」というものだったのです。中国は米国の銀行に信用供与や融資を行わせ、独占企業を育てさせなければなりませんでした。もし可能なら、米国の銀行はジャック・マー(馬雲)のような独占企業や他の億万長者たちに喜んで資金を提供し、彼らが手にした株式市場の利益や金融リターンをすべて吸い上げたかったはずです。

しかし、中国はそのような道を選びませんでした。中国は自国の技術やイノベーションを自らの手に留め、億万長者がアメリカ人の言う「不快なほどの大富豪(filthy rich)」になるのを防ぐ制度的環境を築こうとしたのです。

ロビンソン・エアハルト: 世界的な経済力のパワーバランスを語る上でお聞きせざるを得ないのですが、これから起こる対立や米国の外交政策において、AI(人工知能)はどこに位置づけられるとお考えでしょうか。特に中国のような相手との関係において、どう見ていらっしゃいますか?

マイケル・ハドソン: それは私の専門分野ではありませんので、確たることは言えません。ただ、米国が手掛けるAIと中国が取り組むAIはまったく異なっています。中国は明らかにロボット工学(ロボティクス)へはるかに注力しており、工場の自動化を進めています。AIの発展における鍵であり前提条件となるのは、第一に「電力」です。膨大なコンピューター群を稼働させるには途法もない電力が不可欠だからです。アンド第二に、米国がこれまで独占し、期待を寄せてきた「コンピューター・チップの設計」です。エヌビディア(Nvidia)を見れば分かる通り、半導体の革新によって数千億ドルもの利益を生み出す凄まじい能力を示しています。

米国は、1台あたり2000万ドル(あるいはそれ以上)もする極端紫外線(EUV)露光装置を開発したオランダ企業(ASML)の製品が中国の手に渡るのを阻止しようとしてきました。さらにこの1年、米国は欧州に対し、中国企業が敵であるという理由から、中国国内の企業であっても50%を超える株式を保有させないよう圧力をかけています。これは極めて露骨で人種差別的な政策です。その最初の影響として、オランダ政府に対し、ネクスペリア(Nexperia)――正確な発音はともかく、実質的にバッテリー関連機器などを手がける企業――を閉鎖・規制するよう迫りました。中国資本が経営権を握っており、中国企業が所有している以上、中国は実存的な敵であり脅威であるという理屈です。中国を「共にパートナーシップを組み、互いに利益を得られる成長領域」と見なす代わりに、米国はそれを徹底的に阻止しようとしました。その結果、現在欧州中のバッテリーメーカーが、ネクスペリアが供給していたような極めて基礎的なバッテリープロジェクトの調達において深刻な支障をきたしています。同様の争いはTikTokをめぐっても起きました。米国は「これほど成功し莫大な利益を上げている中国発のメディアプラットフォームを野放しにはできない。TikTok上で交わされる議論を検閲できるよう、アメリカ人の管理下に置かなければならない」と主張したのです。TikTok上では米国の外交政策に関する議論が交わされ、「パレスチナ人に対するジェノサイドはやめるべきだ」といった批判の声すら上がっていました。そのため、TikTokの新たな買収者たちは特定の言論を封殺しようとし、例えば投稿の中に「イスラエル」という単語が含まれていれば即座にブロックする、といった検閲を行おうとしました。

つまり、AIが「思想統制」の手段として利用されているのです。米国の主流派の言説に沿わない政治的・経済的な議論や分析を排除し、国内に一種のファシズム、文化的なファシズムを押し付けるためにAIが使われています。同じような構図は、パラマウントによるタイム・ワーナー(ワーナー・ブラザース)の買収をめぐる動きにも見られます。あらゆるメディアを寡占・支配し、自動化された知能(AI)を使ってメディアを監視し、インターネットをスキャンして「誰が何を言っているか」を特定し、不都合な言論をブロックしようとしているのです。1970年代当時、「米国の経済とソ連の経済はやがて同じ方向に向かい、収斂(コンバージェンス)していくのではないか」という議論がありました。蓋を開けてみれば、確かに両者は収斂しつつあります。しかし当時人々が予想していたのは、「ソ連が崩壊してより民主的になることによる収斂」でした。ところが現実に起きたのは、マスメディアのあり方に関して言えば、「米国文化の方がはるかにソ連化している」という皮肉な結末です。米国内におけるマスメディアの集権的支配、インターネット、TikTok、アンド近頃CBSなどで目にするニュースやエンターテインメントに至るまで、極めて重苦しい検閲が敷かれています。米国において、AIはまさに徹底した検閲のために酷使されているのです。アンドおそらく、AIを手にした他のどの国でも、似たような事態が起きているのではないでしょうか。

そして、それは決して民主的なものではありません。AIがもたらす影響は、経済の二極化を進め、AIに代替可能なあらゆる労働――例えば倉庫作業などを通じて――深刻な失業を生み出すことになるでしょう。アマゾンは自社の倉庫で人間の労働力をAIに置き換えようとしていますし、中国では自動車の組み立てライン全体がロボット、つまりAIによって全自動で行われている工場を目にします。このようにAIはあらゆるものを変革しつつあります。しかし、いわゆる「スーパーコンピューティング」へと本質的に発展させるためには、莫大なエネルギーが不可欠です。そして米国が石油業界主導の政策に全面依存しているがゆえに、ドナルド・トランプは「米国において石油の代替エネルギーなど不要だ」と言い放ち、気候変動対策や脱炭素を掲げる欧州の環境政策にも敵意を剥き出しにしています。そのため、トランプが就任直後に行ったことの一つは、米国内で進められていた風力発電への投資を差し止め、太陽光発電の開発を阻害することでした。その主な理由は、風力発電用のブレード(風車翼)やソーラーパネルの生産において、中国が世界をリードしているからです。

中国はゴビ砂漠の広大な地域を巨大な太陽エネルギー蓄積システムとして活用し、その電力でAIを稼働させています。これに対して、米国は深刻な課題を抱えています。電力需要の急増によって電気代が高騰し、米国の労働者や一般家庭、中小企業が照明をつけたり機械を動かしたりするコストを大幅に跳ね上げることなく、AIを動かすための電力を一体どうやって既存の電力網から調達するのか、という問題です。これに対してトランプは「AI企業は自前で電力を賄うべきだ」と述べました。しかし現実には、新たな送電網の敷設であれ、AI企業が独自の自社用電源を確保することであれ、行政手続きのハードルが極めて高いため、実行するのは困難を極めています。米国はこのボトルネックに完全に阻まれているのです。経済学者としての立場から言えば、コンピューターシステムそのものの詳細な仕組みや、それが自己参照的であるかどうか、あるいはAIが独自の虚構(ハルシネーション)をでっち上げてドナルド・トランプ並みに浅薄に見えるような大失態を犯すかどうかを細かく知らなくとも、こうした「ボトルネック」や、富と所得の分配パターン、株式市場の動向を分析することは十分に可能です。

ロビンソン・エアハルト: AIが将来の経済や外交政策にどう関わってくるかを伺った際、エネルギー問題とこれほど直結した答えが返ってくるとは予想していませんでした。しかし、昨今のニュースでも「地方に巨大なAIデータセンターが建設され、電力需要が急増して周辺地域の電気代や送電網に負荷を与えている」といった話を耳にしますので、エネルギーが決定的な鍵を握るというのは完全に腑に落ちます。そこで伺いたいのですが、世界のエネルギー勢力図が再生可能エネルギーへと急速にシフトしつつある現在、この問題は石油への依存度や世界のパワーバランスとどのように絡み合ってくるのでしょうか?

マイケル・ハドソン: まさにその点において、米国は地球温暖化を悪化させている最大の元凶です。トランプはパリ協定からの離脱に固執し、脱炭素エネルギーのあらゆる動きに抵抗しています。まるで石油業界専属のロビイストのように振る舞っており、この方針こそが米国外交の中で最も危険な要素の一つです。先ほど触れ損ねましたが、石油を支持し、石油貿易を支配する戦略というのは、「もし石油の代わりに電力を生み出せる代替エネルギーが存在してしまえば、石油貿易を牛耳る意味が失われてしまう」という前提の上に成り立っています。つまり、太陽光や風力といった再生可能エネルギーの台頭は、石油を通じた米国の覇権コントロールに対する直接的な脅威なのです。そして、石油を世界のエネルギーの「チョークポイント」として利用し続けようとする米国の試みの副産物として、現在世界中を襲い甚大な被害をもたらしている異常気象という名の、もう一つの破壊的なチョークポイントが生み出されているのです。

 

 第6章:第一次世界大戦からの歴史的展開と金利生活者資本主義

ロビンソン・エアハルト: では、ここから話題を「現代の状況」から「我々はいかにしてここに至ったのかという歴史的経緯」へと移したいと思います。

マイケル・ハドソン: ああ、それなら現代のことよりもはるかに熟知している分野です。

ロビンソン・エアハルト: では、ぜひ先生にリードしていただきましょう。「米国の外交政策はいかにして現在地にたどり着いたのか」を考える際、まず注目すべき決定的な出来事や時代は何でしょうか?

マイケル・ハドソン: 「ここに至る」と言っても、どこから始めましょうか? 前回同じ質問をされたときは、青銅器時代から話し始めて45分費やしてしまいましたからね。

ロビンソン・エアハルト: これまでの議論の多くが第二次世界大戦を軸に展開してきたことを踏まえると、第一次世界大戦前後、あるいは第二次世界大戦のどちらか、先生がより適切だと思われる方から始めるのが良いのではないかと思います。

マイケル・ハドソン: それなら、第一次世界大戦の余波から始めましょう。それは主に「金融」の問題、とりわけ「連合国間の戦時債務(InterAllied debts)」をめぐる問題でした。米国は、自国が参戦する以前に欧州諸国が米国から買い取った武器・弾薬の代金をすべて返済するよう強く要求しました。私の著書『スーパー・インペリアリズム(Super Imperialism)』も、まさにこの時代の解説から始まります。過去のナポレオン戦争などの歴史を振り返ると、戦争終結後は共に戦った同盟国同士で戦時債務を帳消しにするのが通例でした。しかし、米国は例外的な態度を取りました。「我が国は過去の慣例とは違う。貸した金は貸した金であり、棒引きにはしない」と言い放ったのです。そのため、英国やフランスなどの連合国は、米国への債務を返済するためにドイツへ過酷な賠償金を課すしかなくなり、それがドイツに壊滅的な経済危機を引き起こしました。第一次世界大戦の最大の負の遺産とは、「債務の帳消し(徳政令)を一切認めない」という原則を打ち立ててしまったことです。一度背負った債務は、たとえ自国の国民所得や財政資源を自国の復興・福祉のために使う前であっても、対外債務の返済を最優先しなければならないという義務を諸国に課したのです。

第一次世界大戦末期の経済思想を支配した欺瞞は、金融セクターが結束して打ち立てた偏狭で不寛容な専制主義的ナラティブでした。彼らは「労働者への分配を極限まで削りさえすれば、いかなる国でも債務を返済できる。労働者と国内産業を十分に貧困化させれば、借金は返せるのだ」と説きました。これはかつてデヴィッド・リカードが地金主義(ブリオニズム)において展開した理論であり、「大英帝国は紙幣による信用を創出できるが、他国はそれができない。したがって対外債務を支払う唯一の道は緊縮財政である」という主張の焼き直しでした。こうして英国が自国に課した過酷な緊縮財政は、1926年のゼネスト(大ストライキ)という結末を招くことになったのです。フランスが緊縮財政を敷いた結果はハイパーインフレーションでした。ドイツも緊縮策をとりましたが、連合国への賠償金を支払うため、ひいては連合国が米国への戦時債務を返済するために必要な米ドルを調達しようと、外国為替市場に大量のマルクを浴びせ続けた結果、マルクの相場は暴落しました。このように、世界経済を金融が支配する構造こそが第一次世界大戦の最大の帰結でした。それが1929年の株式市場の崩壊と大恐慌を招き、第二次世界大戦へとつながったのです。つまり、第二次世界大戦とファシズムは、債権を回収しようとする金融セクター、とりわけ米国の金融セクターが突きつけた要求が生み出した不安定さの産物だったと言えます。

第二次世界大戦の遺産として、米国は世界の金(ゴールド)保有量の4分の3を手中に収めました。これにより、米国は金や地金を経済のチョークポイントとして利用できるようになったのです。米国は「IMF(国際通貨基金)と世界銀行を創設した。復興のために喜んで資金を融資しよう。だが、各国が独自の通貨を勝手に発行することは許されない。かつて英国がイングランド銀行で不換紙幣を発行したようなことや、米国自身が行っているような通貨発行は認めない。すべての通貨はハードマネー(金)、あるいは『金と同等』とされた米ドルを裏付けとしなければならない」と定めました。こうして第二次世界大戦の結果、米国の金融力を中心に据えた世界経済が再び作られました。当初の米国は「第一次世界大戦の過ちを繰り返すつもりはない。直接大恐慌に突入させるような強要はせず、各国がドルに依存し、ドル建てで貿易を行うことで自国の開発を進められるようにする」と考えました。しかし、この米国中心の世界秩序に加わるための条件として、各国は「自由貿易」を受け入れなければならなかったのです。第二次世界大戦終盤の1944年、米国外交政策が掲げた最初の地政学的目標は、「大英帝国の解体」でした。米国は英帝国をドル経済圏へと吸収したかったのです――帝国とは呼びませんでしたが。この経緯については、私の著書『スーパー・インペリアリズム』で2つの章を丸ごと割いて解説しています。

米国は「我々が主導する国際秩序の原則の一つは自由貿易である。各国は自らの貯蓄をどこで使おうと自由だ」と主張しました。それは、英国の「スターリング・ポンド圏」の終焉を意味していました。第二次世界大戦中、インドをはじめとする英領植民地は、原材料の供給によって巨額の外貨準備(ポンド残高)を蓄積していました。アルゼンチンやその他のグローバル・サウス諸国も同様です。彼らの多くはポンド圏に属していました。しかし米国は、1944年の対英借款の条件として「植民地が蓄積した外貨準備を英国国内での支出に縛りつけてはならない(ポンドの交換性を回復すること)」という取り決めを英国に飲ませました。当時、英国にはない工業生産力を米国が握っていたため、それらの資金は結局すべて米国製品の購入に充てられることになりました。さらに他国は、自国の産業競争力を高めるための通貨切り下げを禁じられ、英国もまた、米国の工業製品輸出と競争できる水準にポンドを切り下げることはしないと約束させられたのです。つまり、第二次世界大戦後の秩序は、米国が英国やフランスの経済帝国を解体することから始まったと言えます。そしてそれは、債権者に極めて有利なルールの上に築かれていました。その結果、国際債務は複利計算によって指数関数的に膨れ上がり、1980年代には中南米の債務危機と一連の債務不履行(デフォルト)を引き起こしました。1980年代全体が、国家間におけるデフォルトの時代となったのです。

当時、すべての国がIMFの軛から逃れたいと切望していました。IMFから融資を受けるとなれば、「国内の労働者を極限まで貧困化させよ」と要求されることに気づいたからです。これは「階級闘争」にほかなりません。米国の外交政策とは、何よりもまず労働者階級に対する階級闘争なのです。対外債務を返済するためには、「賃金を切り下げて製品の競争力を高めよ」という指示に従わなければなりませんでした。しかし当然ながら、そんなことで競争力などつきません。労働者への支払いを減らせば減らすほど生産性は低下します。緊縮財政を強いられれば、生産設備を機械化したり工業化を推進したりするための資金など残らないからです。米国は第二次世界大戦後の時代を、「他国の自立的な発展能力を徹底的に叩き潰す力」を手にしてスタートさせました。その結果、1945年以降の全期間を通じて「二重構造の経済」が世界に形成されていったのです。一方には西欧、米国、そしてその同盟国からなる高度に工業化された経済圏が存在する、という構図でした。

そしてグローバル・サウス諸国、すなわち一次産品の輸出国側は、第二次世界大戦中に蓄積した外貨準備を使い果してしまいました。自由貿易体制の受け入れを強いられ、欧米諸国がかつて自国産業を育成するために用いたような保護関税を導入することを禁じられたからです。彼らは、米国が実践しているような産業への政府補助金を断念させられ、自前で食料を生産することさえ許されませんでした。これこそが世界銀行の果した中心的な役割でした。世界銀行は、港湾建設、道路整備、電化といった公的インフラへの融資には前向きでした。しかし、それらの国々が家族経営の農業を発展させることは認められず、食料自給のための農地改革を行うことも許されませんでした。熱帯諸国は、主に外国資本が所有する大規模プランテーション作物(商品作物)の栽培を義務づけられたのです。その最も悪名高い例が、グアテマラにおけるユナイテッド・フルーツ社です。米政府は、「自国民を養うために自国の土地を自らの手で管理しようとする外国の指導者や政権は、誰であろうと暗殺する」という姿勢を取りました。食料を自給すること自体が、米国の安全保障――すなわち米国の支配力――に対する脅威と見なされただけでなく、「戦争行為」と受け止められたのです。米国は自国への食料依存を維持させるため、グアテマラ、ニカラグア、アンド中南米のほぼ全域に対して干渉や戦争を仕掛けました。

こうして米国は、従来の「石油依存」に加え、「食料依存」という足かせを世界に課しました。アンド、チリのアジェンデ政権に対する打倒工作を筆頭に、ラテンアメリカ諸国の不安定化を招き、社会主義政権を徹底的に叩き潰していったのです。米国の外交政策はますます好戦性を強めていきました。その狙いは、あらゆる社会主義的反対勢力を封じ込め、さらには19世紀に米国や英国、ドイツ自身が産業を築き上げたのと同様の「強力な政府の主導による経済発展」を他国が試みること自体を完全に阻止することでした。これこそが、1945年以降の世界を決定づけた根本的な力学だったと言えます。

 第7章:欧州指導部の失策とアメリカ帝国の衰退・デカップリング


ロビンソン・エアハルト: 第二次世界大戦後の米国の覇権は、大英帝国やフランス帝国といった欧州列強の帝国の解体の上に築かれたというお話がありました。米国の外交政策や世界秩序における立ち位置という本題からは少し逸れるかもしれませんが、その後の欧州はどのような軌跡を辿り、現在はどこへ向かっているのでしょうか? 今日の世界において欧州はどれほどの影響力を持っているとお考えですか?

マイケル・ハドソン: そもそも「欧州とは何か?」という問いそのものが、ある種の引っかけ問題(トリック・クエスチョン)と言えます。一方には「欧州の一般有権者が何を望んでいるか」があります。彼らはロシアとの果てしない戦争など望んでいませんでした。安価なロシア産ガスで暖を取り、ロシア産の石油やガスを輸入する製造業、化学産業、肥料会社で雇用を維持し続けたいと願っていました。ポスト・ソ連時代のロシアとの「新たな冷戦的対立」に反対していたのです。しかし、各国の指導者たち――ドイツのメルツ首相、英国のスターマー首相、フランスのマクロン大統領――は正反対です。昨年の夏以前にフランスで起きた、マクロンに抗議する農民たちのトラクターデモを思い出してください。マクロンは国内で信じられないほど不人気です。英国のスターマーも、トニー・ブレア路線を極限まで押し進めた結果、労働党を自ら解体してしまいました。直近の補選では緑の党が勝利し、労働党は保守党に次ぐ第3党に沈む有様です。スターマーは労働党の歴史的役割を実質的に終わらせてしまったにもかかわらず、首相の座に居座り続けています。さらに、極端な対露強硬派であるドイツのメルツ首相、そして欧州連合(EU)の首脳陣であるフォン・デア・ライエンやカヤ・カラスも、筋金入りの冷戦的ロシア嫌悪者です。

彼らの方針は、ロシアとの冷戦を激化させることであり、そのために社会保障費を削減し、光熱費への補助金を打ち切ることです。「ロシア産ガスの4倍もの価格がする米国産液化天然ガス(LNG)を買わされることになり、生活費が高騰しているのは承知している。生活水準を落とさずに暖房を使えるよう補助金を出そう」と言っていたはずの指導者たちが、今や「そんなものは打ち切る。これまでの社会保障や生活水準の維持、雇用の確保に使っていたGDPを、対露戦争の加速へ振り向けなければならないのだ」と言い出しているのです。「我々の民主的な友人であるウクライナと同様に、我々自身も犠牲を払わなければならない。ロシアと戦わなければ、彼らは欧州を突き抜けて英国まで攻め込んでくるかもしれないのだから」と。では、一体どちらが「欧州」なのでしょうか? 民衆が望んでいる姿なのか、それとも、反労働者・反産業的で、ロシアへの敵意を満たすためだけにドイツ産業や欧州全体の製造業を進んで生贄に捧げようとする現政権やEUの姿なのでしょうか。彼らは欧州産業に慢性的な大不況を押し付けており、今や中東情勢の緊迫によってそれが一段と悪化しています。もはや「EUが存続できるのか」という根本的な疑問すら生じています。EU指導部は実質的に憲法上の諸原則をかなぐり捨ててしまいました。「かつて定めたルールなど忘れろ。アメリカが自国の憲法を無視できるなら、我々も同じことができる。我々は民主主義なのだから、指導者が命じることには何でも従う。成文化された法など無視すればよい」という態度です。

EU憲法の根幹をなす特徴は全会一致の原則であり、軍事支出や戦争権限についてはすべての加盟国に拒否権が認められていました。しかし、ハンガリーやチェコ共和国が「待ってくれ、我々にはロシアと戦争をする余裕などないし、ロシア産石油が不可欠だ」と異を唱え、ウクライナ側がハンガリーへ石油を供給していたパイプラインを爆破して危機を引き起こした際にも、欧州は事実上ルールを棚上げにしてしまいました。彼らはもはやNATOの規範すら形骸化させているのです。欧州の主要首脳陣(マクロン、メルツ、スターマー)が対ウクライナ支援や安全保障政策をめぐって結束をアピールした動きについては、[Macron, Merz, Starmer and Zelenskyy Hold Historic Press](https://www.youtube.com/watch?v=1QcRXY10JjQ) の共同記者会見映像で、対話内で言及された欧州首脳陣の対露強硬路線と政策の一致ぶりを確認できます。NATOを支えてきた決定的な建前は、「もし一国が外部から攻撃された場合、全員でその国を守る」というものでした。ところが今や彼らは、「もし攻撃してきたのがウクライナのように我々のお気に入りの国であり、攻撃されたのが我々の気に入らない国であるなら、助けはしない」と言い放っています。

つまり、右派・金融化された新自由主義国家でない限り、どの欧州諸国であれ、ウクライナや米国、あるいは誰からでも思いのままに攻撃されてよいという話になってしまっています。しかし、EUとは本来そのような存在ではなかったはずです。NATOの補助機関として新自由主義的な分断を押し付ける国家連合などではなかったはずなのです。そして現在、EUの外交指導部とNATOは、ハンガリーやチェコ共和国といった「ロシアから攻撃されてもいないのに、ただロシアと戦うためだけに自国の経済成長を犠牲にしたくはない」と主張する加盟国に対して、いわば「合法的な内戦」を仕掛けています。「すべては神話であり、あなた方は作り話で塗り固めている。これはすべて虚構であり、『裸の王様』だ。現実を見れば、我々は安価なロシア産石油とガスを手に入れ、工業製品の輸出先としてロシアを有益な市場とすることで、極めて順調にやってきたのだ。そこには健全な循環があった。それをあなた方は打ち切った。単にあなた方が個人的・民族的にロシア人を憎悪しており、『ロシア人やスラヴ人は遺伝的に人類より劣っている』という昔のナチスの発想を復活させたからにすぎない。我々はそんな遺伝的劣等性など信じない。忌まわしい考えだ」と。

現実に世界銀行やあらゆる第三者機関の報告を見ても、ウクライナは北半球で最も腐敗した国家と評価されていました。それにもかかわらず、米国はイスラエルを「守るべき民主主義」と呼ぶのと同様に、ウクライナをも「我々が戦って守るべき民主主義」だと主張しています。そして今や、彼らが戦って守ろうとする第3の「偉大な民主主義」はシリアのアルカイダです。米国が専制政治から世界や同盟国を守るために掲げているこの「3つの民主主義」をよく見てみてください。そのすべてが、人種差別的な民族浄化に関与している勢力です。この事実が、世界がいかに引き裂かれつつあるかを雄弁に物語っています。いずれにせよ、欧州に関する問いへの答えは長くなりましたが、欧州の指導者たちは「第二次世界大戦で勝つべき国が間違っていた。もう一度大戦をやり直し、今度はドイツが勝つ番だ」と腹を括ったようなものです。言葉を補えば、メルツ首相の演説の真意とはまさに「今度こそドイツが対露戦争に勝利する」ということなのです。狂気の沙汰ですが、それが我々の同盟国の姿です。対露戦争において、ドイツはフランスとともに、米国の「陸の空母」――あるいは今や「原爆空母」――と化しているのです。

ロビンソン・エアハルト: ウクライナにおける人種差別や民族浄化についてのお話に、改めて強い衝撃を受けています。私自身、イスラエルとパレスチナの問題については専門家ではないものの、書籍を読み込み専用のエピソードを何度か作ってきたため基礎的な理解はあります。しかし、ロシアとウクライナに関してはそこまで掘り下げたことがありませんでした。開戦当初、プーチン大統領の動機の一つとして「ウクライナ国内のロシア語話者に対する迫害がある」と報じられていたのは覚えています。ただ、当時の私の認識では……

マイケル・ハドソン: 迫害どころか、殺人、大量虐殺、アパートへの爆撃、破壊、そして公然たる虐殺でした。

ロビンソン・エアハルト: 当時私が耳にしていたのは、「それは誇張された主張であり、実際には事実ではなく、プーチンが領土を併合するための口実にすぎない」という見解でした。ですから、先生からそれが「まさに厳然たる事実だった」と伺うのは非常に興味深いです。

マイケル・ハドソン: ゼレンスキーの演説を読んでみてください。ラブロフ外相の演説でも、その経緯が一つひとつ事細かに語られています。公の場でのあらゆるロシア語書籍の焼却、ロシア人作曲家による音楽の演奏禁止、ロシアの劇作家による劇の上演禁止――これらすべては極めて詳細に記録され、立証されている事実です。

ロビンソン・エアハルト: なるほど、私自身がもっと勉強する口実として、このテーマでも特集回を設ける必要がありそうですね。ところで先ほどのお話の中で、「欧州が自らの憲法を軽視する理由として、米国自身が合衆国憲法を無視しているではないか、と指摘している」というニュアンスの言及がありました。私はちょうど今、憲法の講義を履修しているところなので特に興味があるのですが、我々の議論に直結する点として、米国や欧州は自国憲法のどのような条項を無視しているとお考えでしょうか?

マイケル・ハドソン: 米欧双方において最も端的に無視されているのは、合衆国憲法修正第1条が定める「言論・表現の自由」です。ネタニヤフとイスラエルを戦争犯罪人として告発した国際刑事裁判所(ICC)の裁判官たちや、イスラエルの蛮行に関する報告書をまとめた国連特別報告者に対して、米国が何をしたかを見てみてください。米国はICCの裁判官や国連報告者の米国への入国を禁じ、米国内にある彼らの全資産を凍結し、クレジットカードの利用すら停止させました。米国は彼らに対して個人的な全面戦争を仕掛け、「国際司法機関や国連の人間であれ、米国を批判する政策をとるならば私生活を地獄に変えてやる」と脅しをつけているのです。そこには言論の自由など微塵もありません。直近でも、スイスの優れた元軍事情報機関将校で歴史家のジャック・ボード(Jacques Baud)に対する弾圧が行われました。彼の全財産は事実上凍結され、インターネットからも締め出されています。また英国では、パレスチナに対するイスラエルの政策を批判したり、ロシア系住民に対するウクライナの政策を批判する公の演説を行うこと自体が「犯罪化」されつつあります。米国においても、表現の自由の犯罪化が猛烈な勢いで進んでいるのです。欧州からEU、米国、そして英国に至るまで、まさにこうした憲法上の基本原則がことごとく蔑ろにされています。数日前に私が「Democracy Collaborative」に寄寄稿した記事でも、国連の特別報告者や裁判官に対する攻撃を通じて、米国が禁止・侵害してきた国際法や合衆国憲法のあらゆる条項について詳述しました。

ロビンソン・エアハルト: 脱線や脇道のお話にも丁寧にお付き合いいただきありがとうございます。それでは、第一次世界大戦から現在に至る米国の軌跡へと話を戻しましょう。このおよそ1世紀の間で、世界における米国の経済的・地政学的な覇権が「絶頂期(アペックス)」を迎えたのは、具体的にいつだったとお考えですか?

マイケル・ハドソン: その絶頂期とは、欧州に対し「問題の核心は私有財産と債務にある」と信じ込ませることに成功した瞬間でした。欧州の対米政府債務がもし返済されないとすれば、それは「私有財産制度に対する脅威」であり「社会主義」である、と刷り込んだのです。その結果、欧州各国がファシズムの台頭を招くような経済崩壊を回避するために講じたあらゆる経済的延命措置は、ことごとく「社会主義」のレッテルを貼られました。これは、中南米諸国が輸入に頼るのをやめ、自国で食料を生産して貿易自給を達成しようとしたあらゆる試みが「社会主義」と決めつけられたのとまったく同じ構図です。政府による公的投資そのもの、価格統制、独占禁止の動きなど、あらゆる政策が「自由市場に対する干渉」として悪魔化されていきました。彼らの言う「自由市場」とは、金利生活者(ランティエ)による搾取を規制するルールがなく、独占レントを阻むルールもなく、地代に課税して富を回収するルールも存在しない市場を意味します。しかし本来、アダム・スミスからジョン・スチュアート・ミル、『共産党宣言』、アンド19世紀のリベラルな運動全般に至るまで、古典派が掲げた「自由市場」の核心とは、「レントシーキング(不労所得的利潤)から自由な市場」「寄生地主から自由な市場」「独占から自由な市場」だったはずです。

経済学の語彙体系そのものが完全に変質させられてしまいました。米国の政策の頂点とは、「経済が実際にどのように発展してきたのか」「欧米がいかにして自国の産業化に成功したのか」という歴史の真実を覆い隠す、新たな「架空のナラティブ」を作り上げた点にあります。最初の対談でも触れましたが、まるでマーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンがタイムマシンに乗って古代シュメールやエジプトへ行き、そこで自由市場を作ったことで通貨や利子、ひいては文明全体が生まれたかのように、文明の起源そのものが書き換えられてしまったのです。もしサッチャーやミルトン・フリードマンがメソポタミア、バビロニア、エジプトの王たちの顧問を務めていたとしたら、人類の文明などそもそも誕生し得なかったでしょう。

ロビンソン・エアハルト: 例えば今後1〜2週間、あるいは数か月の間にイランで具体的に何が起きるかといった、現在進行形の事態の結末を細かく予測するのは非常に難しいと思います。しかし、過去100年ほどにわたる米国、ロシア、欧州の軌跡を振り返ってきたことを踏まえると、経済構造をめぐるこの世界的な対立は、今日、アンドこれから数年から数十年のスパンでどのように帰結していくとお考えでしょうか?

マイケル・ハドソン: ドナルド・トランプはこの1週間で「この戦争は4週間で終わる」と豪語しました。しかし、4週間で終わるはずがありません。西欧やその他の石油消費国に「経済恐慌」をもたらす段階に達するまで、この戦争は泥沼化して続くでしょう。もちろん、どの国にも石油の備蓄があります。米国には巨大な石油備蓄があり、欧州にもあります。欧州は目先の経済崩壊を防ぐために備蓄を取り崩すでしょうから、即座の破綻を回避するための一定の猶予期間はあるでしょう。経済の即時崩壊は、ロシア嫌悪(ルソフォビア)を掲げる現政権が選挙で失脚することを意味するからです。しかし現実として、1980年代以降に西側諸国が突き進んできた「金融化の軌跡全体」が、いよいよ音を立てて崩壊しようとしています。それは極端な二極化をもたらす道でした。西欧や米国における富の成長の果実は、上位1%の最富裕層、せいぜい上位10%の層にほぼ独占され、残る90%の人々は貧困化の一途を辿っています。何かが根本から崩壊せざるを得ません。そして皮肉なことに、今の欧米には、これに歯止めをかけられるような本物の「左派」はもはや存在しないのです。

まさにそこなのです。左派にはもはや、かつて社会主義の根幹をなしていた「価値、価格、レント(地代・不労所得)」の理論に基づくイデオロギーが存在しません。生活費や事業コストを最小限に抑え、そこで生まれた経済的余剰を自国の実体的な成長資金に充てるために、いかにして「価格」を「実際のコスト価値」に見合った水準へ引き下げるか――そうした問題意識は綺麗さっぱり失われてしまいました。したがって今後起こることは、政府を成長の調整役・エンジンとして活用する中国などの国々がますます前進する一方で、新自由主義を掲げて政府の介入を敵視し、経済計画の主導権を政府部門から金融部門へと丸投げした欧米諸国が立ち遅れていくという構図です。結果として、金融化された西側諸国は、よりバランスの取れた官民混合経済を維持し結束を強めるアジア諸国やロシアと比べて、ますます二極化し貧困化していくことになります。そして、その焦点となるのが「中国、ロシア、イラン」の三国です。BRICSの他の加盟国がどう動くかを完全に見通すことは困難です。というのも、今のところBRICSには共通の明確なイデオロギーが存在しないからです。世界の他の国々は、まるで「成長の目的は何なのか」「政府の役割とは何なのか」、さらには「この冷戦の目的は何なのか」といった確たる経済理論的枠組みを持たないまま、場当たり的かつアドホックに対応しているように見えます。

米国がイランとの戦争を通じて何を達成しようとしているのかといえば、シリア、イラク、リビアを破壊したのと同様に、イランを解体してズタズタにすること以外にありません。中東はリビアやシリアのように、アルカイダやイスラエルが手を組んで支配する無法地帯と化すのか、それとも自立への道を歩むのかという分岐点にあります。サウジアラビアをはじめとするアラブ諸国は「米国が我々を守ってくれると約束したからこそ、米国に巨額の資金を還流させ、全資産を米国に投資してきたではないか。それなのに米国は守ってくれなかったではないか。見ろ、イランは我々のガス輸出設備を破壊し、油井を爆破し、思いのままに打撃を与えている。もはや米欧など当てにできない」と突きつけ始めています。それにもかかわらず、欧州は米国の対イラン攻撃に追随する姿勢を見せています。そのため戦火の拡大という深刻な危機が生じています。もしマクロンやメルツが「今こそモスクワやサンクトペテルブルクに撃ち込め」とばかりに核ミサイルを提供するようなことになれば、ロシアはすでに「ミサイルを製造・提供した国々にも報復する」と明言しています。そしてロシアは、自らの戦いの本質がウクライナにあるのではないと悟っています。ウクライナは単なる戦場、闘技場にすぎません。自らの真の敵は「米国の代理人として振る舞う西欧」であると理解しているのです。欧州からの原爆によって実存的な脅威に晒された場合、プーチンが述べたように「戦争は1日で終わり、欧州という存在そのものが地上から消滅する」ことになるでしょう。

これこそが、現在起きている対立の本質です。今度はイランが反撃しているのと同様に、ロシアも中国も反撃に転じるでしょう。西側諸国が二極化、産業空洞化、アンド経済恐慌へと沈んでいく中で、世界的な戦火が燃え広がりつつあるのです。

ロビンソン・エアハルト: 本日はイランについて多くの時間を割いてきましたが、今後の焦点が「中国、ロシア、イラン」に集約されると先生がおっしゃったことには少々驚かされました。もちろん、中国とロシアは世界秩序における決定的な大国として長年議論されてきましたが、イランがそこまで極めて重要である理由は、現在そこで戦争が起きているからでしょうか? それとも中東のパワーバランスにおける要衝だからか、石油との結びつきゆえか、あるいはもっと大きな何かを象徴しているからなのでしょうか?

マイケル・ハドソン: イランの石油輸出の80%は中国向けです。中国の石油輸入全体に占めるイラン産の割合は5%程度にすぎないとはいえ、他国と同様に中国も中東の石油に依存しています。中国は、中東での戦いが「イランやOPEC諸国からの石油供給を断ち、中国を締め上げるための、米国による石油支配の戦争」であることを完全に理解しています。直近の24時間以内にも、英国がジブラルタル沖で石油を輸送していたロシアのタンカーを拿捕・妨害したという動きがありました。欧州はロシア産タンカーのバルト海へのアクセスを遮断し、他国がロシア産石油を輸入できないようにすると息巻いています。これらすべては、中国を経済的に窒息させるための包囲網です。脱炭素エネルギーの開発で世界をリードしているとはいえ、産業を動かすために石油を必要としている中国にとって、石油へのアクセスを断たれることは致命的な打撃になります。だからこそ中国にはイランが必要なのです。アンド、新疆ウイグル自治区でテロを引き起こすために利用されているアルカイダや凶暴なワッハーブ派の過激主義に対抗するための防波堤としても、イランを必要としています。シリアやウクライナでは、新疆ウイグル自治区を中国から切り離そうとする反中勢力の訓練すら行われてきました。

したがって、ウクライナやイランでの戦いは、中国の国家的一体性(領土保全)に直結しています。米国の狙いは、イスラム系テロ、米国のテロ、イスラエルのテロ、ウクライナのテロをすべて結託させ、ロシア、中国、イランを解体してバラバラにすることにあるからです。これは米欧および西側の政策が抱える純然たる「破壊的本質」であり、それが中国にこの争いを世界大戦規模の対立として捉えざるを得なくさせています。ですから、あなたの質問に対する答えは「石油、軍事、大局的な構図、そのすべて」です。問題の核心は、各国が主権に基づき自国の国益に沿って行動する「経済的主権の自由」を維持できるのか、それとも米国がテロ的手法を用いてそれを阻止することに成功するのか、という点にあります。

ロビンソン・エアハルト: 本日最後の質問になります。1年ほど前、先生と私、そしてリチャード・ウルフ教授を交えて対談を行いました。私自身、ウルフ教授とは「アメリカ帝国とその衰退」について幾度となく議論を重ねてきたのですが、先生は今後、アメリカ帝国がどのような道を辿ると見ていらっしゃいますか? 急速な衰退の道を転がり落ちているのでしょうか? 5年後、10年後、15年後の世界はどうなっているとお考えですか?

マイケル・ハドソン: すでにアメリカ帝国は、第二次世界大戦後に取っていた戦略とは正反対のものへと変質してしまいました。昨年12月に発表された国家安全保障戦略がまさにそのことを物語っています。米国はもはや「国家主権を尊重する国際法」に自らの拠って立つ基盤を置いていません。剥き出しの「アメリカの絶対的支配権」を主張しているだけです。この変質こそが、かつて強大な工業力と金融力によって米国が帝国を築くことを可能にした「肯定的・建設的な基盤」が、もはや完全に失われてしまったことの証左です。したがって、現在の米国に残された力とは「他国に混乱とカオスを引き起こす能力」だけになってしまったと言えます。しかし、そのような手法が長期的な解決策になり得ないことは明白です。いずれ他国はこう考えるようになります。「このカオスを回避したい。混乱を防ぐためには、自分たちの力で行動しなければならない」と。そして彼らが取る手段とは、米国と直接戦争をすることでも、欧州と戦うことでもありません。ただ「デカップリング(切り離し)」を進めることです。「あなた方はあなた方の道を行け。我々は我々の道を行く」と。

ロシア、中国、イランを孤立させようとした米国の目論見とは裏腹に、最終的に孤立するのは「グローバル・マジョリティ(世界の大半の国々)」から切り離された米国自身になります。世界の大多数から自らを切り離し、手元に残されたのが、ロシアに対する冷戦的な制裁に巻き込んで自ら貧困化させてしまった西欧だけになったとき、米国の経済規模は縮小の一途を辿るしかありません。経済が縮小すれば、他国から富を吸い上げることで世界規模の軍事展開を維持してきたその能力も完全に終焉を迎えます。帝国とは元来、富を「朝貢(トリビュート)」として吸い上げることで成立するものです。しかし、他国にカオスをもたらすと脅迫する以外に朝貢を巻き上げる手段を失ってしまった米国に対し、諸国は可能な限り急速にデカップリングを図ろうとしています。だからこそ、ドイツのメルツや英国のスターマーが中国へ足を運び、欧州諸国が「我々は賭ける馬を間違えたのではないか」と動揺し始めているのです。

ロビンソン・エアハルト: マイケル先生、いつものことながら、今回も非常に深く刺激的なお話を伺えて本当に光栄でした。本日はご出演いただき、誠にありがとうございました。

マイケル・ハドソン: 実に広範にわたる充実した対談でしたね。呼んでくれてありがとう、ロビンソン。これら多岐にわたる複雑な糸を、一つの包括的な体系として結びつけることができて何よりでした。

まとめ:本人も言っている通り、現在の状況についてはやや薄弱ですね。人間ですから限界はある。