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2013年9月1日日曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説7

構造はまだ解析中なので一旦お休み。
画風についての解説である。

細田監督は富山出身である。
おとなりの石川県能登の出身の画家が、
長谷川等伯である。




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg/1024px-Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg

図は「松林図屏風」と言って、百済観音とならんで「国宝中の国宝」と位置づけられている作品である。ちなにみ言えば、百済観音も、絵画と彫刻という違いはあれど、松林図屏風のように柔らかく、瞹瞹たる表現で人気があるから、これらは日本人の根源的な好みを反映しているのではないかと思われる。


元来日本は降水量に恵まれた風土だが、北陸の石川、富山のあたりは、四季を問わず特に湿気が多い。湿気が多い環境のなかから生まれた画家が、古くは長谷川等伯であり、あたらしくは細田守である。

例えばジブリの作品が、線をくっきりと書き、濃く、強く、立体的であるのに比較して、細田は線を細く、淡く、柔らかく描く。その背後には、明快に長谷川等伯の美意識がある。


あるいは黒澤との比較では、黒澤はレンズの絞りをギリギリまで絞り込んで、近くから遠くまでピントが合った(被写界深度が深い)、シャープな画像を好んだ。そのため画面は密度が高く、劇的だが、時として少々どぎつすぎる傾向もある。対して細田のは、構図感覚は黒澤に近いが、被写界深度は浅めである。構図による遠近法より、空気により遠近法を好む。全てを明快に見せようとはせず、あいまいな暗示によって悟らせようとする。


以上をまとめれば細田は、黒澤、宮崎よりもより湿潤であり、より日本的と言える作風を持つ。そしてそれはおそらく、北陸の風土と北陸の文化の伝統が根底にあると思われるのである。


2013年8月16日金曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説6

例えば3セット取り出して考えてみる

母が吐くと父は鳥をとってくる
息子が吐くと姉はさぎを取ってくる

父(狼姿)は鳥を獲ろうとして川に落ちて死ぬ
息子(狼姿)は鳥を獲ろうとして川で死にかかる

父と花のアパートには燕の巣
息子の家出の前に燕の巣が倒壊

以上3セットは
1、鳥が狼の命の象徴であること
2、鳥に去られた時、狼の命運が尽きること
3、鳥の巣つくられた時点で母と狼族の生活が始まり、
なくなった時点で生活が終わること
を表現しようとしている。

言うまでもなく神道では、鳥居、つまり鳥の止まる木を、
聖なる境界としている。
鳥居は日本および照葉樹林帯特有の習慣だから、
日本および照葉樹林帯に住む人々を表現したのが、狼族である。
では鳥を獲らないでも生活出来る母親の花はなにか。
狼族ではにない。つまり日本人および照葉樹林帯の人間ではない。
私の考えでは阿弥陀如来だが、あるいは他に解があるのかもしれない。

2013年8月15日木曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説5

おおかみこどもの雨と雪は、
実はストーリーらしきストーリーがほとんど無い、
極端に薄い物語である。
12年以上に渡る長きを2時間で、駆け足で通り過ぎる。
だから話は薄くなって当然である。
通常ならばバラバラになるその薄さをつなぎとめる留糸が、
対句的表現である。いや厳密には対句ではないのだが、
説明が難しいのでまずはざっと見ていただきたい。

父は桃缶を妊娠中の妻に食べさせる
息子は桃を狐の先生に献上

母が吐くと父は鳥をとってくる
息子が吐くと姉はさぎを取ってくる

父(狼姿)は鳥を獲ろうとして川に落ちて死ぬ
息子(狼姿)は鳥を獲ろうとして川で死にかかる

父と花のアパートには燕の巣
息子の家出の前に燕の巣が倒壊

息子に脱脂綿で乳を含ませる
草平くんの耳の傷には脱脂綿がテーピングされている

娘が吐いて母(花)は獣医か小児科か迷う
息子は吐いて狼はいやだと言う

娘が落としそうななったビンを母はナイスキャッチする
韮崎家から木酢液のペットボトルをもらう

娘が倒しそうになったタンス(四角い箱)を母はからくも支える
韮崎家から冷蔵庫(四角い箱)をもらう

娘の先生(草平くん)に母が差し出すのは緑のジュース
息子の先生(狐)に母が差し出すのはピンクの桃

娘は子供の頃緑の離乳食を食べている
娘の先生は緑のジュース

雪は草平からみかんとパン(丸いものと平らなもの)をもらい 
花はきつねに桃と油揚げ(丸いものと平らなもの)を出す

雨が狐の先生に連れてゆかれた岩沢から見る湖には雲が映っている
花の駐車場の水たまりには雲が映っている

他にもあるだろうが、発見できたのは以上である。

2013年8月12日月曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説4

細田を初めて見たのはサマーウオーズ、つぎに時をかける少女、つぎにオマツリ男爵、その後おおかみこどもだったのだが、率直な感触は「これはモンスターだな」だった。おそらく彼は、今までみた映画のシーンをほとんど覚えている。つまり映画的演出の引き出しが圧倒的に多い。
私も高校2年と3年だけは、見た映画のシーンをかなり覚えられた。見終わった映画のシーンを目をつぶって再度上映するのである。20分程度の早回しで。当時昼食代を削ってレンタルビデオを借りて見ていて、それはそれは必死でみていたから、思い出せた。それを細田は、数十年続けている感触が、画面から伝わってくる。これは映画オタを一時期でもやった人間はほぼ全員感じられる部分だと思う。アニメ関係者も映画関係者も、おそらく似たような印象を持っているはずである。
くわえてポニョの不発があったから、これはてっきり王座交代かとおもっていたのだが、今回の風立ちぬで宮崎王朝は当面維持されることになった。
レオナルドとミケランジェロ、あるいはドストエフスキーとトルストイのような、素晴らしいライバル芸術家が切磋琢磨する姿を見れるとは、言葉にできぬほど良い時代であるし、なんぼ日本がポテンシャルが高い国であったとしても、流石に今が文化の絶頂期で、今後は少々ダラ下がりになるのではないかと思われる。
いずれにせよ、風立ちぬや、おおかみこどもに対する批判を口にする前にまず心がけておかなければならないのは、これは「マタイ受難曲」や「カラマーゾフの兄弟」に匹敵するような大芸術であって、必然として難解な部分を持つ、ということである。難解である以上最初になすべきは批評ではなく解析であり、解析が終了後批評が可能になる。通常の映画と同じような態度で批評しても、全く無効なのである。

おおかみこどもの雨と雪・解説3

細田守は美大で油絵を学んだ人間である。
他に西洋絵画を十分に学習した映画監督といえば、著名なところでは黒澤明が居る。
一般に黒澤の後継者は宮崎駿、宮崎の後継者が細田守というふうに言われているが、西洋絵画の教養という意味では、黒澤と細田が近く、宮崎はやや遠い。
試しに音を消して鑑賞するとよくわかるのだが、黒澤も細田も、西洋絵画、とくにルネサンス絵画の特徴である三角形構図を多用する。

両者は荒事と和事、別の領域の作家だが、音を消した映像から受ける印象は、大変良く似ているのである。一度試していただきたい。宮崎の動く画像での独創性は素晴らしいが、静止画としては実は、ややガチャガチャしているのである。

おおかみこどもの雨と雪・解説2

おおかみこどもの構成要素として
浄土真宗以外には、
南総里見八犬伝が考えられる。

手元にある設定資料を見ると、
雪の男子クラスメイトとして、
信道、忠与、仁、礼儀と名前がある。
仁・義・礼・智・忠・信は八犬伝に出てくる玉の名前である。

女子の名前は、
信乃、荘子、毛野であるが、
犬塚信乃、犬川荘助、犬坂毛野、
いずれも八犬伝の登場人物である。
人間と犬が交わる物語だから、
八犬伝を参照するには自然ななりゆきである。

八犬伝を参照して浄土真宗を歌い上げる。
過去の物語を参照する際に、
ふつうのひとはひとつの物語を引用する。
複数の物語をドッキングして使えるのは、
相当高度な力量の持ち主である。
細田守はまぎれもなく、後者である。

おおかみこどもの雨と雪・解説1

新しい文化のうち優れたものは必ず、
その国の文化の古層をなにがしかのカタチで反映している。
日本のアニメは発展を続け、古層を十分に反映できるようになった

ヤマトやガンダムは、
漢籍、中国の文芸を基礎にしている。
ヤマトのモチーフは、
目的地到達の物語という意味で、西遊記そのままである。
ガンダムにはシャアという魅力的な悪役が登場するが、
三国志の曹操によく似たキャラクターである。
戦争なくなったら物語の終わりだから、
未来永劫戦争続ける物語である。

宮崎駿は漢籍ではなく、神道の人である。
もののけ姫、あるいはトトロ。
トトロの基本モチーフは、
母に死に別れて泣くスサノオ(メイ)と、
それに困るさつき(アマテラス)である。
母のイザナミは病院にいるが、これは黄泉の国という意味であろう

押井守は仏教である。
自我はあるのか、無いのか、
輪廻転生から解脱できるのか、出来ないのか。
仏教の中でも、上部座仏教である。

大乗仏教に基づいたアニメは、私は見たことが無かったが、
おおかみこどもついに登場した。

作中の母親「花」は、人間の姿をしているが、実は阿弥陀如来である。
作中の狼は、人間である。
如来・人間という関係を、ワンランク下げて、
人間・狼という関係で表現している。

雨は結局、仏の道を選ばず畜生道に生きることに決めた。
それでもなお阿弥陀様はその生き方を認めてくれて、
遠くから狼の声に耳を傾けて下さる。

「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや狼おや」

弥陀の本願信ずべし、である