その後の3本の戯曲の産みの親
チェーホフ「かもめ」の初演は、物凄い失敗だった。作者は絶望して、二度と戯曲は書かないと言い出した。しかし。初演から2年後再演の機会が来た。演出したのはスタニスラフスキーという演出家だった。
スタニスラフスキーの解釈を、実はチェーホフは気に入らなかった。正直スタニスラフスキーは、内容がよく理解できなかったのだと思う。でも演出家としての実力はあった。結果は大成功だった。だから、「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」が生まれた。演出方針を作者本人が気に入ろうと気に入るまいと、やはり成功は大事である。だいたい責任はこんなわかりにくい作品を書いた作者にある。どう演出されようと、文句を言える筋合いなどない。
と、わざわざ書くのは、私の「かもめ」解釈に無駄に引きずられる俳優、演出家が出ることを恐れているからである。私は一応解釈した。しかしそれを採用するかどうかは演者の勝手であり、演者は、他の俳優、演出、客層などを考慮して、とにかく舞台を成功させなければならない。舞台を成功させる責任は、作品を作者の意図通りに再現する責任よりも優先される。「かもめ」上演史がそれを証明している。
メソッド演技法
スタニスラフスキーの開発したスタニスラフスキー・システム、通称メソッド演技法は、演劇の実践方法として画期的なものだった。こちら参照いただきたい。
スタニスラフスキー・システム
スタニスラフスキーの弟子がアメリカに渡り、その弟子がリー・ストラスバーグである。
彼が「アクターズ・スタジオ」を立ち上げ、弟子は
マーロン・ブランド、
アル・パチーノ、
ロバート・デ・ニーロ
などである。つまり、「ゴッドファーザー」シリーズは事実上、スタニスラフスキーの孫弟子、ひ孫弟子たちの作品なのである。演劇史という観点からすれば、チェーホフよりもスタニスラフスキーのほうが重い存在である。
日本におけるスタニスラフスキー・システム
日本でもスタニスラフスキー・システムを勉強する人は居た。1944年創設の俳優座では、システムを勉強したようだ。俳優座に所属していたのが東野英治郎である。今日水戸黄門の演者として知られている。
彼の俳優座の後輩が、風車の弥七を演じた。中谷一郎である。つまり水戸黄門も、最深のベースにはスタニスラフスキー・システムがある。が、それはベースであって全体ではない。wiki中谷一郎の項目に驚くべき証言が書いてあった。転記する。
(水戸黄門が)なぜ続いているかについて「レギュラーとして出演する俳優は芝居をするな」と東野からアドバイスされたからだと明かしている。
中谷によると、最初は試行錯誤の連続だったこともあって東野らレギュラー俳優も芝居をしていたが、第3部辺りになると東野が「長く続けるには芝居ばっかりしていたら飽きられる」とレギュラー俳優にアドバイスしていた。その結果、定番の印籠シーンが生まれた。~(中略)~東野は『水戸黄門』をライフワークにすると決めていた。定番シーンをやるべきだとアドバイスしていたため、東野はかなり先を見ていたことになる。
ちなみに中谷は、東野が芝居をしない代わりに考え付いたものが、有名な「カッカッカッカッ……」という高笑いであると明かしている。
日本において、当時もっとも先進的であった演技メソッドを積極的に取り入れた人物が、局面によっては演技を捨て、他の俳優にも芝居をするなとアドバイスする。おそらく彼は、深刻で複雑な「水戸黄門」も容易に作れたはずである。しかしそれを捨てた。捨てて「芝居をしないドラマ」を作り上げた。
私も東洋人、日本人のはしくれだから、チェーホフよりも、スタニスラフスキーよりも、東野英治郎が一番凄いと思ってしまう。中島敦の「名人伝」の世界が、そこにはある。