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2013年10月21日月曜日
千と千尋の神隠し 考察7
この映画の中心主題は、
通貨である。
通貨映画、貨幣映画という、
大変ユニークな内容である。
千尋の父と母は、
財布もあるしカードもあると言いながら無断で飲食し豚になる。
ハクの本名は琥珀であり、
古代における宝石はすなわち貨幣である。
オクサレサマは本物の砂金を産する河の神であった。
カオナシは不換紙幣印刷機であったし、
その落ち着きどころは中央銀行であった。
このような宮崎の経済観、貨幣観は、
はっきりアンチリフレの立場によるものである。
アベノミクスの成功を見ればわかるとおり、
経済論としてはまったき間違いである。
それはここでは論じない。
内容的に経済書であれば容易に反論可能なものであったが、
物語の出来が良すぎた。あまりにも良すぎた。
千尋の成長物語と、
小さな祠の中の物語と、
壮大な文明論、
そして貨幣と経済の物語、
4つ重ね合わされたら、
かなりの文学オタでも太刀打ち出来ない力を持ってしまう。
(通常重ね合わせは二つである)
加えて美しい絵と、壮麗なオーケストレーションである。
圧倒的な説得力である。
実社会に生きる人間としては、
正直困ったものだなあと思う。
スタジオジブリさんならお金は有り余っていると思うが、
普通の市民はデフレのままでは、
経済活動なんかできやしないのである。
しかしだからと言って、この作品が良くないという気はさらさら無い。
宮崎監督を非難する気もまったく無い。
説明してきたように、大変密度高く設計された、
まれに見る充実した物語である。
カラマーゾフ的な文明論映画と言ってさしつかえない。
それに、「川と再会する」という、
やさしい、心ゆたかなお話を、
つくる監督も偉いですし、
その映画を支持して、
歴代最高観客動員を計上させる国民も、たいしたものです。
細かい分析は、つくるサイドの人間や、
私のような分析オタに任せればよろしくて、
大事なのは直感的に作品の魂を感じられる心でして、
この映画を評価できるような、
良い心、美しい心を持った日本人、日本社会に頼もしさを覚えます。
だから映画ファンとしては、万人に繰り返し見ていただきたい作品です。
「ただし、経済観だけはちょっと注意して」
と言いたいですね。
「なぜなら、物語の作り方があまりにも素晴らしいから、
経済観まで洗脳されかねないから」
2013年10月17日木曜日
千と千尋の神隠し 考察6
ある程度物語の説明が終わったところで、
中心題材になる通貨政策について述べなければならない。
カオナシのしていることはなにか。
紙幣の発行である。
カオナシの出す砂金は、インチキ砂金であり、
魔法が溶けると土に戻ってしまう。
しかし、振りかえって考えれば、
私達の今日使用している紙幣も、インチキ砂金である。
金はなにも含まれていない。
ただの紙である。
歴史的に見れば、昔は違った。
金そのものが通貨だった。
やがて金貨が通貨になった。
交換、決裁手段が金地金から、貨幣状のカタチになることによって実は、
使用する金の量は減る。
その代わり、例えば金貨の表面にローマ皇帝の肖像が刻印される。
王権で、通貨の価値の一部を肩代わりするのである。
社会の持つ一定量の金地金で、よりおおくの通貨を手にしたい、
言い換えればより多くの商取引を実行したい、
社会がそう望んだのである。
だってそうでしょ、通貨が少なければ、通貨が人々の手に渡らず、
そもそも商業取引が開始しないでしょ。
やがて金貨のかわりに、紙幣になった。
初期の紙幣は、金兌換であった。
銀行に持ってゆけば、紙幣に書いてある量の金と交換してくれた。
この方式だと、金貨以上に通貨の量を増やせる。
発行してる紙幣に相当する金全てを保持している必要はない。
1/10、1/100、あるいはもっと少なくても良い。
いっぺんにみんなが金地金を持ちたいとは考えないのである。
商業取引には紙幣のほうが便利だし、
取引は日々行われるものだから。
これは国家主権で、通貨の価値の一部を肩代わりするのである。
同じ量の金地金があるならば、
この兌換紙幣のほうが、はるかにたくさん通貨の量を増やせる。
言い換えれば、はるかにたくさん商取引の量を増やせる。
だってそうでしょ、通貨が少なければ、通貨が人々の手に渡らず、
そもそも商業取引が開始しないでしょ。
やがて、兌換紙幣のかわりに不換紙幣になった。
銀行に行っても金に変えてくれない。
ただの紙である。
これは国家主権で、通貨の価値の全部を受け持つのである。
発行できる通貨の量は膨大になる。
なにしろ金を用意しなくてよいのだから。
言い換えれば、商取引を出来るだけ多く増やそうと、
社会が望んだのである。
だってそうでしょ、通貨が少なければ、通貨が人々の手に渡らず、
そもそも商業取引が開始しないでしょ。
そのかわり、むやみに増刷しまくると、
貨幣の価値が下がってインフレになる。
だから中央銀行制度、つまり紙幣発行局を、
政府と少々距離をもたせる、というシステムで運営している。
それでも通貨を無限に発行する能力があることは変わらない。
特にデフレ局面においては。
とここまでは貨幣の歴史の基礎知識である。
そんなわけでカオナシは、
金貨製造機ではなく、兌換紙幣製造機でもなく、
不換紙幣(つまり今日私達が使用している通貨)の印刷機なのである。
そして、カオナシは最終的に銭婆婆のところに落ち着く。
銭婆婆はその名の通り、銭の人であるから、中央銀行である。
千尋とハクが銭婆婆と分かれる際に、
銭婆婆はカオナシに、
「あんたはここに残りなさい、私を手伝っておくれ」というが、
大人向けの表現をするならば、
「政府そのものが紙幣増刷するのはまずい。
なぜならばどうしても過度の増刷になるから、バブルが発生して、
カエルが飲み込まれたり、食品を無駄にしたり、色々と不具合になる。
あくまで政府とは距離を置いた中央銀行の権限としての増刷活動に制限したい。」
という意味になる。
2013年10月13日日曜日
千と千尋の神隠し 考察5
のろいと虫と印鑑について、
おそらく多くの人々が理解できなかったのではないかと思う。
1、銭婆は苦しんでいるハクを見て、
「この龍はもう助からない。ハンコには盗んだものが死ぬように呪いをかけてある」という。
2、ハクが悶絶していると釜爺が「なにかが命を食い荒らしている」と言う。
3、吐き出した印鑑と虫を見て釜爺が「これだ」と言う。
4、印鑑についている虫を千尋は踏み潰す
5、千尋が銭婆のところに印鑑を返しにいって、ハクを助けてくれるよう頼むと宣言
6、銭婆に印鑑を返した時、「守りのまじないが消えているね」と言われ、ハッと気づいて
「あの虫踏みつぶしました」と言う。すると銭婆は笑って、
「其の虫は妹が弟子を操るために龍の腹に忍び込ました虫だ」と言う。
さてここで質問。
ハクを苦しめていたのはなんなのだろうか。
呪いか?虫か?
状況を整理してみよう。
1、ハクは印鑑を盗む前から虫を忍び込まされていたはずである。
それによって顔色が悪くなったりしたかもしれないが、致命的ではなかった。
2、ハクは印鑑を盗んで死の呪いを受け、悶絶して苦しんでいた。
3、千尋のくれた苦団子を飲んで、印鑑と虫を同時に吐き出した。
4、虫は千尋に踏み潰された。
つまり、死の呪いを最終的に受けたのは、千尋が踏みつぶした虫である。
湯婆婆がハクのお腹に忍び込ませた虫である。
苦団子は
銭婆婆の呪いを、湯婆婆の虫に転嫁させた。
河の神の霊力と千尋のひとふみによって、
ハクは
湯婆婆の支配の呪縛からも、
銭婆婆の死の呪いからも、開放されたのである。
もっとも虫は呪いをうけているから、
千尋に踏まれなくてもどうせ死んでしまう運命なのだが。
ちなみにハクの盗んだ印鑑は、
元来契約の書き直しに使用されるものである。
絵コンテではそのように記載されている。
契約を結ぶ主体は湯婆婆であるから、
湯婆婆と銭婆婆で、
契約の締結と契約の書き直しを、
役割分担していると考えて良い。
ちょうど司法立法行政の三権分立のように、
あるいは政府と中央銀行の役割分担のように。
そう、湯婆婆とは冥界の政府であり、銭婆婆は冥界の中央銀行である。
だから銭婆婆と名前がついている。
湯婆婆は王のように、政府のように、従業員を大量に使ってる。
銭婆婆は従業員は居ないが、湯婆婆にまさるとも劣らない魔力を持っている。
湯婆婆は銭婆婆の権力を簒奪しようとハクに盗みをさせたが、
それはあえなく失敗した。
この二人は、劇中語られているように、
「二人で一人前」である。
千尋が門の前でみた石人のように、
一つの像に、顔が二つあるのである。
と、そろそろ本題に入りそうだが、次回に続く。
おそらく多くの人々が理解できなかったのではないかと思う。
1、銭婆は苦しんでいるハクを見て、
「この龍はもう助からない。ハンコには盗んだものが死ぬように呪いをかけてある」という。
2、ハクが悶絶していると釜爺が「なにかが命を食い荒らしている」と言う。
3、吐き出した印鑑と虫を見て釜爺が「これだ」と言う。
4、印鑑についている虫を千尋は踏み潰す
5、千尋が銭婆のところに印鑑を返しにいって、ハクを助けてくれるよう頼むと宣言
6、銭婆に印鑑を返した時、「守りのまじないが消えているね」と言われ、ハッと気づいて
「あの虫踏みつぶしました」と言う。すると銭婆は笑って、
「其の虫は妹が弟子を操るために龍の腹に忍び込ました虫だ」と言う。
さてここで質問。
ハクを苦しめていたのはなんなのだろうか。
呪いか?虫か?
状況を整理してみよう。
1、ハクは印鑑を盗む前から虫を忍び込まされていたはずである。
それによって顔色が悪くなったりしたかもしれないが、致命的ではなかった。
2、ハクは印鑑を盗んで死の呪いを受け、悶絶して苦しんでいた。
3、千尋のくれた苦団子を飲んで、印鑑と虫を同時に吐き出した。
4、虫は千尋に踏み潰された。
つまり、死の呪いを最終的に受けたのは、千尋が踏みつぶした虫である。
湯婆婆がハクのお腹に忍び込ませた虫である。
苦団子は
銭婆婆の呪いを、湯婆婆の虫に転嫁させた。
河の神の霊力と千尋のひとふみによって、
ハクは
湯婆婆の支配の呪縛からも、
銭婆婆の死の呪いからも、開放されたのである。
もっとも虫は呪いをうけているから、
千尋に踏まれなくてもどうせ死んでしまう運命なのだが。
ちなみにハクの盗んだ印鑑は、
元来契約の書き直しに使用されるものである。
絵コンテではそのように記載されている。
契約を結ぶ主体は湯婆婆であるから、
湯婆婆と銭婆婆で、
契約の締結と契約の書き直しを、
役割分担していると考えて良い。
ちょうど司法立法行政の三権分立のように、
あるいは政府と中央銀行の役割分担のように。
そう、湯婆婆とは冥界の政府であり、銭婆婆は冥界の中央銀行である。
だから銭婆婆と名前がついている。
湯婆婆は王のように、政府のように、従業員を大量に使ってる。
銭婆婆は従業員は居ないが、湯婆婆にまさるとも劣らない魔力を持っている。
湯婆婆は銭婆婆の権力を簒奪しようとハクに盗みをさせたが、
それはあえなく失敗した。
この二人は、劇中語られているように、
「二人で一人前」である。
千尋が門の前でみた石人のように、
一つの像に、顔が二つあるのである。
と、そろそろ本題に入りそうだが、次回に続く。
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