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2014年4月3日木曜日

タルコフスキー「鏡」・解読7

主人公の少年時代の思いでのシーン、
隣に居る少年が、回れ右の号令に反抗して、
360度回転するシーンがある。

これは、革命とは回転することであるから、
結局元に戻る、という意味である。
明快な反革命、反体制思想である。
しかしストレートには表明できないから、このような表現になった。

ちなみに、この少年は主人公でもなければイグナートでもない。
顔も違うし、服も違う。
服の違いはこのややこしい映画を読み解く重要要素であって、
タルコフスキーは服への配慮が大変素晴らしく、
整合的である。

主人公の少年時代の演技と、
主人公の子ども(イグナート)の演技は、
一人の少年が担当しているが、
イグナートの場合には、格子柄のシャツの上にセーターを着ている。
別の場面ではそのうえにジャンパーをはおり、頭に帽子を載せているが、
格子のシャツということは変わらない。

冒頭のテレビをつける少年も、格子のシャツであることから、
イグナートであるとわかる。


レオナルドの画集を開くシーンが2回ある。
両方とも主人公の少年時代である。
服の衿を見ればわかる。両方共コートを着ている。
うち一回はイグナートのシーンに近接しているので間違いやすいが、
主人公と見るのが妥当である。

オープニングクレジット終了直後、
美しい田舎の風景のシーン、
母はワンピースの上にカーディガンをひっかけている。
ところで作中、ワンピースのみのシーンもあり(子どもの水浴び)、
カーディガンをひっかけるシーン(主人公の寝起き)もある。
時系列ぐじゃぐじゃだが、
再現してワンピースのみ→ひっかける→冒頭のシーン
と並べ替えて理解するのが正しい。

タランティーノの「パルプ・フィクション」みたいなもんである。


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2014年3月28日金曜日

タルコフスキー「鏡」・解読6

作中見たこともない中年おばさんが、
老人のメイドを従えて、
突然主人公の留守宅に登場し、
イグナートにノートを朗読するように言う。

そこには前回述べた、
ロシアがキリスト教文明を救った、云々が書いてあるのだが、
注目すべきはこのあばさんのコップである。

非常に奇妙な形をしたコップで、
卵の上1/4を切り取ったような形をして、
ガラスのような足が付いている。
表面には精巧に美しい装飾が加えられている。

これも象徴的に表現されているのだが、
ロシアで卵といえば、イースターエッグである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/インペリアル・イースター・エッグ

これほどまでに美しい装飾が加えられている以上、
このおばさんはロシア皇帝、ないし皇帝のごとくロシア全体を考える意思を持った存在、
という意味である。
だから老女にお茶を入れさせる。
偉い人なのである。

その偉い人が、
作品の最期あたりで、
病臥している主人公の枕元でぼやく。
「息子がこんなでは、お母さんはどうなるの?」
ロシア皇帝が心配するほどのお母さん、
となるとここで言う「母」はロシアの大地そのものであろう。
おばさんは、ロシアの精神、ロシアの大地の運命に思いを馳せているのである。

参考
http://yomitoki2.blogspot.com/2013/08/2_20.html



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2014年3月27日木曜日

タルコフスキー「鏡」・解読5

タルコフスキーの映画が一見難解に見えるのは、
本人がガチガチのキリスト教大好き人間であったのに、
当時のソ連ではそれがストレートに表現出来ない環境であったからである。


惑星ソラリスおよびストーカーは、
人間の内面の願望をすべてかなえる神が存在するとして、
それに触れた人間の戸惑いと煩悶を描いたものである。

サクリファイスは、
最終シーンが「父と子と精霊」の三位一体教義を、
映像化したものになっている。

ノスタルジアはちょっと異例で、望郷と信仰がぐっちゃになっている。
細かく解析すればキリスト教的なところは色々出てくるだろうが。


鏡もそうで、

「疑いもなく
教会の分裂は欧州からロシアを引き離した
欧州を揺るがした出来事に我々は関与していない

しかしロシアにはロシアの使命があった
その広大な大地は蒙古の侵入を飲み込んだ
タタール人は西の国境を越えようとはせず
やがて退いた
かくしてキリスト教文明は救われたのだ

その使命のため
ロシアは特異な在り方を強いられ故に
他のキリスト教国とは
全く異なるキリスト教世界を形成した」

というセリフもあるくらい、それくらい
徹頭徹尾宗教的なのである。

そのような映画で、小鳥が飛ぶシーンが出てきた場合、
(三位一体教義の精霊は通常鳩で描かれるので)
これは精霊を表しているかもしれない、と思うのが鑑賞の基本である。

となると失踪した父とはなにか。
ロシアから信仰が失われたことを表現しているのではないか。



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