1600年の日本の人口は、
1200万~2200万くらいと推定されている。
キリシタン人口は75万あったのではないかと、推定されている。
(いずれも論拠不確か)
少なく見積もって3%くらいはキリシタンだった。
今日日本の人口1億2000万
クリスチャン人口、多く見積もって1%の120万である。
江戸時代より前のキリスト教布教は成功し、
明治以降のキリスト教不況は失敗した。
その間になにがあったか。
識字化である。
江戸時代、侍以下多くの人々が、
読み書きそろばんをマスターした。
寺子屋が全国に広がった。
それでなにがおこったか。
物語の充実である。
文字の読み書きをすれば、
抽象思考能力が高まり、
物語咀嚼能力が高まる。
高まった能力は、対象を求める。
識字化により物語需要が増大した。
そして需要あれば供給があるものである。
江戸以前の物語、
記紀、源氏、平家、太平記も人々に広がったし、
新たに多くの物語が製作された。
代表的なものは、たとえば忠臣蔵、近松の心中物、八犬伝。
最後のものは中国の水滸伝がもとだが、
前二者はオリジナルである。
ここで前二者がいずれも主人公が死ぬ話であるということを覚えておいていただきたい。
かくて日本では、物語に充足した。
あらたに物語群を加える必要性がなくなった。
明治維新後、バイブルという物語の流布が再開されても、
すでに市場に余地はほとんど無かったのである。
東アジアでもっともクリスチャンの比率の多いのは、
1にフィリピン、2に韓国
いずれも自前の物語群の脆弱な国である。
これをもってしても日本の江戸期の物語の充実が、
(ひらかなの読みやすさからの流布力とあいまって)
相当な水準だったことが見て取れる。
そして明治以降も物語の生産は続いた。
円朝、漱石、鴎外、龍之介以下、連綿と続く。
物語を生産するのは作家に限らない。
溝口、小津、黒澤も膨大な数の物語を生産してきた。
宮崎駿はその最たるものであり、
影響力という観点ではおそらく、
一人で明治以降のすべての作家、映画作家の合算に匹敵するだろう。
では日本史上過去最大の物語作家は誰か。
私見では、大西瀧次郎である。
神風特攻隊の創始者である。
大西は文筆家でも映像作家でもなかったが、
軍事技術と、
膨大な予算と、
多くの若者の命と、
自分自身の命さえつぎ込んで、物語を作った。
「この戦争は勝てぬかもしれぬ。
ここで青年が起たなければ、日本は滅びますよ。
しかし、青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」
大西は知っていた。
国家、国民というものは、観念的、抽象的な存在であり、
物語によって作られ、維持されるものであり、
最高のシーン、最高の設備、最高の出演者をそろえれば、
最高の物語が描け、それが未来永劫受け継がれてゆくことを。
この物語、なにしろかけたコストが桁違いである。
これ以上の大作のクランクインは、今後数百年は不可能であろう。
その上江戸期の物語、
忠臣蔵(切腹するために戦闘する)、
心中物(死に向かう道が美しく描かれる)の価値観を十分踏まえ、
楠、真田のような歴史上の事件も背景として持つ。
戦況不利という必要に迫られたとはいえ、
なんとも上手に物語を作ったものである。
伝統的にみても、市場のニーズ的にみても、
最強の物語が出来上がってしまった。
この特攻隊の物語を、以降便宜上「大西物語」と呼ぶ。
戦後、この大西物語にいくつもの疑問が呈されてきた。
最低の作戦だ、犬死だ、無駄な死だ。
おしゃれで、スマートで、理論的には正しい意見である。
しかし当然ながらそれらの言説は、
大西物語ほどの予算をつぎ込めなかった。
今日で言えば、ハリウッド超大作と、自家撮り料理動画のYoutubeにアップくらいの、
絶望的なコストの差がある。
いくら頭をひねっても、
それだけ予算に差があれば、視聴者への説得力という点では勝負にならない。
だからいずれもそれを覆すほどの力は無く、
時が経つにつれ大西物語の力はますます大きくなってとどまるところを知らない。
あしたのジョー、ヤマト、ガンダム、スラムダンク、永遠のZero、
なぜそれらの物語が「泣ける」のか。
大西物語だからである。
大西を除けば明治以降最大の作家と言える宮崎駿も、
大西物語の手のひらの上にいる。
「ここが玉座ですって?
ここは墓場よ、あなたと私の。
あなたは外に出ることも出来ずに私といっしょにここで死ぬの」
大人しそうな少女の骨の髄まで、
特攻精神は浸透しているのである。
実際に特攻隊をアニメに登場させて、
それが引退作品なのである。
おそらく私たち日本人は、
この物語から抜け出せまい。
これ以上にコストがかかる作品が、製作不能だからである。
「青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」
まったくそのとおり。
滅びないといっても良いし、滅ぼせないといっても良い。
滅ぼすためには大西物語より説得力のある物語の製作が必要である。
当然大西物語以上の製作コストをかけなければならない。
そのコストの最低ラインは、
主演級俳優の死亡1万人以上、
一般出演者死亡300万人、
原爆2発を含む全国焦土化、
物語製作者は完成時に切腹。
ページ
2013年12月12日木曜日
2013年11月1日金曜日
千と千尋の神隠し 考察9
とりあえずこれで千と千尋の分析は終わりである。
大変緻密に組み立てられていることがご理解いただけたと思う。
これだけ緻密ならば、それは過去最高の観客動員も当然だ、という気がしてくる。
ということはつまり、
これほど緻密に構成された映画は過去に無かった、とも言えそうである。
ということはつまり、
構成の緻密さを基準にするならば、過去最高の映画とも言えそうである。
最後に簡単にまとめてみた。
早わかり一覧表である。
大変緻密に組み立てられていることがご理解いただけたと思う。
これだけ緻密ならば、それは過去最高の観客動員も当然だ、という気がしてくる。
ということはつまり、
これほど緻密に構成された映画は過去に無かった、とも言えそうである。
ということはつまり、
構成の緻密さを基準にするならば、過去最高の映画とも言えそうである。
最後に簡単にまとめてみた。
早わかり一覧表である。
2013年10月28日月曜日
千と千尋の神隠し 考察8
追加である。
電車についての考察も必要である。
電車に初めて接するのは、
鳥居の中、劇中では赤い門の中、
お母さんが千尋に、電車の音がしていると伝えるときである。
次には飲食店ブロックから湯屋ブロックに渡る橋の上、
千尋は電車を見下ろして、ハクに注意される。
この時カメラワークが少々混乱というか、わかりにくくなっており間違えやすいのだが、
詳細に見てみると電車は飲食店ブロックから出ているのがわかる。
出てきた電車は湯屋ブロックにはいらず、向かって左脇を通る。
そして千尋が乗る駅は湯屋ブロックから少し離れた距離にある。
電車に乗ってみると、
「めめ」という積み荷が置いてある。
「めめ」とは飲食店ブロック最初のお店であり、
店には「めめ」「目」「生あります」などど不気味な文言が並んでいる。
湯屋および飲食店の商品は、
一部菜園で生産されるほかはよそから運び込まれるほか無いわけで、
「めめ」という商品はこの電車で運ばれてきた、
湯屋や飲食店ブロックに売ったあと、
一部売れ残りが千尋の乗った電車に載せられていた、とかんがえられる。
あるいは飲食店ブロックで調達された「めめ」が、
電車でほかの場所に運ばれている、でも良い。
いずれにせよ電車は商品を運ぶ手段であり、
実際に上の棚から荷物をおろす動きの描写がある。
神々が船で移動しているのは、
物語の最初で明示される。
お客は船で、では電車はなにを運ぶのか。
電車に乗っている黒い人は、
おそらく行商人、神々を支える存在なのであろう。
交易は元来、西のものを東に、東のものを西に移動させる行為である。
双方向的なものである。
劇中の交易は、電車は一方通行である。
不完全な交易である。
そして釜爺は言う。
「昔は帰りがあったんだが」
一方通行になった原因はなにか。
状況は物語の冒頭に示される。
鳥居に隣接してほこらがあり、
ほこらに隣接して大樹がある。
大樹の先端は、おそらく落雷であろうか、
折れてしまっている。
落雷で枝が折れた時期と、
電車が一方通行になった時期は、一致するはずである。
光合成は不十分になり、
この樹は地下から水分と養分を吸い上げるだけの存在になった。
そして電車は沼地を通る。
維管束の中を養分が流れる様が、
電車として描かれる。
それが宮崎の考える現代文明の姿である。
光合成の能力を失い、
大地の養分を浪費しているだけの存在。
振り返って全体の構成を考えてみよう。
この物語ははっきり、3部分に分割できる。
千尋が異世界に迷い込み、湯婆婆と契約するまでの部分。
湯屋で働き、功績と失敗をする部分。
電車に乗って銭婆婆のところに行く部分。
3部分がきれいに冒頭で表示される
最初の部分を象徴するのが赤い門=鳥居であり、
次の部分を象徴するのが湯屋=小さな石の祠であり、
最後の部分を象徴するのが、電車の走る沼沢地=先の折れた大木
かえすがえすも、
物語の始まり方の上手い作家である。
電車についての考察も必要である。
電車に初めて接するのは、
鳥居の中、劇中では赤い門の中、
お母さんが千尋に、電車の音がしていると伝えるときである。
次には飲食店ブロックから湯屋ブロックに渡る橋の上、
千尋は電車を見下ろして、ハクに注意される。
この時カメラワークが少々混乱というか、わかりにくくなっており間違えやすいのだが、
詳細に見てみると電車は飲食店ブロックから出ているのがわかる。
出てきた電車は湯屋ブロックにはいらず、向かって左脇を通る。
そして千尋が乗る駅は湯屋ブロックから少し離れた距離にある。
電車に乗ってみると、
「めめ」という積み荷が置いてある。
「めめ」とは飲食店ブロック最初のお店であり、
店には「めめ」「目」「生あります」などど不気味な文言が並んでいる。
湯屋および飲食店の商品は、
一部菜園で生産されるほかはよそから運び込まれるほか無いわけで、
「めめ」という商品はこの電車で運ばれてきた、
湯屋や飲食店ブロックに売ったあと、
一部売れ残りが千尋の乗った電車に載せられていた、とかんがえられる。
あるいは飲食店ブロックで調達された「めめ」が、
電車でほかの場所に運ばれている、でも良い。
いずれにせよ電車は商品を運ぶ手段であり、
実際に上の棚から荷物をおろす動きの描写がある。
神々が船で移動しているのは、
物語の最初で明示される。
お客は船で、では電車はなにを運ぶのか。
電車に乗っている黒い人は、
おそらく行商人、神々を支える存在なのであろう。
交易は元来、西のものを東に、東のものを西に移動させる行為である。
双方向的なものである。
劇中の交易は、電車は一方通行である。
不完全な交易である。
そして釜爺は言う。
「昔は帰りがあったんだが」
一方通行になった原因はなにか。
状況は物語の冒頭に示される。
鳥居に隣接してほこらがあり、
ほこらに隣接して大樹がある。
大樹の先端は、おそらく落雷であろうか、
折れてしまっている。
落雷で枝が折れた時期と、
電車が一方通行になった時期は、一致するはずである。
光合成は不十分になり、
この樹は地下から水分と養分を吸い上げるだけの存在になった。
そして電車は沼地を通る。
維管束の中を養分が流れる様が、
電車として描かれる。
それが宮崎の考える現代文明の姿である。
光合成の能力を失い、
大地の養分を浪費しているだけの存在。
振り返って全体の構成を考えてみよう。
この物語ははっきり、3部分に分割できる。
千尋が異世界に迷い込み、湯婆婆と契約するまでの部分。
湯屋で働き、功績と失敗をする部分。
電車に乗って銭婆婆のところに行く部分。
3部分がきれいに冒頭で表示される
最初の部分を象徴するのが赤い門=鳥居であり、
次の部分を象徴するのが湯屋=小さな石の祠であり、
最後の部分を象徴するのが、電車の走る沼沢地=先の折れた大木
かえすがえすも、
物語の始まり方の上手い作家である。
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