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2014年4月20日日曜日

タルコフスキー「鏡」・解読9

さてダンテの「神曲」からの影響というか引用は、
「鏡」のそこかしこに見て取れる。
その最大のものは、3という数字である。
ダンテの神曲は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9B%B2
3行詩の連続の形態である。

以下Wikiより引用

『神曲』は、
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)

の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、
各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。

また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。
各行は11音節から成り、3行が一まとまりとなって、三行連句の脚韻が aba bcb cdc と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。
各歌の末尾のみ3+1行で、 xyx yzy z という韻によって締めくくられる。
したがって、各歌は3n+1行から成る。このように、『神曲』は細部から全体の構成まで作品の隅々において、聖なる数「3」が貫かれており、幾何学的構成美を見せている。
ダンテはローマカトリックの教義、「三位一体」についての神学を文学的表現として昇華しようと企図した。
すなわち、聖数「3」と完全数「10」を基調として、 1,3,9(32),10(32+1),100(102,33×3+1) の数字を『神曲』全体に行き渡らせることで「三位一体」を作品全体で体現したのである。

引用終わり


映画の冒頭を思い出してほしい。
最初にイグナートがテレビをつける。
次のシーンはモノクロで、高校生の吃音の治療。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


にあるように、女医の言葉と高校生の言葉が「鏡」になっているが、
同時に3という数字が象徴的に登場するシーンである。

少年はまず女医の眉間を見て、前に倒れる。
女医が後頭部に手を当てると、後ろに倒れる。
次に手を緊張させる。

3である。

手を緊張させた状態で女医は言う。
「3つ数えると緊張は解け、話せるようになる」

そして「1,2,3」
緊張は解け、どもらず話せるようになった状態で、
オープニングクレジットに移動。


以上はオープニングでの「3」の使用である。

「千と千尋の神隠し」の考察

をご覧いただきたいのだが、
(全てではないが)すぐれた作品の多くは、
冒頭部分に作品全体の本質を提示する。
タルコフスキーもここで、
「鏡」という側面と
同時に3、つまり「神曲」の後継作品であるという側面を、
効率的に提示している。


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2014年4月9日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読8

作中文学作品に関することが5回語られる。
うち4回はロシア文学である。

1、冒頭の棚に母が座っていたシーン。
チエホフの「6号室」が話題になる。

「6号室」は、チエホフの短編で、
精神科の医者が患者と仲良く知的な会話をしてしまい、
次第に「頭が狂った」とみなされ、病室に入れられて死ぬ、
という話である。
母にちょっかいをかけた医者は、
「植物にも記憶がある」ということを言ったりしたので、
母に頭を疑われる。
「あなた、ちょっと」
「いや大丈夫、私は医者だ」
「6号室は?」
「あれはチエホフの作り話だ」


2、母が印刷工場で非難されるシーン。
「悪霊」のマリア・チモフェーブナそっくりと言われる。
「悪霊」はロシアに革命をおこそうとした人々の動きを描写した小説である。
マリアは頭の狂った女性であるが、
狂人ゆえに正しいことを発言してしまう癖がある。

「6号室」、「悪霊」
ともに
「狂っているが正しいことを言う」
「正しいことを言う人が狂っているとみなされる」
という意味では共通している。

3、前述のプーシキンの手紙。

4、主人公が妻と語る2回のシーンの内、
後半のモノクロバージョン
「名前はドストエフスキーか?」
という。
これは嫌味で言っているので、特に意味はないと思われる。
ただし、ドストエフスキーは反体制運動をしていた人であり、
主人公はその場面で、
「われわれもブルジョア化したか」と、
当時の体制的な言葉で語っている。
かなり強い非難の声であるのと同時に、
主人公が(同様のシーンのカラーバージョンと異なって)、
体制的態度を持っていることが示されている。


5、印刷所でのシーン。
非難された母がシャワー室に逃げ込む。
非難した女上司はシャワー室を空けようとして、あけられず、
諦めてどこか楽しそうに立ち去る。
その際口にする言葉が、
「人生半ばにして我暗き森に迷い」である。

これはダンテの「神曲」地獄編の冒頭のセリフであり、
少し文学を知っているものなら誰でも思い出すセリフである。

宮崎駿「風立ちぬ」の、
主人公とカプローニが出会う平原が、
ダンテ「神曲」の煉獄をイメージしていると、
鈴木Pが言っていた。
つまりタルコフスキー「鏡」と宮崎駿「鏡」は、
ダンテの神曲という意味で共通している。

思い起こしていただきたいのだが、
まず「鏡」作中のモノクロの沼地のシーンは、
「腐海」を渡るシーンであった。
ナウシカの「腐海」を連想させずにはおれない。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/03/1.html

そして「風立ちぬ」作中で「ピラミッド」という言葉が出てくるが、
まさに同じ用法でピラミッドという言葉が、
タルコフスキー「ノスタルジア」作中で出てくる。

そして「風立ちぬ」、というより宮崎駿自身が、
どれほどタフコフスキーから影響を受けているか指し示す「風」の映像がある。
以下リンクをクリックいただきたい。
映像小さくて見にくいが、
風に草が揺れる様を見ていただきたい。



「鏡」1分50秒から





「風立ちぬ」の風のシーン、それ以上に、震災のシーンに酷似しているのが理解できるだろう。


タルコフスキーが黒澤明から大きく影響を受けているのは、
有名な話である。

黒澤もタルコフスキーから大きく影響を受けている。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_3.html

宮崎駿は黒澤明から大きく影響を受けている。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_7236.html


そして「神曲」「腐海」「ピラミッド」「風」から明らかなように、
宮崎はタルコフスキーからも大きく影響を受けているのである。
特に「風立ちぬ」は最も影響を受けた作品と言えるのではないか。





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2014年4月7日月曜日

アジア情勢


アバウトな表である。
一人当たりGDPはWikiから拾ってきたのだが、
人口の推計はどこから引っ張ってきたのか忘れた。
おそらく相当間違っているが、調べなおすの面倒くさいのでこのまま。

今後のことを考えるご参考としてご覧いただきたい。

2050年までのアジアの人口推計と現在の一人当たりGDP


1、北朝鮮はさすがに貧しい
2、旧大日本帝国領で戦後アメリカについたところ(台湾と韓国)はほぼ同じ発展
3、シンガポール、ブルネイのリッチさは目につく。ただし後背地の無い都市国家。
4、インドネシア、フィリピン、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオス、がほぼ同じ貧しさ
5、タイは中国と同じレベルの豊かさ。だからタイでも中国でも暴動が絶えない。(台湾、韓国も昔はもっと激しかった)
6、中国の人口は2030年ころ頭打ち。東南アジアは最低でも2050まで増え続ける。
ただし既に発展しているタイとシンガポールは頭打ちになる。


これらのことから以上のことがだいたい言えるのではないか。

1、中国の軍事的脅威は、とりあえず2030年ごろ、つまりこれから15年程度がヤマ。それ以降は圧迫が若干弱まる。
2、東南アジア全般、今が所得が低すぎるので伸びる余地が膨大にある。
3、フィリピンの経済成長さえ確保できれば、対中国軍事脅威は大幅に削減可能。
現状、フィリピン、ベトアムの経済力が低すぎ、
軍事量も低いので中国の拡張を誘発させている。
現在の所得高から考えて、フィリピンの経済成長はさほど難しいことではない。
4、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーは、中心のタイに引っ張られて発展してゆくだろう。
治安さえ維持できれば、わりと放置でよいかもしれない。ただしここでも中国軍進出は怖い。


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