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2026年10月7日水曜日

リチャード・ウルフとマイケル・ハドソンによるカール・マルクスと西洋の没落

 https://youtu.be/r6Ovguv1BSA?si=s2QXQ5w5NEJ7aVIl 

の日本語訳 


 全体のまとめ

本ソース(マイケル・ハドソン教授およびリチャード・ウォルフ教授へのインタビュー対談)は、資本主義の歴史的発展とその構造的限界、マルクス主義および古典派政治経済学の本質、アメリカ帝国の衰退メカニズム、そして現代世界における金融資本主義の行き詰まりとBRICSの台頭について多角的に解明した記録である。

1. 資本主義の約束と現実の乖離:資本主義は初期に「自由・平等・友愛・民主主義」を約束したが、現実に生じたのは著しい不平等と蔓延する貧困であり、マルクスは資本主義そのものが自らの理想の阻害要因となっていることを看破した。
2. アメリカ学術界における知の封殺:冷戦期以降のアメリカ高等教育では、「資本主義」や「マルクス」という言葉自体が強いタブーとされ、制度的・思想的排除が行われてきた。ハドソンとウォルフの両名は個人の歴史的背景や私的な指導(チュートリアル)を通じて古典派政治経済学とマルクス主義を修めてきた。
3. 実務におけるマルクス理論の有効性:ハドソンはウォール街(チェース・マンハッタン銀行)で、ウォルフは大学教育でマルクス『資本論』の理論(特に第2巻・第3巻の金融論や剰余価値論)を応用し、主流派経済学では解明できない経済・国際収支の構造を正確に予測して高い評価を得ていた。
4. 「国家資本主義」から「職場民主主義」への転換の必要性:ソ連や中国などの社会主義革命は私的所有から国家所有(国家資本主義)への移行を果たしたが、企業内部における「雇用者と被雇用者」の権威主義的支配構造(生産関係)には手を付けなかった。真の社会主義とは職場内部に民主主義を持ち込む(1人1票の共同決定)ことである。
5. 古典派政治経済学の集大成としてのマルクス:マルクスはアダム・スミスやミル、リカードら古典派政治経済学の不労所得(地代・利子・独占レント)排除の理論を統合・発展させた頂点である。これに対し、新古典派経済学は地主や金融階級の利益を守るため、不労所得や搾取の存在自体を否定する反(アンチ)古典派の対抗教義として作られた。
6. メディアと学術機関による検閲と構造的排除:主流派メディアや大学は、金融・債務問題や地代の構造的搾取という経済の本質(聖域)に関する議論を徹底して排除・検閲している。
7. アメリカ帝国の金融化と産業空洞化:1913年の連邦準備制度(FRB)設立以降、アメリカは産業資金の供給から金融セクターによる搾取(LBO、株式買戻し、資産価格吊り上げ)へと舵を切った。医療・教育・住宅の民営化と高コスト化により国内生産力を失い、脱産業化(空洞化)と借金依存を加速させた。
8. GDP統計の歪みと「虚偽意識」:アメリカのGDPには高利の延滞料や独占レント、帰属家賃などが「生産」として計上されており、実体的な生産力を反映しておらず、アメリカ社会は自らの荒廃に気づかない「虚偽意識」に囚われている。
9. 自己破壊的な関税・制裁政策と自滅的孤立:トランプやバイデンの対中関税・制裁政策は19世紀の保護関税と異なり、自国の産業を育成できずインフレとサプライチェーン破壊をもたらす。相手国の報復(レアアースや重要資材の輸出停止)を想定しないアメリカの対外政策は、自らを世界から孤立させている。
10. BRICSの台頭と多極化への不可逆的転換:BRICS諸国は西側の金融・債務支配や資源レント搾取からの脱却を目指し、脱ドル化と自給を進めている。構造的変化を認識できない主流派経済学に対し、ハドソンとウォルフは社会の「瓶の外側(アウトサイダー)」に立つ視座から、文明の分岐と経済の真の運動法則を明示している。

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 第1章 マルクス主義との出会いとアメリカにおける知的タブー

導入  
封建制から資本主義を導き出した人々は、資本主義には「自由・平等・友愛」、そして「民主主義」という贈り物が伴うと約束しました。しかし、若き日のマルクスが生きていたドイツの現実を見渡したとき、彼は基本的に気づくことになります。資本主義が何をもたらしたにせよ、そこに自由・平等・友愛、そして民主主義は含まれていない、と。なぜなら、現実は極めて不平等であり、貧困が蔓延していたからです。マルクスが生きた時代は、ディケンズの小説に描かれているような世界でした。だからこそ彼は「一体何が起きたのか?」と問いかけました。そしてマルクスが出した結論は、「資本主義そのものが自らの障害(足かせ)となっている」というものでした。

マイケルとリックのマルクスとの歴史  
【聞き手】 リックと私はマルクスについて多くの時間を費やして語り合ってきましたが、マイケル、あなたと私はまだそうした話をしたことがありませんでしたね。ですから、まずこの点から始めたいと思います。何か言いたいことがあれば、いつでも割って入ってください。あなたの学問的歩みの中で、マルクスが初めて重要になった、あるいは最初に彼を真剣に捉えるようになったのはいつ頃のことでしたか?

【マイケル】 私が5歳のときです。

【聞き手】 えっ、本当ですか?

【マイケル】 私の父は政治犯でした。私はミネアポリスで育ったのですが、そこは当時、世界で唯一のトロツキストの都市でした。父はそこの労働組合の指導者の一人で、ミネアポリスがトラック運転手組合のストライキの中心地だった頃、ストライキの機関紙を編集し、私が生まれる直前にはメキシコでトロツキーと共に働いていました。私が育つ中で家に来ていた人々は、全員が父の社会主義者の仲間たちでした。その多くは父と共に投獄された経験があるか、あるいはヨーロッパから渡ってきてローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトと一緒に活動した人々でした。彼らは、私が幼く自分たちが高齢だったため、誰かにマルクス主義の歴史全体を覚えておいてほしいと、自分たちの経験をすべて私に語って聞かせたがったのです。

ですから、私はマルクス主義とともに育ちました。そして私の指導者であったテレンス・マッカーシーは、マルクスの『剰余価値学説史』を英語に翻訳した最初の人物でした。もっとも、刊行されたのは第1巻だけでした。スターリニストたちが印刷所に押し入り、原版に酸を注いで出版を阻止したからです。なぜなら、ソ連が何よりも恐れていたのは、人々がマルクスの『剰余価値学説史』や国民所得分析を読み、ソ連がやっていることはマルクス経済学とはほとんど何の関係もないと気づいてしまうことだったからです。

私がテレンスに出会ったのは21歳のときでした。彼が私を指導する条件としたのは、『剰余価値学説史』の参考文献に載っているすべての本を読むことでした。そのため、私は古典派経済学の膨大なコレクションを築くことになりました。私の目には、マルクスこそが古典派政治経済学の頂点(集大成)として映りました。そして私が見いだしたのは、人々によるマルクス主義への攻撃とは、実のところアダム・スミス、重農学派(フィジオクラット)、ジョン・スチュアート・ミル、そして価値論について論じたすべての人々に対する攻撃だったということです。彼らにとって価値とは、基本的に労働へと還元される内在的な生産費用でしたが、実際の「価格」は価値をはるかに上回っていました。その差分こそが不労所得であり、地代(土地レント)であり、独占レントであり、金融レントだったのです。

マルクスに対する攻撃は、地主階級や金融階級によって仕掛けられたものでした。特にヨーロッパのオーストリア学派や、米国のJ・B・クラークが代表的です。彼らは「不労所得などというものは存在しない」「経済的レントなど存在しない」「誰もが自ら稼いだものを受け取っているだけであり、搾取など存在しない」と主張しました。しかしマルクスの核心にあるのは、まさに様々な形態の搾取を暴くことでした。リック、こうした話はあなたにはどう響きますか?

【リック】 大変興味深いです。マイケルのそうした背景は知りませんでした。私の生い立ちは少し異なりますが、重なる部分もあります。私の両親はマルクス主義者ではありませんでしたが、ヨーロッパの知識人でした。父はフランス生まれ、母はドイツ生まれです。彼らが大学生として出入りしていたサークルでは、偉大な思想家たちを読むのが当たり前であり、そこには当然マルクスも含まれていました。父や母の恩師たちにとっては、マルクスを学ばないことのほうが極めて奇妙に思えたはずです。

ですから、私がアメリカの大学に入学し、誰もマルクスを研究していないと知ったとき、両親から聞かされていた期待とはあまりにかけ離れていて、自分が非常に奇妙な場所に来てしまったのだと悟りました。子どもの頃、両親は「大学とは文明が前進し、ある世代から次の世代へと受け継がれていく素晴らしい場所だ」と教えてくれていました。私は大学1年生として「教えてほしい、学びたい」という一心で門を叩いたのです。しかし、私は家庭において、大学よりもはるかに広い知的な陶冶(素養)を受けていました。例えば高校時代、高校の授業の質の低さに腹を立てた父から、アリストテレスやプラトンを読めと手渡されたほどです。ちなみに、私が通っていたのは世間的にはかなり優秀な高校だったのですが。

そのため大学に入ると、すぐに周囲との間に明確な対立が生じました。これは先週の木曜日にあなたが私に尋ねてくれたことにもつながるのですが、私はマルクスについてほとんど何も知らない人々から直面を受けることになりました。しかも彼らは、マルクスについて語るとき、頭から蔑み、切り捨てようとするのです。「自分が明らかに知りもしない対象を、即座に否定し切り捨てる」という態度に接したとき、これが一種のタブーなのだと気づくのに天才である必要はありませんでした。そこには触れることができず、ただ強がりで取り繕うしかないのだと。しかし、父から手渡されて以前少し読んでいたマルクスを通じて、私はまさにそうした問題群に強い関心を抱いていたのです。

私はその問いを追求したかったのですが、大学の教員たちはそのことについて私と議論しようとはしませんでした。しかし私は、「学業で優れた成績を収めなければならない」という家庭環境で育てられていました。そこは一切の妥協が許されない絶対条件でした。そのため、私は学部の4年間を教授たちと闘いながら過ごすことになったのです。

もっとも、教授たちと正面から衝突して喧嘩を売ったわけではありません。教授を敬うべきだと教え込まれていましたから、公然と食ってかかるなど論外でした。では実際にどうしたかというと――本当に毎度のことだったのですが――講義が終わると、私は走ったのです。講義室を出るやいなや、図書館へと文字通り全速力で駆け込みました。それは「ワイドナー図書館」と呼ばれる巨大な建物で、そこにはあらゆる文献が揃っていました。私のようなことをしている人間にとっては、まさに最高の場所でした。

私は図書館へ走っていき、教員が講義で述べた主張を論破するために必要な文献を読み漁りました。それは教員から直に受ける教育よりも、はるかに優れた学びとなりました。どんな学生でもそうであるように、極めて強烈な動機づけ(モチベーション)があったからです。教員の誤りを突き崩すために学ばねばならなかった多くの事柄を、私は独学で身につけました。ヘーゲルを読めば分かるとおり、「模倣」が影響を受けるひとつの形であるならば、「反発・対立」もまた影響を受けるもうひとつの形なのです。私はまさにその反発を通じて鍛えられました。

加えて私には――ここでマイケルの話と重なってくるのですが――ある出会いがありました。マサチューセッツ州ケンブリッジ、大学から数ブロックのところに住んでいた人物が、私が大学1年生のときに部屋のドアをノックしてきたのです。見知らぬ人物でした。口ひげを蓄えた小柄な男で、強いドイツ語訛りがありました。父の旧友だったのです。手短にお話しすると――詳細で退屈させるつもりはありませんが――彼はこう言いました。「私は君のお父上に命を救われた。その恩返しとして、君に何か力になりたい。……君はマルクス主義に興味があるかね?」 私は「ええ」と答えつつ、少し不思議に思いました。父の知り合いですし、父から何か聞いていたのかもしれません。「はい、関心があります」と私が言うと、彼は「ドイツ語は話せるかい?」と尋ねました。話せますので「はい」と答えると、その後の会話はすべてドイツ語になりました。

要するに彼は、私が大学に在籍している間、マルクス主義の個人指導(チュートリアル)を受け持とうと申し出てくれたのです。私たちはそれを実行し、読み進めていきました。私が『剰余価値学説史』を初めてドイツ語で読んだのもそのときでした。ご存じのとおり、ドイツ語で「剰余価値」は Mehrwert (メアヴェルト)と言います。ドイツ語の mehr とは単に「より多くの(more)」という意味です。「この話の中には、労働者が手にするもの以上の価値が存在しているのだ」と捉えるほうが、理論の理解としてはるかに明快です。労働者がそれを作り出すのに、労働者の手には渡らない。この考え方が頭に入った瞬間、すべてが氷解します。それこそが剰余の理論だからです。こうして私は、ドイツ語の価値を表す単語とともに Mehrwert としてそれを学びました。

彼をご存じかもしれません。フリッツ・パッペンハイムという名で、ここニューヨークのマンスリー・レビュー社から『現代人の疎外(The Alienation of Modern Man)』という本を出版した人物です。彼が私の個人指導教員となり、マルクス主義の古典を一歩一歩手ほどきしてくれました。それは素晴らしい学びであり、大学生活で得た最高のものでした。世間ではハーバードといえば最高峰(特別な場所)と思われがちですが、実際はそうではありません。当時もそうでしたし、今もそうです。私はキッシンジャーによる国際情勢の解説講義を聴かされる一方で、フリッツ・パッペンハイムからそれとはまったく異なる視点を与えられていました。しかしそれが学問への強い推進力となったのです。

ハーバードを卒業する頃には、自分はマルクス経済学を学びたいと確信していました。しかし周囲を見渡して、当時も今も変わらないひとつの現実に気づきました。アメリカでは、マルクス主義者が経済学の教授などに就くことは「極めて、極めて、極めて稀」にしか許されていないということです。当時もほとんどいませんでした。

ただ、私はニューヨーク近郊で育つ中で、そうした数少ない2人の人物と知り合っていました。雑誌『マンスリー・レビュー』を共同で主宰していたポール・スウィージーとハリー・マグドフです。私が強い関心を示していたため、彼らは一種の恩師のようになってくれており、「よし、それなら」と、スタンフォード大学で教えていたポール・バランを紹介してくれました。そうして私はスタンフォードへ行くことになりました。というのも、ポール・バランは第二次世界大戦の末期、マッカーシズムの猛威が本格化する前に――世の中の巡り合わせとは不思議なものですが――ヘンリー・ウォリックというアメリカの保守派経済学者(マネタリー・インクの関係者)と親しくなっていたのです。2人は友人になり、ウォリックがスタンフォードに職を得た際、同僚たちを説得してポール・バランという極めて優秀な若者を採用させました。そうしてバランは教授陣に加わり、周囲が彼の正体(思想的立場)に気づく前にテニュア(終身在職権)を獲得していたのです。

ですから私は彼のもとで学ぶために進学しました。ハーバード出身で優秀な成績を収めていたというアメリカのエリート主義の恩恵も一部にはありました。先ほども言ったように、私は常にトップクラスの成績を取らねばならなかったのです。

【聞き手】 ご両親の鉄則、移民のメンタリティですね。

【リック】 まさにそうです。

【聞き手】 ちょっと一言挟ませてください。それこそが本物の「移民のメンタリティ」ですよね。普段ニュースで耳にするようなステレオタイプではありません。

【リック】 当然です。移民の子は、落ちこぼれることを何よりも恐れているのです。自分たちの存在価値を何としても証明しなければならない。私は移民の両親の長男でしたから、そのすべてを背負って証明しなければなりませんでした。それは本当に過酷なものでした。心理的にも強い影響を受けますし、支払う代償はあまりに大きいものです。ともあれ、私はスタンフォードへ行きました。大学側は私を熱心に迎え入れてくれ、資金(奨学金)も出してくれました。私には金がありませんでしたから、学業を続けるには常に資金を得る必要があったのです。ところがバランは、私が彼と非常に密接に研究を進めていた1年目の3分の2が過ぎた頃に、あろうことか急逝してしまったのです。

私は彼とスウィージーが共著した『独占資本』の校正刷り(ゲラ)を手伝っていました。これは1960年代から70年代にかけて極めて重要な著作となりました。ところが彼が亡くなり、私はエール大学へ行くことになったのです。まるで冗談のような話です。私はいわば「華麗なエリート教育の看板息子」のような経歴ですが、そこでマルクス主義を学んだわけでは決してありませんでした。それはすべて独学か、あの個人指導教員との勉強か、あるいは私と同じように関心を持つ若い学生仲間と一緒に進めたものでした。互いに協力し合いはしましたが、大学側からは何の支援も得られず、むしろ激しい反発や妨害を受けるばかりでした。

ひとつ例を挙げましょう。いかに世界が変わったかがよく分かる話です。私は東アフリカにおけるイギリスの植民地主義についての博士論文を書きました。提出した際、タイトルには東アフリカにおけるイギリスの「植民地主義(colonialism)」という語が入っていました。すると教授陣は「これを受理することはできない」と言ったのです。私は「何か問題がありましたでしょうか」と尋ねました。「いや、論文自体は素晴らしい。だが、そのタイトルは認められない」 私は彼らを見つめ、「なぜですか?」と聞き返しました。「『植民地主義』というのは、価値中立的な言葉ではないからだ」。

ですから、エール大学の図書館で私の博士論文を検索すると、『イギリス外交政策の経済的側面』という題名になっています。それなら彼らも受け入れられたのです。「植民地主義」はダメでも、それならよかった。そして「資本主義(capitalism)」という言葉そのものが追放されていました。それらの大学のどのカリキュラムでも、資本についての議論を耳にすることはありませんでした。タブーはあまりにも徹底していました。マルクスやマルクス主義者を一切扱わないというだけにとどまりません。マイケルが先ほど挙げた名前――ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトといった人々を思い浮かべてみてください。私はそうした名前をすべて自力で見つけ出し、著作を読み漁りましたが、誰も彼らの本や論文を一冊たりとも手渡してはくれませんでした。

さらに「資本主義」と口にすることすら禁じられていました。その言葉自体が資本主義の批判者たちを連想させるからです。ですから、その言葉を抹殺する方法として、単に口にしない、まるで存在しないかのように振る舞うという手が取られました。「経済体制」と言うのは構いません。「自由市場」と言うのも構いません。しかし「資本主義」と言ってはならなかったのです。今でこそ言えますが、当時は絶対に口にできませんでした。

ともあれ、そうやって私はマルクスへと至りました。なお、客観的な事実として付け加えておくと、私の父は後に「フランクフルト学派」と呼ばれるようになる人々と親しい間柄でした。ですから、私が初めてヨーロッパに戻った際には、マックス・ホルクハイマーのような人たちと接点を持つことができました。皆さんご存じの名前でしょう。しかし、私の人生の大半において、ヨーロッパでマルクス主義に関心を持つということは、すなわちヨーロッパの動向に関心を持つことを意味していました。なぜなら、本場はそこにあったからです。現地へ赴き、文献を読み、それをこちらに持ち帰らねばなりませんでした。現在ではアメリカ独自のマルクス主義が発展しつつあり、これは素晴らしいことです。誰もがいつかはそうなると分かっていましたが、ずいぶん時間がかかりました。初期のマルクス主義は移民とともにもたらされ、その発展の過程全体にその痕跡が刻まれていたのです。

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 第2章 実務と教育におけるマルクス理論の隠密な実践

マルクスなき教育  
【マイケル】 リチャードが学生時代の経験を話してくれましたので、私のほうの経験も補足しておきましょう。私にとってマルクス主義との関わりが頂点に達したのは高校時代、シカゴ大学の実験学校(ラボ・スクール)にいた頃でした。社会科の教師だったカーティス・エディットは、教室の壁に大きな標語を掲げていました。「ローゼンバーグ夫妻が得たものを奴ら全員にくれてやれ(全員死刑にしろ)」というものです。後に分かったことですが、彼が言っていたのは共産主義者ではなくユダヤ人のことでした。ともあれ、私たちの議論の大半は共産主義をめぐるものでした。

そして間もなく、三つ巴の議論が展開するようになりました。彼が右派的な発言をすると、私がそれとは異なる立場を主張し、すると彼が私を「共産主義者」と呼ぶ。ところがクラスにはダニー・ランドーというスターリニストがいて、そのダニー・ランドーは私のことを「ファシスト」と呼ぶわけです。実にややこしい状況で、私は双方から攻撃されていました。しかし当時、私はそのクラスから、後にトロツキストの指導者となる人材を何人も獲得(リクルート)したのです。私の人生の中で、自分だけが中道に立つ「理性の声」であり、周りの誰もが過激派に見えた唯一の時期でした。

父が服役していた際におこなったことのひとつに、レーニンとトロツキーが労働運動の戦術や社会主義について語ったあらゆる言説を、3×5インチのカードに分類して巨大なファイリング・キャビネットにまとめるという作業がありました。私はそれをすべて暗記していました。授業が始まって数カ月もすると、私の仲間の生徒2人が『レーニン全集』を抱えて教室に入り、机の上に積み上げるようになっていました。私が教師に対してある論点を指摘すると、彼は「レーニンがそんなことをどこで言ったのか?」と返してきます。すると私は記憶を頼りに「第何巻の何ページです」と即答し、生徒たちがその箇所を開いて見せるのです。私にはあらゆる主張の論拠があり、すべてに実証的な裏付けがありました。

同級生の一人に、後に一流の調査報道ジャーナリストとなったギャヴィン・マクファディンがいました。私たちは「シカゴ・フィルムズ」という映画制作会社を立ち上げ、BBC向けの映画やニューヨークでの撮影を手がけていました。私は2番街に大きな家を購入していたのですが、現在のような撮影セットを本棚の前に組み、誰の目にも留まらないよう背後にマルクスやヴィルヘルム・ライヒなどの著作を忍ばせておいたものです。カメラには常に同じ面々が映り、その背景にはそれらの本が並んでいる――実に見事なものでした。

その後、私はニューヨークへ行きました。シカゴ大学を卒業した時点では、経済学に進む気など毛頭ありませんでした。私の専攻はドイツ史と文献学(言語学)でした。オーケストラの指揮者、つまり音楽家を目指していたからです。指導教官たちの講義はすべてドイツ語で行われ、ハインリヒ・シェンカーの著作を翻訳したりもしていました。その後ニューヨークへ来てテレンスに出会い、金融・銀行業界へ進むことを決めました。私の専門が国際収支論であったため、幸運にもチェース・マンハッタン銀行に国際収支担当のエコノミストとして職を得ることができたのです。

当時、ウォール街にいた金融エコノミストはごく少数でしたが、私たちは全員マルクス主義者でした。そして自分たちがなぜそうした要職に就けているのか、その理由を自覚していました。私たちは「体制全体が搾取によって成り立っている」という本質を理解していたからです。ビジネススクールに行けば、「搾取などというものは存在せず、誰もが自らの稼得に見合ったものを受け取っている」と教え込まれます。そうした教育を受けた人々は、経済の本質をまったく理解できず、見通しを誤るばかりでした。そのため私たちは組織内で極めて高く評価され、出世していきました。もちろん、雇い主に対してマルクス主義や社会主義的な言葉を口にすることなど一度もありませんでした。私たちは月に一度、マンハッタンの「セウール・ヌードル」という店に集まって情報交換をしていました。

以前にもお話ししたかもしれませんが、よく覚えている場面があります。あるとき私たちは、マルクスが債務の指数関数的な増大について、また産業資本主義の課題はいかに金融を産業化するかにあると論じた『資本論』第3巻について議論していました。私たちは大笑いしながら、「もし私たちがこうして分析を組み立てていると知られたら、一体どうなるだろうな」と話し合ったものです。もちろん、外部には一言も漏らしませんでした。

【リック】 それだけではありません。二つ付け加えさせてください。第一に、周囲から激賞されることが多々あったという点です。マイケルも間違いなく何度も経験したはずです。上司や組織の幹部たちが、彼が書いた報告書や分析を絶賛するわけですが、それが『資本論』第3巻の金融論や商人資本論から引き出された議論の応用にすぎないとは夢にも思っていないのです。誰もその本を読んだことがないため、まったく見当もつかないわけです。

私にも同じ経験があります。ハーバード時代、あの恩師が手助けしてくれて、私は様々なテーマで論文を書きました。率直に言えば、学び始めたばかりの若者による、稚拙なマルクス主義の応用にすぎないものでした。ところが、ことごとく最高評価(A)がついたのです。教授自身が知りもしないし、敬意も払っていないマルクス主義の理論に、自らAをつけている――時代のタブーに囚われた教授のその姿を見て、フリッツと私はいつも大笑いしていました。歴史家たちが、いまだ完全には終わっていないアメリカ史のこの時代を振り返るとき、きっと嘲笑することでしょう。他の分野ではこれほど進歩した文明が、この点に関してはこれほどまでに後進的であり得たのかと、信じがたく思うはずです。冷戦のヒステリーの中で、本を読むことも、考えることも、特定の言葉を使うことすら許されなかったのですから。これほど恐ろしい自己検閲があるでしょうか。それによって傷つけられた無数の人々の存在を抜きにしても、です。しかし皮肉にも、私たちはマルクス主義を実践したことで報酬や評価を得ていました。評価を下す当人たちが、それがマルクス主義であると知らなかったからです。

その後、私たちが教職に就いたときに直面した課題は、「こうした思想をいかにして正規のカリキュラムの中に組み込んでいくか」ということだったのだと思います。私はニューヨークのニュースクール(新社会研究学院)で教授職を提示されました。彼らは自分たちのことを「社会主義的」だと言っていましたが、実際にはそれは誤認であったことが判明しました。というのも、当時の学部長(学科長)がボブ・ハイルブローナーだったからです。私は世界銀行と契約を結んでいたある経済学者に引っ張られて学部に入りました。銅の価格形成についての講演を頼まれたのがきっかけでした。当時、私はおそらくウォール街でも屈指の銅輸出の専門家でした。チェース銀行での私の任務はチリの国際収支を予測することであり、チリの国際収支そのものだった銅の価格を把握していなければならなかったからです。チェースの顧客にはアナコンダ社があり、ケネコット社はシティバンクを使っていました。そのため私は国際収支の構造を極めて明快に説明することができ、彼らは「なるほど、彼はウォール街の人間だ」と考えたわけです。

しかしハイルブローナーにとって、私は単なる「ウォール街のゴロツキ」に映っていました。彼は私の素性や生い立ちを何一つ知らなかったのです。1971年から72年にかけて、私は国民所得会計の講義を担当し、教科書として『剰余価値学説史』を用いました。学生たちは英訳版の残部をすべて買い占めていきました。私は講義でこう問いかけていたのです。「そもそも『国民総生産(GNP)』の実態とは何なのか? 地主は何かを生産しているだろうか? 銀行家は何かを生産しているだろうか? 独占資本家は何かを生産しているだろうか? 彼らは生産システムの外側に位置し、価値を一切生産していない。彼らが手にしているのは経済的レント(地代・利子・独占利潤)であり、それは移転支出(単なる所得の移転)にすぎない。GDPから、実質的にはまったく生産活動ではないそれらの要素を差し引いてみよう。これらは国民所得や生産とは無関係であり、彼らは何も生産していないのだから、実際のGDPははるかに小さなものになるはずだ」と。

ところがハイルブローナーは、ニュースクールを本格的なマルクス主義の牙城にしようと決めたらしく、エール大学からある人物を採用したばかりでした。彼は筋金入りのスターリニストで、帝国主義論を書いていた……ええと、今その名前が思い出せないのですが……。彼はマルクス主義を教え、学生たちにLSDを服用させてから講義を受けさせるような男でした。彼は「何としてもマイケル・ハドソンを追い出さなければならない」と言い出しました。私が『資本論』の第2巻や第3巻について講義していたからです。彼は「資本主義とは資本家が労働者を搾取することのすべてだ。ハドソンの言っているような話は資本主義の本質ではない」と主張したのです。

【リック】 ……スティーヴン・ハイマーのことではありませんか?

【マイケル】 そうです、スティーヴ・ハイマーです! まさにその名前でした。

【リック】 世間の狭さを実感しますね。スティーヴン・ハイマーは、エール大学での私の博士論文審査委員会のメンバーの一人だったのですよ。

【マイケル】 なんと、その話をぜひ聞かせてください。

【リック】 彼はモントリオール出身のカナダ人で、非常に優秀な学生でした。MITに進んで博士号を取得し、そこで大学院生だったスティーヴン・レズニックと親友になったのです。スティーヴン・レズニックと私は長年共同研究をおこなっており、私が出した著作のほとんどはスティーヴ・レズニックとの共著です。ハイマーはエール大学において、私の博士論文の執筆を後押ししてくれた唯一の人物でした。あなたが言ったように、彼もある種のマルクス主義者だったからです。

しかし、私は審査委員会で一緒に仕事をしたので彼を実によく知っているのですが、彼はマルクス主義についてそれほど深く知っていたわけではありませんでした。彼の知識はかなり浅いものでした。ただ、アフリカ研究や植民地主義論に関しては極めて優れており、その分野で多くの業績を残しました。そして彼は、エール大学の中で何かをあえて発言した、あるいは発言する勇気を持っていた唯一の急進派(ラディカル)でした。だからこそ、レズニックや私と同様に、彼も最終的にエール大学から追い出されることになったのです。もっとも、彼がスターリニストだったとしても、それは意図せずそうなっていた(不見識による)だけだと思います。そうした政治的文脈を深く理解していたとは思えません。彼はある種の立場を取ってはいましたが。

当時、エールにはそうした人材はいませんでした。私は現在ニュースクールでも教えていますが、私が「マルクス主義そのもの」を教えることができた唯一の場所は、マサチューセッツ大学(アマースト校)だけでした。あ所で起きた異例の経緯によるものです。彼らはマルクス主義を教えさせるために私を採用してくれました。これは私にとって途方なく幸運なことでした。学生時代に受けていた個人指導(チュートリアル)を、通常の教授職のあり方として継続・発展させることができたからです。つまり、学生時代に築いた基盤の上に立ち、教授・研究者としてそれをさらに展開していくという営みです。マルクス主義を教えることが正式な職務であったため、私はそれを実践することができました。

例えば、学生たちはすべてを学びたがりました。そこで私たちは基礎的な議論が多くなされる『資本論』第1巻からカリキュラムを始めましたが、その後、学生たちからの要望を受けて――私にとって願ってもない喜びでしたが――学期ごとに第2巻、第3巻を交互に教えるようにしました。教条主義(オーソドックス)に陥るためではなく、すでに先人が成し遂げたことを一から車輪の再発明のように繰り返さないために、マルクスが到達した全領域を学生たちに見せるためです。「ここに基礎がある。これを土台にして発展させなさい。あらゆる科学的業績がそうであるように、ここにも未解決の課題や不十分な点、矛盾が存在するのだから、研究を進めよう」と。

しかし、この国(アメリカ)においてその探求は窒息させられてきました。タブーによって完全に断ち切られ、運良く生き残ったごく少数の私たちを除いては、発展させることが不可能だったのです。いま目の前にいる私たちは、まさにそうした一握りの生き残りの2人です。もちろん私たちだけではありませんが、教育の面でも、得られたポストの面でも、私たちはその分析装置を使い続け、発展させることができた幸運な例外だったのです。

マルクス主義と西側世界  
【マイケル】 ええ。ニュースクールの話に戻りますと、ハイルブローナーは学部をマルクス主義化したいと口では言いながら、一方で「経済学において最も無益な議論は、生産的労働と不生産的労働の区別である」と大々的な講演で述べていました。そして当然ながら、その区別こそが私の講義の核心だったのです。彼は単に無知でした。私が『剰余価値学説史』を教科書に使っていたにもかかわらず、私がマルクス主義者であるとは夢にも思わず、「チェース・マンハッタン銀行出身の男」としか見ていませんでした。

当時、私はカトリック教会から全米各地に派遣されていました。教会が私の思想に共鳴し、それを普及させようとしていたからです。私は実際に、産児制限や発展に関する教皇回勅『ポピュロルム・プログレシオ(民族の発展)』の一部を起草しさえしました。飛行機の中で全米カトリック福祉協議会の関係者と乗り合わせ、私はこう話したのです。「人口を食糧供給に合わせて削減できないのであれば、人口に合わせて食糧供給を増やさねばならない。そのためには農地改革が不可欠だ。もし人口削減の議論に向き合うのなら、農地改革を前面に打ち出すべきだ」と。私は多くの司教や大司教、さらには後にバチカンの国務長官(外相)となった枢機卿を説得しました。彼らは私を各地へ送り、解放の神学を推進させたのです。教皇パウロ6世も私の活動を承認し、次の教皇(ヨハネ・パウロ1世)は、食糧の自給と農地改革を基盤とした世界銀行の対抗軸を築くべく、トゥーレーン大学に私が率いる地球経済学アカデミーを設立しようとさえしていました。

まさにその直前のことでした。ハイルブローナーは「ここにカトリック寄りのウォール街出身者がいる。彼を排除して本物のマルクス主義者に替えなければならない」と言い出したのです。しかも「生産的労働と不生産的労働の区別など語らないマルクス主義者」にです。そうして彼は私の代わりに2人を採用しました。一人はアンワル・シャイクで、彼はその後、自らの著作のすべてをまさに生産的労働と不生産的労働の区別の分析に費やすことになりました。もう一人は……あるビジネススクールのアナリストの息子で、以前私も講演をしたことがあるのですが、彼も名前がすぐに出てきません……。ハイルブローナーが亡くなった後、大学は次第に開放的になり、マルクス主義を受け入れるようになって、リチャードのような人物を受け入れられる土壌ができました。

先ほどリチャードが言ったように、彼と私は「典型的なマルクス主義者」ではありません。そして、それこそが肝心な点なのです。一体、他のマルクス主義はどうなってしまったのか? それらはどこへ消え去ったのか? なぜ私たちは、世界全体が資本主義一色だった時代にマルクス主義者として浮いていたのと同じくらい、「マルクス主義」と自称する潮流の中でも浮いた存在になってしまっているのか? これこそが、この対談から浮かび上がってほしい重要な論点です。

そしてこれは西側だけの問題ではありません。私は中国で開催された「第1回世界マルクス主義大会」に主賓講演者の一人として招かれました。北京中に私の名前が書かれたポスターが貼られ、私はそこで『資本論』第3巻について語りました。しかし、その反応は芳しいものではありませんでした。彼らが思い描いていたものとは違っていたのです。私はサーシャ(アレクサンドル・ブズガーリン)とともにマルクス主義研究院の教授に任命されたのですが、彼は私に「中国においてマルクス主義とは『政治』を意味する言葉なのだ」と教えてくれました。「なるほど、そういうことか。中国の特色あるマルクス主義とはそういう意味だったのか」と合点がいきました。

第2回世界マルクス主義大会では、私ではなく、ニューヨーク在住のイギリス人マルクス主義者であるデヴィッド・ハーヴェイが基調講演に招かれました。ハーヴェイは壇上で「マイケル・ハドソンが言っているように、皆さんは『資本論』第3巻を読まなければならない」と訴えました。彼の本は中国全土で驚異的な売れ行きを示していましたが、この発言もまったく歓迎されませんでした。現在中国が直面している不動産融資をめぐる巨大な不動産危機を見れば分かるでしょう。もし彼らが第2巻と第3巻を正しく読んでいれば、こうした事態を完全に回避できたはずなのです。地方都市が不動産開発業者に土地を売却して財源を調達し、民間銀行が不動産価格を吊り上げてバブルを生み出すのを放置するのではなく、土地のすべてに地価税を課していれば防げたはずでした。産業資本主義の歴史的課題とは、そうした不労所得やレントの構造を一掃することにある――それこそがマルクスが論じた核心だったのです。

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 第3章 国家資本主義の限界と職場民主主義という真の社会主義

ロシアでも私は全く同じ問題に突き当たりました。ソ連は経済的レントという概念を理解していませんでした。地代を徴収していなかったからです。また、利子を取っていなかったため、金融の本質も理解していませんでした。彼らは「マルクス主義が説いたように、地代と利子を廃止したのだ」と言いましたが、西側諸国が地代と利子を温存・肥大化させ、ポスト・ソ連の経済をどう料理しようと目論んでいるのかを理解していなかったのです。ロシア人たちは何が迫っているのか見えていませんでした。私たちはロシアに資本主義ではなく、まともなマルクス主義を導入しようと試みましたが、功を奏しませんでした。

マルクスと資本主義の出現  
【リック】 なぜこのような事態が起きたのか、私なりの説明をさせてください。マルクス主義は、マルクスその人から始まっていますね。マルクスが生きたのは19世紀でした。19世紀の初頭に生まれ、世紀の終わりに没した。つまり彼は、資本主義の初期段階において、封建制からの資本主義の「出現(生成期)」を理解しようとしていたわけです。マルクスはフランス革命に触発され、アメリカ独立革命に触発されていました。彼自身がそう明言しており、これは私の我田引水な解釈などではありません。そして彼は資本主義に対する極めて深遠な批判を展開しました。その批判の論骨は、基本的に次のようなものです。

「封建制から資本主義を導き出した人々は、資本主義は世界への贈り物として『自由・平等・友愛』そして『民主主義』をもたらすと約束した。それらがもたらされるのだから、我々はみな資本主義を支持すべきなのだ、と。」

これらはまさにフランス革命のスローガンであり、民主主義はアメリカ独立革命の理念でした。マルクスが生きたのはそれらの革命の50年後、70年後のことでした。若き日のマルクスが自らの住む西ドイツの現実を見渡したとき、彼は基本的に気づくことになります。資本主義が何をもたらしたにせよ、そこに自由・平等・友愛、そして民主主義は含まれていない、と。現実はあまりにも不平等で、自由などどこにもなく、貧困が蔓延していました。マルクスはまさにディケンズの小説に描かれたような時代を生きていたのです。『オリバー・ツイスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』、『二都物語』の世界を思い出してください。だからこそ彼は「一体何が起きたのか?」と苦悩しました。彼自身がそれらのスローガンに深く共鳴し、平等や友愛や民主主義を心から愛していたからです。これほど愛していたのに、一体何が起きてしまったのか?――不敬な例えかもしれませんが、選挙に敗れたヒラリー・クリントンが『何が起きたのか(What Happened)』という本を書いたようなものです。「こんなはずではなかったのに」と。

そしてマルクスが出した結論こそ、「資本主義そのものが自らの障害(足かせ)となっている」というものでした。資本主義はそれらすべての理想をもたらすどころか、それらすべてを阻み、妨害しているのだ、と。外側に理由を探す必要はなく、謎でも何でもありません。「資本主義がその仕組み上、いかに自由・平等・友愛、そして民主主義の障害となっているのかを解き明かしてみせよう」とマルクスは提示したのです。

この批判は極めて、極めて強力なものでした。それを抑え込み、封じ込めようとするあらゆる試みは失敗に終わり、批判は19世紀後半に野火のように広まりました。ドイツでは社会主義政党(ドイツ社会民主党)が誕生し、マルクスの著作を党の基本文献とし、マルクスの家族や関係者もその指導層に名を連ねました。

そしてこの動きは、人々に極めて興味深い結論を導き出させることになります。膨大な数の人々が「資本主義こそが問題であり、自由・平等・友愛・民主主義を実現するためには資本主義を乗り越えることが不可欠だ」と考えるようになりました。「では、いかにしてそれを成し遂げるのか?」手短に言えば、その答えはこうでした。「普通選挙権を行使するのだ。大衆の大多数が労働者であるという事実を利用し、彼らに働きかけ、この議論を訴えかける。そして――ここが決定的な要点ですが――資本主義を乗り越えるための死活的に重要な制度的拠点として、『国家を掌握する』のだ」と。

こうして国家が、途方もない重要性を帯びるようになりました。ここでも要約して言えば、唯一の意見の相違は「選挙を通じて民主的に国家を獲得するのか(進化論的・改良主義的社会主義)」、それとも「革命的な蜂起によって国家を奪取するのか(革命的社会主義)」という手段の差だけでした。1871年のパリ・コミューンや1917年のロシア革命は後者の「革命派」であり、ドイツやオーストリアの社会主義政党の前進は前者の「進化派」でした。そして双方がそれぞれに大きな成果を上げたのです。

さて、ここからが真相の解明です。歴史上しばしば起きてきたことが、ここでも起きたのだと私は考えています。「手段」が「目的」と混同されてしまったのです。国家そのものが自己目的化してしまいました。「国家を獲れ、国家を使え、国家を掌握しろ、国家を行使せよ」――あらゆる関心が国家だけに集中していきました。

思い起こしてほしいのですが、マルクス自身は国家について体系的な研究を残してはいません(断片的な言及はあっても、本格的な国家論は書いていません)。マルクスにとって国家はそれほど大きな比重を占めていなかったのです。彼が生きたのはそれ以前の時代でした。国家が決定的な重要性を帯びるようになったのは、19世紀末から20世紀にかけてのことです。

さらに、この「国家への執着」は、より巨大で介入的な国家機構によってしか解決できなくなった資本主義自体の諸問題と合流していきました。その結果、「資本主義体制を延命させるために国家介入を主張する勢力(修正資本主義・ケインズ主義)」と、「資本主義を乗り越えるために国家を掌握しようとする勢力(社会主義)」とが奇妙にも接近し、両者は致命的なまでに混同され、絡み合っていったのです。

私の師であるポール・スウィージーは、まさにそうした潮流が交差する結節点にいました。ちなみにこれこそが、近代経済学(新古典派)のエコノミストたちが「なぜケインズはマルクスではなく、マルクスはケインズではないのか」をしばしば理解できず、国家への着目という共通項だけで両者をひとまとめに混同してしまう根本的な理由なのです。

そしてロシアで革命が成功し、中国でも革命が成功しました。どのように成功したのかといえば、共産党が国家権力を奪取したという意味においてです。彼らはそれを見事に成し遂げました。ロシアでは私的資本主義の世界全体の抵抗を打ち破ってそれを成し遂げました。思い出してください、彼らは第一次世界大戦には敗れましたが、革命を成し遂げ、内戦に勝利しました。そして革命後に干渉戦争を仕掛けてきたフランス、イギリス、アメリカ、日本の軍隊を撃退したのです。彼らはそれらを打倒し、何を打ち立てたでしょうか?

彼らが築いたのは、政府が私的所有をほぼ全面的に置き換えたシステムでした(農業分野は別であり、それはまた別の話ですが)。工業においては、政府が企業を所有し、運営しました。政府が「お前たちが取締役会であり、そうした業務を行え。そしてお前たちが被雇用者(従業員)だ」と命じる体制です。

中国の話に行く前に手短にまとめると、この体制はロシアにおいて70年間にわたり実にうまく機能しました。彼らは目覚ましい発展を遂げ、急速な成長を記録しました。1917年の革命当時、ロシアがヨーロッパで最も後進的な地域であったことを思えば、二度の世界大戦、革命、そして内戦を経験したにもかかわらず、わずか50年でアメリカと覇権を争うライバルとなったのです。彼らが行ったことのすべてを一蹴してしまう前に、それが驚くべき歴史的偉業であったことは認めるべきです。もちろんその過程で恐ろしい悲劇も起きましたし、それは歴史の総括として直視すべき点であり、私も異論はありません。しかし彼らが多くのことを成し遂げたのも事実です。そして1949年、中国でも革命が成功しました。

社会主義 対 国家資本主義  
中国とは何でしょうか? 中国はアメリカとイギリスを見据えて、「お前たちは私的資本主義にしがみつき、政府の役割を限定的に保ちすぎた」と言いました。そしてソビエト連邦を見て、「お前たちは基本的に政府にあらゆるものを委ねすぎた。我々はどちらの結果にも満足していない」と言ったのです。

「だからこそ、我々はハイブリッド(混合型)を築く。経済の半分を私的資本主義とし、残りの半分を、1922年にレーニンがロシアの達成した体制を評して呼んだところの『国家資本主義』にするのだ」と。

レーニンはなぜ自国の体制をそう呼んだのでしょうか? 当時すでに政府は共産党の掌中にあり、脅威となる他党は存在せず、干渉軍を追い払い、内戦に勝利し、基本的にすべてを手中に収めていたというのに、なぜわざわざ「国家資本主義」と呼んだのか?

その答えは、レーニンが――ここでマイケルと私の共通点が見えてくるはずですが――真のマルクス主義者だったからだと私は確信しています。私的所有から国家所有へと移行させただけでは、革命を完遂したことにはならず、資本主義を乗り越えたことにもならないと彼は理解していたのです。なぜなら、それは依然として「国家資本主義」にすぎないからです。それを新しい体制と呼ぶことはできません。好きなように「社会主義」と自称しても構いませんが、実態はそうではないのです。

マルクスが『資本論』第1巻で徹底して論じたのは、生産の場における関係性でした。「誰が生産し、誰が手にするのか? そこには剰余(余剰価値)が存在するが、それを手にするのは誰で、手にした者はそれをどう処分するのか?」という問いです。剰余を手にした者は、価値を一切生産しない他の人々へとそれを分配します。彼らは別のことをしている連中であり、金融業者であったり、地主であったり、様々な利得者たちなのです。

真の革命は依然として成し遂げられていません。マルクス主義的批判、そして私が考えるこれからのマルクス主義が進むべき道とは、「変革されねばならないのはまさにその点(生産の場)なのだ」と理解することにあります。なされるべきことが、まだなされていないのです。

かつてマルクスが「資本主義を導入したからといって、自由・平等・友愛が実現したわけではない」と喝破したのとまったく同じように、現代のマルクス主義者たちもひとつの厳然たる事実に直面しなければなりません。すなわち、「私的資本主義から国家資本主義へと移行したからといって――全面的であれハイブリッド型であれ――そうした理想を達成できたわけではない」と宣言しなければならないのです。なぜなら――ここが急所ですが――「生産の組織形態そのもの」に一切手をつけてこなかったからです。それに手をつけない限り、社会主義を語ることなど無意味です。まだそこへ到達してすらいないのですから。社会主義とは、依然としてこれから闘い取られねばならない対象なのです。

私はその具体的な実例として、「財やサービスを生産する企業組織が、民主的な形で運営される経済とは真に何を意味するのか」を語るよう努めています。そこでは「1人1票」であり、「雇用者と被雇用者(資本家と労働者)の二項対立」は撤廃されねばなりません。何を行うかは、労働者全員が共同で決定するのです。この民主主義を企業組織の内部へと持ち込むこと。生産の組織形態を根本から変革する覚悟を持たない限り、自らが行っていることは、マルクスが私たちに教えた知見を真に血肉化し応用したことにはなりません。

最後にもう一点指摘しておきます。奴隷制の歴史を振り返れば、奴隷を酷使する事業体が「私的」であった事例もあれば、「国家」が経営していた事例も無数に存在しました。また、領主個人による「私的封建制」もあれば、国家が直接農民を支配する「国家封建制」もありました。国家が主体となっていたからといって「それは奴隷制ではない」などと言う人はいませんし、国家機構が農奴を抱えていたからといって「それは封建制ではない」と主張する人もいません。それなら一体なぜ私たちは、「資本主義に国家が介入していれば、もはや資本主義ではない」などという妄想に丸々1世紀もの時間を浪費してしまったのでしょうか? とんでもない誤りです。かつてと同様に、私的資本主義と並んで「国家資本主義」が存在しているだけにすぎません。

したがって、これからのマルクス主義が全力で突き詰め、主張し、実現に向けて行動すべき課題とは――それが唯一の課題というわけではありませんが、これまで決して行われてこなかった「ミッシング・リンク(欠落していた要素)」として――「職場の変革」であるという考え方に、私たちはもっと心を開くべきなのです。もちろん、依然として重要なマクロ経済的な諸問題が存在することは承知しています。私は「あれをやるな、これだけをやれ」と言っているのではありません。「職場の根本的な変革に目を向けなかったことこそが、過去100年間の社会主義運動が犯した致命的な過ちであった」と申し上げているのです。

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 第4章 古典派政治経済学の頂点としてのマルクスと新古典派による反動

マルクスにおける経済学の頂点(集大成)  
【マイケル】 その問題が実際にどのようにして生じてきたのか、私の視点から説明しましょう。結局のところ、課題は「学生たちにマルクス主義をいかに教えるか」という点にあります。そこには二つのアプローチが存在します。

一般的なアプローチは、マルクスその人から出発し、そこから時代を下ってそれがどう変化したか、あるいはソビエト連邦や自らをマルクス主義と称した国家群から説き起こすというやり方です。しかし、リチャードと私がおこなっているのは、マルクスを「価値、価格、レント(地代・不労所得)などをめぐって積み重ねられてきた、長大な議論の集大成(頂点)」として捉えるアプローチです。そうした議論こそが、初期の資本主義を革命的なものに押し上げた原動力でした。

資本主義を語る際、私たちはどのような動詞を使うべきでしょうか? リチャードは「出現した(emerged)」と言いましたが、彼自身が説明したように、資本主義は封建制から単に自然発生的に「出現」したわけではありません。資本主義は封建制を「一掃(根絶)」しようとしたのです。ヨーロッパと市場経済を封建制の遺制から解放しようとし、地主階級を排除しようとしました。そのためには政治改革が必要でした。イギリスにおいて貴族院(地主階級)が庶民院の決定を覆す権力を奪い、旧来の金融システムを解体すること――これらすべてが「強力な国家」を必要としたのです。

実際、こうした力学が働く中で、資本主義の内部そのものから国家への支持が生み出されていました。地代や利子や独占利潤を一掃しようとした本来の目的は、ひとえに「生産コストを引き下げること」にありました。マルクスが繰り返し指摘しているように、産業資本主義の歴史的課題とは、生産における「空費(余計な偽のコスト、 faux frais )」を排除し、コストを最小化することだったのです。企業はそうやって市場で競争するからです。

では、いかにしてコストを最小化するのか? 地主や銀行家や独占資本家を排除するだけでなく、雇用者(産業資本家)が負担しなくて済むよう、国家が特定の費用を肩代わりするための「政府支出の拡大」が求められたのです。もし国家が道路や公園などのインフラを整備し、公衆衛生(医療)や教育を公費で賄うならば、そうした強力な国家支出を持つ国の雇用者は、労働者が高額な食料や教育費を支払えるだけの高い賃金を払わずに済みます。そうしたインフラを未整備のまま放置している国に比べて、より低い賃金コストで生産を行うことができるのです。これを「社会民主主義国家」と呼ぶか、あるいは「社会主義国家」と呼ぶかは自由です。そして、まさにこの点を鋭く指摘したのがアメリカ学派(保護貿易・インフラ投資派)であり、マルクス自身もこの構造を明確に見抜いていたのです。

「国家の役割とは生産コストを引き下げ、産業資本主義を助成することにある」と主張したのは、まさにアメリカ学派(の経済学者たち)でした。以前にもお話ししたと思いますが、アメリカ最初のビジネススクール(ウォートン・スクール)で初代経済学教授を務めたサイモン・パッテンは、運河、鉄道、道路などのインフラへの公共投資を「第4の生産要素」と呼びました。その目的は利潤を上げることでも、直接的な経済的見返りを得ることでもなく、生活費と生産コストを引き下げて経済全体の生産性を高めることにある、と。アメリカが実際に行ったのはそれでしたし、ドイツで起きたこともほぼ同様でした。

マルクスの時代、彼は「略奪的なものにならないよう、金融システムを産業化しなければならない」と論じていました。『資本論』第3巻だけでなく、『共産党宣言』など他の著作でも繰り返しそう述べています。では、いかにしてそれを実現するのか? それにはある意味で、レント・シーキング(不労所得の追求)を阻止するための国家の役割が不可欠となります。

当時のドイツでは、アングロサクソン諸国やオランダとはまったく異なる形態の銀行システムが成立していました。ドイツの銀行業は、文字通り産業を育成・推進するためのものでした。そこには主に軍事的な要請から、銀行家、国家、重工業の三者の連携が存在していました。そうしたドイツの産業金融では、製鉄会社などの産業企業が利益を上げた際、銀行は「配当として社外に流出させるな」と指導したのです。自社株買い(株式買戻し)に資金を使うなど思いも寄りませんでした。「利益は自社の産業を拡張するために再投資せよ」と求めたのです。

それに対してアングロサクソン(米英)の銀行業は、「利益が出たら、株価を吊り上げるためにすぐさま配当として吐き出せ」というものでした。西欧やアメリカの金融は極めて短期志向で、要するに「金を持ち逃げする(Take the money and run)」発想でした。イギリスの株式仲買人(証券業者)も同様で、企業の引き受け(アンダーライティング)を行ったらすぐに売り抜け、次の獲物へと移っていくだけでした。一方、ドイツではすべてが長期的な視野で行われていたのです。

ですからマルクスは、「社会主義とは、資本主義を――かつて資本主義が封建制を一掃しなければならなかったように――力尽くで根絶することによってではなく、資本主義を十全に発展させることによって、その内部から生まれてくるものだ」と捉えていました。マルクスは幾度となく、銀行こそが中枢を担うことになると見抜いていました。現在、銀行は信用の配分者であり、誰が資金を得て誰が事業を拡大できるかを決定しています。社会主義が目指すのもまさにそれ(信用の計画的配分)であり、したがって社会主義はこの金融の発展した思考様式の中から立ち現れてくる、と考えたのです。

ドイツでは実際にその萌芽が生じていましたが、アングロサクソン諸国ではそうなりませんでした。注釈として付け加えておけば、だからこそ19世紀末から20世紀初頭にかけてのレーニンは、現代でいう「金融化(フィナンシャライゼーション)」の進展を目の当たりにして、「見よ、金融の集中が進んでいる。だからこそこれが資本主義の最後にして最高段階(帝国主義)なのだ」と述べたのです。彼は「我々はこの銀行システムを掌握しさえすればよい。そうすれば主導権はこちらのものだ」と指摘しました。現代の社会主義者でも、2〜3代前のフランスのミッテラン大統領はまさにそれを実行しました。フランス国内の銀行を国有化し、それによって信用を配分し、ドイツに代わってヨーロッパの中核になろうと計画したのです。周囲に阻止されて実現はしませんでしたが、構想としてはまさにそれでした。

マルクスは資本主義の行く末について、ある意味で楽観主義者でした。唯物史観の立場から、各階級は自らの合理的利益に基づいて行動するものだと考えていたのです。彼は、自らの死後に起きた「反革命」を見抜くことはできませんでした。レント(地代・不労所得)の理論を葬り去り、あろうことか「新古典派経済学」を仕立て上げた、あの反革命のことです。

【リック】 まったくその通りです。

【マイケル】 それは実質的に、「ポスト古典派」ではなく「反(アンチ)古典派経済学」と呼ぶべき代物でした。

【リック】 ヴェブレンが「新古典派(ネオクラシカル)」という言葉を造語した際、それは「これが現代の新しい経済学だ」という意味合いでした。しかし、これを「新古典派」などと呼ぶべきではありませんでした。世間は「古典派の新しい発展形」のように錯覚してしまいますが、実態は古典派経済学が論じてきた本質に対する全面的な否定(反動)なのですから。あれはブルジョワ経済学であり、不労所得生活者(金利生活者、レンティア)の経済学であり、「不労所得などというものは存在しない」と言い張るための教義にすぎません。

私が学説史の講義で教える際にも触れますが、1870年代にイギリス、オーストリア(ドイツ語圏)、フランス(スイス)でほぼ時を同じくして、イギリスのジェヴォンズ、オーストリアのメンガー、フランス語圏のワルラスが、現在「新古典派」と呼ばれるものを確立しました。これは明らかに、当時爆発的に広まっていたマルクス主義への直接的な対抗勢力として生み出されたものでした。彼らの弟子筋にあたるオーストリアのベーム=バヴェルクは、世紀の変わり目にその決定打となる著作『マルクス体系の終焉(Zum Abschluss des Marxschen Systems)』を著しました。マルクスにおける「価値」と「価格」のズレを指摘し、この「大発見」に異様な興奮を覚えた本です。

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 第5章 資本主義批判の抑圧と企業内部の権威主義

マルクス主義の決定的な特質  
【聞き手】 リックにこの質問を投げかけさせてください。ここまでの導入(前置き)は素晴らしいものでした。本日の対談の狙いは、西側におけるマルクスの展開を議論し、今日(こんにち)の経済を評価する上でマルクスを理解することがいかに重要であるかを読み解くことにあります。そこで、マイケルと議論を深めていく前に、まずこの点から始めたいと思います。リスナーの皆さんがマルクスについて詳しい知識を持っているとは前提に置かずに伺います。今日の議論を成立させるために、私たちが理解しておくべきマルクス理論の「決定的な特質(最も重要な次元)」とは何だとお考えですか?

【リック】 そうですね、最も基本的な次元から言えば、記録に残っている歴史上のあらゆる経済体制において、その体制内に暮らし、それを愛し、賛美した人々がいた一方で、それに満足せず、批判の目を向けた人々も必ず存在していました。健全な社会であれば、その矛盾を受け止め、展開させるはずです。その体制を愛する者たちには「なぜ支持するのか、何が起きていると捉えているのか」を語らせ、批判的な視点を持つ者たちにも同様に語らせるのです。

しかし、アメリカは私が知る他のどの国、とりわけ先進工業国と比べても際立って、過去75年間にわたり「自らに課した無知(自発的な知の封殺)」の中に沈み込んできました。マルクスに由来する批判的な視点を完全に封殺し、他の批判は許しても、マルクス主義的な根源的批判だけは徹底して排除してきたのです。それはタブーであり、冷戦の一環としてこれらすべてを抹殺しようとした「冷戦の負の遺産」でした。

私の本職である大学の経済学教授について言えば、新古典派であれ、(自称)ケインズ派であれ、彼らが唯一完全に一致団結できる点があるとすれば、それは「マルクス主義者を議論の場から完全に締め出すこと」です。現在の経済学における、いわゆる「一大論争」とは、国家の介入が「もう少し多い方がいいか、少ない方がいいか」という水準のものにすぎません。学生時代に初めて接したときから酷く色褪せて見えましたし、今でも色褪せていますが、相変わらずその不毛な議論が繰り返されています。そしてそれが、本来行われるべき真の議論――すなわち「資本主義そのものに対する賛否(是か非か)」という、マルクス主義がまさに突きつけている根本的な争点――の身代わり(目くらまし)にされているのです。

第2に、マルクス主義の根本的な前提とは、「人類は資本主義よりも優れた社会を築くことができる」という点にあります。私は視聴者の皆さんに問いかけたいと思います。私たちが人間という種について最も誇らしく讃える特質とは、「どうすればもっと良くできるか」を常に探求し続ける姿勢そのものではなかったでしょうか? 私たちが誇る科学技術や政治体制の根底には、常にその探求があったはずです。かつて君主制(絶対王政)の時代があり、私たちは「もっと良い仕組みを作れるはずだ」と考え、実際にそれを乗り越えてきました。それなのに、資本主義に関してだけは「これが終着点だ、これ以上良いものは作れない、これが最善であり、異を唱える者は口を慎め」などと、一体どこに書かれているというのでしょうか? そんなものは、恐怖に怯えた人間や運動、あるいは社会の振る舞いにすぎません。それは恐怖の表れであり、合理的な議論などではありません。そうした言説を振りかざす人々も、心の底ではそれが理にかなっていないことに薄々感づいています。だからこそ、力づくで言論を封殺しなければならないのです。

第3に、マルクスとは「資本主義そのものが生み出した産物」だということです。マルクス主義とは、資本主義の「影」なのです。影だけを切り離して消し去ることなどできません。資本主義が存在する限り、そこにあるのです。資本主義がなければマルクスも存在し得ませんでした。彼はヘーゲル的な意味における「対立の契機(アンチテーゼ)」そのものです。アダム・スミスやリカードは資本主義を称賛しました。マルクスは彼らから徹底して学び、その上で「私はそこまで素晴らしいとは思わない。人類はもっとうまくやれるはずだ」と異議を唱えたのです。

理性的な共同体であれば、この問いを真摯に検証するはずです。マイケルと私は、その検証がいかに価値あるものであるかを、いかなる形でも証言することができます。マルクスが私たちに教えてくれる知見はあまりに膨大です。彼が金融・銀行の世界で成し遂げた見事な足跡も、私が自らの領域で成し遂げてきたことも、すべてはマルクスから学んだ理論の実践に他なりませんでした。私の正規の学校教育にはマルクス主義など微塵も存在せず、独力で補い、深めざるを得ませんでした。マイケルもまた、家族の巡り合わせや自らの歴史という幸運を一部伴いつつ、独自にそれを切り拓いてきました。本来、これは正規の教育カリキュラムに含まれて然るべきものです。

そして、かつて資本主義がマルクスを生み出したのとまったく同じように、現代の資本主義が抱える諸矛盾が、かつてそうであったように、いま再びマルクス主義への関心のルネサンス(復興)を生み出しつつあるのだと私は確信しています。

過去5年間に起きたこと――そして私は日々自らの生活の中でそれを目の当たりにしていますが――関心の復活ぶりには目を見張るものがあります。まさに至るところで見られます。この対談の場もそうですし、他のあらゆる場所でも起きています。そして、この流れが止まることはないでしょう。新たな条件下にある以上、それは新しい形を取るはずです。ロシアや中国のような場所では、それぞれ独自の発展の道筋が生み出されると思います。そこではタブーではありません(特定の解釈が抑圧されることはあるにせよ、中国の大学にはマルクス主義研究やマルクス主義哲学の巨大な学部が丸ごと存在しています)。ですから、この国(アメリカ)の無知は、奇妙でためらいがちな、ぎこちない(Herky-jerkyな)関わり方を生み出すかもしれませんが、もはやここでも押しとどめることはできません。そうするには遅すぎるのです。また、マイケルと意見が一致するかは分かりませんが、私は「アメリカ帝国」は衰退の途上にあると考えています。それが反転する兆しは見えません。

【聞き手】 その点については、先月もずっと議論してきましたね。

【リック】 ええ、そしてアメリカの資本主義はその帝国に依存してきたのです。帝国が衰退しつつあるということは、自ら行使し得た帝国に合わせて適応してきたこのシステムにとって、決して良い知らせではありません。マルクス主義がタブー視されてきたこの75年間は、まさに帝国の勃興、頂点、そして現在の衰退と完全に重なり合っています。これらが無関係であるはずがありません。今後、マルクス主義やその派生理論に対する関心の爆発を目にすることになるはずです。

そして最後に付け加えるなら、アメリカには誰もが認めたがっている以上に、はるかに多くのマルクス主義が息づいています。一例を挙げましょう。先週、文芸批評家のフレドリック・ジェイムソンが亡くなったというニュースがありました。私は彼を知っていましたし、一時期少し一緒に仕事をしたこともあります。彼こそは紛れもないマルクス主義者でした。彼は過去30年の大半において、アメリカを代表する一流の文芸批評家でした。彼は私自身が直接知る人物であり、私を含む人々とマルクス主義について学び、読み、議論を戦わせてきました。彼はマルクス主義に極めて通暁し、深く精通していました。意見の相違はありましたが、彼は真摯なマルクス主義者だったのです。彼が世に出した膨大な著作――何十冊もの著書と数百本もの論文――において試みたすべての営為には、彼のマルクス主義が深く浸透していました。彼自身もそう述べたでしょうし、実際にそう語っていました。

しかし、この国のタブーのせいで何が起きているかといえば、膨大な数の人々が彼の著作を読み、利用し、引用しながらも、そこに含まれるマルクス主義を「脱色」するか、あるいは直視することを巧みに回避して迂回しているのです。

イタリアの偉大なマルクス主義理論家、アントニオ・グラムシの場合とまったく同じです。20世紀のマルクス主義における最も偉大な理論家の一人であり、彼には膨大な追随者がいます。「国際グラムシ学会」が存在し、カンファレンスや研究会が開かれ、あらゆる学問分野の人々がグラムシを知っています。カクテルパーティーの世間話で彼の名前を出し、「自分は分かっている」風に見せたいわけです。しかし、私がその場で礼儀正しく耳を傾けた後、「ところで、彼が長年にわたってイタリア共産党の書記長(指導者)だったことはご存じですか?」と尋ねると、彼らはまるで骨を奪われた子犬のような、酷く失望した表情を浮かべるのです。彼らはそうした都合の悪い現実を聞きたがりません。グラムシがイタリア文化について語った重層的で素晴らしい議論だけを都合よく享受したいのです。しかし、彼の本質はまさに共産党の指導者であり、ファシストのムッソリーニによって獄中で命を奪われたのです。それが歴史の事実であり、彼という人間でした。

あるいは、昨今の安易な「権威主義(オーソリタリアニズム)」論も同じです。「ヒトラーは権威主義的であり、スターリンも権威主義的だった」といった言説です。それらの言葉が何を意味するにせよ、単に同じラベルを貼り付けたからといって、それらすべてを「同じもの」として扱うのはあまりに幼稚です。ファシストとスターリニスト、そしてトロツキストの間には、歴史上類を見ない凄惨な殺戮の歴史がありました。彼らは互いに容赦なく命を奪い合ったのです。そうした激動の歴史のどこに、「権威主義」という安易で口先だけのひと括りが入る余地があるというのでしょうか。一体何をやっているのかと言いたくなります。

事故のように、私は決して軽々しく言うのではありませんが、私たちはある重大な認識が広がるまさに瀬戸際に立っていると考えています。そしてその認識がひとたび定着すれば、野火のように広がるはずです。すなわち、「この社会が警戒すべき最も権威主義的な組織とは、ほかならぬ『資本主義企業』である」という認識です。

あらゆる工場、オフィス、店舗において、ごく一握りの人間――取締役会、大株主、オーナー一族、共同経営者たち――がすべての決定を下しています。何を生産するか、どんな技術を使うか、どこで生産を行うか、そして生み出された成果物をどう処分するか、すべて彼らが決めています。そして圧倒的多数の人々は、単なる従属的な労働力(働きバチ)にすぎません。これは民主主義の対極にあります。およそ考えうる限り、最も権威主義的な組織形態です。

いつの日か、人々は気づくはずです。自分たちが北朝鮮の体制についてあれこれ心配している権威主義など、自らが真に警戒すべき対象ではないのだと。子供の知能テスト(心理検査)に、ひとつの例題があります。ある人物がすぐ目の前の集団から攻撃を受けている絵が描かれています(検査方法自体の当否は別として)。そして遠く離れた場所にもう一人、今まさに石を投げようとしている人物が描かれている。ところが、攻撃されている本人のあらゆる不安や恐怖は、その「遠く離れた人物」へと向けられているのです。なぜその絵を子供に見せるかといえば、「遠くの敵を怖がり、目の前の危険を気にかけないのは合理的ではない」と子供が認識できるかどうかを確かめるためです。警戒すべきは、すぐ目の前にいる者ですよね?

まさにそれと同じ社会的なカタルシスの瞬間、誰もが目を見開く瞬間が訪れると私は思っています。自分が嫌悪している権威主義とは一体どこから始まっているのか、どこに根ざしているのか、成人の人生において週に5日間、1日の中で最も活動的な時間帯に、自分がどこでその権威主義に服従させられているのか――それこそが、あなたが直面している権威主義の本質的な問題なのです。もしあなたが真の意味で民主主義(デモクラシー)を信じる者であるならば、それこそが向き合うべき課題であり、これまで直視することも理解することも避けてきた問題なのです。

そしてマルクス主義こそは、その仕組みがどう機能し、いかなる結果をもたらすのかを理解するための理論を提供してくれます。それによって、現在あまりにも軽率に退けられているものに対する真の正当な評価が、必ずや生まれてくるはずです。

【聞き手】 リック、本日はご参加いただき本当にありがとうございました。木曜日の議論に続き、お話しできて光栄でした。

【リック】 マイケルのこれまでの歩みを知ることができ、以前から感じていた彼との近しさを改めて深く実感しました。彼がどのような道のりを経て今に至ったのかを知ることができました。こうした個人的な歴史が語られることは極めて、極めて重要なことだと思います。なぜなら、私達のような人間は少なからず存在しているからです。こうした個々の物語が語られることで、より多くの仲間が陽のあたる場所へと出てきて、互いに語り合えるようになるかもしれません。世間が思いたがっているよりは少数かもしれませんが、多くの人が信じているよりはずっと多くの仲間がいるのです。

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 第6章 BRICSの台頭と古典派政治経済学の再発見

【聞き手】 さて、マイケル。少し時間が経過して私たちの椅子の位置が変わったことなど、誰も気づきはしないでしょう(私のちょっとした手品のようなものです)。

マルクス、中国、そしてBRICS  
先ほど私たちは、西側におけるマルクス主義の展開を理解する上で、また現代の経済状況を評価する上でマルクスのどのような理論的側面を把握しておく必要があるかについて、リックの考えを聞きました。しかし、あなた自身の見解もぜひ伺いたいと思い、同じ質問をあなたにも投げかけたいと思います。

【マイケル】 リチャードは、これらすべての歴史に関する「大いなる忘却」、あるいはその「大いなる不在」について語りましたね。この問題を捉える最も適切な視座は、現在BRICS諸国で起きていることを見つめることだと私は考えています。

彼らは、西欧やアメリカが自国に対して行ってきた支配に対する「オルタナティブ(対抗軸)」を創り出そうとしています。彼らが試みているのは、まさに新たな社会を設計することです。それはかつて古典派経済学者たちが、自らの社会を封建制や地主階級、金融資本、そして独占資本家から解放しようとした営為と酷似しています。

現にBRICSが議論している内容を見れば一目瞭然です。彼らは植民地主義の残滓を排除したがっています。外国勢力が侵入し、地代(土地レント)を目当てに土地を支配し、天然資源レント――石油レント、鉱物レント、私有林伐採による利益――を奪取してきた現実を終わらせたいと考えています。また、彼らは債務問題の解決を望んでいます。自国の経済成長の果実が、すべて利子の形で西側の債権者へと吸い上げられているからです。彼らは国際通貨基金(IMF)や世界銀行に従属させられ、「我々が望む新自由主義的な法体系に従わなければ信用を停止する、お前たちの国際収支を破綻させ、為替レートを暴落させるぞ」と脅迫されてきました。もし天然資源を保有する外国企業に課税しようとしたり、公害を撒き散らす石油企業に罰金を科そうとしたりすれば、「国際投資法規違反だ」とみなされ、科した罰金と同額の賠償を強いられます。その結果、外国企業が自国の経済にもたらした被害のコストを、すべて自国が背負わされる羽目になるのです。

これらがまさに、彼らが直面している問題です。そしてある意味で、これはかつて西欧自身が抱えていた問題と同一のものです。皮肉なことに、これらの問題を引き起こしたのは、レントや金融、独占を排除しようとした資本主義の「進歩的な力」でした。しかし西欧は自らを資本主義化してそれらを排除する一方で、植民地化した諸国においてはまさにその同じ搾取構造を作り出したのです。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカが何としても阻止したかったのは、他国が自国と同じ道をたどって発展すること、すなわち他国がそうしたレンティア(不労所得生活者)による支配から自らを解放することでした。

しかし現在、BRICS諸国の議論の中に、マルクス主義や古典派経済学についての言及はまったく見られません。彼らがいま行っているのは「車輪の再発明(すでに知られていることの一からの作り直し)」です。しかも、その車輪は200年も前に古典派経済学によってすでに発明されていたという事実に気づかないまま、再発明しようとしているのです。

ですから、リチャードが「マルクスを理解することが彼らの再発明を助けることになる」と語るとき、彼が意味しているのは、マルクスがアダム・スミスやジョン・スチュアート・ミル、リカードといった古典派経済学者たちのあらゆる思想――すなわち「いかなる所得が生産的かつ不可欠であり、いかなる所得が略奪的・搾取的な不要物であるか」を峻別する彼らの分析体系全体――を包摂しているということです。

BRICSの現状の議論では、例えば「土地レントへの課税(地価税)」や「土地の国有化」といった抜本的な議論は一切なされていません。しかし、それこそが『共産党宣言』において提起された政策課題の筆頭(第1条)だったのです。ある意味で、10月下旬にカザフスタン(※ロシア・カザン等の首脳会議)で開催されるBRICSサミットにおいて彼らが取り組むべき道筋の出発点として、『共産党宣言』の理論的洞察はまさにそのまま適用できるものだと言えるでしょう。

それにもかかわらず、そうした議論はまったく見られません。私は中国、ロシア、その他のBRICS諸国で要職を務める多くの関係者と連絡を取り合っています。また、リチャードと私は多くの国際的な議論グループに参加し、まさにこの点を訴え続けています。しかし、私たちの主張がどの程度真剣に受け止められているのかは全くわかりません。ある意味で私たちは、最終的にスターリニズムへと行き着いたあの古い共産主義の残滓として、一括りに退けられてしまっているからです。

彼らは現在の中国を真の意味でマルクス主義的とは捉えていませんし、中国側も土地レント、天然資源レント、あるいは金融の問題を根本的に処理する枠組みを創り出そうとはしていません。それが彼らの「中国の特色ある社会主義」の一部に含まれてこなかったからです。

実のところ、1979年に私は米国教育省の顧問を務めており、教育省の計らいで世界銀行との会合に出席したことがありました。私は世界銀行の中国代表との議論について話をしていたのですが、その代表は私にこう言ったのです。「あなたの言っていることは素晴らしい。ぜひ上海に来て議論してほしい。そこにはあなたが関心を持ちそうな未来研究所のような機関がある。行ってみないか?」 私が「ぜひ行きたいですね。それに嬉しいことに、実は私もマルクス主義者なんですよ」と答えると、彼の顔から血の気が引きました。彼は言いました。「何ということだ……絶対に中国へ行かないことを強くお勧めします。もし行ったら、生きて戻れないかもしれませんよ」。彼は続けました。「彼らが何よりも望んでいないのがマルクス主義者です。彼らにとってマルクス主義とは、かつてロシアで起きたことそのものであり、官僚主義的集産主義であり、レーニンの言う『新経済政策(NEP)』のような民間企業による創意工夫や市場の需要を捉える柔軟性、あるいは電力などの新技術の開発を一切認めない国家体制のことだからです。ですから、行かないのが身のためです」。

私は北京大学のマルクス主義学院でも歓迎されていないことを悟り、2年でそこを去りました。先ほど申し上げたように、彼らの考えるマルクス主義とは単なる「政治」の言い換えであり、そこに一般的な経済分析を後からラベルのように貼り付けているだけだと気づいたからです。

そしてリチャードが言ったように、真のマルクス主義者は極めて稀です。リチャードが教えていたマサチューセッツ大学アマースト校のように、マルクス主義を掲げる大学院を出た人は大勢いますが、その卒業生全員がマルクス主義の本質を理解していたわけではありませんでした。彼と私は、ほぼ孤立無援の状態です。私たちに強い共感を寄せてくれる人々がいるのは知っていますが、この時代背景を持ち、80代になっても生き残って発信を続けている人間は、私の知る限り他に誰もいません。

『資本論』の第2巻と第3巻を真に理解するためには、古典派経済学の全体を徹底して学ばなければなりません。なぜなら、それらはすべて有機的なひとつの発展過程だったからです。それは何かを力尽くで排除するものではありませんでした。マルクスは決して「自由市場主義者」たちに対立していたわけではないのです。むしろ彼は、彼らと同じ「自由市場」の理念を共有していました。

アダム・スミスや他の古典派経済学者たちにとっての「自由市場」とは、「経済的レント(不労所得)から自由な市場」を意味していました。そこにはもはや地主階級は存在しません。もちろん、ある立地が他の場所よりも価値が高い以上、土地レント自体は生じます。しかし、そのレントを「税の基盤」として活用するのです。そうすれば、労働者の賃金に課税する必要も、産業資本家の正当な利潤に課税する必要もなくなります。不可避的に生じる経済的レントを税として吸収し、不必要なレントを生み出さないために、上下水道、教育、医療といった自然独占的なインフラを民間の手に委ねず、私的な独占者が現れないようにするのです。

ある意味で中国は、「通貨(信用創造)を公共公益事業(パブリック・ユーティリティ)として維持した」という点において、マルクス主義的・社会主義的な巨大な優位性を築き上げました。これこそが決定的な鍵です。先ほど、マルクスが産業資本主義における銀行を「効率性を追求する経済の計画者」になると見込んでいた話に触れました。しかし、過去30〜40年にわたってアメリカやヨーロッパの産業基盤を徹底的に破壊してきたのは、ほかならぬその金融システム、すなわち銀行だったのです。銀行はもはや産業を支援しようとはしません。一国を産業化するよりも、脱産業化(空洞化)させたほうがはるかに巨額の富を手にできるからです。

銀行から金を借り、企業を買収してバラバラに解体し、切り売りしたほうがはるかに儲かります。例えば病院を買収した場合、即座にその土地を不動産会社へ売却し、それをリースバック(借り戻し)させます。そして土地を売って得た資金を使って、買収を仕掛けた金融マネージャーたちに「特別配当」として分配するのです。リチャードが「今日の産業資本家はもはや生産的な役割を果たしていない」と語った通り、現代の企業の実質的な首脳はCEO(最高経営責任者)ではなく、CFO(最高財務責任者)です。産業資本主義そのものが、短期的な利益にのみ寄生する搾取的な金融システムによって乗っ取られ、その結果としてアメリカとヨーロッパの産業空洞化をもたらしました。

言うまでもなく、これはBRICS諸国が進みたい道ではありません。しかし問題は、彼らが西側の銀行システムによる支配をどこまで許してしまうのか、それとも「銀行(信用)を支配することこそが、資源配分そのものをコントロールすることに他ならない」という真理にいつ気づくのか、という点にかかっているのです。

マルクスは当時の誰よりも資本主義に対して楽観的でした。彼は、銀行が資本主義を発展させ、それが社会主義へと進化していく過程で銀行が主導的な役割を果たすと述べていました。しかし今日、銀行が主導的な役割を果たしているのは、先ほど申し上げたように産業の空洞化(脱産業化)であり、社会主義への進化を阻止することです。

そして現在起きているのは、実質的にアメリカおよびドル本位制と、BRICS諸国との間の闘争です。彼らが議論している極めて重要なテーマのひとつに「脱ドル化(de-dollarization)」があります。彼らは、脱ドル化とは自国が背負わされてきた対外ドル債務という負の遺産全体を一掃することを意味すると理解しています。旧宗主国が、世界銀行やIMFといった「新植民地主義的権力」を通じて押しつけてきた枠組みです。それは実質的に、民営化された独占事業から生じるレント(地代・利子・独占利潤)や利益を外国勢力が吸い上げ、アメリカ、イギリス、あるいは欧州の外国人投資家へと送金する、略奪的な独占レント追求構造に従属させるものでした。

リチャードと私は、西側世界においてこのプロセスがどのように進行してきたかを論じ合ってきました。しかし、BRICS諸国がどこへ向かおうとし、いかにしてこれを展開させていくのかという議論の中で、同様の掘り下げられた議論が行われているのを目にしたことがありません。彼らは、今日私たちが目の当たりにしているものが「文明の分裂(分岐)」であることを理解しています。かつて産業資本主義が封建制から決別し、重い負担を脱ぎ捨てて脱封建制の時代へと踏み出した「文明の分岐」であったのと同様です。

では、BRICS諸国はいかにして植民地主義から自らを解放するのでしょうか? 適用されるのは全く同じ経済分析――「価値、価格、そしてレントの理論」です。価格が価値を上回る超過分、すなわち搾取であり「ただ飯(フリーランチ)」の実態こそが経済的レントなのです。

新古典派経済学やシカゴ学派のマネタリズムは、ミルトン・フリードマンが言った通り「ただ飯など存在しない」と主張します。しかし、金融資本主義のすべてはまさに「ただ飯」を巡って動いています。それこそが現代経済の実態です。だからこそ先ほど述べたように、私たちマルクス主義者はウォール街において、経済の将来予測やエコノミストとして極めて高い成果を上げることができたのです。それが「価値の創造」ではなく「レントの詐取」であると見抜いていたからです。

この区別を一度理解すれば、資本主義に対する見方は一変します。マルクスが『資本論』第1巻で論じた「運動法則」についても同様です。では、金融資本主義の運動法則とは一体何でしょうか?

金融資本主義の運動法則  
それは実のところ、封建制の法則と全く同じです。彼らは地主階級を固定化しようとしています。ただし、現代におけるその主役は、土地を所有し、鉱物採掘権、石油採掘権、森林伐採権を握る多国籍金融コングロマリットです。彼らは民営化された公共インフラを買い叩き、年金基金を私有化してコントロール下に置きます。今やそれらは公的な保障ではなく、すべて民営化されてしまいました。諸国はアメリカと同じ道を歩むよう強要されているのです。

1994年と95年(※原文84/85年はソ連崩壊後の文脈)、私はロシアの国家院(下院・ドゥーマ)で3回にわたって講演を行いました。私はこう警告したのです。「住宅価格の暴騰が起きようとしている。それは略奪的な寡頭資本家(オリガルヒ)を生み出し、彼らはノリリスク・ニッケルで行ったようなことを繰り返すだろう。鉱物レントや天然資源レントを国家が吸い上げるのではなく、オリガルヒが私物化してしまうのだ。ニッケル、プラチナ、石油は生産コストをはるかに上回る価格で売却できる。そのレント収入を工業化の資金に充て、生活費を引き下げ、現にある集合住宅をすべて現在の居住者に無償で引き渡せばよい。そうすれば住民は家賃(住宅ローン)を支払わずに済み、ロシアは世界で最も生活コストの低い経済を築くことができる。レントを公共の公益事業として扱うことこそが、国際競争力を高める決定的な道なのだ」と。

言うまでもなく、私をドゥーマに招いてくれた政治家たちは、ことごとく選挙で落選させられました。アメリカから顧問団が乗り込んできて、まさにアメリカ本国でやっているように「選挙を盗む(不正に操る)」手法を指南したからです。彼らにとっての民主主義とは、金融勢力が選挙をコントロールする体制、すなわち「オリガルキー(寡頭制)」にすぎませんでした。結局、私は生産的かつマルクス主義的な方針に沿ったロシアの再建において、何の役割も果たすことができませんでした。私はロシアに本物のマルクス主義をもたらそうとして、手短に言えば、完全に失敗したのです。

実に皮肉な話です。リチャードと私のような人間はいますが、世界中をカバーするにはあまりに少数すぎます。あなたやニーマ(Nima R. Shirazi等のポッドキャスター)のような人々は私信に対話を求めてくれますが、ニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナル、NBCやCNNが私たちを取り上げることは決してありません。

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 第7章 メディアの検閲・学術界の排除と異端理論の抑圧

【聞き手】 その点について、少しお伺いさせてください。私自身もずっと考えていたことなのですが……。

なぜ主要メディアはマイケル・ハドソンとリチャード・ウォルフに取材しないのか?  
私が非常に不可解(印象的)に思うのは、ニューヨーク・タイムズやCNNといったメディア機関は、視聴数や閲覧数で成り立っており、大勢の人々に見て読んでもらいたがっているはずだという点です。あなたとリチャードは、YouTube上で最も注目され、広く親しまれているエコノミストの筆頭です。これは私の仕事柄、よく分かっている事実です。それなのに、なぜそうした主要メディアは、自らの狭い視野(トンネル・ビジョン)の外側に一切関心を示さないのだとお考えですか?

【マイケル】 彼らは、人々が「どうでもいい些末な事柄」について議論し合っている状態を望んでいるのです。中絶の権利や女性の権利について論じ合いたいなら、どうぞ大いにやってくれ、いくらでも議論の場を与えましょう、と。公害や環境問題について語りたいなら、それも結構です。現代美術について、非具象絵画が良いか悪いかを論じたいなら、それも構いません。しかし、「経済の本質」について語ることだけは許されないのです。

確かに、かつてワシントン・ポスト紙が私に「債務帳消しの必要性」についてのオピニオン記事(寄稿文)の執筆を依頼してきたことがありました。彼らは実際にウェブサイト上には掲載しましたが、印刷された紙面版には載せませんでした。誰か上層部の人間が差し止めたのです。

また、メソポタミアにおける企業と債務の起源についての本(後の著作につながる研究)を執筆していた際、エール大学出版局は「これは素晴らしい、査読に回そう」と言ってくれました。査読者たちも異口同音に「実に見事だ。参考文献を最新のものに改訂し、ハンムラビ法典のより新しい訳を用いればすぐに出版できる」と評価し、すべて順調に進むはずでした。ところが、出版局の統括委員会(理事会)が「いや、これは出せない。我々の出版活動の枠組み(スコープ)を超えている」と拒否したのです。それこそが真相だと思います。

シカゴでも全く同じことがありました。パンテオン・ブックスの元代表が、実質的に後の『キリング・ザ・ホスト(寄生生物が宿主を殺すとき)』となる私の本を出版しようとしてくれました。彼はシカゴ大学出版局のトップへ移籍した際、「パンテオンの会長らと長年仕事をしてきた素晴らしい書き手(ハドソン)がいる。ぜひ彼の本を出そう」と提案してくれたのです。ところが原稿が提出されると、出版局の理事全員が「もしハドソンの本を出版するなら総辞職する」と脅しをかけてきました。彼らが望んでいるのは、そうした議論ではないのです。

彼らが望む議論とは、「決して異議を唱えてはならないもの」「口にしてはならない不可侵の聖域」には一切触れない議論です。つまり、私たちは「口にしてはならないこと(Unspeakable)」を白日の下に晒しているわけです。私たちがここで語っている内容は、主流派の一般的な議論の中では決して見出せません。あなたの番組や、リチャードや私が出演する他の番組がどれほど絶大な人気を博していても、出版社や新聞、雑誌などの大手メディアからスカウトや記者が取材に来たことなど一度もありません。

私たちは彼らにとって「許容範囲の外側(Beyond the pale、言語道断な異端)」なのです。もっと別の表現もあるでしょうが、要するに「既得権益(ヴェブレンの言う vested interests)」に挑戦することは絶対に許されないのです。彼らは既得権益に一切の脅威を与えない話題であれば、いくら意見が対立しても喜んで議論させます。既得権益の存在を「前提(所与のもの)」として受け入れている限りは。中絶の権利について激論を交わすのは構いませんが、背後にある金融・経済システムそのものは所与のものとして疑ってはならないのです。

しかし私たちが、経済体制を所与のものとして受け入れず、「このシステムは機能不全に陥っている。有害で破壊的であり、産業を空洞化させるシステムへと変質してしまい、もはや債務は返済不能だ」と指摘した瞬間、突如として彼らの宴席から締め出されることになります。

例えばジョージ・ソロスが立ち上げたINET(新経済思考研究所)のような組織があります。彼らの言う「新しさ」など、たかが知れています。「過去のすべてを排除する」という意味での新しさにすぎません。古典派経済学もマルクス主義も語らない。「それは過去のものだ。我々は、金融ファンドのマネージャーたちがいかにしてより収益性の高い経済を創り出し、キャピタルゲイン(資産価格の上昇)を通じてあなたの資産を増やし、既存のシステムの中で働きながら年金基金が十分な給付を行えるようにするかを議論しよう」というわけです。

ですから、リチャードや私が出している分析は、決して目新しいことではありません。私たちは「車輪を一から再発明しようとしているのではない。車輪はすでにここにある。200年前にすでに発明されているのだ」と言っているのです。背景を理解するには多少の時間と勉強が必要ですが、古典派経済学やマルクス主義の「語彙」がいかに乗っ取られてきたかを認識しなければなりません。

先ほども述べたように、アダム・スミスや古典派経済学者たちにとっての「自由市場」とは、「経済的レント(地代・不労所得)や金利生活者(レンティア)による搾取から自由な市場」を意味していました。ところが現代の経済において「自由市場」とは、「政府が経済的レントに課税することからの自由」であり、「政府が高利貸しを規制することからの自由」であり、「金融セクターの活動や搾取を規制することからの自由」を意味するように歪められてしまいました。

率直に認めるなら、今日のあらゆる経済において最も利益を上げているセクターとは「犯罪」です。麻薬取引やあからさまな犯罪だけでなく、金融機関、独占企業、銀行、クレジットカード会社が日常的に法を破り、かつての高利貸し禁止法を空洞化させて暴利を貪る行為です。それは「リバタリアン」を気取り、1%の富裕層が残りの99%に対して何をしても許される「自由(Liberty)」に他なりません。

ですから、私たちは使われている「言葉(語彙)の解釈」から始めなければならないのです。事故のように驚くには当たらないことですが、そうした語彙の批判的分析の大半は、かつてマルクス主義者たちによって行われてきました。

これは「貨幣理論」についても同様です。現代貨幣理論(MMT)は、実はマルクス主義の土壌から発展してきました。ハイマン・ミンスキーはマルクス主義者でした。彼は私に、1930年代にシカゴ大学へ通っていた頃、メイナード・クルーガーからマルクス主義の手ほどきを受けたと語ってくれました。クルーガーは1940年に社会党のノーマン・トーマスの下で副大統領候補として出馬した人物で、私が知る1950年代にも精力的に活動していました。

しかし、ミンスキーは表立ってマルクス主義を語ることはありませんでした。ただ、彼の子どもたちが私に話してくれたところによれば、彼は子どもたちに常に『資本論』を読み、マルクスを読むように促して育てたそうです。また彼の未亡人は、私こそが彼の精神を受け継いでいると言ってくれました。彼女も認めていましたが、ミンスキーがニュースクールで教鞭を執ることを許されなかったのは、当時の教授陣の一人が、幼少期にミンスキーにオムツを替えてもらった経験のある人物で、「子どもの頃に自分のオムツを替えてくれたような人間を、同僚教授として迎えるわけにはいかない」と言い出したからでした(私はいつもその人物の名前を失念してしまうのですが)。ともあれ、ミンスキーはバード大学のレヴィ経済研究所に身を置くことになりました。そこは多方面で極めて進歩的(プログレッシブ)ではありましたが、決してマルクス主義の牙城ではありませんでした。

そしてランディ・レイをはじめ、現代貨幣理論を支える理論家たちの多くは、私自身も含めてマルクス主義の知的背景を持っています。しかし、私たちはそれを表立って「マルクス主義」と名乗ることはしていません。ステファニー・ケルトンはバーニー・サンダースの経済顧問や民主党の予算委員会に関わりましたが、彼女もマルクス主義の側面は表に出さないようにしてきました。

それでもなお、現代貨幣理論に対する激しい攻撃が続いています。MMTが「政府は国債保有者(民間銀行や富裕層)から借金をする必要はなく、自ら通貨を創造(発行)できる」と主張しているからです。政府が富裕層の資産から借金をしてそれを経済に支出するのも、自ら通貨を刷って支出するのも、インフレに対する影響は本質的に全く同一です。それこそがMMTの基本的な主張です。

それにもかかわらず、私たちは依然として孤立させられています。ミズーリ大学カンザスシティ校で私たちが育てた優秀な学生たちも、権威ある学術ポストに就くことはできません。なぜなら、主流派の権威ある経済学ジャーナルが彼らの論文を一切掲載しないからです。これもまた「許容範囲の外側(Beyond the pale)」だからです。主流派の経済学誌は、「通貨は公共公益事業(パブリック・ユーティリティ)として扱われるべきだ」と示唆する論文や、「経済的レント」の不当な搾取現象を論じる論文、あるいは「現状とは異なる経済のあり方が可能である」という事実を指摘する論文を、断じて掲載しようとはしないのです。世間で「一人前の、尊敬される経済学者」として認められるためにはイギリスの言う「TINA(There Is No Alternative:他に選択肢はない)」、すなわちあのマーガレット・サッチャーのスローガンから出発しなければならないのです。サッチャーの精神こそが前提条件であり、支払わねばならない「入場料」なのです。その入場料とは、実際にはオリガルキー(寡頭制)であるものを「民主主義のための戦い」と言い換えるような、言葉の欺瞞に唯々諾々と従うことです。

私たちは常にこうした問題と向き合ってきました。ですから私は、関係している研究所を通じて、自らの著作のほぼすべてを「自費出版」するしかありませんでした。ハーバード大学出版局は、私たちの古代アッシリア学や考古学研究の初期の成果を数巻ほど出版してくれましたが、経済学界の主流に広く受け入れられることはありませんでした。なぜなら、「シュメールやバビロニア、初期ユダヤ教において、2000年以上にわたり新王の即位時などに債務の帳消し(徳政令)が定期的に行われていた」などと語ることは、彼らにとって「債務が帳消しにできる」という発想そのものが絶対的なタブー(呪わしいもの)だからです。

私たちは、大学で教えることすら許されない事柄について語っているのです。そこには徹底した「視野狭窄(トンネル・ビジョン)」が存在します。そしてその視野狭窄は、BRICS諸国内で「いかに社会を再編すべきか」を模索している登用されたエリート層にまで蔓延しています。なぜなら、彼らの多くは全米民主主義基金(NED)などの非政府組織(NGO)によって引き上げられてきたからです。NEDなどは、大学や実務においてアメリカの新自由主義路線に快く追従するような人物を見つけ出し、昇進・抜擢してきました。最近ジョージア(旧グルジア)が、政権転覆を図り「口にしてはならない真実」を語る政治家や影響力のある人物を排除しようとする外国系NGOを禁止、あるいは閉鎖できるように法制化したのは、まさにそうした背景があるからです。

かつてハーマン・カーンは、核戦争について論じた『思考不能を思考する(Thinking about the Unthinkable)』という本を書きました。私たちは「思考不能とされていること」を思考しているだけでなく、「思考不能とされてきた事柄について語り継いできた100年以上の歴史が存在する」と訴えているのです。1800年以降、あるいはアメリカ独立革命や、アダム・スミスが『国富論』を著した1776年以降、西欧文明がどのように発展してきたのか、その真の歴史を知りたいと思いませんか? そこには受動的な検閲が存在します。第二次世界大戦以降、いかなるオルタナティブ(別の選択肢)についての議論をも封じ込めようとするアメリカの企てによって、その検閲は温存されてきました。

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 第8章 アメリカ帝国の衰退と金融化による産業空洞化

【聞き手】 本当に胸を打たれます。リックはすでに退席してしまいましたが、彼がいるうちに伝えておくべきだったかもしれません。あなたはお二人とも80代であり、その目で数多くの歴史を見てこられたのだと冒頭でおっしゃいました。お二人は、ある特定の時代から生き残っている最後の2人の経済学者です。ここクイーンズのスタジオに座り、お二人を独占して、これから何十万人もの人々が視聴することになるであろうこうした質問を投げかけることができる自分は、どれほど幸運なのだろうかと圧倒される思いです。

【マイケル】 いや、それは単なる運ではありませんよ。あなたが自ら選び取ったのです。あなたは私達を見出すことができた。鉱山全体を掘り返して貴重な鉱石を見つけ出した、とまでは言いませんが――もう少し自惚れのない言い方があるはずですが――あなたはこれを見出し、他の多くの人々は見逃したのです。そして世間の人々が目にすることのない舞台裏では、実に多くのことが進行しています。

【聞き手】 その点について、ぜひ伺いたいことがあります。リックは退席しなければならなかったため、3人で議論することは叶いませんでしたが、彼が言及したように、先日の対談で私たちは3時間丸々費やして「アメリカ帝国の衰退」について徹底的に語り合いました。BRICSのこと、イスラエルとパレスチナのことなど、極めて多岐にわたる議論でした。そこで、アメリカ帝国は衰退しつつあるという彼の見解にあなたが同意されるかどうか、また、本日の対談のテーマである「マルクス主義」と関連づけてこの問題をどう捉えているのか、ぜひお考えを伺いたいのです。

【マイケル】 リチャードに割いたのと同じように、私にも3時間くれますか?

【聞き手】 お好きなだけ時間を取ってください。

なぜアメリカ帝国は崩壊しつつあるのか?  
【マイケル】 アメリカ帝国が衰退しているのは、かつてこの国を豊かにした本来の「産業資本主義の精神」がもはや失われてしまったからです。

私の博士論文は、「アメリカ学派」の保護貿易論、すなわちアメリカ固有の経済学派についてのものでした。彼らは徹底した保護貿易論者でした。国家の役割とは産業資本主義の発展を保護することであり、とりわけイギリスやその金融勢力によってアメリカが乗っ取られるのを防ぐことにある、と捉えていたのです。

アメリカの衰退は、一連の構造的プロセスの積み重ねでした。アメリカの前進を決定的に脱線させた大きな契機の一つは、1913年の「連邦準備制度(FRB)」の創設でした。J・P・モルガンをはじめとする巨大銀行家たちが結託し、「米政府が経済に介入するのを阻止しなければならない。米財務省が担ってきた役割を乗っ取り、政府高官を一切排除した民間銀行家たちの手中に収めなければならない」と画策したのです。それが連邦準備制度の本質でした。連邦準備制度は、かつて財務省が12の地域機関を持っていたのと同様に、基本的に12の地区連邦準備銀行を設ける形で設立されたのです。しかし、あらゆる意思決定権はワシントン(政府)から金融センターへ、とりわけ市場に介入する連邦準備制度の本拠であるニューヨークへと奪い去られました。その他にもボストン、フィラデルフィア、商品取引所を抱えるシカゴ、金(ゴールド)の産地を控えるサンフランシスコといった金融都市です。

そして、政府が産業を育成するために金融を誘導するのではなく、連邦準備制度は「産業を犠牲にして金を儲ける」方向へと金融を誘導したのです。1913年の創設直後に第一次世界大戦が勃発し、その後、米国の金融セクターは連合国間の戦時債務の返済を強硬に要求しました。これが世界恐慌を引き起こす引き金となりました。同盟国諸国が「アメリカが参戦時に売却した武器の代金支払いを求めるなら、ドイツに巨額の賠償金を支払わせるしかない」と言い出し、すべてがもつれ合って、イギリス、フランス、ドイツの欧州全体が深刻な恐慌へと叩き落とされたのです。

この混乱が結果としてアメリカに強大な力を与えることになりました。1930年代にファシズムが台頭すると、ヨーロッパの人々は安全を求めて保有する金を米国へと送りました。そして1945年までに、米国は他国を威圧できるほどの膨大な金を蓄積していたのです。まずイギリスを従わせて極めて米国中心の体制を築き、「他国は自前の通貨を創り出してはならない、自前の資金を発行して経済計画を立ててはならない。金、あるいは米ドルを握る者だけが戦後世界の設計を担うのだ」と宣告しました。

極めて自己中心的な金融政策を採ることで、米国は金融中心の世界観と金融資本主義に過度の比重を置くようになり、その性格は時代とともに略奪性を強めていきました。とりわけ1980年代以降、企業の乗っ取り、借金を原資とした買収(LBO)、ジャンクボンド(高利回り社債)の台頭が顕著になりました。単にジャンクボンドにとどまらず、「借金でレバレッジを利かせ、資産を買い叩くことによってこそ巨万の富が築かれるのだ」という思想が定着していったのです。連邦準備制度は銀行に資金を融通して不動産企業の価格を吊り上げさせました。住宅や不動産の価格とは、銀行がいくら貸し出すかによって決まるからです。連邦準備制度やファニーメイ(連邦住宅抵当公庫)などの政府系住宅金融機関は、1945年の時点では「アメリカの繁栄の約束」に見えていた世界とはまったく異なる世界を作り出してしまいました。

私が育ち、家を買った1960年代でさえ、住宅ローンを貸し出す際にはすべての銀行に厳格な融資基準がありました(白人である限りは、ですが。彼らは黒人には貸しませんでした)。白人でありさえすれば、頭金を2割ほど用意すれば30年固定ローンを組むことができました。そして銀行には「住宅ローンを貸し出すが、返済額は所得の25%以内に収まる範囲でなければならない」という鉄則があったのです。

もし銀行が所得の25%を上限とする住宅ローンしか貸し出さないのであれば、今日の銀行融資のような条件――現在ではファニーメイが所得の43%まで政府保証をつけて銀行融資を認めています――で借金をする他の買い手に対抗して、住宅価格を吊り上げる(買い競う)ことはできません。

もし米国の労働者が、所得の25%ではなく43%を住宅費に支払わねばならず、しかもローン期間が30年ではなくはるかに短期であるなら、雇用者は労働者が家に住み続けられるだけの高い賃金を支払わなければならなくなります。今日、車上生活を余儀なくされる労働者が増えていることは知っていますが、本来の理念は「労働者は家を持つべきであり、車上生活やホームレスに追いやられてはならない」というものでした。

その結果、不動産や企業、株式や債券の金融化によって、米国の生産力は市場から締め出され、競争力を失っていきました(価格競争に負けたのです)。生活費の上昇、さらには医療や教育の民営化によって米国の賃金水準が押し上げられたため、今日の米国の労働者が人間らしい生活を送れる賃金水準を維持したまま、アジアの労働者や世界の他の地域の労働者と競争することなど到底不可能になりました。

そこで米国の巨大企業はこう言いました。「もう米国の労働者は高すぎて雇えない。中国を招き入れよう」と。1998年頃(※正式加盟承認はクリントン政権下の2000年、加盟は2001年)、クリントンは中国を世界貿易機関(WTO)に迎え入れ、米国は外国の安価な労働力を使う道を選びました。米国は自国内のあらゆる産業を海外へと移転させ、「もはや製造業では富は築けない。富は国内を脱産業化(空洞化)させることによってこそ築かれるのだ。産業を海外へ移転し、我々は略奪的な手法で金を稼げばいい。米国の銀行を中国へ進出させ、銀行を通じて利益を吸い上げよう。中国の物価上昇から得られる金利で莫大な利潤を上げ、中国の産業を買い叩き、独占体制を敷いてすべての富を米国へ還流させればよい」と考えたのです。

ところが彼らにとって大誤算だったのは、中国がそれを許さなかったことでした。中国はドイツやイギリスなどの追従国とは違い、自らの国益に基づいて独自に行動したのです。その結果、中国経済ははるかに強大な成長を遂げることになりました。

アメリカ人が「自国が世界における優位性を失いつつある」という現実を認識できずにいる最大の要因の一つは、「GDPの比較」にあります。「ほら見ろ、我が国のGDPは他国に比べてこれほど成長しているではないか」というわけです。しかし、この対談の冒頭でも議論したように、そもそもGDPとは何でしょうか? 人々はそれを「国内総生産」だと信じ込んでいます。しかし、現在の国内総生産(GDP)には、銀行が課すあらゆる高利の金利や延滞ペナルティ料が含まれており、国民所得・生産勘定(NIPA)上ではそれらが「金融サービスの提供」という付加価値として計上されているのです。独占レント(独占利潤)もすべて利潤の一部として含まれ、独占レントと正当な利潤の区別はありません。さらには、持ち家を持つ人が「もしその家を借りて家賃を払うとしたらこれくらいになるだろう」という推定額(帰属家賃)までもが、生産物としてGDPに計上されているのです。

ですから、GDPのかなりの部分は実際の「生産物」などではありません。もしアメリカ人が、自画自賛のためのGDP統計を鵜呑みにせず、米国のGDPの大半がレント追求者(レンティア、不労所得生活者)によって占められており、所得成長のほとんどすべてが99%の庶民ではなく1%の富裕層にのみもたらされているという実態を見抜いていたなら、彼らは気づいたはずです。「待てよ、もし実質的な生産を反映した真のGDPを中国の真の生産GDPと比較したら、単にアメリカが少し遅れているどころの話ではない。天と地ほどの差がある。アメリカはもはや何も生産しておらず、世界の他の国々に寄生するパラサイト(寄生虫)に成り下がってしまったのではないか」と。

世界の他の国々も、まだ「レントを含まない真のGDP」を公表しようとはしていません。しかし、もしそうした統計を作れば、自国の優位性がどこにあるのかを認識し、この「反(アンチ)古典派経済学」の呪縛からいかにして脱却できるかを悟るはずです。私がこれを「反古典派」と呼ぶのは、それが単なる反マルクス主義にとどまらず、「不労所得などというものは存在しない」と言い張り、古典派が掲げた真の「自由市場」の理念そのものを根底から否定しているからです。

それを理解すれば、アメリカがいま、マルクスの言う「虚偽意識(false consciousness)」に囚われていることがよく分かるはずです。まったくうまくいっていないにもかかわらず、「自分たちは極めて順調だ」と思い込んでいる状態です。それは、軍産複合体が「我々は素晴らしい兵器や戦車や航空機を作っている。ロシアよりもはるかに巨額の予算を軍事に投じているのだから、支出が多い分だけ我々のほうが優れているに違いない」と思い込んでいるのと全く同じです。しかし、米国の兵器は実際の戦闘では役に立ちません。それらは戦うための兵器ではなく、政府から「利益を吸い上げるための兵器」だからです。以前にもワインの例えでお話ししたように、それは「飲むためのワイン」ではなく「転売して取引するためのワイン」なのです。米国の兵器もまさにそれです。

そのためアメリカ人は、他国と比較して自国が世界の中でどのような位置にあるのかを正確に推し量る手段を持っていません。自らの経済がますます強くなっていると思い込みながら、実際にはレントの搾取によってズタズタに荒廃した経済、すなわち工場を建てたり新技術を導入して生産性を高めることによってではなく、経済を解体し産業を空洞化させることによってのみ富を貪る上位1%の富裕層へと二極化した経済になっていたことに気づいていないのです。

そして、米国経済が内包するこの自己破壊的な性格こそが、帝国の衰退をもたらした決定的な要因でした。そしてもうひとつの側面は国際収支(バランス・オブ・ペイメンツ)の観点から言えば、問題の根底にあるのは米国の軍事支出です。1971年にアメリカを金本位制(金の兌換停止)から離脱へと追い込んだ米国の国際収支赤字のすべては、海外での軍事支出によって引き起こされたものでした。米国は世界各地に展開する800もの軍事基地を維持・補給するために、天文学的な資金を費やしてきました。そしてそれが、ドルの構造的な脆弱性をもたらしているのです。

そもそも、アメリカ帝国がヨーロッパやグローバルサウス、その他の国々を威圧し支配し得た力の源泉は、ひとえにドルの強さにありました。しかし、もはやドルにその力はありません。アメリカは単なる債務国に転落しただけでなく、海外の中央銀行にひたすらドルを供給(流出)し続けた結果、他国の目にも真実が明らかになりました。すなわち、世界で最も裕福な金融大国などではなく、純債務国であり、各国の政府や中央銀行がソブリン・ウエルス・ファンド(政府系投資ファンド)として米国に預託している対外債務を返済することなど絶対に不可能だ、ということです。

他国はこの現実に気づき始めています。米国の貿易収支はどうなっているのか、毎年どれほどの稼得があるのか、収入源は何で、海外で何に支出しているのか――移民の母国送金や軍事費を含めて――彼らは自ら計算できるのです。そして、「アメリカは返済不能な莫大な借金を雪だるま式に膨らませている」と気づきました。

「ならば、どうやってこの事態を回避すべきか? なぜ我々は輸出で稼いだ貴重な貿易黒字や経済的余剰を、米国債に投資しなければならないのか? 我々の周りに軍事基地を築き、中国を5つに分割し、ロシアを4つから20もの国に解体しようと企む政府に、なぜ資金を貸し付けねばならないのか? なぜ自らを攻撃するためのアメリカの軍事行動に、我々自身が資金を提供しなければならないのか? なぜ脱ドル化を進めないのか?」と。

これこそが、過去2年間にわたって続けられてきた「脱ドル化」の議論の核心です。もし他国がドルの保有高を縮小させ、金(ゴールド)に置き換えていき、2024年10月(※カザン・サミット)に予定されているようなBRICS通貨、あるいはドルを介さないBRICSの通貨バスケットを構築するならば、それは対外取引の構造が一変することを意味します。例えばインドとサウジアラビアが石油取引を行う際、もはやドルは使われません。諸国はドルから自らを解放していくことになります。

金がますます大きな役割を果たす一方で、依然として他国の外貨準備においてドルが大きな割合を占めているのは、アメリカが原子爆弾を持っているからに他なりません。しかし、実質的には「ドルそのものが原子爆弾」だったのです。現在の米国には陸上兵力が不足しているため、他国を直接侵略することはできません。事態を阻止するために米国ができることといえば、テロリズムや政権転覆工作くらいしか残されていないのです。

そして諸外国は今、いかにしてこの支配から抜け出すかを必死に模索しています。アメリカはロシアを制裁し、中国を制裁し、ヨーロッパに対ロシア・対中国の封じ込めを強いて、西側世界と異なる手法をとる国々とを分断させました。しかしその結果、それらの国々は米国やその同盟国から輸入する代わりに、自国内で自給・生産することを余儀なくされたのです。制裁はロシアを強化し、中国を強化し、イランを強化しました。

アメリカの意に沿わない国々を孤立させるはずだった制裁は、蓋を開けてみれば、突如としてアメリカ自身を孤立させ、自らを完全な孤独へと追い込む結果となりました。もし世界が米ドルを欲しがらなくなったら、他国が生産する物資に対して、アメリカは何を対価として差し出すことができるのでしょうか? アメリカは国内で何も生産していません。そして、経済全体があまりにも重いレント(地代・利子)の負担、債務の負担、金融の負担、独占の負担を抱え込んでいる限り、他国と競争できるような生産力を回復することなど不可能なのです。

私たちは完全に孤立しています。これは国内で金融危機が勃発し、企業が次々と倒産していくことを意味します。彼らは自らの世界の終わりが近づいていることを悟っています。彼らの狭い視野(トンネル・ビジョン)においては、それこそが「世界の終わり」だからです。しかし、あまりに不都合で不愉快な真実であるがゆえに、彼らは口を閉ざします。リチャードや私の年代の人間が、妻を動揺させたくないからと「死」についての話を避けたがるのと似ています。アメリカも自らのシステムが自己破壊的であり、金融資本主義が自滅的な結末を迎えつつあるという現実に対して、まったく同じ態度を取っているのです。

ですから、他国が共産主義化を決意してアメリカから離反し、反米に転じたのではありません。アメリカが自ら自国の経済を破壊したのです。国内の産業化を推し進める代わりに金融化へと舵を切り、自らの首を絞めた結果、世界に対するあらゆる影響力を喪失しました。残されたのは軍事力による威嚇と「買収(賄賂)」だけです。刷り散らかしたドルを使って買収するのです。西欧の政治家を買収するなど造作もありません。彼らは骨の髄まで腐敗しており、彼らにとって出世とは買収されることと同義だからです。彼ら自身はそれを汚職だとは思っていません。「これら米国の非政府組織(NGO)から受け取っている資金は賄賂ではなく、我々自身が目指す活動への正当な支援なのだ」と嘯いているのです。

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 第9章 関税・制裁政策の逆効果と自滅的な孤立

【聞き手】 実際に皮肉ですね。西側では完全に逆の物語が信じ込まれていて、「賄賂で動くのは東側の腐敗した政治家たちだ」などと言われているのですから。

【マイケル】 ええ。向こうで賄賂といえば、精々が交通警察官に金を握らせるような個人的・小規模なものでしょう。しかしアメリカは、全米民主主義基金(NED)の資金配分などを通じて、買収を国家的な制度として組み込みました。我が国の外交政策の本質とは、基本的に買収と脅迫であり、時にはチリのアジェンデ政権に対して行ったような暗殺や、原因不明の不可解な「失踪」といった、より凶暴なテロリズム的手段に他ならないのです。

古典派経済学の集大成としてのマルクス  
【聞き手】 BRICS諸国など先ほど挙げていただいた地域で現在何が起きているのか、そして彼らが現代の経済の中でどのように立ち回っているのかを分析する上で、マルクス主義がどのような洞察を与えてくれるのか、もう少し伺いたいと思います。過去、南米にも深く関わってこられたあなたに、今日の視点からぜひお考えを聞かせてほしいのです。

【マイケル】 私はそれを「マルクス主義」とすら呼ぶ必要はないと考えています。それは実質的に「古典派経済学」そのものなのです。マルクスとは、古典派経済学の集大成(頂点)に他なりません。

ですから、人々が「マルクス主義」と言うとき、彼らが本来指し示しているのは、「経済的レントとは、経済にとって不要なレンティア(不労所得生活者)階級によって貪られる不労かつ略奪的な所得である」という根本概念に基づいた、価値、価格、そしてレントの理論体系全体のことなのです。

要するに、そういうことなのです。リチャードが言ったように、すべては「どのように表現するか」という言葉遣いの問題にすぎません。「私たちはマルクス主義者だ」とあからさまに宣言する必要すらないのです。「アダム・スミスの言う通りだ。地主は何も生産していないのだから、健全な社会に地主階級など存在してはならない」と言えばよいのですから。そしてジョン・スチュアート・ミルが言ったように、「地主は眠っている間に金を儲ける」のであり、それは生産活動ではありません。

こうしたことすべてについて、何もわざわざマルクスを引用する必要はないのです。マルクス自身がそれらすべてを受け入れていたからです。アダム・スミスやミルやリカードたちがすでに言い尽くしたことを、マルクスが一から繰り返す必要はありませんでした。彼はただ「諸君が封建制と封建制の遺制から何を排除すべきかを述べた今、私はそれらの知見を統合し、この資本主義自体がどのようにして独自の搾取を生み出し、自らの矛盾を抱え込んでいるのかを解き明かそう」と提示したのです。

ですから、「古典派経済学にはマルクス主義が含まれている」と説明すれば、人々はより耳を傾けてくれるようになります。リチャードと私「マルクス主義者」と定義されてしまう唯一の理由は、マーガレット・サッチャー政権下で民営化を企てた「アダム・スミス研究所」のような連中ではなく、私達マルクス主義者だけが「アダム・スミスが本当に言っていたこと」を語っているからに他なりません。スミスが語っていたのは、「実業家たちが集まれば、必ずや共謀して価格を吊り上げようとする」という現実でした。

マルクスが提示しているのは、今日人々が教え込まれている「反(アンチ)古典派経済学」とはまったく異なる、真の古典派経済学の全体像です。リチャードや私学生だった頃は、まだ「経済学説史」が教えられていましたが、今の大学にそのような講義はありません。それらはすべて「数理経済学」へと置き換えられてしまいました。

数理経済学は極端な視野狭窄(トンネル・ビジョン)に陥っています。一体何を測定しているというのでしょうか? もしGDPを測定しているのだとすれば、「待てよ、GDPの内訳は何だ? クレジットカード会社が延滞料を取り立てることを『金融サービスの提供』と呼び、それを本当にGDPに含めていいのか?」といった疑問すら生じなくなります。

つまり、私たちは思考の枠組み(カテゴリー)そのものを問い直さねばならないのです。生産的投資と不生産的投資の違いは何なのか。金融投資は実体的な生産プロセスの一部ではなく、産業空洞化のプロセスの一部です。何が生産的で、何が不生産的なのか。何が経済的レント(不労所得)であり、何が正当な利潤なのか。

これらの定義そのものに向き合えば、定義自体がひとつのまったく異なる経済システムとその運動法則を描き出していることが分かります。私はこのテーマについて『J is for Junk Economics(Jはジャンク経済学のJ)』という本を書きましたが、今思えば『経済的欺瞞の語彙と現実』と題するべきでした。

古典派経済学者格が語ったことをパズルのピースのようにつなぎ合わせれば、それは自ずと「社会主義」へと帰着します。19世紀末、誰もがこの現実に気づいていました。当時起きていた事態を、人々は何らかの形で「社会主義」と呼んでいたのです。しかし結局のところ、勝利を収めた形態はヒトラーの国民社会主義、すなわち「ナチズム」でした。彼らが望んだのは古典的な社会主義でもマルクス主義的な社会主義でもなく、ナチズムだったのです。

そして現在、アメリカはそのナチズムを「民主主義」と呼んでいます。彼らの言う「二大民主主義国」とはイスラエルとウクライナです。この両国に共通しているのは、自らと異なる信条を持ち、異なる言語を話す人々に対する本能的(内臓的)な人種差別・民族的憎悪です。アメリカの外交政策が「いかなるナチ的・ファシズム的国家であっても支援し、それを『民主主義』と呼び変える」と決定した瞬間、世界における文明の衝突の構図は固定化されました。彼らにとって「権威主義」とは国家が国民のために行動することを意味し、「民主主義」とはオリガルキー、すなわち「金融寡頭制」を意味しているのです。

この語彙の真の意味を理解すれば、今日起きていることが「文明の分裂」であることが分かります。それは、自らを守るために最も凶暴な私兵(アメリカの外人部隊)を行使する金融寡頭制と、それに対抗する勢力との衝突です。カーター政権下で創設されたアルカイダやその後のISISは、アフガニスタンの世俗的で生産的な社会を破壊し、女性の平等を踏みにじるための道具でした。ウクライナにおけるファシズム(ナチズム)や、イスラエルのアパルトヘイト国家も同様です。

これこそが文明をめぐる戦いだと気づいたとき、「では、アメリカが『権威主義』と呼ぶ国々の実態とは何なのか?」という問いの答えが見えてきます。それは、国家がレント・シーキング(不労所得の追求)を阻止し、通貨を公共の公益事業として扱い、住宅価格の暴騰分が住宅ローン金利として銀行へ吸い上げられるのを防ぐ国家のことです。経済の生産性が向上するにつれて上昇する土地の価値を政府が公的に回収し、労働者の賃金に対する所得税や、消費者に重くのしかかる付加価値税(消費税)、あるいは逆進的な一律課税(フラットタックス)を課さずに済むようにする国家のことなのです。

これらはすべて、アメリカが他国に押しつけているものとは正反対の施策です。しかし、中国にいる私の教え子たちによれば、彼らの就職は、アメリカの大学で主流派経済学を学んできた中国人留学生たちに圧倒され、後れを取ってしまうことが多いそうです。もし中国が経済学を学ぶ学生をアメリカの大学へ送り続けるなら、彼らは一体どのようにしてこれらの真理を学ぶというのでしょうか? BRICS諸国が自国の学生をアメリカに送り続けていては、車輪を一から再発明するために必要な語彙や経済用語、経済的レントの概念をどうやって獲得できるというのでしょうか?

かつてヨーロッパの古典派政治経済学者たちが、レントの追求、金融化、独占化を排除するためにこの問題をいかに解決したのか――過去にすべて先例があるのです。彼らがすべきことは、過去にそれがどのように成し遂げられ、いかに健全に発展したかを振り返ることだけです。マルクスはそうした歴史的変化のすべてを「運動法則」として記述しました。BRICS諸国が「自国の経済を再編し、従わせるべき運動法則とは何か」を正しく問うならば、かつて19世紀後半にアメリカからドイツにかけて築かれたような、真に生産的な経済を創り出すことができるはずです。

トランプの対中関税政策はアメリカに破滅をもたらすのか?  
【聞き手】 アメリカ帝国の衰退という話題に関連して伺います。数日前にリックと対談した際、私たちは間近に迫った大統領選挙について議論しました(この対談が公開される頃には、すでに結果が出ているかもしれませんが)。私が念頭に置いたのは、あなたが「関税」の第一人者であるという点です。リックとの対話でも米中関係を取り上げ、トランプがかつて強力に推し進めた関税政策が大きな焦点となりました。この分野について、あなたのお考えをお聞かせいただけますか?

【マイケル】 トランプの関税政策は、19世紀のアメリカが採用した関税政策とは「真逆」のものです。

19世紀における保護関税の理念とは、輸入品の価格を引き上げることで「価格の傘(保護障壁)」を作り出し、国内のアメリカ企業が設備投資を行い、十分な利潤を上げて、イギリスやその他の西欧諸国への依存から脱却できるようにすることでした。したがって保護関税とは、しばしば「幼稚産業の保護」と呼ばれたように、国内産業を育成・発展させるためのものだったのです。

しかし、トランプが提案し、おそらく民主党政権であっても継続するであろう「中国製品に対する一律20%(あるいはそれ以上)の関税」は、アメリカ国内の幼稚産業であれ成熟産業であれ、いかなる産業をも育成することはありません。先ほど説明した理由のためです。アメリカは、本来社会的な公共公益事業であるべき金融を民営化し、医療を民営化し、教育費を民営化することによって、すでに自らを「国際競争に耐えられない体質」にしてしまったからです。

考えてもみてください。アメリカの労働者が職を得るための大学学位を取るために年間4万〜5万ドルの借金を背負い、仕事場に通うための車を買うために借金を重ね、GDPの18%にも上る巨額の医療費を支払わなければならないとしたらどうなるでしょうか。諸外国であれば、労働者の賃金総額そのものが、アメリカ人が医療費として支払っている金額だけで賄えてしまうのです。このような状況下で、米国内に新たな製造業を育成することなど到底不可能です。

したがって、関税が国内産業を保護せず、自立への道を切り拓くこともないのだとすれば、関税は一体何をもたらすのでしょうか? ある意味で、関税とは「他国から制裁を科された状態」の裏返しです。他国が我が国に制裁を科し、それによって自前で産業を育成せざるを得なくなるようなものです。アメリカがロシアに制裁を科したとき、それは実質的にロシアが自国の産業に無限に高い保護関税をかけたのと同じ効果を持ちました。制裁はロシアの幼稚産業、新興農業、あらゆる国産事業を育み、彼らの自立を促したのです。

しかしアメリカにおいて、関税がもたらす効果は二つしかありません。第一に、中国からの輸入品の価格を跳ね上げることです。これはウォルマートの店頭価格が劇的に高騰することを意味します。第二に、アメリカ政府のための「税収」を生み出すことです。かつてリンカーン政権の国務長官だったウィリアム・スワードは、「関税を引き上げれば十分な財源が得られるため、国内の産業に課税せずに済む」と説きました。この場合、関税は政府支出の財源となり、エリー運河などのインフラ建設資金を賄いました。スワードの経済顧問であり、私の博士論文の対象でもあったE・ペシャイン・スミスがこの関税理論を体系化し、当時のアメリカでは見事に機能したのです。

しかし現代において、アメリカが中国からの関税収入を手にして「お前たちの利益率が高くないことは分かっているが、我が国への輸出額から20%を毟り取り、それを財源にして中国の周囲を取り囲む軍事支出を賄い、お前たちを複数の小国に解体してやるのだ」と言ったところで、一体何が起きるでしょうか。

【マイケル】 ……「お前たちは我が国の第一の敵だからこそ、我々はお前たちを破壊し始めるのだ」と。これは実質的に、トランプが口にしてきたことのほぼ一言一句そのままです。「彼らは敵だ」と。バイデンも「中国は我が国の最大の敵だ」と言っています。「我々が中国を軍事的に包囲するための費用や経費を、中国自身に支払わせたい。その手段が関税であり、これによって米財務省の財源を調達するのだ」という論理です。

しかし、中国側にも当然いくつもの対抗策があります。

そして、世界におけるアメリカの衰退を招いた最大の要因のひとつとして指摘しておかねばならないのは、「アメリカの外交政策は、他国が対抗措置をとってくる可能性をまったく想定していない」ということです。アメリカは常に「自分たちだけが能動的な主体(アクター)であり、他のすべての国は受動的な客体にすぎない」と思い込んでいるのです。「他国は黙って耐え、我々の決定に唯々諾々と従う以外のことは何もできないはずだ」と信じ込んでいるのです。

彼らにとって、それこそが「法」であり、「ルールに基づく国際秩序(rules-based order)」の実態なのです。すなわち、「我々がルールを作り、お前たちはそれに従う。我々がお前たちに何をしようと、黙って受け入れねばならない」という秩序です。

しかし、もし中国がこう言い出したらどうなるでしょうか。「結構だ。それなら我々は自国の輸出税を20%引き上げよう。我が国政府がその20%を徴収する」と。そうなれば輸出価格そのものが跳ね上がり、アメリカ側の関税上乗せ分と合わさって実質的に30%やそれ以上の負担増となり、結果として中国から入ってくるほぼすべての製品の価格が50%も暴騰することになります。

現に中国はすでにこう警告しています。「もし我が国の輸出品に関税を課すというのなら、我々はお前たちの製品を買うための外貨を十分に稼ぐことができなくなる。ならば、無理をしてそちらへ輸出する必要もない。そちらから買い付けるための資金が要らないのだから。したがって、ゲルマニウム、ガリウム、レアアース(希土類)の対米輸出を停止する。カドミウムも輸出しない。アルミニウムの精錬も我々が世界の大部分を担っているが、それも輸出する必要はない。我々は双方の貿易均衡を保ちたいと考えているのであり、そちらが買わないのなら、こちらもすべてを縮小させるだけだ」と。

中国はヨーロッパに対してもまったく同じことを言っています。アメリカはヨーロッパに対して「中国を制裁せよ。貿易を行えば相手に依存することになるのだから、輸出を止めて対中依存を断ち切れ」と命じました。その結果、中国は現在、欧州向けの輸出を縮小させており、こう告げています。「ヨーロッパよ、君たちは両国間の貿易不均衡に不満を漏らしているが、我々だって君たちから買いたいものは山ほどあるのだ。オランダには、コンピュータ用半導体の製造に必要な極端紫外線(EUV)露光装置を作っている企業(ASML)があるではないか。その機械をなぜ我々に売ってくれないのか? 我々は喜んで買う用意がある」と。ところがアメリカが横から口を挟み、「ダメだ、軍事転用される恐れのあるものは一切中国へ輸出してはならない」と禁じるわけです。すると中国はこう返します。「我々に売ってくれないというのなら、我々がそちらに売る理由がどこにあるのか? ユーロを稼ぐ意味などないではないか。そちらから何も買えないのならユーロなど不要だ。だから輸出を削減するまでだ」と。

このように、トランプ政権とバイデン政権が一体となって課してきた制裁措置は、実のところアメリカ自身をこれらの国々から孤立させる結果を生んでいます。これは単に米国の労働コストが高すぎて市場競争から締め出されるという次元の話にとどまりません。不可欠な原材料が手に入らなくなるのです。アメリカは現在、濃縮ウランをロシアから調達しています。宇宙開発――ミサイルではなく宇宙船――に必要な資材もロシアから調達していました。とりわけ、強大な火炎を噴出するロケットエンジンの燃焼室などはウクライナやロシア西部で製造されていたものですが、それらは完全に遮断されてしまいました。

つまり、サプライチェーンの致命的な寸断が起きるのです。例えば、ボーイング社が航空機のある特定の部品を調達できなくなれば、航空機全体の製造を止めざるを得なくなります。対中貿易への制裁と関税を組み合わせた対中戦争は、米国の産業、とりわけ米軍が必要とする重要物資の輸出を中国が絞り込むという事態を招きます。中国はこう言うでしょう。「なるほど、お前たちの言う『ルールに基づく新たな貿易秩序』とは、自国への戦争遂行を助けるような物資は相手国へ輸出しないということなのだな。結構、そのルールに乗ろうではないか。我々もお前たちの軍備を助けるような資材は一切輸出しない」と。

すでに米国はインテルなどの半導体メーカーに対し、「高速の先端半導体を中国へ輸出してはならない。中国がそれをミサイルに搭載し、我々に向けて発射して爆破するかもしれないからだ」と命じ、対中輸出を差し止めました。その結果、何が起きたでしょうか? インテルは今や経営破綻の危機(経営危機)に瀕しています。インテルは悲鳴を上げています。「待ってくれ、中国こそが我が社の最大の市場だったのだ。中国市場を失えば、もはや利益を出せる企業ではいられない」と。同社は今や身売り(事業売却)を模索する事態に追い込まれており、「中国への販売なしには利益を上げられない。あそこが我々の生命線だったのだ」と訴えています。

このように、トランプや共和党だけでなく、バイデンや民主党を含めた米国の外交政策――議会全体がそうですが――は、世界の他の国々すべてを「敵」として扱うあまりに好戦的な姿勢に凝り固まっています。その政策は、アメリカの競争力を市場から奪うだけでなく、生活費を抑えるために人々が購入する生活必需品の価格を急騰させます。米国内のインフレは劇的に跳ね上がり、実質賃金は低下し、それによって賃上げを求める圧力はさらに高まります。

しかし何よりも致命的なのは、航空産業、軍需産業、コンピュータ産業、人工知能(AI)産業といった基幹産業のすべてにおいてサプライチェーンが寸断され、開発と生産のプロセス全体が停止に追い込まれるということです。ロシアが核兵器や原子力発電所を動かすための濃縮ウランを売ってくれなくなれば、突如として我が国の経済は機能不全に陥ります。

それはまるで、彼らがアメリカ経済に爆弾を投下したかのようです。しかしその爆弾とは、共和党と民主党、そして連邦議会が「奴らと縁を切りたい」と叫んで自ら仕掛けた「法的な自爆弾」なのです。「対等な立場で分離する」などという生易しいものではありません。相手から必要なものを一切得られなくなるのであり、産業化を継続するために不可欠な物資を自ら調達できない経済へと転落するのです。かくしてアメリカの繁栄は潰え去ります。企業は閉鎖に追い込まれるでしょう。インテルはすでに雇用を削減し、「製品を中国へ輸出することが許されない以上、これ以上労働者を雇い続ける必要はない」と宣告しています。アメリカ国内には市場がほとんど残されていないからです。すべての生産拠点をアジアに移転してしまったため、アメリカ市場などたかが知れており、かつてはアジア勢が米国製半導体を買って中国へ組み込んで売っていたのですから。

要するに、アメリカは自らの手で自らの首を絞めているのです。対外貿易の面において、関税によってまさに自らの首を絞めているのです。そしてそれこそが、トランプが掲げる看板政策でした。彼は「ロシアを懲らしめるために一律20%の関税を課すことを基本方針とする。これで奴らは打撃を受ける」と言い、さらにウクライナ戦争についても「1週間以内に終わらせてみせる」と豪語しています。

しかし、ウクライナでの戦争をわずか1週間で終わらせる方法など、現実にひとつしかありません。ロシアに20発の水爆を叩き込むことです。それをやらない限り、1週間で戦争を終わらせることなど不可能です。トランプは本気でそれを言っているのでしょうか? それとも単に無知なだけなのでしょうか? かつてトランプ政権の最初の国務長官(レックス・ティラーソン)は、彼を「本物の間抜け(fucking moron)」と吐き捨て、「辞任してスタンダード・オイル(エクソンモービル)に戻る」と言ったほどです。

政治家たちは経済について何も理解していません。マルクス主義はおろか、古典派経済学の講義すら受けたことがないからです。アメリカの強みと弱みを正確に分析できる立場にある人間の中に、いま何が起きているのかを理解している者は一人もいません。

そして、米国の経済政策に見られるこの機能不全は、軍事政策においても全く同一です。「ウクライナ戦争でロシアが優勢に立っている」と指摘した軍事アナリストや、「パレスチナ人、そして今やレバノン人に対して行っている暴挙によって、イスラエルは自らを破滅へと追い込みつつある」と分析した軍事専門家たちは、ことごとくCIAから追放されてきました。元CIA分析官のレイ・マクガヴァンや、(ダグラス・マグレガー)大佐をはじめ、現実を直視した軍事アナリストたちは皆、軍を去り、国務省を去り、国土安全保障省を去らざるを得なくなりました。彼らがネオコン(新保守主義)の方針に同調しなかったからです。

彼らは「あなた方のネオコン路線は通用しない」と警告したのですが、国務省や軍、CIAにおいて、そうした正論は出世の道にはつながりません。出世できない彼らは結局組織を去り、インターネット上の数少ないトーク番組などに出演するようになります。そうした番組は彼らを「現実主義者(リアリスト)」と呼んで重宝しています。

しかしネオコンは、そうした現実主義者を毛嫌いします。彼らは現実的な世界観ではなく、「我々対奴ら」という二項対立の妄想と、「国内産業を空洞化させようが、実質賃金を引き下げて階級闘争を引き起こそうが、債券保有者や企業の財務管理者、株主といった最富裕層の1%に所得をすべて吸い上げさせようが、我々は奴らに勝てるのだ」という空虚な虚勢に阿る米国の政治風土に迎合しているからです。

現実的な経済政策も、現実的な軍事政策も持たずに、「我々の言うことを聞かなければ爆撃するぞ」と威嚇する以外に、どうやって世界の他の国々と渡り合えるというのでしょうか。中東であればISISやアルカイダといった自前の外人部隊を仕向け、ロシアやヨーロッパであれば各地に抱えているナチ組織を煽動して差し向け、アフリカでも再びISISを利用する――そうした外人部隊が世界中に配備されています。ウクライナでも、イスラエルの部隊がナチ勢力と肩を並べてロシアと戦っています。双方がそれぞれ異なる理由からロシア人を憎悪しているという共通点があるからです。ナチ勢力はロシア人がユダヤ人を嫌悪しなかったから戦い、イスラエル側は19世紀の帝政ロシア時代にあった反ユダヤ主義への怨念からロシア人を憎んでいる――実に皮肉な構図です。

したがって、大統領選挙は現在進んでいる非現実的な軌道をそのまま突き進むことになるでしょう。

事故のように、中国やその他の国々から輸入する生活必需品の消費者物価指数(CPI)を跳ね上げるだけでなく、相互の貿易破壊へと突き進む経済・貿易政策が踏襲されることになります。その貿易戦争は、互いに関税を引き上げ合っていた1930年代のようなものには留まりません。もはや「一切貿易を行わない」という事態に至るのです。市場を争って競争するのではなく、「市場から自ら撤退する」のです。それこそがアメリカが行ってきたことです。

本来の貿易戦争とは、何らかの形で他国の市場を奪い取るためのものです。しかし今日の貿易戦争は、「我々がお前たちの市場を断ち、お前たちが我々の市場を断つ」というものであり、結果としてアメリカが完全な孤立に陥るだけに終わっています。「待てよ、もし世界の大多数(グローバル・マジョリティ)から原材料やエネルギー、工業製品、食料を手に入れられなくなったら、我々はどうやって自前の産業を再始動できるというのか? まるで19世紀に逆戻りではないか」という分析すらなされていません。経済は完全に破壊されてしまうでしょう。

見方を変えれば、共和党も民主党も「アメリカ経済を破壊することが望ましい」という点では一致しているとすら言えます。それには理由があります。繁栄している経済よりも、破壊されつつある経済からの方が、はるかに手っ取り早く、巨額の利益を掠め取ることができるからです。企業が次々と倒産すれば、金融セクターや企業乗っ取り屋(コーポレート・レイダー)たちはそれらを二値三文(タダ同然)で買い叩くことができます。そして底値で買収し尽くした後に、「よし、これからは常識的な世界に戻そう」と言って、二値三文で手に入れた企業から再び莫大な利益を搾り取ればよいと考えているのです。

しかし致命的な問題は、アメリカ自身が「後戻りのできない不可逆的な変化」を引き起こしてしまったという点にあります。その不可逆的な変化とは、「我々にはもはやアメリカもヨーロッパも不要だ。互いの利益と相互貿易によって、自活していくことができる」と宣言するBRICSの台頭です。一度起きてしまったこの不可逆的な流れを巻き戻す術はありません。

企業を意図的に経営破綻させ、破格の投げ売り価格で買い叩くという金融エリートたちのシナリオは、経済を苦境から救い出すことにはなりません。企業が次々と倒産して雇用を削減し、労働者は家賃も払えず、クレジットカードの支払いや住宅ローン、自動車ローンの返済もできなくなるという、荒廃した経済が残るだけです。以前もお話ししたように、すでに各種ローンの延滞率は急増しています。ここニューヨーク市でも、すでにオフィスビルの空室率は40%に達しています。この放置された大量の空室オフィスをどうするつもりなのでしょうか? 「高級住宅にリノベーションして貸し出せばいい」などと議論されています。

しかし、そうしたオフィスビルは居住用不動産にはまったく適していません。ウォール街のきらびやかな高層ビルに住んだとして、一体どこへ食料品の買い出しに行くというのでしょうか? 空調はどうするのか? 外光の入らない窓のない部屋が大量にできてしまう問題をどう解決するのか?

先週金曜日のフィナンシャル・タイムズ紙にも、ロンドンのカナリー・ワーフ(かつてライヒマン兄弟が30〜40年前に開発した金融特区)について全く同じ議論が掲載されていました。イギリスがEUを離脱(ブレグジット)した今、銀行が入居していた巨大な金融オフィスビル群は軒並みガラ空きになっています。「ロンドンは住宅不足なのだから、これらを住宅として貸し出せばいい。地下鉄ジュビリー線の延伸などで政府が巨額の予算を投じたため、交通アクセスは抜群だ」などと言っています。

しかし、そこは血の通わない砂漠のような場所であり、生活感のある「街(コミュニティ)」とは程遠い空間です。クイーンズ・ブルバードを歩けばカフェがあり、食料品店があり、靴屋があるように、建物の1階部分に店舗が入る構造にはなっていません。入居者を威圧するような巨大な吹き抜けロビーしかないオフィスビルを、どうやって靴屋や薬局、居心地のよいカフェに改修するというのでしょうか?

さらに、新型コロナだけでなく、家畜から広がる新たな感染症や鳥インフルエンザ、牛インフルエンザが次々と現れている現在、ビルの空調システムをどう改修するつもりなのか。多くの開発業者は「すべて取り壊して一から建て直したほうが安上がりだ」と漏らしています。フィナンシャル・タイムズが報じるイギリスの惨状からアメリカの現状に至るまで、アメリカの聴衆にとっては自国の不都合な真実を聞くよりも、他国の話として聞いたほうが理解しやすいのかもしれません。彼らは「産業を空洞化させた結果、誰も使わなくなったこれらの巨大オフィスビルをどう始末すればいいのか」と頭を抱えているのです。

アメリカの資本主義がどこへ行き着くのかを見たいなら、かつてマーガレット・サッチャーがイギリスで何を行ったかを見れば一目瞭然です。それこそがリバタリアンであり、共和党の政策そのものです。「国家の規模を縮小させ、国家を解体しよう。ハイエクが言ったように、それこそが隷従への道からの脱却だ」と。そしてサッチャーが言ったように、「政府が経済を規制する能力など一切持たせないようにしよう」と進めてきました。

そしてご存じのように、数カ月前、連邦最高裁判所は歴史的な判決を下しました(※シェブロン法理の破棄)。政府機関(行政官庁)はもはや企業に対して独自に規制を課すことはできず、すべての規制は連邦議会が法律として可決しなければならない、と判断したのです。専門知識を持つ行政機関が経済を規制する権限は完全に奪われました。今や規制を決めるのは、まさに規制される側の階級(富裕層・巨大企業)から選挙資金を潤沢に受け取っている政治家たちだけになったのです。政治家たちはもはや専門の規制担当者を任命することもできず、自らの選挙資金を出資してくれる規制緩和推進派の意向に唯々諾々と従うしかありません。

このように、ドナー階級(献金者階級)による政治資金調達を野放しにしたことこそが、アメリカ帝国が沈没しつつあるもうひとつの決定的な理由です。政治家たちがドナー階級の定めたルールに従って動いている以上――共和党も民主党も、AI産業、軍産複合体、とりわけ石油産業や巨大アグリビジネスなど、全く同じ産業界の同じ大口献金者を共有しています――政治家たちが99%の一般庶民のための繁栄を後押しすることなどあり得ません。彼らは自らの選挙資金の出し手である1%の独占資本家、金融業者、レント搾取者たちの繁栄だけを支援するのです。

したがって、政治システムそのものが、リチャードと私先ほど指摘したあの「視野狭窄」の一部と化してしまっています。その結果、彼らはアメリカ経済がどこへ向かっているのか、金融資本主義がどこへ漂流しているのか、そして世界の他国が自前の選択肢を持って進もうとしている中でアメリカがどのような相対的地位に置かれつつあるのか、その「運動法則」をまったく理解できなくなってしまったのです。

彼らに残された唯一の希望的観測は、「他国も自分たちと同じように愚かで非現実的であり、何をすべきか分かっていないはずだ。1世紀前にアメリカを覇権国へと押し上げたあの青写真に、他国もいまだに従い続けているに違いない」と思い込むことだけです。私たちが生きているのはもはや1世紀前の世界でも、第一次世界大戦後の世界でもなく、完全に異なる新たな世界なのだという現実に、彼らは気づいていないのです。世界全体が、暗闇の中で「視野狭窄(トンネル・ビジョン)」に陥ったまま動いているように思えます。これこそが、この事態の極めて皮肉な点です。

私たち唯物論者は、人間も国家も「自らの経済的利益(合理的な国益)」に基づいて行動するものだと考えがちです。しかし現在、アメリカも他の国々も、自らの利益に沿った行動をとっていません。当の国家自身が何が自らの利益なのかを理解していないとき、一体どうやって各国の将来の行動を予測できるというのでしょうか?

これこそが、未来予測(フューチャリスト)をこれほどまでに困難にしている要因です。過去、1970年代の頃は未来予測はずっと容易でした。アルビン・トフラーやハーマン・カーン、そして私は、当時いつも顔を合わせて語り合っていました。私たちは皆、「産業の利益はこれだ、石油の利益はこれだ、軍部の利益はこれだ」という利害関係を手に取るように把握でき、ほぼ完全に意見が一致していました。何が各主体の利益かが明白だったため、「ドイツの国益はこうなる、イギリスの国益はこうなる」と予測を立てるだけでよかったのです。

しかし、今日ではもはやそのような予測は不可能です。誰も自らの利益が何であるかを理解しておらず、全員が迷走し、もがき苦しんでいるからです。指導者たちが自ら何をしているのかも、何が自国にとって有利なのかも分かっていない状況で、各国が次に何をするかをどうやって予測せよというのでしょうか。「彼らにとって何が合理的か」を考えることすら不可能です。彼ら自身が何が合理的かを知らず、何が合理的で何が自らの利益なのかを思考するための枠組みそのものを持っていないのですから。

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 第10章 古典派の骨格による未来予測とアウトサイダーの視座

【聞き手】 その洞察には惜しみない拍手を送るべきですね。ご自身で自分を褒めることはなさらないでしょうから、リスナーの皆さんのために私から少しお話しさせてください。

視聴者の皆さんは、リックと同様にあなたをこの番組で何度も目にしてきました。前回の配信の後、私のもとには驚くほど多くの反響が届きました。あなたご自身も、あれはおそらくこれまで受けた中で最高峰のインタビューのひとつだったと同意してくださると思いますが、多くの視聴者が「経済学における自らの専門領域についてどれほど博覧強記であるかというだけでなく、それについてこれほど滑らかに、澱みなく語ることができるのか」と、ただただ圧倒されていました。

そこで、視聴者の皆さんに、この対談がどのようなプロセスを経て行われているのか、その舞台裏をほんの少しだけ明かしておきたいと思います。おそらく皆さんが想像しているよりも、はるかにシンプルなものだからです。

実のところ、この収録を始める前に、あなたとリックと私の3人で決めていたのは「大まかなテーマ」だけでした。「西側におけるマルクス主義の展開、それがいかに今日の経済に影響を与えているか、そして今後の行方を評価するためにそれをどう活用できるかについて話そう」と決めただけです。具体的に何を話すかについて、詳細な事前の打ち合わせなど一切ありませんでした。私がしたことといえば、いくつかの箇条書きをメモ帳に走り書きした程度で、それすら対談中は一度も見返していません。時間を気にして何回か時計を確認し、お二人がおっしゃった言葉を次に口を開くときのために1、2語メモしただけです。

要するに、対談が始まる前、私たちが中国への関税問題について話すことになるなど、あなたも私も――誰も――予想すらしていなかったのです。議題にすら上がっていませんでした。私がその質問を完全にその場の思いつき(アドリブ)で投げかけたところ、あなたはそれに対して、時計を見れば分かるとおり、40分間にも及ぶ見事な講義を即座に展開してみせたのです。時が経つのは本当に早いものです。

おそらくあなたの年代で、60年間も経済学を研究してきた人々であっても、今あなたがやってのけたような解説ができる人などまずいないでしょう。本当に驚異的です。私は聡明な人々を大勢知っていますが、今あなたが披露してくれたような芸当ができる人間は他に一人も知りません。

そこで、議論を先に進めるにあたり、あなたの思考法や仕事術について少し伺いたいのです。事前の準備も一切なしに、これほどの深みをもって、突発的に40分間もひとつのテーマについて語り続ける能力を、あなたはいかにして培ってきたのでしょうか?

【マイケル】 そうですね……私が幼少期に耳にした最初期の演説が、すべて社会主義者たちの演説だったからかもしれません。マックス・シャクトマンは稀代の雄弁家でしたし、私の恩師であったテレンス・マッカーシーも素晴らしい演説者でした。

そして、何冊もの本を書いてきた経験が、私に徹底的な推敲と書き直しを強いてきました。私が本を書くときはいつもそうです。自分が知っている事柄について一章分を書こうと書き始めるのですが、書いているうちに必ず新しい発見があるのです。増してその章の終わりに達する頃には、冒頭に戻って「なるほど、核心はここにあったのか、実際に起きていたのはこういうことだったのか」と気づき、結局すべてを書き直すことになります。そうやって、あらゆる事柄を骨の髄まで考え抜いてきました。

私は1969年にニュースクールで国際経済学を教え始め、博士論文もアメリカの貿易政策について書きましたから、この分野で読むべき文献はほぼすべて読破してきました。85歳という年齢に達する頃には、そうした知識のすべてが自然と濾過され、何が本質的に重要で、何が重要でないのかが自ずと見えてくるようになるのです。

ですから、肝心なのは「何が重要か」を知っていること、そして「経済の基本構造に対する確固たる視座」を持っていることです。私にとって、それはすべて「価値、価格、そしてレント」という古典派の枠組みに集約されます。経済を見つめる強固な理論的骨格があるのです。

さらに、重要性の観点から経済を捉えるにあたって、私はかつて国民総所得・生産勘定(NIPA)の統計を一度すべての構成要素に完全に分解(解体)し、それを自らの手で再構築した経験があります。自動車のエンジンをすべてバラバラに分解して組み立て直した整備士のようなものです。何がそれを動かしているのか、何が決定的な部品なのかが手に取るように分かるのです。

また、10代の頃から社会主義者たちや様々な人々と議論を交わす中で、限られた短い時間で要点を伝えなければならない環境に身を置いたこともあります。アメリカ人の代表団としてロシアを訪れたときや、国連の任務で各地へ赴いたとき、彼らはいつも私に「総括のスピーチ」を任せました。私は全体の議論をわずか2分間で過不足なく要約できたからです。それは私の思考の癖のようなものです。

おそらく、私の「音楽の訓練」も関係していると思います。音楽において――例えばベートーヴェンのピアノソナタを見れば分かりますが――ソナタ全体の展開のすべては、最初の8小節の中にすでに凝縮されています。その楽章の残りの部分全体は、その最初の8小節を「作曲し展開したもの(Auskomponierung、展開書法)」にすぎないと言ってもいいでしょう。

私は自分の執筆活動を、常にそのように構成してきました。私には優れた楽曲を作曲する才能はなく、結局すべて捨ててしまいました(自分の曲が気に入らなかったのです)。演奏家や指揮者として音楽の世界で成し遂げられなかったことを、私は経済学の領域で実践することができました。しかし、私の頭は今でも音楽的な展開の論理で動いています。「この章で展開しようとしていることのすべてを、最初の8小節――私にとっては最初の1ページ――にいかにして凝縮するか」を常に考えているのです。

ですから、私は「全体の核心とは何か」を常に念頭に置いて考えることに慣れています。国際収支、レント、GDP、金利生活者対産業資本といった基本的なカテゴリーの「運動法則」に沿って思考すれば、その本質は実のところ極めてシンプルなのです。

説明がやたらと長引いて要領を得ない人々は、そうした基本的な概念の枠組みを持っていません。彼らは目に見える「現象の表面」だけを追っているのです。表面的な現象について語り出せば、話はどこまでも際限なく続いてしまいます。しかし「骨格(スケルトン)」を見つめれば、すべては極めて明快です。何が起きているのかという骨格の構造に立ち戻れることを祈りながら、表面の皮相な描写を延々と続ける必要などないのです。

それは、経済を単なる表面の現象としてではなく、「内なる骨格」として見つめる視座なのだと思います。「トランプが何を言ったか、ハリスが何を言ったか」などどうでもいいのです。彼らの言葉は表面を撫でているだけであり、本質には何一つ触れていないのですから。

経済学を使って未来をいかに予測するか?  
【聞き手】 私がその質問を挟む直前の議論、すなわち「物事を決定する権限を握っているはずの指導者たちが、経済について何も知らず、自ら何をしているのかも分かっていない状況で、いかにして未来を予測するのか」という、あなたが提起された問題に話を戻したいと思います。

私の頭にあるのは、数話前のエピソードでリックと議論したもうひとつの問いです。彼は経済学を「世界で起きていることを評価するための道具」として、とりわけ「世界政治、文化、社会の『隠された底流(アンダーカレント)』に迫るための道具」として用いていると語っていました。

指導者たちの言葉をあてにできない今、あなたが言うところの古典派経済学――あるいはマルクス主義――に立ち返り、それを未来を予測し、何が起きようとしているのかを読み解くためのツールとして用いることこそが、 rawな答えになるのではないでしょうか?

【マイケル】 まさにそこに根本的な問題があるのです。リチャードと私論じているような内容を、現在の大学の「経済学カリキュラム」の中に組み込むことなど絶対に不可能です。

GDPや国民所得勘定に対する根本的な批判を、既存のカリキュラムに収めることはできません。そんなものは大学のどこでも教えられていないからです。第二次世界大戦以降、国際収支の構造を本格的に扱った大学の講義といえば、私がかつてニュースクールで担当した統計学の国際収支論の講義くらいのものだった、と人から言われたことがあります。私は学生たちに、私が開発した米国の対世界国際収支統計のフォーマットを使わせ、「これが日本とどう関係するのか、欧州とどう関係するのか、ラテンアメリカとどう結びつくのか」を実際にデータを使って分析させました。

しかし現在の大学の経済学の講義で、GDPの構成要素の正体が何であるかを教えているところなど一つもありません。だからこそ学生たちにその実態を話すと、「そんなこと大学では一度も習いませんでした」と目を丸くするのです。

彼らは「国際収支とは何か」すら教えられていません。彼らは「貿易赤字」といえば、それがそのまま「国際収支の赤字」を意味するものだと思い込んでいます。実際には、対外貿易の金額の多くはそれに見合った実際の資金決済を伴わない(※多国籍企業の帳簿上の操作など)にもかかわらず、です。その詳細に今は立ち入りませんが、私はそのことについて何冊も本を書いてきました。

彼らは使っている言葉の真の意味を何一つ理解していません。彼らの議論はあまりにも浮世離れした抽象論に終始しており、もはや経済学部ではなく「文学部」で教えたほうがいいような代物なのです。もはやそれを「経済学」と呼ぶべきですらありません。それはすべて「仮定の世界(架空の空想)」にすぎないのです。「もしこの前提から出発するならば、次のような帰結が導かれる」というわけですが、その分析の出発点にある仮定そのものがことごとく虚偽なのです。

すなわち、「銀行は通貨を創造しない」という前提です。ポール・クルーグマンのように経済学を理解していない人物の文章を読めば分かりますが、彼は「銀行は通貨を創造などしない。単なる仲介業者(インターミディエタリー)にすぎない。預金者が銀行に金を預け、銀行はその金を誰かに又貸ししているだけだ」と主張しています。彼は、銀行自身が預金を創造できること、銀行が(無から信用として)通貨を貸し出しているという事実を理解していません。スティーブ・キーンがその貨幣分析の中で、この点について膨大な論述を行っています。

しかし、私たちは誰も大学で経済学を教えてはいません。現代のカリキュラムの中に、経済の現実的な姿を組み込む余地などどこにもないからです。経済の「運動法則」を定義する基本概念すら教えることができません。

しかも現在、大学は終身在職権(テニュア)を持つ教授を新たに採用しなくなっています。ボーイングや他の企業と同様に、大学にも「財務マネージャー(経営コンサルタント)」が入り込んできたからです。彼らは「学部長や大学管理職を雇って、コンテンツ提供者である教授陣に支払う人件費を削減させれば、大学の経費を浮かせることができる」と判断したのです。そのため大学は今や、終身雇用の教授を非常勤講師や客員助教、アジャンクト(コマ雇いの非常勤)へと置き換えています。年俸10万ドルや20万ドルを正規教授に支払う代わりに、1コマあたりわずか3,000ドルや4,000ドルで彼らをこき使っているのです。したがって、現代の経済学教育という洗脳プログラムを従順に通過してきた新米の大学院修了者しか教壇に立てなくなっています。

1970年代、アルビン・トフラーと私は7月4日の独立記念日の週末に合宿を行い、「『経済学部』と呼ばない、新しい大学の学部を作るならどうすべきか」を議論したことがありました。私は「いっそ『未来学(フューチャリズム)学部』と呼べばいいのではないか」と言いました。「未来学」なら何の意味も持たない言葉ですから、中身を自分たちの好きなように定義できるからです。

しかし認識しておくべきは、私たちが語っている内容は、視野狭窄に陥った主流派の経済学界と「競合」しているわけではないということです。私たちは彼らと張り合おうなどとは思っていません。来期のGDPがどうなるかとか、雇用統計がどう動くかを予測しようとしているのではないのです。私たちは「未来の構造全体がいかに変化するか」、すなわち「構造的変化」をいかに捉えるかを探求しているのです。

この問題は、すでに19世紀末の時点でも生じていました。アメリカ経済学会(AEA)を立ち上げた初期の経済学者たちは、みなドイツ(歴史学派)で教育を受けていました。しかし、その経済学会すら次第に偏狭になっていったため、経済学者たちが集まって「社会学(ソシオロジー)」という新たな学問分野を立ち上げたのです。「社会学なら、現実に起きているすべての事象を包括的に論じられるだろう」と考えたわけです。

ところが、シカゴ大学をスタンダード・オイル(ロックフェラー財閥)が牛耳って経済学界を乗っ取ったのと同様に、彼らは社会学をも乗っ取ってしまいました。今や社会学は単なる「地位(ステータス)」についての学問に成り下がっています。社会的な階層について論じはしますが、私たちが問題にしているのは「地位のカテゴリーそのものの変革」であり、単に「既存のシステムの中で競争していかに家を手に入れるか」といった話ではありません。結局、社会学も経済学と同じくらい不健全な状態に陥っています。

考古学もほぼ同じ問題に突き当たりました。考古学者たちは経済について真剣に語ろうとしませんでした。とりわけ私がハーバード大学で長年関わっていたアッシリア学(楔形文字学)の分野では、経済学者を一切近づけようとしませんでした。彼らはこう言ったのです。「経済学者たちをシュメールやバビロニア、青銅器時代をめぐる議論に引き入れようとすると、彼らは完全に時代錯誤(アナクロニズム)な概念を持ち込んでくる。『文明の起源があなた方の言うような形で始まったはずがない。なぜなら、マーガレット・サッチャーやミルトン・フリードマンならそんな政策は採らなかったはずだからだ』などと言い出す始末だ」と。もちろんこれは私の誇張交じりの表現ですが、古代近東や古典古代の経済史を書き直すために私たちがハーバードで結成した研究グループの中で、経済学者は私一人だけでした。

そこには経済学者の居場所などありませんでした。彼らは、あなたと私以前の講義で語り合ったような「債務の定期的な帳消し(徳政令)」という史実が実在したことすら信じることができなかったからです。つまり、過去5000年間、あるいは直近の200年間において、実際の経済がいかに進化してきたのかを信じることができない経済学者たちが、この学問分野を占拠しているのです。彼らは、何がヨーロッパの産業革命を可能にし、何がアメリカの工業的離陸(テイクオフ)を成功させたのかを想像することすらできません。なぜなら、産業資本主義をあれほど革命的で成功したものにした真因を認めてしまえば、「では、今日の現実はどうなのか?」と問わざるを得なくなるからです。

私たちはもはやあの道を歩んでいません。金融資本主義は産業資本主義とは完全に別物です。私たちはまったく新しい世界の中にいます。これを何と呼ぶべきでしょうか? 「ネオ封建制(新封建制)」でしょうか? それとも「破滅への道」でしょうか? 一体何と呼べばよいのか。そして、それを教える学問分野や大学の学部を何と命名すべきなのか、私にも分かりません。

だからこそ、リチャードは大学の中で「マルクス主義」を教えるというニッチな居場所を見出しましたし、私は50年前に大学で教えるのをスパッと辞めて、政府の政策顧問としての仕事に移ったのです。政府機関やウォール街には、大学アカデミズムにはない「自由」がありました。ニュースクールのアカデミズムにおいて彼らが気にしていたのは、「お前は何を信じているのか、我々の仲間なのか」という思想信条だけでした。しかしウォール街では、私の政治信条など誰も気にしませんでした。彼らは私がマルクス主義者であることを知っていましたが、関心があったのはただ一点、「私の予測が当たるか外れるか、何が起きるかを正確に教えてくれるかどうか」だけだったのです。そしてそのおかげで、私は大いに成功することができました。

彼らはイデオロギーなど意に介しませんでした。少なくともウォール街や実業界には、経済学者たちがアメリカ経済の中で生産的な役割を果たすのを妨げているような、あの閉鎖的な経済学のカテゴリー(ドグマ)から免れていたという側面があったのです。

馬鹿げた話に聞こえるかもしれませんが、現実にそうなのです。中国を訪れた際にも感じました。彼らは100万人もの学生を抱える大学都市である武漢で、私を名誉教授に任命してくれました。しかしそこでも私は、北京大学のマルクス主義学院の教授職と同様に、リチャードと同じような孤立したニッチな枠組みの中に置かれていました。そこには「植民地主義学部」もなければ、あえて呼ぶなら「文明論学部」とでも呼ぶべき学部も存在しないのです。

私は自分の本のタイトルすら、自分で思いつくことは滅多にありません。あなたが私の語り口を明快だと評価してくださるのはありがたいですが、私自身は自分の本の核心を一言のタイトルに凝縮できるほど要領がよくないのです。タイトルはいつも他の誰かが提案してくれるのです。

ポール・クルーグマンは経済学を何も知らないのか?  
【聞き手】 今のお話の中で最も重要だった部分を拾い上げずに別の点に食いついてしまうことを、あらかじめお詫びさせてください――そんな顔をなさらないでください。ただ、あまりに興味深く、どうしても問い詰めずにはいられない発言があったのです。

【マイケル】 おや、私は何を口走ってしまいましたかね?

【聞き手】 あなたは「ポール・クルーグマンは経済学を知らない」とおっしゃいました。

【マイケル】 ああ、そのことですか。みんなそう言っていますよ。

【聞き手】 まあ、聞かせてください。あなたを罠に嵌めて彼に対する人格攻撃(人身攻撃)をさせようという意図は毛頭ありません。ただ、彼が極めて高名な要職を歴任し、ノーベル経済学賞まで受賞した人物であるにもかかわらず、あなたからそう言われるのが非常に興味深いのです。

【マイケル】 彼は「経済学を知らないからこそ」ノーベル賞を与えられたのです。あの賞とはまさにそういうものなのですから。

【聞き手】 ぜひその理由を詳しく説明してください。一体どうしてそのようなことがあり得るのでしょうか? ……あらかじめ申し上げておきますが、私はポール・クルーグマン本人にもぜひこの番組に来ていただき、ご自身の研究について語ってほしいと思っていますし、彼がこれに対してどう反論するのかもぜひ聞いてみたいと思っています。

【マイケル】 かつてロシアでメドベージェフ大統領の顧問団を務めていた際、彼と私は一緒でした。彼は私が属していた委員会の委員長を務めていました。たまたま私の親しい同僚や友人たちの多くも同じ側にいました。会合の後、私たちが食堂に座っていると、クルーグマンが食堂に入ってきました。ところが彼は私達を見るなり背を向け、文字通り部屋の端から端へと離れていって隅っこの席に一人で座り、ブツブツと独り言を呟いていたのです。

人格攻撃を抜きにして、彼の何が問題なのかを客観的に説明しましょう。私の友人の一人に、かつて学生時代にクルーグマンと同窓だったベルギー人の経済学者がいます。彼が話してくれたのですが、あるときクルーグマンと会話を交わした際、クルーグマンは彼にこう忠告したそうです。「君、これだけは覚えておいた方がいい。『通貨(貨幣)』の話だけは絶対にするな。 通貨の話をすると誰もが感情を害し、人によって意見がバラバラだからだ。通貨に一切触れないようにすれば、出版や出世はずっとうまくいくぞ」と。

彼は生涯、通貨の本質について決して語ろうとしませんでした。かつて彼がスティーブ・キーンと誌上論争を交わしたことがありました。まるで「巨人に立ち向かう子鹿バンビ」のような有様でした。ポール・クルーグマンは「銀行は単なる仲介業者にすぎない。我々が経済モデルの中で貨幣や債務をまともに扱わない理由は、経済とは本質的に『物々交換(バーター)』だからだ」と主張したのです。これは彼自身が実際に書いていることです。経済をあたかも物々交換であるかのように見なし、貨幣は単なる計算用の「おはじき(表面的な引換券)」にすぎないと考えているのです。

それに対してスティーブ・キーンはこう反論しました。「通貨とは『債務』そのものだ。それが分からないのか? 通貨が創造されるとき、銀行は信用を創り出しているのだ。銀行がそれに利息を課し、借手はその通貨に対して負債を負うことを知っているのか? 銀行のバランスシート(貸借対照表)における資産(請求権)は、相手側のバランスシートにおいては負債なのだ」と。

クルーグマンは頭痛を催し、それがまったく理解できませんでした。彼はこう強弁したのです。「いや、通貨とは単なる『ヴェール(覆い)』にすぎない。ある人のバランスシート上の金融資産は、別の人の借入金(債権請求権に対する債務)なのだから、全体を相殺すればプラスマイナスゼロになる。したがって、経済全体で誰が誰に何を負っているのかというバランスシートを作成する際、通貨や債務を考慮に入れる必要などないのだ」と。

しかし、これはクルーグマン個人の問題にとどまりません。そうやって考えることこそが、現代において博士号(PhD)を取得するための必須条件なのです。

マイケルはいかにして博士号を取得したのか  
別の実例をお話ししましょう。私がかつていかにして博士号を取得したかという話です。

【聞き手】 このお話は以前にも伺いましたでしょうか?

【マイケル】 以前にも話したかもしれませんが、ずいぶん昔のことですし、新しいリスナーの方々も増えていますから覚えていらっしゃらないでしょう。

ニューヨーク大学で博士論文を執筆していた際、私は「生産的労働と不生産的労働の概念」、満足に「生産性とは何か、異なる指標や概念における生産性の測定」をテーマにしようと考えました。そこで、全米経済研究所(NBER)の所長であり、そうした分野を教えていたソロモン・ファブリカントのところへ相談に行きました。

すると彼は、かつてハイルブローナーが言ったのと全く同じことを言ったのです。「そんな議論をする必要はまったくない」と。彼は言いました。「マイケル、君は理解しなければならない。経済学とは一種の進化の過程であり、適者生存なのだ。今日の経済学において、そのようなテーマはもはや議論されていない。議論されていないということは、それが不要だからだ。今ではもっと新しい手法がある。そんなものは研究テーマとしてまったく面白くない」と。

そしてその面談の最中、彼は突如話を止め、私をCIAにスカウトしようとしたのです。

【聞き手】 ……えっ、CIAですか?

【マイケル】 そうです。彼は「君が極めて聡明なのはよく分かった。CIAに入らないか?」と言い出しました。事故のようにひとつの報告書を手に持ちました。当時、CIAが初めて一般向けに公表した公式報告書で、ロシアの金(ゴールド)保有量に関するものでした。「ロシアは世間が思っているほど金を保有していないから、ロシアに金を貸し付けてはならない。これが我がCIAの推定するロシアの金保有量だ」という内容でした。

私は目を丸くして言いました。「先生、私はちょうどその報告書への批判論文を読んだばかりですよ。チェース銀行の顧客にアナコンダという銅山会社があるのですが、アナコンダはロシアが売却していた金塊を何本か買い取って電解精錬を行い、その中に銅が何パーセント含まれているかを科学的に分析したのです。その結果、ロシアの金の大半は鉱山から掘り出されたり川で砂金として採取されたものではなく、銅の電解精錬を行う際の副産物として生成されていたのです。大きな電解槽に銅を入れると、金(ゴールド)が底部に沈殿します。そしてロシアは電化や電線、建造物などあらゆる銅製品のために膨大な銅を生産する必要があったため、当然ながら金も大量に手に入ることになります。ロシアの金保有量はCIAが報告した数値よりもはるかに巨額でした。

銅の生産が金の産出につながることくらい、CIAも明示的に知らなかったはずがありません。彼らもそこまで愚かではないはずです。私がかつてチリの銅産業を分析した際にも、チリの国際収支には『我が国の銅生産量はこれだけであり、そこから得られた金の産出量はこれだけである』と明記されていました。チリの川で砂金が採れるわけではなく、すべて銅生産に伴うものだからです。

言うまでもなく、ファブリカントは……彼は私一人に言ったのではなく、クラス全体に向かって「CIAは経済学者を求めているのだ」と言い放ちました。正気の沙汰とは思えません。誰も応じなかったと思います。それにしても、「でっち上げ(捏造、ファブリケーション)」にこれほど似つかわしい「ファブリカント」という苗字もありませんよね。

そういうわけで、私は「生産性の概念」で博士論文を書くのを断念しました。私は友人のドイツ人社会主義者で、ナチス政権下のドイツから亡命したものの「社会主義」という言葉を決して口にできなくなっていたゲルハルト・コルム(※ゲルハルト・ブリース)に相談しました。私が「論争の余地がない無難なテーマとして、アメリカ最初の大物経済学者であるE・ペシャイン・スミスについて書くのはどうだろうか」と持ちかけると、彼は「それはいい。それなら誰も文句は言えない」と言ってくれました。

そうして私は誰からも異論の出ない無難な博士論文を書き、何の問題もなく博士号を取得しました。もっとも、その論文は、一部の経済がなぜ発展してより生産的で豊かになり、他の国々はそうならないのかを分析するために私が実際に用いていた経済思想とは、何の関係もないものでしたが。

そもそも「生産性」という概念を持たないなら、自らの政策が生産的であるか否かをどうやって判断できるというのでしょうか? もし「生産性などというものは存在せず、生産性とは単に金を儲けることだ。最も高い所得を稼ぎ出している者こそが生産的であり、一人当たりの所得水準こそが生産性の指標なのだ」と言うなら、それ以上何を問う必要があるというのでしょうか。

もちろん、問われるべきは「その所得をどのようにして得たのか」です。生産的な活動によって得たのか、それとも略奪的で不生産的な行為によって得たのか――まさにその問題全体が浮上してきます。そしてそれこそが、ファブリカントやCIAが何としても議論させたくない核心だったのです。「何が生産的で、何がそうでないのか? ウォール街が生み出す貯蓄や信用の配分は、経済をより生産的で繁栄したものにしているのか、それとも逆なのか?」という問いです。

これこそが彼らが口を閉ざす唯一のテーマです。もしこの点について議論すれば、現代の金融システムがまったく生産的ではないことが露呈してしまいますし、なぜ中国が前進しアメリカが失速したのか、その理由が白日の下に晒されてしまうからです。

【聞き手】 さて、実はここで少し休憩を挟んで軽食をとりました。今お出ししているスナックについて少しお話しさせてください。

およそ100年ほど前のことですが(細かい年代は記憶違いがあるかもしれませんが、このお肉が100年前のものというわけではありませんのでご安心を)、日本の天皇からハワイの国王へ10頭のアクシスジカ(鹿の一種)が贈呈されました。国王がそれをマウイ島に放したところ、その10頭ほどの鹿が何千、何万頭にも大繁殖してしまったのです。彼らは外来種であり、今ではラナイ島など他の島々にも広がり、島の生態系や景観に深刻な被害をもたらしています。

そのため、これらの鹿は単に間引き(駆除)されていました。私の感覚からすれば、ただ無為に殺処分されているように思え、どこかやり切れないものがありました。彼らをかつて祖先が暮らしていた元の生息地へ空輸して戻すことができれば一番いいのですが、現実にはそうもいきません。そこで「マウイ・ヌイ・ベニソン」という会社が政府から認可を受け、可能な限り人道的な手法で景観と鹿の数を管理し、その肉を食用として販売することで、駆除に何らかの有益な価値を生み出そうとしています。実際、私が口にする唯一の肉はこの鹿肉だけなのです。別に宣伝料をもらっているわけではありませんが、彼らの活動に心から共感していますので、召し上がっていただいている間にぜひご紹介したかったのです。

【マイケル】 『ソイレント・グリーン』の正体は人間だった、というやつですね。

【聞き手】 マルクスの話に戻る前に、先ほどのポール・クルーグマンに関する質問を掘り下げさせてください。あなたが「経済学を理解していない」と見なすような人物が、なぜノーベル賞を受賞してしまうのか。あなたの目から見て、経済学という学問分野や専門職に一体何が起きてしまったのでしょうか? これは単にクルーグマン個人への疑問というよりも、現代の経済学全般に対する問いです。

【マイケル】 彼らが一体何をどうしているのか、私には見当もつきません。彼らは経済学の教科書すらまともに読んでいないのではないでしょうか。私自身、『アメリカン・エコノミック・レビュー』をはじめとする権威ある経済学ジャーナルに載っている論文など、ここ40年ほど読んだことがありません。読んだところで、並んでいるのは数式ばかりです。一体何の意味があるというのでしょうか。現実のエコノミストが果たすべき役割とは何の関係もありません。

彼らができることといえば、回帰方程式を立てること、すなわち「これまでの傾向(トレンド)を数学的にそのまま将来へ外挿(投影)すること」だけです。そのトレンドと社会の他の領域との間にいかなる相互作用があるのか、そのトレンドが今後も持続し得るのかを問うことすらありません。彼らはただ「我々にはあらゆる種類の数理曲線がある。指数曲線、直線、S字を描く2次や3次の曲線がある」と言い、既存のデータに曲線をあてはめて将来を予測しようとするだけです。彼らがやっているのはそれだけです。

あるいは「相関分析」です。ウォール街で金儲けに使われているのはまさにこれです。ある株価と他の債券価格や商品価格との相対的な相関関係を割り出し、金融派生商品(デリバティブ)の取引を行う。すべては数式の上で右から左へ取引を転がしているだけであり、現実の経済がどのように動いているかとは何の関係もありません。

数式が過剰に使われているのを見れば、彼らが「現在の環境(前提条件)が今後も不変である」と頭から決めつけていることが分かります。確率に基づく統計分析は、環境そのものが変化してしまえば一切機能しません。数理的に将来へと伸ばした曲線が意味を持つためには、前提となる環境が永久に不変でなければならないのです。

これは取りも直さず、彼らが「社会がどのように変化しつつあるのか」を議論したがらないことを意味します。社会の変化を認めてしまえば、彼らが苦心して組み立てた数理的な将来予測が完全に破綻してしまうからです。

これは軍部の思考停止と何ら変わりません。「もし負けたらどうするのか? 我々の軍隊をウクライナへ進軍させたとき、ロシアが本格的に反撃してきたらどう対処するのか?」「中国製品に関税を課して最大の敵だと宣告したとき、中国が報復として対米輸出を停止したらどうするのか?」「他国が対抗措置をとってきたらどうするのか?」といった現実の文脈(コンテクスト)を、彼らは一切考慮しないのです。彼らにとって重要なのはそうした現実ではありません。

ですから、経済の「運動法則」を真摯に探求している人々は、植民地主義や帝国主義の研究へと向かうことになります。私インターネット上で持っている番組でも「地政学(ジオポリティクス)」という言葉を使っています。地政学と言えば、イデオロギー色を感じさせず、客観的な分析のように聞こえるからです。他にどう呼べばいいのか分かりませんが、それは実体のある言葉です。そこには「変化の力学」や「運動法則」の中で思考する大きな可能性があります。

現代の主流派経済学は、運動法則を一切描き出していません。「もし何も変化せず、経済が現状のままとどまるなら何が起きるか」を計算しているだけです。しかし、そんなものは真の予測と言えるでしょうか? それは未来学などではありません。

1970年代から80年代初頭の未来学の全盛期には、ある未来問題研究所が私を雇い、「人々の寿命が延びた場合、社会保障や経済全体にどのような影響が及ぶか」を予測させたものでした。しかし今では、そのような委託研究も分析も行われなくなりました。現代の関心は「いかにして経済を現状のまま固定化し、いかなる変化も生じさせないようにするか」「いかにして変化の発生を阻止するか」にしかありません。運動法則を読み解くことなど完全に放棄されているのです。

自分たちの来歴を振り返ってみて、先ほどあなたが仰った「なぜ私はこれほど明快に語ることができるのか」という問いに対する答えが分かったように思います。

リチャードも私も、マルクス主義者になって以来、「社会の外側に立って、その内部を見つめる」という立場に身を置きました。社会を外部から客観的に見つめる立ち位置です。民族的少数派(マイノリティ)の人々がしばしばそうした視点を持っていますが、私自身は少数派の出自ではないにせよ、私たちは常に外側から見つめてきました。

外側に立っているからこそ、「瓶(ボトル)全体の形状」が手に取るように見えるのです。しかし、瓶の内側に閉じこもり、多数派の中に安住している人間は、現状のすべてを「当たり前のもの(所与のもの)」として受け入れてしまいます。そしてその体制が永久に続くことを願い、いかなる変化も拒絶しようとするのです。

ですから、「アウトサイダー(部外者)」であり続けたことこそが、物事を極めてシンプルに語る上で大きな助けになったのだと思います。外側にいるからこそ、大きな瓶の全体像が見え、その輪郭が見え、巨大な構造の骨格がはっきりと見渡せるのです。

まとめ:クルーグマン批判は面白いですね。でもクルーグマンもそれ相応に優れているとは思います。批判するハドソン自身も西洋社会のボトルという中に入っていることは事実なんですね。そういう私も西側社会というボトルの中に入っている。これなん「お釈迦様の手のひら」でして、現在ではAIがお釈迦様以上に大きな手のひらを用意しつつありますので、孫悟空の100倍強力な人間でも、もう逃げられませんね。

アカデミズムが駄目になってゆくのと、ネット社会の発展、特にAIの出現はパラレルですね。もう文系アカデミズムはそんなに必要ではなくなってゆくのかもしれません。 文学や、論語の研究してみて強くそれを思います。学会には修正能力が恐ろしいほどない。生命力がなくなっているのです。と言いながら、 殷周の研究者でよい人たちがいるのも事実でして、そこは大変助かっております。

レントの追求の話ですが、日本ではたとえば藤原氏がそうでしたね。荘園をひたすら拡大する。その後封建時代になりましたが、封建時代とはようするに極端な地方分権でして、自分の領地を地方領主が勝手に運営する、それを中央政府が許容するというシステムです。なんのことはない戦力付きの財閥です。だから資本主義とは封建主義の派生制度だと私は思っています。地方領主の代わりが資本家だと。ではなぜ封建主義が資本主義に変化したか。それは識字率が向上し、計算能力もつられて向上し、それにつられて紙幣が発効されるようになったからです。弓矢のかわりに紙幣が武器になった。

ユーラシア帝国は封建主義の色合いがわりと薄い。中央の王権が西洋や日本に比べて強力ですので、地方分権がさほどすすまない。だから今の中国のようなシステムができるのですが、それが良いかどうかは私にはわからない。強力すぎる中央政府による監視システムはたまらんなというのが正直なところです。つまり、ハドソンはハドソンで、視座がオリエント~西洋社会に偏っているわけでして、より包括的な視点ももたなきゃいかんだろうなとは思います。しかし今日日本でこういう議論をしている人が居るのか、と考えると貴重な人材ではあります。

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