https://youtu.be/SO-qHypWlgE?si=XTxf4YBY6tKb7l1o
の要約、翻訳
1. 導入(Introduction)
ポッドキャスト番組「ロビンソンズ・ポッドキャスト」第220回の導入部分です。ホストのロビンソン・エアハートが、ゲストのマイケル・ハドソン教授(経済学)を紹介し、古代バビロニア、ギリシャ、ローマにおける「定期的な債務帳消し(徳政)」の歴史や、それが経済崩壊の回避にどう役立ったか、そして現代経済への応用について議論する旨を説明しています。
2. マイケルの負債への関心(Michael’s Interest in Debt)
ハドソン教授がウォール街(チェース・マンハッタン銀行)で中南米諸国の返済能力を分析していた際、新規融資で利払いを賄う自転車操業(ポンジ・スキーム)の限界を痛感した経緯が語られます。米国の国際収支赤字の主因が海外軍事支出にあることや、IMF・世界銀行の指導がかえって途上国の返済を困難にしている実態を告発し、債務の歴史研究へと向かった背景が明かされます。
3. 古代世界における債務帳消し(Debt Cancellations in the Ancient World)
ハンムラビ法典やメソポタミアの「クリーン・スレート(債務帳消し)」の解釈について論じられています。米国(減税)や英国(自由貿易)による現代的解釈の誤りを正し、フランス(秩序の回復=「アマルギ」)やドイツ(債務帳消し)の正当な解釈を示した上で、ハーバード大学ピーボディ博物館での研究プロジェクトや全5巻の学術書出版に至る過程が説明されています。
4. 全員の借金を帳消しにして、社会は存続できるのか?(Can Society Survive Forgiving Everyone’s Debts?)
古代における民衆の負債は不作や滞納によるものでした。バビロニアの王たちが債務を帳消しにした最大の理由は、農民が債務奴隷化して軍役や公共インフラ工事に従事できなくなる事態を防ぎ、国家の基盤と兵力を維持するためであったと解説されています。
5. 青銅器時代経済の卓越性(The Brilliance of Bronze Age Economics)
主流派経済学の「物々交換から自然発生的に貨幣が生まれた」という学説を批判し、実際には王宮や神殿といった公的機関が60進法に基づく計算単位と「信用(ツケ)」制度を確立したことが貨幣の始まりであると説明します。人々は年間を通じてツケを溜め、年に1回の収穫期に脱穀場で一括精算しており、凶作時には王が債務を帳消しにしていました。
6. 債権者対債務者の果てしなき戦い(The Timeless War of Creditors Against Debtors)
債権者階級の台頭を放置すると富裕寡頭支配層(オリガーキー)が形成され、国家や民衆を支配・抑圧しようとする歴史的構図(東ローマ帝国の事例等)が示されます。1913年のFRB(連邦準備制度)設立により通貨・信用供給の権限が政府から民間の銀行家へ移り、実体産業ではなく不動産や金融資産への融資を中心とする金融資本主義に変貌した現代の背景が語られます。
7. カトリック教会はいかにして近代国家を生み出したか(How the Catholic Church Created the Modern State)
12〜13世紀のカトリック教会が対外戦争の資金調達のために「利息」の徴収を正当化し、イタリアの銀行家階級を生み出した経緯を辿ります。国王個人の財産では返済不能となったため、全市民の資産と課税権を返済担保として差し出す「財政国家(近代国家)」のモデルが成立したと解説しています。
8. 貨幣の起源について(On the Origin of Money)
人類学者ハインリヒ・シュルツの研究を引 sources いて、外来の「威信財(原始貨幣)」の流入が不平等と経済的二極化をもたらすこと、そして統治者の本来の役割は二極化を防ぐことにあると述べます。また、家畜や実体経済の成長が「S字カーブ」で頭打ちになるのに対し、負債は「複利」で指数関数的に増殖するという古代メソポタミア人の数学的知見が紹介されます。
9. 古代の経済学者は現代の経済学者より優れていたのか?(Were Ancient Economists Better than Today’s?)
負債の幾何級数的増殖と実体経済の限界を理解していた古代の数理モデルは、現代の中央銀行や主流派経済学者のモデルよりも優れていたと評価します。現代の銀行融資は実体経済の消費ではなく住宅・株式・債券などの「資産価格インフレーション」を引き起こし、上位1%への富の集中を加速させていると批判します。
10. バビロン崩壊の真相(Uncovering the Collapse of Babylon)
古代近東からギリシャ・ローマへの金利の伝播と、各地域の数値体系(メソポタミアの60進法、ギリシャの10進法、ローマの12進法)という会計上の都合によって金利が決定されていた事実を明らかにします。新自由主義イデオロギーによって、こうした古代の歴史的現実(強大な政府による徳政とオリガーキーの抑え込み)が覆い隠されてきた現状を指弾しています。
11. 負債と文明の終焉(Debt and the End of Civilization)
文明の運命を左右する根本的な選択として、「債権者への返済を優先して社会を債務奴隷化させるか」それとも「経済成長と民衆の生活を守るために債務を帳消しにするか」という対立軸を提示します。この力学が、現在の西側諸国とBRICS(グローバル・マジョリティ)との地政学的衝突の根底にあると論じています。
12. 古代の経済学は未来への鍵か?(Are Ancient Economics the Key to the Future?)
歴史は直線的に進化するのではなく、内発的なシステム変容のプロセスであると主張します。金融寡頭支配層の台頭を許してローマ帝国の衰退のように没落するのか、それとも政府が彼らの支配力を抑え込んで共存と発展を目指すのかという、歴史の普遍的な定数が示されています。
13. 政府は学生ローン債務を帳消しにすべきか?(Should the Government Forgive Student Loan Debt?)
教育や医療などの公共インフラを民営化・市場化することで生計費や事業コストが高騰し、西側諸国の国際競争力が損なわれていると指摘します。経済全体の健全な成長と生活水準維持のためには、外部コストの公的負担化や学生ローン等の債務帳消しが不可欠であると締めくくっています。
以下本文
導入(Introduction)
それこそが現代経済学の中心にあるべきものです。いま私たちは「上位1%の富裕層」を抱えていますが、彼らは何をしようとしているのでしょうか。彼らはアメリカ国内のすべての大学を掌握してしまいました。そこで教えられているのは、いかに「自由市場」によって富裕層が貧しい人々に対して好きなように振る舞えるようにするか、ということです。そして古代ローマ人たちも、自分たちの「自由」の概念について極めて明快でした。ローマの寡頭支配層(オリガーキー)にとっての自由とは、自分たちより身分の低い人々、すなわち残りの一般市民に対して「やりたい放題にする権利」のことだったのです。これこそが自由市場の本質です。それは債権者や地主が地代を請求し、独占企業がその犠牲者から望むだけの富を巻き上げるための自由なのです。
こんにちは、ロビンソン・エアハートです。「ロビンソンズ・ポッドキャスト」第220回のイントロダクションをお届けします。今回のゲストは、ミズーリ大学カンザスシティ校の経済学特別研究教授であり、長期経済動向研究所(ISLET)の所長でもあるマイケル・ハドソン氏です。マイケルは金融、経済思想史、そして社会を形成する上での負債(債務)の役割について研究しています。
マイケルの番組出演は今回で3回目となります。このエピソードでは、バビロニア、古代ローマ、古代ギリシャを含む古代世界における「定期的な債務帳消し(徳政)」の歴史と、そうした政策がいかに経済崩壊の回避に役立っていたか、そしてそれらを実施できなかったことがいかにしてこれら文明の崩壊を招いたのか、さらにそれらの政策が現代の経済においてどのように応用できるのかについて語り合います。
マイケルの最新作は『Temples of Enterprise(企業の神殿)』です。概要欄にリンクを貼っています。また、今回の収録はニューヨーク市クイーンズ区キューガーデンズにある「オースティンズ・エールハウス(Austin's Ale House)」で行われました。場所を提供してくださったお店の方々に心から感謝いたします。マイケルも何度も触れていますが、とても美味しいマルガリータも振る舞っていただきました。オースティンズ・エールハウスは素晴らしいロケーションにあり、テラス席の居心地も抜群で、私たちもその席を利用させていただきました。地元でも大人気の店ですので、近くにお越しの際はぜひ立ち寄ってみてください。概要欄にお店のリンクも載せておきます。
それから、Apple Podcastの評価が現在ありがたいことに(あと少しで)平均星5つというところまできています。そちらでお聴きの方は、数秒で済みますので、ぜひ評価(レビュー)をつけていただけると励みになります。また、広告なしの配信や番組のショーノートをご希望の方向けに、概要欄にPatreonのリンクも掲載しています。現在はメンバー以外の方でも毎月のAMA(質問コーナー)に質問を投稿できるようになっています。皆様からの質問を心待ちにしていますので、ぜひアクセスして9月分の質問をお寄せください。
それでは前置きはこのくらいにして、私がマイケルと語り合って非常に楽しかったのと同様に、皆さんもこの対談をぜひお楽しみください。
---
マイケルの負債への関心(Michael’s Interest in Debt)
ロビンソン:
マイケル、あなたは負債の歴史と文明の崩壊について、もう何十年も研究されていますよね。先ほど収録前にも少しお話ししましたが、少なくともピーボディ博物館にいらした頃まで遡ると思います。最初からこのテーマに関心を持たれたのは、単なる歴史的な興味からだったのでしょうか。それとも、現代への示唆や影響を重視してのことだったのでしょうか?
マイケル・ハドソン:
私が経済学の道へ進んだのは、まさに「負債」に関心があったからです。恩師であるテレンス・マッカーシーと長い議論を重ねました。当時、私はウォール街の銀行で働いており、その後チェース・マンハッタン銀行に移りました。経済が返済できるペースを上回るスピードで負債が膨張していることは、当時から火を見るより明らかでした。
私がニューヨークに来たのは1960年か1961年頃で、1965年からウォール街のチェース・マンハッタンで働き始めました。私の仕事は、中南米諸国の銀行がどれだけの資金を借り入れ、返済する能力があるかを分析することでした。そのためには、「彼らにどれほどの利払い能力があるのか」「債務負担能力はどの程度か」を見極めなければなりませんでした。しかしその時点で、彼らにはこれ以上背負い込める余裕などないことが明白でした。これ以上の借金を抱え込める余力など、どこにもなかったのです。
言うまでもなく、これは国際部門の幹部たちを酷く不快にさせました。不動産部門や石油部門が融資残高を増やしたがっていたのと同様に、彼らも融資を拡大したがっていたからです。
ある時、私の作成した予測に疑問を持った連邦準備制度(FRB)との会議が開かれました。私は主にアルゼンチン、ブラジル、チリを分析対象としていました。するとFRBの担当者がこう言ったのです。
「ハドソン博士、あなたの試算に従えば、イギリスもこれ以上金を借りる余裕はなく、破綻していることになりますが」
私は答えました。
「ええ、まさにその通りです。イギリスは英ポンドの為替レートを維持するためだけに、借金を重ね続けなければならない状態にあります」
FRBの担当者は言いました。
「だが、彼らは為替レートを維持してきたではないか」
「ええ、その場しのぎでそうしてきたのです」と私が言うと、彼はこう返しました。
「それは我々が金を貸しているからだ」
私は言いました。
「ええ、まさにその融資こそが、彼らをかろうじて延命させている要因です」
すると彼らはこう言ったのです。
「中南米に対しても同じことだ。我々は米州機構(OAS)の一環としてこれらの国々を支援している。我々はここの銀行家たちに『彼らには融資してよい。我々が彼らを保護し、支払い能力を維持させているのだから』と伝えているのだ。さらに世界銀行を使って、公的資産を民営化することで債務返済(デットサービス)を賄う方法を指導させ、IMFからも助言を与えさせている。こうした条件下であれば、彼らは新規融資に対してチェース・マンハッタンへの支払いを継続できるとは思わないかね?」
私は答えました。
「ええ、ごく当面の間だけであれば、可能です」
「結構、それなら問題ない」と彼らは言いました。それが彼らの望む答えだったからです。
しかし私には、中南米やイギリスで債務を拡大させ続ける唯一の方法が「さらなる借金」であること、すなわち利息や元利返済を支払うために新たな金を借りることで帳尻を合わせる「ポンジ・スキーム(自転車操業)」に過ぎないことが見えていました。
チェースを退職した後、私は同社で開発した国際収支の会計フォーマット(当初は石油産業の国際収支を分析するために作成したもの)を使って、その分析を一国の輸出入、対外投資、軍事支出、観光収支などの実際の資金フローを分析する手法として、アメリカの国際収支全体へと拡張したいと考えました。
これには約1年を要しましたが、分析の結果、米国の国際収支赤字のすべては「海外での軍事支出」に起因していることが判明したのです。民間セクターの収支は、完全に均衡していました。
こうして私は、今後一体何が起きるのか、債権者への返済資金を貸し付けるというこの「ポンジ・スキーム(自転車操業)」を一体いつまで続けられるのか、と疑問を抱き始めました。そして1970年代後半になると、状況はますます悪化の一途をたどりました。私は1970年代半ばにカナダ政府の経済顧問となり、その後、国連訓練調査研究所(UNITAR)の顧問を務めました。そこで私は一連の論文を執筆し、中南米をはじめとする「グローバルサウス」の国々は、外国からの援助があったとしても借金を返済することなど到底不可能であるという事実を論じました。
さらに、国際通貨基金(IMF)や世界銀行が債務返済をかえって困難にさせていると主張しました。第一に債務総額を増大させ、第二にインフラを民営化させて事業コストを引き上げ、そして何よりも賃金水準を引き下げることで国際競争力をつけ対外債務を返済させようという哲学そのものが問題でした。賃金を下げれば、当然ながら労働生産性は落ちてしまいます。
私はニューヨーク大学で、アメリカの保護主義と、かつてアメリカを富裕にした産業資本主義の哲学について博士論文を書いていました。イギリス、ドイツ、フランスと同様、かつてのアメリカの思想において、国際経済で競争力を持つためには2つの要素が必要とされていました。第一に、「労働者の生活水準の向上」です。十分に食べ、良い住居に住み、教育水準の高い労働者は生産性が高いため、低賃金の貧民労働力に対して優位に立つ(安価に良質なものを供給できる)ことができるからです。第二に、「生活に伴う外部コスト(教育費、医療費・ヘルスケア費用など)を政府が全額負担すること」です。これらを政府の支出とすれば、雇用主は労働者がそうした費用を自腹で賄えるほどの高い賃金を支払う必要がなくなります。
しかし、1980年代にマーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンによって発展しつつあった哲学は、これらと完全に正反対のものでした。そして彼らのやり方では、中南米諸国が債務を返済できる道など到底ありませんでした。メキシコの大統領を目指していた人物が招集したメキシコシティでのUNITAR大規模会議で私がこの見解を述べたところ、会場で暴動のような騒ぎが起きました。私は自らの代表団を引き連れて退場し、カナダ代表団も私と一緒に引き上げました。カール・ポランニーの娘であるカリ・ポランニーもその場にいた一人でした。するとロシアの代表が駆け寄ってきて、「あなたがこの会議全体を完全にさらっていったよ。誰も口にできなかった『言ってはならない真実』を突きつけたのだから」と言いました。
その時、私は「国が債務を支払えないという現実」が極めて重要であると実感し、債務の歴史を書く決意を固めました。1980年〜1981年頃から執筆を始め、19世紀まで遡るのは容易でした。中世、十字軍の時代、そして古代ローマやギリシャの終盤にまで遡って草稿を書きましたが、次第に旧約聖書の「ヨベルの年」への言及や、古代近東における債務帳消しの歴史的背景に突き当たることになりました。
私が主張していたのは、債務が返済不能なのであれば帳消し(棒引き)にするしかない、ということでした。中南米の債務を帳消しにしなければ、IMF、世界銀行、米国国務省は、原料、土地、全鉱物採掘権、公共インフラを外国の投資家に二本値で売却させ、その売却益を外国の債権者への返済に充てさせるよう強要することになります。そうなれば、彼らは富を生み出す天然資源などの遺産(patrimony)をすべて失ってしまいます。これはまさに、14世紀、15世紀、16世紀のフランスやスペインの国王たちが何度も破産を繰り返し、最終的にフッガー家をはじめとする銀行家たちを道連れにして共倒れしていった歴史の再現に他なりませんでした。
そこで私はメソポタミアについて調べ始めました。しかしそれは非常に骨の折れる作業でした。文献のほとんどはフランス語とドイツ語で書かれており、英語圏の世界ではこれを読もうとすること自体に一種の反発すらありました。私はシカゴ大学で学士号を取った際に言語学と歴史学を学んでいましたが、楔形文字は読めませんでした。ヒエログリフ(象形文字)も学ぼうとしましたが、そこに書かれている内容にはあまり関心が持てませんでした。
---
古代世界における債務帳消し(Debt Cancellations in the Ancient World)
そこで私はハンムラビ法典を読み始め、さらに重要なこととして、ハンムラビやその王朝の王たち、そしてバビロニアの周辺諸国やそれ以前のシュメールで発布された「債務帳消し(クリーン・スレート)」の宣言を調べ始めました。
分かったのは、私がアッシリア学を専攻していなかったことは大して問題ではなかったということです。なぜなら、王たちの宣言文の翻訳は、ドイツ語、フランス語、英語(アメリカ)で解釈がまるで異なっていたからです。王たちが「秩序」を布告した際、具体的に何を行ったのかという点において、アメリカのアッシリア学者サミュエル・ノア・クレイマーは「これは減税措置だ。ロナルド・レーガンがやるべきことと同じで、シュメールのウルカギナ王のように減税すべきだ」と主張し、これについてニューヨーク・タイムズ紙に論説記事まで書きました。「債務の帳消し」を「減税」と捉えたわけです。もちろん、青銅器時代の主な負債は王宮や神殿といった巨大公共機関に対するものだったので、多くの租税債務が免除されたのは事実です。
一方、イギリスの学者たちは「これは自由貿易法だ」と解釈しました。アッシリア学の国際会議(レンコントル・アッシリオロジーク)で、私はウィルフレッド・ランバートとこの件について長時間議論しました。彼は私が経済学者としてアッシリア学を論じられるかどうか見極めようとしており、彼が注目していた単語は、ハンムラビが債務帳消しに用いた「アンディラールム(andurārum)」という言葉でした。これは「自由な流れ」を意味し、債権者に借金のかたとして拘束されていた債務奴隷(身売りされた人々)が、元の家庭に戻りもはや奴隷ではなくなる自由を得る、という意味でした。また、債権者へ担保として差し出されていた奴隷も元の主人のもとに戻ることができました。なるほど、そういう意味では自由ですが、現代的な「自由貿易」とは異なります(アッシリアの債務帳消しには、王に対する関税支払義務の免除も含まれていたとは思いますが)。
他方でドイツの文献には、まさに私が求めていた言葉がありました。「債務の帳消し(Schuldenerlass)」です。ドイツのアッシリア学者クラウス(F. R. Kraus)教授はこのテーマについて極めて包括的な研究論文を残しており、非常に説得力のあるものでした。
しかし、最も優れた解釈をしていたのはフランスの学者たちでした。彼らはそれを「秩序の回復」、すなわち「無秩序に終止符を打つこと」と呼びました。それは「母なる原初状態への回帰」だったのです。シュメール語では「アマ・ル・ギ(amargi)」と言い、「ama(母)」に由来します。例えば、かつてイラクのフセイン大統領が湾岸戦争を「すべての戦いの母(mother of all wars)」と呼んだ際、それは「究極の、模範的な戦い」という意味でした。同様に「アマルギ」とは、社会があるべき原初的・模範的なバランスを取り戻すことを意味していたのです。
私は調査結果を草稿にまとめました。すると、私の友人であり隣人でもあった、氷河期研究の第一人者である考古学者アレクサンダー・マーシャックが、私の書いたものをハーバード大学ピーボディ博物館の館長カール・ランバーグ=カルロフスキーに送ってくれたのです。彼はそれを読むなりすぐに、「ハーバードの研究員(リサーチ・フェロー)としてこの研究を本格的にやらないか? これは革命的な内容だ、ぜひやろう」と言ってくれました。
数年かけて準備を進める中で、彼から「君ひとりで書くべきではない」という話が出ました。そこで、青銅器時代の布告文、書簡、裁判記録を直接読み解くことができる一流のアッシリア学者やエジプト学者たちを招聘しようというアイデアが生まれました。「古代近東の金融・経済史をまるごと共同で書き直そう」と。
こうして私たちは1994年からプロジェクトを開始し、その後の20年間で6回のシンポジウムを開催し、歴史を書き換える学術書を全5巻刊行しました。そして私は、一般向けの普及版となる『…and forgive them their debts(…そして彼らの負債を赦したまえ)』の執筆に取り組み、カリフォルニア大学出版局などいくつかの出版社に持ち込みました。
---
全員の借金を帳消しにして、社会は存続できるのか?(Can Society Survive Forgiving Everyone’s Debts?)
しかし、原稿を持ち込んだどの出版社も、どの出版エージェントも口を揃えてこう言いました。
「こんな本は出せませんよ。債務を帳消しにしてしまえば債権者は二度と金を貸さなくなるのだから、社会がそんな形で成り立つはずがありません」
もちろん、現代の金貸しの論理からすればそう思うでしょう。しかし古代の人々は、そもそも借金をするために自発的に借財を重ねていたわけではありませんでした。彼らは「滞納」によって借金を背負ってしまったのです。1年を通じて積み上がったツケの支払いが、収穫期を迎えても支払えなかったのです。
ちょうど今、私たちはこうしてバーに座っていますが、アメリカ人にとって労働者階級の人々がバーで「ツケ(tab)」を溜めていく光景は、極めて馴染み深いものでしょう。
彼らは給料日にツケを払います。古代メソポタミアでもまったく同じことが起きていました。当時、エール(ビール)を醸造・販売する女性たち(エール・ウィメン)は一種の公共インフラ・公益事業のような存在であり、人々は収穫期末まで彼女たちへのツケを溜めていました。しかし、もし凶作で支払えなくなったらどうなるでしょうか。
統治者であるハンムラビや同王朝の歴代の王たちはこう考えました。
「債務者たちがエール屋の女性たちや、王宮の債権者、あるいは結婚式や葬儀を取り仕切って借金のあった神殿の役人たちの債務奴隷になってしまう。農地にいる我らの市民が、ある日突然、債権者のために働かなければならなくなる事態を我々は本当に望むだろうか? もしそうなれば、彼らの労働力は債権者に奪われ、もはや軍役に就くこともできなくなる。種まき期でも収穫期でもない農閑期に、城壁や宮殿、神殿などを建設するための公共インフラ工事に従事させることもできなくなってしまう」
そこで彼らは、現代の国際通貨基金(IMF)が中南米に対して行っているように労働力から全財産を奪い取って国際的な債務奴隷(ペオン)にしてしまうような真似はせず、負債を帳消しにしたのです。
これがまさに彼らのとった政策でした。私たちは、アッシリア学やエジプト学の学界全体から全面的な支持を取り付けない限り、一般向けに本を書いて世に問うても無意味だと痛感しました。ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、アメリカ、そしてイギリスに至るまで、世界中の一流の学者たちを集めました。全員が一堂に会し、私たちは古代近東の歴史を書き換えたのです。古代近東の民営化、土地利用と土地保有権、負債と経済的再生、古代社会における会計の起源、労働、そして公共事業についてです。これらすべての成果をまとめ終えるまでに、1994年頃から2008年頃までかかりました。
言うまでもなく、アッシリア学のグループや私の著作を除けば、この成果が一般に広く知られることはほとんどありませんでした。どの出版社も「債権者に返済されないなどあり得ない」と言って、一般書(トレードブック)としての出版を拒否し続けたからです。そこで私は一連の学術論文を書き始めました。百科事典の執筆を依頼され、主要なアッシリア学や考古学の専門誌からも論文の寄稿を求められるようになりました。
そして、すべての根底にあるのは「貨幣と信用(クレジット)はどのように始まったのか」という問いだと気づいたのです。私はこれらすべての論文を最新作『Temples of Enterprise(企業の神殿)』にまとめました。『Temples of Enterprise』や『The Collapse of Antiquity(古代の崩壊)』といった著書は、専門的な論文群で示した「貨幣や土地保有権がどのように始まったのか」という実証研究を、一般に向けて分かりやすく伝える試みだったのです。
---
青銅器時代経済の卓越性(The Brilliance of Bronze Age Economics)
青銅器時代がいかに現代と異なっていたか、文明がその離陸期においていかに特異であったかを説明する最良の方法は、「何が起きなかったのか」を語ることだと気づきました。なぜなら、単に「実際に何が起きたか」を語るだけでは、誰もが「そんなはずはない、現代のやり方と違う。ミルトン・フリードマンやマーガレット・サッチャーならそんなことはしなかったはずだ」と否定してしまうからです。もし彼らがタイムマシンに乗ってハンムラビの時代に戻り、「ダメだ、市場に介入してはいけない。借金を返せないなら代償を払わせ、奴隷にしてしまえばいい」と言っていたら、人類の文明は決して離陸(発展)することはありませんでした。
大学の博士課程で教えられている「貨幣とは何か」「貨幣はどう始まったか」という内容は、すべて19世紀後半に政府を敵視する人々によって捏造されたプロパガンダだったのだと気づきました。彼らはミルトン・フリードマンの先駆者たち、すなわち地主階級、独占資本家、金融エリートの代弁者であったオーストリア学派の人々でした。彼らはこう主張したのです。
「政府によって恐ろしい事態が起きている。アメリカではテディ・ルーズベルトが反トラスト法を制定し、ドイツでは本来民間企業であるべきものが国有化されている。市場が許す限りの法外な価格を取って儲ける自由が奪われている。最も優れた経済とは、政府が一切存在しない経済だ」と。
彼らはそれをどう正当化したでしょうか。「文明は政府なしで始まった」と語るしかありませんでした。ロナルド・レーガンが「英語の中で最も恐ろしい言葉は『政府ですが、助けに来ました』だ」と言ったとき、彼が意味していたのはまさにこのリバタリアン的な世界観でした。「文明の最初期から、民間の起業家たちが富を築こうと利益を追求していたのに、政府が十分な地代を取らせず、借金を取り立てさせず、人々を債務奴隷にすることを禁じ、基本的なインフラや人間の基本的ニーズを公共部門に留めて独占利潤(経済レント)の対象にさせないよう邪魔をしてきたのだ」というわけです。
そのため、私が大学で教わり、現代貨幣理論(MMT)を掲げた当時のミズーリ大学カンザスシティ校の学者たちを除くほぼすべての経済学者が洗脳されて信じ込んでいる貨幣理論では、こう説明されます。
「貨幣は物々交換から始まった。小麦やトウモロコシを育てる人がいれば、布や羊毛を織る人、靴や工芸品を作る人がいた。中には銀のような原材料を提供する人もいた。銀は長持ちし、品質が均質であるため好まれ、物々交換の媒体として求められた。富を蓄えられる人々が銀や金のようなものを求めたからこそ、貴金属が貨幣になったのだ」と。
しかし、銀行が金や銀を重宝したのは、それが金融セクターの所有する資産だったからです。「自由企業」を信奉する貨幣論者たちにとって最も受け入れがたい思想こそ、「政府が貨幣を創造できる」という事実でした。
貨幣の起源を検証し始めると、現代の経済学者たちが教わっているような形で始まったはずがないことは明白でした。彼らは「銀は均質(均一な品質)だった」と言いますが、決して均質ではありませんでした。銀を差し出されたとして、それが純銀だとどうやって確かめるのでしょうか? バビロニアでは純度78%程度だったと記憶していますし、ローマやギリシャでも規格ごとに純度はバラバラでした。均質などではなく、大昔から偽造は横行していたのです。錆びない、長持ちするという点は確かですが、ではどうやってその銀を「価格」として表現したのでしょうか?
銀の塊を持って行って「パンを作るために穀物1ブッシェル(約35リットル)をくれ」と言ったところで、どうやって等価性を測るのでしょうか。銀の「重量」を測るか、穀物の「体積」を測る升(カップ)が必要になります。しかし古代の天秤で、穀物1ブッシェルに見合うような極小の銀の破片をどうやって計量するのでしょうか? 古代にそこまで精密な天秤など存在しませんでした。まったく馬鹿げた話です。そのような物々交換などあり得ませんでした。
では、人々が実際に使っていた単位は何だったのでしょうか。1ミナ(mina)は60シェケル(shekel)に分割されていました。そして60シェケルの「銀の重量」は、「穀物の体積」と等価に設定されていたのです。農業経済であったため、庶民の負債の大半は穀物で支払われました。
これを聞いて現代の経済学者は言います。「理解できない。ポケットに穀物を入れて持ち歩くのか? エールハウス(居酒屋)に行ってビール代を穀物で払うのか? ポケットの中がタネだらけになってしまうじゃないか」と。彼らは青銅器時代に取引がどのように行われていたのかを理解しようとすらしていなかったのです。
そしてこれは青銅器時代に限った話ではなく、中世イングランドや中世ヨーロッパの大部分でも同様でした。ほとんどの負債は、収穫が終わった後の「年に1回」支払われていたのです。年間を通じて都度支払われていたわけではありません。
先ほど申し上げたように、年間を通じてツケを溜めていくのです。まさに私たちが今いるオースティンズ・エールハウスのようにツケを溜め、収穫期に脱穀場(threshing floor)で一括精算するのです。現存する当時の契約書には、ことごとく「この金額は脱穀場で計量の上、支払われるものとする」と記されています。エールハウスへのツケはエールハウスへ、生活や営農のために前借りした分は王宮へ、儀式などで提供を受けた分は神殿へ、そして病気になって借金をした分は債権者へ、すべての負債はその収穫の時期に一括して精算されていたのです。
その通りです。そう聞くと、「なるほど、そういう仕組みだったのか」と理解できたように思えるでしょう。しかし問題は、これら一連の仕組みにおいて、誰も金を貸し付ける必要などなかったという点です。誰もが単に日々の生業を営んでいただけでした。飲み物を提供し、必要なサービスをすべて提供する。それはすべて「信用(クレジット)」に基づいた経済だったのです。
これこそが、アメリカの大学の経済学部では一切教えられない事実です。現代の主流派が説く貨幣理論において、「信用」や「負債」は何の役割も果たしていません。当時のお金(貨幣)の大半は、年間を通じて溜まったツケを支払うためのものでした。商人が銀を使って行う金融取引を別とすれば、財やサービスに対して貨幣が動くのは、基本的に「年に1回」程度のことだったのです。
しかし、ここで問題が生じます。穀物を収穫し、脱穀場に持ち込んで精算できれば何の問題もありません。では、凶作に見舞われたら一体どうなるのでしょうか?
これは現代の経済学者たちが口籠もってしまう類の問いです。ポール・クルーグマンのような人物にこの話を向ければ、「えっ、返済できないとはどういうことだ?」と混乱してしまうでしょう。
返済できないとなれば、冒頭で触れたあの問題に逆戻りしてしまいます。イギリスがインドに進出した際に何が起きたかを思い出してください。(イギリス東インド会社が実質的にインドを支配したと言うべきですが)それ以前のインドの多く、とりわけイスラム王朝が治めていた北部では、イスラム法の下で信用制度が確立されていました。当時の統治者たちは、不作の際に人々を債務奴隷に突き落としてしまえば、働く人間がいなくなるか全員が逃げ去ってしまうことを理解していました。債務奴隷になってしまえば軍役に就くこともできなくなります。
これこそまさに、古代バビロニアやシュメールの王たちが直面していた問題そのものでした。彼らは民衆が土地において「自由」であることを望んでいました。当時の「自由」とは、自らの手で自活の手段を生産できる状態を意味していたのです。
そのため、シュメールやバビロニアの統治者たち、そして周辺諸国の王たちは一様に債務帳消しを行いました。干ばつが起きた場合、借金を支払う必要はありませんでした。これはハンムラビ法典にも、債務帳消しの布告文にも明記されています。嵐の神アダドの氾濫によって農地が水浸しになった場合も、支払う必要はありませんでした。また、戦争によって国土が荒廃したり、耕作者たちが徴兵されたりした際にも、負債は帳消しにされました。民衆が債務奴隷に転落することを防ぎたかったからです。
そしてその裏返しの理由として、奴隷化の結果として「独自の経済権力を持った債権者階級が台頭すること」を阻止したかったのです。
---
債権者対債務者の果てしなき戦い(The Timeless War of Creditors Against Debtors)
もし債権者階級の台頭を許せばどうなるか。それは西暦9世紀から10世紀の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の末期に起きたことと同じです。有力な債権者たちは信用貸しを利用し、税金を払えなくなった債務者の土地を差し押さえました。「お前の土地は担保だ、没収する」というわけです。現代のアメリカが中南米の土地を借金のかたに奪い取るのとまったく同じ構図です。
彼らは私兵を集め、「借金奴隷のお前たちは今日から我々の軍隊だ」と従わせました。まるで彼らがテレパシーを使って19世紀のミルトン・フリードマンやマーガレット・サッチャーの思想を先取りしたかのように、「民衆の奴隷化を阻止しようとする政府など倒してしまえ。ビザンツの首都コンスタンティノープルを攻撃しよう」と言い出したのです。こうして大債権者階級・土地所有貴族と、コンスタンティノープルの皇帝との間で絶え間ない内戦が繰り広げられました。
10世紀のある時期、コンスタンティノープル側が勝利を収めました。皇帝は平和を望み、こう言いました。
「見よ、我々コンスタンティノープルには最強の軍隊がある。債権者どもよ、我々の方が強いのだ。経済のバランスを保ち、民衆を自由にしておかねばならないという現実を受け入れよ。東方からはあらゆる侵略者が迫っており、国を守らねばならない。西方から略奪を狙うキリスト教徒(十字軍)の脅威もあるのだ」
ビザンツ帝国の皇帝は、敵対する有力貴族の将軍を和睦の晩餐会に招き、膝を交えて尋ねました。
「二度とこのような争いを起こさないためには、どうすればよいだろうか。我々はそなたに危害を加えるつもりはない。自分の所領に戻り、手持ちの富を維持してくれて構わない。ただし、民衆から富を奪い尽くすことだけは許されないのだ」
するとその将軍は、古代ギリシャの僭主(独裁者)が別の僭主に語ったとされる逸話とまったく同じ助言をしたのです。トラシュブロスは「寡頭支配層(オリガーキー)の台頭を防ぐにはどうすべきか」と問われた際、麦畑に入り、不揃いに伸びた麦の穂のうち、高く飛び出たものを鎌で次々と刈り取ってすべての高さを揃えてみせました。言葉にするまでもなく、視覚的な比喩で示したのです。ビザンツの将軍もこう言いました。
「富がもたらす傲慢と支配欲を断ち切らねばなりません。重税を課して削ぎ落とし、富裕な寡頭支配層の形成そのものを阻止しなければならないのです。さもなければ、彼らは国家を攻撃し、政府を解体しようとし続けるでしょう。富裕層とは、いつの時代もそうするものだからです」
これこそが、現代経済学の中心的なテーマであるべきだと私は考えました。いま私たちは「上位1%の富裕層」を抱えていますが、彼らは何をしようとしているでしょうか。彼らはアメリカ国内のすべての大学を掌握してしまいました。そこでは、公私部門が調和した「バランスの取れた混合経済」の作り方など教えられません。教えられているのは、いかに「自由市場」によって富裕層が貧しい人々に対して好きなように振る舞えるようにするか、ということです。
古代ローマ人たちも、自分たちの「自由」の概念について極めて明快でした。ローマの寡頭支配層にとっての自由とは、自分たちより身分の低い人々、すなわち残りの一般市民に対して「やりたい放題にする権利」のことだったのです。
これこそが現代の言う「自由市場」の本質です。それは債権者や地主が地代を請求し、独占企業がその犠牲者から望むだけの富を巻き上げるための自由なのです。しかしそれは、アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミルら古典派経済学者が意味した「自由市場」とはまったく異なります。彼らが目指したのは、独占地代(レント)からの自由、不労所得を得る地主からの自由、そして何よりも「民間銀行の専横からの自由」だったのです。
この戦いは古代から今日に至るまで延々と続いています。貨幣の起源、信用の起源、利子の起源に関する私の論文を見ていただければ、中東の青銅器時代における経済活動の黎明期から、古代ギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパ、そして現代に至るまで、ひとつの共通したテーマが一貫して流れていることが分かります。それは、「富裕層が金融オリガーキー(寡頭支配層)と化して政府を乗っ取ろうとする動きとの戦い」です。
これは経済学のテーマ(それを支持するのか、阻止するのか)にとどまらず、人類文明の歴史そのものの根本テーマであると私は考えています。
今日の文明的衝突の本質もまさにここにあります。NATOを中軸とする西側諸国・いわゆる「黄金の10億人」と、BRICSに代表される「グローバル・マジョリティ(世界の大多数派)」との対立です。BRICSは、IMFや世界銀行、そして「政府を縮小・解体し、貨幣や信用という最も重要な公共インフラ(公益事業)の管理権を民間銀行や民営化された金融セクターに委ねる」という新自由主義のドグマに対するオルタナティブ(対抗軸)を築こうとしています。
中国が政府債務に依存することなく目覚ましい経済成長を成し遂げてこられたのも、まさにそのためです。中国は自ら資金を発行して手当てしています。ステファニー・ケルトンが「アメリカは公共支出を増やすために民間の債権者から借金をする必要などなく、南北戦争時にエイブラハム・リンカーンが行ったように単に政府貨幣を発行すればよい」と論じるのもそのためです。歴史上、戦争を戦い抜いたすべての政府は、自ら貨幣を発行してきました。借金などに頼りはしなかったのです。なぜなら、借りるべき資金そのものが存在しなかったか、あるいは貸したがる貸し手がいなかったため、自ら貨幣を発行せざるを得なかったからです。
しかし、平和が戻ると債権者たちは巻き返しを図ります。彼らが何としても避けたいこと、それこそが「政府自らが戦争資金を手当てすること」でした。
アメリカでは1913年、この争いが頂点に達しました。1913年以前、米財務省はそれ以降に連邦準備制度(FRB)が行ってきた業務のすべてを自ら担っていました。財務省は国内に12の地方地区を設け、穀物の輸送や市場への信用供給など、マネーサプライと信用のコントロールを実質的に一手に引き受けていたのです。
そこへJ.P.モルガンをはじめとする銀行家たちが現れ、こう画策しました。「貨幣を公共インフラ(公益事業)にしておくのはやめさせよう。通貨発行から政府を締め出し、マネーを完全に民営化された金融資本家階級の手に委ねるのだ。そのためには財務省を完全に無くすことはできないにしても――財務省という組織自体は常に存続するだろうが――その権限をすべて剥ぎ取り、民営化された連邦準備制度(FRB)に肩代わりさせればよい」と。
そして銀行家たちはFRBを支配しました。彼らは「財務省の役人やワシントンの官僚をFRBのメンバーに加えることすら許さない。それどころか、本拠地をワシントンに置くことすら罷りならん。FRBの中枢はニューヨークに置き、金融の中心地であるボストン、穀物取引の拠点であるシカゴ、そして主要都市であったフィラデルフィアなどに支店を置くのだ。マネーサプライの完全な主導権を握り、経済のどこに信用を配分するかを銀行家自身が決める体制を築くのだ」と決定したのです。
今日、銀行家たちが何のために信用(融資)を供給しているかは周知の通りです。彼らは実体産業に融資しているわけではありません。アメリカを工業化してきたのではなく、むしろ「脱工業化」させてきました。銀行家は、担保があるところにしか金を貸しません。借金と引き換えに銀行側に差し入れられる別の担保を買い取らせるために融資するのです。
融資の実に80%は不動産向けです。あるいは株式や債券の保有分を担保にして融資が行われます。企業を買収する際にも、買収先企業の資産そのものを担保にして買収資金を借り入れる(LBO)ことができます。これこそが、プライベート・エクイティ(未公開株ファンド)などの民間資本が専ら行っている手法です。
中国のような国では、このようなことは起きません。彼らは有形固定資産への実質的な設備投資のために融資を行います。これが決定的な違いです。私たちが現在直面しているのは、もはや産業資本主義ではなく「金融資本主義」なのです。
そしてこの力学の変遷は、古代中東からギリシャ・ローマ、十字軍の時代、そして17〜18世紀の主権国家の成立期に至るまで、一本の線として辿ることができます。今日私たちが「近代国家」と呼んでいるものは……
---
カトリック教会はいかにして近代国家を生み出したか(How the Catholic Church Created the Modern State)
……本質的には、金融セクターの産物に他なりません。
十字軍の勃興から16世紀頃にかけて、カトリック教会はキリスト教圏全域に君臨する超国家的な国際権力でした。カトリック教会は世俗の王たちを自らの臣下として扱い、「キリスト教圏をどのように支配すべきか」を常に考えていました。かつてスターリンが指摘したように、教会自身には軍隊がありませんでした(とはいえ、軍隊がないことなど彼ら自身が誰よりもよく分かっていましたが)。
そこで彼らは、南イタリアやシチリアを制覇したロベール・ギスカールや、1066年にイングランドを征服したウィリアム征服王といったノルマン人の軍閥(ウォーロード)に近づき、こう持ちかけたのです。
「教皇庁への臣従を誓うのであれば、その国を支配することを神の名のもとに祝福しよう。南イタリア、シチリア、イングランドはローマ・カトリック教会のレーエン(封土)となるのだ。そなたたちは教皇の封臣(家臣)となる。そして国内の司教(主教)を任命する権限を教会に委ねよ」と。
当時、イングランドをはじめとする多くの国において、教会の所領は国王の所領(王領地)よりも広大でした。
「教会へ貢納金を納めよ。その代わり、教会はそなたたちを後ろ盾として支え、議会や民衆が我々の意向に沿った戦争の遂行を制限することのないよう、そなたたちに『王権神授の承認』を与えよう」
こうして12世紀までに、ローマ教皇庁はヨーロッパ諸国を自らの支配下に服従させようとしました。しかし、名目上の神聖ローマ皇帝であったドイツの王たちは、単なる軍閥ではありませんでした。彼らはローマによる支配を拒み、自らの手で司教を任命し、教会を神権政治的な支配機構ではなく公的社会の一部として位置づけたいと望んでいました。
そのため教皇は、イングランドのヘンリー3世(※編注:発言中のエドワードやヘンリー2世の言い直し)に対し、「南イタリアを支配するドイツ勢力と戦う教皇庁の戦争費用を賄うため、自国に課税して資金を用立ててくれないか」と求めました。
しかしイングランドでは、1215年に制定されたマグナ・カルタ(大憲章)によって、すでに議会が「議会の同意なしに国王が勝手に課税することを禁じる権利」を獲得していました。
かつてマグナ・カルタを突きつけられたジョン王は、教皇インノケンティウス3世に対し、「彼らは『経済的民主主義』という言葉こそ使わないものの、私の神聖な統治権に疑義を挟もうとしています。これら議会派の人間たちを破門してくれないか」と懇願しました。インノケンティウス3世はマグナ・カルタを批判する者たちを支持し、マグナ・カルタを「絶対的な大惨事」と宣告して無効とし、署名した貴族らを破門しました。これは今日の教科書で教えられているような綺麗事とは全く異なる歴史の実像です。
そしてその50年後、ジョン王の息子であるヘンリー3世が、ドイツ勢力に対する教皇の戦争資金を調達しようとした際、イングランドで内乱(バロン戦争)が勃発しました。議会は国王の課税権限を制限するため「オックスフォード条項」や「ウェストミンスター条項」を可決しましたが、新たに就任した教皇アレクサンデル4世はそれらを無効とし、関係者を破門しました。内戦の末にバチカン側が勝利し、議会制度の発展は阻まれることとなったのです。
そして、1291年頃に十字軍の時代が幕を閉じる頃には教皇たちは次第に権力を失い始めました。しかし、教皇たちはある「金融階級」を生み出していました。というのも、教皇庁はヘンリー3世に対してこう伝えていたからです。
「そなたに金がないのは分かっている。戦争に金がかかるのは当然だ。ここに署名入りの書類(教皇勅書)がある。我々が集めておいたイタリアの銀行家たちに向けて、これらに署名してほしい。彼らが軍隊に支払うための資金を用立ててくれるだろう」
戦争をするには資金調達が不可欠だったためです。バチカンは「どうやってこれらの戦争資金を調達し、キリスト教徒が他のキリスト教徒と戦う――実質的には既存のキリスト教世界そのものと戦うための融資をどう確保するか」を画策しました。ローマはすべてを征服しようとしていたのです。
当時、キリスト教圏には5つの総主教庁(五大総主教座)が存在していました。ローマはその中で最も重要度の低い総主教座に過ぎませんでした。筆頭はコンスタンティノープルであり、次いでアンティオキア、アレクサンドリア、そしてエルサレム。この4つにローマを加えて5つです。ローマは「これらはすべて許しがたい。全員破門にして自らの支配下に置く」と宣言しました。事実、十字軍の戦いとは、東方正教会に対してローマ・カトリックを押し付けるため、他のキリスト教徒に対して向けられた戦争でもあったのです。
ローマ教皇は考えました。「自らの権力を打ち立てるために戦争を起こすのであれば、キリスト教の教えそのものを根底から覆さなければならない。『高利貸し(利息の徴収)』を禁じる教義を変更する必要がある」と。当然ながら、背後で支援する銀行家たちは利息の支払いを求めていたからです。
そこでスコラ学者や知識人たちが登場し、こう理屈をつけました。
「『利息(インタレスト)』と『高利(ウスラ)』は別物である。高利とはユダヤ人が請求する不当な暴利を指すが、キリスト教徒が取るものは高利ではなく正当な利息である」
ニクソン大統領がかつて「大統領がやるなら、それは犯罪ではない」と言い放ったのとまったく同じ論法です。
これによって、銀行家一族の発展は一気に正当化されました。続く数世紀――12世紀、13世紀、14世紀を通じて――銀行家階級は、戦争へと向かう国王たちに融資を行うことで莫大な富を築き上げていきました。
しかし、15世紀から16世紀頃になると、ある問題が生じました。ヨーロッパの国王たちが、1980年代の中南米諸国(そして今日の彼ら)とまったく同じ窮地に陥り始めたのです。負債が複利で膨張し続けたため、もはや返済不能になってしまったのです。
融資を受けた各国の王たち、とりわけフランス国王らは銀行家たちにこう告げました。
「すまないが、もう返済できる資金がない。返済用の金をそちらで新たに貸してくれ」
銀行家たちは考えました。
「もし追加融資を断れば、王は債務不履行(デフォルト)に陥る。破綻されれば、金を預けてくれている預金者たちにどうやって払い戻せばよいのだ? 金を貸し続け、何とかうまくいくよう祈るしかない」
これこそ私が言う「信認の妖精(コンフィデンス・フェアリー)」です。市場に信認を与え続けなければならないため、彼らは融資を続けました。
しかし結局のところ、国王たちに返済原資がどれほどあったでしょうか。彼らが持っていたのは「王領地(王室私有地)」、すなわち国土全体の土地ではなく、現在のイギリス王室がバッキンガム宮殿などを私有しているような王個人の財産だけでした。そして貴族たちが同意する範囲内での課税権や、貿易への付加税、貿易独占権を売り払う権利程度しかありませんでした。しかし、それだけでは借金を返すのに到底足りませんでした。
銀行家たちは頭を抱えました。
「国王への融資は、返済されないため損を被るだけだ。一体どうすればよいのか」
そこで彼らは、別の優れたモデルが存在することに気づきました。それは、イタリアの自治都市(コムーネ)――フィレンツェやジェノヴァなど――の仕組みでした。コムーネにおいては都市全体が集団で運営されており、指導者を投票で選びます。そしてコムーネの指導者たちは、自らを侵略しようとするローマ側(カトリック勢力)と戦うための戦費を調達するため、コムーネの全公金と全市民の総資産を返済担保として差し入れたのです。
金融階級は次第にこう考え始めました。
「これこそ我々が必要としていたものだ。イタリアやオランダの自治都市コムーネが行った仕組みを、国民国家の規模で実現できさえすればいいのではないか」
オランダはこの基盤の上に自治体制(国家)を築きました。そしてオランダの制度がイギリスへと持ち込まれ、同様の「議会制国家」が形成されました。国王には不可能だった「債権者への返済を保証するため、国家全体の富を担保として差し入れる」という決定を、議会が下す権能を持ったのです。
こうして成立したのが、いわゆる「財政国家(Fiscal State)」です。
従来の王領国家は財政国家ではなく、単なる王権専制国家に過ぎませんでした。しかし「財政国家」は、王個人の権利としてではなく「国家主権の権利」として国民全体に課税する権利を獲得しました。国家自身の手で徴税し、自らの手で戦争を遂行できるようになったのです。国王個人の権力はもはや不要となりました。
近代国家とは、実のところ「我々の社会を破壊しようとするローマの野蛮人たちから身を守る戦費を調達するため、債権者が喜んで金を貸してくれるような受け皿」として生み出されたものだったのです。
こうしてヨーロッパ北部のプロテスタント諸国はカトリック諸国と戦い、最終的に国家規模での近代的銀行制度を発展させるに至りました。
つまり、現代のリバタリアンが試みているような「国家を解体するため」ではなく、「債権者の論理に沿った近代国家を創り出すため」に、金融セクターが自らの経済権力を政治権力へと転化させたのです。
こうして古代の精神構造が、皮肉な形で変容を遂げることになりました。古代においては、王が負債を帳消しにし、戦争を指揮し、何よりも「寡頭支配層(オリガーキー)の台頭を力づくで抑え込む権力」を持つ「神聖なる王権」が存在していたのですが、オランダやイギリスといった新興の国民国家、そしてそれに続いた北欧諸国や、現在のあらゆる近代国家は、いまやこの強大な権力を持っています。しかし、それはもはや「寡頭支配層(オリガーキー)の台頭を阻止するため」の権力ではありません。むしろ「オリガーキーを擁護し、彼らに好きなことをやらせるため」の権力なのです。それは強力な国家です。
ですから、ロナルド・レーガンや現代のリバタリアンたちが「我々は国家に反対だ」と言うとき、彼らの本心は「我々が望むのは、民衆を力づくで抑え込むのに十分なほど強力な国家であり、公共の福祉など一切推進しない国家だ」ということです。彼らが求めているのは、アルゼンチンであれチリであれ他のどの国であれ、国内経済の繁栄や成長よりも国際的な債権者の利益を最優先にして借金を返済させられるだけの強力な国家なのです。
結局のところ、今も昔も戦いの本質はまったく変わっていません。経済が成長して自由であり続けるのか、それとも債権者が社会を「債務農奴(借金奴隷)」へと突き落とす権利を持つのか、という争いです。
ですから、私がこれまで書いてきた土地保有権、企業の起源、貨幣鋳造、信用、利子の徴収に関する一連の学術論文は、すべてこの「文明に共通する本質」を浮き彫りにするための試みでした。そして、文明とは「信用と負債、あるいは人間同士の支配関係が政治的に表現されたもの」であると捉えたとき、突如として視界が開けます。文明にとっての負債とは、フロイトにおける「性(リビドー)」と同じくらい根源的なテーマであり、すべてはここに帰着するのです。
---
ロビンソン:
いやあ、本当に素晴らしいお話です。誰かと対談していて、これほど深いテーマについて即興で淀みなく講義できるのを目の当たりにすると、いつも心底圧倒されます。とはいえ、この分野を30年、40年も研究し続けてきた第一人者であるあなたにとっては、朝飯前のことなのかもしれませんね。
マイケル・ハドソン:
まあ、マルガリータがあるおかげでもありますよ。
ロビンソン:
お酒の力も手伝っていますね(笑)。山ほど質問したいことがテーブルの上に並んでいる状態なのですが、本題とは少し毛色が異なるものの、先ほどのお話の中で強く印象に残った点があります。それは「古代の文献の翻訳が、言語によってまったく異なっていた」というお話です。
最近、プリンストン大学の小説家・詩人であるジョイス・キャロル・オーツとお話ししたのですが、私は彼女に「自分の好きな詩人や詩には英語以外の言語で書かれたものが多く、ある翻訳で読むと大好きな詩なのに、別の翻訳で読むとまったく別物になっていて嫌悪感を覚えることすらある」と話したばかりでした。翻訳とはそれほど高度な芸術であり、あなたの研究にとっても極めて重要なものだと改めて感じます。
そこで、その古代の文献の話に戻りたいと思います。今日のお話から私たちが学べる最も興味深い教訓のひとつは、「これら青銅器時代の文明や古代世界の崩壊から、現代の私たちが何を学べるのか」という点にあると思うからです。
会話の序盤で、ハンムラビやバビロニア、そして「ヨベルの年(Jubilee)」について触れられました。ハンムラビが何者なのか、ヨベルの年とは何なのかをよく知らないリスナーのために、それらが何であり、古代文明の繁栄と、そしてその後の没落にどのように関わっていたのかを解説していただけますか?
---
貨幣の起源について(On the Origin of Money)
マイケル・ハドソン:
おもしろいですね。あなたの質問には少し回り道をしてお答えしましょう。
実は今日も、朝からまさにその「翻訳」にまつわる作業をしていたところでした。貨幣の起源に関する極めて重要な古典のひとつに、1888年にドイツの人類学者ハインリヒ・シュルツ(Heinrich Schurtz)が著した本があります。邦題をつけるなら『貨幣の起源』といったところでしょうか。
シュルツは、南太平洋やアフリカにあるフランス領の先住民(先住民族)社会を観察し、「そこではどのように貨幣が発達したのか」を調査しました。彼が見出したのは、それらは厳密には「お金」ではなく「財産」だったということです。彼が「原始貨幣」と呼んだもの――それはメソポタミアの貨幣とは異なりますが――は、極めて価値の高い、「常に外部から輸入された希少な品々」でした。
そうした社会において社会的地位(ステータス)を獲得する手段は対外貿易であり、銀や金ではなく、珍しい外国の異国情緒あふれる素材を手に入れることでした。それは宝石や貝殻、あるいは裕福な首長の一族が所有する衣服や調度品といった一種のトロフィー(戦利品・記念品)のようなものであり、極めて尊ばれました。こうした威信財(プレステージ・グッズ)が貨幣の役割を果たしていたのです。
ある意味で、古代メソポタミアでもこれと似たようなことが起きていました。メソポタミアでは、日常の貨幣としての穀物と並行して「銀」が使われていました(金は大した役割を果たしていません)。銀が高く評価されたのは、メソポタミアが青銅を作るための銅や錫、建築用の石材や硬木、宝石といった原材料をすべて交易によって外部から調達しなければならなかったからです。それらを手に入れるための対外決済手段こそが貨幣獲得の根源でした。
貨幣とは、本質的に常に「外来のもの」だったのです。有史以来、多くの国にとって金や銀は国外から持ち込まれるものでした。だからこそ、古代から中世にかけてすべての金が吸い込まれていったインドは「金の沈殿地(吸い込み穴)」と呼ばれ、19世紀の中国や日本はあらゆる対価として銀を求め、銀が国内に引き寄せられていきました。
人類学者シュルツは、まさにこうした現象を描写していました。実は私は、このシュルツの著書の英訳版に序文を寄稿するよう依頼されていたのです。1週間ほど前に翻訳原稿を受け取り、昨晩から昨日にかけて出版社から届いた校正刷りと格闘していました。
以前届いていた下訳の原稿に基づいて、私はシュルツの論述を引用して序文を書いていたのですが、送られてきた最終校正刷りを見ると、ほぼすべての段落で訳語が変更されていたのです。「この単語の代わりに『財産(property)』を使う」「先住民社会には国家が存在しなかったのだから『政府(government)』という言葉は使えない」といった具合に、人類学的に正しい訳語を徹底しようとして修正が加えられていました。そのせいで、私の引用箇所の訳文を校正原稿に合わせて修正するだけでも4時間もかかってしまいました。
しかし、シュルツが見出した決定的に重要な点は、「高い価値を持ち、威信財として使われる『原始貨幣』の流入こそが、これら先住民社会における不平等と経済的二極化の根本原因であった」という事実です。彼は「貨幣の役割とは、これらの共同体を二極化・分断させることである」と指摘しました。
そして、首長(チーフテン)の果たすべき役割とは――これはメソポタミアの統治者たちがまさに行っていたことですが――「経済の二極化を阻止すること」だったのです。
もし二極化を放置してしまえば、行き着く先は現代のアルゼンチンのような社会です。人口のわずか1%の富裕層が国のドル建て国債をすべて牛耳り、しかもそのドル建て債権をオフショア金融センター(タックスヘイブン)に隠し持ち、その1%が社会の残りの99%を貧困に叩き落とすような国になってしまいます。
19世紀に西洋文明と接触した先住民社会において、すでにこの現象が起きていました。そして古代ギリシャ・ローマにおいてもまったく同じことが起き、まさに今、現代の私たちの社会でも起きているのです。
共同体を根本から困窮させていたのは、まさにその「対外債務」でした。なぜなら、その貨幣自体が外来のものであり、負債も外国の貨幣で建てられていたからです。ここでも、文明の普遍的な法則が顔を覗かせます。経済が二極化(富の偏在)していく傾向は、常に経済全体を弱体化させました。生活水準の向上や実体的な資本形成によって経済を成長・拡大させようとする試みよりも、債権者へ負債を返済する義務のほうが優先されてしまったからです。
(先ほど話したような)19世紀の少々読みにくいドイツ語の翻訳を整理・明確化する作業は、メソポタミアの古代文字に比べれば1世紀前の近代ドイツ語とはいえ、私がいまだに悪戦苦闘しながら続けていることでもあります。
さて、聖書をご存知の方なら、バビロニアがどこにあったかはご存知でしょう。やがてペルシャ帝国がバビロンを征服しました。古代の帝国の多くは、現代のアメリカ帝国やかつてのキリスト教諸国の帝国とは異なっていました。彼らは被征服民が貢納金や税金さえ納めていれば、信仰したい宗教を信仰し、自分たちの生活様式や慣習を守って暮らすことを寛大に認めました。彼らが気にかけていたのは、要するに「お金(貢納)」だけだったのです。
そのため、ペルシャが(※編注:新バビロニアによるバビロン捕囚の経緯に言及しつつ)イスラエルを征服した際、支配層はもっとも裕福な一族を人質としてバビロンへと連行し、残されたユダヤの農民たちにはそのまま土地を耕作させました。その後1世紀ほどの間に、ユダヤの人々はバビロニアの文化と同化していきました。当時の手紙、遺言状、婚姻契約書などはすべて残っており、それらは現地のバビロニア人書記(スクライブ)によって書かれていたことが分かっています。
このように、バビロニアやシュメール――現在のイラクやシリア――こそが、古代近東における文明離陸の根源地でした。そして山脈を越えたすぐ先にはイラン(ペルシャ)がありました。
商業や事業のあらゆる慣行がこの地で発展した理由は、ナイル川流域がそうであったように、何千年にもわたって川から運ばれた肥沃なシルト(沈泥)が堆積した豊かな農地が広がっていたからです。素晴らしい土壌でした。しかし、その土壌には決定的な欠陥が一つありました。土ばかりで「金属」が採れなかったのです。城壁を築くための「石材」もありませんでした。すべては泥(粘土)で作られており、泥煉瓦を乾燥・焼成して城壁や宮殿、建物の基礎を築くしかありませんでした。
そのため、メソポタミアが社会を維持・発展させるには、青銅を作るための素材――だからこそ「青銅器時代」と呼ばれるわけですが――をどうしても手に入れる必要がありました。彼らは対外貿易と商業活動を発展させざるを得なかったのです。
こうして、企業活動、貨幣、そして度量衡といった仕組みが整備されていきました。度量衡(重さと容積の基準)がなければ取引など成立しません。そして利子の徴収も始まり、すべては「信用取引(掛け売り)」で記録されました。
シュメールやバビロニアの王宮や富裕層は、織物、絨毯、衣服などの加工品を商人や起業家に委託しました。商人たちはそれらを携えて北方へ、あるいは遥か遠くのアフガニスタンやパキスタンにまで原材料を調達しに向かいました。そして5年後には、元本の「2倍」にして負債を返済しなければなりませんでした。つまり倍加時間が5年だったのです。これは年利20%の単利(毎年5分の1ずつ加算)計算になります。
書記を養成するための当時の教科書が残っています。そこには「負債が2倍になるには何年かかるか?」という練習問題があり、答えは「5年」と書かれています。
現在、アメリカの大学で金融論を教えている教授たちも、学生に「金利とは何か」「その金利だと何年で元本が2倍になるか」をきちんと教えればよいのにと思います。たとえば現在、7%の金利で30年返済の住宅ローンを組んで家を買ったとしましょう。銀行はそこからどれだけの利益を得ると思いますか? 7%の複利なら、わずか10年で銀行が受け取る利息の額は、住宅・土地の売主が受け取った本体価格と同額に達します。つまり10年で元本分を取り戻し、20年で2倍、30年の返済が終わる頃には利息だけで元本の4倍近くを支払うことになります。
債務の支払い(デットサービス)がいかに急激に膨張するか、これでお分かりいただけるでしょう。現実の経済は、そこまで急速には成長できません。
古代バビロニア人たちはその事実を熟知していました。だからこそ彼らは、書記たちに「負債が月あたり1シェケル(60シェケルで1ミナ)の割合でどれほど急速に増えていくか」を計算させる一方で、「牛の群れがどれほどの速度で増殖するか」という試算モデルも教えていたのです。家畜の群れの増殖パターンは、まさに現代の経済成長と同じです。「S字カーブ(ロジスティック曲線)」を描き、ある程度まで増えると成長は緩やかになって頭打ちになります。
最初期のアッシリア学者たちがこれらの粘土板を翻訳し始めたとき、「これは単なる数学の練習問題のはずがない。牛の群れの実際の増殖記録を報告しているに違いない」と思い込んでいました。しかしシュメール人たちはすでに2次方程式を解いていました。シュメールの書記になるには、現代のアメリカの高校生が学ぶ以上の高度な数学を習得しなければならなかったのです。彼らは天体の運行を予測し、あらゆる複雑な計算を行っていました。
彼らは「家畜の群れ(実体経済)がS字カーブを描いて頭打ちになる」一方で、「負債は指数関数的(幾何級数的)に無限に増殖する」という絶対的な違いを理解していました。その計算からだけでも、「負債はやがて必ず返済不能になる」ということは火を見るより明らかだったのです。
負債を定期的に帳消し(棒引き)にしなければ、国内に強大な富裕寡頭支配層(オリガーキー)が育ち、国を乗っ取ってしまうことになります。経済学の「入門コース(エコノミクス101)」の最初の講義で、この数理モデルを教えるべきなのです。
---
古代の経済学者は現代の経済学者より優れていたのか?(Were Ancient Economists Better than Today’s?)
シュメール人が持っていた数理モデルは、全米経済研究所(NBER)が現在使っているどんな経済モデルよりも、世界中のどの中央銀行が持っているモデルよりも遥かに優れていました。現代の学者たちは、複利計算がもたらすこの明白で単純な数学的現実を認めようとしないからです。
彼らは「借金など問題ではない。自分たち同士でお金を貸し借りしている(We owe it to ourselves)だけなのだから」と言い放ちます。しかし、「自分たち(We)」とは誰で、「自分たち自身(Ourselves)」とは誰のことでしょうか? 「私たち99%の庶民」が、「彼ら1%の富裕層」に対して借金をしているのです。彼らの理屈は、上位1%のポジショントークに過ぎません。
ですから、ポール・クルーグマンのように「負債など気にするな。バランスシートの片側にある資産と、反対側にある負債は相殺される(チャラになる)。資産と負債は常に一致するのだから、これは単純な会計上の話に過ぎない」などと言うのは欺瞞です。富の分配状況に目を向け、富の二極化の実態、すなわち「誰が誰に対して何を負っているのか」、そして「所得や実体的な生産高に対して負債がどれほどのスピードで膨張しているのか」を分析すれば、これが持続不可能なポンジ・スキーム(自転車操業)であることは一目瞭然です。
これこそが、いかなる経済学の講義でも教えられないまま、連邦準備制度(FRB)が直面し続けているジレンマです。彼らはこのポンジ・スキームをどうやって延命させているのでしょうか?
銀行が借り手に対して不動産を担保にますます巨額の融資を注ぎ込み、借り手たちがその資金を使って互いに入札価格を競り合って高額な住宅や商業オフィスビルを買い漁るように仕向けます。そうすれば、借金まみれの高額なオフィスビルをさらに担保にして、銀行からより多くの信用枠を引き出すことができます。こうして「資産価格のインフレーション(バブル)」が引き起こされるのです。
経済において最も決定的な価格とは、消費者物価(CPI)ではありません。もちろん生活実感としては重要ですが、経済全体の長期的な軌道を左右する最も重要な価格とは、「資産価格(不動産、株式、債券の価格)」なのです。
そして銀行が金を貸す先は、まさにそれら資産です。銀行はクレジットカードや自動車ローン、個人消費向けの融資も多少は行いますが、それは融資全体のごく一部に過ぎません。日常の財やサービスのために金を貸しているわけではないのです。したがって、銀行が信用創造によって生み出すマネーは、消費者物価を押し上げるのではなく、住宅価格、株価、債券価格を吊り上げるために使われます。
2009年のオバマ政権による救済(ベイルアウト)以降、人類史上最大の債券市場のスーパーラリー(大相場)が起きました。株式、債券、不動産を所有する金融資本家階級に莫大な富と権力を与え続けたのです。それらの資産を保有しているのは主に上位10%、実質的には「上位1%の富裕層」です。資産価格の高騰によって最富裕層には天文学的な富がもたらされた一方で、下位50%の富はほとんど増えておらず、下位20%に至っては借金がさらに膨らみ、より悲惨な状況に追い込まれています。
これこそが、経済学が探求すべき本質です。私たちは「一般の財やサービスを測る消費者物価」と、「富裕層のための資産価格」という、まったく異なる2つの価格軌道を相手にしているのだと認識しなければなりません。富裕層はスーパーマーケットで食料品がいくら値上がりしたかなど気にしていません。彼らが気にしているのは、株価や債券価格がどう動いているか、それだけなのです。
そして、これこそが私が提起したい教訓――古代の「ヨベルの年」や「債務免除政策」が現代においてなぜ有用になり得るのか――というテーマの核心につながっています。
---
ロビンソン:
青銅器時代におけるヨベルの年の経験や実践と、古代ギリシャやローマで起きたこととを対比させるべきだと私も思います。西洋文明が(古代近東と)決定的に異なっていたのは、彼らには「専制的な王」がいなかったという点でした。
先ほどあなたは「古代近東の崩壊」と言われましたが、あれは厳密には完全な文明崩壊ではなく、紀元前1200年頃の深刻な気候変動――大規模な干ばつによって多くの民族が大移動を始めた――によるものでしたよね。
---
バビロン崩壊の真相(Uncovering the Collapse of Babylon)
彼らはもはやそれまでの土地にとどまることができなくなったのです。同じことがインドでも起きました。青銅器時代最大の文明であったインダス文明は、文字通り大干ばつによって干上がって消滅しました。ペルシャ経由でインド・ヨーロッパ語族の人々が入ってきたときに起きたのは、まさにそうした事態でした。彼らは文化的には粗野な状態(ナックルウォークをしているような状態)で入ってきましたが、インダス文明の慣習やヨガ、その他あらゆる要素を吸収していきました。
「文明の崩壊」と聞くと、人々は何か致命的な過ちを犯して破滅を招いたと考えがちです。「現代への教訓として、我々は何を過ちとして犯そうとしているのか?」と。しかし、インダス文明やユーラシア、そしてギリシャやローマと並べて比較できる唯一の事実として、彼ら自身が何か決定的な過ちを犯したわけではありませんでした。
ギリシャ語圏のミケーネ社会もまた終焉を迎えました。作物が育たず不作が続いたため、人口は激減しました。宮殿は崩壊し、宮殿直轄地を管理していた現地の管理人たちがそのまま地域の行政官として居座り、自分たちの名義にできる土地をすべて囲い込んで私有化してしまいました。
これは「暗黒時代」と呼ばれました。文字による記録が一切残っておらず、何が起きたのか分からないという意味での「暗黒」です。ミケーネ・ギリシャ語の音節文字であった「線文字B」は廃れて使われなくなりました。
紀元前8世紀頃になると、現代的なアルファベットによる文字体系が登場し、人口も回復し始めました。そして主にフェニキア人やシリア人といった近東の商人たちによって、貿易の復興が始まったのです。彼らは西のギリシャへ、そして地中海を越えて遥かイタリアにまで航海するようになりました。
商人たちは、かつてメソポタミアで行っていたのと同様の手法を取りました。商人の拠点として神殿を建立したのです。これは現代で言えば実業家団体、いわば「商工会議所」のような役割を果たす公共的な結社でした。
彼らは多くの場合、「オフショア(境外)」で取引を行いました。たとえばイタリアにおける一大貿易拠点は、沖合に浮かぶイスキア島でした。ギリシャでも同様に沖合の島々で行われました。メソポタミアにおいても、対外貿易の多くは中枢部ではなく、バーレーンのような沖合の島や、大都市の城壁の外側に設けられた「カールム(港・商業特区)」で行われていたのと同じです。城壁の内側には法の支配(王の統治)がありましたが、城壁の外側は完全に自由企業の世界だったのです。
しかし彼らは、この交易とともに「利子の徴収」という慣行を持ち込みました。
彼らは「掛け売り(信用貸し)で商品を売ってやるが、利息を払わなければならない」と言ったのです。
当時の西欧世界では、度量衡はまだ十分に発達していませんでした。都市国家ごとに独自の度量衡を持っており、それらはまったく異なる数学的基盤(進数体系)に基づいていました。
メソポタミアの制度は「60進法(60分の1)」に基づいていました。なぜなら、神殿において扶養労働者――主に戦争未亡人や孤児たち――に食糧を配給するシステムから発達したからです。行政上の1年は30日ずつの月に分割され、1日に2回配給が行われました。1日2回で1か月は「60回」になります。そこで1か月分の配給として1ブッシェルの穀物を与え、毎日1カップずつ消費させればちょうど1か月持ちます。そして翌月にはまた1ブッシェルを配給する。これが60進法の起源でした。
一方、ギリシャは異なっていました。ギリシャはクレタ島やエジプトの勢力圏にあったため、「10進法」を用いていました。そのため金利は、たとえば「月1%」あるいは「年10%」といった設定になりました。
他方でローマは、1年という期間、すなわち「12か月」を基準にして測定体系を分割しました。ローマは「12進法(12分の1)」を採用したのです。そのためローマの度量衡では、1ポンドが12オンス(トロイオンス)に分割されました。
つまり、計算を容易にするために、ローマ、ギリシャ、古代近東の金利は、それぞれ現地の分数計算・会計システムの単位体系に基づいて決められていたのです。
現代の経済学者はこのような事実を教わっていません。「そんなはずはない」と否定します。「自由企業」を信奉する連中は、「とんでもない。政府が度量衡を定めて公的な基準を作ったなどあり得ない」と言い張ります。そして彼らは、青銅器時代のメソポタミアで年利20%という高金利(60進法で1年=12/60=20%)だったのは「リスクが極めて高かったからだ」と解釈します。そして「ギリシャでは経済がより発展したため、金利が10%に低下した。さらにローマでは機能的な体制が確立され、安定したからこそ8.5%(12進法で1/12=約8.33%)という低金利になったのだ」と説明するのです。
彼らは、民衆を徹底的に収奪・破壊し尽くしたローマの過酷なオリガーキー(寡頭支配)の体制を「安定」と呼び、金利の低下をすべて「経済的進歩」の証として解釈してしまいます。金利の設定理由が経済的リスクなどとは何の関係もなく、「単に分数計算のしやすさという会計上の都合」によるものだったという事実には、爪の先ほども気づいていないのです。
私がこの論文を最初に経済社会史の専門誌(『Journal of the Economic and Social History of the Orient』など)に投稿したとき、査読者たちは皆「そんな単純な話であるはずがない」と疑いました。彼らが納得して掲載に同意するまでに6年もの歳月を要し、最終的に2000年か2004年頃になってようやく出版されました。そして最終的に彼らは、「なるほど、確かにこれしか辻褄の合う説明はない」と認めざるを得なくなったのです。
部外者であった私のこうした発見は、今や学界でも広く受け入れられるようになりました。私が他の古典古代の歴史学者やアッシリア学者たちから同意を取り付けることができた理由は、彼らの学界が1920年代以降、経済学者や非専門家との対話をほぼ拒絶し続けていたという背景があったからです。
当時、あらゆる人々が過去の歴史に自らの願望や政治的メタファーを勝手に投影していました。バチカンはシュメールの古文書を翻訳して「神殿国家(神権政治)」と呼び、ナチスはナチスで自らに都合よく翻訳しました。あらゆる政治的スペクトルの人々が、古代近東で何が起きていたかについて自分勝手な妄想を押し付けていたのです。
そのため、アッシリア学者たちはとりわけ「経済学者」を警戒していました。彼らはこうぼやいていました。
「青銅器時代の古代社会にケインズ主義者が存在したと本気で信じ込み、『政府が経済にお金を投じることで個人消費の需要を創出しようとしていたのだ』などと頓狂なことを言い出す経済学者が次から次へと押し寄せてくるのだ」と……
エジプト学者のウォーバートン(David Warburton)あたりがそうした論考を書いていたと思いますが、現代人が4000年前にタイムスリップして当時の人々に「こうやるべきだ」と指図できると思い込むような、頭のおかしい妄想が横行していました。
アッシリア学者たちは、自らの先入観を押し付けてくるような人間を毛嫌いしていました。しかし当時の私は、古代に何が起きていたのかについて予断を一切持っていませんでした。ただ、何が重要であるかは分かっていました。私が追求したかったのは、「貨幣と負債がどのように扱われていたのか」という一点です。ある社会における貨幣と負債の関係性を解明できさえすれば、そこを出発点として、あなたと私がこの1時間ほど語り合ってきたような歴史的力学を見通すことができると考えたのです。
ですから彼らは、喜んで私と対話してくれました。私は真摯に尋ねたからです。「負債に関して見つかっている資料を、すべて教えていただけないでしょうか。私にはこれらすべての一次史料を読み解くことはできません。負債、金利、商取引の契約書、土地保有権の記録や譲渡証書について、どのような史料があるのでしょうか。宮殿や城壁はどのように建設されたのでしょうか。手元にある資料を教えてください」と。私は彼らの知見を極めて謙虚に受け止めました。
そして、ニューヨーク、ロシアのサンクトペテルブルク、ドイツなど、世界各地で開催した私たちの研究集会の渡航費や諸経費を、私が資金調達して手当てできたという事実も大きかったと思います。彼らも論文集の刊行に意欲的に協力してくれました。「1920年代――100年前には分からなかったことが、今や十分に解明されてきた。関心のあるすべての人々に向けて『文明における経済関係はこうして始まったのだ』と世に問うだけの知見が蓄積された」と確信できたからです。
もちろん、そんな事実を知りたがる者など(現代の主流派には)誰もいませんでした。「そんなはずはない。もし歴史がそうだったのだとしたら、強力な政府が必要になってしまうし、オリガーキー(寡頭支配層)を統制しなければならなくなる。そんなものはミルトン・フリードマンの言う『自由市場』や『自由企業』ではない」と反発されるからです。
古代近東から古典古代に至る歴史の現実は、現代の経済学や政治イデオロギー、そして人々が学校で教え込まれている教条のすべてと真っ向から衝突します。だからこそ、紀元前2500年頃から西暦1700年頃に至る「文明の起源と展開」の歴史は、すっかり覆い隠され、ブラックボックスにされてしまっているのです。「そこには立ち入るな」というわけです。現代とはあまりに構造が異なっており、理解するための準備期間(助走時間)だけでも途方もない労力を要するからです。
先ほどお話ししたように、私がハーバードの研究グループに加わったのは1994年のことでした(構想自体は1984年頃から始まっていましたが)。アッシリア学者たちと対等に対話し、専門文献を読みこなせるようになるまでに10年かかりました。これらすべてを理解するために、古代近東人類学の博士号をもう一つ取得し直さなければならなかったようなものです。自分でもまさかそんなことになるとは夢にも思いませんでしたが、それほどまでに重要なテーマだと確信していたのです。
---
負債と文明の終焉(Debt and the End of Civilization)
この研究によって突如として明らかになったのは、今日の世界経済を二極化させている現代の諸問題が、遥か古代の原点にまで遡るものであり、古代の人々がそれにどう対処していたかという事実でした。
彼らが理解していたのは、「負債を定期的に帳消し(棒引き)にしなければ、社会はやがて債務奴隷(ペオネージ)の状態へと転落し、債権者に隷属してしまう」ということでした。債権者階級が最終的にすべての土地と資本資産を独占するだけでなく、労働力までも支配下に収めてしまうのです。
それは現代において、古代のような露骨な身売り奴隷という形をとるわけではありません。しかし実態は同じです。「どこに住んでもよいし、誰のために働いてもよい。ただしどこに住もうとも、生きていくためには借金を背負わねばならず、最低限の生存コストを超えるすべての所得を債権者への返済に差し出さなければならない」という状態に追い込まれます。これこそがまさに隷属であり、債務奴隷の本質です。
これこそが、私が示そうとしている過去5000年間にわたる文明の「共通項(普遍的力学)」です。この共通項に基づいて文明を観察すると、歴史の運動法則が見えてきます。ある社会がこの問題に直面したとき、どちらを優先して解決を図るのか。「債権者への負債の返済」を第一とするのか、それとも「経済の成長力、生活水準の向上、実体的な設備投資を守るために債権者の請求権を減免(棒引き)する」のか。
これこそが文明を動かす根本的な力学であり、今日の「グローバル・マジョリティ(BRICS)」が「西側の庭(ガーデン)」から離脱しつつある力学そのものでもあります。(EUの外交安全保障上級代表の)ボレルは「ヨーロッパは庭であり、世界の大部分はジャングルだ」と言い放ちました。彼らにとってはジャングルなのでしょう。
しかし、イスラエルのネタニヤフ首相が昨日、米議会で行った演説の中で、この構造全体を端的に言い表した一文がありました。彼は「今日の戦いは、文明と野蛮(バーバリズム)との戦いである」と語りました。彼はローザ・ルクセンブルクの有名な言葉(「社会主義か、野蛮か」)を模倣したわけです。もちろん彼は本質を取り違えており、自分たちの側こそが野蛮なのか文明なのかという区別すらついていませんでしたが、彼が提示したあの「対立軸」自体は極めて重要な示唆を含んでいます。
---
古代の経済学は未来への鍵か?(Are Ancient Economics the Key to the Future?)
ロビンソン:
非常に刺激的なお話です。現代の私たちは、物理学、数学、テクノロジー、医学などの目覚ましい進歩を目の当たりにしているため、「人類文明は常に不可逆的に前進している」という思い込みを抱きがちです。あらゆる学問分野において、私たちは同じように前進し続けているという幻想を持っています。
しかしあなたのお話を伺っていると、特定の利害関係者グループの存在や、あるいは過去を批判的に検証しようとしない不作為のせいで、とりわけ「経済学」の分野においては、何千年も前に人々が持っていた極めて決定的な知見が今日完全に無視され、そのことがかえって人類の真の前進を妨げているように思えます。
マイケル・ハドソン:
まさにそこが問題なのです。歴史は単に一直線に前進しているわけではありません。
私は1970年代、「未来学者(フューチャリスト)」として名を馳せました。ハーマン・カーン(ハドソン研究所)のもとで4年間働き、アルビン・トフラーや未来研究所(Institute for the Future)とも仕事をしました。「経済を豊かにするには国民を貧しくするしかない」などと平然と説くような手合いと同じ「経済学者」の肩書を名乗り続けるのが嫌になり、「よし、これからは未来学者を名乗ろう」と考えたのです。
未来の予測を立てること自体は、私にとって極めて容易なことでした。金利の予測、為替レートの予測、そして私の専門であった「国際収支」の分析において、私はきわめて正確な見通しを立てることができました。だからこそ、世界各国政府から依頼を受けて政策顧問として飛び回ることができたのです。
しかし、真に困難を極めたのは「古代」の探求でした。未来学者として予測を立てるよりも、遥か古代の社会がいかに現代と異なっていたのかを理解することの方が、何倍も難しかったのです。そこには、まったく異なる文明の根本的な変容が働いていたからです。
あまりにも異なっていました。新石器時代後期、青銅器時代、古典古代が現代といかに違っていたか、私には想像もつかないほどでした。社会政治体制全体が根本から異なっており、単に一直線に前進していたのではなく、システムそのものが自己変容を遂げていたのです。
しかし、そのように自己変容を遂げつつも、依然として変わらない共通項がありました。それは、「金融寡頭支配層(オリガーキー)の台頭を許すのか」、それとも「神聖なる王権であれ、ギリシャの民主政であれ、あるいは負債を帳消しにして土地を再分配しギリシャ文明の離陸をもたらした、いわゆる僭主(ティラノス)であれ、はたまた近代の社会主義革命であれ、それを抑え込めるだけの強力な政府を持つのか」という二者択一です。
これらはすべて、この歴史的変容の中にある普遍的な定数なのです。これを見るには、経済システムがある「種」や「属」から別の経済システムへと進化していくプロセスとして、システム論的に捉えなければなりません。しかし、現代の経済学者や政治理論家たちはそれをしません。彼らは視野狭窄(タネル・ビジョン)に陥っており、「過去も現代と同じようなものだったはずだ」と思い込む傾向があります。「我々はギリシャやローマの後継者なのだから、彼らも我々と同じだったに違いない」と。もし彼らが本当に我々と同じだったのだとしたら、現代の我々もローマと同じ運命、すなわち「ローマ帝国の衰退と没落」を辿ることになります。彼らと我々が似ていると本気で考えるなら、行き着く結末はそれしかありません。
西洋文明としてのギリシャやローマは、古代近東が生み出した経済的離陸の成果を、文脈を無視して都合よく借用しました。しかしそこには、「負債を帳消しにし、ローマの上位1%のオリガーキーが土地を強奪・独占して暗黒時代を招くのを阻止できるだけの権力を持った統治者」が存在しませんでした。
人々は「ギリシャには民主主義があった」と思い込んでいますが、一部の選挙制度において民主主義へ向かうごく短い動きがあったのを除けば、実際には民主主義など存在しませんでした。アリストテレスはギリシャのすべてのポリスの国制を調査し、「どれも自らを民主政と称しているが、実態はすべて寡頭政(オリガーキー)である」と結論づけました。彼の見立てはまさに正しかったのです。
しかし、寡頭支配層がどのように機能したかという力学や、彼らが用いたレトリック(言説)、そして使われた言葉の意味は根本から変化してきました。だからこそ、この変容のプロセスそのものを見つめなければならないのです。
歴史とは単に前進するものではなく、内発的な自己変容が展開していくプロセスです。未来を予測するとしても、容易に断定できるものではありません。いま私たちの前に何が待ち受けているのでしょうか。BRICSを中心とする「グローバル・マジョリティ」は、社会主義的な性格を帯びていくのか、それともリバタリアン的な自由市場の性格を帯びていくのか。そして西側諸国はどうなるのでしょうか。このまま自ら二極化を深め、かつてのローマ帝国のように没落していくのか。それともヨーロッパが「過ちを犯した」と気づき、ハンガリーやスロバキアが望んでいるように独自路線を取り、上海協力機構(SCO)に接近していくのか。あるいはバイデンや民主党、そしてネオコン(新保守主義派)たちが、「毎年少しずつ覇権を失っていくくらいなら、今すぐ核戦争を引き起こせ。核戦争をやるなら、来年や再来年にさらに国力が衰退する前に今すぐやってしまおう。今すぐ世界を破滅させてしまえ」と言い出すのか。バイデンなら「どうせあと1か月もすれば認知症で何も分からなくなるんだ、知ったことか、ボタンを押してしまえ」と言い出しかねません。
---
政府は学生ローン債務を帳消しにすべきか?(Should the Government Forgive Student Loan Debt?)
ロビンソン:
先ほどのお話の中で、国家には市民の生活水準を引き上げるだけでなく、教育などの「生活に伴う外部コスト」を引き下げる、あるいは無償化する責務があると言及されていました。
学生ローン(学資融資)の債務問題は、今まさに大きな話題となっています(1〜2年前のほうがより白熱していたかもしれませんが)。この学生ローン債務も、あなたが「帳消しにすべきだ」と考える対象のひとつでしょうか? また、今後それがどのように実現され得るか、道筋は見えていますか?
マイケル・ハドソン:
それこそが、まさに問題の核心です。公共インフラを民営化してしまうと、生活コスト(生計費)が途方もなく跳ね上がります。
イギリスにおいて「公衆衛生(医療)こそが国家のすべてであり、最優先事項だ」と唱えたのは、保守党のベンジャミン・ディズレーリでした。それを求めたのは保守派だったのです。アメリカにおいても、最初のビジネススクールであるウォートン・スクールの初代経済学教授サイモン・パットンは、「公共インフラ(公的資本)は、独自の独立した『生産要素』である」と論じました。
公共資本は、労働とも異なり、土地所有(これは生産ではなく単なる不労所得者[レンティア]の請求権に過ぎません)とも異なり、そして実体的な産業資本とも異なります。経済的余剰を生み出すことを目的としておらず、利潤(プロフィット)を上げることを目的としていないからです。エリー運河をはじめとするアメリカのインフラがそうであったように、公共インフラの役割とは、「生活コストやビジネスを営むコストを引き下げること」にあるのです。
したがって、基本的ニーズである医療、教育、通信、交通、郵便、上下水道といった公共機能が、政府のインフラとして無償あるいは補助金による低料金で提供されれば、政府はそこに利益を求めません。基本的な「経済的権利」として提供するからです。パットンはこれを「人権」とは呼ばず、「経済的コスト」と呼びました。そうすることで、雇用主は労働者に対し、自腹で学費(いまや1学期あたり5万ドルにも達します)を払わせたり、自腹で医療費(GDPの18%に達しています)を払わせたり、独占された交通費や通信費を支払わせたりするのに見合うだけの高額な賃金を支払う必要がなくなるのです。
しかし、これらすべてを民営化してしまえば、突如としてそれらは「利潤追求」「キャピタルゲイン」「法外な経営管理手数料」のために運営されるようになります。
かつては、誰もがこうした公共インフラの役割を「社会主義」と呼びました。社会主義的経済の持つ強みだと認識されていたのです。マルクス主義者だけでなく、キリスト教社会主義者、ヘンリー・ジョージ派のリバタリアン社会主義者など、あらゆる社会主義者がそう呼びました。彼らは異口同音に「産業資本主義の未来は、活発な公共セクターが産業資本主義を支え、生活費やサービスコストを抑えることで他国との競争力を高める『公私混合経済』にある」と主張したのです。
民営化の目的とは、「生活コストや事業コストを吊り上げることによって利益を掠め取ること」に他なりません。そうやって富を巻き上げるのです。
だとすれば、民間資本に牛耳られ、医療や教育を民営化し、取れるだけ法外な費用を巻き上げることで利益を上げている新自由主義に染まったアメリカや西欧諸国が、自らを「社会主義」と呼びつつ、実のところは19世紀にアメリカ、ドイツ、フランスの産業資本家たちが実践していたのと同じ仕組みを再発見して実践している国々(中国など)と、一体どうやって競争できるというのでしょうか。勝てるはずがありません。
---
ロビンソン:
その言葉をいただき、今回はこのあたりで締めくくりたいと思います。マイケル、番組冒頭でもお話しした通り、今回で3回目のご出演となりました。今回はこうして直接お会いして対談でき、本当に光栄でした。またいずれ第4弾の対談を直接お会いして実現できればと願っています。改めまして、素晴らしいお話を本当にありがとうございました。
マイケル・ハドソン:
こちらこそ、とても楽しかったですよ。ご覧の通り、私はこの3倍くらい長く話すつもりでいたのですがね。まだマルガリータも飲み終わっていませんし(笑)。

0 件のコメント:
コメントを投稿