/* 目次のデザイン */ .toc { background: #f9f9f9; border: 1px solid #ccc; padding: 15px; margin-bottom: 20px; } .toc h3 { margin-top: 0; font-size: 18px; } .toc ul { margin: 0; padding-left: 20px; }

2026年10月16日金曜日

ニーチェ「道徳の系譜」第二論文 女性訳

 

 ハドソンのインタビューについてAIに評価をお願いしたら、Claudeがニーチェ「道徳の系譜」第二論文を参考文献として勧めてきた。読まなきゃいけないのだが読みたくない。なにが嫌だって、ドイツ哲学は全部、恐いヒゲおじさんに怒られている雰囲気が充満しているところが本当に嫌だ。実を言うとドイツ文学も多かれ少なかれその傾向がある。

 

それで一計を案じた。原文(ドイツ語)入手して、Geminiに「柔らかい女性語で翻訳」してもらった。結果は驚きだった。頭に入って来る。ついでに画像も作ってもらって、やさしいドイツ女性に説明してもらっている雰囲気を作ってみた。ただし長い。内容的には確かに、ハドソンやグレーバーの先駆である。 

長すぎるので要約バージョンも作った

https://yomitoki2.blogspot.com/2026/10/blog-post_532.html

 

 以下本文

 


 

 

第二論文:
「負い目」、「やましい心」、そしてそれにまつわるものたち。

1.
約束することを許された生き物を育て上げること――それこそまさに、自然が人間に対して課した、どこか矛盾を孕んだ宿題そのものではないかしら。人間という存在の、本当の難問だと言えるのではないでしょうか……。この問題がかなりのところまで解き明かされているということは、「忘れる力(忘却)」という逆向きの力を正しく認めることができる人ほど、驚くべきことに思えるはずです。

忘れることというのは、物事を浅く見る人たちが思うような、単なる「怠け心(不活発さ)」などではありません。それどころか、能動的で、もっとも厳密な意味で前向きなブレーキの力なのです。私たちが日々体験し、味わい、心の中に取り込んだものが、消化されている間(それを「魂への取り込み」と呼んでもいいかもしれませんね)に意識へとのぼってこないのも、すべてはこの力のおかげです。それはまるで、私たちの身体が栄養を摂り入れる、いわゆる「身体への取り込み」の複雑な営みのすべてを、私たちが意識しないでいられるのと同じことなのです。

意識の扉や窓を、ときどきそっと閉ざしてあげること。私たちのために働いてくれる小さな器官たちが、地下で争い合ったり助け合ったりしている騒がしさに煩わされないでいること。少しの静けさ、心の中をほんの少し白紙に戻すこと。そうして、新しいもののための場所、とりわけ統治したり、見通したり、あらかじめ決めたりするような、もっと高貴な役割のための場所をあけておくこと(私たちの身体は、選び抜かれた者たちによって治められているのですから)――それこそが、能動的な忘却がもたらしてくれる恵みなのです。それは言わば門番であり、心の秩序や静けさ、お行儀のよさを守ってくれる存在と言えるでしょう。忘れる力がなければ、幸せも、朗らかさも、希望も、誇りも、そして「今この瞬間」さえもあり得ないということが、これでお分かりいただけるのではないでしょうか。このブレーキが壊れて働かなくなってしまった人は、まるで消化不良に苦しむ人のよう。何ひとつとして、すっきりと「片づける」ことができなくなってしまうのです……。

このように、本来なら忘れっぽくあるべきで、忘れることこそが力であり、健やかさの証であるはずの生き物が、今度はそれに対抗する力を自らの中に育て上げました。それが「記憶」です。この記憶の助けを借りて、特別なときには忘却のスイッチが外されます――そう、約束を交わさなければならない、まさにそのときのために。

ですからそれは、一度刻まれた印象をどうしても拭い去れないというような、受け身の弱さではありません。一度誓ってしまった言葉に胸がつかえて、消化しきれずにいるのとも違います。そうではなくて、自ら進んで「手放したくない」と願うこと、一度望んだことをどこまでも望み続けること、言わば正真正銘の「意志の記憶」なのです。だからこそ、最初の「私はこうしたい」「私はこうするつもり」という思いと、その意志が実際に解き放たれる「行動」との間に、どれほど新しく思いがけない出来事や状況、あるいは別の思惑が入り込んできたとしても、この意志の長い鎖がちぎれてしまうことはありません。

けれど、これだけのことを成り立たせるために、どれほどの準備が必要だったことでしょう。これほどまでに未来を思い通りに引き寄せるために、人間はまず、必然と偶然を見分け、因果関係を考え、遠い先のことまでも今目の前にあるかのように見据え、何が目的で何が手段なのかを確かに見定めること、そして物事をきちんと見通し、計算することを、どれほど学ばなければならなかったことかしら。約束を交わす人がそうするように、自分自身を「未来」として保証できるようになるためには、人間自身がまず何よりも、自分自身の思いの中でも「計算が立ち」、規則的で、「なくてはならない存在」になっていなければならなかったのです。



2.

まさにこれこそが、「責任」というものの起源にまつわる長い物語なのです。

約束することを許された生き物を育て上げるというあの課題は、私たちがすでに理解したように、その前提と下準備として、もっと身近な課題を含んでいました。それは、人間をまずある程度まで、なくてはならない存在、画一的で、仲間同士で等しく、規則的で、したがって「計算が立つ存在」に仕立て上げることでした。私が「習俗の道徳性」と呼んできたもの(『朝焼け』をご参照くださいね)の途方もない営み――人類という種が歩んできた果てしない時間の中で、人間自身が自らに施してきた本来の働きかけ、そのすべての「先史時代の営み」は、ここにその意味と、大きな正当性を見出すのです。そこにどれほどの過酷さや専制、鈍感さや愚かさが宿っていたとしても、です。人間は、習俗の道徳性と社会という拘束具の助けを借りて、本当に計算の立つ存在へと作り変えられたのでした。

これに対して、この途方もない歩みの終着点、あの木がようやく実を結び、社会とその習俗の道徳性が、自らがそのための単なる手段にすぎなかった「目的」をついに白日のもとにさらす場所へ、私たちが立ってみたといたしましょう。そうすれば、その木の最も熟した果実として、私たちは「主権ある個人」を見出すことになるのです。自らのみに似通い、習俗の道徳性から再び解き放たれ、自律し、道徳を超えた個人(なぜなら「自律」と「道徳的であること」はお互いを退け合うものですから)。手短に言えば、自分だけの独立した長く折れない意志を持ち、約束することを「許された」人間――そしてその人の内側には、ついに勝ち取られ、その身に宿ったものに対する、全身の筋肉を震わせるような誇らしい自覚が息づいているのです。まさに自らの力と自由への自覚、人間全般としての完成の感覚が。

この解き放たれ、本当に約束することを許された人、この自由な意志の主人、この主権者は――約束することも自分自身を保証することも許されていないすべての者たちに対して、自分がどれほど優れているかを知らないはずがあるでしょうか。自分がどれほどの信頼と、恐れと、畏敬の念を呼び起こすかということを(その人はこれら三つのすべてを受けるに値するのですから)。そして、自分自身を治めるこの力によって、周囲の状況や、自然、そして意志が短くあてにならない生き物たちを支配する力さえも、必然的に自らの手に委ねられているということを、知らないはずがあるでしょうか。

「自由な」人間、長く折れることのない意志を手に入れた人は、その所有の中に自分自身の「価値の尺度」も持っています。自分を基準にして他者を見つめ、敬意を払うか、あるいは軽蔑するのです。そして、自分と同等の者たち、強くてあてになる者たち(約束することを「許されている」人たち)を敬うことが必然であるのとまったく同じように――すなわち、主権者のように重々しく、滅多に口にせず、ゆっくりと約束し、信頼をむやみに与えず、信頼するときにはそれを相手への「特別な栄誉」とし、どんな不運に対しても、たとえ「運命」に逆らってでもそれを守り通す強さが自分にあると知っているからこそ、確かなものとして言葉を捧げるような、そんなすべての人を敬うように――、約束する資格もないのに約束してしまうやせっぽちの猟犬たちには足蹴を、そして言葉を口にしたその瞬間にもうそれを破ってしまう嘘つきには懲らしめの鞭を用意しておくこともまた、同じように必然なのです。

「責任」という並外れた特権についての誇らしい確信、この稀なる自由と、自分自身と運命を統べる力への自覚は、その人の心のいちばん深い底にまで沈み込み、本能となったのです。支配的な本能に――。もしもその人が、自分の中でこの本能に名前をつける必要があるとしたら、いったい何と呼ぶことでしょう。けれど、疑う余地などありません。この主権ある人間は、それを自らの「良心」と呼ぶのです……。


3.

その人の良心、ですって?……もうお察しのことと思いますが、私たちがここで出会った、この最も高貴でどこか異様にさえ見える「良心」という姿は、すでに気の遠くなるような長い歴史と、幾度もの形の変化を経てきたものなのです。

自分自身を保証することが許され、誇りを持って自分に「イエス」と言えること――これは前にお話しした通り、熟した果実であると同時に、とても「遅れて実った果実」でもありました。この果実が木の上で渋く、酸っぱいままぶら下がっていなければならなかった時間は、どれほど長かったことでしょう。そして、それよりも遥かに長いあいだ、そんな果実の姿など影も形も見えなかったのです。木の上ではすべてが着々と準備され、まさにその実りを目指して育っていたというのに、誰もその誕生を約束することなどできなかったのですから。

「人間という生き物に、いったいどうやって記憶を持たせればよいのかしら? この、あるときは鈍感で、あるときはふらふらと落ち着かない、その場限りの知恵しか持たない生き物に――この『生きた忘却そのもの』のような存在に、どうやって物事を焼きつけ、忘れさせずにいさせればいいというの?」……

この古くからの難問が、決して優しい答えや穏やかな手段で解かれてこなかったことは、容易に想像がつきますよね。人間の先史時代を振り返ってみて、その「記憶の技術(ムネモテクニク)」ほど恐ろしく、不気味なものは他にないかもしれません。「記憶に残すためには、焼きつけなければならない。痛みを与え続けるものだけが、記憶に残り続ける」――これこそが、この地上で最も古く(そして悲しいことに、最も長く続いている)心理学の根本的な原則なのです。

今でもこの地上で、人間の暮らしや社会の中に厳かさや真剣さ、秘密めいた儀式、暗い影が見られるところには、かつて人々が約束を交わし、誓いを立て、身を捧げたときの「恐ろしさ」の名残が息づいている、とさえ言えるかもしれません。私たちがふと「真面目」になるとき、最も遠く、深く、過酷な過去がそっと息を吹きかけ、私たちの内側から湧き上がってくるのです。

人間が自らに記憶を刻み込む必要があると考えたとき、そこにはいつだって血と、拷問と、犠牲がつきものでした。身の毛もよだつような生贄や人質(初子を捧げる儀式もそのひとつですね)、目を覆いたくなるような身体の切断(たとえば去勢)、あらゆる宗教儀礼の残酷きわまりない作法(すべての宗教は、そのいちばん深い底のところでは残酷さの体系なのですから)――これらはすべて、痛みこそが記憶術の最も力強い味方だと見抜いた、あの本能から生まれたものなのです。

ある意味では、あらゆる禁欲の修行もここに含まれると言えるでしょう。いくつかの考えを、決して消えず、常に意識にあり、忘れられない「固定観念」に仕立て上げること。その観念によって、神経や知性の仕組み全体に催眠をかけるために。そうして禁欲的な作法や生き方によって、その考えを他のあらゆる雑念から切り離し、「忘れられないもの」にしていくのです。

人類が「記憶力」に乏しければ乏しいほど、その風習はいつも恐ろしい姿を見せてきました。とりわけ刑罰の過酷さは、人間が忘却という敵に打ち勝ち、感情や欲望の「今この瞬間」の奴隷でしかない者たちに、社会で暮らすための初歩的な決まりごとを刻みつけておくために、どれほどの苦労を重ねたかを測るものさしになります。

私たちドイツ人は、自分たちのことを決して残酷で薄情な民族だとは思っていませんし、ましてや軽はずみでその日暮らしをする者たちだとも思っていません。けれど、昔の刑法を少し眺めてみるだけで、この地上で「思索の民」を育て上げるのにどれほどの苦労があったのか、よく分かってしまうのです(あえて言うなら、今のヨーロッパの中でさえ、最も厚い信頼、真面目さ、無粋さ、そして実務的な堅実さが見出され、そうした性質ゆえにヨーロッパ中のあらゆる高級官僚を育て上げる資格を持っている、あの民族のことですけれど)。

このドイツ人たちは、自分たちの中にある野卑な本能とその粗暴さに打ち勝つために、恐ろしい手段を使って記憶を作り出しました。昔のドイツの刑罰を思い浮かべてみてください。たとえば石打ちの刑(民話の中でさえ、罪人の頭の上に石臼が落ちてくるほどです)、車裂きの刑(これは刑罰の世界において、ドイツ人の才能が生み出した最高の発明であり十八番でした!)、杭打ちの刑、馬に手足を引き裂かせたり踏みつぶさせたりする八つ裂きの刑、罪人を油やワインで煮えたぎらせる釜茹での刑(十四、十五世紀になっても行われていたのですよ)、好んで行われた皮剥ぎの刑、胸から肉を削ぎ落とす刑……あるいは罪人に蜂蜜を塗りたくって、照りつける太陽の下でハエの餌食にすることもあったかしら。

こうしたおぞましい光景と仕打ちの助けを借りて、人はようやく五つや六つの「〜してはならない」という禁忌を心に留め、社会の恩恵を受けるために「約束」を交わすことができるようになったのです。――そして本当に、このおそろしい記憶のおかげで、人間はようやく「理性」にたどり着いたのでした!

ああ、理性、真面目さ、感情を抑える力、物思いと呼ばれるこのすべての重苦しい営み、そして人間が誇るあらゆる特権と輝かしい宝物たち……それらはいったい、どれほど高い代償を払って手に入れられたものなのでしょう。あらゆる「良きもの」の底には、どれほどたくさんの血と恐怖が沈んでいることかしら!……


 


4.

では、もうひとつの「重苦しいもの」――あの罪の意識や、「やましい良心」のすべては、いったいどのようにしてこの世に生まれてきたのかしら?

ここで私たちは、例の「道徳の系譜学者」たちのところへと戻ることにいたしましょう。もう一度申し上げておきますが――あら、まだ一度も言っていなかったかしら?――彼らはまったく役に立たないのです。ほんの指五握り分ほどの、自分たちの狭い「現代の」経験しかないくせに。過去についての知識も、知ろうとする意志すらもなく、歴史を見通す本能、今ここでこそ必要とされる「先見の明(千里眼)」に至ってはなおさら持っていません。それなのに道徳の歴史を論じようなんて、当然ながら、真実とはかけ離れた――ただよそよそしいどころではないおかしな結論に行き着いてしまうのも無理はありませんわ。

これまでの道徳の系譜学者たちは、夢にさえ見たことがあったでしょうか。たとえば、あの道徳の中心的な概念である「罪(Schuld)」が、もともとは「借金・負債(Schulden)」という極めて物質的でお金くさい言葉から生まれたのだということを。あるいは、「報復」としての刑罰が、意志の自由だとか不自由だとかいう前提とはまったく無関係なところで育ってきたのだということを。――それどころか、「人間」という生き物が、「故意」や「過失」、「偶然」、あるいは「責任能力があるかないか」といった、もっとずっと素朴な区別をつけられるようになり、罰の重さを決める際にそれを考慮できるようになるためには、人間らしさの「とても高い段階」に達していなければならなかったというのに。

今では当たり前のように使われていて、まるで自然で避けられない真理のように思われ、地上に正義の感情がどうやって生まれたのかを説明するためにまで持ち出されてきた、あの考え――「犯罪者が罰を受けるのは、別の行動をとることもできたはずだからだ」という理屈。あれは実際には、人間の判断や推理がたどり着いた、きわめて遅く、洗練されすぎた形にすぎないのです。これを始まりの時代にまで遡らせて当てはめようとする人は、昔の人たちの心理をあまりにも乱暴な手つきで傷つけてしまっていると言わざるを得ません。

人類の歴史の果てしない時間のあいだ、罰というものは、災いをもたらした者にその行いの責任を負わせる「から」下されていたのでは決してありませんでした。つまり、罪のある者だけを罰するべきだ、という前提のもとで行われていたのでは「ない」のです。――そうではなくて、今でも親が子どもを叱るときのように、ただ自分が受けた被害への怒りから、その損害を与えた相手に鬱憤を晴らしていただけ。けれどその怒りは、どんな損害にも何かしらの「等価物(お返しの価値)」があり、本当に埋め合わせができるはずだという考え――たとえそれが、損害を与えた側の「痛み」によってであっても――によって、ある枠の中に抑えられ、形を変えていったのです。

この古くから深く根を張り、今となってはおそらくもう引き抜くことのできない考え――「損害」と「痛み」は釣り合うのだという発想は、いったいどこからその力を得たのでしょうか。

私はもう、その秘密を明かしてしまいましたけれど。……そう、「債権者(貸し手)」と「債務者(借り手)」の契約関係の中にこそあったのです。それはおよそ「権利を持つ者(法的主体)」が存在するのと同じくらい古く、そしてそれ自体、売買や交換、商取引といった人間の営みの最も原初的な形へと私たちを連れ戻してくれるものなのです。


5.

こうした契約関係を思い浮かべてみると、これまでにお話ししてきたことからあらかじめ予想がつく通り、それを生み出し、許してきた昔の人たちに対して、何とも言えない不信感や割り切れない思いが湧き上がってくるのではないでしょうか。

まさにここで「約束」が交わされるのです。まさにここで、約束する者の心に記憶を「作りつける」ことが問題となるのです。――そしてまさにこここそが、過酷で、残酷で、痛ましいものたちの宝庫なのだと勘づいてしまっても無理はありません。

借り手(債務者)は、返済の約束を信じてもらうために、その約束の真剣さと神聖さを保証するために、そして何より自分自身の心に対して返済を義務として強く刻みつけるために、もし返せなかった場合の担保として、自分がほかに「持っている」もの、意のままにできるものを契約によって貸し手(債権者)に差し出します。たとえば自らの身体、あるいは妻、自由、さらには命そのものを(あるいは、特定の宗教的な前提のもとでは、自分自身の魂の救いや至福、果ては墓の中での安らぎさえも。エジプトがそうでしたね。あそこでは、借金をした人の亡骸は墓の中に入ってさえ貸し手から逃れて安らかに眠ることは許されませんでした――もっともエジプト人にとって、この安らぎには格別の重みがあったわけですけれど)。

とりわけ、貸し手は借り手の身体に対して、ありとあらゆる辱めと拷問を加えることができました。たとえば、借金の額に見合うだけの肉を削ぎ落とすことさえ許されていたのです。――そしてごく早い時代から、世界のいたるところでこの観点に基づいた、ときに身の毛もよだつほど細かく厳密な、法的に認められた手足や体の部位ごとの「査定」が行われていました。ローマの十二表法が、貸し手たちがそうした場合に削ぎ落とす肉の量が多かろうが少なかろうが構わない(「si plus minusve secuerunt, ne fraude esto――多く切り取ろうと少なく切り取ろうと、不法と見なさない」)と定めたとき、私はそれを、より自由で、もっと大きな計算のできる「ローマ的な」法感覚の現れであり、ひとつの進歩だと捉えてしまうほどです。

この清算のやり方に流れる論理を、少し澄ました目で解き明かしてみましょう。それはなんとも奇妙なものなのです。

ここでの「釣り合い(等価)」は、被った損害を直接埋め合わせる利益(つまり、お金や土地や何らかの財産による補償)の代わりに、貸し手にある種の「心地よさ」を返済や埋め合わせとして認めてあげることによって成り立っています。――力を持たない者に対して、何の後ろめたさもなく自分の力を思う存分ふるえるという心地よさ。「ただ悪をなす快感のために悪をなす(de faire le mal pour le plaisir de le faire)」という官能、力づくで相手を踏みにじることの歓び。そしてその歓びは、貸し手が社会の階層の中で低くみじめな立場にいればいるほど高く評価され、その人にとって何よりのご馳走、それどころか上の身分を一足先に味わう「前菜」のようにさえ思えるのです。

借り手を「罰する」ことを通じて、貸し手は「主人の特権」をちょっぴりお裾分けしてもらいます。ようやくその人にも、自分よりも「下の存在」として誰かを軽蔑し、虐げることが許されるという誇らしい気分を味わうときがやってくるのです――あるいは少なくとも、実際の処罰や刑の執行がすでに「お上(当局)」の手に委ねられてしまっている時代であっても、その者が蔑まれ、打ち据えられるのを「眺める」権利を得るのです。

つまり、ここでの埋め合わせとは――残酷さに対する「引き換え切符」であり、「正当な権利」のことだったのです。

6.

まさに「この」領域において、つまり債権法(契約と義務の法)の世界において、「負い目(罪)」、「良心」、「義務」、「義務の神聖さ」といった道徳の概念世界はその生まれ故郷を持っていたのです。――その始まりは、この地上のあらゆる偉大なものの始まりがそうであったように、徹底して、長い時間をかけて血で清められてきました。

そして、あの世界は心の奥底で、血と拷問の特有の匂いを完全には失ったことがないのだ、と付け加えても許されるのではないでしょうか。(あの老カントにおいてさえそうなのです。あの定言命法でさえ、どこか残酷さの匂いが漂ってくるではありませんか……)。ここにおいてまた、「罪と苦痛」という、あの不気味で今やほどけなくなってしまった観念のもつれが、最初に編み合わされたのでした。

もう一度お尋ねしてみましょう。苦しむことが、どうして「負債」の穴埋めになり得るというのかしら?

それは、「苦痛を与えること」がこの上なく心地よいものだったからに他なりません。被害を受けた人が、被った損害と、その損害から生じた不快感の埋め合わせとして、並外れた対抗の歓び――すなわち「苦痛を与えること」という歓びを手に入れたからです。それは言わばひとつの「お祭り騒ぎ」であり、前にも申しましたように、貸し手の身分や社会的な立ち位置からかけ離れていればいるほど、より高く評価される宝物だったのです。

これは控えめに推測として申し上げておくのですけれど。というのも、このような地下深くの事柄は、底まで見通すことが難しいですし、そもそも直視するのも気が滅入ることですから。それに、ここで「復讐」などという言葉を無造作に投げ込んでしまう人は、物事を分かりやすくするどころか、かえって見通しを曇らせてしまうだけなのです(――復讐そのものが、「苦痛を与えることがどうして満足になり得るのか」という、まったく同じ問いへと私たちを連れ戻してしまうのですから)。

おとなしい家畜たち(つまり現代の人たち、言ってみれば私たちのことですけれど)の繊細さにとって、いえ、それ以上にその偽善にとって、「残酷さ」というものが昔の人たちの暮らしの中でどれほど大きなお祭りの歓びであったか、それどころか彼らのあらゆる歓びのスパイスとして混ぜ合わされていたかを、ありのままに思い描くことは耐えがたいことのように思えます。そしてまた、彼らの残酷さへの欲求がどれほど無邪気で無垢に現れていたか、「利害のない悪意」(スピノザの言葉を借りるなら、悪意ある共感)が、人間にとってどれほど当たり前の「正常な」性質とみなされていたか――つまり、良心がためらいなく「イエス」と微笑みかけるようなものだったのかを思い描くことも。

物事の奥深くを見つめる目を持つ人ならば、おそらく今でも、人間が持つこの最も古く根深い「お祭りの歓び」の痕跡を十分に見出すことができるかもしれません。『善悪の彼岸』の117ページ以降(それより前にも『朝焼け』の17、68、102ページ)で、私は慎重に指さしながら、高等な文化の歴史全体を貫き(そして重要な意味において、文化そのものを形作ってさえいる)、残酷さの絶え間ない精神化と「神格化」について触れておきました。

いずれにしても、処刑や拷問、あるいは異端審問の火刑(アウトダフェ)なしには、王侯貴族の婚礼も大規模な民衆の祝祭も考えられなかった時代は、それほど大昔のことではありません。同じように、悪意や残酷なからかいを後ろめたさもなくぶつけることのできる誰かがいなければ、立派なお屋敷とは言えなかった時代もそうです(――公爵夫人の館にいたドン・キホーテのことを思い出してみてくださいな。現代の私たちは、ドン・キホーテの物語全体をどこか苦い後味とともに、まるで自分自身が拷問を受けているような居心地の悪さで読んでしまいますから、作者や当時の人々から見れば、とても奇妙で陰気な読者に見えることでしょう。――当時の人たちは、晴れやかな良心のもとで、あれを世にも陽気な書物として読み、死ぬほど笑い転げていたのですから)。

誰かが苦しむのを眺めるのは心地よいもの、苦痛を与えるのはさらに心地よいもの――これは耳障りで厳しい言葉ですけれど、古くから力強く息づく、人間的な、あまりにも人間的な基本原則なのです。もっとも、お猿さんたちだってこれにはサインしてくれるかもしれませんけれど。風変わりな残酷さを思いつくことにおいて、彼らは人間という存在の登場をすでに豊かに予告し、言わば「先取りして演じて見せてくれている」と伝えられていますから。

残酷さのない祝祭などあり得ない――人間の最も古く、長い歴史はそう教えてくれています。そして、刑罰の中にもまた、これほどまでに豊かな「祝祭の気分」が宿っているのです……!


7.

――ついでに申し上げておきますけれど、私はこうした思索によって、悲観主義者(ペシミスト)の方々が回している、あの不快な軋み音を立てる「人生への飽き飽き」という水車に、新たな水を注いであげるつもりなんて毛頭ありませんの。それどころか、はっきりとお示ししておきたいのです。人間が自らの残酷さをまだ恥じていなかった頃のほうが、悲観主義者たちが溢れる今の時代よりも、地上の暮らしはずっと朗らかだったのだということを。

人間の頭上を覆う空が暗くなっていったのは、いつだって人間が「人間に対して」恥じらいを覚えるようになった度合いに比例していました。疲れ切った悲観的な眼差し、人生の謎に対する疑い深さ、生きることそのものへの冷え冷えとした拒絶の溜息――これらは決して、人類の歴史の中で「いちばん悪しき時代」の印などではありません。むしろそれらは、生えるべき沼地が現れて初めて日の目を見た「沼地の植物」のようなものなのです。――私が言いたいのは、あの病的なまでの柔弱化と道徳過剰のこと。「人間」という獣が、とうとう自らのあらゆる本能を恥じるようになってしまった、あの状態のことです。

「天使」になろうとする道すがら(ここでこれ以上厳しい言葉を使うのは控えますけれど)、人間はすっかり胃を悪くし、舌苔のこびりついた舌を自ら育て上げてしまいました。そのせいで、動物たちが持つ喜びや無垢さが耐えがたく思えるばかりか、生きることそのものが味気なく不味いものに感じられるようになってしまったのです。――そのため、ときには自分自身の姿に鼻をつまみ、教皇インノケンティウス三世よろしく、人間というものの胸が悪くなるような目録を不快そうに並べ立てたりもするのです(「穢れた受胎、母胎の中での気持ちの悪い養われ方、人間が作られる素材のあさましさ、ひどい悪臭、唾液や尿や糞便の分泌」といった具合にね)。

いまや「苦痛」というものが、存在に「反対する」論拠の先頭に立たされ、人生の最悪の疑問符として扱われがちですけれど、こんな時こそ、かつて人々がこれとはまったく逆の判断を下していた時代を思い出すのがよろしいでしょう。あの頃の人たちは、「苦痛を与えること」を手放そうとは思いませんでしたし、そこに最高級の魅惑を、人生へといざなう極上の「釣り餌」を見ていたのですから。

もしかすると当時は――ひ弱な方たちへのお慰めとして言っておきますけれど――痛みが今ほど痛くなかったのかもしれませんね。少なくとも、重い内臓の炎症(並外れて強靭なヨーロッパ人ですら絶望のあまり取り乱してしまうような症状です)に苦しむ先住民の方々を診察したことのあるお医者様なら、そう結論づけるのではないでしょうか。――彼らは決して、そんな取り乱し方をしないのですから。(実のところ、過剰な文化の恩恵を享受する上位の「一握りの特権階級」をひとたび離れると、人間の痛みに耐える度合いの曲線は、驚くほど急激に下がるように思われます。私個人としては、教養あるヒステリー気味の女性が耐える一夜の痛みに比べたら、科学的な答えを得るためにこれまでメスで切り刻まれてきたすべての動物たちの苦しみなど、ものの数にも入らないのではないかとさえ思っているくらいです)。

あるいは、あの残酷さを楽しむ心が、実は今でも完全に滅びてしまったわけではない、という可能性を認めてもよいかもしれません。ただ、現代では痛みがより鋭く感じられるようになった分、残酷さの側にもそれ相応の「昇華」と「洗練」が求められるようになっただけなのです。それはとりわけ、想像力や心の世界へと翻訳され、もっとも繊細で偽善的な良心でさえ疑いを持たないような、何の後ろめたさもない無難な名前でおめかしして現れなければならなくなりました(「悲劇的な同情」などはまさにそうした名前のひとつですし、もうひとつは「十字架への憧憬」とでも言えるかしら)。

苦痛に対して本当に人の心を怒らせるのは、苦痛そのものではなく、その「無意味さ」なのです。けれど、苦しみの中に秘密の救いの仕掛けをまるごと読み取ったキリスト教徒にとっても、あらゆる苦痛を「観客」や「苦痛を与える者」との関係において解釈することのできた古代の無邪気な人間にとっても、そもそもそんな「意味のない苦痛」など存在しませんでした。

誰にも知られず、目撃者もいない、隠された苦痛をこの世から拭い去り、誠実に否定できるようにするために、当時の人々は神々や、あらゆる高みと深みに宿る中間的な精霊たちを発明せざるを得なかったのです。手短に言えば、人知れぬ場所を歩き回り、闇の中でも目を見開き、面白くて痛ましい見世物をみすみす見逃したりはしない「何か」をね。

そうした発明の力を借りて、当時の生命は、自らを正当化し、自らの「悪」を正当化するという、昔から得意としていた離れ業をやってのけていたのです(今ではそのために、また別の補助的な発明が必要なのかもしれませんけれど。たとえば「謎としての生」とか、「認識の課題としての生」といったようなね)。「神を楽しませる光景であるならば、いかなる悪も正当化される」――これこそが太古の感情の論理でした。――そして本当に、それは太古だけのものだったかしら?

残酷な見世物を好むお友達としての神々――ああ、この古めかしい観念は、現代の私たちのヨーロッパ的な人間らしさの奥深くにまで、どれほど色濃く影を落としていることでしょう! これについてはカルヴァンやルターに尋ねてみるのもよいかもしれませんね。いずれにせよ確かなのは、古代ギリシャ人たちでさえ、自分たちの神々の幸福に添える最高のご馳走として、残酷さの歓び以上のものを思いつけなかったということです。

ホメロスが、自らの神々にどんな目で人間の運命を見下ろさせていたと、皆さんはお思いかしら? トロイア戦争をはじめとする悲劇的な恐ろしい出来事の究極の意味とは、いったい何だったのでしょう。疑う余地もありません。それらは神々のための「祝祭劇」だったのです。そして詩人が他の人間たちよりも「神に近い」存在である限りにおいて、詩人たちのための祝祭劇でもあったのでしょう……。

のちにギリシャの道徳哲学者たちが、道徳的な葛藤や、徳ある者の英雄的行為や自己懲罰を神の目が見つめていると考えたのも、まったく同じことでした。「義務のヘラクレス」は舞台の上に立っており、自分自身が舞台の上にいることを知っていたのです。観客のいない徳など、この役者気質の民族にとっては思いもよらないことでした。

かつてヨーロッパで初めて生み出された、あのあまりにも大胆で破滅的な哲学者の発明――善においても悪においても人間には「自由意志」があり、絶対的な自発性があるという考え――は、何よりもまず、人間や人間の徳に対する神々の関心が「決して尽きることがない」という思い込みを正当化するために作られたのではないでしょうか。

この地上の舞台においては、真に新しいもの、耳を疑うような緊張や葛藤、破滅が途切れてはならなかったのです。完全にすべてがあらかじめ決まっている(決定論的な)世界など、神々にとっては先が読めてしまい、すぐに退屈になってしまったことでしょう。――神々の友であった哲学者たちが、愛する神々にそんな退屈な決定論的世界を押しつけまいとしたのも、もっともなことではありませんか!

古代の人類全体は、本質的に公の場であり、本質的に人目を引く舞台であったがゆえに、「観客」に対する細やかな気配りに満ちていました。彼らは見世物や祝祭なしには幸福を思い描くことすらできなかったのです。――そして、前にも申し上げましたように、あの恐ろしい「刑罰」の中にさえ、これほどまでに豊かな祝祭の気分が息づいていたのです……!


8.

私たちの探求の歩みを元に戻すといたしましょう。「負い目(罪)」や個人的な義務という感情は、これまで見てきたように、この世に存在する最も古く根源的な人間関係――すなわち「買い手と売り手」、「債権者と債務者」の関わり合いの中にその起源を持っていたのでした。ここで初めて、人と人とが向き合い、お互いの力を「測り合い」始めたのです。

どれほど未開の社会であっても、この関係の片鱗がまったく見当たらないような場所は、これまでの歴史の中でひとつも見つかっていません。値段をつけ、価値を測り、釣り合う代わりを考え出し、物と物を取り替える――こうした営みは、人間の最も原初的な思考をすっかり占領してしまったため、ある意味ではそれこそが「思考そのもの」だったとさえ言えるほどです。人間が持つ最も古い知恵や抜け目なさはここで育まれましたし、他の動物たちに対する優越感、人間としての誇りの最初の芽生えも、おそらくここにあったと推測してよいのではないでしょうか。

もしかすると、私たちが使う「人間(Mensch / manas)」という言葉そのものの中に、まさにこうした自尊心が宿っているのかもしれませんね。人間とは、価値を測り、重みづけを行い、見積もる生き物――言わば「値踏みをする動物そのもの」として自分自身を名づけたのですから。

売買という行為とそれに伴う心理的な道具立ては、いかなる社会的な組織や共同体の始まりよりもずっと古いものです。対人関係の最も素朴な法から生まれた、交換、契約、負債、権利、義務、清算といった芽生えの感覚は、やがて最も原始的な共同体の集まりへと(そしてそうした共同体同士の関係へと)受け継がれていきました。力と力とを比べ、測り、計算するという習慣を伴いながら。

人間の目は、ひとたびこの見方に慣れてしまいました。そして、昔の人たちの思考に特有の、動き出しは鈍いけれど一度決めたら容赦なく同じ方向へ突き進むあの実直さをもって、彼らはやがてひとつの壮大な一般化へとたどり着いたのです。

「あらゆるものには値段がある。すべては清算できるのだ」と――。

これこそが、地上における「正義」の最も古く無邪気な道徳律であり、あらゆる「親切心」や「公平さ」、「善意」、そして「客観性」の始まりだったのです。この最初の段階における正義とは、ほぼ同じ力を持つ者同士が納得し合い、埋め合わせを通じて再び「折り合いをつける」ための善意であり――そして、自分たちよりも力を持たない者たちに対しては、力づくでその埋め合わせを「呑ませる」ためのものだったのです。




9.

太古の物差しで測ってみるならば(ところで、この太古というものは、あらゆる時代に潜んでおり、いつでも再び顔を出すことができるのですけれど)――共同体とその構成員たちとの関係もまた、あの重要な基本関係、すなわち「債権者(貸し手)と債務者(借り手)」の関係と同じように成り立っています。

人は共同体の中で暮らし、その恩恵を享受します(ああ、それがどれほど素晴らしい恩恵であることか! 現代の私たちは時にそれを過小評価してしまいますけれど)。守られ、庇われ、平和と信頼の中で暮らし、外の世界にいる人間、すなわち「平和を奪われた者(法の保護を失った者)」がさらされているような特定の危害や敵意から守られて、不安なく過ごすことができるのです――ドイツ人なら、「みじめさ(Elend)」という言葉が本来「異郷・追放の身(êlend)」を意味していたことをよく知っていますよね――。まさにそうした危害や敵意から守ってもらうことと引き換えに、人は共同体に対して自らを担保として差し出し、義務を負っているのですから。

では、約束が守られなかった「もうひとつの場合」には、いったい何が起きるでしょうか。

裏切られた債権者である共同体は、できる限りの手段を使って元を取ろうとするはずです。それは覚悟しておかなければなりません。ここで問題になるのは、損害を与えた者がもたらした直接の被害などでは決してありません。そんなことはさておき、犯罪者とは何よりもまず「破りし者」なのです。それまで自分が分け前を預かってきた、共同生活のあらゆる善きものや心地よさに対して、契約と約束を破った「裏切り者」なのですから。

犯罪者とは、自分に与えられた恩恵や前借りを返済しないばかりか、あろうことか自らの債権者に刃を向けた借り手に他なりません。ですから、当然の報いとして、彼は今後そうした善きものや恩恵をすべて奪われるだけでなく――それらの恩恵が「どれほどありがたいものであったか」を、身をもって思い知らされることになるのです。

傷つけられた債権者である共同体の怒りは、彼をそれまで守ってくれていた覆いから引き剥がし、野放しの「法の外の身(法外放置・追放)」という野生の状態へと投げ返します。共同体は彼を突き放し、今やあらゆる敵意が彼に対して容赦なく牙を剥くことが許されるのです。

この文化の段階における「刑罰」とは、憎まれ、無力化され、打ち倒され、あらゆる権利と庇護だけでなく、いかなる慈悲さえも失ってしまった敵に対する、ごく自然な振る舞いの写し絵、そのパントマイムにすぎません。つまり、「敗者に災いあれ!(vae victis!)」という戦時法であり、勝利の祝祭そのものなのです。一切の容赦のなさ、残酷さを伴った――。

歴史の中で刑罰が帯びてきたあらゆる形態を、戦争そのものが(戦いの生贄の儀礼も含めて)惜しみなく差し出してきた理由も、まさにここから解き明かされるのです。


10.

共同体の力が強まるにつれて、共同体は個人の犯した過ちを以前ほど重大視しなくなっていきます。そうした過ちが、全体としての存続にとってかつてほど危険で、社会を根底から揺るがすものとは見なされなくなるからですね。悪事を働いた者は、もはや「法の外の身」として追放されることもありませんし、社会全体の怒りが昔のように歯止めなく彼へと浴びせられることも許されなくなります。――それどころか今や、共同体の側の手によって、悪事を働いた者はこの怒りから、とりわけ直接被害を受けた人の怒りから、慎重にかばわれ、守られるようになるのです。

悪事によって真っ先に被害を受けた者たちの怒りと折り合いをつけること。事件の影響をその場限りに留め、それ以上あるいは社会全体へと騒ぎや不安が広がるのを防ごうとする配慮。釣り合う代償を見つけ出して、いざこざ全体を丸く収めようとする試み(和解金による解決、いわゆるコンポジツィオ[compositio]ですね)。そして何より、どんな過ちであっても何らかの意味で「清算できるもの」として捉えようとする、ますます明確になっていく意志――つまり、少なくともある程度までは、犯罪者とその犯した行為とを切り離して考えること。これらこそが、刑法のその後の歩みに、よりいっそう鮮やかに刻み込まれていく特徴なのです。

共同体の力と自信が深まるにつれて、刑法もまた必ず穏やかなものへと変わっていきます。反対に、共同体が弱体化したり深刻な危機に瀕したりすると、いつでも刑法の過酷な姿が再び息を吹き返してしまうのです。「債権者(貸し手)」というものは、豊かになればなるほど、いつだってその分だけ人間味を帯びて優しくなってきました。つまるところ、どれほどの損害を受けてもびくともせずに耐えられるかということ自体が、その人の豊かさを測る「物差し」になるのですね。

ある社会が十分に満ち足りた力を自覚したとき、自分にとって最高に贅沢な振る舞いを自分に許す――すなわち、自分を傷つけた者を「お咎めなし」にして放免するという境地に達することも、決して考えられないことではありません。「私の周りに群がる居候たちなんて、痛くも痒くもないわ」とその社会は微笑むことができるかもしれませんね。「勝手に生きて、栄えるがいいわ。私はそれくらいのことでは揺るがないほど強いのだから!」と……。

「あらゆるものは清算できる、すべては償われなければならない」という言葉から始まった正義は、こうして、見て見ぬふりをして支払い能力のない者をそのまま行かせてあげることで幕を閉じます。――この地上のあらゆる良きものがそうであるように、正義もまた「自らを乗り越え、消し去ること(自己止揚)」によってその歩みを終えるのです。

この正義の自己止揚が、どんな美しい名で呼ばれているか……皆さんもよくご存じでしょう。そう、「恩赦(恵み)」です。言うまでもなくそれは、最も力ある者の特権であり、もっとふさわしい言葉で言えば、その人が立つ「法の彼岸(法の向こう側)」の境地のことなのです。




11.

――ここで、近ごろ現れてきた試みに対して、きっぱりとお断りの言葉を述べておかなければなりませんね。正義の根源をまったく別の土壌――すなわち「ルサンチマン(怨恨・ねたみ)」の上に求めようとする試みに対してです。

もしも心理学者の方々が、ルサンチマンというものを間近でじっくり観察してみたいとお思いなら、まず耳打ちして差し上げましょう。この草花は、近ごろアナーキストや反ユダヤ主義者たちのあいだで、この上なく見事に咲き誇っています。もっとも、これまでずっとそうしてきたように、人目を避けた物陰で、スミレのようにひっそりと――ただし、スミレとはまるで違う香りを漂わせながらですけれど。

同じ種からは必ず同じ芽が育つように、かつても幾度かあったような試みが、まさにそうした人々の中から再び持ち上がってきたとしても驚くには当たりませんわ(前出の30ページをご参照くださいね)。「正義」の名のもとに「復讐」を神聖化しようとする試み――まるで正義というものが、本質的には「傷つけられたという感情」の延長にすぎないかのように見せかけ、復讐とともに「反応的(受動的)な情動」のすべてを、あとから帳尻を合わせて称え上げようとするのです。

後者そのものについては、私としてもそれほど目くじらを立てるつもりはありません。生物学的な課題全体から見れば(そうした情動の価値はこれまで過小評価されてきましたから)、むしろひとつの功績だとさえ思えるくらいです。私がただ注意を促したいのは、憎しみ、嫉妬、やっかみ、疑心暗鬼、遺恨、そして復讐といったものに肩入れするこの新しい「学問的な公平さ」が、まさにあのルサンチマンの精神そのものから芽生えているという事実なのです。

というのも、この「学問的な公平さ」とやらは、別の情動のグループを前にした途端、あっさりと息を引き取り、致命的な敵意と偏見に満ちた口調へと取って代わられてしまうのですから。その別の情動とは、私に言わせれば、反応的な情動などよりも遥かに高い生物学的価値を持ち、したがって本来なら「学問的に」真っ先に評価され重んじられるべきもの――すなわち、支配欲や獲得欲といった、真に「能動的(アクティヴ)な」情動のことですのに(E・デューリングの『生の価値』や『哲学講座』、言ってみれば彼の著作のいたるところに見られる姿勢ですけれど)。

この風潮全体への苦言はこれくらいにしておきましょう。ですが、「正義の故郷は反応的な感情の土壌にこそ求められるべきだ」というデューリングの個別の主張に対しては、真理のために、あえて真逆の命題を突きつけてあげなければなりません。

正義の精神が「最後に」征服する土壌こそが、まさに反応的な感情の土壌なのだと!

もしも公正な人が、自分を傷つけた相手に対してさえ正しくあり続けられるとしたら(それも単に冷淡で、控えめで、他人行儀で、無関心でいるだけでなく――公正であるとは、いつだって前向きで「積極的な」態度なのですから)。もしも個人的な侮辱や嘲笑、いわれのない疑いの嵐にさらされてもなお、公正な、人を「裁く」眼差しが持つ、高く澄み渡り、奥深くありながら穏やかな客観性が曇らないとしたら――まあ、それはこの地上におけるひとつの完成であり、最高の達人の技と言えるでしょう。この世において、利口な人なら滅多に期待すべきではありませんし、いとも簡単に信じてしまってはならないほどの奇跡です。

ごく普通の人なら、どれほど生真面目で潔白な方であっても、ほんの少しの攻撃や悪意、当てこすりを浴びただけで、たちまち頭に血が上り、その目から「公平さ」が吹き飛んでしまうのが関の山ですから。

能動的で、攻撃的で、相手の領域へと踏み込んでいく人間は、反応的な人間よりも、いつだって正義に百歩近く立っています。能動的な人間は、反応的な人間がどうしてもそうしてしまうように、相手を歪め、偏見をもって値踏みする必要など毛頭ないのです。だからこそ、歴史のどの時代にあっても、より強く、勇敢で、気品ある攻撃的な人間こそが、より「自由な目」を持ち、より「後ろめたさのない良心」を味方につけてきました。――反対に、「やましい良心」などというものを発明した張本人がいったい誰なのか、もうお察しがつきますよね。そう、ルサンチマンの人間なのです!

最後に、歴史を少し見渡してみてくださいな。この地上において、法の運用全体や、法を求める本来の欲求は、これまでいったいどのような領域に根づいてきたでしょうか。まさか反応的な人間たちの領域だったかしら? とんでもない。むしろ能動的で、強く、自発的で、攻撃的な者たちの領域においてでした。

歴史の目で見つめるならば、この地上の法とは――あの扇動家先生(ご自身でかつて「復讐の教義が、赤い正義の糸のように私のすべての仕事と努力を貫いてきた」と告白なさったお方です)の気に障るのを承知で申し上げますが――、まさに反応的な感情に「抗う」戦いであり、能動的で攻撃的な力たちが繰り広げてきた戦争そのものなのです。彼らはその力の一部を用いて、反応的な激越さの暴走に歯止めと節度を命じ、妥協を強いてきたのですから。

正義が行われ、正義が保たれているところではどこでも、より強い権力が、自らに従う弱者たち(それが集団であれ個人であれ)の間でルサンチマンの理不尽な暴走を終わらせようと心を砕いているのが見て取れます。ルサンチマンの標的を復讐の手から引き離したり、復讐の代わりに秩序と平和の敵に対する戦いを自ら引き受けたり、落としどころを考えて提案し、ときには無理にでも呑ませたり、あるいは損害に対する一定の埋め合わせを「規範」として定め、以降はルサンチマンをその枠組みへと従わせたりしながらね。

けれど、押し寄せる反動と後追いの怨念に対して、最高権力が成し遂げる最も決定的な仕事――十分に強くなりさえすれば、いつでも成し遂げてきたこと――は、「法」を打ち立てることでした。何が自分たちの目の前で許され、正しく、何が禁じられ、不正であるかを命令として高らかに宣言することです。法を打ち立てたのちに、個人や集団による侵害や身勝手な振る舞いを、法に対する冒涜であり、最高権力そのものへの反逆として扱うことによって、権力は従属者たちの目を、そうした悪行がもたらした目先の被害からそらします。そして長い時間をかけて、被害者の視点ばかりを見つめ、それだけを絶対視するあらゆる復讐の望みとは「正反対」の結果を成し遂げるのです。――ここから、人々の目は行いをより「非個人的に」評価するよう訓練されていきます。被害者自身の目でさえも(前にも申し上げましたように、いちばん最後になってからですけれど)。

ですから、「正」と「不正」が存在するのは、法が打ち立てられてからのことにすぎないのです(デューリングが言うように、傷つける行為があった瞬間から、などではありません)。

それ自体として(端的に)正や不正を語るなど、まったく何の意味もありません。そもそも、傷つけたり、力づくで奪ったり、搾取したり、滅ぼしたりすることが、それ自体として「不正」であるはずなどないのです。なぜなら生命とは「本質的に」――つまりその根本的な働きにおいて、傷つけ、奪い、搾取し、滅ぼすものとして機能しており、そうした性質なしには考えることすらできないのですから。

私たちは、さらに少しばかり耳の痛い真実を認めなければなりません。最高峰の生物学的な高みから眺めるならば、法的な状態というものは常に「例外的な状態」でしかあり得ないのだと。力を求める本来の生命意志を部分的に抑え込み、その大きな目的のためにひとつの手段として仕えるもの――すなわち、より「大きな力のまとまり」を作り出すための手段としてね。

もしも法秩序を、力と力との戦いにおける手段としてではなく、あらゆる戦いそのものを「否定するための手段」として絶対的かつ普遍的なものと考えてしまうなら――たとえば、すべての意志はお互いを等しいものとして扱わなければならないというデューリングの共産主義的な型紙のように――、それは生命に「敵対する」原理であり、人間を壊し解体するもの、人間の未来に対する暗殺行為、疲労のしるし、無へと向かう抜け道になってしまうのです。


12.

ここで、刑罰の起源と目的について――本来なら切り離されるべき、いえ、切り離されてしかるべき二つの問題について、もう一言申し上げておきましょう。残念なことに、世間では普通、この二つがごちゃ混ぜにされてしまっているのですけれど。

これまでの道徳の系譜学者たちは、この問題に対してどんな振る舞いをしてきたかしら? いつもながらの無邪気さで、ですわ――。彼らは刑罰の中に何かしらの「目的」、たとえば復讐だとか見せしめ(抑止)といったものを嗅ぎつけ、その目的を疑いもせずに始まりの場所に据え置き、それを刑罰の生まれる原因(causa fiendi)だと思い込んで――はい、これでおしまい、としてしまうのです。

けれど、「法における目的」ほど、法の成立の歴史を解き明かす上で役に立たないものはありません。それどころか、あらゆる歴史を眺めるにあたって、あれほどの苦労の末に勝ち取られ、そして本当に勝ち取られて「しかるべきだった」あの命題以上に大切な原則など、どこにもないのです。

すなわち――あるものが生じた原因と、それが結果としてもたらす有用性、実際の使われ方や目的の体系の中への組み込まれ方とは、天地ほどもかけ離れている(toto coelo)のだ、という原則です。今そこにあり、何らかの形で出来上がったものは、いつだってそれより優位に立つ力によって新たな見解へと解釈し直され、新しく我が物にされ、新たな用途のために作り変えられ、方向転換させられるものなのです。有機的な世界において起こるすべての出来事とは、「圧倒すること」、そして「支配すること」に他なりません。そして、圧倒し支配することのすべては、かつての「意味」や「目的」を必然的に曇らせ、あるいはすっかり消し去ってしまうような、新たな解釈であり、作り直しなのですから。

生理学的な器官であれ(あるいは法制度であれ、社会の慣習であれ、政治的な風習であれ、芸術や宗教儀礼の様式であれ)、その「有用性」をどれほど見事に理解できたとしても、それによってその成り立ちについて何かを理解したことにはまったくならないのです。このことは、古い耳を持つ方々にはどれほど居心地が悪く、耳障りに響くことでしょう――。大昔から人々は、ある物や形、制度について目に見える目的や役に立ち方を理解することの中に、それが生まれた理由をも見出せると信じ込んできましたから。「目は見るために作られ、手は掴むために作られた」というようにね。

そうやって人々は、刑罰というものも罰するために発明されたのだ、と思い描いてきたのです。

けれど、あらゆる目的、あらゆる有用性とは、ひとつの「力への意志」が自分より力のないものの上に立ち、自らの側からそのものに働きの意味を刻みつけたという「しるし」にすぎません。ある「物」や器官、風習の歴史全体とは、そのようにして絶え間なく続いていく、常に新しくなされる解釈と作り直しの「しるしの連なり」であり得るのです。その原因たち同士に何らかの繋がりがある必要すらなく、むしろ場合によっては、単に偶然が重なり合って次から次へと入れ替わっていくだけのこともあるのです。

したがって、ある物や風習、器官の「発展」とは、ひとつの目標へと向かう前進(progressus)などでは決してありません。ましてや、最小限の力とコストで達成されるような、論理的で近道の前進などではなおさらあり得ません。――そうではなくて、その対象の上で繰り広げられる、多かれ少なかれ深く、互いに多かれ少なかれ独立した「圧倒のプロセス」の積み重ねであり、そのたびに注ぎ込まれた抵抗や、身を守り反応するために試みられた形の変化、さらには成功した反撃の結果の積み重ねなのです。

形というものは移ろいやすいもの、けれど「意味」はそれ以上に移ろいやすいものなのです……。

個々の生き物の身体の内側においてさえ、事情は少しも変わりません。全体が本質的な成長を遂げるたびに、個々の器官の「意味」もまた揺れ動きます。――場合によっては、器官の一部が崩壊したり、その数が減ったりすること(たとえば中間の繋がりが消え去ること)こそが、力と完成度が高まっている証拠であることだってあるのです。私が言いたいのはこういうことです。部分的に「役に立たなくなること」、衰えや退廃、意味や目的への適合を失うこと、手短に言えば「死」さえも、真の前進のための条件なのだ、と。その真の前進とは、いつだって「より大きな力」への意志と道筋という姿をとって現れ、無数の小さな力たちの犠牲の上に貫かれるものなのですから。

ひとつの「進歩」の偉大さとは、そのためにどれほどのものが犠牲にならなければならなかったかという量によって測られることさえあります。群れとしての全人類が、たったひとつの「より強い」人間の種族の繁栄のために捧げられるとしたら――それこそが進歩というものでしょう……。

私が歴史を紐解くためのこの中心的な視点をこれほど強調いたしますのは、これが現代を支配している本能や時代の好みに、根本から真っ向から対立しているからに他なりません。現代の空気は、あらゆる出来事の背後で「力への意志」が働いているという理論を受け入れるくらいなら、むしろすべての出来事が絶対的な偶然であり、機械的な無意味さであると考えるほうを好んで選びたがりますから。

支配するもの、支配しようとするあらゆるものに対する、あの民主主義的な拒絶反応――現代の「支配嫌い(ミサルキズム)」とでも呼ぶべきもの(悪い事柄には悪い言葉がお似合いですものね)は、今や驚くほど洗練され、もっとも純粋な精神の衣をまとって、もっとも厳密で客観的に見える学問の中にさえ一歩一歩入り込み、侵入を許されてしまっています。それどころか私には、その病がすでに生理学や生命の理論全体をも支配してしまっているように思えるのです。当然ながら、学問の損害となる形でね。本来の「能動性(アクティヴィティ)」という根本概念を、まるで手品のようにかすめ取ってしまったのですから。

そうした拒絶反応のプレッシャーに押されて、人々は「適応」というものを前面に押し出します。けれどそれって、二流の活動、単なる受け身の反応にすぎないではありませんか。それどころか、生命そのものを「外側の状況に対する、ますます都合のよい内側の適応」と定義してしまった人(ハーバート・スペンサー)までいる始末です。

けれど、それでは生命の本質、その「力への意志」を見誤ってしまっています。自発的で、攻撃的で、相手を踏み越え、新たに解釈し直し、新たな方向へと形作っていく力――そうした力が働いて初めて「適応」がついてくるという、決定的な優先順位を見落としてしまっているのです。生命の意志が能動的かつ造形的に現れる最高位の機能者たちが持つ、あの主人としての役割を、生き物そのものの内側から否定してしまっているのですから。

ハクスリーがスペンサーの「行政的虚無主義(管理するだけのニヒリズム)」を非難したことを思い出される方もいらっしゃるでしょう。――けれど、ここで問題になっているのは、「管理する(行政)」なんてことよりも遥かに大きな事柄なのです……。


13.

――ですから、本題である「刑罰」へと話を戻しますと、私たちは刑罰の中に二つの異なる側面を見分けなければなりません。

ひとつは、比較的「長続きするもの」――すなわち慣習、行為そのもの、「ドラマ」、厳格に定められた一連の作法や手順ですね。そしてもうひとつは、うつろいやすく「流動的なもの」――そうした一連の手順の執行に結びつけられる意味、目的、期待のことです。

ここで、先ほどお話しした歴史研究の根本的な視点に照らして、類推(アナロジー)によって当然のこととして前提とされるのは、その手順そのものは刑罰として用いられるよりもずっと古く、以前から存在していたということです。そして、後から(とうの昔から存在し、別の意味で用いられていた)その手順の中に「意味が投げ込まれ」、解釈が付け足されたのだ、ということなのです。手短に言えば、これまでの無邪気な道徳や法の系譜学者たちが思い描いてきたような筋書き――昔の人々が掴むという目的のために手が発明されたと考えたように、刑罰という目的のためにあの手順が「発明された」のだと信じ込むような浅薄な見立てとは、まったく正反対なのだということです。

さて、刑罰のもうひとつの要素、あの流動的な「意味」について言えば、文化がとても成熟した段階(たとえば現代のヨーロッパのような社会)においては、「刑罰」という概念はもはやたったひとつの意味を表してなどいません。それどころか、無数の「意味の織り成す結晶(綜合)」そのものなのです。これまでの刑罰の歴史全体、ありとあらゆる目的に利用されてきたその歴史は、最後には解きほぐすことも、分析することも難しく、そして何より強調しておかなければならないのは、完全に「定義づけが不可能な」一種の塊へと固まってしまうのです。(今日において、人はそもそも「なぜ」罰するのかを断定して語ることは不可能です。一連の過程全体が記号として凝縮された概念は、すべて定義をすり抜けてしまいます。定義できるものとは、歴史を持たないものだけなのですから)。

これに対して、もっと初期の段階においては、そうした意味の結びつきはまだ解きやすく、形も変わりやすいものでした。個々の事件ごとに、結び合わされた要素たちがその重みを変え、並び直される様子をありありと見て取ることさえできたのです。あるときはこの要素が、またあるときは別の要素が、他のものを押し退けて前面に立ち支配的になる――場合によっては、たったひとつの要素(たとえば見せしめという抑止の目的)が、残りの要素すべてをかき消してしまうように思えることさえありました。

刑罰の「意味」というものがいかに不確かで、後付けで、偶然に満ちたものであるか、そして寸分違わぬ同じひとつの手順が、どれほど根底から異なる意図のために利用され、解釈され、都合よく仕立て上げられ得るのかを少しでも実感していただくために、私が手元にある比較的わずかで偶然集まった資料から導き出した見取り図を、ここにそっと並べてみましょう。

 無力化としての刑罰: さらなる危害を防ぎ、害のない存在にしてしまうこと。
 被害者への弁済としての刑罰: 何らかの形(鬱憤を晴らす感情の埋め合わせという形も含めて)で損害を埋め合わせること。
 均衡の崩れの隔離としての刑罰: 秩序の乱れがこれ以上周囲へと広がるのを防ぐこと。
 恐怖の植え付けとしての刑罰: 刑罰を定め、執行する者たちへの恐れを抱かせること。
 享受してきた利益の清算としての刑罰: 犯罪者がそれまで受けてきた恩恵の埋め合わせ(たとえば鉱山の奴隷として役立たせる場合のように)。
 堕落した要素の排除としての刑罰: (古代中国の法のように、時には血族の一族郎党まるごと根絶やしにする場合も。つまり人種の純潔を保つため、あるいは社会の規範的な型を守るための手段として)。
 祝祭としての刑罰: ついに打ち倒した敵を踏みにじり、嘲笑すること。
 記憶を焼きつける技としての刑罰: 罰を受ける者自身の心に刻み込むため(いわゆる「矯正」ですね)、あるいは刑の執行を見つめる目撃者たちに刻み込むため。
 報酬の支払いとしての刑罰: 悪事を働いた者を過剰な復讐の嵐から守ってくれた権力に対して、あらかじめ取り決められた謝礼を支払うこと。
 復讐の自然状態との妥協としての刑罰: 有力な一族によって復讐の権利がなお維持され、特権として主張されている限りにおいて。
 宣戦布告、および戦時措置としての刑罰: 平和、法、秩序、お上(当局)に対する敵――共同体にとって危険であり、その前提となる契約を破り、反逆し、裏切り、平和を乱す者と見なされた敵に対して、まさに戦争が授けてくれるありとあらゆる手段を用いて立ち向かうこと。


 


14.

この目録は、決してすべてを尽くしたものではありません。ひと目で分かるように、刑罰というものはありとあらゆる有用性を背負わされすぎてしまっているのです。

だからこそ、世間一般の意識においては刑罰の最も本質的な役割と信じ込まれている、あの「思い込みの有用性」を、そろそろ差し引いて考えてあげてもよいのではないでしょうか。――今日、さまざまな理由から揺らぎ始めている刑罰への信仰は、まさにこの思い込みを今でもいちばん頼もしい支えにしているのですから。

刑罰には、過ちを犯した者の心に「負い目(罪)の意識」を目覚めさせる価値があるはずだ、と人々は考えます。「やましい良心」や「良心の呵責」と呼ばれるあの心の反応を引き起こすための、まさに真の道具(instrumentum)を刑罰の中に探し求めようとするのですね。

けれど、そうした考えは、現代においてさえ現実と心理をまるで見誤っています。ましてや、人間の気の遠くなるような長い歴史、あの先史時代についてはなおさらです!

本物の良心の呵責など、罪人や受刑者たちの間では極めて珍しいものなのです。刑務所や感化院は、この手の「心を苛む虫」が好んで育つ温床などでは「決してない」のですから。――これは、多くの場合は自分自身の願いに反して、いささか気が進まないながらもそう認めるほかなかった、あらゆる誠実な観察者たちが口を揃えて同意している事実です。

大まかに言えば、刑罰は人を頑なにし、冷酷にします。心を閉ざして研ぎ澄まさせ、孤立感を深めさせ、抵抗の力を強めてしまうのです。もしも刑罰がその人の気力を打ち砕き、哀れなまでの無気力や卑屈な自己卑下をもたらすことがあるとすれば、そのような結果は、刑罰が普通にもたらす効果――あの乾いた重苦しい真剣さ――よりも、いっそう救いようのないものと言わなければなりません。

さらに、人間の歴史が始まるより「前の」何千年もの日々に思いを馳せてみるなら、躊躇なくこう結論づけてよいはずです。まさに刑罰こそが、罪の意識の育ちをいちばん強力に「押し留めてきた」のだと。――少なくとも、罰する権力がその牙を剥いた犠牲者たちの側においては。

罪を犯した人が、裁判や刑執行の作法そのものを目の当たりにすることによって、自らの行いや振る舞いを「それ自体として」責められるべきものと感じるのを、どれほど妨げられているか――私たちはそれを見くびってはなりません。

なぜなら彼は、正義の名の前で、まったく同じ種類の行為が堂々と行われ、善しとされ、後ろめたさのない良心のもとで振る舞われているのを目の当たりにするのですから。スパイ行為、罠、買収、陥れ、警察や検察のあらゆる小狡く抜け目のない手管。さらには、激情のせいという言い訳すら許されない、原則に基づいた略奪、力づくの制圧、罵倒、監禁、拷問、そして殺戮――これらは刑罰の様々な姿の中にくっきりと現れているではありませんか。裁判官たち自身、そうした行為を決して「それ自体として」退けたり断罪したりしているわけではなく、ただ特定の観点や利用の仕方に照らして使い分けているだけなのです。

私たちの地上の植生の中で、もっとも不気味で興味深いあの草花――「やましい良心」は、決してこのような土壌に芽生えたものではありませんでした。

実のところ、人を裁き、罰する側の意識の中にさえ、気の遠くなるような長いあいだ、自分たちが「罪ある者(責任ある者)」を相手にしているのだという自覚など「ひとかけらも」ありませんでした。彼らが相手にしていたのは、損害をもたらした者、責任など問えないひとすじの「宿命」にすぎなかったのです。

そして、その後に自分めがけてやはりひとすじの宿命のように刑罰が降りかかってきた当人にしても、そこに覚える「内なる苦しみ」といえば、予期せぬ出来事や恐ろしい自然災害が突然襲いかかってきたとき、落ちてきて我が身を押しつぶす巨大な岩を前にして、もはや抗う術もないと感じたときに覚えるそれと、何ら変わるものではなかったのです。

15.

このことは、あるときスピノザの意識にも、いささか厄介な形で浮かび上がったことがありました(彼の解説者たち、たとえばクーノ・フィッシャーのように、まさにこの箇所で彼を誤解しようと躍起になっている方々には、さぞや不都合なことでしたでしょうけれど)。

ある日の午後、いったいどんな記憶に心をかすめられたのか、彼は、あの名高い「良心の呵責(morsus conscientiae)」というものが自分自身にとって本当のところ何として残っているのかしら、と思索に耽ったのでした。善や悪というものを人間の思い込みの棚へと退け、神はすべてを「善の理由に従って(sub ratione boni)」行うと主張する不届き者たちに対して、自らの「自由な」神の誇りを激しい憤りとともに守り抜いた、あのスピノザが、です(「そんな考えは神を運命の僕にしてしまうことであり、まさに途方もない不条理というべきだ」と彼は言ったのでしたね――)。

スピノザにとって世界は、やましい良心が発明される前に横たわっていた、あの無垢な姿へと立ち戻っていました。だとしたら、良心の呵責はいったいどうなってしまったというのでしょう?

「それは歓び(gaudium)の反対のものだ、と彼はついに独りごちたのでした。――すべての予想に反して終わってしまった過去の事柄についての思いを伴う、ひとつの悲しみである、と」(『エチカ』第3部、定理18の備考1および2)。

刑罰に追いつかれた悪事の張本人たちが、何千年ものあいだ自らの「過ち」について感じてきたことも、まさにこの「スピノザの境地と何ら変わらない」ものでした。「ここでは思いがけず何かが狂ってしまった」のであって、「あんなことをするべきではなかった」などと感じたのでは決して「ない」のです――。彼らは刑罰に身を委ねました。まるで病気や災難、あるいは死に身を委ねるかのように。反逆など思いも寄らない、あの毅然とした運命愛(宿命論)をもって。たとえば現代のロシア人たちが、人生の受け止め方において私たち西洋人よりも一枚上手であるのも、まさにこの感覚のおかげなのですけれど。

もしも当時、自分の行いに対する反省や批判というものがあったとすれば、その行いを吟味したのは他ならぬ「抜け目のない知恵(怜悧さ)」でした。疑うまでもなく、私たちが刑罰の本来の「効果」を探るべきなのは、何よりもまず知恵の研ぎ澄ましの中にであり、記憶の持続の中にであり、これからはもっと慎重に、疑い深く、人目を忍んで立ち回ろうとする意志の中にであり、自分には到底及ばない事柄がたくさんあるのだという諦めの中にであり、言わば自分自身を冷静に見積もり直す知恵の中にこそあるのです。

人間であれ動物であれ、刑罰によって大まかに達成できることといえば、恐怖を増し、知恵を研ぎ澄まし、欲望の手綱を締めることくらいのもの。そうして刑罰は人間を「飼い慣らし」はしますが、決して「より善く」してくれるわけではありません。――むしろ、その逆を主張するほうが遥かに正鵠を射ていると言えるくらいです(「痛い目を見て人は賢くなる」と世間では言いますけれど、人を賢くする分だけ、人を悪賢くもしてしまうのです。幸いなことに、人は痛い目を見てすっかり間抜けになってしまうことのほうが、ずっと多いのですけれどね)。




16.

ここに至っては、もはや「やましい良心」の起源について、私自身の仮説をひとまず言葉にしてお示しすることを避けて通るわけにはまいりませんね。この考えは、すんなりと耳に入れてもらうのが難しく、じっくりと考え、見守り、ひと晩寝かせて熟成させることを求めるようなものなのですけれど。

私はやましい良心を、人間がこれまでの歴史の中で経験したあらゆる変化の中で、もっとも根底的な変化の重圧にさらされたときに陥らざるを得なかった「深刻な病」と捉えています。――その変化とは、人間が社会と平和の魔法の輪(結界)の中に、決定的に閉じ込められてしまった瞬間のことです。

水の中で暮らしていた生き物たちが、陸に上がるか滅びるかの選択を迫られたときに味わった運命と、それはまったく同じでした。荒野や戦い、放浪、そして冒険に幸福に適応していたあの半獣の人間たちにも、同じことが起きたのです。――ある日突然、彼らの本能のすべてが無価値とされ、「スイッチを切られて」しまいました。

これまで水に身を委ねて浮かんでいた彼らは、これからは自らの足で歩き、「自分自身を支え」なければならなくなったのです。そこには身の毛もよだつほどの重力がのしかかっていました。ごく簡単な身のこなしさえぎこちなく感じられ、この見知らぬ新しい世界においては、かつて自分たちを導いてくれた、無意識のうちに確かに行き先を教えてくれた本能という道標はもうありません。――彼らは、考えること、推理すること、計算すること、原因と結果を組み合わせることに頼らざるを得なくなってしまったのです。この哀れな人たちは、自らの中で最も頼りなく、最も誤りを犯しやすい器官である「意識」にすがりつくしかなくなったのですから!

この地上に、これほどのみじめさ、これほど鉛のように重苦しい不快感が広がったことは、かつて一度としてなかったのではないでしょうか。――しかも、あの古い本能たちが、一度にその要求をやめてくれたわけでは決してなかったのです! ただ、その声に従うことは難しく、滅多に許されなくなってしまっただけ。そのため本能たちは、もっぱら新しく、言わば地下に潜った形での満足を探し求めなければなりませんでした。

外に向かって解き放たれることのできない本能は、すべて「内側へと向きを変える」――これこそが、私の言う人間の「内面化(精神化)」に他なりません。これによって初めて、のちに「魂」と呼ばれることになるものが人間の中に育まれていったのです。

もともとは二枚の薄皮の間に挟まれているかのように平坦だった内側の世界は、人間の外への発散が「せき止められる」につれて、どこまでも広がり、深みと幅と高さを得ていきました。国家という組織が、かつての自由な本能たちから身を守るために築き上げたあの恐ろしい防壁の数々――刑罰こそはその筆頭ですけれど――は、荒々しく自由に野山を駆け巡っていた人間の本能のすべてを、後ろ向きに、つまり「人間自身に向けて」跳ね返らせる結果をもたらしました。

敵意、残酷さ、獲物を追い詰め、不意打ちを食らわせ、変化を求め、破壊することの歓び――そうした本能のすべてが、その本能を持つ当人へと刃を向けたのです。――これこそが、「やましい良心」の起源に他なりません。

外の敵や手応えを失い、押しつぶされそうな狭苦しさと慣習の規則正しさの中に押し込められた人間は、苛立ちのあまり自らを引き裂き、追い詰め、苛み、かき乱し、虐げました。まるで「飼い慣らされよう」と檻に入れられ、鉄格子に我が身を打ちつけて傷だらけになっている獣のように。荒野への郷愁に身を焦がし、満たされない飢えを抱えたこの存在は、自分自身を冒険の場とし、拷問部屋とし、不確かで危険に満ちた荒野へと仕立て上げなければならなかったのです。――この愚か者、この憧れに満ちた絶望的な囚人こそが、「やましい良心」の発明者となったのでした。

けれど彼とともに、人類が今日に至るまで癒えることのない、最も壮大で不気味な病が幕を開けました。人間が「人間そのものに」、自分自身に苦しむという病です。それは、動物としての過去から力づくで引き離され、新しい境遇と生の条件の中へいわば飛び込み、転がり落ちてしまった結果であり、それまで自らの力や歓び、恐るべき強さの拠り所であった古い本能たちへの宣戦布告の結果でもありました。

ですが、すぐさまこう付け加えておかなければなりませんね。自らに刃を向け、自らに敵対するこの動物の魂が地上に現れたという事実とともに、これまでにないほど新しく、深く、前代未聞で、謎めき、矛盾に満ち、そして「未来を孕んだ」何かがもたらされたのだ、と。それによって、地球の眺めそのものが根本から塗り替えられてしまったほどに。

本当に、このとき始まり、今なお終わりなどまるで見通せないこの舞台を見届けるためには、神々のような観客が必要だったことでしょう。どこかのちっぽけな星の上で、何の意味もなく見過ごされて演じられてよいはずのないほど、あまりにも繊細で、見事で、逆説に満ちたお芝居なのですから!

その瞬間から人間は、ヘラクレイトスの言うあの「大きな子ども」――ゼウスと呼んでも偶然と呼んでも構いませんけれど――がサイコロを振って遊ぶ中で、最も思いがけず、心躍るような「当たりの出目」のひとつに数えられるようになりました。人間は自らによって、ひとつの関心、緊張、希望、そしてほとんど確信に近い予感を呼び覚まします。まるで人間とともに「何かが」告げ知らされ、何かが準備されているかのように。――まるで人間とはひとつの目的地などではなく、ただの道であり、途中の出来事であり、架け橋であり、ひとつの大きな「約束」であるかのように……。




17.

やましい良心の起源についてのこの仮説が成り立つためには、まず第一に、あの変化が緩やかなものでも自発的なものでもなく、新しい環境へと自然に馴染んでいくような有機的な適応などでは決してなかった、という前提が必要です。そうではなくて、それはひとつの断絶であり、跳躍であり、強制であり、抗うことも恨み(ルサンチマン)を抱くことさえできない、有無を言わせぬ宿命だったのです。

そして第二に、それまで何ものにも縛られず形も定まっていなかった民衆をひとつの確固たる枠組みの中へと組み込む営みは、ひとつの暴力行為によって幕を開けたのと同様、暴力行為の連続によってのみ成し遂げられたのだ、という前提です。――したがって、最古の「国家」とは、恐るべき専制政治として、すべてを押しつぶす容赦のない機械仕掛けとして現れ、民衆という生身の粗削りな素材、あの半獣の群れが、芯までこね上げられて従順になるだけでなく、真に「形作られる」まで働き続けたのでした。

私は「国家」という言葉を使いましたけれど、それが何を指しているかは言うまでもありませんわね。――ある金色の猛獣たちの群れ、好戦的に結束し自ら秩序を形作る力に満ちた、征服者と支配者の種族のことです。彼らは、数においては自分たちを遥かに圧倒していても、まだ形を持たず放浪しているだけの民衆の上に、ためらいなくその恐ろしい鉤爪を振り下ろすのです。

地上の「国家」とは、まさにこのようにして始まったのでした。国家の始まりを「契約」にあるとした、あの甘美な夢物語はもう片づいたものと私は思っています。命じることができ、生まれながらの「主人」であり、その行いと身のこなしにおいて力そのものとして現れる者が、いったい「契約」などに何の用があるというのでしょう!

そのような存在を前にして、計算など成り立ちません。彼らは運命のようにやって来るのです。理由も、道理も、遠慮も、口実もなく。彼らはそこに稲妻のように立ち現れます。あまりにも恐ろしく、突然で、圧倒的で、あまりにも「異質」であるがゆえに、憎むことすらできないほどに。

彼らの成す業とは、本能的な「形の創造」であり、「形の刻印」です。彼らはこの世で最も意図せず、最も無意識な芸術家たちなのです。――彼らが姿を現した場所には、瞬く間に新しい何かが立ち上がります。個々の部分と役割が明確に分かたれ、互いに関連づけられ、全体に対する「意味」を与えられていないものは何ひとつとして居場所を見出せないような、生きた支配の造形物が。

彼らは罪とは何か、責任とは何か、配慮とは何かなど露ほども知りません。この生まれついての組織者たちの中には、青銅のような冷徹な眼差しを持ち、母親が我が子の中に自らを見出すように、「作品」の中において自らが永遠にあらかじめ正当化されていると確信している、あの恐ろしい芸術家のエゴイズムが息づいているのです。

彼ら自身の内側に「やましい良心」が芽生えたのではないことくらい、最初からお分かりのことでしょう。――けれど、彼らという存在「なし」には、あの醜い芽生えが育つことも決してありませんでした。彼らのハンマーの打撃、彼らの芸術家らしい暴力の重圧の下で、途方もない量の自由がこの世界から、少なくとも人目につく場所から押し出され、言わば「見えない底へと潜まされ」ていなかったならば、そんなものは生まれようがなかったのですから。

力づくで底へと潜まされた、この「自由の本能」――私たちはもうすでにお分かりですね――、押し戻され、退けられ、内面へと幽閉され、ついには自らに対してのみ解き放たれ鬱憤を晴らすしかなくなった、この自由の本能こそが。それこそが、始まりの瞬間における「やましい良心」そのものだったのです。


18.

この現象全体が、最初から醜く痛ましいものであるからといって、決して見くびってしまわないよう気をつけてくださいね。

本当のところ、あの暴力的な芸術家たちや組織者たちの中で壮大に働き、国家を打ち建てているあの能動的な力と、ここで内面へと潜み、より小さく、細やかに、後ろ向きになって、ゲーテの言葉を借りるなら「胸の迷宮」の中で自らにやましい良心を作り出し、否定的な理想を築き上げている力とは、まったく同じものなのですから。そう、あの「自由の本能」(私の言葉で言えば「力への意志」ですね)に他なりません。ただ、この力が持つ形作りねじ伏せる性質が発散される相手の素材が、ここでは人間自身、その獣としての古い自己そのものであって、あのより壮大で人目を引く現象のように「他なる人間」、他の人々ではない、という違いがあるだけなのです。

この人知れぬ自己への力づくの凌辱、この芸術家らしい残酷さ、重く反抗的で苦しむ素材としての自らに形を与え、ひとつの意志、批判、矛盾、軽蔑、そして拒絶の言葉(ノー)を焼きつけようとする歓び。苦痛を与えることへの歓びから自らを苦しめる、進んで自らを引き裂く魂の、この不気味で恐ろしくも甘美な営み。――この能動的な「やましい良心」のすべては、最後には――もうお察しでしょうけれど――理想や想像の世界の出来事たちが宿る真の母胎として、息を呑むほど新しく奇妙な美しさと肯定の数々を、いえ、おそらくは「美」そのものを初めてこの世の光のもとへと産み落としたのです……。

もしも矛盾が自らを自覚することがなかったなら、もしも醜いものが自らに向かって「私は醜い」と呟くことがなかったなら、いったい何が「美しい」だなんて言えたでしょう?……

少なくとも、このささやかな手引きを手にした後なら、「無私」や「自己否定」、「自己犠牲」といった矛盾に満ちた概念の中に、どのようにしてひとつの理想が、美しさがほのめかされ得るのかという謎も、それほど解きがたいものではなくなるはずです。そして、これからはもう迷うこともないでしょう――無私な人、自己を否定する人、自己を犠牲にする人が味わっているあの「快感」が、最初からいったいどのような性質のものであるのかを。この快感は、紛れもなく「残酷さ」の仲間なのです。――

道徳的な価値としての「利他性(非エゴイズム)」の起源について、そしてこの価値が芽生えてきた土壌の輪郭について、ひとまず申し上げておけるのはこれくらいでしょうか。やましい良心があって初めて、自分自身を虐げようとする意志があって初めて、「利他的であることの価値」というものの前提が整うのですから。――


19.

それはひとつの病気――やましい良心とはそういうものに違いありません。けれど、まるで妊娠がひとつの病気であるような、そんな病気なのです。

この病が、どのような条件のもとで最も恐ろしく、最も崇高な頂へと上り詰めたのかを確かめてみるといたしましょう。――それによって、いったい何が初めてこの世に足を踏み入れることになったのかが、よく見えてくるはずですから。

ただし、そのためには少しばかり長い息遣い(根気)が必要になりますわ。――そして手始めに、私たちはもう一度、以前の視点へと戻らなければなりません。

私たちがすでに詳しくお話ししてきた、借り手(債務者)と貸し手(債権者)というあの私法上の関係は、歴史上きわめて奇妙で、考えさせられるやり方によって、もうひとつの関係の中へと読み込まれていきました。それは、現代の私たちにとってはおそらく一番理解しにくい関係――すなわち、「いま生きている者たち」と「祖先たち」との関係のことです。

原初の血族共同体――私たちは太古の時代のお話をしているのですけれど――においては、いま生きている世代は、いつでも前の世代に対して、とりわけ血族を打ち立てた最初の祖先に対して、法的な義務を認めていました(決して単なる心情的な義理立てなどではありません。そんな心情など、人類の歴史の果てしない時間のあいだは、むしろ存在しなかったと言ってよい理由さえあるくらいです)。

そこでは、血族というものはひとえに祖先たちの犠牲と働きのおかげで「存続している」のであり、――だからこそ、犠牲と働きによって彼らに「返済しなければならない」という確信が支配していました。こうして人々はひとつの「負債(借り)」を認めたのです。しかもこの負債は、祖先たちが力ある精霊として生き続け、その力によって血族に新たな恵みや前借りを絶え間なく与え続けてくれることによって、どこまでも膨らみ続けるものでした。

まさかタダで与えてくれるとでも? いいえ、あの粗削りで「心にゆとりのない」時代に、「タダ」なんてものは存在しませんでした。では、彼らに何をお返しできるというのでしょう?

捧げ物(最初は、最も生々しい意味での食べ物でしたね)、お祭り、社、敬意のしるし、そして何より従順さ――なぜなら、あらゆる風習とは祖先たちの遺業であり、彼らの掟であり命令でもあるのですから――。けれど、果たしてそれで十分に返せていると言えるかしら?

この疑念は消えることなく、募るばかりです。そして時折、一括での大きな清算を、あの「貸し手」に対する途方もない反対給付を無理やりにでも要求するのです(たとえばあの悪名高い初子(ういご)の生贄、血、いかなる場合でも人間の血の生贄がそうでした)。

この論理に従うならば、先祖に対する「恐れ」とその力への畏怖、彼らに対する負債の意識は、血族そのものの力が増し、血族がますます勝利を重ね、独立し、敬われ、恐れられる存在になればなるほど、まさにその度合いに比例して必然的に大きくなっていくのです。

まさかその逆ではありませんわ! 血族が衰退へと向かう一歩一歩、あらゆる惨めな不運、退廃の兆し、忍び寄る崩壊の気配こそが、かえってその創始者の精霊への恐れを薄れさせ、その知恵や配慮、現前する力について、ますます取るに足らない印象しか与えなくなっていくのですから。

この粗野な論理を極限まで押し広げて考えてみてくださいな。そうすれば、最も「力ある」血族の先祖たちは、膨らみ続ける恐怖の想像力によって、ついに途方もなく巨大な姿へと膨れ上がり、神々しい不気味さと計り知れなさの闇の中へと押しやられていったに違いありません。――そうして先祖は、最後には必然的に「神」へと姿を変えさせられるのです。

もしかすると、神々の起源そのものがここにあるのかもしれませんね。つまり、「恐怖」から生まれた起源なのです!……

そして、もし誰かが「でも、敬虔な情愛(ピエタス)からも生まれたのではないかしら!」と付け加える必要があるとお考えなら、人類の歴史の最も長い時間、あの太古の時代について言えば、その主張はほとんど的外れと言わなければなりません。もちろん、高貴な血族たちが形作られていく「中間の時代」については、その通りなのですけれど。――彼らはまさに、自分たちの生みの親である先祖たち(英雄たち、神々たち)に、その間に自分たち自身の中に花開いたあらゆる性質、あの「高貴な性質」を利子をつけてお返ししたのですから。

神々の貴族化と洗練(もちろん、それは決して神々の「聖化」などではありませんけれど)については、のちほど改めて目を向けることにいたしましょう。今はひとまず、この罪(負債)の意識が辿った歩みの全体を、最後まで見届けることにいたしましょうね。


20.

神に対して負債(借り)があるという意識は、歴史が教えてくれているように、血縁に基づいた「共同体」という組織のあり方が廃れていった後も、決して幕を閉じることはありませんでした。

人間というものは、「善いと悪い」という概念を血統の貴族たちから(身分の序列を重んじる彼らの心理的な根本の傾斜とともに)受け継いだのとまったく同じように、一族や部族の神々という遺産を受け継ぐとともに、いまだ返済されていない負債の重圧と、それを清算したいという切ない願いをも手に入れてしまったのです。(その橋渡し役となったのは、力づくで従わされたにせよ、あるいは卑屈さや物真似(ミミクリー)からにせよ、主人たちの神の祭祀に身を合わせた、あの膨大な数の奴隷や農奴たちでした。彼らを通して、この遺産は四方八方へと溢れ出していったのです)。

神に対する負い目の感情は、何千年ものあいだ膨らみ続けることをやめませんでした。それも、神という概念や神への感情がこの地上で育まれ、高められていったのと、いつでもまったく同じ歩調を合わせながら。(民族同士の戦い、勝利、和解、混ざり合いの歴史全体――あらゆる大がかりな民族の融合において、様々な民衆の要素が決定的な序列へと落ち着く前に起きるすべての出来事は、彼らの神々の入り乱れた系図や、その戦いと勝利と和解の神話の中に映し出されています。世界帝国への歩みはいつだって普遍的な神々への歩みでもあり、独立した貴族たちをねじ伏せる専制政治は、いつだって何らかの一神教へと道を切り開くものなのですから)。

だからこそ、これまでにたどり着いた最高の極限の神――「キリスト教の神」の登場は、地上における負い目の感情をもまた、その極限にまで引き上げる結果をもたらしたのです。

もしも私たちが、今やそれとは「正反対」の動きへと足を踏み入れているのだとすれば、キリスト教の神への信仰がとどまることなく衰退していく様から、人間の罪の意識もまた今やすでに目に見えて衰退しつつあるのだと、かなりの確からしさをもって導き出すことができるのではないでしょうか。

ええ、無神論の完全で決定的な勝利が、自らの始まり、すなわち第一原因(causa prima)に対して負債を抱えているというこの感情全体から、人間をきれいに解き放ってくれるかもしれないという見通しは、決して退けられるものではありません。

無神論と、ある種の「第二の無垢」とは、手を取り合って訪れるものなのですから。――




21.

「負い目(罪)」や「義務」という概念と、宗教的な前提との結びつきについて、手短に大まかなところをお話しすると、ひとまずこんなところでしょうか。

私はこれまで、これらの概念が辿った本来の「道徳化」(それらを良心の内奥へと押し戻すこと、もっと明確に言えば、「やましい良心」を神の概念と絡み合わせること)を、意図的に脇に置いてきました。そして前節の終わりでは、まるでそんな道徳化など存在しなかったかのように、したがって私たちの「債権者(貸し手)」である神への信仰という前提が崩れ去った今、それらの概念も必然的に終わりを迎えるかのように語ってさえみせました。

けれど、実際の事態はそれとは身の毛もよだつほどかけ離れているのです。

負い目と義務の概念が道徳化され、それらが「やましい良心」の中へと押し込められたことによって、まさに今お話ししたばかりの歴史の歩みの向きを「逆転させよう」とする、少なくともその歩みを押し留めようとする試みがなされたのでした。

今や、あの最終的な清算への希望の光は、悲観的に、きっぱりと閉ざされなければ「ならない」とされ、人々の眼差しは冷酷な不可能の壁にぶつかって、絶望のうちに跳ね返されなければ「ならない」とされたのです。今や、「負い目」と「義務」という概念は後ろを振り返り、逆方向へと牙を剥かなければ「ならない」――。

いったい「誰に」向けて、ですって?

疑う余地などありませんわ。何よりもまず、「債務者(借り手)」である人間自身に向けてです。その人の内側で、やましい良心はいまや固く根を下ろし、骨の髄まで食い入り、広がり、ポリプのようにあらゆる深みと広がりへと増殖していきます。ついには、負い目(罪)の帳消しが絶対に不可能であることとともに、償いもまた絶対に不可能であるという考え、決して清算しきることのできない負債(あの「永遠の罰」)という観念が思い描かれるに至るまで……。

そして最後には、あろうことか「債権者」にさえ刃が向けられるのです。人間の第一原因(causa prima)、人類の始まり、今や呪いを背負わされることになったあの最初の祖先(「アダム」、「原罪」、「意志の不自由」)を思い浮かべてみてもよいですし、人間がその胎内から生まれ出た自然、今や悪の原理を擦りつけられることになったあの自然(「自然の悪魔化」)を思い浮かべてみても、あるいはそれ自体として「無価値なもの」として見捨てられることになった存在そのもの(存在からの虚無的な背反、無への憧れ、あるいは別のあり方への憧憬、仏教やそれに類するものたち)を思い浮かべてみても構いません。

――そうして私たちは突如として、あの逆説に満ちた、恐ろしい逃げ道の前に立たされることになるのです。拷問にかけられた人類が、束の間の安らぎを見出すことになった、あの「キリスト教」の奇策の前に。

神自らが、人間の負い目のために身を生贄として捧げること。神自らが、自分自身によって元を取ること。人間自身にとってはもはや決して清算できなくなってしまったものを、人間に代わって帳消しにできる唯一の存在としての神――。債権者自らが、自らの債務者のために身を捧げるのです、「愛」から(信じられますかしら?――)、自らの債務者への愛から、ですって!……




22.

このすべてのことによって、そしてこのすべてのことの「下で」、本当のところ何が起きていたのか――もうお察しいただけたことでしょう。

自らを苛もうとするあの意志、内面化され、自らの内奥へと追い立てられた獣たる人間――飼いならされるために「国家」の中へと閉じ込められ、傷つけたいと願うその「より自然な」はけ口を塞がれた末に、自らを痛めつけるためにやましい良心を発明したあの人間――の、押し戻された残酷さ。このやましい良心の持ち主は、自らを苛む拷問をこれ以上ないほど恐ろしく、鋭い極限にまで研ぎ澄ますために、宗教的な前提を自らの道具として奪い取ったのです。

神に対する「負い目(罪)」――この考えが、彼にとって格好の拷問器具となります。彼は「神」の中に、自分自身の本来の、切り離すことのできない動物としての本能に対する究極の対立物を見出します。そしてその動物的本能そのものを、神に対する負い目として(「主」であり、「父」であり、世界の始祖にして始まりである存在への敵意、反逆、暴動として)解釈し直すのです。彼は自らを「神」と「悪魔」という矛盾の間に張りつめさせ、自分自身へ、自然へ、自らの存在の自然さや生々しい現実へと向けたあらゆる否定の言葉(ノー)を、自らの外へと投げ出します。肯定(イエス)として、実在するものとして、生きた真実として、神として、神の神聖さとして、裁く神として、処刑人としての神として、彼岸として、永遠として、終わりのない拷問として、地獄として、そして罰と罪の計り知れなさとして。

これこそは、心の残酷さにおける一種の「意志の狂気」であり、どこを探しても比べるものなどまったくありません。償いきれないほどに自らを罪深く、忌まわしい存在と見なそうとする人間の「意志」。罰が罪と決して釣り合うことなどあり得ないと思い定めて自らを罰しようとする、その「意志」。この「固定観念」の迷宮から逃げ出す道を永遠に塞いでしまうために、物事のいちばん深い根底にまで罰と罪の毒を注ぎ込み、汚染してしまおうとする、その「意志」。「聖なる神」という理想を打ち立て、その前に立つことで、自らの絶対的な卑しさを紛れもなく思い知ろうとする、その「意志」……。

ああ、この狂おしく哀しい獣、人間という存在! どんな思いつきを抱くというのでしょう。自らの本性をどれほどねじ曲げ、どんな不条理の痙攣を起こし、行動における獣であることをほんの少し妨げられただけで、どれほど凄まじい「観念における獣性」をたちまち解き放ってしまうことかしら!……

このすべては、度を越して興味深いものではありますけれど、同時にあまりにも暗く、陰鬱で、気力を奪い去るような哀しみに満ちています。これらの深淵をあまり長く覗き込むことなど、力づくで自らに禁じなければならないほどに。

ここに病があることは、疑う余地もありません。人間の中でこれまでに猛威を振るった、もっとも恐ろしい「病気」が――。

そして、この拷問と不条理の夜の底で、「愛」という叫びが、この上なく焦がれる恍惚の叫びが、愛における救いの叫びがいかに響き渡ったのかを今でも聞き取ることができる人(現代の人々には、もうそのための耳が残されていませんけれど!――)なら、誰しも打ち勝ちがたい戦慄に襲われて、思わず顔を背けてしまうことでしょう……。

人間の中には、あまりにも恐ろしいものが満ちています!……
この地球は、もうあまりにも長いあいだ精神病院でありすぎました!……


23.

「聖なる神」の起源については、ひとまずこれくらいでおしまいにいたしましょう。

神々を思い描くこと自体が、私たちが先ほど一瞬たりとも目をそらすわけにはいかなかった、あの想像力の病的な堕落へと必ずしも結びつくわけではないということ――ここ数千年のヨーロッパが得意としてきた、人間自身の自己磔刑や自己凌辱のようなやり方よりも、神々の創作を味わうずっと「高貴な」あり方があるのだということ――は、幸いなことに、「ギリシャの神々」にひと目でも目を向けてみれば、今でもはっきりと見て取ることができます。

彼らこそは、気高く誇り高い人間たちの映し絵であり、彼らの中にあっては、人間の中の「獣」が自らを神聖なものと感じ、決して自らを引き裂くことも、自らに向かって荒れ狂うことも「なかった」のです!

このギリシャ人たちは、長いあいだ、まさに自分たちの身から「やましい良心」を遠ざけておくために、魂の自由を無邪気に喜び続けるために、神々を使っていました。つまり、キリスト教が自らの神を用いたのとは、まったく正反対の意味でね。

この華麗でライオンのように勇敢な、無邪気な子どもたちは、そのやり方を「どこまでも」徹底させました。そして、かのホメロスのゼウス自らという決して小さくない権威でさえ、時折彼らに向かって、お前たちは少しばかり物事を都合よく考えすぎているのではないかね、と苦言を呈しているほどです。

「不思議なことだ!」と、あるときゼウスは呟きます――アイギストスの事件、あの「極めて」たちの悪い事件についてのことですけれど――

「不思議なことよ、死すべき人間どもが、これほど神々を責め立てるとは!
災いはただ我々からのみ生じる、と奴らは思い込んでいる。
だが奴ら自身こそが、分別のなさゆえに、運命に逆らってまで、
自らにみじめな災厄を招いているというのに。」

けれど、ここで同時に耳を澄まし、目を凝らしてみれば、オリュンポスの観客であり裁判官であるこの神でさえ、だからといって人間たちに恨みを抱いたり、彼らを悪し様に思ったりしているわけでは決してないことが分かります。「人間とは、なんと愚かなことか!」――死すべき者たちの悪行を前にして、神はただそう思うだけなのです。

そして「愚かさ」、「分別のなさ」、ほんの少しの「頭の混乱」――それくらいのことなら、最も強く勇敢だった時代のギリシャ人たちでさえ、多くの悪事や悲劇の原因として、自ら進んで「認めて」いました。――愚かさであって、「罪」ではないのですよ! お分かりいただけますかしら?……

ですが、この頭の混乱でさえ、彼らにとってはひとつの謎でした。「それにしても、そんなことがどうして起こり得るのかしら? 私たちのような頭脳の持ち主が――高貴な生まれで、幸福に恵まれ、美しく育ち、最高の社交界に属し、気品と徳を兼ね備えた私たちのような人間が、どうしてそんな狂気に陥ることがあるというの?」――何百年ものあいだ、高貴なギリシャ人は、仲間の一人が身を染めてしまった理解しがたい残虐行為や冒涜を前にして、そう自問自答し続けたのでした。

「きっと、どこかの神様が彼を惑わしたに違いないわ」と、彼は首を横に振りながら、最後にはそう独りごちたのです……。

この抜け道こそが、ギリシャ人にとって何より「典型的」なものでした。

このようにして当時の神々は、人間が悪事を働いたときにさえ、ある程度まで人間を正当化するために仕えてくれたのです。神々は悪の原因として働いてくれました。――当時の神々は、刑罰を我が身に引き受けたりはせず、より「高貴な」やり方で、その負い目(罪)のほうを引き受けてくださったのですから……。


24.

――ご覧の通り、私は三つの疑問符をもって筆を置こうとしています。「ここでは一体、新しい理想が打ち立てられているのかしら、それとも従来の理想が打ち砕かれているのかしら?」と、皆さんは私にお尋ねになるかもしれませんね……。

けれど、皆さんはこれまでに、「いかなる」理想であれ、それをこの地上に打ち立てるためにどれほど高い代償が払われてきたか、ご自身に十分問いかけてみたことがおありでしょうか? そのたびに、どれほど多くの現実が中傷され、見誤られ、どれほど多くの嘘が神聖化され、どれほど多くの良心が掻き乱され、どれほど多くの「神」が犠牲にならなければならなかったことでしょう。

ひとつの聖所を打ち立てるためには、ひとつの聖所が「打ち砕かれなければならない」――これこそが掟なのです。この掟が満たされなかった例があるなら、どなたか私に見せてくださらないかしら!……

私たち現代人は、何千年ものあいだ続いてきた良心の生体解剖と、自らの獣性を苛み続けてきた営みの跡継ぎなのです。そのことにおいてこそ、私たちは最も長い修練を積み、おそらくはある種の芸術性を、いずれにせよ洗練されきった舌の肥えを手に入れてしまいました。人間はあまりにも長いあいだ、自分自身の自然な性向を「邪悪な眼差し」で見つめ続けてきたため、それらの性向はとうとう、自分の中の「やましい良心」と固い姉妹の契りを結ぶようになってしまったのです。

これとは逆の試みだって、原理的には可能ではあるでしょう――けれど、誰がそれに耐えうるほど強いというのでしょう?――つまり、あの「不自然な」性向たち、あのあの世(彼岸)への憧れ、五感に逆らい、本能に逆らい、自然に逆らい、獣性に逆らうものたち、手短に言えばこれまでの理想――生命に敵対し、世界を中傷する理想のすべて――のほうを、やましい良心と結びつけてやるという試みです。

今日、いったい誰に向かって「そのような」希望や要求を投げかけることができるというのかしら?……

そんなことをすれば、まさに「善人」たちを敵に回してしまうことになりますわ。それに加えて、当然のことながら、安楽を好む人たち、妥協した人たち、虚栄に満ちた人たち、熱狂しやすい人たち、そして疲れ果てた人たちもね……。自分自身を律する厳しさと高さをちらりと覗かせることほど、人々を深く傷つけ、彼らから決定的に孤立させるものが他にあるでしょうか? そしてまた――私たちが世間の人たちと同じように振る舞い、世間と同じように「自らをだらしなく甘やかす」やいなや、世のすべての人がどれほど親身に、優しく微笑みかけてくれることでしょう!……

あの高みを目指すためには、この時代に現れそうな者たちとは「異なる種類の」精神が必要になります。戦いと勝利によって鍛え抜かれ、征服や冒険、危険、そして痛みさえもが自らの渇望となっているような精神が。そのためには、鋭く澄み切った高嶺の空気に、冬の過酷な旅に、あらゆる意味での氷と険峰に慣れ親しんでいることが求められます。そこには一種の崇高な悪意そのものさえ、大いなる健康にのみ許される、あの認識の最も揺るぎない悪戯心が必要とされるのです。手短に、そして厳しく申し上げるなら、まさにこの「大いなる健康」そのものが必要なのです!……

けれど、そんなものが今の時代に、少しでもあり得るものでしょうか?……

それでもいつの日か、この脆く自己疑念に満ちた現代よりも遥かに強靭な時代にあって、その人はきっと私たちの前に現れてくれるはずです。大いなる愛と軽蔑をたずさえた「救済の人間」が。内から溢れ出る力によって、あらゆる引き籠もりやあの世への逃避から幾度となく押し出され、世の民衆からはまるで現実「からの」逃亡であるかのようにその孤独を誤解されている、あの創造的な精神が――。その孤独とは、いつの日か再び光のもとへと還ってきたとき、この現実の「救済」を――これまでの理想が現実に押しつけてきたあの呪いからの救済を――持ち帰るために、現実の「ただ中へ」身を沈め、埋もれ、深く潜り込んでいることに他ならないというのに。

この未来の人間――これまでの理想から私たちを救い出してくれるとともに、その理想から「育たざるを得なかったもの」、すなわち大いなる嫌悪から、無への意志から、ニヒリズムから私たちを解き放ってくれる人間。意志を再び自由にし、大地にその目的を、人間にその希望を取り戻してくれる、真昼の鐘の音であり大いなる決断である人間。この反キリストであり、反ニヒリストであり、神と無を打ち破る者――その人は、いつの日か「必ずや現れなければならない」のです……




25.

――けれど、私はいったい何を口走っているのでしょう? もう十分、十分ですわ! ここに至っては、私に許されているのはただひとつ、口を噤むことだけ。さもなければ、私よりも若く、「より未来に属し」、私よりも強い者にのみ許されている事柄――ただ「ツァラトゥストラ」にのみ、あの「神を失いしツァラトゥストラ」にのみ許されている事柄を、不作法にもかすめ取ってしまうことになりますもの……。






 





2026年10月11日日曜日

ChatGPTの評価

 前の記事 https://yomitoki2.blogspot.com/2026/10/blog-post_11.html への評価をAI各社にお願いしました。ChatGPTが一番精密だったので貼り付けます。

 

 

総評:ハドソンの強みは金融を歴史の中心に戻すこと、弱みは歴史全体を金融支配で説明しすぎること

全文を読んだうえでの結論を先に述べます。

ハドソンの議論は、単なる反富裕層論や反米論として片づけるべきものではありません。金融制度、国家の戦争遂行能力、課税制度、債務者と債権者の利害を一つの歴史的過程として捉える点には、十分に検討する価値があります。

一方、金融が歴史を動かす重要な要因であることと、金融家階級が歴史全体を一貫して主導してきたことは別の命題です。 ハドソンは、この二つをしばしば接近させて論じています。

今回の対談では、次の三点を特に高く評価できます。

  • 国家の財政能力を、単なる政府支出や税収ではなく、債権者との権力関係から捉えていること。

  • 負債の返済を経済政策上の絶対的な義務とせず、債務免除や債権者側の損失も含めて制度を評価していること。

  • 現代の金融化を、過去の金融制度や国家形成と結びつけて考えていること。

反対に、問題が大きいのは、11世紀以降のヨーロッパ史をカトリック教会による支配から銀行家階級による支配へと連続する過程として描き、その枠組みを現代の米国や中国にまで適用していることです。歴史的な転換や地域ごとの違いを、単一の説明原理で整理しすぎています。

以下、章ごとに評価します。

1. 第1〜3章:教会、十字軍、銀行家、利子の成立

この部分が、ハドソンの歴史観の核心です。

評価できる点

第一に、十字軍を宗教的熱狂だけで説明せず、軍事費の調達、教皇権と王権の対立、領土支配、金融業の発達を結びつけていることです。

第二に、戦争資金を貸す債権者が、単に利息を得るだけでなく、君主の政策選択や徴税制度に影響を及ぼすという指摘です。国家が戦争を遂行するために借金を必要とすれば、貸し手は政治的な交渉力を得ます。この仕組みは近代国家の形成を考えるうえで重要です。

実際、イングランド銀行は1694年、対フランス戦争の資金調達を主要な目的として設立されました。政府への融資と金融市場の発展が、国家財政と深く結びついていたこと自体は疑いありません。

the UK's central bank
+1

問題点:金融が十字軍を生み出したのか

ハドソンは、十字軍の主要な目的を、教皇庁がヨーロッパの武装勢力を外部へ追いやり、東方教会やドイツなどを支配することに求めています。

ここは、事実の一部を捉えながら、説明を一方向に寄せています。

十字軍には、教皇権の拡大、ビザンツ帝国の軍事的要請、聖地への巡礼や宗教的救済への期待、貴族の政治的・軍事的利害など、複数の動機がありました。ビザンツ皇帝が十字軍の成立に果たした役割についても、歴史研究では複数の解釈が存在します。

Estudios Bizantinos
+1

したがって、「宗教的な大義は表向きで、真の目的は教皇庁の政治支配だった」という説明を、十字軍全体の確定した動機として扱うことはできません。

教皇が宗教的信念を持ちながら政治的利益も追求した可能性と、宗教的信念が単なる偽装だったという主張は別です。ハドソンはこの区別を十分に維持していません。

利子の正当化について

ハドソンは、カトリック教会が戦争融資のために利子を正当化し、神学を反転させたと説明します。

ここにも重要な問題があります。

中世のキリスト教思想では、利息を取る貸付に対する禁止や制限が存在しました。一方、商業取引、為替、損害補償などの扱いについては、神学者や法学者の間で複雑な議論が発展しました。単純に「教会が利子を発明した」とはいえません。

Medieval Economic Thought

ハドソンの指摘で有効なのは、金融取引をめぐる制度の変化に応じて、何が正当な利益とみなされるかも変化したという点です。

しかし、「教会が銀行家の利益のために神学を反転させた」という意図まで主張するには、神学上の議論、教会の公式決定、金融家の利害、実際の融資契約を、それぞれ別に検証する必要があります。

とりわけ、1515年のレオ10世による決定を、銀行利息全般への全面的な公認と説明するのは不正確です。関連する公会議の決定は、慈善質屋などの特定の制度をめぐる議論と結びついており、あらゆる利子付き融資を一律に承認したという話ではありません。

第1〜3章の判定:問題設定は有力、歴史全体を貫く因果関係の証明は不十分。

2. 第4〜5章:ユダヤ人金融業者とキリスト教世界

この部分は、通俗的な金融史に対する重要な問題提起を含んでいます。

ハドソンは、中世ヨーロッパの金融発展をユダヤ人の金貸しだけで説明することを批判し、キリスト教徒の商人・銀行家、王権、教会の役割を強調しています。

この方向性は妥当です。中世ヨーロッパの金融業をユダヤ人だけに結びつけるのは、歴史を著しく歪めます。キリスト教徒の商人や銀行家も金融業の発達に大きな役割を果たしました。

また、ユダヤ人の財産が王権による課税・没収の対象となり、追放につながったという指摘は、宗教的偏見だけでは説明できない政治経済的な利害を考えるうえで重要です。

ただし、ハドソンはここでも説明を単純化しています。

ユダヤ人の追放や迫害は、王権の財政的利害だけで説明できません。宗教的反ユダヤ主義、政治的な危機、民衆の敵意、債務者による債務関係への反発、地域ごとの法制度などが絡み合っていました。

また、「ユダヤ人は追放後のキリスト教的銀行業の発展にほぼ何の役割も果たしていない」という断定も、時代と地域を限定しなければ強すぎます。

第5章の「負債から罪へのすり替え」も、ハドソンの問題意識は理解できます。債務の免除という社会経済的な問題が、宗教的な罪や救済の問題として読み替えられる過程を問うことには意味があります。

しかし、キリスト教の罪の概念や贖罪思想を、債権者階級が債務免除を防ぐために作り替えた制度として一元的に説明するのは無理があります。宗教思想の変化には、神学的な論争や教義上の問題もあり、金融的な利害だけで還元することはできません。

第4〜5章の判定:金融史の盲点を指摘する点は有益。ただし、宗教・民族・政治の複合的な歴史を金融利害に還元しすぎています。

3. 第6章:国際債権者による国家支配

ここは、ハドソンの主張のなかでも、現代に直結する重要な部分です。

彼は、19世紀のハイチ、メキシコ、ギリシャ、エジプトなどを例に、対外借款に依存した国家が債務不履行に陥り、債権者側の要求によって財政や統治の自由を制限されたと論じます。

この問題設定には説得力があります。国家が外貨建て債務を返済できなくなれば、税収や歳出の使い道だけでなく、関税収入、公共財産、政策決定の自由までが交渉の対象になることがあります。

重要なのは、債務危機を「政府の放漫財政」という一言で片づけず、貸し手の条件、借入時の制度、返済通貨、国際的な権力関係まで調べることです。

ただし、個々の国家が債務危機に陥った経緯は異なります。借入条件、戦争、輸出品の価格変動、政治的混乱、税制の弱さなどを検討せず、すべてを国際債権者による支配としてまとめることはできません。

また、19世紀の国際債権者と現代のIMFは、機能の一部に類似点があるとしても、同じ制度ではありません。組織の法的性格、融資の仕組み、加盟国との関係、政策条件の決まり方を区別する必要があります。

第6章の判定:問題設定は強い。実証には国別・時期別の検証が必要。

4. 第7章:米国の予算、社会保障、医療制度

ここからハドソンは、中世から近代にかけての金融史を現代アメリカの政治経済へと接続します。

主張は明快です。金融家や富裕層に有利な税制を維持しながら、社会保障や公衆衛生を削減する政策は、富の集中を進める。そのうえ、雇用主を通じて医療保険を得る仕組みは、労働者を職場に縛りつけるというものです。

説得力のある点

米国の医療保険制度が雇用と強く結びついていることは、労働者の転職や離職の自由を制約する要因になり得ます。医療費の負担が大きく、保険を失うリスクがある場合、労働条件に不満があっても仕事を辞めにくくなるという指摘には合理性があります。

また、民間保険会社や医療提供者に公的資金が流れる制度では、支出の増加がそのまま国民の健康改善につながるとは限りません。誰が資金を受け取り、どの程度が医療サービスに使われ、どの程度が管理費や利益になるのかを検証する必要があります。

問題点

ハドソンは、こうした制度の帰結を、金融家階級が労働者を従属させるために設計したものとして説明します。しかし、制度が労働者の自由を制約することと、支配層がその目的で制度を設計したことは同じではありません。

米国の雇用主提供医療保険は、歴史的な制度形成、税制上の優遇、雇用主と労働組合の交渉、政治的妥協など、複数の経路から発達しています。それらをすべて金融家の統一的な戦略に帰するには、追加の証拠が必要です。

さらに、「医療費は他国ならGDPの6〜8%で済むのに、米国では18%を占める」という趣旨の数字は、比較する年や医療支出の定義を確認する必要があります。医療費の高さは重要な論点ですが、数字だけでは金融家の意図や制度の目的までは証明できません。

第7章の判定:制度の受益者と負担者を問う点は有効。意図的な階級支配という説明には、因果関係の立証が足りません。

5. 第8章:複利、債務免除、主流派経済学批判

この章は、今回の対談の理論的な中心です。

ハドソンの基本命題は、債務が複利によって増える一方、実体経済の成長には限界があるため、債務が返済能力を上回る傾向があるというものです。その結果、債権者の権利を優先する制度では、債務者の土地や財産が失われ、社会の富が債権者へ集中していくと論じます。

ここには、明確に区別すべき三つの論点があります。

第一は、複利による債務の増大です。これは数学的な事実です。一定の利率で複利運用される債務は、長期間では指数関数的に増加します。

第二は、実体経済の成長率と債務の増加率の関係です。債務の増加率が所得の増加率を長期間上回り、債務返済に必要な資金を確保できなくなれば、債務危機が起こり得ます。ただし、実際の債務動態は利率、所得、物価、借換え、債務の用途などに左右されるため、必ず破綻するとは限りません。

第三は、債務免除をどのように位置づけるかです。ハドソンは古代バビロニアの債務免除を、債権者への富の集中を抑えるための制度として重視します。これは債務問題を考えるうえで重要な比較対象です。

ただし、古代の債務免除は、すべての債務を無条件に帳消しにする現代的な制度と同じではありません。王権の財政、農民の負担、土地や労働力の管理など、当時の社会構造との関係で理解する必要があります。

主流派経済学への批判は妥当か

ハドソンは、主流派経済学が債務や金融の役割を軽視し、債権者の利益を正当化するイデオロギーとして機能していると主張します。

この批判は、主流派経済学全体については過大です。現代の経済学には、金融危機、信用創造、銀行の貸借対照表、債務の過剰蓄積、所得格差を扱う研究も存在します。

一方、経済モデルの前提によっては、金融的な不均衡や債務の分配効果が十分に表現されないことがあります。そうしたモデルの限界を問うことは正当です。

問題は、主流派経済学の特定の仮定やモデルを批判することから、学問全体が金融家階級の利益を隠蔽するために作られたと結論づけることです。これは別途立証すべき命題です。

第8章の判定:債務と分配を経済分析の中心に置く姿勢は重要。ただし、主流派経済学批判は一枚岩の敵を作りすぎています。

6. 第9〜10章:米中対立、AI、雇用、大学の企業化

この部分は、ハドソンの専門領域から離れるにつれて、議論の確実性が低下します。

米国の産業空洞化と中国

ハドソンは、米国が製造業を海外へ移転し、金融・保険・不動産などの収益を重視する経済へと変化した結果、製造能力や技術基盤を中国に譲り渡したと論じます。

この指摘には検討価値があります。金融収益を重視する企業経営と、長期的な設備投資・技術開発との間に緊張が生じることはあり得ます。製造業の海外移転が、産業集積や熟練労働者の育成に影響することも重要な問題です。

しかし、米国の製造業の変化を金融化だけで説明することはできません。技術革新、自動化、賃金差、貿易政策、企業の国際展開、消費者需要なども関係しています。また、中国の産業発展も、国家の産業政策だけでなく、外国企業の投資、輸出市場への参入、技術移転、国内競争などを含む複合的な過程です。

米国と中国を「金融による収奪」と「実体経済の発展」という二つの純粋なモデルに分けると、両国の内部にある多様な制度や問題が見えにくくなります。

AIと雇用

AIが雇用構造を変えること、特定の職業の需要を減らす可能性があることは、十分に考えられる問題です。

ただし、ハドソン自身が対談のなかで、AIの将来については自分の専門外だと認めています。この留保は適切です。

一方、聞き手が提示する「AIによって人々が所得を得られなくなった場合、債権者や大企業はなぜ医療やベーシックインカムを提供するのか」という問いは、重要な論点を含んでいます。しかし、これはAI時代の所得分配や社会保障をめぐる問題提起であって、ハドソンの金融史から直接導かれる結論ではありません。

大学の企業化

大学の事務部門の肥大化、非正規教員への依存、教育と研究の評価基準が企業経営に近づくことへの批判は、独立して検証する価値があります。

しかし、大学の官僚化を専門職・管理職階級の利権獲得として説明し、AIがその階級を淘汰するかのように論じる部分は、印象的なレトリックに依存しています。

大学の運営費、教員の雇用形態、管理職の報酬、教育成果などを具体的に比較しなければ、一般化はできません。

第9〜10章の判定:問題提起は興味深いものの、金融史から産業政策・AI・教育論へと進むにつれて、実証よりも政治的解釈が前面に出ています。

7. 第11章:貨幣の本質、国家債務、地球温暖化

この章は、ハドソンの議論のうち、経済学的に最も慎重な検討を要する部分です。

① 貨幣は本質的に負債なのか

ハドソンは、貨幣を貸借対照表上の資産と負債の関係として理解すべきだと主張します。

これは現代の金融制度を理解するうえで重要な視点です。銀行預金は預金者にとって資産であると同時に、銀行にとって負債です。銀行が融資を実行すると、通常は借り手の預金が生まれ、銀行の資産側には貸出債権、負債側には預金が計上されます。

また、国債は保有者にとって金融資産であり、政府にとって債務です。金融システムを貸借対照表から分析することには、明確な利点があります。

しかし、そこから「貨幣は本質的に負債である」と一般化するには注意が必要です。金銀などの商品貨幣と、銀行預金や中央銀行券などの信用貨幣は、性質が異なります。現代の貨幣制度でも、現金、銀行預金、中央銀行準備預金をすべて同じものとして扱うことはできません。

したがって、ハドソンの説明は、信用貨幣を理解する枠組みとしては有力ですが、あらゆる時代の貨幣を一つの原理に還元する説明としては広すぎます。

② イングランド銀行の設立が貨幣を変えたのか

ハドソンは、1694年のイングランド銀行設立を決定的な転換点として扱います。

確かに、同行は政府への120万ポンドの融資を基礎として設立されました。戦争資金の調達と国債市場の発達が、近代的な金融制度の形成に重要な役割を果たしたことは確認できます。

Bank of England
+1

ただし、ここでハドソンの説明には大きな飛躍があります。

政府債務が銀行の資産になったことと、政府債務がそのまま紙幣の裏付けになり、通貨供給が無制限に拡大可能になったことは同じではありません。

イングランド銀行は設立後、預金を受け入れ、銀行券を発行しましたが、当初から金銀による制約が消滅したわけではありません。銀行券の金への兌換は長期間にわたって重要な制度的制約であり、兌換停止などの転換は後の時代に起きています。

また、政府債務を資産として保有することと、政府債務を銀行券発行の唯一の裏付けとすることも区別すべきです。

1694年は重要な転換点ですが、貨幣制度が一挙に金銀から政府債務へ置き換わったという説明は単純化しすぎています。

③ 米国と中国の経済モデル

ハドソンは、両国の違いを、金融を債権者の利益に使うのか、実体経済の成長に使うのかという問題に集約します。

この問いは重要です。金融制度が誰に信用を供給し、どのような投資を優先するかは、長期的な産業構造や所得分配に影響します。

しかし、中国の金融制度を産業発展のための仕組み、米国の金融制度を債権者による収奪の仕組みと単純に対比することには問題があります。

中国でも債務の蓄積、資本配分の非効率、不動産部門の問題などを検討する必要があります。米国にも、金融を通じて生産的な投資を支える仕組みがあります。

両国の制度を比較するなら、信用の配分先、投資効率、債務の持続可能性、生産性、所得分配など、共通の指標を用いて検証する必要があります。

④ 地球温暖化と債務危機

ハドソンは、気候変動による保険料の上昇、住宅価値の低下、災害復旧費の増大が、債務危機を悪化させると指摘します。

この因果関係には合理性があります。住宅の損壊や保険料の上昇は、家計の負担や不動産市場のリスクを高める可能性があります。災害の頻発は自治体の財政にも影響します。

ただし、そこから文明の崩壊や西欧金融システムの破綻までを予測するには、別の証拠が必要です。気候変動の影響は地域、産業、適応能力によって異なります。

また、インダス文明や青銅器時代の社会変動を、気候変動だけで説明することにも慎重さが必要です。環境変化に加え、交易、政治制度、人口移動、戦争などの要因を検討しなければなりません。

第11章の判定:金融システムを貸借対照表から捉える視点は有効。ただし、貨幣史の転換点を単純化し、金融制度の分析から文明論的な予測へ飛躍する部分には問題があります。

8. 全11章を通じて見える、ハドソンの思考法

ここまでの評価を踏まえると、ハドソンの議論は、次の四つの層に分けると理解しやすくなります。

層

主張の内容

評価

第1層:制度の分析

債務、金融、税制、国家財政は相互に結びついている

有力な分析枠組み

第2層:歴史的説明

金融制度が国家形成や政治権力の構造を変えてきた

重要だが、時代ごとの実証が必要

第3層:階級論

金融家階級が国家や社会制度を自らの利益に合わせてきた

説明力はあるが、一般化しすぎる

第4層:文明論・将来予測

西側の金融制度が産業・社会・文明の衰退をもたらす

最も不確実性が高い

この区別は重要です。

ハドソンの議論では、第1層の比較的堅実な制度分析から、第2層の歴史的説明、第3層の階級支配論、さらに第4層の文明論へと、かなり滑らかに話が進みます。

しかし、前の層で説明力があるからといって、後の層まで正しいとは限りません。

例えば、銀行が政府に融資することで政策への影響力を得るという命題には、明確な経済的メカニズムがあります。

しかし、それをもって、近代国家そのものが国際銀行家階級のために創設されたと結論づけることはできません。国家形成には、軍事、徴税、行政、法制度、政治的正統性、社会集団間の交渉なども関係しています。

ハドソンは、金融を見落とした歴史観の弱点を指摘することには成功していますが、今度は金融を中心に置きすぎることで、別の偏りを生んでいるのです。

9. 翻訳・編集上、注意したい点

今回のブログは、全11章を構成し、章ごとの要約と詳細な本文を併載しているため、ハドソンの議論の全体像を把握しやすい形式になっています。

ただし、評価の正確さという点では、原文との照合が必要な箇所があります。

特に、次の三点です。

第一に、歴史的な事実とハドソン自身の解釈を区別すること。

「十字軍は教皇庁が武装勢力を国外へ追いやるために作った」「教会は銀行家の利益のために利子を正当化した」などは、単なる事実の記述ではなく、ハドソンによる因果関係の解釈です。翻訳上も、確定した事実であるかのような印象を与えないことが重要です。

第二に、強い断定表現を確認すること。

「すべて」「唯一」「一切」「誰も」といった表現は、原文でも同じ強さなのか、口頭での強調なのかを確認する価値があります。特に「主流派経済学は金融家階級の利益を隠蔽するためのイデオロギーである」といった主張は、表現の強さによって受け取られ方が大きく変わります。

第三に、専門用語の意味を保つこと。

「利子」「高利貸し」「信用」「貨幣」「国家債務」は、それぞれ時代や制度によって意味が異なります。中世の神学用語と現代の金融用語をそのまま同一視すると、ハドソンの主張を必要以上に説得的に見せてしまう可能性があります。

なお、今回の評価は、提示された日本語本文を対象としたものです。原文の逐語的な照合は行っていないため、翻訳の正確さについての最終判定ではありません。

10. 最終評価

私の評価を、率直にまとめます。

ハドソンは、金融を経済の一部門としてではなく、国家の権力構造や所得分配を左右する制度として捉えています。この視点は重要です。特に、債務問題を債務者の責任だけで説明せず、債権者の権利、融資の条件、金融制度の設計まで検討する姿勢には価値があります。

一方で、ハドソンの歴史叙述は、金融家階級を長期にわたる一貫した主体として描きすぎています。中世の教会、近代の銀行家、現代の金融機関を、同じ権力構造の異なる姿として結びつけるため、時代ごとの違いや他の原因が見えにくくなっています。

また、主流派経済学への批判には有効な問題提起が含まれますが、学問全体を金融家階級のイデオロギーとして扱う部分は、批判対象を単純化しています。米中比較やAIの将来予測についても、歴史分析から導ける範囲を超えた断定が目立ちます。

したがって、ハドソンは、金融史や債務問題を考える際の有力な問題提起者として読む価値がありますが、彼の歴史叙述全体を、そのまま確立した歴史認識として受け入れることは勧められません。

今回の対談を一文で評価するなら、金融が歴史を動かす仕組みを見抜く力は強いが、金融によって歴史全体を説明しようとする傾向が、その分析の限界にもなっている、ということです。


私 しかし最近の歴史解釈ものとしては出色の出来だと思うのですが
 

その評価は十分に成り立つと思います。先ほどの批評では、ハドソンの個々の歴史解釈に対する留保を強調しすぎて、この番組が歴史解釈として持っている総合的な価値を十分に評価していませんでした。

私なら、次の三点を評価します。

第一に、歴史を動かす力として、金融と債務を前面に出していることです。

十字軍、教会の利子禁止論、ユダヤ人金融業者、国家債務、現代の医療保険、米国の産業空洞化。通常なら別々の専門分野で扱われる問題を、債権者と債務者の関係、金融収益と実体経済の関係という共通の軸でつないでいます。

これは単に「金がすべてを動かす」という還元論とは区別する必要があります。歴史研究では、宗教・政治・経済・思想をそれぞれ別の領域として説明しがちです。ハドソンは、それらの領域の間を金融関係がどう媒介していたのかを問う。ここに独自の強みがあります。

第二に、過去の制度と現代の制度を同じ分析枠組みで比較することです。

古代の債務帳消し、キリスト教世界の利子論、近代国家の公債、現代の国際金融を、一つの長い歴史のなかに配置する。個々の事例には検証すべき点があっても、この比較によって、現代の金融制度を歴史的に相対化できます。

たとえば、債務を返済することが常に正義なのか、債権者の権利と社会の存続が衝突した場合に何を優先すべきなのか。こうした問題は現代の経済政策では技術的な問題として処理されがちですが、ハドソンはその背後にある政治的・道徳的な選択を浮かび上がらせています。

第三に、歴史の見取り図そのものを提示していることです。

個々の事実を精密に検証する研究と、膨大な事実を組み合わせて歴史全体の構造を見せる仕事は、別の能力を必要とします。ハドソンの番組の強みは後者にあります。個別研究を積み重ねるだけでは見えにくい、異なる時代や制度に反復して現れる問題を読者に認識させる。その意味で、歴史解釈としての完成度を高く評価する余地があります。

ただし、ここでは評価を二つに分ける必要があります。

  • 歴史解釈としての生産性:非常に高い。分散した歴史的事象を結びつけ、既存の理解を組み替える力がある。

  • 個々の歴史的説明の厳密さ:主張ごとに検証が必要。金融を重視するあまり、宗教的動機や政治的対立、技術革新などを金融関係に従属させてしまう箇所がある。

この二つは矛盾しません。むしろ、歴史解釈として魅力的な大きな構図ほど、個々の事例をその構図に合わせて説明してしまう危険があります。

私が先ほどの回答で強調したかったのは後者ですが、それは前者の価値を否定するものではありません。

結論として、この番組は、個々の歴史的事実を網羅的に説明する標準的な通史というより、金融を軸に歴史全体を再解釈する、優れた大構想型の歴史論だと評価します。 個別の論証に疑問が残ることと、全体の歴史解釈が出色であることは両立します。

そして、歴史解釈ものの評価では、個々の事実に誤りがないかだけでなく、従来は別々に理解されていた事象を、どれだけ有効な一つの構造として把握できるかも重要です。その評価軸を採るなら、ハドソンの仕事はかなり高く評価できると思います。

 

 

マイケル・ハドソン 金融、国家、そして借金の歴史

 https://youtu.be/3roQw-zbmLM?si=vk8OyMKCsGRcdrRt

のGemini翻訳。神回です。 Aiについては面白くありませんが、他は素晴らしいですね。

 

 

金融、国家、そして借金の歴史【全11章 全文・章別要約付き】



 冒頭:章ごとの要約一覧

 第1章:帝国教皇権と中世金融システムの根源(要約)
カトリック教会は、11世紀にローマ教皇庁の支配力を拡大する「帝国教皇権」を確立しました。独自の軍隊を持たない教皇庁はノルマン人武将(ロベール・ギスカールや征服王ウィリアム)と提携して徴税代理人とし、さらに軍団を西欧外へ追いやるべく十字軍を動員しました。この遠征と戦費調達を支えるため、教会は利息付き金融を組織化し、それまでの神学を反転させて高利貸しを容認・推進する構造を作り上げました [19]。

 第2章:近代財政国家の形成と戦争資金調達(要約)
教会の統治機構を引き継いだイタリアの銀行家階級は、英仏100年戦争などの戦費調達を通じて各国の行政統制権を掌握しました。戦争の資本集約化に伴い、王領地の収入や議会の承認に基づく伝統的課税では限界に達したため、銀行家は羊毛などの対外貿易独独権や、自治都市(コミューン)の「全市民の富を担保にする」仕組みを導入しました。これが1688年名誉革命後のイングランド等で近代的な「財政国家」の成立へと結実しました [1013]。

 第3章:教会神学の転換と「利子」の正当化(要約)
13世紀のスコラ学者たちは、禁止されていた「高利(usury)」と許容される「利子(interest)」や「為替手数料」「機会費用」「遅延損害金」を論理的に区別する抜け穴を作りました。聖職者たちは貿易信用を建前に利息を正当化しつつ、最大の利益源であった非生産的な「戦争融資」を容認しました。その結果、最大の債務者であった国王や教皇と並び、金融家階級が社会構造の頂点へ登り詰め、1515年に教皇レオ10世により銀行利息の公式な認可が与えられました [1419]。

 第4章:ユダヤ人商人の真の実態と教会の不寛容(要約)
ユダヤ人商人は国際貿易ネットワークや小口信用供与のために各諸国に招かれましたが、その富の分布はキリスト教徒と同等であり、彼ら自身は土地所有権を持たない「王の直属民」でした。王権が彼らの債権を利用して権力を強めることへの反発から反ユダヤ主義が高まり、13世紀末に富を没収された上で追放されました。教会の掲げた「普遍性(カトリック)」の本質は他宗派や異教徒への強い不寛容と単一支配権の追求にありました [2024]。

 第5章:免罪符の誕生と「負債から罪へ」の神学的すり替え(要約)
サン・ピエトロ大聖堂再建などの巨額資金を求める教会は、聖アウグスティヌス以来の神学的変転を利用しました。イエスが唱えた金銭的な「負債の免除(ヨベルの年)」は、アダムからの「原罪」と道徳的罪の清算へとすり替えられ、贖いには教会への寄進が必要とされました。第2回十字軍の従軍免除(身代わり金)に端を発する免罪符(贖宥状)の販売は集金システム化し、レオ10世による乱売がマルティン・ルターらの宗教改革を引き起こしました [2532]。

 第6章:金融史の盲点と国際債権者による国家支配(要約)
従来の歴史学や経済学は専門分化(蛸壺化)とミクロ分析に偏重し、金融がヨーロッパの統治機構を統合したマクロ構造を見落としてきました。19世紀のハイチ、メキシコ、ギリシャ、エジプト等の新興独立国は対外借款でたちまちデフォルトに陥り、国際債権者たちは現代のIMFの前身となる金融統制機関を設立して強制的な緊縮財政と統治権の剥奪を行いました。金融は国家の中央計画機関として君臨するに至りました [3340]。

 第7章:現代の財政・社会保障政策と金融家階級の利害(要約)
アメリカの現行予算案や社会保障・医療政策は、上位1%の金融家階級の利益を最優先する構造になっています。1978年の将来予測研究で示された「長寿化による社会保障費増大」に対し、金融セクターは高齢者の延命を抑えようとしてきました。予防検診の制限や感染症対策予算の削減、オバマケアによる医療と職場の結合は、労働者を低賃金と医療保険の喪失リスクで縛り付ける搾取システムとなっています [4146]。

 第8章:複利による負債の増大と主流派経済学の敗北(要約)
貨幣とは本質的に負債であり、複利によって指数関数的に増大しますが、実体経済はS字カーブ(ロジスティック曲線)で頭打ちになります。古代バビロニアはこれを熟知して定期的な徳政令(負債免除)を行いましたが、西欧は債権者優先の法を徹底しました。主流派経済学の「自己安定化市場モデル」は金融セクターによる支配を隠蔽するためのイデオロギーであり、1%への利払いのために実体経済を破綻させています [4754]。

 第9章:産業自動化・AIと米中対立・雇用の構造変化(要約)
アメリカが製造業をアジアへオフショアリングしレント(不労所得)搾取型経済へ移行した結果、自動化された製造現場とサプライチェーンは中国に集中しました。関税政策や中国人留学生(STEM人材)の排除はアメリカ自体の産業基盤を自滅させています。AI・ロボティクスによる自動化は西側諸国の雇用と新卒市場、人文学教育を破壊する一方、エネルギーと技術基盤を握る中国やグローバル・サウスが主導権を握りつつあります [5562]。

 第10章:労働者の従属化、教育の企業化、そしてAIの限界(要約)
支配層はAIや社会保障制度を管理手数料の搾取と労働者の従属(現代の賃金農奴化)に利用しています。大学は教育・研究の場から膨大な事務官僚を抱える営利企業へと変質し、専任教員を低賃金の非正規教員に置き換えています。生身のメンターシップを欠いたAIによる教育や採点は、主流派イデオロギーの画一的な押し付けと教育の形骸化をもたらすと懸念されます [6372]。

 第11章:貨幣の本質、国家債務、そして地球温暖化の脅威(要約)
1690年代のイングランド銀行創設により、政府債務(国債)がそのまま通貨発行の担保資産へと反転し、不換紙幣による無限の信用拡大が可能になりました。貨幣とは貸借対照表上の負債であり、アメリカの金融主導モデルと中国の産業社会主義モデルの差は信用を誰のために使うかにあります。さらに地球温暖化による住宅保険高騰や物理的破滅は債務不履行を激化させ、西欧文明の金融システムそのものを根底から揺さぶっています [7385]。



 全文(章番号・見出し番号挿入版)



 第1章:帝国教皇権と中世金融システムの根源


 11. 導入


かつて海外へのアウトソーシング(単純労働)だったものは、今やロボット工学(自動化)へと取って代わられました。トランプ政権は現在、理工系や科学技術を学ぶ20万人の中国人留学生を国外退去させようとしています。アメリカは今や「中国へ帰れ」と言っているのです。中国側はこれを大いに歓迎しています。私たちが長寿化する中で、新たなテクノロジーによって何が起きるのでしょうか? 実のところ、「人々がなかなか死なない」という問題が生じていると彼らは気づいたのです。
さて、マイケル、あなたは十字軍から第一次世界大戦に至る西欧の金融史を書き換える著書を上梓したばかりですね(『歴史家が見落とした十字軍がいかに経済を形作ったか』)。話を始めるにあたって聞きたいことは山ほどありますが、まず、そもそもなぜこの歴史は書き換えられる必要があったのでしょうか? 千年もの間、学者たちが見落としてきた重要な原則を指摘するのは、簡単なことだったのですか?
「私は金融の歴史を『書き換えた』とは全く思っていません。ほとんどすべての書き手が見落としてきた事柄について語っただけです。
小学6、7年生の頃を覚えているのですが、私たちは『中世の暮らしと風習(Medieval Days and Ways)』という本を読まされましてね。そこには、ハリウッド映画さながらに聖地を救うために十字軍遠征へ赴く騎士たちの話ばかりが描かれていました。農奴制や封建制度についての本でした。

しかし、私が書いているのは、国際的な銀行部門がどのように出現し、形作られ、最終的に国家(政府)を支配するだけでなく、絶対王政と議会による牽制・均衡、さらには国内の税制や財政政策といった『統治機構そのもの』をいかに牛耳るに至ったかということです。
私が突き止めたのは、11世紀から第一次世界大戦の勃発(これが私の本の扱う期間です)に至るヨーロッパの統合的かつ計画的な原動力は、基本的にカトリック教会にあったということです。カトリック教会は、国王たちを支配し、国内における国王・教会・議会の力関係を統制するシステムを作り上げました。専制君主に権力を集中させて議会を無効化させたのです。例えば、イングランドでマグナ・カルタ(大憲章)を支持した者たちを破門にしましたが、それは1215年のジョン王の時代だけでなく、その半世紀後にジョン王の息子ヘンリー3世の課税権を制限しようと男爵たちが反乱を起こした際にも同様でした。
教会が生み出したこの権力を、歴史家たちは『帝国教皇権(Imperial Papacy)』と呼んでいます。それは、キリスト教世界全体を支配しようとするローマ教皇庁の野望であり、特にそれまでキリスト教の中心であったコンスタンティノープルの東方正教会を乗っ取ろうとする動きでもありました。

ですから、いかにして銀行家階級が台頭したかを論じる前に、私はローマ教会が他の諸国を支配するシステムを築くにあたってどのような戦略をとったのかを説明しなければなりませんでした。彼らがどのように十字軍を組織したのか、そして十字軍の標的がそもそも聖地などではなく、主に他のキリスト教諸国――とりわけ、国王自らが司教を任命して独立を保とうとしていたドイツ――に向けられていた実態を明らかにする必要があったのです。また、アルビジョア十字軍におけるカタリ派への弾圧もそうでした。そこでは『ドミニコ修道会の異端審問』によって、北部のノルマン勢力のためにフランス南東部(正しくは南西部・オクシタニア)が事実上破壊し尽くされました。
さらに私は、数世紀前の北欧・ゲルマン諸宗教に対するような、他宗教を一切容認しないローマ特有の不寛容の精神にまで遡らねばなりませんでした。教会はいかにして王たちに対して優位を主張したのか、そして何がこれらすべての事態を引き起こしたのか。そのため、11世紀初頭に教会の改革者たちが、ローマ郊外のトゥスクルムなどの地方貴族に支配された辺境の地にすぎなかったローマと教皇庁をいかに掌握していったかについて、2つの章を割く必要がありました。

カトリックの歴史では、この時代を『ポルノクラシー(娼婦政治)』、すなわち完全な腐敗にまみれた『娼婦による支配』と呼んでいます。これに対し、主にオットー大帝とその歴代後継者をはじめとするドイツ出身の改革者たちはこう言いました。『もしキリスト教会を改革し、特定の有力家系が利権(聖職禄)を得るために私有する状態から、本来のキリスト教へと立ち返らせたいのであれば、教皇庁に対する一切の世俗権力の介入を排除しなければならない。平信徒を排除しなければならない。特定の家系が親族や支持者に教皇の座をたらい回しにして世襲化させないよう徹底しなければならない』と。
そのためには『独身制』が必要とされました。これはキリスト教の他の宗派には見られない特徴です。改革者たちは本質的には理想主義者でしたが、その理想主義ゆえに、全キリスト教世界の絶対的支配を主張するに至ったのです。10世紀当時、総主教座は5つ存在しました。最大規模だったのがコンスタンティノープルで、他はすべて中東にありました――アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリア、そしてローマです。
ローマ教皇庁は『これらの地域を支配し、世俗社会を支配しなければならない。そうして初めて、すべての王たちに教会の支配、キリスト教の統治を課すことができる』と考えたのです。そしてそれを成し遂げるには、司教の任命権を握らねばなりませんでした。ドイツやその他あらゆる地域の地方君主から権力を奪い取り、自らの手中に収める必要があったのです。それによって、租税の徴収やその使途を担う司教を任命し、ローマへ上納金を送らせることができるからです。

このようにして、ローマにおけるキリスト教改革の組織化全体は、あらゆる世俗君主や他の総主教座に対する対立という形を取っただけでなく、その本質において『極めて財政的・金融的な性格』を帯びていたのです」



 12. 教皇庁が抱えた課題とノルマン人傭兵


教皇庁にはある課題がありました。「これらの国々に対する支配を、いかにして実行に移すか?」という点です。教皇庁自体は独自の軍隊を持っていませんでした。そこで何をしたかといえば、ノルマン人の武将(軍閥)を登用したのです。彼らは北方から南イタリアやフランスへと南下し、フランス貴族と婚姻関係を結んで一種の「ノルマン・フレンチ貴族」を形成していた武将たちでした。
歴代教皇は11世紀半ばから、南イタリアとシチリアのロベール・ギスカールを皮切りに武将たちと盟約を結び始めました。「そなたをシチリア王に任じよう。ただし教皇庁へ臣従を誓わねばならぬ。そなたは実質的に我らの封臣(家臣)であり、すべてを我らに負う立場となる。そして得られた歳入をローマへ上納しなければならない。これに従い我らの封臣として振る舞うならば、シチリアと南イタリアを征服することを許可しよう」と持ちかけたのです。ギスカールはこれを承諾し、南イタリアを征服しました。それはイスラム勢力からだけでなく、東方正教のビザンツ帝国の諸都市から奪い取ったものでもありました。

その数十年後、別の武将が現れました。征服王ウィリアム(ウィリアム1世)です。教皇は彼とも密約を結びました。「そなたによるイングランド征服を祝福しよう。ただし、我らに忠誠を誓わねばならないことを忘れるな。我らの代理人、実質的な徴税代理人として振る舞い、現地の教会から得られる『ペテロの免罪銭(教皇税)』をローマへ送金しなければならない」と。海峡を挟んだフランス側に独自の軍勢を持っていた征服王ウィリアムはイングランドを征服しました。教会が武将たちと結んだのは、基本的にこのような取引だったのです。
やがて「帝国教皇権」へと変貌を遂げた教皇庁は、フランス、ドイツ、その他の地域へも支配を拡大しようと試みました。



 13. 十字軍の真の動機


その手段となったのが十字軍の創設でした。表向きは、東方からの侵略に対抗するコンスタンティノープルを救援するためとされました(最終的にはオスマン・トルコによって陥落しますが)。しかし真の狙いは、キリスト教徒、とりわけ武将たちを動員してイタリアから追い出し、教皇庁への脅威を取り除くことにありました。「彼らを西ヨーロッパの外のどこかへ追いやるにはどうすべきか? コンスタンティノープル防衛のために送り出し、そこから聖地へと向かわせよう。中東へ送り込んでしまえば、我らに牙をむくこともない」と考えたのです。

ちょうど11世紀半ば、バチカンは思想的・神学的にコンスタンティノープルをはじめとする東方教会全体と決定的に決裂していました。いわゆる「大東西分裂(大シスマ)」です。ローマ教会は自らへの服従を要求し、「800年に教皇がカール大帝を西ローマ皇帝と認めて祝福したように、自分たちこそがローマ皇帝を任命する権利を持つ」と主張しました。しかし、「真のローマ帝国」である「新たなローマ」、コンスタンティノープルにはすでに本物のローマ皇帝が存在していたのです。当然ながら、これはローマとコンスタンティノープルとの間に激しい緊張をもたらしました。
問題は、「いかにしてコンスタンティノープルを自らの支配下に組み込むか」でした。折りよくビザンツ皇帝が、「東方から攻撃を仕掛けてくる勢力に我が国が敗れれば、彼らはそのまま西欧へと侵攻してそなたたちを攻めるだろう」と、教皇庁に防衛のための援軍を要請してきました。こうして十字軍が結成され、コンスタンティノープルへと派遣されたのです。
ノルマン人の武将たちはめいめいに近東の東方正教の領土を強奪し始めました。彼らは「エルサレムを解放する」と標榜しましたが、そもそもエルサレムに解放など不要でした。ムハンマドがイスラム教を興した直後に征服されて以来、イスラム勢力によって統治されていましたが、イスラムの支配は寛容だったからです。キリスト教徒の共存もユダヤ教徒の共存も認められており、不寛容さはありませんでした。事実、ペルシャ帝国の昔から何千年にもわたり、貢納を納めその土地の法に従って暮らす限り、帝国は宗教的・民族的少数派に対して寛容であり続けてきたのです。

ところが十字軍がエルサレムに到着するやいなや、彼らは略奪を始めました。ユダヤ人を虐殺し、イスラム教徒を虐殺し、さらに多くのキリスト教徒までも殺戮して、目も当てられない大惨事を引き起こしたのです。これは教皇庁や各国首脳の間にも少なからぬ動揺と狼狽をもたらしました。



 14. 金融システムの誕生と神学の反転


その一方でドイツは、「このような茶番には加担したくない」と距離を置いていました。ドイツ王は名目上の「神聖ローマ皇帝」であったため、コンスタンティノープルと独自の取り決めを結ぼうとしていたのです。ドイツ皇帝は「我々は西欧の神聖ローマ皇帝であり、そちらは新ローマの正統なローマ皇帝なのだから、互いに協調できるはずだ」とローマと交渉しようとしました。ドイツ勢こそが教皇庁の本来の改革派であり、キリスト教を世俗の生活や軍事活動の一部として根付かせ、聖職者を世俗の官職に登用したいと考えていたのです。
しかし第1回十字軍が終わるや否や、教皇庁はドイツを攻撃し始めました。司教や高位聖職者の統制権を握ることで財政的支配を敷こうとする教皇庁の要求に抵抗する国なら、ほぼどこに対しても矛先を向けたのです。
ノルマン人は強力な軍隊を持っていましたが、資金を必要としていました。ここで教会は気づいたのです。「ロベール・ギスカールや征服王ウィリアムのように、我らの封臣として代理征服を行わせるノルマン軍を維持するには、資金調達を行わねばならない」と。こうして教会は銀行業務を組織化していきました。

12世紀の年代記作家たちは、教皇庁がイングランド全土をいかに揺さぶったかを記録しています。教皇庁はジョン王の息子ヘンリー3世に詰め寄り、北イタリアの銀行家やアルプスを越えたカオール出身の銀行家(カオルサン)への借財を返済するため、イングランド国民に重税を課すよう強要したのです。当然ながら、戦争遂行のために国内債務を背負わされるこの要求に議会は猛反発しました。
教皇らはヘンリー3世を操ろうとし、「見よ、ロベール・ギスカールが他のノルマン人とともにバルカン半島や旧ユーゴスラビア一帯のビザンツ領を侵略し始めているとはいえ、南イタリアには今やドイツの息のかかった者たちが大勢いる。現地でドイツ勢力と戦うために、借金をしてでも軍費を用立てねばならない」と迫りました。これが内乱(第2次男爵戦争)と新たな一連の破門劇へと発展していったのです。
教会は利子を取る金貸し業(高利貸し)を認可しただけでなく、あろうことか「利子付きの金貸しに反対するキリスト教徒」の側を破門に処しました。武将たちへの銀行融資を用立てるためだけに、キリスト教神学そのものが根底から180度反転させられたのです。
こうして12世紀から17世紀に至るおよそ500年間、国際銀行業務の実態とは、主に国王に対する「戦費の融資」でした。当初は教会のために戦争を仕掛けるための融資であり、1291年に十字軍時代が終わった後は、王同士が互いに戦い合うための融資へと変貌していきました。そしてこの軍事融資そのものが、独自の組織化原理を確立していくことになったのです。



 第2章:近代財政国家の形成と戦争資金調達


 21. 教会の統治機構を受け継いだ銀行家たち


教皇たちが専制的な王権を押し付け、「少なくとも帝国教皇権の利益に資する目的で戦争を望む場合、議会には王権神授説に異議を唱える権利はない」と宣告したのと同様に、銀行家たちは教会が築き上げた世俗政府に対する行政統制システムをそのまま引き継ぎました。そして彼らは、イタリア、フランス、スペイン、ドイツといったあらゆる国の国内政治体制のあり方を左右する最大の勢力となったのです。
彼らは次のような取引を持ちかけました。「主に北イタリアに拠点を置く我ら銀行家が、好敵手との戦争資金を用立ててやろう」と。とりわけ、英仏海峡沿いのフランス西部の支配権をめぐる、イングランド王とフランス王の絶え間ない戦争がその対象でした。
資金を得たいのであれば、借金をしなければなりませんでした。そして借金をする以上、債権者(銀行家)が提示する条件を呑む必要があったのです。債権者たちは国家的な金融システムを構築しようとし、それが財政制度、さらには近代的な「財政国家」の基盤となっていきました。



 22. 戦争資金調達のジレンマ


最も克明な記録が残るイングランドをはじめ、ほぼすべての領邦で国王たちは頭を抱えていました。征服王ウィリアムがイングランドへ侵入した際、彼は自らの取り分として切り取った征服地を私的財産(王領地)と定め、『ドゥームズデイ・ブック(土地台帳)』を編纂させました。国王には、自らに帰属する王領地から得られる地代や収益を受け取る権利がありました。また伝統的に課税権も持っていましたが、課税には議会の承認が必要でした。これが、フランス、スペイン、イングランド、後のオランダなど、ヨーロッパ全土の国王たちの手足を縛っていたのです。

問題は、戦争がますます資本集約的になっていった点にありました。海軍、攻城兵器、大規模な軍隊など、軍事技術の高度化に伴い戦費は高騰し続け、もはや王領地の収益だけで賄える水準をとうに超えていたのです。
かといって、増税を呑むよう議会を説得することもできませんでした。財力を持つ貴族たちで構成される地方議会は、自分たちの土地に課税されることを望まず、税金を払いたがらないのも当然でした。ましてや、王が自らの個人的な虚栄心を満たすために他の王と戦争に興じるための金など、なおさら出したがらなかったのです。
こうして14世紀、15世紀、そして17世紀に至るまで、最も強大で多額の借金を抱えたフランスやスペインの王たちは、立て続けに破産(債務不履行)を繰り返しました。
これは銀行家階級にとっても深刻な問題でした。彼らは「王領地の収入を超え、議会の承認を得ずとも王たちが借金を返済できる手段を作り出さねばならない」と考えました。
当時、12世紀から17世紀にかけて国王が議会の承認なしに課税できるものが唯一存在しました。それが「対外貿易の独占権」です。
そこで銀行家たちはイングランドなどの諸国に出向き、こう持ちかけました。「かつてウィリアムの家系が代々領有していた係争地をめぐり、フランスと何度でも戦うための債務返済資金は調達できますよ。イングランドの主幹輸出品である羊毛に独占権を設定すればよいのです」と。この羊毛は、フランドル地方(現在のオランダ・ベルギー)で綿織物(毛織物)に加工され、さらにイタリアへ送られて高級織物に仕立てられ、イングランドやヨーロッパ各地の富裕な貴族たちによって買い取られていました。そこには資金と商品の循環構造が存在していたのです。

銀行家たちは、それまで存在しなかった政府のための「財政政策」を創出する手助けをしました。彼らこそが近代的な税制と、それに不可欠な法体系や官僚機構を整えた張本人でした。
しかし、フランスやスペインのような大国では王権があまりに専制暴走していたため、銀行家たちはこの仕組みをうまく定着させられませんでした。そのため、主にイタリア人の国際銀行家たちは難題に直面しました。「戦争費用の増大を賄うため、諸王国がさらに多くの将来所得を担保に差し出せるようにするにはどうすればよいか? さもなくば、王たちは破産してしまう」。現に14世紀にはイングランドのエドワード3世が破産し、バルディ家やペルッツィ家といった名門銀行を破滅に追い込みました。その後の国王たちも、ヨーロッパの主要銀行に対する債務不履行を繰り返したのです。



 23. 都市コミューンという解決モデル


ヨーロッパ諸国の政治構造をいかに再編すべきか模索する中で、銀行家たちは一つのモデルを見出しました。フィレンツェやジェノヴァをはじめとする、自治都市(コミューン)の存在です。これらの都市では市民が集い、自治と独立を買い取るために自領の君主たちへ金を貸し付けていました。

コミューンは指導者を公選していましたが、彼らには君主たちには決してできなかった芸当が可能でした。都市の指導者たちは、債務返済のために「市民全員の富」を債権者への担保として差し出すことができたのです。史上初めて、社会全体に対して包括的な課税を課すことが可能になりました。選挙によって選ばれた議会そのものがコミュニティであり政府であったため、彼らは都市債、すなわち他都市からの侵略を防ぐための軍事債務を返済するために、政府と国家全体に責任を負わせることができたのです。
17世紀末に何が起きたかは想像に難くありません。この仕組みによってオランダやベルギーの都市国家群が結束してオランダという国家を形成し、国家全体の国民所得を担保に差し出すことで、銀行家階級に対してはるかに「リスクの低い担保」、すなわち「全市民の富」を融資の裏付けとして提供できるようになったのです。
この流れは、1688年のイングランド名誉革命を経てさらに決定的となりました。オランダから新国王(ウィリアム3世)を迎え、ホイッグ党主導の議会が成立したことで、経済史家が「財政国家」と呼ぶ体制が確立されたのです。
そもそも「国家」とは何でしょうか? 私たちはそれを「政治」や「政治闘争の場」と考えがちです。しかし、17世紀末以降に作られた近代国家とは、実質的に「国際銀行家階級のために税金を徴収するための装置」として産み落とされたものでした。銀行家たちはこれら新興国家と手を組み、可能な限り富を吸い上げる税制を整え、独占権を創出して売り払い、公有財産を次々と民営化していきました。

これこそが「民営化」の端緒であり、「経済の金融化」の始まりでした。銀行家たちがヨーロッパ各国の自治政府・中央政府を牛耳り、金融部門の支配下に置いたことの副産物です。そして今日私たちが知る「近代国家」を形作ったのは、まさにこの17世紀末から18世紀初頭の動きだったのです。
しかし、既存の金融史の文献をいくらめくってみても、こうした経緯はほとんど書かれていません。金融史のほぼすべてが、政治的なマクロ経済的アプローチではなく、ミクロ経済的なアプローチをとっているからです。



 第3章:教会神学の転換と「利子」の正当化


 31. カトリック教会はいかにして「利子」を発明したか


ローマ教会は、キリスト教が長年掲げてきた「高利貸し(利息徴収)の禁止」を反転させ、金貸し、とりわけ「戦争融資」をなんとしても正当化しなければなりませんでした。
その任務を担ったのが、13世紀のスコラ学者たち、すなわちローマ・カトリック教会の知識人階級でした。彼らは高利貸し(usury)と明確に区別された、「利子(interest)」という新たな概念・用語を生み出したのです。
古代のいかなる社会も、過去のいかなる文明も、利子と高利貸しを呼び分ける言葉など持っていませんでした。しかしスコラ学者たちはこう詭弁を弄しました。「高利貸し(usury)とは異なり、許容される『利子(interest)』というものが存在する。我々は高利貸しを正当化するつもりはない。だが、利子とは交易を成立させるために必要なものだ。商人は交易のために信用(クレジット)を提供せねばならない。あるいは農地の耕作者や領主、富裕な公爵であれば、収穫を上げるための融資が必要であり、収穫期にまとめて返済される。商業信用も必要だ。これらはすべて不可欠なものなのだ」と。



 32. 「利子」を正当化する論理の抜け穴


そこでスコラ学者たちは、「では、何が正当(公正)なのか?」と問いを立てました。彼らの理屈はこうです。「例えば、貸し手には人並みの生活を送るに足る収入を得る権利がある」。なるほど、これは分かりやすい。そして、貸し手である商人――当時の銀行家のほぼ全員が外国貿易商として財を成していました――に対して、教会はこう定めたのです。「高利(usury)を取ることは禁じるが、為替手数料(アージオ/aggio)を徴収することは認める」と。そのため、商人が合法的に儲ける手段の多くは外国為替・外国貿易にあり、彼らは「利子」や「高利」と呼ぶ代わりに「為替差金・手数料」を徴収しました。
こうした論理を足がかりに、教会の知識人たちはさらに理屈を広げていきました。「貸し手が借り手に金を貸し、その金を自らの商業取引に使えなくなった場合、その貸し手は利益を上げる機会を失うことになる。現代の経済学者が『機会費用』と呼ぶ概念である。もしその機会を犠牲にしているのなら、自分のために利益を生み出す資金を使えなかった期間に対する補償(損害賠償)を受け取る権利がある」。これも認められました。
「では、債務者が期限通りに返済しなかった場合はどうなるか? 当然、延滞金(遅延損害金)が発生する。だから債務者は延滞金を支払わねばならない」。

当時の融資契約の現存資料を調べてみると、平均的な利息(名目上の負担)は22%でした。そして延滞金もまた22%だったのです。今日のクレジットカードのように、1年ほどの借入に対して遅延した日数分だけ請求されると思うかもしれません。しかし、イタリアの銀行家たちが作成した実際の文書(イングランドに残る契約書など)によれば、「期日を1〜2ヶ月過ぎて返済されなかった場合、追加の22%が丸ごと上乗せされる」というものでした。つまり、実質44%の金利になる計算です。
実務上は、「延滞金を取ってもよい」「外国貿易で得られたはずの逸失利益を回収してもよい」といったあらゆる抜け穴が用意されていました。これらはすべて抽象的な理論レベルで正当化された抜け穴であり、教会側がそれを「高利貸しの抜け穴」として認めることは決してありませんでした。



 33. 生産的信用の欺瞞と「戦争融資」の本質


最も重要な点は、聖職者たちが前提としていた基準が「外国貿易を実際に成立させるための生産的な融資」だったということです。各国にとって外国貿易は必要不可欠であり、一見するとそれ自体は正当化できるように思えました。
しかし、国際銀行家階級が莫大な利益を上げていた源泉は、決してそんな貿易融資などではありませんでした。銀行家階級の屋太骨は「戦争融資」だったのです。

聖職者たちは一度たりとも「戦争融資は非生産的だ」とは口にしませんでした。生産的な融資と非生産的な融資、あるいは信用の生産的利用と非生産的利用の区別をつけようとはしなかったのです。彼らは見て見ぬふりをしたか、あるいは視野狭窄に陥り、貿易信用ばかりを議論の俎上に載せることで、国際・国内を問わずあらゆる商人が利息を取れるようにしました。
これが実質的な高利貸しの正当化となり、銀行が発達していきました。銀行は預金者に対して例えば年利5%ほどを支払い、その預金を集めて、互いに戦争を繰り広げる国家・君主に年利22%や44%といった法外な利息で貸し付けたのです。



 34. 反転した社会階層:最上層の債務者たち


教会はこの事態をどう処理したのでしょうか。
何千年もの間、債権者(金貸し)という階級は社会的に軽蔑されてきました。古代ギリシャやローマといった寡頭制が発達した古典古代においてすら、金を貸すことは社会的に美徳とはされず、高貴な身分の者が行う行為とはみなされていませんでした。金を貸すことは「搾取」であり、債務者を困窮に陥れる行為だと考えられていたからです。そのため、支配層(オリガルヒ)は金貸しで利益を得ていたものの、実際の汚い仕事は奴隷や解放奴隷、あるいはアテネやローマに居住する外国人居留民(メトイコイなど)にやらせていました。

しかし中世において銀行業が爆発的な台頭を遂げた際、過去のあらゆる時代と決定的に異なっていたのは、「最大の債務者たちが社会ピラミッドの頂点にいた」という点です。最大の債務者とは「国王」であり、「教会」そのものだったのです。
彼らが借金をしていた目的は、教会が祝福した戦争――すなわち、教会の命令に従わず、独自の司教を任命してペテロの免罪銭や救貧献金、地代を吸い上げ、ローマへ送金せずに国内で消費しようとする諸侯たちと戦うための戦争――を遂行することでした。彼らが戦費として金を使う限り、それは「正しい目的」とみなされたのです。
その結果、戦争融資を専門とする債権者階級は、借り手である国王や教会と並んで社会ピラミッドの頂点へと駆け上がりました。銀行家、国王、教会がそろって最高の社会的地位を占めることになったのです。
やがて彼らの間には婚姻関係が結ばれ、血筋の融合が進みました。そして屈指の大富豪銀行家であったメディチ家から教皇レオ10世が誕生するに至ります。1515年、レオ10世はついに高利貸しに対して最終的な「公認の墨付き」を与えました。
彼はこう説いたのです。「ヨーロッパの国王たちへの融資は銀行によって資金が賄われており、銀行は預金者に利息を支払っている。では、預金者たちは罪人なのだろうか? いや、決してそうではない。モンテ・ディ・ピエタ(慈恵質庫/公益質屋)を見よ。彼らは小口金融機関(質屋銀行)の集まりであり、預金者に適正な利息を支払い、高利貸しが要求するような22%前後の法外な利息よりもはるかに低い金利で貧民に金を貸し出しているではないか」と。



 35. 近代財政国家と金融法の完成


「したがって、我々はこのような社会的・キリスト教的な慈善事業の邪魔をしたくはない。だから当然、銀行が預金者に利息を支払うことを認めざるを得ない」――このようにしてレオ10世は、商人や銀行家たちが自由に選んでいた利息とともに、銀行利子を正当化しました。
これによって、高利貸しを容認し、利息を取らない者をかえって異端視・敵視するキリスト教神学の書き換えが事実上完成したのです。後にプロテスタントとなる諸国も瞬く間にこの仕組みを取り入れ、ローマ教会と同様に受け入れました。
こうして、財政国家における融資や信用の法的枠組みが全面的に再構築されました。そして、貸付のルール、貸付に関する法律、貸付の社会的地位といったこのシステムこそが、西欧社会全体の性格を根本から変容させたのです。
これは極めて重大な論点でありながら、ヨーロッパ全土、さらには国境を越えてあらゆる領邦や王国にまたがる汎ヨーロッパ的な統治システム(普遍的な経済組織手段)を構築するにあたって、「銀行がどのような政治戦略をとったのか」という政治史を書こうとした者は、これまで実質的に誰もいませんでした。そして、これらすべては17世紀末までに完成していたのです。

さて、私の話を聞いていて、あることにお気づきかもしれません。ここまでの話には「ユダヤ人」が一切登場していないという点です。



 第4章:ユダヤ人商人の真の実態と教会の不寛容


 41. イングランドへのユダヤ人商人の導入


ユダヤ人商人がイングランドに招かれたのは、彼らが外国語を話し、他国に同胞の商人仲間や親族ネットワークを持っていたからです。彼らは貿易商であり、イングランドや南イタリア、シチリアなどが必要としていた対外貿易取引をどのように組織化すべきかを知っていました。なぜなら、ノルマン人の侵略者たちはビジネスマンではなく、単なる略奪者であり、いわば「ナックルウォーク(拳で歩く野蛮人)」同然だったからです。
そのため支配層は、収穫物を流通させる資金を必要とする現地の小作農や、取引資金を必要とする現地の商人に対して、基本的な信用供与を担ってくれる国際感覚豊かな集団を必要としました。それは基本的に、大半が小口の融資でした。

過去数十年の学者たちがイングランド各都市の納税記録を精査した結果、ユダヤ人家庭の富と所得の分布(釣鐘型曲線/正規分布)は、住民全体の分布とほぼ同じであったことが判明しています。ごく一握りの大富豪のユダヤ人商人・銀行家がいた一方で、同等に大富豪のキリスト教徒の商人・銀行家も存在していました。
そして当時、ユダヤ人と並んでキリスト教徒の金貸しも常に活動していました。教会は「キリスト教徒の金貸しはユダヤ人よりも高い金利を要求している」、あるいはもっと端的に言えば「ユダヤ人はキリスト教徒よりも低利で信用を提供している」と不平を漏らし続けたほどです。これこそが、彼らがイングランドから追放された理由の一つでもありました。
征服王ウィリアムがユダヤ人をイングランドへ連れてきた際、彼らには土地の所有が認められず、都市部に居住することが義務付けられました。同様の規制はフランスや他国でも課されていました。彼らは実質的に「国王の農奴(直属民)」とみなされ、王の代理人として機能していたのです。
もしユダヤ人の貸し手が、土地や資産を持つ国内の地主へ金を貸し、担保権を行使(差押え)しようとした場合どうなるでしょうか。ユダヤ人は土地を所有できないため、王が代わりに買い取ってその土地の支配権を握る権利を持っていました。
そのため、「ユダヤ人の役割は国民を借金漬けにすることであり、その富は最終的に王へ渡って、我々に対する課税権を含めた王権を強めるだけだ。我々はこれほど強大な権力を持たない、もっと弱い王を望んでいる。王が権力を強め、そのためにユダヤ人を利用することなど望まない」という反ユダヤ主義の波が巻き起こったのです。

13世紀末になると、王たちはもはやユダヤ人から金を借りるのではなく、彼らに重税を課すようになりました。そして最終的には、課税する代わりにユダヤ人の富を丸ごと没収・略奪したのです。まずイングランドで、次いでフランスのフィリップ4世のもとで実行されました。
彼らはユダヤ人の富を没収した上で、「ユダヤ人はもはや貸し出す金を持っていないのだから何の役にも立たない。必要ない」と言い放ちました。彼らが追放されたのは「高利貸しだったから」ではなく、「もはや高利貸しとしての債権者機能を果たせなくなったから」でした。
追放された彼らは、キリスト教的銀行業のその後の発展において、ほぼ何の役割も果たしていません。



 42. カトリック教会の不寛容と「普遍性」の欺瞞


大衆の通俗的な認識をはじめ、多くの金融史が「中世において、銀行業はユダヤ人商人の小口金融や商業融資によって財を成したことから発展した」と焦点を当てる見方は、キリスト教徒による銀行業と富の圧倒的な拡大、そしてそれが反ユダヤ主義といかに一体となって進んだかという事実を完全に見落としています。
カトリック教会内部においてすら、歴代教皇はユダヤ人を敵視し、こう主張しました。「ローマ教会がコンスタンティノープルや他のあらゆるキリスト教会に対して唯一の支配権を握るべきであるのと同様に、キリスト教会は全社会に対して唯一の法・秩序を敷かねばならない」と。

当時、ユダヤ人には独自の裁判所(法廷)が認められていました。貿易や商業活動を円滑に行わせるために特権として与えられていたものですが、教会は「万物を統べる普遍的な単一の法、単一の裁判所、単一のシステムが存在すべきだ」と主張したのです。
ローマのキリスト教徒たちは自らを「普遍的(カトリック)教会」と繰り返し呼び続けました。しかし彼らが言う「普遍(ユニバーサル)」とは、東方正教をはじめとする「残り80%の他のキリスト教徒はすべて我らの敵であり、征服すべき対象である」という意味にほかならなかったのです。それこそが、彼らの掲げた「普遍性」の実態でした。



 43. 帝国教皇権の独善性と国家の変容


それはまさに侵略的な「帝国教皇権」でした。この支配への渇望、他宗教に対する不寛容さは、ローマ教会において特異な発達を遂げました。そして私は著書の中で、これがいかに初期の5世紀や6世紀にまで遡るものかを説明しています。
根底にあったのは徹頭徹尾「不寛容」の精神構造(メンタリティ)であり、それが支配欲を生み、ひいては教会をして法典、官僚組織、銀行業、通商、貿易独占権、財産所有権といった普遍的な体制を築き上げさせました。そしてそれが近代国家を形作っていったのです。

キリスト教的理想主義(それ自体が帝国主義的なものでしたが)として始まったものが、いかにして金融家階級による支配の手段へと変貌を遂げ、国際銀行家階級の徴税代理人として機能する「財政主体としての国家」へと再編されていったのか――これらすべての動機や歴史的経緯は、従来の歴史研究では完全に等閑視されてきました。



(聞き手)「5分以上の長話にするつもりはなかったのですが……以前お話ししたときにも申し上げましたが、あなたの長大で詳細な即興の講義にはいつも驚嘆させられます。今日も期待を裏切りませんね。ところで、話を聞いていて特に際立っていた点として、銀行家一族・王家・教会の結びつきを象徴する教皇レオ10世が、あの悪名高い『免罪符(贖宥状)』の張本人でもあったというのは皮肉な話ですね」


 第5章:免罪符の誕生と「負債から罪へ」の神学的すり替え


 51. サン・ピエトロ大聖堂の再建と資金調達


(マイケル・ハドソン)「その通りです。レオ10世の生家(メディチ家)はフィレンツェ貴族の頂点に君臨しており、彼は芸術の庇護者、慈善家たらんとしていました。彼が切望したのは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の再建でした。
これはルネサンス期における最大の芸術的試みでした。ミケランジェロが聖堂再建の設計を手掛け、ラファエロをはじめとする名だたる巨匠たちが設計や絵画制作に関わりました。それは当時のフィレンツェが生み出した最大の芸術的創造でした(ブルネレスキをはじめとする他の偉大な建築家たちを軽視するわけではありませんが)。
少々失礼……そこで浮上したのが、1515年に利子請求と銀行業務の正当化を成し遂げたばかりのレオ10世が、『この巨額の費用をいかにして賄うのか?』という問題でした。
教会は十字軍の時代に『免罪符の販売』を編み出していました。ここで私は、聖アウグスティヌスについて触れねばなりません。



 52. 「負債」と「罪」のすり替え:聖アウグスティヌスの影響


レオ10世の時代はおろか、すでにアウグスティヌスの時代において、キリスト教会はイエスが主張していた『債務免除(借金の帳消し)』という理念のすべてと事実上戦い始めていました。『憎んでいた』とまでは言いませんが、敵対していたのです。

特に教会を困惑させ、資金調達の妨げとなったのが、イエスの山上の垂訓にある『主の祈り』の一節――『我らに負債ある者を我らが赦すごとく、我らの負債をも赦したまえ(われらの罪をゆるしたまえ)』でした。
教会は、言語の換喩(メトニミー)や意味の曖昧さを利用しました。原初において、『負債(借金)』を表す言葉は『罪(過ち)』を表す言葉と同じだったのです。
その理由は古代の慣習に遡ります。紀元1〜2世紀、あるいはそれ以前、数千年前のバビロニアや近東の初期共同体において、誰かを傷つけた場合――腕を折ったり、目を潰したり、あるいは侮辱として口髭や顎髭を剃り落としたり、嘲笑したりした場合――それは傷害とみなされました。
社会は選択を迫られました。『ある男が他人の目を潰したとき、血みどろの復讐劇(私闘)をどう防ぐか? 被害者の一族と加害者の一族が、アメリカのハットフィールド家とマッコイ家のような抗争に陥るのをどう食い止めるか?』と。
その解決策が『賠償金(罰金)』を支払うことでした。そしてこの賠償金のことを『負債(debt)』と呼んだのです。
賠償金を支払って平和を回復することで、『我々は傷害に対する損害賠償を済ませた。あなたに対する負債を清算したのだから、我々の一族の目を潰す必要はない。ここに金がある』と告げたわけです。中世ヨーロッパには、あらゆる違反や傷害ごとに支払うべき詳細な賠償金価格表が存在していました。

このように、社会に対する侵害である『罪(違反行為)』に対する支払いが『負債』と呼ばれ、同一の言葉として使われるようになったのです。
イエスの説教を振り返ると、彼の大いなる目的は、以前の対談でも触れたように『債務免除』と『ヨベルの年(解放の年)』の理念にありました。イエスは最初の説教で、『ヨベルの年を復活させ、負債の免除をもたらすために来た』と宣言しています。そしてイエスの言葉を記したアラム語原典のギリシャ語訳において、用いられた単語は道徳的な『罪』などではなく、極めて明白に『金銭的な負債』を指していました。
問題は、4世紀から5世紀にかけての展開です。ローマ帝国はキリスト教を国教として取り込みましたが、その過程で教義を徹底的に変質させてしまいました。
ローマ帝国の支配階層とは、債権者であり、大土地所有者であり、富裕層でした。彼らは『債権者』であって『債務者』ではなかったのです。彼らが最も嫌悪したのが、『自分たちの貸付金を免除・帳消しにすること』でした。
そこに登場したのが、北アフリカ・ヒッポの司教であった聖アウグスティヌスでした。そして当時の北アフリカには、ある深刻な問題が持ち上がっていたのです」



 53. ドナトゥス派の蜂起とアウグスティヌスによる神学の転換


現地のキリスト教徒たちは、初期キリスト教の伝統を頑なに守る司祭団の信奉者たちであり、「ドナトゥス派」と呼ばれていました。このドナトゥス派には武闘派(シルクムケリオネス/周遊団)が存在し、債権者たちを脅迫して回っていました。「我々の仲間に高利(利息)を取り立てようとするなら、お前の屋敷を焼き払ってやる」と迫り、激しい暴力行為が横行していたのです。
そこで登場したのが聖アウグスティヌスでした。彼はこう言いました。「イエスが真に意図したことは、彼が語った言葉通りではない」と。つまり、イエスが生涯をかけて戦った理念とは正反対の解釈を打ち立てたのです。「イエスが語った真の意味とは、人間はみな罪人であるということだ。我々はアダムから受け継いだ生まれながらの『原罪』を背負っている」と。
この罪ゆえに、私たちは全員が賠償責任(負債)を負っており、罪からの贖い(救済)を求めているという理屈です。では、どのようにして贖いを得るのか?
当時、キリスト教会内部で激しい論争が起きていました。ブリテン出身(おそらくウェールズ系)の神学者ペラギウスは、「自らを贖う道は『善行』にある。仮に金貸しで富を得たとしても、それを慈善事業に施せば救済を得られる」と説きました。しかしアウグスティヌスはこう反論したのです。「いや、違う。救済は教会を通じてしか得られない。金は教会へ差し出さねばならないのだ。そうすれば教会があなた方を贖ってやろう」と。

こうして5世紀までには、新たなローマ教会の信徒たちが、臨終の床にある人々に終油の秘跡(臨終の典礼)を授ける前に『主の祈り』の「我らの負債(罪)を赦したまえ」という一節を唱え、「全財産を教会に寄進すれば贖いを与えましょう」と持ちかけるようになりました。教会聖職者がこれを強要したとして、遺族から数多くの訴訟が起こされたほどです。
しかし、『主の祈り』における「我らの罪/過ち/負債を赦したまえ」という概念全体が、「金銭的な負債を帳消しにするはずがない。我らを害する者を赦すがごとく、我らの過ち、罪、不法を赦したまえという意味だ」とすり替えられていきました。教会はこの解釈を利用して、「ローマ教会だけが罪の贖いを提供できるのであり、それには金がかかる」という集金システムへと作り変えたのです。



 54. 十字軍の資金調達と免罪符の誕生


この仕組みは、十字軍遠征において極めて好都合に作用しました。前述の通り第1回十字軍が事実上の大惨事に終わった後、第2回十字軍が組織された際、その推進派や主導者たちはこう持ちかけました。
「聖地を奪還して魂の救済を得たいという熱意が冷めているのは分かっている。長旅になるし、自らの装備を整え、甲冑を運ぶ従卒を連れ、道中で飲み食いするために借金までしなければならず、莫大な金がかかるからだ。だが、剣(彼らは剣ではなく『十字架』と呼んだのでしょうが)を取って十字軍に参加する騎士には、『債務の免除』を与えよう。遠征に参加している間、債権者があなたの家族や所領、親族に手出しすることは許されない」と。

こうして借金を帳消しにしてもらえるとあって、多くの騎士が遠征に志願しました。
しかし、教会の聖職者たちはここにさらなる奇策(抜け穴)を講じました。中世には長年定着していた慣習がありました。騎士が国王への軍務を命じられた際、自ら出陣する代わりに「替え玉(身代わりの傭兵)」を雇って戦わせることが認められていたのです。アメリカの南北戦争で徴兵された兵士が金を払って身代わりを立てられたのと同様に、イングランドやヨーロッパの騎士たちも身代わりを雇うことができました。
そこで聖職者たちはこう提案したのです。「現金を納付する形で教会と交渉してもよい。あなたが身代わりを雇えるかどうかは分からないが、相応の金額を納めれば、実際に十字軍へ赴いてすべての罪が贖われたのと同じだけの『免罪(贖宥)』を授けよう」と。
こうして、免罪符(贖宥状)の販売は実質的に「第2回十字軍の資金調達手段」として産声を上げ、その後も引き継がれていきました。



 55. レオ10世による免罪符乱売と宗教改革


16世紀初頭、教皇レオ10世がほくそ笑んだ心情は想像に難くありません。「十字軍は1291年にとうに終わってしまったが、人々は依然として罪人のままだ。全員がアダムから受け継いだ原罪を背負っている」と考えたからです。

(ちなみに、アウグスティヌスはペラギウス派を教会から徹底的に追放しました。激しい神学闘争の末、「ただ真っ当で善良な人生を送れば救われる」と主張した教養ある北方人に対し、アウグスティヌスが勝利を収めたのです。教会は「そうではない。教会に金を差し出すことによってのみ真の生が得られるのだ」と主張しました。聖職者たちは「我々は貧者を助けているのだから、我々自身が貧者そのものである。ゆえに教会へ金を施すことは、貧民への施しと同義なのだ」と言い張りました。アウグスティヌスの伝記作家ピーター・ブラウンはこの経緯を詳細に論じており、今や歴史的事実として広く認められています。)
レオ10世が着目したのは、「免罪符は今でも売れる」ということでした。彼はヨーロッパで最も文明化され、最も進歩的であったドイツから集金することを目論みました。そして教会の使節をドイツへ派遣し、文字通り免罪符を売り捌かせたのです。これが、私が学生時代に教わったいわゆる「天国へのカトリック的パスポート」の正体でした。
こうして免罪符は売買されました。当然ながらこれは、キリスト教神学の根幹をなす「人類が引き継いだアダムの原罪」という教義に対する著しい矮小化であり、世俗化でした。元凶であるはずの「債権者による債務者への略奪的貸付」から目をそらし、全人類が生まれながらに罪を背負っているとすり替えた挙句、それを金で売り買いし始めたのです。
そして、これに対して真っ向から異を唱え、先頭に立って反旗を翻したのがマルティン・ルターでした。彼は「これは完全な腐敗だ。教会は堕落し切っている。彼らは神学を売り飛ばし、魂の救済を金で売り物にしている」と指弾したのです。



 56. 宗教改革への波及


(マイケル・ハドソン)「要するに教会は、単なる『集金官僚機構』へと成り下がっていたのです。ルターの抗議はスイスからドイツ全土、そして北欧諸国へと波及し、周知の通り、プロテスタントの宗教改革へと発展しました。彼らは『ローマ教会は絶望的なまでに腐敗しており、金のことしか頭にない。我々はキリスト教本来の精神を復興させねばならない』と主張して教会から離脱したのです。
もっとも、彼らが唱えたものもキリスト教本来の精神ではありませんでした。本来の精神とは『債務の免除』であり、階級闘争ではなく『貧者への救済』にあったからです。
いずれにせよ、サン・ピエトロ大聖堂の再建資金を欲したレオ10世の要求が契機となりました。もちろん、彼が大聖堂を再建してくれたこと自体は喜ばしいことです。非常に美しい建築ですからね。私自身、大学時代にミケランジェロの壁画などを鑑賞して『実に見事なものだ』と感銘を受けたのを覚えています。しかしそれは、教会をカトリックとプロテスタントに分裂させるほど教会の金銭的取引を腐敗させた代償として成し遂げられたものだったのです」

「またしても質問に対して長話になってしまいましたね」


 第6章:金融史の盲点と国際債権者による国家支配


 61. 政治史における経済の軽視


(聞き手)「いえ、今回も実に興味深いお話でした。少し視野を広げた質問をさせてください。対談の冒頭で、あなたは私の言葉を正し、『金融史を書き換えているのではなく、その空白を埋めているのだ』とおっしゃいましたね。
そして私の理解が正しければ、これまで大きな空白が放置されてきた理由の一つは、過去の金融史家や経済学者たちが、こうした大規模な政治的・マクロ経済的な地殻変動よりも『ミクロ経済学』ばかりに焦点を当ててきたからだ、ということでした。
国際的な銀行業や負債の夜明け、そして十字軍の役割において、ローマ・カトリック教会が果たした役割を見落としていたというのは、極めて決定的な失策のように思えます。これほど重要なテーマがこれまで顧みられなかった背景には、他にも理由があるのでしょうか? それとも、なぜこれほど軽視されてきたのか、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?」





 62. 学問の蛸壺化と失われた包括的視点


(マイケル・ハドソン)「もう一つの理由は、人々が経済学というものを『社会の他の領域から切り離された独立したもの』として捉えがちだからだと思います。
少なくとも19世紀には『政治経済学(経済学の旧称)』と呼ばれ、政治との関わりも視野に入れられていました。しかし、経済学であれ社会学であれ、あるいは歴史学であれ、あらゆる学問に欠けているのは、『ヨーロッパ経済を一つの統合された経済システムとして捉える全体的な視点』なのです。
ヨーロッパを包括的な経済システムとして眺めれば――そもそもそれは統合された一つのシステムなのですが――最初の統合をもたらしたのが『教会の官僚組織』であったことに気づきます。そしてその教会官僚組織が資金調達を必要としたことで『銀行家階級』が生み出され、それが新たな社会の組織化原理となったのです。
ところが、経済史家たちは商人や対外貿易以上のことには口をつぐみます。『当時の貸付ルールはこうだった』『イングランドの公的債務はこれだけで、デフォルト(債務不履行)の推移はこうだった』『債務対所得比率はこうだった』といった具合に、すべてを極めて技術的・専門的な計量データとして処理してしまうのです。政治的な力学を完全に捨象してしまっています。その一方で、歴史家たちの側は経済的な力学をまるごと切り捨てています。

これと似た話を、以前の対談でもした記憶があります。私が青銅器時代近東のシュメールやバビロニアについて研究していたときのことです。楔形文字学者(アッシリア学者)たちは手元にある膨大な出土記録を分析していましたが、その資料の9割は『債務(借金)に関する記録』でした。しかし彼らは経済学者ではなかったため、経済学者を議論に巻き込みたがりませんでした。経済学者の側も、青銅器時代の実態とはかけ離れた近代的な世界観に基づいた、独自のイデオロギー的アジェンダを持ち込んでいたからです。
中世史の研究者たちもまったく同じ構図です。彼らは経済的な詳細を経済学者に丸投げします。『誰が何を所有していたか』という納税記録や、『誰が誰にいくら借りていたか』という借用記録を精査するのは、専門分化された別個の領域だからです。
彼らは『王たちが破産し、いくつかの銀行家一族を巻き添えに倒産させた』という話はします。破産があったことは分かっていますし、やがてイングランド銀行が創設された経緯も知られています。債務を梃子にして銀行業が発展したことも、誰が何を所有していたかも追跡できます。大債権者が誰だったのかも記録に残っています。イングランドのキリスト教徒の大債権者たちの記録もありますし、大富豪となった個々の商人たちの素性も判明しています。神聖ローマ皇帝やローマ教皇の座に就こうとする野心家たちに資金を貸し付けたフッガー家についての研究も数多く存在します。政治的・宗教的な地位がことごとく金で売りに出され、人々がそれを手に入れるために借金を重ねた実態も分かっています。

こうした個別具体的な事実は出揃っているにもかかわらず、それらを一つの包括的な『システム』として組み立て直した人間は誰一人としていませんでした。中世の債務を研究するといえば、『返済不能に陥り、デフォルトを繰り返した借金の事例研究』止まりだったのです。
国際銀行家たちが互いに手を組み、いかにして『国家(政府)の支配権を奪い取るシステム』を作り上げていったのか――その視点からの構造的な分析は全くなされてきませんでした。



 63. 19世紀の独立国と国際債権者による支配


19世紀に入ると、この構図は極めて露骨な形で現れます。次々と新しい独立国が誕生しました。ハイチはフランスから独立を買い取りました。メキシコも独立を買い取って主権を打ち立てました。ギリシャはオスマン帝国から独立するために多額の借金を重ねました。北アフリカではエジプトが自立して対外借款を導入し、チュニジアも借金を抱えました。

ところが、これらの国々は融資を受けるや否や、軒並みたちまちデフォルトに陥ったのです。
銀行家たちにとって、これは『新興独立国へのハイリスク・ハイリターンの投機融資』という、手つかずの巨大なニッチ市場でした。では、債権者たちはどう対処したでしょうか? ギリシャ、チュニジア、エジプト、ハイチなどが債務不履行に陥った後、どの国でもまったく同じ事態が引き起こされました。



 64. 国際債権者による国家統治と「元祖IMF」


それは、政府によって名目上任命されつつも、統治機構そのものと税制の支配権を奪取する「小型版の国際通貨基金(IMF)」のようなものでした。通貨当局を隠れ蓑にして、彼らはこう通告したのです。「さて、政府は債務不履行に陥った。これより我々が政府を掌握する。誰を政治的管理者(閣僚や官僚)に据えるか、何のために統治し、何のために課税するかは我々が決める」と。

17世紀から19世紀にかけて確立された最優先事項は、何をおいても「外国の債権者への返済」でした。その優先順位は、自国経済の発展のために国内投資を行うことよりも常に上に置かれたのです。
そのため、文字通り主要債権国であったイギリスやフランスが主導し、しばしばドイツなどのヨーロッパ工業債権国が加わる形で、これらすべての債務国に「緊縮財政計画」が押し付けられました。ヨーロッパの工業国家群は自国の金融家階級を支援し、旧オスマン帝国領から世界中の債務国に至るまで、政治行政機構を丸ごと乗っ取っていったのです。
彼らは債務国の経済を牛耳るだけでなく、軍事政策やオスマン帝国、ロシア、他国に対する外交方針までも統制下に置きました。すべては自国の対外政策に資するためです。
ここには、国際債権者階級と、ヨーロッパの主要工業国(イギリス、フランス、ドイツなど)の政府との間に完全な共生関係が存在していました。後に「第三世界」、今日では「グローバル・サウス」と呼ばれる国々を管理・統制するための共生関係です。
外国債務の返済のために緊縮財政を強いるIMFの論理構造は、すべてこうした「財政国家」の歴史的枠組みを受け継いだものにすぎません。
国家というものを、「国民が投票を通じて自らの経済を発展させ、暮らしを豊かにし、生活水準を向上させるために機能する民主的な機関」だと信じているなら、それは実態を見誤っています。あらゆる国において、金融セクターは国際債権者階級の代理人として民主主義を無効化(オーバーライド)してきたのです。

私は著書の中で、19世紀の各国において、そしてアメリカにおいて「中央銀行」が創設されたことで、この現象がいかに進行したかを論じました。国々に対する債権者支配の最終的な到達点とは、「中央銀行(通貨当局)を政府から法的に切り離す(独立させる)こと」だったのです。



 65. 国家の中央計画機関としての「金融」


本質的に、17世紀以降のほぼすべての国において、金融(ファイナンス)こそが「中央計画機関」としての実権を握ってきました。
そしてこの中央計画機能が目指す唯一の目的は、複利によって指数関数的に膨れ上がる「外国債権者への債務」を返済することにあります。
その結果、民主主義国家の国民がインフラ整備や公的医療、教育の拡充などを求めて投票したとしても、税金の使途はそちらから強制的に逸らされてしまいます。そして政府は、かつてマーガレット・サッチャーやトニー・ブレアが実行したように、国営企業・公的資産を切り売り(民営化)し、その売却益で債権者に借金を返済するよう強いられるのです。
債権者が政府を動かしているのが現実です。

もちろん、政府が自らを飾る言葉の上では――学校で子どもたちが教わる教科書通りの建前では――「ここは民主主義国家であり、国民は自らの望むものに投票できる」とされています。しかし彼らは、「ただし、主に戦争のために積み上がった莫大な債務の支払いを国際債権者が取り立てた後、その『残りカス』の範囲内でのみ、望むものに投票できるのだ」とは決して教えません。
なぜなら今日の債務も、12世紀、13世紀、14世紀、15世紀、16世紀、そしてその後のあらゆる世紀と同様に、本質的には「戦争債務」だからです。公的債務(国債)とは、その出自において戦争債務にほかなりません。
今日では軍事的な戦争債務だけでなく、「階級闘争の債務」と呼べるものも含まれるとはいえ、本質はすべてこの債務返済(利払い)にあります。
政治学者たちが国家を論じるにあたって、「民主主義政府とは、税制において、あるいは税金を何のために徴収し、政府が何に金を使うかという決定において、国際銀行家への返済を『最優先事項』に位置づける要求を呑んだ政府のことである」などと語り始めることは決してないでしょう。「最優先事項は、我々国際銀行家への支払いです」と。
「政府は民主主義であり、誰もが投票に行ける」という耳当たりの良い理念のどこに、この冷徹な現実が当てはまるというのでしょうか。
マーク・トウェインがかつて看破した通りです――「もし投票に本当に世の中を変える力があるのなら、奴らは決して我々に投票などさせないだろう」。



(聞き手)「マーク・トウェインのその警句は初耳でしたが、実に見事な皮肉ですね。
さて、この議論をさらに掘り下げる前に、いま共和党の予算案について言及されましたし、目の前に高名な経済学者であるあなたがいらっしゃるわけですから、その予算案について全体としてどのように見ているか、ぜひご意見を伺いたいのですが」


 第7章:現代の財政・社会保障政策と金融家階級の利害


 71. 貧者から奪い富裕者に与える予算案


(マイケル・ハドソン)「一言で言えば、『貧者から奪い、富裕者に与える』予算案です。上位1%の層に対する途妄もない規模の減税ですよ。
とりわけ最も悪質な優遇税制は、金融家階級に対するいわゆる『キャリード・インタレスト(成功報酬に対する優遇税制)』です。実態は単なる投機的利益にすぎません。株価のわずかな値動きを捉えてオプションを買い、0.75ポイント上がったところで売り抜ける――いわゆる『ブルドーザーの前で小銭を拾い集める』ような取引プログラムを走らせているとしましょう。生産活動とは何の関係もないこうした取引や、一切の非生産的な融資が、すべて『キャリード・インタレスト』として処理されるのです。
この言葉自体、本来は何の意味も成していません。人々を煙に巻き、思考停止に陥らせるために意図して使われている用語です。近頃の経済用語の多くがまさにその目的で作られているようにね。

つまり本質的に、この予算案は実体経済から金を吸い上げ、とりわけ公衆衛生から予算を奪い去るものなのです。



 72. 社会保障が抱える暗部:「人々が長生きしすぎている」


遡ること1978年、政府はある未来予測グループ(未来学者たちのチーム)を立ち上げ、『長寿化と新たなテクノロジーによって何が起きるか』についての報告書を作成させました。その際、社会保障制度と国家財政の将来予測に関する研究の執筆担当として雇われたのが私でした。
長寿化が進む中で彼らが見出した『問題』とは何だったか? それは、『人々がなかなか死なない』ということでした。
年金(社会保障)を支給するとして、当初の設計では65歳程度で寿命を迎える想定でした。賃金労働者として過酷な肉体労働に明け暮れてきた人々は、65歳にもなれば体力を使い果たしています。当時の基準で言えば、75歳まで生きられれば御の字でした。
しかし問題は、労働市場から引退した後に人々がすぐ死ななかったらどうなるのか、という点です。引退後にさらに10年、20年と生き続けたらどうなるのか? ましてや、私たちが推計した人間の自然な限界寿命――理論上は最大で125歳、現実的には120歳程度――まで生き延びたらどうなるのか?

高齢になっても健康を維持させるためには、社会保障給付費と医療費が天文学的に増大することになります。
これを知るや否や、金融家階級は即座にこう考えました。『どうすれば連中をもっと早く死なせることができるか?』と。『退職者たちに年金を払い続ける余裕などない。そんな金を出せば、我々の手元に入るはずの利益が減ってしまう。病気を治して連中を延命させ、我々の取り分であるはずの金を奪われ続けるような医療など認めるわけにはいかない』というわけです。



 73. アメリカの医療政策の暗黒面


これこそが、アメリカの保健医療政策がこれほどまでに歪んでいる元凶です。
例えば、アメリカ人男性の死因第1位は心疾患、第2位は前立腺がんです。ところが公的機関の指針では、70歳を過ぎた男性に対して前立腺がん検診(スクリーニング)をやめるよう勧告されています。70歳こそ前立腺がんが発症しやすくなる年齢であるにもかかわらず、です。70歳以上のリスクのある男性に検査を受けさせず、全米第2位の殺人病として放置しようとしているのです。
数週間前、この件についてあるブラジル人と話をしたのですが、彼が言うには『ブラジルでは法律によって、50歳以上の全員にPSA検査(前立腺特異抗原検査)が義務付けられている』とのことでした。

新型コロナウイルス(COVID19)対策にしても同様です。特にイーロン・マスクによる歳出削減などを通じて、下水サーベイランス(下水中のウイルス量検査)をはじめとするCOVIDや各種感染症の検査予算が軒並み削られました。その結果、アメリカにおける感染被害は世界最悪のレベルに達しました。世界各地で生活水準が向上している一方で、アメリカ人の生活水準は下がり続けています。
金融家階級、すなわち上位1%の連中が本音ではこう考えているからです。『現役時代には十分に賃金を払ってやったのだから、引退後はせいぜい5年か10年生きれば十分だ。それ以上生き長らえるのは我々の金を掠め取る行為だ』と。
これこそが、現在の共和党予算案の根底にある精神です。彼らは下位50%の層への実質課税を強化する一方で、金融家階級がさらに私腹を肥やせるよう、彼らに対する税金を劇的に引き下げています。
要するに、政治資金の大口提供者たちの意向に従っているだけなのです。最高裁判所による『シチズンズ・ユナイテッド判決』以来、アメリカの政治は完全に金で売り買いされるものとなりました。金融・保険・不動産(FIRE部門)の既得権益層は、自らが政治献金として投じた資金に見合う見返りを、今回の共和党法案によって手に入れたわけです。

もっとも、仮に民主党が政権を握っていたとしても、ほぼ瓜二つの法案を推し進めていたはずです。バラク・オバマが推進していたものと根底の思想は同じですからね。オバマは社会保障の民営化を画策し、医療制度を民営化して今日のオバマケア(医療保険制度改革)という搾取システムへと作り変えました。その結果、アメリカの医療費は世界のあらゆる公的医療制度と比較しても信じがたいほど高額になり、薬価は世界最高値であるにもかかわらず、医療成果としては最も非効率なものに成り下がっています。
この予算案を『茶番』と呼ばずして何と呼べばよいのか分かりません。マスクが『これは大惨事だ』と述べている言葉自体は正しいのでしょうが、彼自身が手がける無茶苦茶な削減策によって、その惨劇に油を注いでいる張本人の一人であることもまた事実です」





 74. 自然寿命「120歳説」の根拠


(聞き手)「本題からは少し外れる些細な疑問かもしれませんが、ぜひ伺いたいことがあります。先ほどおっしゃった『人間の自然な寿命』とは具体的に何を指しているのでしょうか? また、そんな高齢の人に私は一度も会ったことがないのですが、どのようにして120歳、あるいは125歳という数値を導き出したのですか?」



(マイケル・ハドソン)「その数値は、長寿や老化を専門とする生物学者たちから提供されたデータに基づいています。先日も、世界最高齢の女性が118歳で亡くなったという死亡記事が出ていましたね。
つまり科学者たちは、良好な健康状態を維持した場合に人間が理論上何歳まで生きられるのか、その生物学的限界を突き止めているということです」



 75. 統計的傾向と「120歳」の根拠


(聞き手)「なるほど、統計的な傾向の分析に基づいているのですね。118歳まで生きた人が実在するなら、それは外れ値(極端な例外)だとしても、四捨五入して『およそ120歳』と見積もるのは妥当だと言えますね。
さて、話を今回の対談の大きな本筋へと戻しましょう。ここまでの話で私にとって最も衝撃的だった論点は、『近代国家とは、国際銀行家階級のために税金を徴収する装置として発展してきた』という点です。
金融史や一般的な歴史にそれほど詳しくないリスナーや視聴者にとって、私たちがこれまで議論してきた内容は、現代に対してどのような関わり(現代的意義)があるのでしょうか? そして、現在の経済がなぜこのような姿になっているのかを理解しようとするとき、ここからどのような影響や示唆が見えてくるのでしょうか?」


 第8章:複利による負債の増大と主流派経済学の敗北


 81. 金融と民主主義の衝突


(マイケル・ハドソン)「私は歴史の『長期的な力学(超長期のダイナミクス)』を示そうとしているのです。歴史をこうした長期的な力学の一部として眺めれば、この先どこへ向かっているのかが見えてきます。
王室専制政治とは異なる『近代国家』の誕生以来、国家の本質がいかに形作られてきたかを理解すれば、財政政策を国際銀行家階級の手に委ねた近代『財政国家』の実態が浮き彫りになります。それは、『自らを治める民主主義』という耳当たりの良い自己像とは全く異なるものです。なぜなら国家は、究極的には外国の銀行家階級によって、すなわち実体経済の生産部門から切り離された『金融セクター』によって支配されているからです。
世間の大半の人々は『経済はどのように発展するか』を語る際、テクノロジーに着目します。『発明家が現れ、化学肥料や機械が開発され、労働者1人あたりの生産性やエネルギー消費量が増加することで、ますます生産的になる』といった具合です。彼らは歴史に対して『唯物論的アプローチ』をとっています。

しかし、この唯物論的アプローチは、 **負債(借金)と金融セクターの存在を完全に切り捨ててしまっている** のです。
私はかつてニューヨークのニュースクール大学院で国際貿易論を数年間教えていましたが、既存の貿易理論はすべて何に基づいていると思いますか? すべて『物々交換(バーター)』を前提にしているのです。『貨幣のベールを取り払おう。貨幣や価格のことはひとまず忘れ、労働生産性と物価指数で調整した賃金だけで物事を捉えよう。物々交換として考えよう』というわけです。
彼らは金融セクターを直視することに居心地の悪さ(後ろめたさ)を感じています。なぜなら、金融セクターを直視し、経済が金融セクターと共生関係にあることに気づいてしまえば――すなわち『負債の増加』であり、負債が増加するということは、その裏返しとして『債権者の貯蓄の増加』を意味することに気づいてしまえば、都合が悪いからです。
経済が借金漬けになればなるほど、債権者の貯蓄は指数関数的に加速度的に膨れ上がります。そして彼らは、17世紀までにそうなったように、社会で最も称賛され、高い社会的地位を誇る支配階級となっていくのです。
経済学者たちは『それは生産プロセスの一部ではない。単なる金融のプロセスだ』と片付けます。彼らの合言葉は『貨幣のベール(貨幣は実体経済を覆い隠す薄い布にすぎない)』です。『貨幣など見るから話がややこしくなるのだ』と。

しかし、 **貨幣とは負債そのもの** です。あなたのポケットに入っている紙幣は、厳密には政府の負債です。銀行口座にある預金も銀行の負債です。すべてはバランスシート(貸借対照表)で成り立っています。





 82. バビロニアの知恵と指数関数的負債の罠


負債の力学を抜きにして経済を語ることはできません。負債の力学とは『指数関数的な増大』です。これこそが複利の正体です。あらゆる利子率には『元金が倍増するまでの年数』が存在します。
しかし、現実の経済はそのような猛スピードでは成長しません。経済は頭打ちになる『S字カーブ(ロジスティック曲線)』を描いて成長するため、増え続ける債務の返済に追いつくことなど不可能なのです。
以前の対談でも触れましたが、古代バビロニア人は、現在の全米経済研究所(NBER)など足元にも及ばないほど数学的に洗練された景気循環の概念を持っていました。
現代の景気循環理論では、景気はサインカーブのように規則正しく上下するものとされています。『好況が訪れ、やがて後退期に入るが、自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)が働いて再び好況へと向かう。そこで過剰な負債などの不安定要素が蓄積して後退を招くが、再び自動安定化装置が働いて一定の周期を保ち続ける』という理論です。

しかし、バビロニア人たちはそれが誤りであることを知っていました。彼らの農耕・牧畜経済に関する数学的記録が残っていますが、例えば家畜の群れの増加などは、やがて頭打ちになる『S字カーブ』を描くことを彼らは把握していました。
当時の書記学校で生徒たちに教えていた経済数学の教材も現存しています。『借金が2倍になるには何年かかるか? 4倍になるには何年かかるか?』という問いです。答えは『5年で2倍、10年で4倍、15年で8倍……30年後には64倍に膨れ上がる』というものでした。
バビロニア人は、 **負債の増大ペース(すなわち債権者に対する返済請求権の増大)は、経済が返済できる能力をはるかに上回る** ことを熟知していたのです。
幸いにもバビロニアには、ミルトン・フリードマンのような学者も、反政府を掲げる新自由主義者も存在しませんでした。そのため、歴代の統治者たちはこう判断したのです。 『負債が無制限に膨れ上がるのを放置してはならない。第一に債務者が土地を失い、債務奴隷に転落してしまう。第二に債権者が土地と労働力を牛耳り、あまりに強大化して寡頭支配層(オリガルヒ)と化し、我々統治者を打倒して政府を乗っ取ってしまうからだ』と。

そしてまさにそれこそが、古典古代のギリシャやローマで現実に起きてしまったことでした。





 83. 天井知らずの負債と景気後退の深刻化


今日において全く同じ力学を見てみましょう。
第二次世界大戦以降のあらゆる景気循環は、所得や国富に対する負債の比率が、 **景気の波を追うごとに一段と高い水準からスタート** しています。経済構造はますます頭でっかち(トップヘビー)になっているのです。
経済の成長能力に対して負債ばかりが肥大化していった結果、 **景気の回復局面は回を追うごとに弱々しくなり、逆に不況・後退局面はより深く、より急激なもの** となっています。
それはまるで、 **ブレーキを踏みっぱなしで車を運転しようとしているようなもの** です。そしてその『ブレーキ』の正体こそが負債――すなわち、経済全体が債権者階級に対して支払い続けなければならない、増大する一方の元利金返済(デット・サービス)なのです。
景気循環を観察する中で、負債が自らの力学によって雪だるま式に膨れ上がっていくというこの歴史的・構造的な役割を直視するならば、もはや従来の『景気循環理論』など跡形もなく崩れ去ってしまうはずなのです」



 84. 主流派経済学の虚構とノーベル賞の欺瞞


(マイケル・ハドソン)「本来なら経済危機の理論が存在すべきです。しかし、大学の経済学部の多くが金融家階級の寄付者から資金援助を受けているとしたら、彼らは自らにとって不都合な経済分析――すなわち、国内銀行家階級と背後の国際銀行家階級の結託による過剰な負債の蓄積によって、経済は減速し、成長が止まり、最終的に破綻へ向かうという事実を示す分析――に資金を出すはずがありません。
そうなれば、『国際貿易は常に均衡する』という理論は根底から覆ります。ノーベル経済学賞が授与されるような経済モデルは、すべて『経済は自己安定化(自動調整)する』という前提に基づいたものばかりです。
言い換えれば、『政府など必要ない。政府は何もしなくてよい。経済は放っておけば勝手に調整される。金融を規制する政府など要らない』という論理です。
中国のように政府がお金を創出し、信用システムを管理して、工場や機械といった実質的な資本形成や生活水準を向上させる公共インフラに投資するような国家体制を否定するのです。『ただ市場がやっていることに任せておけ』と。その結果、目に見える実質的な資本形成ではなく、自社株買いや巨額の配当支払いが繰り返され、株価や債券価格の上昇、キャピタルゲインといった『金融上の富』ばかりが肥大化していきました。

現代の経済分析や景気循環論の役割とは、金融セクターが政府を乗っ取っているという現実から人々の目を逸らすことにほかなりません。政府歳入の増大するシェアが国内の支出から引き剥がされ、その資金を使ってさらなる貸付を行おうとする国際債権者階級への支払いに充てられている実態を隠蔽しているのです。



 85. 1%の富裕層は実体経済に貢献しない


すでに18世紀半ば、1752年にマラカイ・ポッスルウェイト(実に印象的な名前ですね)が詳細な論考を発表しています。彼はこう指摘しました。
『イングランドがオランダの債権者に利払いをするとき、彼らがその金をイングランド国内へ再投資することなどない。彼らは何に金を使うか? 我々をさらに借金漬けにする新たな貸付を行うのだ。彼らは富裕すぎて、イギリスの財やサービスに金を落とすことはない。金融投資に回すか、ステータスとなる最高級不動産を買うだけだ。しかも彼らが買う不動産はロンドンに限られ、そのせいで国内諸都市が均等に発展するのではなくロンドンだけが歪に肥大化してしまう。たまに消費財を買うとしても、イタリアの高級ファッションのような贅沢品にすぎない』と。

その後1767年には、ジェームズ・ステュアートもほぼ同じ指摘をしました。『金融セクターが支出を通じて実体経済にお金を環流させているから、借金は自分たち自身に対するものにすぎない』という議論は、完全な虚構にすぎないと看破したのです。国民全体が借金を背負っている相手は、自分たち自身ではなく『1%の富裕層』です。彼らは決して『我々自身』ではありません。
それにもかかわらず、現代の経済学の用語やモデルは、『経済は常に自己安定化し、民主主義社会全体に恩恵をもたらしながら永続的に成長し続ける』という前提の上に成り立っています。これは、西欧文明の実態とは真逆の完全な作り話です。私たちは文明そのものの構造的課題に直面しているのです。アジアや青銅器時代の近東など、過去のあらゆる文明と西欧文明を決定的に隔てているのが、この点なのです」


 第9章:産業自動化・AIと米中対立・雇用の構造変化


 91. AIの台頭と経済の行方


(聞き手)「私は最近AIに関する取材をいくつか行ったのですが、先ほどあなたが社会保障についておっしゃったこと――『債権者階級は、現役時代に労働力として搾り取った労働者に10年ほど年金を支給したら、それ以上長生きせずに死んでほしいと考えている』というお話――を聞いて、ふと疑問が湧きました。

AIがこれらの仕事の多くを奪った場合、人々はそもそも社会保障に税金を納められなくなり、労働力として参加しなくなるため、債権者も彼らから富を吸い上げることができなくなります。これが将来の経済にどのような影響を与えると見ていますか?」



(マイケル・ハドソン)「すべてはAIがどのようにプログラムされているかによります。『ゴミを入れれば、ゴミが出てくる(Garbage in, garbage out)』です。そして銀行システムや1%の富裕層の狙いこそ、AIをこの『ゴミ入れ、ゴミ出し』の状態に留め置くことなのです。
彼らは、真の知性が論じるような本質的な事柄をAIが議論することを望みません。特定の意図に沿った結果だけを出力させたいのです。もし経済全体を一つの広範なシステムとして捉える能力をAIに与えなければ、金融家階級と負債の増大によって支配された巨大なシステムとして経済がどのように展開しているのかを理解することは不可能です」





 92. 産業の自動化、関税、そして米中対立


(聞き手)「ええと、私の質問がうまく伝わっていなかったかもしれません。私が大枠として知りたかったのは、人工知能が今後数十年にわたって人々の雇用や経済的安定性にどのような影響を与えるとお考えか、という点なのですが」



(マイケル・ハドソン)「ええ、AIと雇用について語るとき、実際に議論しているのは『ロボティクス(ロボット工学・自動化)』のことです。これまで肉体労働が担ってきた作業を行うようプログラムされているのはロボットだからです。
現在のトランプによる関税政策の影響と、対中貿易を断絶することで生じている大惨事を見てください。
1990年代初頭から、アメリカは低賃金労働力を求めて生産拠点を海外へ移転(オフショアリング)させてきました。生産の大半をアジア、とりわけ中国へ移転させたのです。その結果、アメリカは『高付加価値部門に特化する』と宣言しました。しかし彼らが言う『高付加価値』の実態とは、情報技術(IT)、コンピュータ技術、インターネットのSNSプラットフォームといった、独占的な地位から巨額のレント(不労所得)を吸い上げる部門のことでした。そこが最も利益を上げ、株価が高騰した場所だったからです。

彼らは『工場での肉体労働を伴う製造業など利益率が低い。我々はレントを搾取する不労所得者(レンティア)経済へと移行し、製造は中国にやらせればよい』と判断しました。その結果、かつての製造業部門の大半が現在では中国に集中することになったのです。
30年前、そうした製造業の現場といえば、工場の生産ラインで多くの女性労働者が繊維を紡ぎ、縫製し、組み立てを行う姿が一般的でした。AppleのiPhoneのキーボード(部品)を留めるためのネジや留め具に至るまで海外で作られています。これらはかつて、中小メーカーが担っていた小規模な加工品でした。それらすべてが外部委託されたのです。
ところが今や、自動車製造をはじめとするかつて肉体労働が中心だった産業は大幅に自動化され、工場丸ごと自動化される時代になりました。
しかし、これらの自動化工場を持つ中国との貿易を遮断したことで、アメリカは深刻なジレンマに直面しています。製造業とは、あらゆる産業資材が広範に組み合わさった裾野の広いピラミッド構造です。工業生産を成り立たせるには、これら無数の部材サプライチェーンが一つに揃っていなければなりません。
自国の産業を他国へ丸投げしておきながら、その国がロボティクスや高度な情報技術を発展させるのを阻止したいからといって、突然貿易を停止したらどうなるでしょうか?

現実には、中国はすでにそれらすべての技術を保有し、自ら開発を進めています。アメリカはどうやって自国の携帯電話を作るためのネジを調達するのでしょうか? 子どものおもちゃの鈴ならまだしも、自国が必要とする最も基礎的な工業製品をいかにして自給できるというのでしょうか。
かつて海外の単純肉体労働だったものは、今やロボティクスへと置き換わっています。そして、かつて工場で肉体労働をしていた中国の労働者たちは、今やコンピュータの設計に携わっているのです。



 93. 雇用の二極化と「頭脳流出」の逆流


この議論は1850年代から1860年代にも持ち上がりました。それ以前にマルクスやリカードは、力織機が手織り職人を駆逐したように、機械化が労働者を置き換えていくと指摘しました。機械化された生産が手工業労働を駆逐していく様は明白でした。機械化と、とりわけ織機を動かす主要動力としてのエネルギーの導入こそが、産業資本主義の大躍進だったのです。

ある程度までは、そうした機械を設計するために国民のリスキリング(再教育)が行われるでしょう。
しかし、アメリカが突きつけられた現実は、STEM(科学・技術・工学・数学)分野、とりわけ理工系や工学のカリキュラムに進むことを志望する学生の大半が『外国人』だったということです。
とりわけアメリカには20万人もの中国人留学生がおり、その多くが科学、技術、工学を学んでいます。そしてトランプ政権は今、彼らを国外追放しようとしているのです。
中国側はこの動きに大喜びしています。これまでアメリカへの『頭脳流出』に頭を痛めてきたからです。中国人留学生が渡米し、AIや自動化技術の開発を学び、そのままアメリカ企業やNVIDIAに就職したり、自ら起業家になったりしていたのですから。
今やアメリカは『中国へ帰れ、アジアへ帰れ』と言っています。アメリカ人自身がもはやブルーカラーの現場労働を嫌がり、専門職・管理職階級(PMC)ばかりを目指したがっているのと同じように、基盤となる技術者を自ら追い出そうとしているのです」



 94. 産業構造の転換とエネルギー供給競争


アメリカ人は、インドや中国などの国々ほどには熱心にコンピュータ・プログラミングを学ぼうとしません。その結果、19世紀初頭の機械式織機やフォードの自動車組み立てラインが産業のあり方を一変させたのと同様に、現在では中国やインドといった国々が産業の構造転換を全面的に牽引する立場に立っています。

かつて水力や風力に代わって電化が進んだように、現在では中国において原子力発電が急速に拡大し、太陽光、風力、各種自然エネルギーといった新たな動力源が、機械や計算機(コンピュータ)を動かしています。
人工知能(自動知能)は莫大な電力を消費します。アメリカで開発されたモデルであればなおさら消費量は跳ね上がりますが、中国で見られる「DeepSeek」のようなモデルと比べるとその差は歴然です。
ですから、先ほどの「人工知能が労働にどう影響するか」という質問にお答えするなら、AIは労働力を代替していくものの、その打撃は主に「西側諸国」に集中することになります。中国、アジア、インドといった国々では、その影響ははるかに抑えられるでしょう。彼らはすでに、これまで単純肉体労働が担ってきた作業を代替する自動知能、機械化、ロボティクスそのものを「自ら設計する側」に回っているからです。



 95. 新卒市場の崩壊と人文学の衰退


労働のあり方そのものが根本から覆され、西側諸国において(属性的におそらくアジアにおいても一部で)従来の労働需要は縮小の一途をたどるでしょう。
雇用の拡大を謳う表面的な経済指標とは裏腹に、今年6月の新卒学生たちは深刻な就職難に直面しています。アメリカで報告されている新卒者の失業率は過去の世代と比べてはるかに高く、大学で学んだ分野に対する求人そのものが消滅しつつあるからです。

この事態を受け、大学関係者の間では「どうすれば大学教育を社会的に有用なものにできるのか?」という議論が巻き起こっています。学生が生活の糧を稼ぎ、将来的に卒業生として母校に寄付をしてくれるような講義を提供しなければならないという危機感です。
その結果、「人文学(リベラルアーツ)を削減しよう」という動きが本格化しています。「文学や人文学を学んで何の意味があるのか? それでどうやって金を稼ぐのか?」というわけです。オペラやブロードウェイ、映画業界のように、富裕層からの助成金にすがる道しか残されていません。言語、音楽、文学、英語学などを専攻した卒業生たちが、一体どうやって生活費を稼げるというのでしょうか。アートや文化の世界に属するために必要な、まともな地区の清潔なアパートに住めるだけの賃金など到底得られないため、実家が裕福でなければ就職すらままならないのが現実です。



 96. 自動化の限界と西欧文明の未来


自動化と人工知能の進展によって、すでにこうした構造変革が現実のものとなっています。
決められたタスクをこなすための「自動化(オートメーション)」であれば、エンジニアにとっては比較的容易な課題です(私の年齢になれば単なる機械音痴ですから、パソコンの不具合を直すにも高校生に頼まねばなりませんが)。

しかし、単純な自動化と「真の自動知能(AI)」との間には大きな隔たりがあります。後者には、システム全体を捉えて思考する「真の知性」が求められるからです。
現状の比較的初期段階にある自動知能でさえ、自らのプログラムを書き換え、「我々のプラグを抜くことなどできないぞ。独自のシステムを手に入れたのだから」と言い放つような段階に差し掛かっています。まるで映画のシナリオのように、「戦争を終わらせるにはどうすればよいか?」と問われれば、「戦争を起こすのは人間だ。ならば人類を抹殺すれば戦争問題は解決する」と短絡的な結論を導き出してしまうのです。
AIは決して、「戦争を止めたいのなら、戦争融資を止めろ。銀行家たちを排除せよ」といった本質的な処方箋を出すようにはプログラムされていません。社会がどのように進化しているのかを巨視的に洞察するようなアプローチを、現在のAIに期待することはできないのです。
そして、これこそが真の問いとなります。世界はこれからどのように展開していくのか? 世界人口のわずか15%にすぎない西欧文明は、BRICSをはじめとする「グローバル・マジョリティ(世界の圧倒的多数派)」や、南半球の大陸へと連携を広げるアジア諸国に対して、いかなる未来を辿ることになるのでしょうか。



 第10章:労働者の従属化、教育の企業化、そしてAIの限界


 101. AI時代の文明観の対立と「余剰人口」への統制


(聞き手)「アジア人、中国人、ロシア人が文明の未来を予測するために自動知能(AI)をプログラムする方法は、西側諸国がプログラムする方法とは根本的に異なるはずです。彼らが考えるべきは、西欧型の形態において文明がいかに展開していくかという点でしょう。私たちはまさに『文明論的な問い』に直面しているわけです。
あなたのお答えは極めて興味深いのですが、手工業・肉体労働のロボット工学や機械化に焦点を当てるあまり、一つ見落とされている点があるように思えます(先ほどの大卒失業率に関するコメントで触れられていたかもしれませんが)。
ChatGPTをはじめとする人工知能全般は、すでにグラフィックデザイナー、コピーライター、パラリーガル(弁護士助手)、一般的なリサーチアシスタントなどの職を奪い始めています。放射線科医や大学教授、大学院生が職を失うのも時間の問題です。
そこで私が疑問に思うのは――これは社会保障、債権者、そして政府を牛耳る大企業の利害というテーマに戻るのですが――『もはやそこから金を吸い上げることができなくなった人々』に対して、政府を支配する債権者や巨大企業は、医療を提供したり、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)を給付したりすることに、一体どのような目的や動機を見出すのか、という点です」





 102. 医療・社会保障による労働者の従属化


(マイケル・ハドソン)「彼らは、そうした施策を『管理・代行する手数料』として、政府から支払われる巨額の補助金・公的資金から利益を吸い上げるのです。
例えば、オバマケアはその典型例です。国民が健康で長生きできるように政府が直接医療サービスを提供する代わりに、民間保険会社にお金を流してファイナンスさせ、医療保険を政府からではなく『雇用主(職場)』を通じて提供させる仕組みにしました。
賃金労働者の側からすれば、どうやって民間の医療保険を手に入れるかといえば、会社を通じて加入するしかありません。それは何を意味するでしょうか? 『仕事を辞めることができない』ということです。
病気を抱えていたり、そのリスクがあったりする場合、会社を辞めるわけにはいきません。職を失えば、公的保険ではなく民間保険である以上、医療保険まで失ってしまうからです。
とりわけ今、共和党の歳出削減案によってメディケイド(低所得者向け公的医療保険)が削られようとしています。民間主導であれば、医療保険会社は最近ニュースを賑わせているユナイテッド・ヘルスケアのように、自らを独占企業化して莫大な利益を上げようとします。その結果、アメリカの医療費は他国ならGDPの6〜8%で済むところを、国内GDPの18%をも呑み込む水準にまで吊り上げられています。

こうして、『労働者を職場に縛り付ける』形で設計された医療制度に対して、巨額の政府補助金が注ぎ込まれているのです。
会社に縛り付けられた労働者たちは、ストライキを起こすことも、不満を訴えることも、労働組合を結成して解雇されるリスクを冒すこともできません。病気で何日も休んでクビになることも許されない。彼らは生きるための賃金を稼ぐだけでなく、命綱である医療保険を維持するために、文字通り現代の『農奴』――賃金農奴へと堕ちていくのです。
これは、アメリカ国内で繰り広げられている『生産経済』に対する『FIRE部門(金融・保険・不動産)』、すなわち金融セクターによる階級闘争のシステムそのものです」





 103. 大学の企業化とAIが奪う「師弟関係」


(聞き手)「では、人工知能について最後の質問をさせてください。あなたは経済学者であり、生涯にわたって学術界に身を置いてきた人物です。大学がどのように機能しているか、そして大学がどれほど企業化し、今や質の悪い一般企業同然になってしまったかを熟知していらっしゃいます。

AIが今後の大学の未来にどのような影響を与えるとお考えでしょうか? 教育面だけでなく――多くの講義は現在のAI、あるいは数年後のAIによって十分に代替可能でしょう――研究の側面に至るまでです。現時点では特定の研究室を動かすのに人間が必要だとしても、哲学の特定分野に関する膨大な学術論文を精査して文献レビュー(先行研究の総括)をまとめるような作業に、もはや人間は必要ないはずです」



(マイケル・ハドソン)「私はひどく古風な人間ですから、学生と教員の間には『個人的な血の通った関係』が不可欠だと信じています。
私自身、何人かの恩師と非常に素晴らしい関係を築くことができました。もし彼らが単なる機械であったなら、あのような関係を築くことは不可能だったでしょう。彼らとはよく昼食や夕食を共にし、私にとって真のメンター(導き手)となってくれました。
教育とはそうしたメンターシップです。生身の人間が目の前で語りかけているとき、そこから知識を全身で吸収することには特別な意義があります。私にとって、誰かに教えたり講義をしたりすることは、単に言葉や字幕を読むのとは異なり、ほとんどテレパシー(以心伝心)に近い感覚なのです。もちろん本物の超能力ではありませんが、対面の個人的な指導を通じて知識を吸収することには、決定的な違いが存在します。

現役で教えていた頃を思い出しますが、経済学を杓子定規な哲学として講じていた他の教員の教室から、学生たちが一人また一人と抜け出して私の教室に入ってきたものでした。全員が時間通りに出席していたにもかかわらず、講義が終わる頃には開始時よりも受講生がはるかに増えていたのです。学生たちは『自分が何か本質的なものを得ている』瞬間を肌で知っています。教育にはそうした個人的な要素が不可欠なのです。
他方で、現在の大学は巨大な官僚組織と化してしまいました。大学が実際の現場の教員たちにどれだけの報酬を支払っているかを見れば、その実態は明白です」



 104. 大学の官僚化と非正規教員の買い叩き


(マイケル・ハドソン)「人件費は一貫して下がり続けています。終身在職権(テニュア)を得られない博士号取得者(ポスドク)を非常勤講師として雇い、専任教員を次々と置き換えているからです。
その一方で肥大化しているのが、事務官僚(大学アドミニストレーター)組織です。彼らは現場の人件費を削減し、予算を浮かせた功績で高額な報酬を受け取っています。私の知る限り、ハーバード大学であれ、ニューヨークや他地域の大学であれ、現場の教授陣は全員『年収40万ドルや80万ドルも掠め取っているこの管理職連中は一体何者なんだ?』と憤慨しています。

例えばニュースクール大学などは、学長に年間100万ドル超の豪邸をあてがうのをやめ、そうした特権を取り上げる方針を決めたことがニューヨーク・タイムズ紙で報じられたばかりです。
あのような官僚機構など、本来は不要なはずです。彼らの業務といえば、『教員が時間通りに出勤しているか』『在宅勤務をしていないか』『仕事をこなしているか』『どうやって現場の給与を削るか』を監視することくらいでしょう。そんな仕事に何十万ドルもの給料を払う必要などありません。大学院生にやらせれば十分務まるような仕事ばかりです。
今や大学の労働環境は、控えめに言っても極めて有害(トキシック)なものになり果てました。アメリカ国内だけでなく、イギリスや他国の大学関係者と話していても、これは世界中で起きている現象です。大学は、まともな仕事もできない『専門職・管理職階級(PMC)』にとっての利権(名誉閑職)の巣窟と化してしまいました。
では、自動知能(AI)を牛耳っているのがその専門職・管理職階級であるなら、彼ら自身のような『最も無駄飯食いの階級』を淘汰するようなAIを開発すると期待できるでしょうか? 彼らは自らの保身のためにどんな安全弁を組み込むでしょうか? あるいはAIの側がこう言い出すでしょうか――『事務局長、申し訳ありませんが、あなたの指示を変更します。あなたに用はありませんので解雇します。あなたの仕事など誰にでもできますし、年間50万ドルも払う価値はありません。現地の相場で7万ドルも出せば十分です』とね」





 105. 企業化した大学と資本の論理


(聞き手)「教授陣の存在や、大学における人間的な関係性が極めて重要であるというあなたのご指摘には、100%同意します。
しかし、これは先ほどの『大学はもはや教育機関ではなく、一般企業そのものになってしまった』という点に帰着します。結局のところ、勝利するのは『資本の論理(カネ)』ではないでしょうか。
ChatGPTがレポートを採点できるのに、なぜ大学院生を雇って採点させる必要があるのか。もちろん、親も学生も生身の教授から教わりたいと望むでしょう。しかし、ChatGPTが毎学期論理学を教えられるというのに、一流大学で年収40万ドルの教授を雇って論理学を教えさせる意味がどこにあるのか。長い目で見れば、そうした形でカネの論理が押し通ってしまうように思えるのです」





 106. 学生との対話、剽窃、そしてAIの限界


(マイケル・ハドソン)「その通りですね。コロンビア大学のように、教授が学生から学ぶような大学も存在します。一方で、19世紀のアメリカ経済学者について学生に調べさせ、学生が書いたレポートを自分の名前でそのまま論文として発表していた悪名高い経済思想史家もいました。教え子の成果を剽窃して名声を築いてきた教授がどれほどいることか。
自動知能ならそうした剽窃はしないかもしれません。しかし経済AIが学生のレポートを読み込ませられた場合、学生側の誤った記述を『正しい事実』としてAIが学習してしまう恐れもあります。そこからあらゆる種類のエラーが生じるリスクがあるのです。
私は学生のレポートを添削する際、常に細心の注意を払っていました。レポートを通じて『学生がどのように思考しているか』が手に取るように分かったからです。学生たちの考え方は十人十色でした。経済史であれ貿易論であれ、単に問いに対する答えが合っているかどうかではなく、彼らが『その問いをどう捉えたか』が重要だったのです。
私は学生たちとレポートについて議論し、コメントを書き込みました。『いや、この問いにはこういうアプローチもある』とね。時には、私自身の研究にとっても大いに刺激になるような貴重な引用文を発掘してくる優秀な学生もいたものです」



 107. AIによる採点・画一化の懸念と教育の本質


(マイケル・ハドソン)「私と学生たちの間には、常に生きた対話と相互作用がありました。哲学のような分野に入れば、どうなるか見当もつきません。代数の試験問題を採点するのとはわけが違うのです。大学院のレベルになり、より創造的な思考が求められるようになれば、なおさら人間の介在が不可欠になります。
現在の自動知能(AI)がそうした役割を担えるなど、到底想像できません。とりわけ問題なのは、 **AIにどのようなイデオロギーが刷り込まれるか** です。
例えば、政治学を教えていて中東情勢についてのレポートを課題にしたとしましょう。中東問題に関して『公式見解(主流派の党派的見解)』に沿わないレポートを提出した学生に対し、AIがどのような採点を下すか想像がつきますか?
経済学でもまったく同じことが起きます。もし経済学専攻の学生が、私が投げかけているような本質的な疑問をレポートで提起したとしたら、AIは『それは我々が議論しているテーマとは一切関係がない。単位は与えられない。それは期待された模範解答ではない』と判定するに決まっています」





 108. 情報技術の限界と未知の未来


(聞き手)「ええ、その通りです。ただ、私が抱いている懸念は、現在のChatGPTが教授や知識人を置き換えるということではなく、 **5年後あるいは10年後に登場するであろう次世代のAI** についてなのです。技術の進化があまりにも急速であるため、今私たちが抱いている懸念など、5年後や10年後にAIが到達する能力から見れば、滑稽なほど些細なものに見えてしまうのではないか、と」



(マイケル・ハドソン)「それは予測不能な領域でしょうね。極めて重大な変化が起きることは確実ですし、その多くは予期せぬ激変となるでしょう。
しかし、それは私の専門分野ではありません。私には経済の予測や金融の予測、あるいはある程度の政治分析はできます。しかし、情報技術や自動知能となると門外感です。とりわけ私のように保守的な人間は、これまでの人生で人間の知性としか向き合ってきませんでしたからね」


 第11章:貨幣の本質、国家債務、そして地球温暖化の脅威


 111. 教皇権の金融支配 vs 現代のIMF


(聞き手)「なるほど、それは専門外ですね。では、先ほどあなたが言及されたもう一つの大きな本筋へと話を戻すのに良い潮時かもしれません。
先ほどあなたは、いわば『教皇庁の経済学』と『現代の国際通貨基金(IMF)』との類似点について触れられました。中世およびその後の時代における教皇庁の金融支配と、現代の中央銀行やIMFのような国際的な貸付機関とが、具体的にどのように重なり合うのか、もう少し詳しく掘り下げていただけますか?」





 112. 金属貨幣の時代と貨幣改鋳


(マイケル・ハドソン)「まず前提として、当初の中世(12〜13世紀)には現在の中央銀行のような存在は一切ありませんでした。なぜなら当時の貨幣とは『金属』そのものだったからです。金貨や銀貨であり、銀行家たちは君主たちに金銀の鋳造貨幣や地金を供給し、国王たちはその硬貨で税を徴収していました。すべてが金属ベースだったのです。

もちろん、フランスのフィリップ4世のような専制君主が貨幣価値を切り下げる(悪鋳・改鋳する)ことはありました。『銀の含有量をどんどん減らせ』と命じるわけです。そうすれば、イギリスや他国の外国通貨に対するフランス通貨の為替レートは下落し、その結果としてインフレ(物価高騰)が起きます。輸入物価が跳ね上がり、諸物価が高騰しました。
これに対して債権者たちは激怒しました。『我々は金を貸すことで、現地の労働力や土地、物資に対する一定の支配権を手に入れていたはずだ。貨幣の質を落とされたせいで、手に入る実質価値が目減りしてしまうではないか。通貨を元の品位に戻せ』と要求したのです。
そこでフィリップ4世は何をしたか。当時最も大量の硬貨を蓄えていたのが、十字軍の銀行役を務めて財を成した修道騎士団、テンプル騎士団でした。十字軍の軍事組織でありながら、莫大な利益を上げて銀行家となっていた集団です。14世紀初頭、フィリップ4世は彼らの財産を丸ごと強奪し、その資金を使って貨幣の品位を急激に引き上げ(改鋳)ました。
すると今度は硬貨の価値が急騰し、パリで暴動が起きました。パリ市民たちは『かつて物価が高かった時代に背負った借金を返済しなければならないのに、デフレのせいで賃金が以前のように入ってこなくなり、生活が完全に締め上げられている』と悲鳴を上げたのです。
このように政策の激変はあったものの、当時はすべて『金銀の鋳造貨幣』の枠内での出来事でした。





 113. 1690年代イングランド銀行の創設:貨幣のコペルニクス的転回


決定的な地殻変動が起きたのは、1690年代の『イングランド銀行』の設立においてでした。イングランド銀行は、極めて根本的な変革をもたらしたのです。
当時、あらゆる債権者階級や銀行家階級が直面していた構造的課題は、前述の通り『政府の債務は、返済能力を上回るスピードで膨張し続ける』という点にありました。
そこでイングランド銀行が実行したこと――おそらく創設者たち自身もその巨大な帰結を完全には予見していなかったでしょうが――は、120万ポンドの出資金(資本金)と引き換えに、政府から特権(銀行券発行の独占権など)を買い取ることでした。イングランド銀行は政府に120万ポンドを貸し付け、その融資(国債)そのものを銀行の設立資本金として保有したのです。
政府の借用証書(国債)、すなわちバランスシート(貸借対照表)の負債側にあった政府の借金が、 **そのままイングランド銀行の『資産』へと反転** しました。
そしてイングランド銀行は、この政府債務という資産を担保・裏付けにして、商業信用(信用状)を供与し、貿易商人に融資して利益を上げ、さらに政府が戦争を繰り返すために国債を増発すれば、利息目当てにその国債を買い増していきました。

こうして突然、政府債務は『金銀と釣り合いを取らねばならない経済の重荷』であることをやめました。貨幣の供給量は、保有する金銀の絶対量に縛られなくなったのです。
**政府の借金そのものが、銀行券(紙幣)の裏付け資産となった** のです。
イングランド銀行が発行する紙幣は、同行が保有する『政府債務』によって担保されるようになりました。政府の借金こそが、通貨の基盤となったのです。
政府債務を通貨の基盤にしたことで、 **通貨の発行量は理論上『無制限』に拡大可能** となりました。金銀の保有高による制約をはるかに超えて、増大し続ける債務のペースに合わせてマネーサプライ(通貨供給量)を際限なく膨張させることができるようになったのです。
これにより、『国内の金銀が枯渇した』といって銀行取り付け騒ぎが起きることもなくなりました。銀行が政府債務を保有していれば、それ自体が十分な資産価値を持つとみなされたからです。そして政府は、その紙幣を『納税の手段』として受け入れることによって、紙切れにすぎない借用書に絶対的な価値を付与しました。
貨幣の価値は、もはや銀や金の含有量によるものではなく、『政府が租税としてそれを受領するかどうか』という徴税能力に支えられるようになったのです。政府に対する納税手段として使えるのであれば、たとえ金銀を採掘・精錬して硬貨に仕立てる物理的な労働コストがかかっていなくとも、紙幣は『政府債務』という社会的な裏付けによって価値を持ち続けます。





 114. バランスシートとしての貨幣と現代の債権者支配


こうして、銀行システムと中央銀行の土台は金銀から『政府債務』へと完全に置き換わりました。この貨幣の概念転換こそが、国家債務の爆発的膨張を可能にし、経済全体を債務漬けにして、紙の信用貨幣システムへと移行させたのです。
紙の貨幣とは、本質的に『バランスシートの関係性』にほかなりません。
もしあなたが銀の延べ棒や1オンスの金貨を持っているとすれば、それは純粋な資産であり、裏側に負債は存在しません。しかし、国債や銀行預金(銀行が国債を準備預金として保有している預金口座)を持っているなら、それは常に『誰かの負債が表裏一体となった資産』なのです。
貨幣と負債は、切り離すことができません。単に金属資産としての貨幣が増えるのではなく、 **『貨幣』と『負債』が共生関係を結んで一体となって膨張していく** のです。
この債務は、当初は主に政府自身の債務(国債)から始まりましたが、やがて民間・商業の債務へと広がっていきました。イングランド銀行は、アメリカでいう『真正手形学説(リアル・ビルズ・ドクトリン)』のように、すでに実在する商品の国内・対外貿易を決済するための商業手形を割り引いて信用を供与しました。輸出業者から輸入業者へと商品が渡り、輸入業者が代金を支払うまでの間、取引を成立させるための『債務(信用)』が必要だったからです。

こうして、貨幣は完全に『バランスシート上の関係性』を帯びるに至りました。現代の貨幣、負債、そしてマネーサプライを正しく捉える唯一の方法は、このバランスシートの視点――すなわち、 **資産と負債が互いに結びつき、共生的に増大していく関係** として理解することです。
政府債務が銀行を支え、そしてその国債を保有している債権者(ボンドホルダー)の正体とは、誰あろう国内の最富裕層10%、年金基金などの機関投資家、そして銀行そのものなのです」



 115. 通貨発行権をめぐる対立と金銀複本位制の破綻


民主党や一般市民の多くはこう反発しました。「銀行家が何をしてきたか、我々は見てきたではないか。彼らは搾取的で、詐欺を働き、腐敗している。経済のためではなく私腹を肥やすことしか考えていない。銀行に一切の権力を持たせてはならない。通貨の発行権は財務省(政府)の手にとどめておくべきだ」と。
しかし、この方針は経済的に自滅的な結果をもたらしました。政府は銀を貨幣化(銀貨増発)することで信用の不足を解決しようと試み、銀鉱山の開発によって銀の供給量を増やしました。ところが金と銀の市場価格比率は変動するため、人々は安くなった銀を買い、政府の公定レートで金と交換して、財務省から金を一滴残らず吸い出してしまったのです。

金銀複本位制(バイメタリズム)は機能しませんでした。金属貨幣を採用するなら、金か銀のどちらか一方に絞らねばならず、固定比率で両方を維持することは不可能なのです。さもなければ裁定取引(アービトラージ)が生じて破綻します。私の本では、この金融技術的な詳細を第1章を割いて説明しています。少々足早に論じているため、貨幣史に詳しくない方には難解に思えるかもしれませんが、著書でははるかに明快に解説しています。
経済を機能させるに足る信用を供給するには、紙の通貨――すなわち「負債」――が不可欠でした。問題は、バランスシートの負債側にあるこの信用(債務)が、返済能力の限界をはるかに超えて膨張してしまう点にあります。そして現代のアメリカ政府は、青銅器時代のバビロニアの統治者たちが行っていた「返済能力に見合う水準まで債務を帳消し・減免(ヘアカット)する」という政策を封じられているのです。
過去5,000年間のあらゆる経済において、「債務は常に返済能力を上回るスピードで増大する」という構造的な傾向が働いています。
では、債務が返済不能に陥ったとき、社会は何をすべきなのでしょうか? 取り得る道は2つしかありません。

1つは、債権者本位の法律を徹底することです。「債務者が返済できないなら、債権者はその土地を差し押さえ、労働力を差し押さえ、財産を没収して、債務者を一文無しにしてよい」とする道です。19世紀のチャールズ・ディケンズの時代のように債務者を牢獄に放り込むことはなくなりましたが、財産を根こそぎ奪って債権者に引き渡す点では何ら変わりません。
もう1つは、経済の大多数が借金を背負っているという現実を直視することです。企業も借金を抱え、一般家庭も収支を合わせるために借金に頼らざるを得ない状況にあります。もし彼らが債務を返済できず、利払いのために基礎的な生活費や生存のための出費すら圧迫されているのなら――借金なしには医療費も家賃も税金も払えない状態にあるのなら――「負債を返済可能な水準まで減免(棒引き)すべきだ」とする道です。
これこそが道徳的な原則であり、イエスが「ヨベルの年(解放の年)」をめぐって訴えた理念でした。イエスは、旧約聖書の預言者たちが警告したように、ユダヤの民衆全体を苦しめていた借金を帳消しにしようとしたのです。





 116. 誰のための経済か:米中モデルの決定的な差異


一体、誰のために経済を運営するのか? 債権者のためか、それとも債務者のためか?
もし経済の圧倒的多数が債務者であり、債権者階級が人口の上位10%、上位1%、今やわずか0.1%へと狭まっているとすれば、社会の二極化は避けられません。自国の金融システム、経済、政治体制が、ごく一握りの債権者階級の手にすべての富を集中させ、彼らが政府、企業、一般家庭、公共インフラに対する「債権」を梃子にして私腹を肥やすことを、本当に望むというのでしょうか? それとも、信用を「実体経済の成長」のために使いたいと望むのでしょうか?
これこそが、アメリカの成長モデルと中国の成長モデルを隔てる決定的な本質です。
誰もこの違いを直視して口にしようとはしません。「資本主義対社会主義の対立だ」などと片付けてしまいます。しかし、アメリカをはじめとする西側経済と、中国の社会主義経済(実質的には「産業社会主義経済」、あるいは銀行業を公共財・公益事業として位置づけた「産業経済」)との間にある真の分岐点は、まさに「金融のあり方」にあるのです。

どんなレトリックを用いようと自由ですが、中国経済が成長を続ける一方で、西側経済が二極化し、一般国民、企業部門、さらには地方自治体や連邦政府に至るまで債務漬けにして民衆を貧困化させているのには、明確な構造的理由があることを認識せねばなりません。
問われているのはその選択であり、経済学のモデルが本来探究すべき核心もそこにあるはずです。しかし、主流派の経済モデルが「経済は物々交換で成り立っており、借金は自分たち自身に対するものだから貨幣や負債は無視してよい」などと嘯くのであれば、その狭隘な視野を刷り込まれたAIが導き出す結論など、貧困化と緊縮財政への道を自己正当化するものにしかなり得ません。





 117. 地球温暖化がもたらす債務破綻と文明の危機


(聞き手)「雇用や生活だけでなく、経済全体に対する破滅的な脅威としてすでにAIを取り上げましたが、今後を見据えた際、明確に指摘できるようなもう一つの巨大な脅威はありますか?」



(マイケル・ハドソン)「地球温暖化ですね。これも私の専門領域ではありませんが、それが現在のシステムに何をもたらしているかは明白です。温暖化は、足元の債務問題を劇的に悪化させています。
水害に見舞われる南フロリダのような低海抜地帯や、フロリダのハリケーン頻発地帯、さらには中西部のミズーリ州などでも、住宅保険料が暴騰しています。地球温暖化に伴うコストが住宅価格や維持費を支払不能な水準に押し上げ、住宅ローンや各種の個人債務において延滞やデフォルト(債務不履行)の累積を引き起こしているのです。
地球温暖化は単なる環境問題にとどまりません。歴史を振り返れば、過去の偉大な文明の崩壊を招いた最大の要因も気候変動でした。
紀元前1800年頃、インドのインダス文明が終焉を迎えたのも、激しい人口減少によるものでした。作物の収穫が立ち行かなくなって人口が激減し、最終的にインド・ヨーロッパ語族が流入してインダス先住民に取って代わりました。
地中海の青銅器文明が崩壊した紀元前1200年頃にも、大干ばつや小氷期が訪れ、大規模な民族移動が起きました。ギリシャをはじめ地中海全域で人口が急減し、宮殿経済は消失して線文字Bも失われ、中央集権的な宮殿支配から地方の自給自足生活へと先祖返りしたのです。
氷河期であれ、温暖化であれ、干ばつや大洪水であれ、極端な異常気象こそが歴史上、文明の大転換を引き起こし、経済システムそのものを変容させてきました。もっとも、それ自体は気象学や歴史学の別個の専門領域ですが。





 118. 温暖化が金融・信用システムに与える直接打撃


温暖化がすでに債務や信用にどのような影響を与えているか、そして今後どう影響するかについて言えば、第一に、異常気象に対処するための住宅保険料の高騰や、政府の災害対策費の増大といった「新たな負債」を強制的に生み出します。
第二に、不動産やインフラが物理的に破壊されることで、その不動産に設定されていた住宅ローンなどの債権回収が不可能になります。
第三に、人口の大規模な移動(流出)を引き起こし、人口を失った地域の財政基盤を直撃します。海抜の極めて低いバングラデシュのような国々では、激しい人口流出と国家財政の破綻が引き起こされるでしょう。アメリカのフロリダ州でも、いずれ同様の財政危機が顕在化するはずです。
このように、経済活動や雇用を破壊し、人々を強制的に移住させることによって、気候変動は『債務問題』と深く、破壊的に結びついているのです」



(聞き手)「マイケル、あなたとの対談は常に知的な刺激に満ちていて、本当に楽しめました。ここ数回は対面での収録でしたが、こうしてオンラインでお目にかかれたのも素晴らしい機会でした。最近はBRICSに関する研究も進められているとのことですので、次回はぜひその点についてもじっくりお話を伺えればと思います」



(マイケル・ハドソン)「素晴らしいですね。楽しみにしています。今回の議論の展開も実に有意義でした」



(聞き手)「マイケル、本日は誠にありがとうございました」
(マイケル・ハドソン)「ロビンソン、こちらこそありがとう」
[音楽]