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2014年11月28日金曜日

小津安二郎「秋刀魚の味」解読


小津の最後の作品、「秋刀魚の味」は、
おそらく彼の最高傑作ではないかと思う。
小津嫌いの私でも認めざるを得ないほどに、優れている。

この作品を傑作たらしめているのは、
バーでの場面である。
この場面のみ解読する。
それだけでおそらく、
小津映画の全てを解読したことになるであろうことを期待している。

以下役名ではなく、俳優名で説明する。

笠智衆はラーメン屋で偶然昔の部下、加東大介に再会する。
「艦長、お久しぶりです」
笠智衆は朝風という駆逐艦の館長、加東は乗組員だった。

二人はバーで酒を飲みながら旧交を温める。
「艦長、どうして日本は負けちゃったんですかねえ」
「さあねえ、だけど負けて逆によかったじゃないか」

そこにバーのマダム、岸田今日子が帰ってくる。
岸田は笠智衆の亡き妻ににている、という劇中設定になっている。
岸田は髪が濡れ、頭にタオルを巻いている。

「あらいらっしゃい。わたし銭湯行っていたのよ。
お酌しましょうか?
いつものあれ、かけましょうか?」

あれとは、軍艦マーチのレコードである。
岸田がレコードをかけると、
加東は体を揺らし、敬礼をする。
「艦長もやってくださいよ」
笠智衆もつきあって敬礼する。
岸田もつきあって敬礼する。
加東は調子にのって、狭いバーの店内で行進しはじめる。

するとどうだろう、
画面には確かに狭いバーの店内しか映していないのに、
視聴者の脳内に別の映像が浮かび上がってくるのである。
広大な海洋に波を切って進む、連合艦隊が。

それは、どんな特撮映画もかなわない、美しい連合艦隊の姿である。
あたりまえである、おのおのが頭に描くもっとも美しい姿なのだから、
他人の描く絵がかなうわけがない。
芸術の要点が想像力の喚起だとすれば、
映画の、最高に芸術的になった瞬間だろうと思う。

さて、解読である。
駆逐艦朝風は1944年に、魚雷攻撃を受けて沈没している。
当時の習慣として、船が沈没して艦長が生存したとは考えがたい。
笠智衆は死者である可能性が大きい。
それと話している加東も、やはり死者であろう。

そう考えれば、岸田今日子を銭湯帰りという設定にした理由も了解できる。
彼女はたったいま、十数年間浸かっていた水の中から上がってきたのである。

小津安二郎は、兵隊として招集もされたし、
除隊後も映画製作のために外地にも行き、
終戦はシンガポールで迎えている。
戦争を全身で体験した人物である。

コミカルな軍艦マーチのバーのシーンの裏には、
連合艦隊の雄姿シーンが隠れており、そのさらに裏には、
死者に対する合掌のような、祈りのシーンが隠れている。