ページ

ラベル 文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年7月8日水曜日

大集団と小集団

大集団:国家は財政破綻の危機にある
小集団:管理通貨制度で自国通貨建て内債は破綻できない

この大小の割合は、活動によって十分変化可能である。
現に小集団だった反緊縮もだいぶ大きくなった。

大集団:「人間失格」はダメ人間の太宰を書いている
小集団:「人間失格」は天皇を自分に重ねて描いている

こちらも割合は活動によって変化可能である。
似たような現象である。

ただ、経済の場合も文学の場合も、
小集団が大きくなるには限界があるような気もする。
大集団の錯誤が小集団の認識を支えているような気もする。
多くの人が値上がりする、と思ったときから値下がりがはじまる。

2018年10月16日火曜日

細川ガラシア

https://note.com/fufufufujitani/n/nc373696e9973
「阿部一族」をアップした。

死ぬ藩主細川忠利は、細川幽斎の孫である。細川幽斎は明智光秀と親しかったから、自分の息子の嫁に、光秀の娘をもらった。明智珠、世に言う細川ガラシアである。
忠利はつまり、細川ガラシャの息子である。阿部一族の悲劇、細川藩の「殉死熱」は、
ガラシアの辞世
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」に支配されている気が、しなくもない。

現代でもそうだが、昔も家の雰囲気、家風をつくるのは女性だったはずである。北条政子を見よ、日野富子をみよ。
ガラシャは気性が激しかった。光秀の子供だから当然である。亭主の三斎ははっきりガラシャを恐れていたのではないか。

作中柄本の嫁が阿部一族を見舞う。嫁はいざとなったら自分が責任を取るとの覚悟で訪問する。ここでも嫁が家風を作っている。おそらくこの嫁は、藩の台所事情も察知していたはずである。

竹内数馬の嫁はおそらくなにもわかっていない。長十郎の嫁もそうであろう。表面には出てこないが、実際は妻の知能が家の明暗を左右する、ということを鴎外は知っていたようである。奇怪なほどに賢明である。異常な世間知である。

鴎外の脚気の問題はここでは触れない。しかし同じ島根県出身ということで、私はどうしても竹下登を想起するのである。プラザ合意を想起するのである。竹下も世情にくわしい人物であったのは間違いない。鴎外と同じく、出世する人物である。よいのだろうか、わるいのだろうか、判断がつかない。