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「阿部一族」をアップした。
死ぬ藩主細川忠利は、細川幽斎の孫である。細川幽斎は明智光秀と親しかったから、自分の息子の嫁に、光秀の娘をもらった。明智珠、世に言う細川ガラシアである。
忠利はつまり、細川ガラシャの息子である。阿部一族の悲劇、細川藩の「殉死熱」は、
ガラシアの辞世
「
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」に支配されている気が、しなくもない。
現代でもそうだが、昔も家の雰囲気、家風をつくるのは女性だったはずである。北条政子を見よ、日野富子をみよ。
ガラシャは気性が激しかった。光秀の子供だから当然である。亭主の三斎ははっきりガラシャを恐れていたのではないか。
作中柄本の嫁が阿部一族を見舞う。嫁はいざとなったら自分が責任を取るとの覚悟で訪問する。ここでも嫁が家風を作っている。おそらくこの嫁は、藩の台所事情も察知していたはずである。
竹内数馬の嫁はおそらくなにもわかっていない。長十郎の嫁もそうであろう。表面には出てこないが、実際は妻の知能が家の明暗を左右する、ということを鴎外は知っていたようである。奇怪なほどに賢明である。異常な世間知である。
鴎外の脚気の問題はここでは触れない。しかし同じ島根県出身ということで、私はどうしても竹下登を想起するのである。プラザ合意を想起するのである。竹下も世情にくわしい人物であったのは間違いない。鴎外と同じく、出世する人物である。よいのだろうか、わるいのだろうか、判断がつかない。