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2024年8月18日日曜日

マイケル・ハドソン「超帝国主義国家アメリカの内幕(Super Imperialism The Economic Strategy of American Empire)」Mapifyによるまとめ

 マイケル・ハドソン「超帝国主義国家アメリカの内幕(Super Imperialism The Economic Strategy of American Empire)」は現在および今後の世界情勢を考える上で超重要な本です。重要過ぎて日本語翻訳がアメリカ政府の圧力で出版差し止めになったくらいです。その後簡約版が出ましたが、入手困難です。


幸い、原本は閲覧できます。


https://michael-hudson.com/wp-content/uploads/2010/03/superimperialism.pdf


しかし不幸なことに、私に英文読解力がない。仕方がないからコマ切れにして翻訳ソフトにかけて日本語化して読んでいましたが、翻訳ソフトは日本語が不自然です。私は実は文学好きというより、ある程度以上の質の文章でなければ頭に入らない欠陥脳みその持ち主でして、読んでて苦しいったらありゃしませんので、途中まで目を通して放置しておきました。しかし今回

Mapify

なるAIに遭遇しまして、やってみたらたいそう分かりやすいです。とりあえずアップロードします。細かいところは気にしないでください。視覚的に、直感的に理解できます。

















日本で覇権の交代と通貨発行の交代は、
1、豊臣から徳川への政権交代、それにともなう通貨発行交代
2、明治維新

の2回しかありません。いずれも直接戦闘の末に通貨発行主体が交代していますから、わかりやすい。しかしイギリスからアメリカへの覇権の交代は非常にわかりにくい。第一次世界大戦から第二次世界大戦の長い時間をかけて、徐々に主導権はアメリカに移ってゆきます。

2020年5月5日火曜日

数字・簿記・文学

「神曲」解説【ダンテ・アリギエーリ】



週休二日さんから凄い読み解きが上がってきたので、まずはお読みいただきたい。じっくり読んで消化した上で戻ってきていただきたい。情報量が非常に多いので、「神曲」を軽くでも読んだことがない方は再読、三読くらいは必要だろう。画期的な読み解きである。


以下私なりの補助解説


1189年、十字軍が開始された。この後何度も繰り返される。ヨーロッパ世界のイスラム世界との接触が戦争によって増える。そしてフィボナッチという数学者が出現する。多くの人はフィボナッチ数列で名前で覚えられていると思うが、彼がイスラムの数学をヨーロッパに紹介する。イスラムの数字も紹介する。位取り法もはいっている。

それまでヨーロッパの数字は、ⅠⅡⅢⅣであった。やってられない。フィボナッチ以降は1234になる。当然計算能力は増大し、簿記会計能力も増大するから、つまり商業能力も増大する。
最初の複式簿記の記録は判然としない。1296年ごろという説がある。ダンテの在世中である。ダンテが生きた時代は、計算能力、簿記能力の革命の中だったのである。その社会で書かれ、強く支持された文学がどのような性質のものか、上記記事をご確認いただきたい。納得いただけるものと思う。

次に東アジア世界の年表と合わせて考えてみる


東アジア世界では、西洋のような数字、計算革命は見られない。
それ以前、例えば北宋は当時世界で最も科学技術の進歩した国だった。しかしモンゴル、明以降徐々に地位を落とし、日中戦争あたりが最低値になる。
日本も鎌倉仏教を宗教改革とするならば、ヨーロッパよりもむしろ先んじている。しかし数字、計算革命は見られず、文学の大きな進歩も見られない。
エマニュエル・トッド式に「日本は世界の先端から遅れたことがない」と表現するのは、識字率という点では当たっているし、そこだけで見るならむしろ日本のほうが優れている。高等数学も和算の関和孝が、ニュートンとほぼ同時期に微分積分発見したとかの例もある。しかし社会全体としては会計能力が劣っていることを、ここ30年で我々自身で証明してしまった。それに対する文学系からの正当な批判はほぼゼロだったし、反省も今の所全く聞こえてこない。

ダンテ「神曲」は西洋近代文学の根源とも言える作品である。その中にはフェボナッチからの数学の組み込みが大量に含まれていた。だとするならば、その後の作品もそれを継承するはずである。「ヴェニスの商人」が資本主義を扱い、「ファウスト」「ニーベルングの指環」が通貨発行を扱うのも当然なのである。大きく言えば「ニーベルングの指環作品群」は、「神曲作品群」の末端と呼んでさしつかえない。「神曲」からはじまった巨大な「数字、文字複合文化」の末端を、そうと知らず我々は鑑賞していたのである。


2019年5月1日水曜日

コミュニケーション・サークル・追記

コミュニケーション・サークル【貨幣・言語・音楽】
https://matome.naver.jp/odai/2155622226434432401
をアップした。自分でもなんだかよくわからん内容であるが、考えの整理としてはそれないりに価値があるのではないかと自負している。逆に言えば、現実的な政策提言としては大して価値がない。残念だか自分の実力なので仕方がない。

唯一まともな政策提言になっているのは、「フォントの重要視」である。今現在も横書きで文字を書いているが、石川九楊氏に言わせればそれは非常に無理があるらしい。なぜなら漢字もひらかなも縦書きを前提に文字が開発されたからである。ハネ、トメ、ハライすべて縦書きを前提に組み立てられている、だから横書きで並べても不自然さがつきまとうそうである。

私自身は自分で書いた文字が自分で読めないほどの悪筆である。縦でも汚く、横でも汚く、斜めでも汚いから差は全くない。それでもパソコン画面でやはり縦のほうが若干読むスピードが上がる。Kindleは縦書きに設定している。それはつまり、現在のフォントが縦書き用のものであり、漢字かなまじり文の本格的な横書き、横読みフォントは開発されていないと考えるべきである。このあたり文化省が研究機関に命じて集中的にデーター集めるべきである。読む速度、誤読率など、大きなデーター集めれば開発方針わかってくる。

未来の横書きフォントは、数字もアルファベットも親和的な、横書きメインのものであるべきである。なぜ世界最高レベルの知的水準にありながら、我々に数値的で理性的な判断が欠落する瞬間があるのか、それはおそらく文中に数字を組み込みにくいからである。英文ならば会計データーを組み込んで違和感がない。縦書きでそれを実現するのはたいそうな手間である。

日本の新聞は縦書きである。改善の見込みが薄い。情弱老人御用達である。人民日報は古くは縦書きであったが、現在は横書きである。知的水準に差が出るのも、むべなるかな。




2019年4月18日木曜日

機能不全

忘れられていることですが、大日本帝国陸海軍は自前の大学を持っていました。陸軍大学、海軍大学は、軍人の中でも成績優秀者しか入学できず、優等で卒業すればエリート街道が確定していました。しかも頻繁に帝大に聴講に行かされたそうで、ある意味当時の日本の最大の頭脳集団が軍部でした。
敗戦した時、陸軍と海軍の将官が語り合って、片方が「実はうちの大学の授業には、まともな戦術がなかったんだ」というと、相手も「いや、実はうちの大学もそうだった」と答え、「どうしようもない、救いようもない国だ」と詠嘆したそうです。最大の頭脳集団が、内実はそうだった。先生にたいする従順さが裏目にでますね、こういうときは。

遡って考えれば、「林家三代」と言いまして、江戸幕府の官学の林家も林羅山、その子、孫までがまともで、以降はなんの実力もない存在だったようです。徂徠以降大量の経世家が出ましたので、一般の水準としては世界有数です。でも官学としては機能しない。

つまり、官学が機能しないのはわが国のれっきとした伝統であり、それが端的に現れたのがかつての陸軍大学、海軍大学、そして現代の東京大学経済学部だったということです。これは関係者の頭脳が劣っていたのではありません。だったら改善は簡単です。そうではなくて「優秀な頭脳集まりながら、機能しなくなるしくみ」がわが国にはあるのです。これの改善は恐ろしく難しいです。

問題のポイントはおそらく「翻訳」にあります。林羅山はもちろん儒学です。漢文を使います。帝国陸海軍も東京大学も、西洋の文献が重要になります。その際におそらく、本来の思考エンジンである「やまとことば」が若干機能不全になるのだろうと思います。自分に引き付けた話になりますが、精度の高い読み解きは、おそらくこの機能不全の最大の特効薬になるのではないかと、期待しています。

2018年12月31日月曜日

ユダヤについての仮説4

BC146にカルタゴが滅亡する
フェニキア=ユダヤ人にとってはダメージである。

ところが故地パレスチナに、
ほぼ同じBC140くらいにハスモン朝というユダヤ独立国家が成立する。
セレウコス朝シリアからの独立である。
つまりフェニキア=ユダヤ人にっとってはパレスチナが最後の心のよりどころになったのである。

ところで、キリスト教もユダヤ教の一派であり、盛んに伝道を行った。つまり、当時のユダヤ教は本来、伝道を盛んに行う宗教だったのである。

「ヨブ記」
https://matome.naver.jp/odai/2154057092464739801

では当時のユダヤ教はどのように分布していたのか、そしてなぜキリスト教は広まったのか。

と長々と書いてきたのは以下の仮説を提示するためである。


1、カルタゴ滅亡のころには、ユダヤ教は経典の整理がかなり進んでいた
2、滅亡したカルタゴのフィニキア人は、各地にちらばって生存しており(こっちが本当のディアスポラでは?)、人的ネットワークとして機能していた。
3、彼らはあらたにユダヤ教徒、ユダヤ人として自身をアイデンティファイした
4、ユダヤ教徒、とくにキリスト派の拡大は目覚しく、ローマ帝国を恐怖を覚えた、なぜならばその集団の母体は、フェニキア人だったからである。
5、ある程度以上ユダヤ教が広まった後ではもはや制御不能になっていた。ローマ帝国としてはユダヤ教の一派、キリスト教を国教にしてカルタゴ勢力に対抗するより選択肢がなかった。これがキリスト教がローマ帝国の国教になった理由である。

2018年12月29日土曜日

ユダヤについての仮説3

使いやすい文字を開発したフェニキア人の古代における地位は、今日では「アップル族」「スマホ族」と考えれば理解しやすい。新しいメディアを手にしたものは、手にしていないものにたいして圧倒的な知的優位性を持つ。人類のほとんどが識字していない環境では、神のごとき知性を手にしたのである。というか近隣部族はなんのこっちゃ理解できなかったろう。知的水準に差がありすぎるからである。

が、しかしフェニキアの優位も長くは続かなかった。フェニキア文字からギリシャ文字が派生したのだが、ギリシャ文字は母音がもともと備わっている。子音のみで母音がなく、実際の発音は類推で読まなければならなかったフェニキア文字と比べれべば、ギリシャ文字の優位性は明らかである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/File:AntikeGriechen1.jpg

赤がギリシャ、黄色がフェニキアの殖民都市である。勝敗は明らかである。フェニキア有利なのはパレスチナ近辺と、アフリカ北岸西部、スペイン南部のみである。

しかし、交易ということを考えると、アフリカ北岸西部は悪い土地ではない。フェニキア人たちはおろらく大西洋を南下し、アフリカの物資をヨーロッパまで運び、膨大な利益を得ていたはずである。
それは歴史で証明されている。カルタゴはまさにこの地の王国だからである。

カルタゴは、ローマの歴史を通じて、もっともローマを追い詰めた敵である。天才ハンニバルを擁してイタリア半島を荒らしまわり、その間ローマ帝国はひたすらローマに立てこもって首をすくめている以外に、軍事的にはなすすべもなかった。ローマはそのときの屈辱を決して忘れず、最終的にはカルタゴを完全に破壊した。

それで、考えなければならないのは、その後カルタゴ人、つまりフェニキア人はどこに行ったのか、ということである。

2018年12月28日金曜日

ユダヤについての仮説2

ヒエログリフからフェニキア文字が派生し、フェニキア文字から古ヘブライ文字が派生した。
to
と言っても、フェニキア文字と古ヘブライ文字は実は同じものなのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97

丸に十字の文字の角度が45度違うだけである。

だいたい古代の民族なる概念は、現代の民族以上に不明瞭である。
ターレスはギリシャ哲学の祖であるが、フェニキア人である。
どんな種族でも、ギリシャ社会に入ればギリシャ人である。

で、あっさり言ってしまえば、
古代社会において、フェニキア人もユダヤ人も、大差ない。
人種的にはどうせまちまちで、
海上交易で栄えているのがフェニキア人、
それに取り残されている弱小勢力の田舎ものがユダヤ人と認識して、
まず大丈夫だろうと考えている。

発掘された聖書―最新の考古学が明かす聖書の真実


には「ソロモンの栄華、という事象は考古学的には発見されていない」「ダビテ家が実在したのは立証されている」とのことであって、聖書の記述は相当眉につばつけて読む必要がある。
おそらく栄えていたのはフェニキアであって、内陸部ユダヤは(同種同文でありながら)、地味でたいして栄えていない存在だったはずである。

2018年12月27日木曜日

ユダヤについての仮説1

古代中近東世界にはおおまかに2種類の文字があった。
エジプトのヒエログリフと、メソポタミアの楔形文字である。

楔形文字はハングルやカタカナのようのもので、視認性が悪い。
そのかわり覚えやすく使いやすいはずなのだが、
元来シュメール人のものであった文字を、
アッカドやらアッシリヤ人などが使うので、
使いでが大変悪かった。

同様な事情がタイにもあって、
中国語に近い声調言語、音の高低での表現が多い言語を、
サンスクリット系の文字で表現しようとしているのが、タイ文字である。
母音や子音の細かい分別はたいしたものだが、
決してマスターしやすいものではなくなっている。
タイ人はおそらく中国語と同じく長江中流域に発生した言語で、
タイ人の南下とともに言語として別の発展ルートをたどったのだろう。

あるタイ人に聞いたところでは、
「タイ文字には実に苦労した。
アルファベットのほうがはるかにマスター簡単だった。
結局タイ文字マスターできたのは小学校6年生のときだった」
そうである。私はちょくちょくタイに行ったが、マスターできなかった。
「アルファベットと同等だろう」と考えてアプローチした私が馬鹿だった。

話もどって楔形文字も、
別民族の別言語の人のマスターには不向きだったようで、
シュメールとはまったく別の言語を話すアッカドやアッシリアの人々も、
いざ文字を書く段になると、シュメール語にかなり縛られていた、という話を読んだことがある。

そこへゆくと、安定的に文字を運用できていたのがエジプトである。
なにしろ民族の入れ替わりが基本無い。同じ民族が同じ文字を使い続けている。
エジプト内部で表語文字から表音文字(ヒエラティック)が発生したが、
エジプトの外でも同様に、ヒエログリフを元に表音文字が発生し、
それが今日のアルファベットの基礎になっている。

発生したのは、原カナン文字、およびフェニキア文字である。
カナン、フェニキアは現在のイスラエル地方であり、
エジプトにも近く、メソポタミアにも近い。
両者に近い場所で、書きやすく読みやすい文字が発生した。
このことによって、その土地に住む住民は、
エジプト、メソポタミア両地方の神話、伝説に触れることができ、
それらを書き記すことができた。
これが聖書の成立起源であると考える。

問題は、文字の発生によりたまたま歴史書製作の機会を得ただけで、
カナンには強力な王権が存在していなかったことである。
ヤマト朝廷抜きの日本書紀だったのである。

2018年10月6日土曜日

米中戦争

中国、半島は「古代国家」である。

「優生学」の悪名のもとに見失われがちな知見だが、東アジアの住民は、元来世界最高レベルの知能指数を持っている。文化的に、ではなく生物的に最高レベルなのである。単純に言えば頭がよい。だから日本、半島、中国が世界の政治経済をリードしてもおかしくない。しかし現状そうなっていない。元大統領の裁判見ればわかるとおり、韓国も民主主義、近代国家とは言いがたい。中国の民主化ははるか未来の蜃気楼である。

メリットはデメリットの母である。東アジアの住民は知能が高く、高いせいで学習能力が高く、過去の記憶の保持能力が高い。日本の場合は過去を天皇に押し込んで自由に動けるが、半島と中国は天皇がいないのでそうはいかない。近代文明をいくら学習しても、過去の文明が忘れられない。過去を強く覚えている。それゆえ、彼らは依然として古代国家である。

古代国家とはなにか。王がおり、その近辺のみが主権を握り、一方で民衆は民草であって国家の存亡には関心がない。自己の利益のみを追求する。ようするに、近代国家にくらべればはるかにバラバラである。現に、大量の人々が日本に出稼ぎに来ているが、本国に帰りたい、本国を良くしたいという志を持つひとは非常に少ない。まったく無いとは言わないが。

その古代国家の人々が、資本の流入により経済成長した。金持ちになった。なっても中身は近代人ではない。古代人である。社会全体、国家全体は考えない。考える習慣がない。全員得手勝手に利益を追求してゆく。そんな彼らが神の見えざる手によって最適化された姿が、現在の韓国、中国である。

アメリカはその中国と、はっききり敵対関係になった。なったがアメリカはおそらく理解していまい、自分たちが対峙する敵は、自分たちのような、国家意思を持った人々ではない。各人が利益を追求しているだけの人々の集合である。つまり、敵としての実態は存在していない。

南シナ海で活動している中国海軍は、おそらく習近平の意思と関係なく動いている。なぜなら古代国家とはそういうものだから。中国海軍はアメリカと戦いたいのではなく、習近平を、アメリカの力を借りて脅迫したいのであろう。古代国家の住民としては当然の行動である。

日本でも盛んだが、アメリカマスコミへの介入も、民主主義への介入も、国家意思ではない。担当者個人の欲望、自分が中国政府内部で確固たるポジションを確立するための活動で、活動をエグいくらい出来なければ、やがで失脚するか、消滅するのが、古代国家の官僚の運命だからである。

元来アメリカが作ったのが共産党中国である。現在オーナーが、作品を潰そうとしている。つまり、アメリカは自分の作品の不完全さを認めたのである。次の統治システムは、当然オーナーであるアメリカが作る。しかしどう作るかは大変むずかしい。古代国家の伝統が、当面生き続けるからである。

2018年6月15日金曜日

倭寇と安倍外交

昔ある女性がスタッフとして働きに来てくれていた。Mという苗字だった。かなり破天荒なタイプで、ほかのスタッフは戸惑っていた。話を聞いてみると、どうもかなりアクティブな家系のようだった。たとえばお父さんは、自衛隊でイラクに行っていた。その父も遠く海外に行った経験がある。そのさらに父も。そして本人も、ある日ヨーロッパに留学に旅立ってうちを辞職した。有能で頼りにしていたから大変困った。

後で判明したのだが、Mというのは松浦家の家臣の家系だった。松浦というのは、九州北部の豪族=大名である。司馬遼太郎の「韃靼疾風録」が、江戸時代初期の松浦家の内容だからお読みいただけるとわかりやすい。永く北九州に存在している氏族で、蒙古襲来の際には最前線で奮闘していた。元をたどれば、魏志倭人伝の末盧国である。耶馬台国のころから松浦族は北九州に蟠踞して、史書にその名を残しているのである。

末盧族=松浦族はつまり、交易族である。倭人伝のころから大陸と日本の交易の中継地点にあり、あるものはヤマトに、あるものは大陸に長躯し、大胆な貿易を行っていた。のちに彼らは倭寇となり、満州や華南、あるものは東南アジアまで足を伸ばし、江戸時代にいたって大名になって落ち着いていったが、その家臣の子孫はやはり活動性を維持しており、たまたま私のところにスタッフとしてきてくれていた、のである。

ところが安倍総理の先祖も松浦なのである。安倍家の遠祖は蝦夷の安倍宗任らしいのだが、前九年の役で北九州に配流された際に、松浦家に入ったらしい。と考えると、安倍総理の外交活動の超人的、非日本人的な特徴が、私としてはすべて納得できる。

倭寇は、粗末な船に、粗末な武器を積み込んで、大胆に遠距離を航行して、目的地に乗り込むや活動、それも迅速に終了して、風のように立ち去る。モタモタとしてどんくさい日本人的メンタリティーではなく、どこか騎馬民族のような機動性を持っているのが倭寇である。いわゆる農村日本人の行動パターンではない。そかしこれはこれで、(魏志倭人伝のころから連綿と続く)日本人のキャラの一種なのである。農村日本人が好きか嫌いかはともかくとして、歴史的正統性を持っているキャラである。

米朝首脳会談の直前になって、突然政府は「拉致問題は日本自身が解決しなければならない」と言い出した。アメリカの活動の正当性を後押しするという意味で、外交的に決定的に重要な発言であった。たとえば拉致交渉は決裂、自衛隊が強制的に被害者救出に北朝鮮に出撃、それをバックアップするために米軍が北に空爆、という展開になっても私は驚かない。「憲法違反では?」いや、かつてのスタッフMさんは、そういう考え方はしない。Mさんなら、普通にパラシュート部隊を派遣して強制的に救出、という結論を導き出すだずである。安倍さんとMさんは、同一人物ではないが、同一種族である。疾風怒濤族とでも呼ぶべき一族である。

2018年4月29日日曜日

アメリカ考6

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ゴッド・ファーザーPART2 (字幕版)


この映画の冒頭のパーティーシーンでは、
2種類の民族性の否定が描かれている。

上院議員は、イタリア系を馬鹿にする。
フランクは食べ物や音楽を(コルネオーネファミリーはイタリア系だから)、
イタリア調にしようと孤軍奮闘して敗れる。

主演マイケルは、馬鹿にされるイタリア系でありながら、
イタリア系としての主張をすることがない。
アメリカに同化しようとする。

そしてキューバの民族革命に、希望を粉砕される。

アメリカにおけるエスニシティの悲劇ともとれる内容である。

2018年4月25日水曜日

アメリカ考4

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『偉大なギャツビー』を読む―夢の限界
リチャード・リーハン

図書館にあったので借りてきて読んだ。
著者は大変碩学な方である。ギャッツビーの時代背景からなにから、全部調べてある感じである。
いわく、シュペングラーの「西洋の没落」がベースになっているのではないかと。

ギャッツビー作中でトムが、「ぼやぼやしていると白人は有色人種に支配者の座を取って代わられる」と危機感をあらわにするのだが、その根底にシュペングラーがあるらしい。作者が日記などを調べて突き止めた。大変有意義な研究である。

ギャッツビーが本当に評価されたのは戦後だが、なぜ戦前のアメリカがあそこまで反日的であったのか示唆する内容である。日米戦争の歴史においても、「ギャッツビー」は重要な作品なのかもしれない。

と、一方でリーハンさんは、実は内容あんまり読めていない。一番重要な部分、「これは神話である」ということは把握できているが、内容詳細について読み解けているわけではない。本人、「30年で100回以上読んでいる」と豪語するにもかかわらず、である。

だいたい30年で100回読む、というペースでは読み解くことは不可能である。3年で100回読めば、どんな本でも、(章立て表、登場人物一覧表をつくらずとも)楽勝で読み解ける。かなりきついペースにはなるが。

2018年4月20日金曜日

アメリカ考2

文化は天下の回り物だから、アメリカ文化が他国に淵源を持っていても不思議ではない。
しかし、ドイツ出自に一方的に偏っているのは事実だろう。

コンラッド「闇の奥」経由の、ニーベルングの指環作品群以外にも、
たとえばディズニーの城は、モデルはノイシュバンシュタインである。
ノイシュバンシュタイン城は、バイエルン国王ルートヴィッヒ二世の建築である。
彼はワーグナーの世界観にはまって、狂気の城建築マニアになって、国家財政を破綻に導いた。

しかしおかげで文化的影響力が強く、アメリカの子女はみな一度はディズニーの城を見る、
つまりノイシュバンシュタイン城を見る
つまり、ワーグナーの世界観を見るのである。
アメリカ人子女にとっての最大の教師は、ワーグナーなのである。

戦後仏教思想やらなんやらがアメリカではやったが、
あれはドイツに勝ってコンプレックスを解消して、
ようやく「ドイツ以外の世界」に目を向けることができるようになった、
という以上の意味が、ないのではないか。

2018年4月19日木曜日

アメリカ考

久しぶりの更新

どうもアメリカ文学を少しかじって、わけがわからなくなっている。
いったい、アメリカとはなんだろうか。

「グレート・ギャッツビー(華麗なるギャツビー)」あらすじ解説
https://matome.naver.jp/odai/2151906038411081501

半年かけてかなりほじくって研究したのだが、
これはアメリカ文学なのだろうか?
ドイツ文学集大成+イギリス文学コンラッド
のように思える。

こういう移民国家、多民族国家の人々は、きっついだろうなというのが正直なところで、
いざとなったら川柳でもひねる我々には考えられない、
足元がぐらつく感じ、不安な感じがつきまとうのではないか。

2017年1月20日金曜日

新羅と高句麗

新羅が百済を滅ぼした。
倭国は百済を復興すべく、白村江に出兵した。
迎え打ったのは、新羅と唐の連合軍である。
倭国は大敗した。

なぜ唐が新羅を救援したか。
それは高句麗に対応するためである。
高句麗遠征の失敗で隋は滅びた。
後をついだ唐は同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
高句麗を新羅と挟み撃ちにしたかった。
だから、白村江に兵を出して、新羅を救援したのである。

中国が朝鮮半島に覇権を求める場合、
そして朝鮮半島が南北に分断されている場合、
この方法は今日でも有効である。
朴政権が中国と疎遠になり、アメリカ寄りになってから、
韓国の検察は朴政権を攻撃しはじめた。
中国の勢力が強く韓国を覆っており、
アメリカの力は大変薄弱になったと見てさしつかえない。
(韓国が反故にしつつある慰安婦合意は、アメリカの肝いりだったことを想起されたし)


以上から、朝鮮半島をめぐる覇権争いの帰趨は、
すでに決していると見るべきだと考える。
中国が侵攻作戦を決行するのは、
シリア情勢にたいするアメリカの動き次第だが、
数年以内だろうと思う。

2016年11月29日火曜日

日本映画

最近日本映画は好調です。
なぜ好調か。製作サイドの努力をうんぬんする声が高いのですが、
実は単純な話です。
テレビの魅力が弱まっただけです。

実は1950年代、日本映画は世界最高水準でした。
小津の「東京物語」が1953年
溝口の「近松物語」が1954年
黒澤の「七人の侍」も1954年
巨人がそろいぶみしていました。

しかし1959年、皇太子様ご成婚の影響で、家庭に一気にテレビが普及しまして
その余波を受けて、日本映画は長期没落にはまりました。
ところが平成に入って以降、テレビの面白さが長期没落しています。
それで映画館に人が戻ってきたと。

あとレンタルDVDが100円というのは大きいですね。


2015年4月8日水曜日

太宰治「人間失格」解説

人間失格の主人公は天皇である。
すくなくとも第二の手記、第三の手記は歴史年表構成になっている。
(第一の手記は、神話などが入り混じって明快ではない)



少なくとも太宰は、
「誰かがこれを読んでくれる」
と思って書いた。
私見では、三島由紀夫は読めた痕跡がある。
(豊饒の海四部作は、人間失格的な構成を持つ)

太宰はそれを文中で表現している。
青文字で書いている、
コメとトラ、シノムニとアントの章である。
逆の読み方をしろ、と。

そろそろ太宰の意図を、世間一般が理解してあげるべきだと思う。
原爆投下と、御前会議での聖断は、
(若干不謹慎な言い方かもしれないが)
日本の歴史の、ピークである。
日本の歴史の最大のドラマが、あの数日間にある。

それを
原爆投下=堀木の優しい微笑
聖断=モルヒネの拒否

と表現した。

「ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。

 「いや、もう要らない」

  実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。」

このフレーズは、日本史上最大の瞬間であると同時に、
日本文学最大の瞬間であると思う。



2014年7月27日日曜日

去勢と識字率


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%AD%97
より
「1443年に朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、
また幕末期に来日したヴァーシリー・ゴローニンは「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」と述べている」


*********


日本は昔から識字率が極端に高い。
特に注目すべきは、女性の識字率が高いことである。
こんな国は、世界に無い。


鎌倉以降の日本社会は直系家族で、
直系家族は女性の識字率向上がダイレクトに全体の識字率の向上に影響する社会だから、
日本の識字率の高さの原因は、
「なぜ女性の識字率が高かったのか」という疑問に答えれば、
ほぼ解決する。


「直系家族だったから識字率が高かった」という、
エマニュエル・トッドの説明は説明になっていない。
コリアは直系家族であるが、日韓併合までは識字率は低かった。
直系家族は一旦識字率が上がり始めたら、どんどん上がりやすい社会であるのは確かだろう。
しかし、識字率が上がり始めるかどうかは、又別の要因が介在するはずである。


「平家物語」によって識字率が向上したというのも、
説明になっていない。
日本の女性の識字率の高さは、
遅くとも平安時代には確認できるからである。
王朝女流文学の作品を見よ。


清少納言、紫式部、和泉式部など、
平安時代の宮廷は才女を矢継ぎ早に生産している。
文化というものは上から下にながれるものだから、
平安時代の上流階級の文化、
すなわち女性は読み書きできるのが偉い、という価値観が、
1443年までには十分浸透していたと思われる。


ではなぜ彼女たちが才媛だったか。
彼女たちは、女官なのである。
今日の言い方では官僚なのである。
宮殿があればそこではたらく官僚があるのは当たり前である。


通常、ユーラシアの国々では、
宮殿、特に後宮では宦官を雇用する。
女性も雇用はするが、
事務、運営の主役を担うのは去勢された男性である。
宦官というと馬鹿にされがちだが、
中国では宮廷運営には時に通常の官僚を圧倒するほどの実力を持った集団だった。
しかし、日本には宦官が存在しなかった。

他国では去勢された男性がこなしていた事務仕事を、
日本では女性がこなしていた。
こなしていたせいで、
事務をこなすだけでなく、
力余って王朝のかな文学まで発展させて、
以後女性も読み書きできるのが当然という社会の風潮になったのである。


宦官の存在の前提には、
去勢技術の発達がある。
騎馬民族には必須の技術なのである。
種馬を除くオスの馬は、去勢するのが基本である。
そうでなくては気が荒くなって、事故が頻発してしまう。


ところが日本は騎馬民族でなく、家畜文明として十分発達していないせいで、
去勢技術が無かった。

去勢技術が無かったせいで宦官が無く、
宦官が無かったせいで女官が後宮の仕事を仕切り、
女官が仕事を仕切ったせいで文字教養のある知的な女性が育ち、
文字教養のある知的な女性が上流階級の女性とされたおかげで、
全体の識字率が上昇したのである。


以上の理屈を簡略に述べると、
いささか失礼で、
いささか危険な表現になるため、
あえて長々と述べた次第である。


「馬の睾丸を抜いていたから、ユーラシアの女性は文字の学習が遅れた」
となるのである。

2014年6月3日火曜日

賊軍史観

あまりにも奇抜な史観なので、
誰にも信用してもらえないだろうが、
実を言うと書いてる本人自身が信用していない。
しかし思いついたので書く。

「対米戦争はなかった」
「あったのは戊辰戦争の官軍と賊軍の戦いだけである」
「官軍と賊軍の戦いは、つい最近まで続けられたが、安倍首相の登場でひと段落ついた」

説明1)
昭和初期の日本の政治の登場人物、
限界まで絞り込むと、
石原莞爾
東条英機
山本五十六
の3人になる。
主演級はこの3人。
他は助演男優である。
主演の3名はいずれも、戊辰では賊軍に属していた地域の人々である。

説明2)
そもそも太平洋戦争の戦死者の、
過半数は餓死である。
かなりの人数が、戦争もせずにただ飢えと病に死んでいった。
要するに、敵を殺していないのである。
対外戦争と呼ぶにはあまりにも奇怪な現象である。
内戦のとばっちりでアメリカに戦線布告したと考えたほうが、
数字の上からは整合的である。

説明3)
田中角栄およびその弟子筋は、
基本的に賊軍の人々が多い。
金丸信(山梨)竹下登〔島根)小沢一郎(岩手)。
民主党も、実質は小沢の選挙能力で政権を取った。
小沢の権勢は、さきほどの選挙の大敗まで続いた。

説明4)
理研(理化学研究所)も、賊軍の組織である。
名物所長大河内正敏は、
知恵伊豆(松平伊豆守信綱)の末裔である。
大河内のころの理研に、田中角栄がなぜか出入りしていたのは有名な話である。
今日官軍の世になって、理研の屋台骨が揺らいでいるのは、
大きく見れば賊軍の敗退である。



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2014年5月14日水曜日

半島国家の初期化

細胞が簡単に初期化するという仮説を立てただけでこれほど大げさに騒がれるのは、
みんな細胞は簡単には初期化しないと思っている、ということである。
初期化するのか、しないのか私には分からないが、
今までやりかたが見つからなかったくらいそれくらい、条件的に難しいことは間違いない。

かつて司馬遼太郎が、
「組織は発生当時の性質を引き継ぐ」
という仮説を立てた。
細胞が初期化しづらいなら、
人間組織のような大きなものが初期化しないのは、
当たりまえである。

司馬の論拠は、江戸時代の藩にある。
「幕府成立時の藩主の振る舞いが、鳥羽伏見に反映している」
藤堂高虎は大阪を裏切って徳川にすりよった人物だが、
藤堂家は鳥羽伏見では徳川を裏切って幕府についた。
裏切りによって徳川政権成立を支えた藩は、
裏切りによって徳川政権崩壊を支える。
藤堂藩は裏切りが一貫しているし、
そういう藩が多い、というのが司馬の説である。

私なりに考えても、
毛利は関ヶ原で西軍につき、事情あって戦闘に加われなかったが、
とにかく負けた。負けて領地を減らされた。
それで260年間、毎年正月に言い続けた。
「殿、今年こそは徳川征伐をいたしましょう」
「いやまだ待て。準備が整っていない。今年は見送ろう」
こんな儀式でも260年続ければ現実化する。
徳川政権にたいする被害者意識と復讐によって作られた藩は、
徳川政権にたいする被害者意識と復讐を実現する。
毛利は被害者意識と復讐が一貫していたのである。

大日本帝国の初期条件はペリー来航である。
アメリカの艦隊に対抗する為に、新しく国家組織がつくられた。
その国家組織滅亡の過程を見れば、
司馬の仮説は正しいのではないかと思われる。
まるでゴキブリがゴキブリホイホイに引き込まれるように、
フラフラと、理性を失って対米戦争に引き込まれている。
連中が馬鹿であったというのは簡単で、事実でもあろうが、
なぜかその瞬間ものすごく馬鹿になってしまったというのが、
より正しい表現であろう。
アメリカ艦隊に戦うためにつくられた国家は、
アメリカ艦隊との戦いに吸い込まれてゆくのである。
大日本帝国はアメリカ艦隊との戦いということで、一貫していたのである。

さらに、物凄く近い例では日本銀行がある。
日本銀行はもともと、インフレ対策として設立された組織である。
だから断固としてインフレに対抗し続けた。
デフレになってもインフレに対抗しつづけた。
その初期条件の縛りを抜け出すのに、
20年くらいかかった。
経済状況の悪化で、死ななくても良い人がおそらく数万人単位で死んだ。
でも20年間、抜け出せなかった。
インフレを克服されるためにつくられた中央銀行は、
インフレでなくなっても、妄想の中のインフレを克服しつづける。
日銀はインフレと戦い続けるという意味で、一貫していたのである。
それほどまでに、組織の初期条件は恐ろしいのである。

さて、大韓民国は、第二次大戦後、アメリカによって作られた国家である。
作った目的は、日本の軍事的伸張を封じ込めることにある。
だから李承晩のような人物を大統領に担ぎ上げた。
いわば日本と敵対するために製作された国家である。
さらに言えば、反日教育を、260年ではないが、
半世紀も続けてきた国家である。

さてここで、司馬の仮説を当てはめて考えてみよう。
組織は初期化できない、という仮説を。
初期条件で一貫しつづける、という仮説を。
私はこのままでゆけば必ず、日韓間に戦争が起こると思うのである。

「新しい組織にすればいいじゃないか。
例えば北と統一国家をつくれば、新しい国家になって、
初期条件の縛りは解消されるはずだ」

そう、確かに理論上はその通りである。
しかし、
二千万人の飢えた民を抱え中国と直接国境を接する道と、
日本と戦争をする道、
どちらが韓国国民にとって得か。
私が韓国国民なら、一瞬のためらいもなく後者の道を選ぶ。

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