以前書いた飛行機と菜穂子の関係を再掲すると、
「菜穂子が油を吐いたとき、次郎は死を観念したに相違ない。
当時の日本のエンジン開発能力では、結核で油を吐いたらまず墜落なのである。
でもそのエンジンでも結果を残さなければならないから、祝言を挙げた。
機体そのものは花のように美しく、何度も口付けをして、愛した」
である。
広く言えば女性と戦争を結びつける、
和事と荒事を結びつける物語技法は、
古くから存在した。
西洋ではイーリアスが典型であり、
女性関係のトラブルからトロイの大戦争に発展してしまう。
中国では不思議なことに見当たらないのだが、
日本では例えば平家物語。
物語冒頭の「祇王」という白拍子の話が、
全編をコントロールしている。
平清盛が祇王という白拍子の愛人を、
粗略に扱ってしまい、祇王は山の奥に庵を結んで、
ただ西方極楽へ行くことだけを祈念しつづける。
平家の悲劇は、この女性へのつらい仕打ちが原因なのである。
あるいは「仮名手本忠臣蔵」。
鶴屋南北が忠臣蔵を上演したときには、
「東海道四谷怪談」と場面を交互に入れ替えて上演したらしい。
つまり、忠臣蔵と四谷怪談を合一しようとしたのである。
忠臣蔵は男の面子がつぶされる話、
四谷怪談は女の顔がつぶされる話、
同じと言えば同じである。
画像
だから戸板返しのシーンがある。
男世界も女世界も、
一枚の板の裏表であるという主張であろう。
さらに現代では、
「艦隊これくしょん」もある。
艦娘と一緒に戦い、あげくに「ケッコンカッコカリ」というシステムがある。
要は「結婚(仮)」という意味だと思われるが、
ゲームの目的が戦争の勝利なのか結婚なのかさっぱりわからない。
かなり強引に荒事と和事を合体させている。
そういう意味では、
「風立ちぬ」と「艦これ」は同じ趣旨のものである。
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