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2014年6月5日木曜日

風立ちぬ・解説25

以前書いた飛行機と菜穂子の関係を再掲すると、

「菜穂子が油を吐いたとき、次郎は死を観念したに相違ない。
当時の日本のエンジン開発能力では、結核で油を吐いたらまず墜落なのである。
でもそのエンジンでも結果を残さなければならないから、祝言を挙げた。
機体そのものは花のように美しく、何度も口付けをして、愛した」

である。
広く言えば女性と戦争を結びつける、
和事と荒事を結びつける物語技法は、
古くから存在した。
西洋ではイーリアスが典型であり、
女性関係のトラブルからトロイの大戦争に発展してしまう。

中国では不思議なことに見当たらないのだが、
日本では例えば平家物語。
物語冒頭の「祇王」という白拍子の話が、
全編をコントロールしている。
平清盛が祇王という白拍子の愛人を、
粗略に扱ってしまい、祇王は山の奥に庵を結んで、
ただ西方極楽へ行くことだけを祈念しつづける。
平家の悲劇は、この女性へのつらい仕打ちが原因なのである。

あるいは「仮名手本忠臣蔵」。
鶴屋南北が忠臣蔵を上演したときには、
「東海道四谷怪談」と場面を交互に入れ替えて上演したらしい。
つまり、忠臣蔵と四谷怪談を合一しようとしたのである。
忠臣蔵は男の面子がつぶされる話、
四谷怪談は女の顔がつぶされる話、
同じと言えば同じである。

画像

だから戸板返しのシーンがある。
男世界も女世界も、
一枚の板の裏表であるという主張であろう。


さらに現代では、
「艦隊これくしょん」もある。
艦娘と一緒に戦い、あげくに「ケッコンカッコカリ」というシステムがある。
要は「結婚(仮)」という意味だと思われるが、
ゲームの目的が戦争の勝利なのか結婚なのかさっぱりわからない。
かなり強引に荒事と和事を合体させている。
そういう意味では、
「風立ちぬ」と「艦これ」は同じ趣旨のものである。


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