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2014年8月29日金曜日

タルコフスキー「鏡」・解読19

「鏡」の解釈について、訂正である。
前に


(第一部)
 1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1
2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1
3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1
(第二部)
 4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2
5、イグナートの留守番(成人時代)B-2
6、兵役訓練(少年時代)C-2
(第三部)
 7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3
8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3
9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3




となる構成にしたがって、私なりに読み解くと




1、侵攻を喪失したロシアに、ヒトラーが接近した。ヒトラーは去ったが、国土は焼かれた
2、その後、圧制の時代になった。一言半句の間違いが命取りになる時代。
 3、圧制も終わり、通常の生活の中でも、過去のスペイン内戦介入の残滓は引きずっている


4、スペイン内戦介入から始まる、全ユーラシアの戦乱の時代
 5、思えばタタールの侵入以来のロシアの宿命はまさにそこにあった。全ての苦難を引き受けてきた
6、戦争で傷ついた教官が、両親を封鎖で亡くした少年に軍事訓練をほどこす。
 苦しみの連鎖。少年たちは心の鳥(希望)を握り締めてしまう


7、一見平穏に見える現在の生活も、内実は非難と疲労で成り立っている。
 涙の中から宗教への希求が立ち上がる。
 8、強制されたとはいえ、最悪だったのは、スターリンの粛清の時代である。
だが、最悪の悲劇の中にも、意味は存在する。他者の苦しみを請け負うという意味が。
 母なる大地の苦しみに、父なる神も寄り添う。子である人民も寄り添う。
 9、歴史は克服され、ロシアの焦土化も回避される。
 握り締めた希望は飛び立ち、主人公自身も鳥となり、希望を体現する



と書いたが、鳥は明らかに、聖霊である。
キリスト教絵画では聖霊は鳥として描かれる。
だから希望というより、聖霊とみなしたほうが良い。

そして聖霊とはすなわち、耳に訴えかけるもの、
言葉である。
ニケア信条を読み解く
http://yomitoki2.blogspot.jp/2010/02/blog-post.html


6章で少年は軍事訓練の後、言葉を握りしめた。
8章で鳥が宙に浮く母の前を横切る
9章で握りしめた鳥は飛び立ち(すなわち言葉が飛び立ち)
、主人公も鳥の声で鳴く(すなわち言葉を取り戻す)。


ここで重要なのが、
最後の子どもの主人公が鳥の声で鳴く、というシーンである。
ギリシャ正教では聖霊は父からのみ発する。
カトリックでは聖霊は父からも子からも発する。
タルコフスキーはカトリック思想の持ち主だという証言があるらしいが、
それはこの鳥の扱い、つまり聖霊の扱いから明らかなのである。

2014年6月2日月曜日

タルコフスキー「鏡」・解読18

翻って、第一部冒頭の母と医者との会話を考える。
植物にも意識がある、という医者の主張も、
ダンテの神曲由来のものである。
「地獄編」の中で、
自殺者が樹木になって苦しむ描写がある。

ところで
作中の医者はなんとなくドイツ系の雰囲気で、
作中自殺したのはヒトラーである。
冒頭のシーンはヒトラーのソ連侵攻を暗示していたのである。

では第一部の少年時代の描写、
母の印刷工場でのシーンはどうだろう。
一瞬だが、ポスターにスターリンの顔が映っているのが見て取れる。
ということは、鏡像としてそこに対応する、
第三部知人宅での頼みごとのシーンの鳥の首を切る行為は、
スターリンの虐殺を暗示しているとわかる。
同国人を殺傷するという、望まない行為を強制された時代であった。
全編のクライマックス、空中浮揚のシーンに続くことから、
スターリン批判、スターリンの同国人虐殺が、
この映画の隠された主題であると判断できる。

ソ連は、あるいはロシアは、
かつてモンゴルタタールの侵入を受け、
スペイン内戦に関与し、
ヒトラーの侵入を受け、
中ソ国境紛争に巻き込まれた。
内にあってはスターリンという虐殺王の支配を受けた。

しかし、その歴史は克服された。
母と、父と苦難を共有し、
主人公が鳥になることで。

全体の構成再び見てみよう。

(第一部)
1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1
2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1
3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1

(第二部)
4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2
5、イグナートの留守番(成人時代)B-2
6、兵役訓練(少年時代)C-2

(第三部)
7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3
8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3
9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3

となる構成にしたがって、私なりに読み解くと

1、侵攻を喪失したロシアに、ヒトラーが接近した。ヒトラーは去ったが、国土は焼かれた
2、その後、圧制の時代になった。一言半句の間違いが命取りになる時代。
3、圧制も終わり、通常の生活の中でも、過去のスペイン内戦介入の残滓は引きずっている

4、スペイン内戦介入から始まる、全ユーラシアの戦乱の時代
5、思えばタタールの侵入以来のロシアの宿命はまさにそこにあった。全ての苦難を引き受けてきた
6、戦争で傷ついた教官が、両親を封鎖で亡くした少年に軍事訓練をほどこす。
苦しみの連鎖。少年たちは心の鳥(希望)を握り締めてしまう

7、一見平穏に見える現在の生活も、内実は非難と疲労で成り立っている。
涙の中から宗教への希求が立ち上がる。
8、強制されたとはいえ、最悪だったのは、スターリンの粛清の時代である。
だが、最悪の悲劇の中にも、意味は存在する。他者の苦しみを請け負うという意味が。
母なる大地の苦しみに、父なる神も寄り添う。子である人民も寄り添う。
9、歴史は克服され、ロシアの焦土化も回避される。
握り締めた希望は飛び立ち、主人公自身も鳥となり、希望を体現する


以上で「鏡」解説は終わりである。
映画史上屈指の難物といいえる作品だが、
ほぼアウトラインは描写できたのではないかと思う。

全編でダンテの神曲の影響が強い。
影響の最たるものは3という数である。
全編は3分割され、
それぞれさらに3分割される。
第一部と第三部は鏡像になっている。
地獄のような二十世紀ソ連にあっても、
なおも天上界を希求する姿勢の見える作品、ともいえる。
空中浮揚から希望へと続くストーリー構成は、
サクリファイスに大変近い。

「鏡」に対しては、
黒澤明の、
「脈絡が無いのが思い出なのだから、この映画は考えずに鑑賞すればよいのである」
という説明が有名である。
キリスト教の信仰や、スターリン批判を含んだ映画は確かに、
下手に細かく解説するとまずかったのかもしれない。
もうソ連で映画を作れなくなってしまう。

もっとも、本当に理解できずに、それでも感性だけは強いので、
感性だけで強引に鑑賞してしまったという可能性も捨てきれないのが、
黒澤の恐ろしいところである。

実際には、ガチガチの構成の作品である。
構成力のみで作られている印象さえ受ける。


同じように「神曲」の影響の強い作品、
「風立ちぬ」のDVDがそろそろ発売だから、
そちらの解析に移らなければならない。

「鏡」の冒頭に吹く風、あれはヒトラーの侵攻であった。
「風立ちぬ」の震災の描写はそれにそっくりだが、
象徴している内容も、似ている。


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2014年6月1日日曜日

タルコフスキー「鏡」・解読17

第三部を検討する。

第二部最終シーン、父の再帰の後、
第三部冒頭は成人時代の描写になる。
ここで妻は、第一部と打って変わって、
大変不機嫌で、大変疲れており、主人公も機嫌が悪い。
息子イグナートは火遊びをし、
主人公はそんな息子を酷評する。
しかし妻は火遊びに、モーゼの柴の予言をかいまみる。

その後幼年時代の風景が続く。

まずお手伝いが鏡を見る。
次に主人公はマッチに火をつける。
このシーンとのイグナートの火遊びとの対比は明らかである。

続いて幼年の主人公は誰かの手によって扉を開けてもらい、
納屋の中に入る。
窓ガラスが割れて、鶏が飛び出す。
この節は、幼年の主人公が火を覚えて、
納屋に入って火をつけてしまったことを暗示する。
第一部にある納屋の火事のシーン、
その火事の原因は主人公がマッチを覚え、
かつ納屋に入ってしまったことにある。

続くシーンは少年時代、親戚の家での頼みごとである。
少年の主人公は鏡の向こうに自分自身を見、
そして又初恋の少女が火をくべている姿を見る。
(と考えると、少年を納屋に入れたのは、
その直前に鏡を見ていたお手伝いである)

母が無理強いをされて鶏の首を切るとき、
ごく小さな音量で、
オープニングクレジットと同じ、BWV614が流れる。
正月を迎える音楽である。
続けて空中浮揚のシーン。
ここが全編のクライマックスである。
ここで母が罪を背負ったことで、
そして第一部と違い母の苦しみを息子が共有し、父もそこに寄り添ったことで、
ソ連の苦難の歴史は書き換えられる。

具体的には、納屋の火事はなくなる。
(無論火事を戦争に例えている)
空中浮揚する母の上を、小鳥が飛ぶ。

この小鳥は火、水、鏡にならぶ全編中重要なアイテムである。
最初に出てきたのは第二部(中間部)少年時代の兵役訓練の後である。
雪の坂で反抗した少年の頭に小鳥が止まる。
少年はそれを掴む。

そして母の空中浮揚で飛び、
続く幼年時代の茂みのシーン(ここまでに3回出現しているシーンである)の4回目に、
小鳥が茂みを横切る。

幼年時代の描写になり、
納屋の中の少年は放火をしていない。牛乳を抱えており、鏡を見ている。
続くシーンで少年は、なにかが燃えていると伝えるのだが、
実際に燃えているのは寝室のストーブであり、
納屋の火事は回避されている。

ワンシーンのみ、成人時代のシーンになる。
主人公は病臥している。
扁桃腺という言葉がでてくることからもわかるように、
第一部の母との電話の続きである。
イグナートにプーシキンを朗読させた、
ロシア皇帝とお手伝いがつきそっている。
主人公は「なにもかもうまくゆく」と言って、
ベッドで倒れている小鳥を握り、空に飛び立たせる。
これが3度目の鳥の飛翔である。
幼年時代、少年時代、成人時代、
時代を貫いて小鳥が飛んだことになる。

最後に幼年時代。
母と父が草原に寝ている。
父が言う。
「どちらが欲しい?息子か娘か?」
母は笑いながら涙を流す。
これから味わう困難を見通すかのように。

そして(老いた姿の)母に子どもたちが連れられて歩く姿を、
若い母は見る。
ヨハネ受難曲の冒頭合唱が流れる中、
少年は大きな声で、鳥のように鳴く。
そう主人公は鳥になったのである。


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2014年5月28日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読16

中間部は前回見たように、
ソ連の第二次大戦前後の歴史をなぞっている。
その最終節として、失踪した父の再帰が写される。
父は軍服を着ている。
ここで軍事が終わったということである。
父も子たちも涙を流している。
つらい歴史であった。

中間部の印象的なシーン、
少年のころの軍事訓練、
退役軍人の教官は頭を負傷しており、
脳膜が露出して呼吸とともに息づいている。
これはダンテの神曲、「地獄編」より
第八券、第九の嚢、
離反を生み出した罪で内臓が露出して苦しむシーンに基づいている。

文化大革命のシーン、
毛沢東の胸像が多数並べられているが、
これもダンテの神曲「地獄編」
最下層の地獄の手まで、巨大な悪魔が鎖につながれて、上半身を露出している姿に基づく。
ここでは毛沢東は悪魔であり、
その直前にヒットラーの死体の映像が流れるが、
ヒットラーが死んでもなお、新しい悪魔が生産されているという意味である。
地獄編の参照から類推されることは、
この中間部はソ連の味わった地獄を表現しており、
作者は自身の少年時代の母子関係を、それに重ねているということである。

だが、それでも父は再帰する。
再帰のシーンではマタイ受難曲、地震のレチタチーヴォが流れ、
大いなる犠牲の元に、復活と救済が予告されるのである。

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2014年5月5日月曜日

タルコフスキー「鏡」・解読15

全体の構造についてもう少し言及する。
「鏡」は3部形式である。


(第一部)
1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1

2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1

3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1

(第二部)
4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2

5、イグナートの留守番(成人時代)B-2

6、兵役訓練(少年時代)C-2

(第三部)
7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3

8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3

9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3


第一部と第三部を比較する。

(第一部)
1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1

2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1

3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1

(第三部)
7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3

8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3

9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3

以上まとめると

(第一部)
A-B-C
(第三部)
C-B-A

となって、まさに「鏡」になっている。


これが仮に

(第一部)
A-B-C
(第三部)
A-B-C

となると、おそらくソナタ形式か、三部形式だと類推できるのだが、
本作ではソナタ形式は採択していない。

さて中間部にあたる第二部をもう少し細かく分析してみる。




青が青年時代
オレンジが少年時代である。
なにも色がついていないのが記録映画の部分である。

記録映画の部分、一部なんの画像かはっきりわからない部分があるが、
だいたい時系列で並んでいるのが理解できる。

スペイン内戦はソ連は介入した内戦であり、
そこがだいたい主人公(監督本人)の幼年時代とダブる。
その後第二次大戦、核実験、文革までを記録映画は描写する。



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2014年4月30日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読14

さてここで全体の構造を見直してみる。
成人時代の対句が1セット
幼年時代も、
少年時代も1セットある。
それらは前後に配置されている。
例えば、以下のような構造が見出せる。


1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1

2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1

3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1


4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2

5、イグナートの留守番(成人時代)B-2

6、兵役訓練(少年時代)C-2


7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3

8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3

9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3



実際には戦争の時代の記録映画は6(C-2)の終わりごろまで、
断続的に展開するのだが、まずはこの構造でおおまかに捕らえる。

すると、以前述べた「鏡」の根底にはダンテの神曲がある、
との仮説が一層説得力をもって浮かび上がってくる。

「『神曲』は、
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)

の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、
各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。」

(Wikiより)

映画「鏡」は3の3倍である9章から成り立っている。



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2014年4月26日土曜日

タルコフスキー「鏡」・解読13

前回妻との会話、カラーとモノクロバージョンの比較で、
うまく対句が発見できた。
他の場所でも考えてみる。

モノクロとカラーの対比、という意味では、
主人公の少年時代の話題が目に付く。

1、印刷工場での母の話(モノクロ)
2、田舎の知人の家に頼みごとに行く話(カラー)
ただし1は主人公は登場しない。
この二つで対句表現を探ってみる。


1、誤植が問題になると思ったが大丈夫だった
2、頼みを聞いてもらえるか不安だったが大丈夫だった

1、ウォッカを与えられる
2、コップに入った飲み物を与えられる

1、大丈夫と思ったが結局非難を受けつらい思いをする
2、大丈夫と思ったが結局鳥を捌かされてつらい思いをする

1、雨に頭が濡れる、シャワーで洗う
2、ぬかるみで足が汚れる マットレスで拭う

1、文字の問題。言葉で不快になる。
2、金の問題。暴力で不快になる。

1、蒸発した夫、子どものことを言及される
2、義父について言及する(イワノフの継娘です)

とこれも対句になっているのがわかる。
となると冒頭と最後の、
主人公の幼年時代も対句になっているのではないか。
いずれも田舎の家のシーンだが、
最後のほうは母が老婆の姿で、つまり現在の姿で登場するのが特徴的である。


1、母が見知らぬ医者と寝転がる
2、母が蒸発した亭主と寝転がる

1、医者は植物にも意識があると言う
2、亭主と娘は植物を咥えている

1、子どもは寝ている
2、子どもは起きている

1、母は若い妻の姿
2、母は年老いた現在の姿

1、母は棚に腰掛けている。棚は折れる
2、母(老婆)は切り株に腰掛けている。

少年時代に比べて、さほど綺麗な対応といえないが、
やはり対句になっている。


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2014年4月24日木曜日

在日問題2



「チスル」という映画、済州島虐殺を描いたものである。
こういう映画がとうとう韓国から出だした。

(ただし、本土と距離のある済州島だから描けた、とも言える。
保導連盟事件は、まだまだ難しいだろう)

大変美しい映像である。
ちなみに、監督はタルコフスキーの崇拝者らしい。


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2014年4月23日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読12

別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
の二つの章をときほぐしてゆく。

以下1、2と表現する。

1、君は母に似ていると主人公が言う
2、お母さんは私に似ていると妻が言う。

1、再婚を妻に勧める
2、再婚するかもと妻に言われて不機嫌になる

1、イグナートを一時預かってくれといわれる
2、イグナートを引き取ろうとして断られる

1、イグナートにお酒はだめだと父親らしく指導
2、イグナートに同居を断られ、腹を立てて馬鹿にする

と、前者は肯定的、後者は否定的に描かれる。
ここまでは対句になっているが、
1にはスペイン人の話題が引き続く。

スペイン内乱はソ連が介入した戦争である。
ソ連の介入はうまく行かず、
結局引き上げるのだが、
引き上げる際にスペイン人を連れてきた、
その人たちが劇中で話しているスペイン人である、
という設定である。

スペイン内乱は1936-1939年である。
その後様々な歴史的記録映画が流れるが、
第二次世界大戦、ヒットラーの死、腐海おを渡るシーンとめぐって、
最後は文化大革命とダマンスキー島事件(中ソ国境をめぐる紛争)で終わる。

スペインはユーラシアの西の果てであり、
ダマンスキーは東の果てである。
紛争は時系列で並べられている。
時間とともに西から東にゆくのである。

となると、
前回少し触れたイグナートの留守番との対比が明らかになる。

イグナートの留守番は、
成人時代のちょうど中間に位置する章である。
内容は、

1、別れた妻が出かけようとしてバッグの中身を落とす
2、イグナートは中身を拾うのを手伝おうとして、コインを集める
3、突然静電気に手をひっこめる、
「前にも似たようなことがあったかも・・いやなかった」と言う。
4、妻は出掛け際に「お母さんが来たらかならず引き止めて」と言う。
5、イグナートがしらない間に緑服のおばさんと老婆のメイドが入り込んでいる。
「ぼうやにもお茶を、いいこと」とメイドに命令したおばさん(ロシア皇帝)は、
プーシキンの手紙をイグナートに朗読させる
6、プーシキンの手紙には、
「ロシアがモンゴルからキリスト教を守った。
これ以外のロシアの歴史を望まない」とある。
7、呼び鈴がなって母が来る。しかしドアを開けた母は、
「家を間違えたようね」と言って帰る。
8、居間にもどるとおばさんは居ない。父から電話がかかってくる
9、「お父さんはお前の年には初恋をしていた」と言う

以後初恋の人のシーンに移動してゆく。

ここでの中心は言うまでも泣くプーシキンの手紙である。
「東から来たタタールの戦役をロシアは吸収した」とある。
西から東と移動してゆくソ連の戦役と対比されている。
ソ連の戦役は、
悲劇を吸収していないのである。
だからスペイン人が悲劇に襲われ、
ダマンスキー島でいざこざが起きる。

「カラマーゾフの兄弟」

想起いただきたい。

ロシア的キリスト教メンタリティーでは、おそらく以下のようになる。

「イエスは自身を犠牲にして人類を救済した。
ゆえにイエスに倣う私たちも自身を犠牲にする気持ちを持たなければならない。

モンゴルの侵入に耐えた行為はロシアの自己犠牲であった。
第二次世界大戦前後のソ連の行為は自己犠牲ではなかった。
我々は自己犠牲を引き受けなければならない」

プーシキンの手紙と、
記録映画の映像を見れば、このような解釈になる。

そして、

別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
の意味も明らかになる。

カラーのほうは、主人公の人間関係は良好である。
しかし、スペイン人が苦しんでいる。

モノクロのほうは関係は最悪である。
(別れたおくさんなどは、終始体調悪そうである)
でも、スペイン人の悲劇は付着しない。

身の回りの人間関係の悪化を、
ただの悪化と見ずに、
「誰かの悲劇の身代わりになった行為である」
と考えるロシア的思想である。



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2014年4月22日火曜日

タルコフスキー「鏡」・解読11

前回無意識に使ってしまった用語だが、
この映画全体も3時代に分割できる

1、幼年時代

2、少年時代

3、成人時代

以上が細切れになって組み合わされている。
以下簡単に説明

1、幼年時代

冒頭の母と医者の会話、納屋の火事
映画終盤のモノクロシーケンス(風の吹く屋外テーブルなど)
老母との会話、

2、少年時代
(主人公は出てこないが)印刷工場での母
ダビンチ画集を見る主人公、父の再帰、
近所の家での頼みごと(母の鶏の首切り)

3、成人時代
病気で母との電話
別れた夫婦の対話1(カラー)
イグナートの留守番
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
病床の主人公

それ以外に記録映画が挟み込まれるが、
今は考慮しない。

一見してはっきり対句になっているのは、、
3、成人時代に別れた夫婦の会話の2回である。

はじめはカラーで、妻は主人公に好意的であり、
結果主人公はイグナートと同居できる。

2回目はモノクロで、妻は主人公に批判的
結果イグナートとは同居できない。
この二つは明らかに対比でつくられている。

同じように対比になっているのが、
病気で母との電話と(扁桃腺で3日話していない)
病床の主人公(扁桃腺は原因でない)である。

その2セットと対句をつなぐのが、
イグナートの留守番のシーンで、
ここに突然出てくるおばさんが、
病床の主人公のシーンでも出てくる。

ちなみに、
時系列で言えば

病気で母との電話(ベッドの主人公)

別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)

イグナートの留守番
病床の主人公

となるはずで、

イグナートの留守番が、
カラーの続きなのかモノクロの続きなのかは判然としないのだが、
しかしイグナートの留守番はカラーで撮影されており、
実際に主人公の家に居るのだから、
カラーバージョンの続きと考えるのが良いだろう。


この
別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
の対句表現は大変特徴的で、
あきらかにこの映画の内容を解き明かす鍵を握っている。


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2014年4月21日月曜日

タルコフスキー「鏡」・解読10

オープニング以降も、ダンテの神曲にならって、
「3」は頻発する。


例えば「転倒」
1、母と医者が話しているシーン、
棚に腰掛けて話しているが、棚が折れて転倒する。

2、兵役訓練で教官に逆らった子どもが、
雪の坂を歩いて上る時に転倒する

3、少年時代、失踪していた父が戻ってきたとき、
走っている最中に転倒する

と3回転倒している。



あるいは「開かない」
1、医者が母に話しかける内容。
「釘がないか?蓋が開かない」

2、母が印刷工場でシャワー室に入り、
中から鍵を閉めて開かなくする

3、モノクロ映像、幼児時代。
ドアを開こうとして開かない。
中から開き、母と犬が居る。



「植物」
1、冒頭で医者は言う。
「植物にも意識があると思ったことは」

2、幼児時代。老母の姿をした母に
「燃えている」という時、妹が草をくわえている。

3、父と母が草原で寝転んで、父が
「どちらが欲しい?男か女か」
と言っているシーン、父は草をくわえている。



「血」
1、医者が立ち去る際に、耳の後ろから血を出している

2、初恋の少女、唇が荒れて血が出ている

3、少年時代、母が頼みごとをしにゆく近所の家で、
鏡を見る。唇が荒れて血が出ている。



「落下」
1、幼児時代、猫の頭に白い砂糖をふりかける主人公

2、母が髪を洗うシーン、白い天上が落下する

3、記録映画、白い紙吹雪が落下する



「心配」
1、幼児時代、燃える納屋を見て子供が居るのではと心配する声

2、印刷工場、母は誤植があったのではと心配する

3、兵役訓練、模造弾が爆発するのではと心配する戦傷教官



「「老母」
1、母が髪を洗った直後、母が老母になって出現する

2、成人時代、留守を守るイグナートに老母が尋ねてくるが、
「家を間違えたようだね」と言って帰る

3、幼年時代、老母の母に向かって「燃えている」と言う。



「医者」
1、冒頭母に話しかける男は職業は医者

2、近所の家で、継父のイワノフは医者であったと言う

3、病床、医者が主人公の容態を説明する


他にも膨大にあるので以降省略。
また後ほど一覧で提示する。
(最初「鏡」というくらいだから対句対句でくると思っていたが、
よく調べたら三連であった)


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2014年4月20日日曜日

タルコフスキー「鏡」・解読9

さてダンテの「神曲」からの影響というか引用は、
「鏡」のそこかしこに見て取れる。
その最大のものは、3という数字である。
ダンテの神曲は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9B%B2
3行詩の連続の形態である。

以下Wikiより引用

『神曲』は、
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)

の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、
各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。

また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。
各行は11音節から成り、3行が一まとまりとなって、三行連句の脚韻が aba bcb cdc と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。
各歌の末尾のみ3+1行で、 xyx yzy z という韻によって締めくくられる。
したがって、各歌は3n+1行から成る。このように、『神曲』は細部から全体の構成まで作品の隅々において、聖なる数「3」が貫かれており、幾何学的構成美を見せている。
ダンテはローマカトリックの教義、「三位一体」についての神学を文学的表現として昇華しようと企図した。
すなわち、聖数「3」と完全数「10」を基調として、 1,3,9(32),10(32+1),100(102,33×3+1) の数字を『神曲』全体に行き渡らせることで「三位一体」を作品全体で体現したのである。

引用終わり


映画の冒頭を思い出してほしい。
最初にイグナートがテレビをつける。
次のシーンはモノクロで、高校生の吃音の治療。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


にあるように、女医の言葉と高校生の言葉が「鏡」になっているが、
同時に3という数字が象徴的に登場するシーンである。

少年はまず女医の眉間を見て、前に倒れる。
女医が後頭部に手を当てると、後ろに倒れる。
次に手を緊張させる。

3である。

手を緊張させた状態で女医は言う。
「3つ数えると緊張は解け、話せるようになる」

そして「1,2,3」
緊張は解け、どもらず話せるようになった状態で、
オープニングクレジットに移動。


以上はオープニングでの「3」の使用である。

「千と千尋の神隠し」の考察

をご覧いただきたいのだが、
(全てではないが)すぐれた作品の多くは、
冒頭部分に作品全体の本質を提示する。
タルコフスキーもここで、
「鏡」という側面と
同時に3、つまり「神曲」の後継作品であるという側面を、
効率的に提示している。


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2014年4月9日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読8

作中文学作品に関することが5回語られる。
うち4回はロシア文学である。

1、冒頭の棚に母が座っていたシーン。
チエホフの「6号室」が話題になる。

「6号室」は、チエホフの短編で、
精神科の医者が患者と仲良く知的な会話をしてしまい、
次第に「頭が狂った」とみなされ、病室に入れられて死ぬ、
という話である。
母にちょっかいをかけた医者は、
「植物にも記憶がある」ということを言ったりしたので、
母に頭を疑われる。
「あなた、ちょっと」
「いや大丈夫、私は医者だ」
「6号室は?」
「あれはチエホフの作り話だ」


2、母が印刷工場で非難されるシーン。
「悪霊」のマリア・チモフェーブナそっくりと言われる。
「悪霊」はロシアに革命をおこそうとした人々の動きを描写した小説である。
マリアは頭の狂った女性であるが、
狂人ゆえに正しいことを発言してしまう癖がある。

「6号室」、「悪霊」
ともに
「狂っているが正しいことを言う」
「正しいことを言う人が狂っているとみなされる」
という意味では共通している。

3、前述のプーシキンの手紙。

4、主人公が妻と語る2回のシーンの内、
後半のモノクロバージョン
「名前はドストエフスキーか?」
という。
これは嫌味で言っているので、特に意味はないと思われる。
ただし、ドストエフスキーは反体制運動をしていた人であり、
主人公はその場面で、
「われわれもブルジョア化したか」と、
当時の体制的な言葉で語っている。
かなり強い非難の声であるのと同時に、
主人公が(同様のシーンのカラーバージョンと異なって)、
体制的態度を持っていることが示されている。


5、印刷所でのシーン。
非難された母がシャワー室に逃げ込む。
非難した女上司はシャワー室を空けようとして、あけられず、
諦めてどこか楽しそうに立ち去る。
その際口にする言葉が、
「人生半ばにして我暗き森に迷い」である。

これはダンテの「神曲」地獄編の冒頭のセリフであり、
少し文学を知っているものなら誰でも思い出すセリフである。

宮崎駿「風立ちぬ」の、
主人公とカプローニが出会う平原が、
ダンテ「神曲」の煉獄をイメージしていると、
鈴木Pが言っていた。
つまりタルコフスキー「鏡」と宮崎駿「鏡」は、
ダンテの神曲という意味で共通している。

思い起こしていただきたいのだが、
まず「鏡」作中のモノクロの沼地のシーンは、
「腐海」を渡るシーンであった。
ナウシカの「腐海」を連想させずにはおれない。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/03/1.html

そして「風立ちぬ」作中で「ピラミッド」という言葉が出てくるが、
まさに同じ用法でピラミッドという言葉が、
タルコフスキー「ノスタルジア」作中で出てくる。

そして「風立ちぬ」、というより宮崎駿自身が、
どれほどタフコフスキーから影響を受けているか指し示す「風」の映像がある。
以下リンクをクリックいただきたい。
映像小さくて見にくいが、
風に草が揺れる様を見ていただきたい。



「鏡」1分50秒から





「風立ちぬ」の風のシーン、それ以上に、震災のシーンに酷似しているのが理解できるだろう。


タルコフスキーが黒澤明から大きく影響を受けているのは、
有名な話である。

黒澤もタルコフスキーから大きく影響を受けている。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_3.html

宮崎駿は黒澤明から大きく影響を受けている。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_7236.html


そして「神曲」「腐海」「ピラミッド」「風」から明らかなように、
宮崎はタルコフスキーからも大きく影響を受けているのである。
特に「風立ちぬ」は最も影響を受けた作品と言えるのではないか。





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2014年4月3日木曜日

タルコフスキー「鏡」・解読7

主人公の少年時代の思いでのシーン、
隣に居る少年が、回れ右の号令に反抗して、
360度回転するシーンがある。

これは、革命とは回転することであるから、
結局元に戻る、という意味である。
明快な反革命、反体制思想である。
しかしストレートには表明できないから、このような表現になった。

ちなみに、この少年は主人公でもなければイグナートでもない。
顔も違うし、服も違う。
服の違いはこのややこしい映画を読み解く重要要素であって、
タルコフスキーは服への配慮が大変素晴らしく、
整合的である。

主人公の少年時代の演技と、
主人公の子ども(イグナート)の演技は、
一人の少年が担当しているが、
イグナートの場合には、格子柄のシャツの上にセーターを着ている。
別の場面ではそのうえにジャンパーをはおり、頭に帽子を載せているが、
格子のシャツということは変わらない。

冒頭のテレビをつける少年も、格子のシャツであることから、
イグナートであるとわかる。


レオナルドの画集を開くシーンが2回ある。
両方とも主人公の少年時代である。
服の衿を見ればわかる。両方共コートを着ている。
うち一回はイグナートのシーンに近接しているので間違いやすいが、
主人公と見るのが妥当である。

オープニングクレジット終了直後、
美しい田舎の風景のシーン、
母はワンピースの上にカーディガンをひっかけている。
ところで作中、ワンピースのみのシーンもあり(子どもの水浴び)、
カーディガンをひっかけるシーン(主人公の寝起き)もある。
時系列ぐじゃぐじゃだが、
再現してワンピースのみ→ひっかける→冒頭のシーン
と並べ替えて理解するのが正しい。

タランティーノの「パルプ・フィクション」みたいなもんである。


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2014年3月28日金曜日

タルコフスキー「鏡」・解読6

作中見たこともない中年おばさんが、
老人のメイドを従えて、
突然主人公の留守宅に登場し、
イグナートにノートを朗読するように言う。

そこには前回述べた、
ロシアがキリスト教文明を救った、云々が書いてあるのだが、
注目すべきはこのあばさんのコップである。

非常に奇妙な形をしたコップで、
卵の上1/4を切り取ったような形をして、
ガラスのような足が付いている。
表面には精巧に美しい装飾が加えられている。

これも象徴的に表現されているのだが、
ロシアで卵といえば、イースターエッグである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/インペリアル・イースター・エッグ

これほどまでに美しい装飾が加えられている以上、
このおばさんはロシア皇帝、ないし皇帝のごとくロシア全体を考える意思を持った存在、
という意味である。
だから老女にお茶を入れさせる。
偉い人なのである。

その偉い人が、
作品の最期あたりで、
病臥している主人公の枕元でぼやく。
「息子がこんなでは、お母さんはどうなるの?」
ロシア皇帝が心配するほどのお母さん、
となるとここで言う「母」はロシアの大地そのものであろう。
おばさんは、ロシアの精神、ロシアの大地の運命に思いを馳せているのである。

参考
http://yomitoki2.blogspot.com/2013/08/2_20.html



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2014年3月27日木曜日

タルコフスキー「鏡」・解読5

タルコフスキーの映画が一見難解に見えるのは、
本人がガチガチのキリスト教大好き人間であったのに、
当時のソ連ではそれがストレートに表現出来ない環境であったからである。


惑星ソラリスおよびストーカーは、
人間の内面の願望をすべてかなえる神が存在するとして、
それに触れた人間の戸惑いと煩悶を描いたものである。

サクリファイスは、
最終シーンが「父と子と精霊」の三位一体教義を、
映像化したものになっている。

ノスタルジアはちょっと異例で、望郷と信仰がぐっちゃになっている。
細かく解析すればキリスト教的なところは色々出てくるだろうが。


鏡もそうで、

「疑いもなく
教会の分裂は欧州からロシアを引き離した
欧州を揺るがした出来事に我々は関与していない

しかしロシアにはロシアの使命があった
その広大な大地は蒙古の侵入を飲み込んだ
タタール人は西の国境を越えようとはせず
やがて退いた
かくしてキリスト教文明は救われたのだ

その使命のため
ロシアは特異な在り方を強いられ故に
他のキリスト教国とは
全く異なるキリスト教世界を形成した」

というセリフもあるくらい、それくらい
徹頭徹尾宗教的なのである。

そのような映画で、小鳥が飛ぶシーンが出てきた場合、
(三位一体教義の精霊は通常鳩で描かれるので)
これは精霊を表しているかもしれない、と思うのが鑑賞の基本である。

となると失踪した父とはなにか。
ロシアから信仰が失われたことを表現しているのではないか。



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2014年3月25日火曜日

タルコフスキー「鏡」・解読4

作中長々と語られるセリフ 字幕より

(冒頭に登場する医者の言葉)
こんな気がしたことはないかな
植物にも感情や意識があると
理解する力さえも
このハシバミの木だって
(ハンの木よ)
何だっていい
木は動かない
人間は始終走り回り
くだらんおしゃべり
それは我々が
内なる自然を信じず
何かとうたがり深くてせっかちで
考える時間がないから


(イグナートが途中朗読させられるノートの言葉)
しかるに
違った

疑いもなく
教会の分裂は欧州からロシアを引き離した
欧州を揺るがした出来事に我々は関与していない

しかしロシアにはロシアの使命があった
その広大な大地は蒙古の侵入を飲み込んだ
タタール人は西の国境を越えようとはせず
やがて退いた
かくしてキリスト教文明は救われたのだ

その使命のため
ロシアは特異な在り方を強いられ故に
他のキリスト教国とは
全く異なるキリスト教世界を形成した

ロシアが歴史的に無価値であるという意見
それには断固 異を唱える
ロシアの状況をよく見れば
後世の歴史家も目を見張るはず

私個人は皇帝の忠実な民である
しかし 現状に満足しているとは言い難い
文学者としていらだち 人間として屈辱を覚える

しかし誓って申し上げる
私は祖国の変革も
他のいかなる歴史も望みはしない
神がロシアに授けた歴史以外・・・
(プーシキンの手紙 1836年)


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タルコフスキー「鏡」・解読3

作中タルコフスキー監督の父の詩を、監督が朗読するシーンがいくつもある。
以下字幕からの文字起こし


(医者の去った後)
逢瀬の一瞬また一瞬を祭りのごとく祝った
世界は二人のもの
君は鳥の羽より軽やかに大胆に
階段を駆け下り僕を誘い入れた
ぬれそぼるライラックの中を抜け
鏡の向こう 君の世界へと
夜のとばりが下り慈愛が僕を満たした
祭壇の扉が開かれ裸体は闇に輝き
静かにその身を傾ける
僕はつぶやく”君に幸あれ”と
だが分かっていた その祈りの不遜さを
眠る君のまぶたを宇宙の色で染めるライラック
青く染まったまぶたは安らぎに満ち
手は温かだった
水晶の中で川は脈打ち
山々はかすみ 海はきらめく
君はその水晶の天球を手に王座に眠る
ああ 君は僕のものだった
言葉は力に満ち 響き渡った
”君”という言葉が新たな意味を明かす
”君”すなわち”王”なのだ
この世は一変した
たらいまで違って見える
二人の前には厚い水の層
いずこへか運ばれる
僕らの前に蜃気楼のごとく都が広がる
草は足元にひれ伏し
鳥は共に旅をし
魚は川をさかのぼり 空は目の前に開けた
その時 運命が僕らのすぐ後ろに
かみそりを手に 狂人のように


(印刷所)
昨日 朝から君を待った
君はやはり来なかった
空は祝祭のごとく晴れ渡り
外套いらずだった
今日 君は来てくれたが
何やらどんよりした日となり
しかも夜更けには雨
しずくが冷たい枝を伝わり
言葉でもハンカチでもぬぐえない


(腐海にて)
予感を信じない
前兆を恐れない
中傷も悪意も避けはしない
この世に死は なし
すべて不死不滅なのだから
17歳も70歳も死を恐れる必要はない
現実と光あるのみ
闇も死もないこの世で
人々は海辺にたたずみ
不死の群れを待つ
そして綱を引くのだ

家にとどまれ 家は崩れない
私は好きな世紀を選び そこに生き 家を築く
あなた方の子や妻も 私と共に食卓に
曽祖父と孫も招こう
そこに未来が現れる
私が手を挙げれば 光はあなた方のもとに
私は過ぎ去った日々をこの鎖骨で支えてきた
ウラルを抜けるように時を通り抜けてきた
身の丈の世紀を選び
我々は南へと草原に土煙をあげ
草いきれの中キリギリスは戯れ予言する



(以下雪の少年)
僧侶のごとき死の脅し
私は運命を鞍に結び
少年のように腰を浮かせ 未来と駆ける
幾世紀も我が血を流す
不死とはそのためか
常に暖かく確かな一隅
命に代えても守りたい
飛んでくる矢が 糸となり光に導かぬのなら


(以下森の家で)
私は同じ夢をよくみる
不思議なほど
夢は私を連れ戻そうとしているようだ
あの懐かしい大切な場所へ
私はそこで生まれた
四十数年前 のりの効いたクロスの上で
家に入ろうとすると必ず邪魔が・・
よく見る夢だった 慣れてしまった
すすけた丸太の壁や半開きのドアを見ると
これは夢だと分かる
目覚めの予感に
計り知れない喜びがかすんでゆく
時にはあの夢を見なくなる
家も林もでてこない
気がめいってしまう
夢を待ちつつ待ちきれなくなる
夢の中で子供に戻り
再び幸せを感じる
そこには未来が
可能性がまだある



(田舎の近所の家に行った帰り道で)
人間に肉体は1つ 独房だ
5カペイカ硬貨大の耳や目 傷だらけの皮膚
それが骨格を覆っているのだ
”いとわしい”と魂
角膜を突き抜け 魂は飛ぶ
天空の泉へと
鳥の馬車めざし
独房の格子を通して聞こえる
森や畑のざわめき 七つの海の高鳴り
肉体なき魂は 裸体のごとく罪深く
思考も 行動も 意図も言葉もない
答えなきなぞなぞ
”誰も踊らぬ壇上で踊り 帰ってきた人は?”
夢に見る もう一つの魂
別の衣をまとい 光り輝き 希望へと駆け抜け
酒精のように燃え 影もなく地を去る
ライラックの花房を記念に残し・・・
子よ 走れ エウリディケ(オルフェウスの妻)を嘆くな
棒で銅の輪を 己の世界を追え
かすかにでも
一歩一歩の歩みに 陽気に 無精に 
大地がさわめく限り



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2014年3月21日金曜日

タルコフスキー「鏡」・解読2

「鏡」の解読だが、まずは基本的なことから。
使用されている音楽一覧


登場順に

1、タイトルロール
バッハ 古きときは過ぎ去り
Das alte Jahr vergangen ist a-moll BWV 614

新年(大晦日)に歌われるコラールの、オルガンによる演奏
http://youtu.be/eRpFScfi_wc


2、CCCP1飛行の記録映画シーンおよび次のレオナルド画集を見るシーン
ベルゴレージ スターバト・マーテルより最終楽章
(Youtuebリンクは各パート1名の二重唱だが、
映画では合唱になっている)
http://youtu.be/9mrVZHPikqM#t=30m03s

Quando corpus morietur, 肉体が滅びる時には
fac, ut animae donetur どうか魂に、栄光の天国を
paradisi gloria. Amen. 与えてください。アーメン


3、雪の中の初恋の人のシーンおよび兵役訓練シーン
パーセル They tell us that your mighty powers
原曲は歌曲だが弦楽合奏に編曲したものを用いている。
かなりスローなテンポで演奏されている。

http://youtu.be/0IxhePpop1c


4、失踪していた父の再起
バッハ マタイ受難曲より第63曲 

Und siehe da, der Vorhang im Tempel zerriß in そのとき、神殿の垂れ幕が
zwei Stück von oben an bis unten aus. Und die 上から下まで真っ二つに裂け、
Erde erbebete, und die Felsen zerrissen, und die 地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、
Gräber täten sich auf und stunden auf viel
Leiber der Heiligen, die da schliefen, und 眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
gingen aus den Gräbern nach seiner Auferstehung そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、
und kamen in die heilige Stadt und erschienen 聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
vielen. Aber der Hauptmann und die bei ihm 百人隊長や
waren und bewahreten Jesum, da sie sahen das 一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、
Erdbeben und was da geschah. erschraken sie 地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、
sehr und sprachen: 言った。

(イエスの死去直後の天変地異)

http://youtu.be/8ZUFrlzX4Ko?t=1h25m30s


5、母が頼みごとをする間、主人公が鏡を見るシーン
ふたたびパーセル


6、茂みから老いた母と子供が出てくるシーン
バッハ ヨハネ受難曲より冒頭合唱

Herr, unser Herrscher, dessen Ruhm 主よ、われらを治めたまう主よ、あなたの栄誉は
In allen Landen herrlich ist! 全地に輝きわたっています!
Zeig uns, durch deine Passion, お示しください。あなたの受難を通し、
Daß du, der wahre Gottessohn, 真の神の子であるあなたが、
Zu aller Zeit, あらゆる時に、
Auch in der größten Niedrigkeit, 辱めのどん底にあっても、
Verherrlicht worden bist! 栄光を受けておられた事を!

http://youtu.be/-d9FLEIQfME

他は効果音である。

2014年3月20日木曜日

タルコフスキー「鏡」・解読1

解読はまだやっている最中で着地点が見えないが、
面白いことを見つけたので公表。

作中浅瀬を渡るシーンがある。



この浅瀬は「腐海」という名前らしく、
なにやら宮崎駿への影響を匂わせる。
(風立ちぬの「ピラミッド」もおそらくそうである)

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/02/24.html

そしてこの「腐海」は、なんとクリミア半島へ渡る場所であるそうである。

遺作「サクリファイス」でも、核を描き、直後にチェルノブイリが起きた。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_3.html

こういう予言じみたことがあるのが、
この作家最大の特徴である。

クリミア情勢の今後に注目したい。


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