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2014年4月9日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読8

作中文学作品に関することが5回語られる。
うち4回はロシア文学である。

1、冒頭の棚に母が座っていたシーン。
チエホフの「6号室」が話題になる。

「6号室」は、チエホフの短編で、
精神科の医者が患者と仲良く知的な会話をしてしまい、
次第に「頭が狂った」とみなされ、病室に入れられて死ぬ、
という話である。
母にちょっかいをかけた医者は、
「植物にも記憶がある」ということを言ったりしたので、
母に頭を疑われる。
「あなた、ちょっと」
「いや大丈夫、私は医者だ」
「6号室は?」
「あれはチエホフの作り話だ」


2、母が印刷工場で非難されるシーン。
「悪霊」のマリア・チモフェーブナそっくりと言われる。
「悪霊」はロシアに革命をおこそうとした人々の動きを描写した小説である。
マリアは頭の狂った女性であるが、
狂人ゆえに正しいことを発言してしまう癖がある。

「6号室」、「悪霊」
ともに
「狂っているが正しいことを言う」
「正しいことを言う人が狂っているとみなされる」
という意味では共通している。

3、前述のプーシキンの手紙。

4、主人公が妻と語る2回のシーンの内、
後半のモノクロバージョン
「名前はドストエフスキーか?」
という。
これは嫌味で言っているので、特に意味はないと思われる。
ただし、ドストエフスキーは反体制運動をしていた人であり、
主人公はその場面で、
「われわれもブルジョア化したか」と、
当時の体制的な言葉で語っている。
かなり強い非難の声であるのと同時に、
主人公が(同様のシーンのカラーバージョンと異なって)、
体制的態度を持っていることが示されている。


5、印刷所でのシーン。
非難された母がシャワー室に逃げ込む。
非難した女上司はシャワー室を空けようとして、あけられず、
諦めてどこか楽しそうに立ち去る。
その際口にする言葉が、
「人生半ばにして我暗き森に迷い」である。

これはダンテの「神曲」地獄編の冒頭のセリフであり、
少し文学を知っているものなら誰でも思い出すセリフである。

宮崎駿「風立ちぬ」の、
主人公とカプローニが出会う平原が、
ダンテ「神曲」の煉獄をイメージしていると、
鈴木Pが言っていた。
つまりタルコフスキー「鏡」と宮崎駿「鏡」は、
ダンテの神曲という意味で共通している。

思い起こしていただきたいのだが、
まず「鏡」作中のモノクロの沼地のシーンは、
「腐海」を渡るシーンであった。
ナウシカの「腐海」を連想させずにはおれない。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/03/1.html

そして「風立ちぬ」作中で「ピラミッド」という言葉が出てくるが、
まさに同じ用法でピラミッドという言葉が、
タルコフスキー「ノスタルジア」作中で出てくる。

そして「風立ちぬ」、というより宮崎駿自身が、
どれほどタフコフスキーから影響を受けているか指し示す「風」の映像がある。
以下リンクをクリックいただきたい。
映像小さくて見にくいが、
風に草が揺れる様を見ていただきたい。



「鏡」1分50秒から





「風立ちぬ」の風のシーン、それ以上に、震災のシーンに酷似しているのが理解できるだろう。


タルコフスキーが黒澤明から大きく影響を受けているのは、
有名な話である。

黒澤もタルコフスキーから大きく影響を受けている。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_3.html

宮崎駿は黒澤明から大きく影響を受けている。

http://yomitoki2.blogspot.jp/2014/01/blog-post_7236.html


そして「神曲」「腐海」「ピラミッド」「風」から明らかなように、
宮崎はタルコフスキーからも大きく影響を受けているのである。
特に「風立ちぬ」は最も影響を受けた作品と言えるのではないか。





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