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2014年4月26日土曜日

タルコフスキー「鏡」・解読13

前回妻との会話、カラーとモノクロバージョンの比較で、
うまく対句が発見できた。
他の場所でも考えてみる。

モノクロとカラーの対比、という意味では、
主人公の少年時代の話題が目に付く。

1、印刷工場での母の話(モノクロ)
2、田舎の知人の家に頼みごとに行く話(カラー)
ただし1は主人公は登場しない。
この二つで対句表現を探ってみる。


1、誤植が問題になると思ったが大丈夫だった
2、頼みを聞いてもらえるか不安だったが大丈夫だった

1、ウォッカを与えられる
2、コップに入った飲み物を与えられる

1、大丈夫と思ったが結局非難を受けつらい思いをする
2、大丈夫と思ったが結局鳥を捌かされてつらい思いをする

1、雨に頭が濡れる、シャワーで洗う
2、ぬかるみで足が汚れる マットレスで拭う

1、文字の問題。言葉で不快になる。
2、金の問題。暴力で不快になる。

1、蒸発した夫、子どものことを言及される
2、義父について言及する(イワノフの継娘です)

とこれも対句になっているのがわかる。
となると冒頭と最後の、
主人公の幼年時代も対句になっているのではないか。
いずれも田舎の家のシーンだが、
最後のほうは母が老婆の姿で、つまり現在の姿で登場するのが特徴的である。


1、母が見知らぬ医者と寝転がる
2、母が蒸発した亭主と寝転がる

1、医者は植物にも意識があると言う
2、亭主と娘は植物を咥えている

1、子どもは寝ている
2、子どもは起きている

1、母は若い妻の姿
2、母は年老いた現在の姿

1、母は棚に腰掛けている。棚は折れる
2、母(老婆)は切り株に腰掛けている。

少年時代に比べて、さほど綺麗な対応といえないが、
やはり対句になっている。


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