主人公の少年時代の思いでのシーン、
隣に居る少年が、回れ右の号令に反抗して、
360度回転するシーンがある。
これは、革命とは回転することであるから、
結局元に戻る、という意味である。
明快な反革命、反体制思想である。
しかしストレートには表明できないから、このような表現になった。
ちなみに、この少年は主人公でもなければイグナートでもない。
顔も違うし、服も違う。
服の違いはこのややこしい映画を読み解く重要要素であって、
タルコフスキーは服への配慮が大変素晴らしく、
整合的である。
主人公の少年時代の演技と、
主人公の子ども(イグナート)の演技は、
一人の少年が担当しているが、
イグナートの場合には、格子柄のシャツの上にセーターを着ている。
別の場面ではそのうえにジャンパーをはおり、頭に帽子を載せているが、
格子のシャツということは変わらない。
冒頭のテレビをつける少年も、格子のシャツであることから、
イグナートであるとわかる。
レオナルドの画集を開くシーンが2回ある。
両方とも主人公の少年時代である。
服の衿を見ればわかる。両方共コートを着ている。
うち一回はイグナートのシーンに近接しているので間違いやすいが、
主人公と見るのが妥当である。
オープニングクレジット終了直後、
美しい田舎の風景のシーン、
母はワンピースの上にカーディガンをひっかけている。
ところで作中、ワンピースのみのシーンもあり(子どもの水浴び)、
カーディガンをひっかけるシーン(主人公の寝起き)もある。
時系列ぐじゃぐじゃだが、
再現してワンピースのみ→ひっかける→冒頭のシーン
と並べ替えて理解するのが正しい。
タランティーノの「パルプ・フィクション」みたいなもんである。
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