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2018年12月31日月曜日

ユダヤについての仮説4

BC146にカルタゴが滅亡する
フェニキア=ユダヤ人にとってはダメージである。

ところが故地パレスチナに、
ほぼ同じBC140くらいにハスモン朝というユダヤ独立国家が成立する。
セレウコス朝シリアからの独立である。
つまりフェニキア=ユダヤ人にっとってはパレスチナが最後の心のよりどころになったのである。

ところで、キリスト教もユダヤ教の一派であり、盛んに伝道を行った。つまり、当時のユダヤ教は本来、伝道を盛んに行う宗教だったのである。

「ヨブ記」
https://matome.naver.jp/odai/2154057092464739801

では当時のユダヤ教はどのように分布していたのか、そしてなぜキリスト教は広まったのか。

と長々と書いてきたのは以下の仮説を提示するためである。


1、カルタゴ滅亡のころには、ユダヤ教は経典の整理がかなり進んでいた
2、滅亡したカルタゴのフィニキア人は、各地にちらばって生存しており(こっちが本当のディアスポラでは?)、人的ネットワークとして機能していた。
3、彼らはあらたにユダヤ教徒、ユダヤ人として自身をアイデンティファイした
4、ユダヤ教徒、とくにキリスト派の拡大は目覚しく、ローマ帝国を恐怖を覚えた、なぜならばその集団の母体は、フェニキア人だったからである。
5、ある程度以上ユダヤ教が広まった後ではもはや制御不能になっていた。ローマ帝国としてはユダヤ教の一派、キリスト教を国教にしてカルタゴ勢力に対抗するより選択肢がなかった。これがキリスト教がローマ帝国の国教になった理由である。

2018年12月29日土曜日

ユダヤについての仮説3

使いやすい文字を開発したフェニキア人の古代における地位は、今日では「アップル族」「スマホ族」と考えれば理解しやすい。新しいメディアを手にしたものは、手にしていないものにたいして圧倒的な知的優位性を持つ。人類のほとんどが識字していない環境では、神のごとき知性を手にしたのである。というか近隣部族はなんのこっちゃ理解できなかったろう。知的水準に差がありすぎるからである。

が、しかしフェニキアの優位も長くは続かなかった。フェニキア文字からギリシャ文字が派生したのだが、ギリシャ文字は母音がもともと備わっている。子音のみで母音がなく、実際の発音は類推で読まなければならなかったフェニキア文字と比べれべば、ギリシャ文字の優位性は明らかである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/File:AntikeGriechen1.jpg

赤がギリシャ、黄色がフェニキアの殖民都市である。勝敗は明らかである。フェニキア有利なのはパレスチナ近辺と、アフリカ北岸西部、スペイン南部のみである。

しかし、交易ということを考えると、アフリカ北岸西部は悪い土地ではない。フェニキア人たちはおろらく大西洋を南下し、アフリカの物資をヨーロッパまで運び、膨大な利益を得ていたはずである。
それは歴史で証明されている。カルタゴはまさにこの地の王国だからである。

カルタゴは、ローマの歴史を通じて、もっともローマを追い詰めた敵である。天才ハンニバルを擁してイタリア半島を荒らしまわり、その間ローマ帝国はひたすらローマに立てこもって首をすくめている以外に、軍事的にはなすすべもなかった。ローマはそのときの屈辱を決して忘れず、最終的にはカルタゴを完全に破壊した。

それで、考えなければならないのは、その後カルタゴ人、つまりフェニキア人はどこに行ったのか、ということである。

2018年12月28日金曜日

ユダヤについての仮説2

ヒエログリフからフェニキア文字が派生し、フェニキア文字から古ヘブライ文字が派生した。
to
と言っても、フェニキア文字と古ヘブライ文字は実は同じものなのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97

丸に十字の文字の角度が45度違うだけである。

だいたい古代の民族なる概念は、現代の民族以上に不明瞭である。
ターレスはギリシャ哲学の祖であるが、フェニキア人である。
どんな種族でも、ギリシャ社会に入ればギリシャ人である。

で、あっさり言ってしまえば、
古代社会において、フェニキア人もユダヤ人も、大差ない。
人種的にはどうせまちまちで、
海上交易で栄えているのがフェニキア人、
それに取り残されている弱小勢力の田舎ものがユダヤ人と認識して、
まず大丈夫だろうと考えている。

発掘された聖書―最新の考古学が明かす聖書の真実


には「ソロモンの栄華、という事象は考古学的には発見されていない」「ダビテ家が実在したのは立証されている」とのことであって、聖書の記述は相当眉につばつけて読む必要がある。
おそらく栄えていたのはフェニキアであって、内陸部ユダヤは(同種同文でありながら)、地味でたいして栄えていない存在だったはずである。

2018年12月27日木曜日

ユダヤについての仮説1

古代中近東世界にはおおまかに2種類の文字があった。
エジプトのヒエログリフと、メソポタミアの楔形文字である。

楔形文字はハングルやカタカナのようのもので、視認性が悪い。
そのかわり覚えやすく使いやすいはずなのだが、
元来シュメール人のものであった文字を、
アッカドやらアッシリヤ人などが使うので、
使いでが大変悪かった。

同様な事情がタイにもあって、
中国語に近い声調言語、音の高低での表現が多い言語を、
サンスクリット系の文字で表現しようとしているのが、タイ文字である。
母音や子音の細かい分別はたいしたものだが、
決してマスターしやすいものではなくなっている。
タイ人はおそらく中国語と同じく長江中流域に発生した言語で、
タイ人の南下とともに言語として別の発展ルートをたどったのだろう。

あるタイ人に聞いたところでは、
「タイ文字には実に苦労した。
アルファベットのほうがはるかにマスター簡単だった。
結局タイ文字マスターできたのは小学校6年生のときだった」
そうである。私はちょくちょくタイに行ったが、マスターできなかった。
「アルファベットと同等だろう」と考えてアプローチした私が馬鹿だった。

話もどって楔形文字も、
別民族の別言語の人のマスターには不向きだったようで、
シュメールとはまったく別の言語を話すアッカドやアッシリアの人々も、
いざ文字を書く段になると、シュメール語にかなり縛られていた、という話を読んだことがある。

そこへゆくと、安定的に文字を運用できていたのがエジプトである。
なにしろ民族の入れ替わりが基本無い。同じ民族が同じ文字を使い続けている。
エジプト内部で表語文字から表音文字(ヒエラティック)が発生したが、
エジプトの外でも同様に、ヒエログリフを元に表音文字が発生し、
それが今日のアルファベットの基礎になっている。

発生したのは、原カナン文字、およびフェニキア文字である。
カナン、フェニキアは現在のイスラエル地方であり、
エジプトにも近く、メソポタミアにも近い。
両者に近い場所で、書きやすく読みやすい文字が発生した。
このことによって、その土地に住む住民は、
エジプト、メソポタミア両地方の神話、伝説に触れることができ、
それらを書き記すことができた。
これが聖書の成立起源であると考える。

問題は、文字の発生によりたまたま歴史書製作の機会を得ただけで、
カナンには強力な王権が存在していなかったことである。
ヤマト朝廷抜きの日本書紀だったのである。

2018年12月14日金曜日

「豊饒の海」追記16

第三巻「暁の寺」の前半部分は、タイとインドである。
三島は太平洋戦争を直接描くことはせず、タイとインドへの旅行記にとどめた。
おそらくその「暁の寺」の影響を受けた作品が、
松本清張「熱い絹」(1972年)である。

「熱い絹」は、タイのシルク王、ジム・トンプソンの失踪事件を扱う。
ジム・トンプソンはタイでシルクを扱うブランドを立ち上げた人物だが、
当時のOSS、すなわち今日のCIA上がりのスパイで、
人脈を生かしてビジネス的に成功するのだが、
1967年なぞの失踪をとげる。今日まで遺体は見つかっていない。

以下ネタバレになるが、
「熱い絹」の今一人の重要人物は、マレー侵攻作戦のときに現地に取り残されて、
その後現地人として生きた元日本兵である。彼は人々に故郷静岡の茶の栽培を教え、最後は自決する。「豊饒の海」の裏登場人物であってもおかしくない設定である。
ここで取り上げられているのは、イギリスのインド洋支配→日本軍の進駐→アメリカ勢力圏への編入という、東南アジアの歴史そのものである。別に作品としての品格は高くない。いつもの松本清張である。しかし、着眼点はすばらしい。当時の日本人でジム・トンプソン失踪事件に注目できた人はほとんど居ないだろう。

三島は松本を嫌った。激しく嫌った。ひとつには松本がいわゆる気取った文化人を悪く言うからでもある。同時に、おそらく三島の中でも、松本の文章こそがこれからの文章だろうという、予感があったのではないか。今日三島風の文章を書く人はほとんど居ないが、松本風ならわんさか居る。本人たちも意識せず、松本風文章を書いている。文体の影響力としう意味では、三島以上の存在である。それを好むと好まざるとにかかわらず、これは認めなければならないだろう。

そして着眼点も、三島に続いてすばらしい。「暁の寺」の舞台が華北でもなく、華中沿岸部でもなく、東南アジアおよび南アジアに設定されていることは、三島ファンにももう少し重要視いただきたい。批判者はしばしば最大の理解者になるのである。

2018年12月13日木曜日

「豊饒の海」追記15

どうも未だに、ラストシーンの意味についての議論が盛んなようである。私なりに説明してみる。

本多繁邦は綾倉聡子に過去の記憶をすべて否定される。
「それも心心でっさかいに」
記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思つた。

というのが「豊饒の海」のラストである。ポイントを押さえれば明快に説明できる。

1、元ネタの「ニーベルングの指環」のラストを参照する
2、輪廻を基本に考える


1、元ネタの「ニーベルングの指環」のラストを参照する
「ニーベルングの指環」は、ブリュンヒルデが指環を持って火の中に飛び込み、同時にヴァルハラ城も炎上し、神々の世界が一旦終わる。終わった後に「愛の救済の動機」が奏でられ、新たな生と、あらたな世界の生成が予感されて終幕する。

この終末が「豊饒」に受け継がれたと考えるならば、新たな転生が、より良い転生が待っている。

2、輪廻を基本に考える。
本多はここで死ぬ。死なないにしても、長生きした主人公の人生そのものはいったんここで否定される。すると今度は、本多が転生する。後述するようにそれは第一巻の滝で死んでいた黒い犬なのだが、もしも時系列をループさせないならば、あらたな人間として生まれ変わるはずである。本多の人生は、大きく金をもうけて、晩年青年にいじめられた、というだけでさのみ大きな事件のなかった人生だった。しかし飯沼茂之を援助したりして、実際安永も援助はしたわけだから、功徳はそれなりに積んでいる。積んでいるから転生先はもうすこし良い身分である。豊かかどうかしらないが、少し魂がハイグレードになっているはずである。

本多をいじめた安永は、第一巻でモグラとして登場する。松枝につまんで池に捨てられる。同様に、本多も黒い犬となって登場している。こちらは門跡に供養される。
ほかの転生は、飯沼勲が第四巻で変態ナイフ男になって登場、松枝もやさいくず爺さんとなって登場である。つまり、松枝、飯沼は文句なしに劣化版転生、本多、安永は時系列どおりに解釈すれば、アップグレードして転生している。つまり転生がプラスになるかマイナスになるかは人次第である。だから本多も次は虫に生まれるかも知れず、菩薩に生まれるかもしれないのだが、本多だけの持つ属性は、「門跡に供養される」である。第四巻のラストシーンも、事実上門跡の供養なのだから。

ところで門跡とは、皇族が出家してなるのが普通である。聡子は皇族ではないが、皇族になりかけて出家した。門跡が供養するとは、いわば準国葬なのである。国家全体に貢献したもののみが国葬を受ける。本多はそこまで国家全体に奉仕していないが、飯沼のように国家を憂うものを助け、タイ王子との外交も尽力した。単純素朴な暴力漢でもなく、エゴと美意識のみの貴族でもない、平凡な住民だが、それなりに社会に貢献した。そして最後に、癌の老体に鞭打って、汗だくになりながら参道の坂道を登りきった。坂の上の青い天に、一朶の白い雲がかがやいていたのかどうかはいざしらず。

本多は三島自身でもあり、近代の日本人そのものだが、三島は自分と日本人に十全ではないまでもそれなりの評価をしていたことになる。自分は死ぬ。近代日本は死ぬ。転生した来世は、もうすこしでも良いことになればよいな。素直で純粋な心を持った小説家。

2018年12月12日水曜日

「豊饒の海」追記14

以下のようなことは三島の全作品を読んでから判断することだが、私が三島の全作品を読む見込みは全く無いので、性急な判断をさせていただく。

三島は、「銀河鉄道の夜」や「斜陽」のような作品は、おそらく内容読み込めていない。なんとなく凄さはわかっていたと思われるが、それらの尖がった小説実験理解できていない。

「人間失格」はおそらくだが意味がわかっている。「絹の明察」も天皇が主役である。

「闇の奥」はおそらく読めている。全体の登場人物戦略と、ニーベルングの指環を背景にした作品があるということを、読めている。優秀である。

実はほとんどのイギリス文学研究者は「闇の奥」を読めていなかったはずである。いくつか解説を読んでみたが、まともな読み解きはなかった。「闇の奥」を下敷きにした「地獄の黙示録」もほとんどの映画批評家が内容読み解けていなかった。「闇の奥」理解はかなり大きなポイントなのである。これを読めただけで、三島は一級品である。

そしてもっとも重要なことは、「ニーベルングの指環」が通貨発行権を扱うドラマだということを理解していることである。さすがは元大蔵官僚である。この点で、三島はフィッツジェラルドや宮崎駿と並び、コッポラやタランティーノの上にゆく。

文芸研究家、評論家に比べれば、作家はたいてい「読める」。読む能力が高い人が多い。もちろん読めない人もたくさんいるが。
その「読む」という才能だけで言ったら、三島は宮沢賢治や太宰治より確実にワンランク下である。細部をレトリックかけてこねくりまわす悪癖が災いしている。しかし宮沢、太宰に負けても不名誉ではない。連中はどうも(田舎者だけあって)動物的超能力で読む部分が感じられる。現代日本では絶滅した人種である。人間というより原始的生物という感じさえ受ける。

(私はもちろん読み解き能力三島よりはるかに下だが、章立て表や登場人物一覧表の作成によって整理できるから、人の読み解き能力を判別する資格はあるだろう)

残念ながら「読み込む」「読み解く」という世界をまるごと知らず一生を終える文学ファン、文学研究者、文学評論家が大部分である。非常に優秀な頭脳が、「読み解く」ということをしらないまま、無駄に消えてゆく。もったいない。「読み解く」という世界がある、ということさえ認識すれば、実はその瞬間から三倍くらい読めるようになっているのである。しかし「その世界がある」ということをテコでも認めようとしない。なかなか世間に広まるまで時間がかかりそうである。

話し戻って、三島は、通貨発行権の問題をかなり高水準で理解することが出来た。通貨発行と経済的困窮との関係、インド洋の海洋利権、これらは今日でも十分通用する議題である。つまり三島は今日の作家なのである。しかし、話題になるのは三島の愛国心だけで、三島の優れた見識ではない。切腹は確かに重要なイベントだが、切腹評論ならば三島以外にも対象は居る。話題にしなければならないのは三島の見識のはずである。

ではなぜ見識が話題にならないか、それははっきり「豊饒の海」がさほど理解されていないからである。せめて「闇の奥」だけでも十分理解されれば、三島の努力も十分報われると思うのだが。

言い換えよう。むやみに神格化されず、冷静に三島の能力と努力を判定できるようになれば、日本もよい国になれると思うのだが。

2018年12月11日火曜日

「豊饒の海」追記13

NAVERに「豊饒の海」をまとめて2年以上経過したが、最近やけに豊饒が話題にのぼる。
日本の右傾化に関係があるのだろう、いや右傾化して当然と思っているのだが。
流れに乗っていろいろ書きたくなった。

「豊饒の海」追記11
https://yomitoki2.blogspot.com/2016/04/11.html
にも書いたのだが三島由紀夫は戦争に行っていない。
戦争体験ヒエラルキーとしては、かなり下である。丙種不合格だったはずである。
しかし、当時の人間でもそれより以下は居る。
黒澤明は、戦争体験という意味では、三島由紀夫以下である。

黒澤明のインタビューがながらく見つからなかったのだが最近再発見した。
インタビュアーは大島渚。
45分ごろから。

https://youtu.be/rdTztiOZa_4?t=2744

「検閲官の前に立ったら、黒澤勇さんの息子さんですか」と聞かれて、「軍隊に入るだけがお国のためじゃない」「お兄さん(騎兵に入って怪我をした)はお気の毒だった」「兵隊でないほうでお国のために尽くせ」って言われて、最後のところに入ったら「あんた兵役関係ありません」って言われて、点呼もないんですよ」
「横浜の空襲の日に点呼があって行ったら、全部馬鹿とかたわ(ママ)みたいなひとばっかりで」

要するに、父が軍関係者で、兄が軍で怪我をしたもんだから、徴兵されないようになっていた、ということらしい。
そんな黒澤は、自分が生き残ったことを終生気にする。

https://youtu.be/Ryg5K4qGHD4?t=2720

「おまえたちと一緒に死にたかった」

黒澤映画が、細部では映画史上類を見ないエネルギーを持ちながら、しばしば全体として流れが悪く、すっきりと楽しめないものになっているのは、彼の「生き残ってしまった」コンプレックスが原因だと思っている。

三島もしかり。三島も国の将来を憂い、憂いこうじて最終的に自分の命を絶つのだが、徴兵検査不合格の瞬間はともかく、その後の人生はさぞかし苦しいものだったのだろうと想像する。おかげで我々は文学の大作を享受できるのだから文句は言えない。しかし黒澤と同じく、細部のレトリックに惑溺して全体がスムーズに流れないのは、黒澤と共通する精神状態があったのだろうと考えている。

2018年11月22日木曜日

アメリカの国力の相対的低下

現在の世界情勢の主題は、
「アメリカの国力の相対的低下への対応」です。

別にアメリカの国力が低下しているわけではありません。
アメリカはアメリカで十分経済成長している。
しかしほかの国も徐々に成長してゆくので、相対的地位が低下してゆくだけです。
逆に言えば、経済政策を頑張ればよいとかの問題ではなく、
相対的地位の低下は必然であって、抜本的な解決策は存在せず、
なんとか低下速度を遅らせるしかない。

遅らせる最も有効な方法論は、
他国の経済成長を止めることです。
しかし、アメリカ以外の全世界の経済成長をストップさせることは、
いくらアメリカでもできません。
全世界がアメリカを憎悪するからです。

だから、可能なことは、ある地域の経済成長はストップさせる、
ある地域の経済成長は許容する、
それらのバランスを取りながら、
アメリカに取って代わる勢力の台頭を阻止することだけです。

日本ですと江戸時代の幕府に相当するのがアメリカです。
征夷大将軍という役職にはついていますが、
三百諸侯のなかの最大のもの、というだけです。
地位としては不安定です。だから大名家をしきりに押さえつけた。

伊達騒動、黒田騒動、加賀騒動(なぜ加賀だけ国名なのでしょうか?前田騒動と呼ぶべきだという気もします)など、大名家の内紛は、多かれ少なかれ幕府がかかわっているはずです。

たとえば宝暦治水も、治水したいのか島津を押さえつけたいのか、目的がよくわからない。最終的に家老の平田が腹を切りましたが、日本の政治家もにたような境遇だなあと、常々気の毒に思っております。官僚も多かれ少なかれそうですね。財務官僚で平田靱負の気持ちがわかる人間、沢山いるのではないのか。いや、増税されたら私も困るのですが。

2018年11月20日火曜日

共産党中国

今までの考察から、
1、中国共産党が国民党に勝利できたのは、おそらくアメリカの日本への恐怖が根源がある
2、アメリカの対中方針は、中国共産党をつぶすところまでゆく
3、日本は中国の味方をしてはいけない。アメリカの恐怖を煽る
ということが言えると思います。

では次に問題になるのが、共産党を潰して次にどうするのか、ということです。
台湾が中国を合併すると、強力な統一中国ができる。だからこの案は無い。

台湾は中国本土からは独立した存在のままにしておいて、
中国を多分割するのがもっとも効率がよい。
ウイグル、チベットは独立。


http://www.ying-ckj.jp/742120015


が方言の分布である。
上海以南が独立、可能ならば満州も独立、
これでだいたい5分割できる。
ゆっくりとそのような方向でアメリカは活動してゆくはずである。

分割が完了したあかつきには、アメリカの最大の敵はふたたび日本になる。
簡単には分割できないだろうから、さほど心配ではないのだが、
ことはゆっくり、慎重に進めたい。

2018年11月17日土曜日

分割統治

アングロサクソンの戦略の基本は分割統治だとよく聞きます。確かにロヒンギャなんかはその産物のようですね。
なぜ中華民国が潰されたかという疑問も、「分割統治しなければならない」というノルマを中心に考えれば納得ゆきます。

日本と中華民国は戦争しました。しかし日本人は「中国に迷惑かけた」と思っていましたし(やっている本人たちも意味のよくわからない戦争でしたから)、中華民国は賠償放棄したりして、日本のことはさほど憎悪していない。そういう状況で中華民国が中国の主要政権であり続けたらどうなるか。そのうち日中同盟が成立します。それはアメリカにとって危険すぎる。

現状中華民国は台湾に逼塞しています。逼塞しているがアメリカの後ろ盾で独立を維持できている。いざという時には中国を攻撃する足ががりになる。だから中華人民共和国は台湾問題に神経質になる。なるのが正解なのです。怖いのは台湾ではなく、アメリカなのですから。

そして台湾の日本は友好的な関係、韓国と日本は憎悪する関係、韓国と中国は友好な関係、中国と台湾は憎悪する関係、いずれも絶妙に配置された分割統治策です。たとえば台湾が反日になると、中国の国力が増大した場合、海軍力で東アジアを支配しているアメリカにとっては致命的になります。

最近日韓離反工作が盛んで、BTSも徴用工もその一環です。ここで仮定ですが、もしも本当に中国がそんなに強大で、アメリカが中国に脅威を抱いているならば、アメリカは日韓を親密にさせるはずです。つまり日本サイドの戦力を増強させようとするはずです。しかし現実には中国サイドの戦力を増強させようとしている。つまり依然としてアメリカにとって日本が最大の脅威ということになります。

国際政治は未来永劫真相がわからない部分が残るものです。いろいろ仮定して考えてゆくものですが、あるいは実際にはトランプのアメリカは、日本と韓国を親密にさせて中国に対抗させる策を持っているのかもしれません。それが対抗勢力が強くで実現できないだけなのかもしれない。そこのところは私にはわからない。

しかし、日本としては半島を味方につけるよりも、ロシアを味方につけるほうがはるかに重要なのです。そして半島を味方につけながら、ロシアと平和友好条約というのは、絶対にアメリカは許しません。日本としては半島と友好か、ロシアと友好か、二者択一しかできないのです。

ですので親韓、親北朝鮮の人々には申し訳ありませんが、半島との関係は当面悪いほうが都合がよいのです。

2018年11月15日木曜日

江沢民

反日をする動機は中華人民共和国も韓国と同一です。反日したくてやっているわけではなく、アメリカから睨まれるのが怖くて反日やっている。「反日をやらないかぎり成長は難しい」ことに気がついたのが江沢民です。反日をやっている限り、アメリカは日中同盟を恐れなくてよい。実際田中角栄はおそらくアメリカに潰されたのであるから、中国の指導者が親日やっていると、角栄のように潰される結果しか待っていない。

「なんでアメリカは日本をそんなに恐れるのか」と疑問に思われるでしょう。確かにそうです。アメリカの思考はかなり、空想、妄想入っています。日本はアメリカ軍艦が押し寄せたから近代化しただけのことで、別に取って代わって世界帝国になろうとはしていません。日本に自己を投影しているだけですね。

さて習近平はずいぶん親日的になってきました。アメリカのいじめが本格的に始まるので、怖くなった。でもこちらもやっぱり怖いのです。とくにロシアと大きな案件かかえている今は、アメリカが怖い。

申し訳ないですが習さんは一方的にたたかれてもらうより仕方がありません。

2018年11月13日火曜日

韓国の反日的活動について

韓国、というか朝鮮半島は基本的に反日ではある。それは異常なことではなく、隣接国が強大な場合、反発するのは当然だし、必要なことだ。だから半島が反日であるのは、自然ななりゆきである。
問題なのはそこではなく、戦後一貫して韓国がアメリカの力によって反日的活動を余儀なくされていたことである。

アングロサクソンお得意の、分割統治というやつである。というより、現在台湾が親日的で、かりに韓国が親日的になったらどうなるか、ご想像いただきたい。単なる大日本帝国である。つまり、いつアメリカが戦争を仕掛けられてもおかしくない状況になる。それを絶対に許さないのが、アメリカ存続の生命線である。

そこで李承晩以降韓国指導者には反日であるべきという絶対遵守の命令が下されているわけで、うっかり親日しようものならきっついお仕置きが待っている。タイや、しばしば日本でもそうだが、そういう場合アメリカは司法を支配するスタイルである。親日的になった韓国大統領には、つまり大日本帝国を再現しかねない大統領には、ヘヴィーな懲罰が下される。

現在の文大統領も、そのことはもちろん心得ていて、反日的な活動を繰り返しているが、これは自国に向けたものでもなく、日本に向けたものでもない。トランプに向けたものである。

ということを日本人がしばしば忘却してしまうのは、「日本がいかに潜在的にアメリカにとって脅威か」を忘却するからである。

2018年10月30日火曜日

徴用工判決


みなさん楽しそうに会話されている。
請求を認めない判決だったら、
みなさまお通夜のような雰囲気だったのではないか。

韓国、中国が十分経済成長した。
だから、日本が半島と中国を敵視、対抗するに、
十分な環境が整ったのである。

1、1940年代:アメリカは日本、ドイツの台頭を脅威に思っていた。第二次世界大戦に突入
2、1945年、日本に勝利、当分日本は弱小国のままのつもりだった
3、1947年、冷戦開始、日本に相応の役割を背負わせるために経済成長を許可した
4、1960年代以降、日本の経済力が肥大化した。このままでは制御不能に陥る可能性が出てきた。
5、1972年。日本を押さえ込むために中国の利用を考える。米中国交正常化に向かう。
4、1991年、冷戦終結。冷戦にアメリカは勝った。しかし日本の経済力が肥大化しすぎた。力点を日本から中国にシフトさせる。
5、2018年、中国の経済力が肥大化。制御不能に陥りそうなので、中国と新冷戦開始。

これで当分、冷戦時代の体制を維持できる。ソ連が中国+半島に変わっただけ。
共産党崩壊まで何年かかるだろうか。それまでの間、日本は経済成長を安心して享受できる。

2018年10月24日水曜日

もしものコーナー

「もしもバブルが潰れていなかったら、あるいは崩壊後の処理を誤らなかったら」

日本は順調に経済成長をとげ、中国はもちろん、アメリカ以上の経済大国になっていただろう。つまりアメリカの覇権は完全に崩壊しただろう(絶対そうだとは言えないが、そうなっていた可能性はかなり高い)。

アメリカはそれを許したか。絶対に許さない。日米戦争第二幕である。ところで今日でも日本人は平和ボケしている。順調に経済成長したなら、もっと平和ボケしていたことになる。そんな日本がアメリカに勝てるか。まず勝てない。つまりふたたび焦土になっていた。前回の戦争と同じく、なにも考えない無意味な戦争を繰り返していたのだろう。

この苦難の20年を総括する結論が出てしまった。
「バブルが崩壊し、後処理も間違って低成長に沈んだのは正解だった。最善ではないにせよ、次善ではあった」
非常に残念な結論である。

経済成長はかならず国家間の関係を変化させる。バブル期の日本には、そんな考えは毛頭なかった。無神経に歩いてゆくだけでバラ色の未来が来ると思っていた。まわりの敗者を勘案することはまったくなかった(この場合、アメリカが敗者だった)。

そりゃあきまへんな。なるほど経済成長に限界があったはずである。

2018年10月21日日曜日

IMF

総理がIMFのラガルドと会って、いやそうな顔して話して、数日後にIMFから「日本は財政危機ではない」という情報が出る。つまり、ラガルドとなんらかの取引をして、情報出してもらったと考えるのが妥当である。どんな取引をしたかはわからないが、これで消費増税はほぼなくなったと見ていいだろう。

消費税をどうするか、くらいは自分たちの力で決めたいものである。残念ながら、国民がだまされやすすぎる。

2018年10月16日火曜日

細川ガラシア

https://note.com/fufufufujitani/n/nc373696e9973
「阿部一族」をアップした。

死ぬ藩主細川忠利は、細川幽斎の孫である。細川幽斎は明智光秀と親しかったから、自分の息子の嫁に、光秀の娘をもらった。明智珠、世に言う細川ガラシアである。
忠利はつまり、細川ガラシャの息子である。阿部一族の悲劇、細川藩の「殉死熱」は、
ガラシアの辞世
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」に支配されている気が、しなくもない。

現代でもそうだが、昔も家の雰囲気、家風をつくるのは女性だったはずである。北条政子を見よ、日野富子をみよ。
ガラシャは気性が激しかった。光秀の子供だから当然である。亭主の三斎ははっきりガラシャを恐れていたのではないか。

作中柄本の嫁が阿部一族を見舞う。嫁はいざとなったら自分が責任を取るとの覚悟で訪問する。ここでも嫁が家風を作っている。おそらくこの嫁は、藩の台所事情も察知していたはずである。

竹内数馬の嫁はおそらくなにもわかっていない。長十郎の嫁もそうであろう。表面には出てこないが、実際は妻の知能が家の明暗を左右する、ということを鴎外は知っていたようである。奇怪なほどに賢明である。異常な世間知である。

鴎外の脚気の問題はここでは触れない。しかし同じ島根県出身ということで、私はどうしても竹下登を想起するのである。プラザ合意を想起するのである。竹下も世情にくわしい人物であったのは間違いない。鴎外と同じく、出世する人物である。よいのだろうか、わるいのだろうか、判断がつかない。

2018年10月12日金曜日

清王朝末期

欧米諸国が中国との敵対姿勢をはっきり示した。
清王朝末期の再現である。

ペンス演説をざっとまとめてみた。
西洋は演説が重要な社会である。
だからきっちり構成されている。
一級文芸品の構成には及ばないが、非常に練りこまれている。




全体は5部構成
1イントロ
2過去の中国とのよい関係
3中国の悪行
4アメリカは引き下がらない
5しめくくり

中心はもちろん、3中国の悪行である。
このうちわけは、
1:自由-経済-覇権
2:自由-覇権-経済
3:内政干渉
と3分割できる。
2回順序を変えながら同じ主題を繰り返し、
クライマックスにもってゆく。
クライマックスは、内政干渉への激しい非難である。
共産党幹部がアメリカに移した資産はすべて没収されかねない勢いである。
エグい。

今後中国はガリガリ削られてゆくのだろう。日本としても同情の余地はない。しかしこれから中国がされるエグい事を観察してゆくと、欧米人の本質は見えてくるだろう。彼らはハンターであり、狩りモードのスイッチが入ると、生き生きと活動できるようである。そしてそれを支えるのは、狩人特有の、客観性、手順構築性である。ペンス演説の構成にもそれは表れている。



2018年10月6日土曜日

米中戦争

中国、半島は「古代国家」である。

「優生学」の悪名のもとに見失われがちな知見だが、東アジアの住民は、元来世界最高レベルの知能指数を持っている。文化的に、ではなく生物的に最高レベルなのである。単純に言えば頭がよい。だから日本、半島、中国が世界の政治経済をリードしてもおかしくない。しかし現状そうなっていない。元大統領の裁判見ればわかるとおり、韓国も民主主義、近代国家とは言いがたい。中国の民主化ははるか未来の蜃気楼である。

メリットはデメリットの母である。東アジアの住民は知能が高く、高いせいで学習能力が高く、過去の記憶の保持能力が高い。日本の場合は過去を天皇に押し込んで自由に動けるが、半島と中国は天皇がいないのでそうはいかない。近代文明をいくら学習しても、過去の文明が忘れられない。過去を強く覚えている。それゆえ、彼らは依然として古代国家である。

古代国家とはなにか。王がおり、その近辺のみが主権を握り、一方で民衆は民草であって国家の存亡には関心がない。自己の利益のみを追求する。ようするに、近代国家にくらべればはるかにバラバラである。現に、大量の人々が日本に出稼ぎに来ているが、本国に帰りたい、本国を良くしたいという志を持つひとは非常に少ない。まったく無いとは言わないが。

その古代国家の人々が、資本の流入により経済成長した。金持ちになった。なっても中身は近代人ではない。古代人である。社会全体、国家全体は考えない。考える習慣がない。全員得手勝手に利益を追求してゆく。そんな彼らが神の見えざる手によって最適化された姿が、現在の韓国、中国である。

アメリカはその中国と、はっききり敵対関係になった。なったがアメリカはおそらく理解していまい、自分たちが対峙する敵は、自分たちのような、国家意思を持った人々ではない。各人が利益を追求しているだけの人々の集合である。つまり、敵としての実態は存在していない。

南シナ海で活動している中国海軍は、おそらく習近平の意思と関係なく動いている。なぜなら古代国家とはそういうものだから。中国海軍はアメリカと戦いたいのではなく、習近平を、アメリカの力を借りて脅迫したいのであろう。古代国家の住民としては当然の行動である。

日本でも盛んだが、アメリカマスコミへの介入も、民主主義への介入も、国家意思ではない。担当者個人の欲望、自分が中国政府内部で確固たるポジションを確立するための活動で、活動をエグいくらい出来なければ、やがで失脚するか、消滅するのが、古代国家の官僚の運命だからである。

元来アメリカが作ったのが共産党中国である。現在オーナーが、作品を潰そうとしている。つまり、アメリカは自分の作品の不完全さを認めたのである。次の統治システムは、当然オーナーであるアメリカが作る。しかしどう作るかは大変むずかしい。古代国家の伝統が、当面生き続けるからである。

2018年9月27日木曜日

経済学

多くの経済学者が、「リフレーション政策は有害無益だ」あるいは「消費税増税は必要だ」と言ってきた。「復興増税」に大量の経済学者が賛成した。彼らの見識の程度は明らかである。ところが彼らは、なんの反省もせず、なんの責任も取らず、今も教職にあって学生を教え続けている。学生こそいい面の皮である。間違った教師から教わるのは、なにも教わらないよりはるかに悪い。間違った教師から教わった学生は、一部の天才と一部の反抗児以外は、全部使い物にならなくなる。時間をかけてお金を払って経済学がわからなくなる努力を、多くの学生が日々積み重ねている。悪夢である。間違った情報のインプットは、ほとんどの場合致命的なのである。

政治学者にもそういった類はわんさかいるようである。おそらく、法律分野でも、歴史分野でもわんさか居る。居るが、まったく改善されない。

諸悪の根源は、私は文学だと思っている。文学理解が不十分だから、思考能力が身につかない。私は文学同様経済も素人だが、消費税のまずさくらいすぐわかる。私の1万倍くらい経済学の知識のある大学教授がわからない。これは私見では、文学理解の問題である。

文学が最低限は理解できなければ、現代社会はどうも理解できないようである。最低限の理解とはなにか。それは「とおりいっぺん読んだだけでは理解できない、重層的なところが、文学にある」ということである。べつに個々の作品を読み解く必要はない。「読み解きが必要な文学がある」ことだけ理解できれば十分なのである。

海外の政治化の多くはそうであるし、日本の政治家でもすぐれた人々は、大変文学的に話す。多義的に話す。裏の意味があったりする。裏の意味があるかどうかの判断は、じつはすべて状況からの類推である。だから証拠はない。単純な発言かもしれない。でも政治家である程度以上力量があるならば、裏の意味をもっていると決めて類推する必要がある。
長期間政治学の勉強をしながら、裏がまったく読めない人が居る。よめなくてもよい、よいが「裏が存在していない」と考えるのは致命的である。類推の習慣を放棄してしまってはいけないのである。しかし、そんなひとが多いようだ。

そんな政治学者のみなさんは、実は大変頭が良い。教養が深い。勉強熱心である。たとえばロシアのことを深く知ろうとして、ドストエフスキーあたりを読む。すばらしいと思う。でも中身はよくわからない。なんでこの作品がすばらしいのかもわからない。そのままでは、実は類推能力は低下するのである。ダメな経済学者に学んだ学生になってしまうのである。では解説書を読む。それが良い解説書なら類推能力は向上する。しかし、そんな本はほとんどないのが現実である。

そして、経済学者も、すべてがデーターから予測できる世界でない以上、類推能力が重要なはずである。類推能力のあるなしは実は文章でわかる。文章の良い人はだいたい予測をはずさない。消費税増税が必要、というひとの文章は文章の体をなしていないことが多い。おそらくまともになにかを鑑賞したことがないのだろう。鑑賞したあと咀嚼、消化した体験がないのだろう。彼らは人類文化のメインストリームから疎外されたまま、延々とに学問しつづける。その学問対象が、理系の、純科学的なものであったら問題ない。だが経済学は所詮は、人類社会を研究する分野なのである。

2018年9月26日水曜日

深堀

普通文学の研究をする人は、まずその作家の全作品を読み、周辺の作家(たとえば太宰なら井伏や坂口安吾や川端や志賀)をできるだけ読み、作家の人生を調べ上げ、全集をさらに数回読んだりする。すばらしい努力量である。私には出来ない。敬服に値する。

しかし全員がそれをやりだすと、特定作品を深く読み込む人がいなくなる。実際あんまりいないようだ。観測できるのは、今は下火になったが一時期のロシア文学者と、現在の英米文学者である。英米文学研究者はさすがに人材が豊富なようで、少数ながらそういう人が居る。

遺憾なことに国文学かいわいにはほとんど生息していない。ひとつには、周辺の事象や作家を調査するのがあまりにも容易なので、そちらの調査に嵌ってゆくのだろう。それはそれで、悪いことではない。
周辺事象の調査は永遠に価値ある知見だが、深堀はより深く掘った人間が出現した時点で、研究としての価値がなくなる。むなしいといえばむなしい。マジョリティーになることは、おそらく一生ないだろうと思いながらやっている。

しかし喜びがあるから続けられるのである。やめられなくなるほどの楽しみがある。それはその作品を読めることである。

深堀り派以外の人間でも読むことは読める。しかし、その作家のすばらしさ、その作品のすばらしさは、深堀しなければ十分には理解できない。当たり前である。逆にいえば、全集何度も読む、といった作業は、実はたいして面白くないはずである。作業量的に、さのみ深くは読めないからである。そんなことをしていたら人生終わってしまう。

つまり、二者択一なのである。広く浅く読むか、狭く深く読むか。人間の能力は有限である。両方やるには人生80年では足りないのである。

社会にはどちらの人間も必要だと思う。しかし現実には深堀り派はほとんど生息していない。おそらく学校でまったく教えられないからである。たいてい、先生も、その先生も、そのまた先生も、「深堀する」ということじたい知らない。優秀な弟子ほど先生に忠実だから、深堀派は不利である。
それでもなんとか深堀派が増えればよいなと思う。深堀は良い。大量に作品を読まなくてもよい。怠け者の道である。同じ作品を深く読むだけだから、記憶力があれば空いた時間に手ぶらで研究ができる。なければ章立て表つくって見るだけでも研究にはなる。アマチュアには最適である。

今日の日本には文学科出身のひとは大量に存在しているはずである(私は違うが)。作家の周辺事情の研究にうんざりした人も多いのではないか。私はゴシップ研究家ではないと思った人も居るのではないか。そんな方はネタはなんでもよいから、時間はいくらかかってもよいから、好きな作品を、深く読むことをお勧めする。10回程度読み込めば、その作品の理解度は人類のトップ1%くらいにはなれる。同じ作品を30回読むひとはほとんどおらず、100回よめばライバルは数人程度である。マイナー分野の喜びである。碩学といわれるひとも、たいてい深くは読んでいないのである。

2018年9月22日土曜日

斜陽3




なぜ東北にこれほどの才能が出現したのか。

石川啄木:1886
十年後に
宮沢賢治:1896
十三年後に
太宰治:1909


仮説を立ててみた。


1、文化の僻地
明治維新は文化輸入期である。
既存の旧文化が潤沢であるほど、新しい文化は導入しづらい。
秋田、岩手、青森にはいわゆる日本文化が十分にはなかった。
だから彼らは、西洋文化にいち早く対応できた。


2、鄙(ひな)の自信
田舎者と書くと怒られそうなので、鄙と書く。東京大阪に比べれば、東北は田舎である。東北人は一見地味で控えめで大人しい。しかしどうも日本有数の自信地方である。口には出さないが自分を信じる気持ちが大変強い。そういう田舎もの特有の気の強さがプラスに作用した。


3、賊軍
文化は常に政治の本流以外のところから出る。
例えば夏目漱石は江戸の名主さんの家系である。名主とはまず田舎の庄屋さんと思って間違いない。一般庶民ではない。よいお家である。夏目漱石の先祖は三方原で家康の身代わりになって死んでいる。そんな家系だから明治政府ははっきり気に食わない。そういうところから文化が発生する。
明治維新は、薩長の征服政権である。私はそれを肯定するが、東北が被害者であるとする見方もまた正しいと思う。そんな人々が、新しい文芸を生むのは、社会の生理的反応である

どの仮説もそれなりに正しそうである。

2018年9月21日金曜日

斜陽2

太宰はなぜが女性言葉が得意だった。「かず子がっかり」とか、一部に不自然なところはあるが、「斜陽」もまず上手に女性言葉で書かれている。

読み解きをする立場からはこの女性言葉がじつにやっかいで、女の言葉のごとく、ぐにゃぐにゃしていて意味不明である。いらだたしいのだが、残念ながらもっとも文学的な言葉とも言える。もっともナチュラルな重層性を持っているのである。

女性の言葉は男性の言葉より重層性がある、言い換えれば意味の明確性が低い。これはおそらく世界共通だろう。ロシア文学の「アンナ・カレーニナ」でも、女性同士はえらくグニャグニャした言葉で会話している。
しかしどうも、日本女性のグニャグニャぶりに比べれば、いくぶん明快であるようである。なぜ日本女性がかくもグニャグニャか。おそらく古典文学、平安女流文学によってグニャグニャに正統性が与えられ、昔から女性の識字率が高かったせいで、いやにグニャグニャがブラッシュアップされたのではないか。グニャグニャがブラッシュアップされてよりいっそうグニャグニャになる、男性には悪夢としか思えない光景である。そんな地獄のような環境に生息できるの男性は、太宰くらいのもので、よってこれほど重層的な物語はそんなに存在していないのである。

「斜陽」は名作である。ものすごい傑作である。しかし読み解けば読み解くほど、体調が悪くなる感覚があった。体の心が抜ける気がした。グニャグニャになる錯覚にとらわれながら、本邦の文芸における女性言葉の優位性を、思い知らされたのである。

2018年9月18日火曜日

斜陽

「斜陽」をアップした。

「斜陽」解説【太宰治】
https://matome.naver.jp/odai/2153720161167446001

疲れた。自分の読み解き史上最大に疲れた。平和の中でのうのうとパソコンいじっている自分のような人間には、重すぎる内容だった。解析していて逃げたくなった。

「斜陽」という言葉は実は「走れメロス」にも出てくる。夕日を追いかけて走る物語だから、出てきて当然である。シラーの詩から、全体を対句表現で仕上げれることに気がついた太宰は、「走れメロス」を書いた。その構成が自分でも気に入っていたのだろう。構成を考えるうち、物語とはなにか、よい物語とはなにか、を考え、練り上げ、最終的に「斜陽」にたどりついた。

Naverに掲載した表


これだけでは十分な説明ではない。
それぞれの節の内容は、それぞれ密接に対応している。
その対応が太宰最大の苦労だったはずだが、私も十分に読み解けていない。

しかし、疲れた。不十分な点が多いのだが、これ以上の解析は体力が持たない。「銀河鉄道」を書いた宮沢賢治、「斜陽」を書いた太宰治、いずれも体をやちゃっている。この形式そのものに、どうも人間の生命を吸い取る魔力みたいなものがあるのかもしれない。オカルトめくが。

数学者が大定理に挑んだあげくに、つぎつぎと発狂、廃人になるのと、少々似ていると思う。数学は精神をやるが、文学は体力をやるようである。


2018年7月9日月曜日

選手の話

日本=ベルギー戦後の選手の話で気がついた。
最後無理してコーナーキックで攻めていたのは、
「延長になったら日本が不利」と思っていたようである。

確かに延長は選手の動きが鈍る、粗放的になる。
そしてロングシュート合戦になったりしたら、
キーパーの力量が違いすぎる。
だから不利というのはあるかもしれない。

しかし、
1、ルカクの体形を見よ。延長戦では縦に転がる以外、移動方法がなくなるのは明白である
2、香川、乾、本田がいる限りチャンスは十分作れる。

ということから見て、若干日本有利だったはずである。
ここに見られるのは、

1、みやみに味方を恐れる
2、敵もむやみに恐れる
3、危機的状況では判断力を失う
という日本の伝統的な思考回路である。

1、むやみに味方を恐れる、の部分はそれなりに正しい。しかし敵はそれほど怖くなかった。日本人は(一之瀬俊哉が明らかにしているとおり)移動能力は高いのである。消耗してもなお高い。

もしかして「川島が怖いから」と言えないから「敵が強かったから」と選手が言い換えている可能性も、ある気もしてきた。このあたり、タブーなく議論すべきである。「キーパーを叩くとキーパーをやる子供がいなくなる」というのは、議論として論外。血も涙もない冷静な分析をしないなら、そもそもサッカー(にかぎらずなんでも)するべきでない。

2018年7月3日火曜日

敗北

残念です。総括します。

1、やはり日本は柔軟な判断が苦手。パニックになりやすい。落ち着いて延長戦に入れれば勝機があった。克服方法は簡単。柔軟な判断が苦手、ということを認識するだけでよい

2、選手や監督が思っているよりも強い。しかし自分で自分の強さを十分把握していない。だから強さを管理できない。サッカー界に、こういう強さを表現する言葉が十分にはないのだろうと思う。しかし解説が充実してきているので、言葉も充実してゆくだろう。前途は明るい。

3、最大の強みは、選手同士が話し合って連携を構築できること。後半開始前の香川の熱弁が2得点を生んだ。自律的に発展できる集団。しかし実は管理は普通の国よりも難しい。川島にたいする不審、絶望が、あせるプレーにつながり、負けに繋がった。

2018年7月2日月曜日

ベルギー戦と気温

本日ベルギー戦があります。勝敗は気温が決定します。

ポーランド戦なぜ調子が悪かったか。それは気温が高すぎたせいです。気温が高いと日本有利、というのは嘘です。気温が高いほど、走ることができなくなりますから、体格があるほうが有利になります。走らない電柱競争では、高い電柱が有利です。

さて本日の試合、
30度以上ならベルギー有利。たとえば30度以上の気温で、ルカクのように190センチ以上90キロ以上の人物に近寄りたいと思いますか?暑苦しいです。誰だっていやです。だからルカクがフリーになります。ゴールを決められます。

255度から30度までなら互角です。気温が下がるほど日本有利になります。

25度以下ならはっきり日本有利です。黒海の近くで、比較的湿度が高いようですが、日本人は湿度には割と強いので大丈夫です。


そしてベルギーを破ると、以降の戦いは楽です。涼しい会場ばっかりです。ブラジルを破り、フランスを破り、イングランドを破り、初優勝です。

本日気温は高めですが、私は別に頭をやちゃっていません。正気で冷静に予想できています、たぶん。

2018年6月15日金曜日

倭寇と安倍外交

昔ある女性がスタッフとして働きに来てくれていた。Mという苗字だった。かなり破天荒なタイプで、ほかのスタッフは戸惑っていた。話を聞いてみると、どうもかなりアクティブな家系のようだった。たとえばお父さんは、自衛隊でイラクに行っていた。その父も遠く海外に行った経験がある。そのさらに父も。そして本人も、ある日ヨーロッパに留学に旅立ってうちを辞職した。有能で頼りにしていたから大変困った。

後で判明したのだが、Mというのは松浦家の家臣の家系だった。松浦というのは、九州北部の豪族=大名である。司馬遼太郎の「韃靼疾風録」が、江戸時代初期の松浦家の内容だからお読みいただけるとわかりやすい。永く北九州に存在している氏族で、蒙古襲来の際には最前線で奮闘していた。元をたどれば、魏志倭人伝の末盧国である。耶馬台国のころから松浦族は北九州に蟠踞して、史書にその名を残しているのである。

末盧族=松浦族はつまり、交易族である。倭人伝のころから大陸と日本の交易の中継地点にあり、あるものはヤマトに、あるものは大陸に長躯し、大胆な貿易を行っていた。のちに彼らは倭寇となり、満州や華南、あるものは東南アジアまで足を伸ばし、江戸時代にいたって大名になって落ち着いていったが、その家臣の子孫はやはり活動性を維持しており、たまたま私のところにスタッフとしてきてくれていた、のである。

ところが安倍総理の先祖も松浦なのである。安倍家の遠祖は蝦夷の安倍宗任らしいのだが、前九年の役で北九州に配流された際に、松浦家に入ったらしい。と考えると、安倍総理の外交活動の超人的、非日本人的な特徴が、私としてはすべて納得できる。

倭寇は、粗末な船に、粗末な武器を積み込んで、大胆に遠距離を航行して、目的地に乗り込むや活動、それも迅速に終了して、風のように立ち去る。モタモタとしてどんくさい日本人的メンタリティーではなく、どこか騎馬民族のような機動性を持っているのが倭寇である。いわゆる農村日本人の行動パターンではない。そかしこれはこれで、(魏志倭人伝のころから連綿と続く)日本人のキャラの一種なのである。農村日本人が好きか嫌いかはともかくとして、歴史的正統性を持っているキャラである。

米朝首脳会談の直前になって、突然政府は「拉致問題は日本自身が解決しなければならない」と言い出した。アメリカの活動の正当性を後押しするという意味で、外交的に決定的に重要な発言であった。たとえば拉致交渉は決裂、自衛隊が強制的に被害者救出に北朝鮮に出撃、それをバックアップするために米軍が北に空爆、という展開になっても私は驚かない。「憲法違反では?」いや、かつてのスタッフMさんは、そういう考え方はしない。Mさんなら、普通にパラシュート部隊を派遣して強制的に救出、という結論を導き出すだずである。安倍さんとMさんは、同一人物ではないが、同一種族である。疾風怒濤族とでも呼ぶべき一族である。

2018年5月28日月曜日

3D彼女 リアルガール

3D彼女 リアルガール
https://www.amazon.co.jp/%E7%AC%AC1%E8%A9%B1%E3%80%8E%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A8%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BB%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%82%E3%80%8F/dp/B07BX1W4Q2/ref=sr_1_1?s=instant-video&ie=UTF8&qid=1527460428&sr=1-1&keywords=3d%E5%BD%BC%E5%A5%B3

できのよいアニメです。
2Dの世界に生きていたオタク男子が、ひょんなことから実際の彼女ができる。
だから3D彼女。

ところが、実際のアニメ製作は、3Dではなくて2Dなんですね。しかも最近の2Dにしては異例なほどに、止め絵が多い。「ベルイサイユの薔薇」時代のように、止まった絵にセリフが入るシーンが多いです。でも十分楽しめる。

タイトルと内容のずれ自体が、面白い作品です。

2018年5月27日日曜日

政策評価

安倍内閣の経済政策が批判できないと考えて、マスコミは外交政策に標的を移した。しかしこれは自滅行為なのである。経済政策も適切だか、こと外交に関しては安倍首相は天才だからである。戦略がある。

ほぼ一般的な用語になったと思うのだが、戦略には順次戦略と累積戦略がある。日本人は順次戦略、つまり、こうやって、つぎにこうやって、と順序良く考える戦略がすきである。というより、戦略とはそういうものだと思い込んでいる。で、安倍外交が戦略がないと言う。自分の無知を晒しているようなものである。

安倍外交の本質は、累積戦略、つまり結果のほどはすぐにはわからないが、量的に大量に投入し続けて結果の出るのを待つ、ことにある。とにかく外交における活動量がはんぱない。幸いなことに、長期政権の効用で閣僚、党役員に外交のできる人材が揃ってきた。GWでも、首相、外相、幹事長、あとせこうさんと茂木さんが外遊していた。同時に5人動く。その上、岸田、麻生さんがすぐにでも動ける。こういう状態に持っていっただけでも、実は安倍首相は日本史上最大の外交家なのである。ひとつひとつの案件がうまくいった、いかない以前に、兵力が一気に数倍になったのである。

2018年5月18日金曜日

半島情勢の感想

1、かならず開戦する。ここで軍事力を見せておかないと、アメリカはドイツと日本を押さえられない。
2、ドイツはアラブ系移民が多い。つまり、ドイツ人はユダヤの加害者だったが、これから被害者が増える。つまりユダヤ問題によってドイツを押さえ込むことが、不可能になりつつある
3、ドイツ、日本の経済力を担保に、アメリカは通貨発行権の行使をしている。もしも日本を失えば、ただの浪費大国に成り下がる。日本の確保に手っ取り早いのは開戦して北朝鮮を叩き潰すこと。
4、半島が民族として自立したければ、(必ず負けるのだが)アメリカに攻撃を仕掛けるべきである。でもおそらくやるまい。
5、舞台を回しているのは安倍外交。日本歴史上最大の外交ではないか。
6、アンチ安倍は結構、しかし冷静な評価の上での批判でなければ、本人の無能を晒すだけ。学者しかり、マスコミしかり
7、ネタニエフの靴デザートは、「日本では畳の上に靴で上がるのは失礼だろう?だったらお前も人の縄張りに土足で上がりこむな」という意味。日本外交の強力さを認めた上での意思表示。これは誇らしいことである。

2018年4月29日日曜日

アメリカ考6

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ゴッド・ファーザーPART2 (字幕版)


この映画の冒頭のパーティーシーンでは、
2種類の民族性の否定が描かれている。

上院議員は、イタリア系を馬鹿にする。
フランクは食べ物や音楽を(コルネオーネファミリーはイタリア系だから)、
イタリア調にしようと孤軍奮闘して敗れる。

主演マイケルは、馬鹿にされるイタリア系でありながら、
イタリア系としての主張をすることがない。
アメリカに同化しようとする。

そしてキューバの民族革命に、希望を粉砕される。

アメリカにおけるエスニシティの悲劇ともとれる内容である。

2018年4月26日木曜日

アメリカ考5

アメリカ考4で述べたような、研究者の「文学作品の読めていなさ」というのは、能力に起因するものでもなく、才能に起因するものでもなく、態度に起因するものでもなく、ひとえに「読むという世界を知らない」ことに起因する。読むという世界を先輩研究者が知らなかったから、読めないだけで、知りさえすればだれでも読めるようになる。ただし、おそらく平均的研究者が想像しているより、10倍以上の労力を、その作品の読み込みに費やさなければならない。これは、論文書く労力の10倍ではない。論文書くほうが下調べ大変なはずである。前述の研究者も、驚異的な読書量だった。フィッツジェラルド周辺のことは全部知っている感じである。でも肝心要の本文を、十分読み込んでいない。本文を読み込むことが重要だと、思えていない。本文解明に労力をかけようとしていない。よって読めない。

読み解き作業、本ページでも、Naverでもさんざんやっているが、どうも一般に広まらない、それは、文学や映画好きな人が、自分以上に読み解いているものを見た場合、たいてい腹を立てるからである。文学、映画好きな、感度の高い人が多い。そして自分よりしっかり読み込んだ結果を見ると、自分の感度に自信が持てなくなって、傷ついて、腹を立てる。
しかし、読み解きに感度は実は必要ないのである。あるのは単純に、章立て表と登場人物一覧表の作成、それを何度も検討することであって、芸術を作るのではなく、芸術を分析するのが目的である以上、砂を噛むような味気ない作業を続ければ、だれでも可能である。もちろん、感度が高く、地頭がよければ言うことはない。私の感度と地頭なぞしれたものだから、文学や映画が本当に好きで、十分な地頭持っているひとは、ぜひ挑戦いただきたいと思っている。挑戦したtころで、あんまり自分の人生にも、人々の生活にも枠にたたないのだが。


それでもアメリカ映画や文学を少々読みといてわかったことは、少なからずある。日本と同じく、アメリカにも「読み解く」世界を知っているひとは少数しかいない。フィッツジェラルド、コッポラ、タランティーノは十分読み解ける人である。コッポラ、タランティーノはイタリア系である。イタリアの文化力というのも、アメリカの多きな力であるようである。というより、コッポラがアメリカ人という気がだんだんしなくなる。イタリア系アメリカ人ということになっているが、実態はアメリカ系イタリア人ではないだろうか?もちろん国籍はアメリカなのだが。

優秀な人々はアメリカに集まる。集まった優秀な人々がアメリカを動かす。つまりアメリカを動かしているのは、(アメリカが没落しないかぎり)アメリカの土着の文化では永遠にない。優秀すぎてアメリカのエスニシティを獲得するひまもなく、自分の民族的特長を最大限生かしてアメリカを動かし続ける。

2018年4月25日水曜日

アメリカ考4

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『偉大なギャツビー』を読む―夢の限界
リチャード・リーハン

図書館にあったので借りてきて読んだ。
著者は大変碩学な方である。ギャッツビーの時代背景からなにから、全部調べてある感じである。
いわく、シュペングラーの「西洋の没落」がベースになっているのではないかと。

ギャッツビー作中でトムが、「ぼやぼやしていると白人は有色人種に支配者の座を取って代わられる」と危機感をあらわにするのだが、その根底にシュペングラーがあるらしい。作者が日記などを調べて突き止めた。大変有意義な研究である。

ギャッツビーが本当に評価されたのは戦後だが、なぜ戦前のアメリカがあそこまで反日的であったのか示唆する内容である。日米戦争の歴史においても、「ギャッツビー」は重要な作品なのかもしれない。

と、一方でリーハンさんは、実は内容あんまり読めていない。一番重要な部分、「これは神話である」ということは把握できているが、内容詳細について読み解けているわけではない。本人、「30年で100回以上読んでいる」と豪語するにもかかわらず、である。

だいたい30年で100回読む、というペースでは読み解くことは不可能である。3年で100回読めば、どんな本でも、(章立て表、登場人物一覧表をつくらずとも)楽勝で読み解ける。かなりきついペースにはなるが。

2018年4月21日土曜日

アメリカ考3

アメリカはヨーロッパ文明の一種だから、
ヨーロッパ全体から影響を受けるのはよくわかる。
ドイツは大きな文化を築いたところだから、
ドイツの影響が強いのもよくわかる。
しかしなにか不自然な感じがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC
マックス・シュタイナーのWiki

ドイツ出身、ハリウッドで活躍した作曲家。
アカデミー作曲賞3回受賞

****
名付け親はリヒャルト・シュトラウス。 ピアノの手ほどきをヨハネス・ブラームスに受け、15歳でウィーン帝室音楽院(現在のウィーン国立音楽大学)に入学し、グスタフ・マーラーから教えを受けた。彼はその才能で4年の課程を1年で終えた。
****
冗談のような経歴である。

2018年4月20日金曜日

アメリカ考2

文化は天下の回り物だから、アメリカ文化が他国に淵源を持っていても不思議ではない。
しかし、ドイツ出自に一方的に偏っているのは事実だろう。

コンラッド「闇の奥」経由の、ニーベルングの指環作品群以外にも、
たとえばディズニーの城は、モデルはノイシュバンシュタインである。
ノイシュバンシュタイン城は、バイエルン国王ルートヴィッヒ二世の建築である。
彼はワーグナーの世界観にはまって、狂気の城建築マニアになって、国家財政を破綻に導いた。

しかしおかげで文化的影響力が強く、アメリカの子女はみな一度はディズニーの城を見る、
つまりノイシュバンシュタイン城を見る
つまり、ワーグナーの世界観を見るのである。
アメリカ人子女にとっての最大の教師は、ワーグナーなのである。

戦後仏教思想やらなんやらがアメリカではやったが、
あれはドイツに勝ってコンプレックスを解消して、
ようやく「ドイツ以外の世界」に目を向けることができるようになった、
という以上の意味が、ないのではないか。

2018年4月19日木曜日

アメリカ考

久しぶりの更新

どうもアメリカ文学を少しかじって、わけがわからなくなっている。
いったい、アメリカとはなんだろうか。

「グレート・ギャッツビー(華麗なるギャツビー)」あらすじ解説
https://matome.naver.jp/odai/2151906038411081501

半年かけてかなりほじくって研究したのだが、
これはアメリカ文学なのだろうか?
ドイツ文学集大成+イギリス文学コンラッド
のように思える。

こういう移民国家、多民族国家の人々は、きっついだろうなというのが正直なところで、
いざとなったら川柳でもひねる我々には考えられない、
足元がぐらつく感じ、不安な感じがつきまとうのではないか。