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2018年12月11日火曜日

「豊饒の海」追記13

NAVERに「豊饒の海」をまとめて2年以上経過したが、最近やけに豊饒が話題にのぼる。
日本の右傾化に関係があるのだろう、いや右傾化して当然と思っているのだが。
流れに乗っていろいろ書きたくなった。

「豊饒の海」追記11
https://yomitoki2.blogspot.com/2016/04/11.html
にも書いたのだが三島由紀夫は戦争に行っていない。
戦争体験ヒエラルキーとしては、かなり下である。丙種不合格だったはずである。
しかし、当時の人間でもそれより以下は居る。
黒澤明は、戦争体験という意味では、三島由紀夫以下である。

黒澤明のインタビューがながらく見つからなかったのだが最近再発見した。
インタビュアーは大島渚。
45分ごろから。

https://youtu.be/rdTztiOZa_4?t=2744

「検閲官の前に立ったら、黒澤勇さんの息子さんですか」と聞かれて、「軍隊に入るだけがお国のためじゃない」「お兄さん(騎兵に入って怪我をした)はお気の毒だった」「兵隊でないほうでお国のために尽くせ」って言われて、最後のところに入ったら「あんた兵役関係ありません」って言われて、点呼もないんですよ」
「横浜の空襲の日に点呼があって行ったら、全部馬鹿とかたわ(ママ)みたいなひとばっかりで」

要するに、父が軍関係者で、兄が軍で怪我をしたもんだから、徴兵されないようになっていた、ということらしい。
そんな黒澤は、自分が生き残ったことを終生気にする。

https://youtu.be/Ryg5K4qGHD4?t=2720

「おまえたちと一緒に死にたかった」

黒澤映画が、細部では映画史上類を見ないエネルギーを持ちながら、しばしば全体として流れが悪く、すっきりと楽しめないものになっているのは、彼の「生き残ってしまった」コンプレックスが原因だと思っている。

三島もしかり。三島も国の将来を憂い、憂いこうじて最終的に自分の命を絶つのだが、徴兵検査不合格の瞬間はともかく、その後の人生はさぞかし苦しいものだったのだろうと想像する。おかげで我々は文学の大作を享受できるのだから文句は言えない。しかし黒澤と同じく、細部のレトリックに惑溺して全体がスムーズに流れないのは、黒澤と共通する精神状態があったのだろうと考えている。

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