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2018年12月12日水曜日

「豊饒の海」追記14

以下のようなことは三島の全作品を読んでから判断することだが、私が三島の全作品を読む見込みは全く無いので、性急な判断をさせていただく。

三島は、「銀河鉄道の夜」や「斜陽」のような作品は、おそらく内容読み込めていない。なんとなく凄さはわかっていたと思われるが、それらの尖がった小説実験理解できていない。

「人間失格」はおそらくだが意味がわかっている。「絹の明察」も天皇が主役である。

「闇の奥」はおそらく読めている。全体の登場人物戦略と、ニーベルングの指環を背景にした作品があるということを、読めている。優秀である。

実はほとんどのイギリス文学研究者は「闇の奥」を読めていなかったはずである。いくつか解説を読んでみたが、まともな読み解きはなかった。「闇の奥」を下敷きにした「地獄の黙示録」もほとんどの映画批評家が内容読み解けていなかった。「闇の奥」理解はかなり大きなポイントなのである。これを読めただけで、三島は一級品である。

そしてもっとも重要なことは、「ニーベルングの指環」が通貨発行権を扱うドラマだということを理解していることである。さすがは元大蔵官僚である。この点で、三島はフィッツジェラルドや宮崎駿と並び、コッポラやタランティーノの上にゆく。

文芸研究家、評論家に比べれば、作家はたいてい「読める」。読む能力が高い人が多い。もちろん読めない人もたくさんいるが。
その「読む」という才能だけで言ったら、三島は宮沢賢治や太宰治より確実にワンランク下である。細部をレトリックかけてこねくりまわす悪癖が災いしている。しかし宮沢、太宰に負けても不名誉ではない。連中はどうも(田舎者だけあって)動物的超能力で読む部分が感じられる。現代日本では絶滅した人種である。人間というより原始的生物という感じさえ受ける。

(私はもちろん読み解き能力三島よりはるかに下だが、章立て表や登場人物一覧表の作成によって整理できるから、人の読み解き能力を判別する資格はあるだろう)

残念ながら「読み込む」「読み解く」という世界をまるごと知らず一生を終える文学ファン、文学研究者、文学評論家が大部分である。非常に優秀な頭脳が、「読み解く」ということをしらないまま、無駄に消えてゆく。もったいない。「読み解く」という世界がある、ということさえ認識すれば、実はその瞬間から三倍くらい読めるようになっているのである。しかし「その世界がある」ということをテコでも認めようとしない。なかなか世間に広まるまで時間がかかりそうである。

話し戻って、三島は、通貨発行権の問題をかなり高水準で理解することが出来た。通貨発行と経済的困窮との関係、インド洋の海洋利権、これらは今日でも十分通用する議題である。つまり三島は今日の作家なのである。しかし、話題になるのは三島の愛国心だけで、三島の優れた見識ではない。切腹は確かに重要なイベントだが、切腹評論ならば三島以外にも対象は居る。話題にしなければならないのは三島の見識のはずである。

ではなぜ見識が話題にならないか、それははっきり「豊饒の海」がさほど理解されていないからである。せめて「闇の奥」だけでも十分理解されれば、三島の努力も十分報われると思うのだが。

言い換えよう。むやみに神格化されず、冷静に三島の能力と努力を判定できるようになれば、日本もよい国になれると思うのだが。

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