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2018年12月14日金曜日

「豊饒の海」追記16

第三巻「暁の寺」の前半部分は、タイとインドである。
三島は太平洋戦争を直接描くことはせず、タイとインドへの旅行記にとどめた。
おそらくその「暁の寺」の影響を受けた作品が、
松本清張「熱い絹」(1972年)である。

「熱い絹」は、タイのシルク王、ジム・トンプソンの失踪事件を扱う。
ジム・トンプソンはタイでシルクを扱うブランドを立ち上げた人物だが、
当時のOSS、すなわち今日のCIA上がりのスパイで、
人脈を生かしてビジネス的に成功するのだが、
1967年なぞの失踪をとげる。今日まで遺体は見つかっていない。

以下ネタバレになるが、
「熱い絹」の今一人の重要人物は、マレー侵攻作戦のときに現地に取り残されて、
その後現地人として生きた元日本兵である。彼は人々に故郷静岡の茶の栽培を教え、最後は自決する。「豊饒の海」の裏登場人物であってもおかしくない設定である。
ここで取り上げられているのは、イギリスのインド洋支配→日本軍の進駐→アメリカ勢力圏への編入という、東南アジアの歴史そのものである。別に作品としての品格は高くない。いつもの松本清張である。しかし、着眼点はすばらしい。当時の日本人でジム・トンプソン失踪事件に注目できた人はほとんど居ないだろう。

三島は松本を嫌った。激しく嫌った。ひとつには松本がいわゆる気取った文化人を悪く言うからでもある。同時に、おそらく三島の中でも、松本の文章こそがこれからの文章だろうという、予感があったのではないか。今日三島風の文章を書く人はほとんど居ないが、松本風ならわんさか居る。本人たちも意識せず、松本風文章を書いている。文体の影響力としう意味では、三島以上の存在である。それを好むと好まざるとにかかわらず、これは認めなければならないだろう。

そして着眼点も、三島に続いてすばらしい。「暁の寺」の舞台が華北でもなく、華中沿岸部でもなく、東南アジアおよび南アジアに設定されていることは、三島ファンにももう少し重要視いただきたい。批判者はしばしば最大の理解者になるのである。

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