ページ

2018年12月29日土曜日

ユダヤについての仮説3

使いやすい文字を開発したフェニキア人の古代における地位は、今日では「アップル族」「スマホ族」と考えれば理解しやすい。新しいメディアを手にしたものは、手にしていないものにたいして圧倒的な知的優位性を持つ。人類のほとんどが識字していない環境では、神のごとき知性を手にしたのである。というか近隣部族はなんのこっちゃ理解できなかったろう。知的水準に差がありすぎるからである。

が、しかしフェニキアの優位も長くは続かなかった。フェニキア文字からギリシャ文字が派生したのだが、ギリシャ文字は母音がもともと備わっている。子音のみで母音がなく、実際の発音は類推で読まなければならなかったフェニキア文字と比べれべば、ギリシャ文字の優位性は明らかである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/File:AntikeGriechen1.jpg

赤がギリシャ、黄色がフェニキアの殖民都市である。勝敗は明らかである。フェニキア有利なのはパレスチナ近辺と、アフリカ北岸西部、スペイン南部のみである。

しかし、交易ということを考えると、アフリカ北岸西部は悪い土地ではない。フェニキア人たちはおろらく大西洋を南下し、アフリカの物資をヨーロッパまで運び、膨大な利益を得ていたはずである。
それは歴史で証明されている。カルタゴはまさにこの地の王国だからである。

カルタゴは、ローマの歴史を通じて、もっともローマを追い詰めた敵である。天才ハンニバルを擁してイタリア半島を荒らしまわり、その間ローマ帝国はひたすらローマに立てこもって首をすくめている以外に、軍事的にはなすすべもなかった。ローマはそのときの屈辱を決して忘れず、最終的にはカルタゴを完全に破壊した。

それで、考えなければならないのは、その後カルタゴ人、つまりフェニキア人はどこに行ったのか、ということである。

0 件のコメント:

コメントを投稿