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2018年12月31日月曜日

ユダヤについての仮説4

BC146にカルタゴが滅亡する
フェニキア=ユダヤ人にとってはダメージである。

ところが故地パレスチナに、
ほぼ同じBC140くらいにハスモン朝というユダヤ独立国家が成立する。
セレウコス朝シリアからの独立である。
つまりフェニキア=ユダヤ人にっとってはパレスチナが最後の心のよりどころになったのである。

ところで、キリスト教もユダヤ教の一派であり、盛んに伝道を行った。つまり、当時のユダヤ教は本来、伝道を盛んに行う宗教だったのである。

「ヨブ記」
https://matome.naver.jp/odai/2154057092464739801

では当時のユダヤ教はどのように分布していたのか、そしてなぜキリスト教は広まったのか。

と長々と書いてきたのは以下の仮説を提示するためである。


1、カルタゴ滅亡のころには、ユダヤ教は経典の整理がかなり進んでいた
2、滅亡したカルタゴのフィニキア人は、各地にちらばって生存しており(こっちが本当のディアスポラでは?)、人的ネットワークとして機能していた。
3、彼らはあらたにユダヤ教徒、ユダヤ人として自身をアイデンティファイした
4、ユダヤ教徒、とくにキリスト派の拡大は目覚しく、ローマ帝国を恐怖を覚えた、なぜならばその集団の母体は、フェニキア人だったからである。
5、ある程度以上ユダヤ教が広まった後ではもはや制御不能になっていた。ローマ帝国としてはユダヤ教の一派、キリスト教を国教にしてカルタゴ勢力に対抗するより選択肢がなかった。これがキリスト教がローマ帝国の国教になった理由である。

2018年12月29日土曜日

ユダヤについての仮説3

使いやすい文字を開発したフェニキア人の古代における地位は、今日では「アップル族」「スマホ族」と考えれば理解しやすい。新しいメディアを手にしたものは、手にしていないものにたいして圧倒的な知的優位性を持つ。人類のほとんどが識字していない環境では、神のごとき知性を手にしたのである。というか近隣部族はなんのこっちゃ理解できなかったろう。知的水準に差がありすぎるからである。

が、しかしフェニキアの優位も長くは続かなかった。フェニキア文字からギリシャ文字が派生したのだが、ギリシャ文字は母音がもともと備わっている。子音のみで母音がなく、実際の発音は類推で読まなければならなかったフェニキア文字と比べれべば、ギリシャ文字の優位性は明らかである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/File:AntikeGriechen1.jpg

赤がギリシャ、黄色がフェニキアの殖民都市である。勝敗は明らかである。フェニキア有利なのはパレスチナ近辺と、アフリカ北岸西部、スペイン南部のみである。

しかし、交易ということを考えると、アフリカ北岸西部は悪い土地ではない。フェニキア人たちはおろらく大西洋を南下し、アフリカの物資をヨーロッパまで運び、膨大な利益を得ていたはずである。
それは歴史で証明されている。カルタゴはまさにこの地の王国だからである。

カルタゴは、ローマの歴史を通じて、もっともローマを追い詰めた敵である。天才ハンニバルを擁してイタリア半島を荒らしまわり、その間ローマ帝国はひたすらローマに立てこもって首をすくめている以外に、軍事的にはなすすべもなかった。ローマはそのときの屈辱を決して忘れず、最終的にはカルタゴを完全に破壊した。

それで、考えなければならないのは、その後カルタゴ人、つまりフェニキア人はどこに行ったのか、ということである。

2018年12月28日金曜日

ユダヤについての仮説2

ヒエログリフからフェニキア文字が派生し、フェニキア文字から古ヘブライ文字が派生した。
to
と言っても、フェニキア文字と古ヘブライ文字は実は同じものなのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97

丸に十字の文字の角度が45度違うだけである。

だいたい古代の民族なる概念は、現代の民族以上に不明瞭である。
ターレスはギリシャ哲学の祖であるが、フェニキア人である。
どんな種族でも、ギリシャ社会に入ればギリシャ人である。

で、あっさり言ってしまえば、
古代社会において、フェニキア人もユダヤ人も、大差ない。
人種的にはどうせまちまちで、
海上交易で栄えているのがフェニキア人、
それに取り残されている弱小勢力の田舎ものがユダヤ人と認識して、
まず大丈夫だろうと考えている。

発掘された聖書―最新の考古学が明かす聖書の真実


には「ソロモンの栄華、という事象は考古学的には発見されていない」「ダビテ家が実在したのは立証されている」とのことであって、聖書の記述は相当眉につばつけて読む必要がある。
おそらく栄えていたのはフェニキアであって、内陸部ユダヤは(同種同文でありながら)、地味でたいして栄えていない存在だったはずである。

2018年12月27日木曜日

ユダヤについての仮説1

古代中近東世界にはおおまかに2種類の文字があった。
エジプトのヒエログリフと、メソポタミアの楔形文字である。

楔形文字はハングルやカタカナのようのもので、視認性が悪い。
そのかわり覚えやすく使いやすいはずなのだが、
元来シュメール人のものであった文字を、
アッカドやらアッシリヤ人などが使うので、
使いでが大変悪かった。

同様な事情がタイにもあって、
中国語に近い声調言語、音の高低での表現が多い言語を、
サンスクリット系の文字で表現しようとしているのが、タイ文字である。
母音や子音の細かい分別はたいしたものだが、
決してマスターしやすいものではなくなっている。
タイ人はおそらく中国語と同じく長江中流域に発生した言語で、
タイ人の南下とともに言語として別の発展ルートをたどったのだろう。

あるタイ人に聞いたところでは、
「タイ文字には実に苦労した。
アルファベットのほうがはるかにマスター簡単だった。
結局タイ文字マスターできたのは小学校6年生のときだった」
そうである。私はちょくちょくタイに行ったが、マスターできなかった。
「アルファベットと同等だろう」と考えてアプローチした私が馬鹿だった。

話もどって楔形文字も、
別民族の別言語の人のマスターには不向きだったようで、
シュメールとはまったく別の言語を話すアッカドやアッシリアの人々も、
いざ文字を書く段になると、シュメール語にかなり縛られていた、という話を読んだことがある。

そこへゆくと、安定的に文字を運用できていたのがエジプトである。
なにしろ民族の入れ替わりが基本無い。同じ民族が同じ文字を使い続けている。
エジプト内部で表語文字から表音文字(ヒエラティック)が発生したが、
エジプトの外でも同様に、ヒエログリフを元に表音文字が発生し、
それが今日のアルファベットの基礎になっている。

発生したのは、原カナン文字、およびフェニキア文字である。
カナン、フェニキアは現在のイスラエル地方であり、
エジプトにも近く、メソポタミアにも近い。
両者に近い場所で、書きやすく読みやすい文字が発生した。
このことによって、その土地に住む住民は、
エジプト、メソポタミア両地方の神話、伝説に触れることができ、
それらを書き記すことができた。
これが聖書の成立起源であると考える。

問題は、文字の発生によりたまたま歴史書製作の機会を得ただけで、
カナンには強力な王権が存在していなかったことである。
ヤマト朝廷抜きの日本書紀だったのである。

2018年12月14日金曜日

「豊饒の海」追記16

第三巻「暁の寺」の前半部分は、タイとインドである。
三島は太平洋戦争を直接描くことはせず、タイとインドへの旅行記にとどめた。
おそらくその「暁の寺」の影響を受けた作品が、
松本清張「熱い絹」(1972年)である。

「熱い絹」は、タイのシルク王、ジム・トンプソンの失踪事件を扱う。
ジム・トンプソンはタイでシルクを扱うブランドを立ち上げた人物だが、
当時のOSS、すなわち今日のCIA上がりのスパイで、
人脈を生かしてビジネス的に成功するのだが、
1967年なぞの失踪をとげる。今日まで遺体は見つかっていない。

以下ネタバレになるが、
「熱い絹」の今一人の重要人物は、マレー侵攻作戦のときに現地に取り残されて、
その後現地人として生きた元日本兵である。彼は人々に故郷静岡の茶の栽培を教え、最後は自決する。「豊饒の海」の裏登場人物であってもおかしくない設定である。
ここで取り上げられているのは、イギリスのインド洋支配→日本軍の進駐→アメリカ勢力圏への編入という、東南アジアの歴史そのものである。別に作品としての品格は高くない。いつもの松本清張である。しかし、着眼点はすばらしい。当時の日本人でジム・トンプソン失踪事件に注目できた人はほとんど居ないだろう。

三島は松本を嫌った。激しく嫌った。ひとつには松本がいわゆる気取った文化人を悪く言うからでもある。同時に、おそらく三島の中でも、松本の文章こそがこれからの文章だろうという、予感があったのではないか。今日三島風の文章を書く人はほとんど居ないが、松本風ならわんさか居る。本人たちも意識せず、松本風文章を書いている。文体の影響力としう意味では、三島以上の存在である。それを好むと好まざるとにかかわらず、これは認めなければならないだろう。

そして着眼点も、三島に続いてすばらしい。「暁の寺」の舞台が華北でもなく、華中沿岸部でもなく、東南アジアおよび南アジアに設定されていることは、三島ファンにももう少し重要視いただきたい。批判者はしばしば最大の理解者になるのである。

2018年12月13日木曜日

「豊饒の海」追記15

どうも未だに、ラストシーンの意味についての議論が盛んなようである。私なりに説明してみる。

本多繁邦は綾倉聡子に過去の記憶をすべて否定される。
「それも心心でっさかいに」
記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思つた。

というのが「豊饒の海」のラストである。ポイントを押さえれば明快に説明できる。

1、元ネタの「ニーベルングの指環」のラストを参照する
2、輪廻を基本に考える


1、元ネタの「ニーベルングの指環」のラストを参照する
「ニーベルングの指環」は、ブリュンヒルデが指環を持って火の中に飛び込み、同時にヴァルハラ城も炎上し、神々の世界が一旦終わる。終わった後に「愛の救済の動機」が奏でられ、新たな生と、あらたな世界の生成が予感されて終幕する。

この終末が「豊饒」に受け継がれたと考えるならば、新たな転生が、より良い転生が待っている。

2、輪廻を基本に考える。
本多はここで死ぬ。死なないにしても、長生きした主人公の人生そのものはいったんここで否定される。すると今度は、本多が転生する。後述するようにそれは第一巻の滝で死んでいた黒い犬なのだが、もしも時系列をループさせないならば、あらたな人間として生まれ変わるはずである。本多の人生は、大きく金をもうけて、晩年青年にいじめられた、というだけでさのみ大きな事件のなかった人生だった。しかし飯沼茂之を援助したりして、実際安永も援助はしたわけだから、功徳はそれなりに積んでいる。積んでいるから転生先はもうすこし良い身分である。豊かかどうかしらないが、少し魂がハイグレードになっているはずである。

本多をいじめた安永は、第一巻でモグラとして登場する。松枝につまんで池に捨てられる。同様に、本多も黒い犬となって登場している。こちらは門跡に供養される。
ほかの転生は、飯沼勲が第四巻で変態ナイフ男になって登場、松枝もやさいくず爺さんとなって登場である。つまり、松枝、飯沼は文句なしに劣化版転生、本多、安永は時系列どおりに解釈すれば、アップグレードして転生している。つまり転生がプラスになるかマイナスになるかは人次第である。だから本多も次は虫に生まれるかも知れず、菩薩に生まれるかもしれないのだが、本多だけの持つ属性は、「門跡に供養される」である。第四巻のラストシーンも、事実上門跡の供養なのだから。

ところで門跡とは、皇族が出家してなるのが普通である。聡子は皇族ではないが、皇族になりかけて出家した。門跡が供養するとは、いわば準国葬なのである。国家全体に貢献したもののみが国葬を受ける。本多はそこまで国家全体に奉仕していないが、飯沼のように国家を憂うものを助け、タイ王子との外交も尽力した。単純素朴な暴力漢でもなく、エゴと美意識のみの貴族でもない、平凡な住民だが、それなりに社会に貢献した。そして最後に、癌の老体に鞭打って、汗だくになりながら参道の坂道を登りきった。坂の上の青い天に、一朶の白い雲がかがやいていたのかどうかはいざしらず。

本多は三島自身でもあり、近代の日本人そのものだが、三島は自分と日本人に十全ではないまでもそれなりの評価をしていたことになる。自分は死ぬ。近代日本は死ぬ。転生した来世は、もうすこしでも良いことになればよいな。素直で純粋な心を持った小説家。

2018年12月12日水曜日

「豊饒の海」追記14

以下のようなことは三島の全作品を読んでから判断することだが、私が三島の全作品を読む見込みは全く無いので、性急な判断をさせていただく。

三島は、「銀河鉄道の夜」や「斜陽」のような作品は、おそらく内容読み込めていない。なんとなく凄さはわかっていたと思われるが、それらの尖がった小説実験理解できていない。

「人間失格」はおそらくだが意味がわかっている。「絹の明察」も天皇が主役である。

「闇の奥」はおそらく読めている。全体の登場人物戦略と、ニーベルングの指環を背景にした作品があるということを、読めている。優秀である。

実はほとんどのイギリス文学研究者は「闇の奥」を読めていなかったはずである。いくつか解説を読んでみたが、まともな読み解きはなかった。「闇の奥」を下敷きにした「地獄の黙示録」もほとんどの映画批評家が内容読み解けていなかった。「闇の奥」理解はかなり大きなポイントなのである。これを読めただけで、三島は一級品である。

そしてもっとも重要なことは、「ニーベルングの指環」が通貨発行権を扱うドラマだということを理解していることである。さすがは元大蔵官僚である。この点で、三島はフィッツジェラルドや宮崎駿と並び、コッポラやタランティーノの上にゆく。

文芸研究家、評論家に比べれば、作家はたいてい「読める」。読む能力が高い人が多い。もちろん読めない人もたくさんいるが。
その「読む」という才能だけで言ったら、三島は宮沢賢治や太宰治より確実にワンランク下である。細部をレトリックかけてこねくりまわす悪癖が災いしている。しかし宮沢、太宰に負けても不名誉ではない。連中はどうも(田舎者だけあって)動物的超能力で読む部分が感じられる。現代日本では絶滅した人種である。人間というより原始的生物という感じさえ受ける。

(私はもちろん読み解き能力三島よりはるかに下だが、章立て表や登場人物一覧表の作成によって整理できるから、人の読み解き能力を判別する資格はあるだろう)

残念ながら「読み込む」「読み解く」という世界をまるごと知らず一生を終える文学ファン、文学研究者、文学評論家が大部分である。非常に優秀な頭脳が、「読み解く」ということをしらないまま、無駄に消えてゆく。もったいない。「読み解く」という世界がある、ということさえ認識すれば、実はその瞬間から三倍くらい読めるようになっているのである。しかし「その世界がある」ということをテコでも認めようとしない。なかなか世間に広まるまで時間がかかりそうである。

話し戻って、三島は、通貨発行権の問題をかなり高水準で理解することが出来た。通貨発行と経済的困窮との関係、インド洋の海洋利権、これらは今日でも十分通用する議題である。つまり三島は今日の作家なのである。しかし、話題になるのは三島の愛国心だけで、三島の優れた見識ではない。切腹は確かに重要なイベントだが、切腹評論ならば三島以外にも対象は居る。話題にしなければならないのは三島の見識のはずである。

ではなぜ見識が話題にならないか、それははっきり「豊饒の海」がさほど理解されていないからである。せめて「闇の奥」だけでも十分理解されれば、三島の努力も十分報われると思うのだが。

言い換えよう。むやみに神格化されず、冷静に三島の能力と努力を判定できるようになれば、日本もよい国になれると思うのだが。

2018年12月11日火曜日

「豊饒の海」追記13

NAVERに「豊饒の海」をまとめて2年以上経過したが、最近やけに豊饒が話題にのぼる。
日本の右傾化に関係があるのだろう、いや右傾化して当然と思っているのだが。
流れに乗っていろいろ書きたくなった。

「豊饒の海」追記11
https://yomitoki2.blogspot.com/2016/04/11.html
にも書いたのだが三島由紀夫は戦争に行っていない。
戦争体験ヒエラルキーとしては、かなり下である。丙種不合格だったはずである。
しかし、当時の人間でもそれより以下は居る。
黒澤明は、戦争体験という意味では、三島由紀夫以下である。

黒澤明のインタビューがながらく見つからなかったのだが最近再発見した。
インタビュアーは大島渚。
45分ごろから。

https://youtu.be/rdTztiOZa_4?t=2744

「検閲官の前に立ったら、黒澤勇さんの息子さんですか」と聞かれて、「軍隊に入るだけがお国のためじゃない」「お兄さん(騎兵に入って怪我をした)はお気の毒だった」「兵隊でないほうでお国のために尽くせ」って言われて、最後のところに入ったら「あんた兵役関係ありません」って言われて、点呼もないんですよ」
「横浜の空襲の日に点呼があって行ったら、全部馬鹿とかたわ(ママ)みたいなひとばっかりで」

要するに、父が軍関係者で、兄が軍で怪我をしたもんだから、徴兵されないようになっていた、ということらしい。
そんな黒澤は、自分が生き残ったことを終生気にする。

https://youtu.be/Ryg5K4qGHD4?t=2720

「おまえたちと一緒に死にたかった」

黒澤映画が、細部では映画史上類を見ないエネルギーを持ちながら、しばしば全体として流れが悪く、すっきりと楽しめないものになっているのは、彼の「生き残ってしまった」コンプレックスが原因だと思っている。

三島もしかり。三島も国の将来を憂い、憂いこうじて最終的に自分の命を絶つのだが、徴兵検査不合格の瞬間はともかく、その後の人生はさぞかし苦しいものだったのだろうと想像する。おかげで我々は文学の大作を享受できるのだから文句は言えない。しかし黒澤と同じく、細部のレトリックに惑溺して全体がスムーズに流れないのは、黒澤と共通する精神状態があったのだろうと考えている。