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2019年12月21日土曜日

論語について 3

孔子は紀元前479年没らしい。没後73年で戦国時代に入る。それから200年後に前漢になる。前漢は200年経過してほぼ紀元0年ごろ後漢になる(実際には紀元25年)。200年程度存続した後漢の終わり頃、鄭玄(ていげん、あるいはじょうげんとも読む)という学者が論語に注釈をつけた。これが鄭注である。部分的にも現存する注の最も旧いものである。鄭玄は三国志にも登場する人物で、書いたときが黄巾の乱とどちらが先か判然としないが、かりに黄巾の乱ジャストと考えても、孔子の死去からその時既に663年経過している。現代に置き換えると、北畠親房の神皇正統記の初めての注釈が今年出版されました、というにほぼ等しい。紙が発明されたのが後漢だから、竹簡時代に注釈ができなかったのは仕方がない。しかし660年以上前となると、まるでリアリティのない遥か昔の話である。当時の時点でもはや文の正誤なんぞ判読しようがない。ほぼ最初の注でそれなのであるが、それからさらに1800年が経過している。以上を要約すると、事態は絶望的なのである。

似たように絶望的な状況に陥っているのが「聖書研究」である。新約聖書には4つの福音書が並んでる。マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネである。それぞれ内容が違う。それぞれ制作年代が違う。それぞれ自分の考えがあり、その考えはイエスの考えではない。そしてもともとそうなのだがコピーを重ねるごとに、当時は筆写だから大量の間違いが発生し続けた。教会組織が完備されて以降の間違いは大したことがないが、そこに至るまでの段階でなにしろ素人が筆写しているもので途方もない量の間違いが生産された。どこかに原本がないのか。ない。どこかに「これがイエスの考えだ」という確証ある資料があるのか。ない。だから研究者は少しでも古い資料を求めてゆき、時々発掘されると狂喜乱舞して妄想を炸裂させる。

そんな苦労を積み重ねたある聖書学者が、かれは世界的権威の一人らしいのだが、研究に研究を重ねた結果とうとうクリスチャンやめてしまったと言う話がある。本邦の誇る学者の田川建三氏も「無神論クリスチャン」を標榜しているそうである。研究の結果、信仰をうしなってしまう。研究か信仰かの二択である。儒教もだいたい似た状況である。真説氏は宮崎市定を崇拝している。勢いにつられて宮崎論語を見てみた。たしかに、もはや宮崎は儒者ではなくなっている。孔子を愛してはいるだろうが、崇拝者ではない。そして論語本文も間違いと思えるところをバンバン訂正してゆく。誤字である、脱字である、錯簡である。情け容赦ない。

近代文学解析しても事情は同じである。きっちり解析すると、神格化はかならず脱落する。限界のない天才ではなく、限界はあるが優秀で、勤勉な人間が立ち上がる。研究者たちはそれを嫌がってきっちりした解析をしたがらないのかもしれない。研究対象の限界を認めると、自分自身の限界を認めるような気がするのかしら。

そして、聖書や論語の研究のエネルギーの大半が、実は本文そのものではなく、バージョンに違いや成立へ推測に当てられている状況を見ると、近代文学の研究が本文を読まないのは感触的によくわかる。聖書や論語は、なんのかんのいって量が少ないのである。論語全文暗唱している人は、昔の日本にはゴロゴロ居た。量が少ないからである。だから「読む方法」を考える必要がない。本当はあるのだがあまりない。そしてその態度をそのまま近代文学に移植したのが、現代の近代文学の研究である。

2019年12月17日火曜日

論語について 2

読み解きはテキストが固定的なことが前提である。
外国文学では複数の翻訳が出版されていることが多いが、
だいたい同じ意味であることを前提に、異同を勘案せずに読み解きをすすめる。
全体構成の読み解きだから、少々の違いは無視できる。

で、論語の読み解きの場合はそれが通用しない。
一応テキストの定番らしきものは存在する。
ところがその漢文の書き下し方が、未だ一定でない。

「書き下し方(つまり意味解釈、外国語からの翻訳)を考えるには、当時の言葉を知らないといかんではないか」と言い出したのは、なんと中国人ではなく日本人で、伊藤仁斎という。江戸時代の人である。それに荻生徂徠が続き、徂徠の研究は独創的なものだったので、中国で出版されたりもした。
中国でも日本から遅れて語学的研究が始まり、今日までそれは続けられている。

真説「論語」
https://twoshikou.exblog.jp/

も論語の全体構成をまず見るのではなく、「春秋」から当時の歴史状況を理解し、本文を検討してゆく方向である。検討の結果として「原初論語」を再現しようとする意図だったらしいのだが、記述は途中で中断されていて再開していない。ご本人「満身創痍」と書かれている。どなたか消息ご存知でしたら教えていただきたいものであるが、内容はともかく度胸が良い。切り捨てるところは問答無用で切り捨てる。

例えば、当時の木簡竹簡の状況。材料を用意するのに手間がかかり、かつ墨が発明されていない。漆で書かれていたらしい。書きにくい。となると、長い文章の記述は無理である。実際春秋の本文は極端に短い。だから論語も本来は極端に短かったはずである。しかし論語の中には短い文もあるが長い文もある。という状況で、真説氏は一気に切り捨てる。

「長文は基本的に後世の偽作である」

説得力が高い。高いのだが、論語の全体構成を読みたい私の意図とは遠く離れてしまう。かなりの文章が抹殺されてしまうからである。11-25の「子路。曾晳。冉有。公西華。侍坐。」で始まり、「歌でも歌って帰りましょう」となる有名な文章も、抹殺されてしまうのである。もはやそれは、論語ではない。間違いなく孔子の発言には近づくのだが。

2019年12月13日金曜日

論語について

「論語」コツコツやっている。頭と時間と気力に限界あるからペースがやたら遅い。まともに読めるようになるまでおそらく数年、全部頭に入るまで10年、読み解きとなると生きているうちにできるかどうかわからない。なんでそんな迂遠なことをしてるかというと、物凄く精神が落ち着くのである。ではなんでそんなに精神が落ち着くのか。内容が素晴らしいからではない。内容がないからである。中身が空っぽだから落ち着くのである。言い換えれば、気合と根性さえ充実していれば自由に読める。なんとでも解釈できる。

だいたい教祖なんてそんなもんで、釈迦の場合は第一回仏典結集が入滅百年後である。それも文字情報の突き合わせではなく、口誦の突き合わせである。でもってその後もしばらく文章化されなかったわけだから、どれが釈迦本来の教えであるか、確かなお情報はないのである。
だからこそ、つまり「これこれが教祖の教えである」という情報が少ないからこそ後世の仏教徒は次から次へと新たに経典を開発作成できたわけである。生前多弁すぎ、かつ文字情報等を残しすぎ、結局生身を感じさせることになって神格化に失敗した宗教家もかなり存在したのではないか。つまり釈迦は、文字社会でなく、さのみ情報が残らなかったことが後世有名になった原因だと思われる。
なんだか釈迦に尊敬が足りないようでもある。しかし読み解き作業は神格化をしたらダメなのである。作業上神格化禁止なのである。釈迦もキリストもムハンマドも、ただのおっさんなのである。ゲーテもドストエフスキーもそうであるように。
孔子も同様にそこらへんのおっさんである。味はある。頭も良い。でも聖人ではない、そう思っていなければ実はなんにも読み解けない。もっともバカにしたら読み溶けるというものでもない。

孔子が生きたのは古代社会である。資料が非常に少ない。少ない資料を読み解くと、どうしても妄想比率が高まる。論語の読み解きの歴史は、伊藤仁斎(1627生)からはじまって、武内義雄(1886生)くらいでどうも限界点まで行っている。私は伊藤も武内もまだ読んでいないが、武内に刺激を受けた和辻哲郎の「孔子」を読んだ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B009MDOMUU/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_6fZ8DbP5GQCNB

名作である。タダである。血沸き肉踊る論考である。つまり、やや妄想に近くなっている。ある一定の情報量から導き出される読みの総量は一定であるはずである。情報が倍になれば読みもその分深くできる。情報が増えなければ読みはいずれ限界に近づく。東洋社会では論語はS級の書物だから、だいたい戦前には読み解きが限界値を迎えていたようである。
それでもなお、読み解きを進める猛者は存在したし、今も存在する。数年前から知っているサイトだが、2009年を最後に更新が途絶えている。もしかしたら著者は逝去されたのかもしれない。

真説「孔子」
https://threeshiko.exblog.jp/

真説「論語」
https://twoshikou.exblog.jp/

真説「春秋」
https://oneshikou.exblog.jp/

妄想爆裂である。しかし私は尊敬する。この勇気。この度胸。そしてこの洞察。
以下真説氏の説を随時アップしてゆく。

2019年12月10日火曜日

戦争と平和、エピローグ第二編について

トルストイ作「戦争と平和」は以下のような章立てになっている。




四部+短めのエピローグであるが、短いと言っても全体が長大なのでそれでも結構な量になる。エピローグは二編あるが、うち第二編はおなじみの人物たちが登場しない。小説ではないのである。トルストイの歴史論になっている。最後の最後だから、トルストイの主張がここにまとめられているからと考えて差し支えない。エピローグ第二編のみ表に書き出してみた。



表にしてもダラダラとわかりにくい。原文はもっとわかりにくい。たかが歴史論程度でこれである。なるほどこの人は小説書かなきゃならなかったはずである。論説文が「ほぼ書けない」レベルなのである。信じがたいほどの下手である。今日の標準的な高校生のほうが論理が流れる書き方ができるのではないか。わかりにくいのを何度も読んでとりあえず理解できたと思うから、まとめておく。

1、古代社会では歴史を動かすのは神だった
2、その後信仰がなくなった
3、歴史学者は神の部分に「権力」を代入して説明している
4、ではその権力とはなにかというと、まともな説明はない。いったい歴史を動かしているのはなんだ
というのが設問である。

設問自体は鋭い。歴史学者の皆さんはなんと答えるだろう。あんまりこういうことを考えていないのではないだろうか。
トルストイはメンタルはベタベタクリスチャンのくせに、インテリだから知的、科学的に考えようとする。だから神のかわりになにを代入するか気になるところだったのだろう。

トルストイの結論では、権力はない(はっきりとは言わないがそういう意味である、以下やや断定的に説明する)。権力者の自由意志もない。人間の行動の全ては必然である。必然なのだが、必然だと認識できていないから自由意志があると思い込み、権力者が存在すると思い込んでいる、というものである。

トルストイは例えば、「命令は事件の原因ではない」と言い出す。なるほど命令は出されている。いくつかは実行される。その後事件が起こる。しかし実行されない命令も大量にある。大量の命令のうち実行されたものを事後的に発見して、「この命令がこの事件の原因だ」と言われる。しかしそれは事後的な処理にすぎない。因果関係ではない。相互関係にすぎない。つまり命令は事件の原因ではない。
また言う。単独の命令は存在しない。命令にはかならずそれに先立つ命令がある。命令の原因は命令であり、命令の結果は命令である。命令者は命令を下すのが仕事であって、実際に戦闘には参加しない。ナポレオンやロシア皇帝アレクサンドルが殺し合いはしない。命令を下すだけである。したがって彼らは戦争に参加していない。

こういう考え方では、ナポレオンは英雄にならない。というか受動的に法則に動かされているだけで、極論すれば責任もなくなる。すべては必然の法則で動かされているのである。ではインパールの牟田口は責任はないのか。責任あるような気がするの人が大半だろう。
とりあえずトルストイの主張と、かれが暗黙に想定する対立意見を表にした。



あっさり言ってしまえば、この両極端とも人間は完全には棄却できない。つまり両方の意見が存続し続ける。人間が人間であるかぎりそうである。
しかしトルストイは極端な考え方が好きだから、登場人物を当てはめて勧善懲悪ならぬ、勧正懲誤物語を作った。


しかしながら、なんぼピエールとクトゥーゾフを受動的キャラに描いても、やっぱり彼らはヒーローなのである。ナポレオンほどではないが、ヒーローなのである。

トルストイはようするに、混乱しているのである。極端な主張をしようとしてしきれていない。しかしその努力と根性たるや凄まじい。結局圧倒されてしまう。小説は結局の所、論理の整合性を探求する場所ではなく、正体不明の情熱をぶつける場所のようである。