なぜ東北にこれほどの才能が出現したのか。
石川啄木:1886
十年後に
宮沢賢治:1896
十三年後に
太宰治:1909
仮説を立ててみた。
1、文化の僻地
明治維新は文化輸入期である。
既存の旧文化が潤沢であるほど、新しい文化は導入しづらい。
秋田、岩手、青森にはいわゆる日本文化が十分にはなかった。
だから彼らは、西洋文化にいち早く対応できた。
2、鄙(ひな)の自信
田舎者と書くと怒られそうなので、鄙と書く。東京大阪に比べれば、東北は田舎である。東北人は一見地味で控えめで大人しい。しかしどうも日本有数の自信地方である。口には出さないが自分を信じる気持ちが大変強い。そういう田舎もの特有の気の強さがプラスに作用した。
3、賊軍
文化は常に政治の本流以外のところから出る。
例えば夏目漱石は江戸の名主さんの家系である。名主とはまず田舎の庄屋さんと思って間違いない。一般庶民ではない。よいお家である。夏目漱石の先祖は三方原で家康の身代わりになって死んでいる。そんな家系だから明治政府ははっきり気に食わない。そういうところから文化が発生する。
明治維新は、薩長の征服政権である。私はそれを肯定するが、東北が被害者であるとする見方もまた正しいと思う。そんな人々が、新しい文芸を生むのは、社会の生理的反応である
どの仮説もそれなりに正しそうである。
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