読み解き作業、本ページでも、Naverでもさんざんやっているが、どうも一般に広まらない、それは、文学や映画好きな人が、自分以上に読み解いているものを見た場合、たいてい腹を立てるからである。文学、映画好きな、感度の高い人が多い。そして自分よりしっかり読み込んだ結果を見ると、自分の感度に自信が持てなくなって、傷ついて、腹を立てる。
しかし、読み解きに感度は実は必要ないのである。あるのは単純に、章立て表と登場人物一覧表の作成、それを何度も検討することであって、芸術を作るのではなく、芸術を分析するのが目的である以上、砂を噛むような味気ない作業を続ければ、だれでも可能である。もちろん、感度が高く、地頭がよければ言うことはない。私の感度と地頭なぞしれたものだから、文学や映画が本当に好きで、十分な地頭持っているひとは、ぜひ挑戦いただきたいと思っている。挑戦したtころで、あんまり自分の人生にも、人々の生活にも枠にたたないのだが。
それでもアメリカ映画や文学を少々読みといてわかったことは、少なからずある。日本と同じく、アメリカにも「読み解く」世界を知っているひとは少数しかいない。フィッツジェラルド、コッポラ、タランティーノは十分読み解ける人である。コッポラ、タランティーノはイタリア系である。イタリアの文化力というのも、アメリカの多きな力であるようである。というより、コッポラがアメリカ人という気がだんだんしなくなる。イタリア系アメリカ人ということになっているが、実態はアメリカ系イタリア人ではないだろうか?もちろん国籍はアメリカなのだが。
優秀な人々はアメリカに集まる。集まった優秀な人々がアメリカを動かす。つまりアメリカを動かしているのは、(アメリカが没落しないかぎり)アメリカの土着の文化では永遠にない。優秀すぎてアメリカのエスニシティを獲得するひまもなく、自分の民族的特長を最大限生かしてアメリカを動かし続ける。
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