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2014年4月23日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読12

別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
の二つの章をときほぐしてゆく。

以下1、2と表現する。

1、君は母に似ていると主人公が言う
2、お母さんは私に似ていると妻が言う。

1、再婚を妻に勧める
2、再婚するかもと妻に言われて不機嫌になる

1、イグナートを一時預かってくれといわれる
2、イグナートを引き取ろうとして断られる

1、イグナートにお酒はだめだと父親らしく指導
2、イグナートに同居を断られ、腹を立てて馬鹿にする

と、前者は肯定的、後者は否定的に描かれる。
ここまでは対句になっているが、
1にはスペイン人の話題が引き続く。

スペイン内乱はソ連が介入した戦争である。
ソ連の介入はうまく行かず、
結局引き上げるのだが、
引き上げる際にスペイン人を連れてきた、
その人たちが劇中で話しているスペイン人である、
という設定である。

スペイン内乱は1936-1939年である。
その後様々な歴史的記録映画が流れるが、
第二次世界大戦、ヒットラーの死、腐海おを渡るシーンとめぐって、
最後は文化大革命とダマンスキー島事件(中ソ国境をめぐる紛争)で終わる。

スペインはユーラシアの西の果てであり、
ダマンスキーは東の果てである。
紛争は時系列で並べられている。
時間とともに西から東にゆくのである。

となると、
前回少し触れたイグナートの留守番との対比が明らかになる。

イグナートの留守番は、
成人時代のちょうど中間に位置する章である。
内容は、

1、別れた妻が出かけようとしてバッグの中身を落とす
2、イグナートは中身を拾うのを手伝おうとして、コインを集める
3、突然静電気に手をひっこめる、
「前にも似たようなことがあったかも・・いやなかった」と言う。
4、妻は出掛け際に「お母さんが来たらかならず引き止めて」と言う。
5、イグナートがしらない間に緑服のおばさんと老婆のメイドが入り込んでいる。
「ぼうやにもお茶を、いいこと」とメイドに命令したおばさん(ロシア皇帝)は、
プーシキンの手紙をイグナートに朗読させる
6、プーシキンの手紙には、
「ロシアがモンゴルからキリスト教を守った。
これ以外のロシアの歴史を望まない」とある。
7、呼び鈴がなって母が来る。しかしドアを開けた母は、
「家を間違えたようね」と言って帰る。
8、居間にもどるとおばさんは居ない。父から電話がかかってくる
9、「お父さんはお前の年には初恋をしていた」と言う

以後初恋の人のシーンに移動してゆく。

ここでの中心は言うまでも泣くプーシキンの手紙である。
「東から来たタタールの戦役をロシアは吸収した」とある。
西から東と移動してゆくソ連の戦役と対比されている。
ソ連の戦役は、
悲劇を吸収していないのである。
だからスペイン人が悲劇に襲われ、
ダマンスキー島でいざこざが起きる。

「カラマーゾフの兄弟」

想起いただきたい。

ロシア的キリスト教メンタリティーでは、おそらく以下のようになる。

「イエスは自身を犠牲にして人類を救済した。
ゆえにイエスに倣う私たちも自身を犠牲にする気持ちを持たなければならない。

モンゴルの侵入に耐えた行為はロシアの自己犠牲であった。
第二次世界大戦前後のソ連の行為は自己犠牲ではなかった。
我々は自己犠牲を引き受けなければならない」

プーシキンの手紙と、
記録映画の映像を見れば、このような解釈になる。

そして、

別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
の意味も明らかになる。

カラーのほうは、主人公の人間関係は良好である。
しかし、スペイン人が苦しんでいる。

モノクロのほうは関係は最悪である。
(別れたおくさんなどは、終始体調悪そうである)
でも、スペイン人の悲劇は付着しない。

身の回りの人間関係の悪化を、
ただの悪化と見ずに、
「誰かの悲劇の身代わりになった行為である」
と考えるロシア的思想である。



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