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2014年3月27日木曜日

タルコフスキー「鏡」・解読5

タルコフスキーの映画が一見難解に見えるのは、
本人がガチガチのキリスト教大好き人間であったのに、
当時のソ連ではそれがストレートに表現出来ない環境であったからである。


惑星ソラリスおよびストーカーは、
人間の内面の願望をすべてかなえる神が存在するとして、
それに触れた人間の戸惑いと煩悶を描いたものである。

サクリファイスは、
最終シーンが「父と子と精霊」の三位一体教義を、
映像化したものになっている。

ノスタルジアはちょっと異例で、望郷と信仰がぐっちゃになっている。
細かく解析すればキリスト教的なところは色々出てくるだろうが。


鏡もそうで、

「疑いもなく
教会の分裂は欧州からロシアを引き離した
欧州を揺るがした出来事に我々は関与していない

しかしロシアにはロシアの使命があった
その広大な大地は蒙古の侵入を飲み込んだ
タタール人は西の国境を越えようとはせず
やがて退いた
かくしてキリスト教文明は救われたのだ

その使命のため
ロシアは特異な在り方を強いられ故に
他のキリスト教国とは
全く異なるキリスト教世界を形成した」

というセリフもあるくらい、それくらい
徹頭徹尾宗教的なのである。

そのような映画で、小鳥が飛ぶシーンが出てきた場合、
(三位一体教義の精霊は通常鳩で描かれるので)
これは精霊を表しているかもしれない、と思うのが鑑賞の基本である。

となると失踪した父とはなにか。
ロシアから信仰が失われたことを表現しているのではないか。



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