タルコフスキーの映画が一見難解に見えるのは、
本人がガチガチのキリスト教大好き人間であったのに、
当時のソ連ではそれがストレートに表現出来ない環境であったからである。
惑星ソラリスおよびストーカーは、
人間の内面の願望をすべてかなえる神が存在するとして、
それに触れた人間の戸惑いと煩悶を描いたものである。
サクリファイスは、
最終シーンが「父と子と精霊」の三位一体教義を、
映像化したものになっている。
ノスタルジアはちょっと異例で、望郷と信仰がぐっちゃになっている。
細かく解析すればキリスト教的なところは色々出てくるだろうが。
鏡もそうで、
「疑いもなく
教会の分裂は欧州からロシアを引き離した
欧州を揺るがした出来事に我々は関与していない
しかしロシアにはロシアの使命があった
その広大な大地は蒙古の侵入を飲み込んだ
タタール人は西の国境を越えようとはせず
やがて退いた
かくしてキリスト教文明は救われたのだ
その使命のため
ロシアは特異な在り方を強いられ故に
他のキリスト教国とは
全く異なるキリスト教世界を形成した」
というセリフもあるくらい、それくらい
徹頭徹尾宗教的なのである。
そのような映画で、小鳥が飛ぶシーンが出てきた場合、
(三位一体教義の精霊は通常鳩で描かれるので)
これは精霊を表しているかもしれない、と思うのが鑑賞の基本である。
となると失踪した父とはなにか。
ロシアから信仰が失われたことを表現しているのではないか。
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