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2014年5月28日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読16

中間部は前回見たように、
ソ連の第二次大戦前後の歴史をなぞっている。
その最終節として、失踪した父の再帰が写される。
父は軍服を着ている。
ここで軍事が終わったということである。
父も子たちも涙を流している。
つらい歴史であった。

中間部の印象的なシーン、
少年のころの軍事訓練、
退役軍人の教官は頭を負傷しており、
脳膜が露出して呼吸とともに息づいている。
これはダンテの神曲、「地獄編」より
第八券、第九の嚢、
離反を生み出した罪で内臓が露出して苦しむシーンに基づいている。

文化大革命のシーン、
毛沢東の胸像が多数並べられているが、
これもダンテの神曲「地獄編」
最下層の地獄の手まで、巨大な悪魔が鎖につながれて、上半身を露出している姿に基づく。
ここでは毛沢東は悪魔であり、
その直前にヒットラーの死体の映像が流れるが、
ヒットラーが死んでもなお、新しい悪魔が生産されているという意味である。
地獄編の参照から類推されることは、
この中間部はソ連の味わった地獄を表現しており、
作者は自身の少年時代の母子関係を、それに重ねているということである。

だが、それでも父は再帰する。
再帰のシーンではマタイ受難曲、地震のレチタチーヴォが流れ、
大いなる犠牲の元に、復活と救済が予告されるのである。

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