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2015年12月30日水曜日

日韓合意に対する見方

慰安婦問題に対する見方

日韓関係の問題であるとか、
もっと狭く、日本の面子と尊厳の問題であるとの論調が多い。
しかし国際関係は常に多国間関係である。

今回の日韓合意は

1、アメリカが極東分割統治をほぼ放棄し、日本を認め、依存する体制になった。
これは戦後レジューム脱却への大きな一歩である
2、対中包囲網が完成した
3、北朝鮮の策謀をとりあえず無効化できた

の三点から、巨大な成功であると考える。
以下解説。

1、アメリカが極東分割統治をほぼ放棄し、日本を認め、依存する体制になった。
これは戦後レジューム脱却への大きな一歩である

アメリカは一貫して、日本と韓国、中国などを競わせて、極東地域を分割することにより統治していた。
それらが一体となってアメリカに対抗してくることを恐れたのだ。
従軍慰安婦問題も、後半はアメリカの煽動が取り沙汰されているし、
少なくとも積極的に問題を収束させようとは思っていなかった。
今回アメリカ政府が問題解決に賛意を評したということは、
「アメリカはこの件をむしかえすことを望まない。日本の極東における地位を保証する」
という意味である。

東アメリカ帝国

参照のこと。


2、対中包囲網が完成した

中国習近平政権の、実質的な賛同者は韓国しかなかった。
従軍慰安婦問題も、中国の背後の動きが取り沙汰されていた。
しかし、問題が解決し、韓国はこれで日本に助けを求める権利を得た。
中国は忠実な配下を失った。

現在ヨーロッパはアメリカの軛を脱しようとしている。
それこそが今日発生している最大の国際問題なのだが、
アメリカの軛を脱するために彼らがジョーカーとして使うのが、中国である。
なぜなら日米同盟こそがアメリカの覇権の最大のカギだからである。
日本の安全保障を脅かすことが出来れば、
アメリカはヨーロッパ、中近東にかまっている余力がなくなる。


3、北朝鮮の策謀をとりあえず無効化できた

証拠もなしに言うが、普通の文脈では従軍慰安婦問題は、
北朝鮮の工作による日韓分断作戦である。

朝日新聞が(故意にか、無知ゆえかはしならいが)それに乗り、
作戦は成功した。
今回ようやくその失地を挽回できた。
拉致被害者問題への取り組みも前進できる。






2015年11月8日日曜日

艦隊派と条約派



こういう財務省別働隊の主張は本体の意向を先取りして伝える。

つまり、「マスコミさん、増税に反対してください」という意味である。
つまり、財務省はすでに消費税増税をあきらめ、
むしろ増税の結果経済が破綻してしまうことを恐れている、という意味である。
財務省の病的発狂は、ほぼ治癒されたと思って良いだろう。
あとはいかにソフトにランディングさせるかだけである。
下手な戦犯探しはしないほうが吉である。

艦隊派と条約派の争いのような争いが、
おそらく財務省内であった。
内部の抗争では増税派が勝った。
しかし経済運営の現実の前に敗れた。




これもソフトランディングの努力である。

組織というのは大変なのである。
数十年前、日本は組織の組み立てに失敗して敗戦した。
面倒くさくも高コストなことだが、
国民に求められるのは我慢の二文字なのである。

2015年4月8日水曜日

太宰治「人間失格」解説

人間失格の主人公は天皇である。
すくなくとも第二の手記、第三の手記は歴史年表構成になっている。
(第一の手記は、神話などが入り混じって明快ではない)



少なくとも太宰は、
「誰かがこれを読んでくれる」
と思って書いた。
私見では、三島由紀夫は読めた痕跡がある。
(豊饒の海四部作は、人間失格的な構成を持つ)

太宰はそれを文中で表現している。
青文字で書いている、
コメとトラ、シノムニとアントの章である。
逆の読み方をしろ、と。

そろそろ太宰の意図を、世間一般が理解してあげるべきだと思う。
原爆投下と、御前会議での聖断は、
(若干不謹慎な言い方かもしれないが)
日本の歴史の、ピークである。
日本の歴史の最大のドラマが、あの数日間にある。

それを
原爆投下=堀木の優しい微笑
聖断=モルヒネの拒否

と表現した。

「ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。

 「いや、もう要らない」

  実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。」

このフレーズは、日本史上最大の瞬間であると同時に、
日本文学最大の瞬間であると思う。