上下に分かれています

ジュネットの現代版という感じですね。悪くはないのですが、別に勉強にはならない。
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メアリー・ダグラス(Mary Douglas)がどうも一番まとまって包括的に構成を論じているようです。元来は人類学の人です。死去の年に出版されたThinking in Circles: An Essay on Ring Compositionをインフォグラフィック化してみました。
しかし、彼女もまた反復構成を十分把握できていない。まずは実際の作品の解析をコツコツすることが必要なのです。
11章あります。
全体を対称構成で組み立てているようです。
1、Ancient Rings Worldwide(世界中の古代のリング)
完成テキストの構成分析が十分発展した分野はあるのでしょうか? 聖書学ですか?
これは非常に良い問いです。
結論から言うと、あります。 しかも、かなり成熟した分野があります。
ただし、分野ごとに「構成分析」の意味が少し違います。
おそらく最も発達しています。
実は現在の聖書学では、
「最終形態(final form)」
という考え方が確立しています。
1970年代頃までは
J資料
E資料
D資料
P資料
など、
「どう成立したか」
が中心でした。
ところが1980年代以降、
Brevard Childs や James Sanders らは、
現在あるテキストそのもの
を読むべきだ
と主張しました。
これが
Canonical Criticism
です。
さらに
Ring composition
Inclusio
Chiasm
Macrostructure
の研究が爆発的に増えます。
つまり
成立史
↓
最終テキスト
へ研究の重点が移りました。
これはあなたの問題意識とかなり近いです。
こちらも非常に進んでいます。
例えば
『イリアス』
『オデュッセイア』
では
対称構造
リング構成
反復
エピソード配置
が何十年も研究されています。
例えば
Cedric Whitman
John Myres
Douglas Frame
など。
ソフォクレス
アイスキュロス
エウリピデス
では
舞台構成
↓
場面対応
↓
キアスム
↓
対称性
が普通に研究されています。
こちらも
シーン配置
対応
リング
モチーフ反復
は非常に発達しています。
文学研究では
ごく普通です。
例えば
『源氏物語』
は
巻構成
前半後半
対称性
が膨大に研究されています。
また
『平家物語』
『徒然草』
なども同様です。
ここは弱くなります。
例えば
『史記』
『左伝』
『荘子』
では
構成研究があります。
しかし
『論語』
ほど短章になると
かなり減ります。
ここが重要です。
『論語』は
普通の文学作品ではありません。
例えば
シェイクスピアなら
一つの物語です。
しかし
『論語』は
約500章
の断章です。
つまり
読者は
500個の断片を
頭の中で
構造化しないといけない。
これは
認知負荷が非常に高い。
だから
構成分析が進みにくい。
私は以前から感じていたのですが、
あなたの方法は
実は
聖書学
に一番近い気がします。
なぜなら
あなたは
成立史
ではなく
完成形
を読む。
さらに
離れた章の対応
篇全体
二十篇全体
を読む。
これは
聖書学でいう
Canonical Criticism
や
Literary Reading
に近い。
ここが面白いところです。
聖書学には
**構成分析を支える「客観的な道具立て」**が数十年かけて蓄積されています。
例えば、
inclusio(前後を同じ語句や主題で囲む)
chiasmus(交差対称)
ring composition(輪状構成)
parallelism(並行法)
macrostructure(全体構造)
などについて、「どの程度の証拠があれば構成上の意図を認めるか」という議論がかなり進んでいます。
一方、『論語』研究では、「構成がある」という主張はあっても、それを検証する共通の分析手法はまだ十分整備されていません。
ですから、もし『論語』の構成研究をさらに理論化するのであれば、聖書学の構成分析の方法論は非常に参考になると思います。ただし、そのまま移植するのではなく、『論語』のような短章集に合わせて基準を調整する必要があります。
私は、この比較研究はかなり有望だと考えます。『論語』研究と聖書学は対象も歴史も異なりますが、「編集を経て成立した古典の完成テキストをどう読むか」という問題では、共通する方法論上の課題を持っているからです。
どうも何度聞いても
Ring compositionとキアスムスの違いがわからない。キアスムスがABCBAだとすると、Ring compositionはどうなりますか?Inclusio とはなんですか
ここは文学理論でも用語が混乱して使われるので、混乱するのは当然です。
実は、厳密には
キアスム(chiasmus)は Ring composition の一種
と考える研究者も多いのです。
私は次のように理解すると一番すっきりすると思います。
一番簡単です。
最初と最後を同じものではさむ。
A
B
C
D
A
例えば
学
……
……
……
学
で終わる。
つまり
額縁(フレーム)
です。
だから
「囲い込み」
とも訳されます。
聖書では非常に多いです。
交差構造です。
A
B
C
B'
A'
あるいは
A
B
B'
A'
AとA'
BとB'
が対応します。
中心
C
が頂点になります。
これは
Χ(ギリシャ文字)
の形だから
キアスムです。
例えば
信
礼
仁
礼
信
こんな感じです。
ここが誤解されやすい。
Ring composition は
作品全体が輪になる
ことです。
つまり
A
B
C
D
E
D'
C'
B'
A'
こういうもの。
つまり
キアスムが巨大になったもの
です。
だから
Ring composition は
ABCBA
だけではありません。
もっと長い。
例えば
A 序章
B 出発
C 危機
D 試練
E 頂点
D'
C'
B'
A'
こんな作品です。
ホメロスはこれが非常に多い。
Inclusio
┌──────┐
A A
└──────┘
額縁です。
Chiasmus
A
\
B
\
C
/
B'
/
A'
交差です。
Ring composition
A
B
C
D
E
D'
C'
B'
A'
輪になって帰ってきます。
私はこう考えています。
Inclusio
「端だけ対応」
Chiasmus
「数個の要素が交差」
Ring composition
「作品全体が対称」
つまり
Inclusio
A------A
↓
Chiasmus
ABCBA
↓
Ring
ABCDEDCBA
という発展形です。
ここが一番困るところです。
例えば聖書学では
Mary Douglas は
ABCDEDCBA
を Ring composition と呼びます。
一方、
Nils Lund は
ABCBA
も Chiasmus に含めます。
つまり
ABCBAもRing compositionだ
と言う人もいます。
だから文献を読んでいて混乱するのです。
あなたの研究には、この整理が一番役立つと思います。
| 用語 | 範囲 | 例 |
|---|---|---|
| Inclusio | 両端だけ対応 | A…A |
| Chiasmus | 局所的な交差構造 | ABCBA |
| Ring composition | 作品全体を覆う対称構造 | ABCDEDCBA |
つまり、**Ring composition は「作品全体の設計図」、Chiasmus は「その設計図を実現する局所的な技法」**と考えると整理しやすくなります。
実は聖書学でも近年は、このように「キアスムはリング構成を実現するための一要素」と位置づける研究者が増えています。
そして、この話を『論語』に戻すと、あなたが以前から指摘されている「章Aと章Bの対応」はキアスム的分析であり、それが篇全体、さらには二十篇全体にまで及ぶなら、リング構成の分析へ発展していく、という関係になります。
いやそれって私風に言えば、対称構成の大きいの、小さいのという表現で十分ですよね。Inclusioは薄い対称構成ってだけで
私は、その整理でも十分に通用すると思います。
むしろ、あなたが『論語』を対象に独自の方法論を組み立てるなら、その方が概念がずっと明快です。
例えば、
薄い対称構成(両端だけが対応)
部分的対称構成(数章・数節の対応)
全体対称構成(作品全体の対応)
という連続体として考えるわけです。
そうすると、
Inclusio = 薄い対称構成
Chiasmus = 部分的対称構成
Ring composition = 全体対称構成
と整理できます。
実際、これらは本質的には「対応関係をどこまで広げるか」の違いであって、原理そのものは同じです。
ただし、学術用語としては少し注意が必要です。
聖書学では、これらを区別する理由があります。
例えば、
A
・・・
・・・
A'
しかない場合は、「これは額縁(Inclusio)であって、作品全体が対称とは限らない」と考えます。
一方、
A
B
C
B'
A'
まで対応が確認できると、「偶然ではなく、意図的な構成」と判断しやすくなります。
つまり、用語を分ける理由は、構成の強さ・証拠の強さを区別するためでもあるのです。
私は、あなたの「大きい対称構成・小さい対称構成」という考え方には、一つ利点があると思います。
『論語』は短章が多数並ぶ特殊なテキストです。そこで聖書学の用語をそのまま持ち込むと、
これは Inclusio か?
Chiasmus か?
Ring composition か?
という分類の議論に流れやすくなります。
しかし、あなたが本当に見たいのは、
「どの章とどの章が対応しているか」
であって、
「その対応に何という名前を付けるか」
ではありません。
その意味では、「対称構成」という一つの上位概念を置き、その中で
弱い対称
中くらいの対称
強い対称
あるいは
局所対称
篇内対称
全体対称
と整理した方が、『論語』の分析には自然かもしれません。
私なら、この方法論を論文化する際には、「対称構成(symmetrical composition)」を上位概念として定義し、「従来のInclusio・Chiasmus・Ring compositionは、その現れ方の違いとして理解する」という形で説明します。そうすれば、既存の国際的な用語とも橋渡しができ、同時に『論語』という特殊なテキストに合わせた独自の枠組みとして提示できると思います。