2025年10月11日土曜日

語形変化とキャラ配置

 ヨーロッパの言語を、語順言語か、語形変化言語かに分類すると、


語順言語:英語、フランス語、イタリア語、スペイン語

語形変化言語:ロシア語、ポーランド語、ドイツ語


となるらしい。英語なんて三単現のsは残っているが、活用をほとんどしない。語形変化語のロシア語は、格変化が6つあったと思うのだが、格変化が多いということは、語順がフリーになるということで、ポーランド語も同じらしい。


さて、物語作品を成り立たせる工夫を

1,構成

2、キャラ配置

に二分すると、面白いことに気付く。キャラ配置の得意な作家は、例えばドストエフスキー(ロシア)、コンラッド(ポーランド)、マン(ドイツ)なのである。

キャラ配置が得意だと、構成は少々甘くても良い。わりとフリーになる。いわば語順に凝らなくて良い。キャラ配置が苦手だと、構成をきっちり組み立てないと名作にならない。


2025年9月4日木曜日

核武装

「ナイン・ストーリーズ」構成読みの解説として【サリンジャー】 アップしました。


作品の中心部で、作者はユダヤ人差別を告発します。全体では差別心が原爆投下を生んだのだとします。実はユダヤ人は昔は「東洋人」というくくりで白人社会では差別されていました。だから日本人も(日露戦争の経緯もあって)ユダヤ人には親しみがありましたし、ユダヤ人のサリンジャーも日本に好意的です。

 しかし現在、イスラエルはガザの女子供を虐殺しています。おそらく、ユダヤ人たちは自分達が被害者だと言い過ぎた。被害者であるのは間違いないのですが、言い過ぎはまずいです。ガザの現状はどうみても白人による有色人種殲滅です。原爆投下と変わりません。サリンジャー存命なら、ジェフリー・サックスやチョムスキーのようにイスラエルを告発したはずです。本作の「小舟にて」でもうっすらと、短くユダヤ差別を述べているだけで、被害者意識は最小限に抑制されています。彼は実際にホロコーストの現場を解放した経験があるにもかかわらず、です。 

 翻って日本はどうでしょうか。
日本も(戦争全体の責任は今おいておいて)原爆などの無差別空襲の被害者です。しかしアメリカ様の占領管理政策のおかげで、被害者だと言い過ぎる事態は回避できていると思います。 ユダヤの被害が喧伝されたのは、アメリカ様のドイツ抑制のためだったのですが、当のユダヤは自家中毒起こしてナチスに限りなく近い存在になってしまいました。 
一方で日本は、ユダヤほど被害を喧伝できない環境におかれた。善意からではなく、ひとえにアメリカの罪の回避と、日本の永続的支配のためです。「この世界の片隅に」も、さほど被害者的メンタリティーはありません。アメリカの洗脳の結果とも言えますが、それはもしかすると、結果的には良かったのかもしれないとガザの状況を見ながら思っています。イスラエルは盲目的に殺傷を続けながら、自分達で破滅の日を呼び込んでいるのに気が付かない。過度な被害者意識は視界を狭めます。 

 今日本の核武装について議論が始まっています。安全保障上は核武装したほうが良いに決まっています。なぜって核武装していなかったウクライナがロシアに負けたからです。非核地帯が攻撃された場合、それを守る力が今のアメリカにはもう残っていないのです。
 といってアメリカを切って中国、ロシアにつくべきとも思いません。たとえ不利益でも、「同盟国を簡単に裏切らない国」という信頼を大事にすべきだからです。世界は日本を見ています。アメリカとの関係は(より対等な関係になることが望ましいですが)愚直に維持してゆくべきです(ロシア、中国と敵対しないほうが最善なのは当たり前です)。 
でも、そのアメリカには往年の力がもう無い。だから日本は核兵器を持つしか、安全保障上の選択肢はないとも言えます。 

 しかし一方で日本には被爆国としての経験もあります。「たとえ敵でも、人様にあそこまでして生き残りたくない」という気持ちが、私にもあります。自分が人間じゃなくなるんじゃないかと恐れるわけです。あんなことするより、弱き人間として死んでいったほうがマシなんじゃないかと。 

実際、本作や「ゴッドファーザーⅡ」「シャッターアイランド」などを詳しく見て確実に言えるのは、落としたアメリカのほうが、落とされた日本よりはるかに病んでいるということです。殴られたほうより、殴ったほうがダメージが大きい。原爆投下はアメリカという国家の正当性に刺さった抜くことの出来ない毒のトゲでして、大帝国の生命力をじわじわ蝕んでいきました。だから日本よりアメリカのほうが原爆について語ることのタブー性が高い。残念ながらこれといった対応策があるわけでもなく、結果として今日のアメリカの凋落があります。 

作者サリンジャーは生死の巷を何度もかいくぐり、ボロボロになりながらもなんとか生還し、事態の本質を確実に把握しました。彼の洞察は70年後の今日、正しかったことが証明されつつあります。 だから今日本はアメリカに言うべきだと思います。「今ガザを放置するのは、三発目の原爆落とすのと同じですよ」と。それも言えないならば、日本は核武装するべきではないでしょう。核武装してもイスラエルと同じ末路をたどるでしょう。

2025年8月12日火曜日

似たもの親子のファミリードラマ

 司馬遼太郎と犬養道子(511の犬養毅の孫)との、”あっけらかん民族”の強さ、という対談がある。「日本人を考える」というタイトルで今でも入手できる。以下一文のみ転記する。

犬養「日本人は無神教にはなっても反神教にはならない。憎むといったって、たかが知れていますでしょう。ところが一神教、それの裏返しの反神教が生まれ出るところは、憎悪といえばそれはもう100パーセントの憎悪ですからね。(ナチスの)アイヒマンの裁判を見にいってしみじみ感じたことなんですけれども、日本人なら、財産も妻子も放り出して十八年間、一人の人間を憎むことしかしないで、追い詰めて地球の裏側で捕まえることなんて、できませんよ。

その憎悪、執念の凄絶さ。驚いたことにアイヒマンを捕まえた人の顔も、アイヒマンみたいになっちゃっていたんです。だって十八年間も憎みつづけてきたんですからね。日本人なら、途中でくたびれちゃう。もういいじゃないかということになるでしょう」

なるほど、ホロコーストというのは悪いことだったんだなあと思う。ガザの虐殺を生んだのだから。