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2010年2月6日土曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 11

このように見てゆくと、カラマーゾフの兄弟には結局3名しか登場人物が居ないということになる。というより3つ程度のキャラクターを立てれば人類のドラマは語れるということになる。だから「童(わらし)」なのである。
ミーチャは夢で見た焼け出された童を強く記憶にとどめ、最終的に「俺は無実だが、あの童のために懲役に行く」と言う。
そう、人類が3種類しかいないならば、ミーチャがゾシマであってイリューシャでもあるならば、焼け出された童もミーチャであり、全ての人間は同一の存在であり、他人が存在しないゆえに、自分に責任のないことも自分の責任であり、自分を愛するが如く隣人を愛するべきであり、自分が罪を背負うことがすなわち隣人の救済にむすびつくのである。万物斉同。
3種類、というのはおそらく、キリスト教の三位一体教義の影響だろう。

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