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2019年8月20日火曜日

議論の不足

「私の個人主義」解説【夏目漱石】
https://matome.naver.jp/odai/2156594255106501101

アップした。
たかが講演でも、伏線張っていたとは驚きである。

内容については、読者各人ご判断されたいのだが、仏教的内面掘り下げと、儒教的公益思想には、どうにもならない矛盾ある。

仏教がインドから中国に流入し、一時期は確かに流行したが、「三武一宗の法難」と言われるように、徹底的な弾圧を食らったりもした。
ブッダ自信が王子でありながら出家し、実際にシャカ王国は滅亡してしまったのだから、国家運営という意味では最悪の部類である。流石に中国人はそのあたりの感覚鋭敏で、仏教特有のアナーキズム、エゴイズムを再三指摘してきた。

個人と社会はどこまでいっても矛盾する。たとえ独裁者になっても他国との関係でストレスを抱え込む。金正恩を見よ。ところが仏教は儒教とは無関係に発達した宗教だし、儒教は仏教伝来以前から中国にある。そして日本では(三教指帰など一部の例外を除き)本格的な比較検討をせずに、ただひたすらに受容してきた。となると両者の妥協ポイントは理論にではなく、社会の有りかたになる。意識せずに儒教と仏教を使い分ける社会を構築して、安住したのである。具体的には、公的な場での儒教であり、プライベートな生死の局面での仏教である。それはそれで良い。問題はない。

しかしそこへ西洋近代文明が入ってきたから、さあ大変である。西洋キリスト教社会とは価値観も社会観も生死観もまるで違う。理解して受容しなければならないのだが、そもそも仏教とはなにで、儒教とはないかという議論をサボってきたのである。収集のつかない混乱である。

混乱の被害者が夏目漱石である。日本社会が良いとも思わない。イギリス社会が良いとも思わない。正直どちらも不満である。でもはっきりと言葉にできない。文豪に大変失礼だが、解析能力がないのである。そしてその責任は、たいして議論も解析もせずに千数百年をやりすごしてしまった日本社会の歴史そのものにある。

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