「仁義なき戦い」の読み解きしていて気づいたのだが、
この作品は「ステルス重層性」とでも呼ぶべきものを持っている。
普通の人がこの作品を鑑賞すると、
誰かが殺される→
♪チャリラー ♪チュリラー→
誰々死亡のテロップ→
♪ビンバンボンバン ♪ビンバンボンバン→
場面転換→
誰々は~のナレーション→
(最初に戻って誰かが殺される・・・)
の無限ループとして記憶されているはずである。ドラマの内容は、実は半分も認識されていない。
表面的な刺激、面白さが強すぎて、通常のドラマとしての理解が遠ざかってしまう。場面の意味をゴリゴリ考えて、ようやく中身が理解できる。
似たような構造の作品に、フェリーニの「8½(はっかにぶんのいち)」がある。
これも表面的な映像効果が素晴らし過ぎて、
面白過ぎて中身が頭に入って来ない。しかし頭が活性化していないわけではない。映画マニアほど映像効果に興奮するから、頭は非常に活性化している。つまり中身が頭に入って来ない方が正しい鑑賞態度になる。だから古い映画だが解釈が十分にされていなかった。
通常の作品ではこれら2作品よりも、表面的な面白さが少ない分、内容は把握しやすい。ところが名作になると、ゴリゴリ内容把握を進めてゆくと、第二層、深層への扉がいつしか開いて、より深い理解に到達する。私の場合、
「仁義なき戦い」「8½(はっかにぶんのいち)」のような表面が面白過ぎる作品も、
「シャッターアイランド」「ワンスアポンアタイムインアメリカ」「オッペンハイマー」のような文学的、本格的、真面目な作品も、
「シャッター アイランド」あらすじ解説【マーティン・スコセッシ】
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」あらすじ解説【セルジオ・レオーネ】
「オッペンハイマー」あらすじ解説【クリストファー・ノーラン】
だいたい同じくらいの努力量で第二層に到達した。「シャッター」が日本の物語だと発見するのと同じくらいの努力で、「仁義なき戦い」では神原に土居組の現状を聞かなければ若杉は態度を決定できない事を発見した。他の人にとってどうかはわからないが、私の体験では分かりにくさという意味ではだいたい同等なのである。
いずれにせよ章立て表、キャラ表はやはり内容理解には必須だと感じた。物語論(今はカッコ良く「ナラトロジー」という言い方をすることが多い)は、肝心の物語内容理解のための方法論を持っていなかった。顕微鏡ナシで微生物の研究をするとか、望遠鏡ナシで宇宙の構造を考えるとか、そんな状態だった。その状態でも「物語とはなにか」と考える事は確かに出来る。実際望遠鏡ナシの時代でも随分宇宙について考えた。宇という字も宙という字も望遠鏡のない時代につくられたものだ。でもより深く宇宙を知りたいなら、望遠鏡を入手したほうが良い。望遠鏡の作り方も考えた方がよい。
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