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2014年4月7日月曜日
アジア情勢
アバウトな表である。
一人当たりGDPはWikiから拾ってきたのだが、
人口の推計はどこから引っ張ってきたのか忘れた。
おそらく相当間違っているが、調べなおすの面倒くさいのでこのまま。
今後のことを考えるご参考としてご覧いただきたい。
2050年までのアジアの人口推計と現在の一人当たりGDP
1、北朝鮮はさすがに貧しい
2、旧大日本帝国領で戦後アメリカについたところ(台湾と韓国)はほぼ同じ発展
3、シンガポール、ブルネイのリッチさは目につく。ただし後背地の無い都市国家。
4、インドネシア、フィリピン、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオス、がほぼ同じ貧しさ
5、タイは中国と同じレベルの豊かさ。だからタイでも中国でも暴動が絶えない。(台湾、韓国も昔はもっと激しかった)
6、中国の人口は2030年ころ頭打ち。東南アジアは最低でも2050まで増え続ける。
ただし既に発展しているタイとシンガポールは頭打ちになる。
これらのことから以上のことがだいたい言えるのではないか。
1、中国の軍事的脅威は、とりあえず2030年ごろ、つまりこれから15年程度がヤマ。それ以降は圧迫が若干弱まる。
2、東南アジア全般、今が所得が低すぎるので伸びる余地が膨大にある。
3、フィリピンの経済成長さえ確保できれば、対中国軍事脅威は大幅に削減可能。
現状、フィリピン、ベトアムの経済力が低すぎ、
軍事量も低いので中国の拡張を誘発させている。
現在の所得高から考えて、フィリピンの経済成長はさほど難しいことではない。
4、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーは、中心のタイに引っ張られて発展してゆくだろう。
治安さえ維持できれば、わりと放置でよいかもしれない。ただしここでも中国軍進出は怖い。
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2014年4月4日金曜日
タイ雑感2
今回の赤と黄色の争いは、
とりあえず赤が勝ちそうである。
ざっくり言えば、赤は民主派、黄色は王党派である。
タイの現国王は大変なカリスマで、
実際に物凄い名君なのだが、
国王の威信を宣伝したのはアメリカだ、
国王のカリスマはアメリカが作った、という説がある。
前代の王は第二次大戦後に謎の死を遂げて、
(実行犯は辻政信、という説もある)
若くして即位した。
その後政務に励んで、タイを良い国にしたのは事実だが、
それを大きく喧伝したのはアメリカCIAというのがもっぱらの噂である。
アメリカの東南アジアにおける影響力保持の為らしい。
日本の天皇家が戦前そうであったように、
タイ王室も結構な財閥で、
有象無象がまとわりついている。
それらが色々悪さをするのだが、
国王陛下お一人では無論、
悪人退治の手が廻らない。
そこへ登場したのがタクシンである。
ホリエモンが
「タイのタクシンは田中角栄に似ている」と言ったが、
これは全くそのとおり。
政策実行能力は、大変高い。
それで選挙には強さを誇ったが、結局司法にやられる。
ロッキードパートⅡであった。
タクシンは結局国を追われて、タイに帰ってこれなくなった。
ロッキードパートⅡ以降は赤と黄色がくんずほずれずしながら、
今までタイを運営してきたのだが、
最近、黄色が弱まり過ぎた。
選挙で弱い、というより絶対に勝ち目がなくなった。
勢力挽回のチャンスがほとんどなくなった。
こんなときの定番はクーデターであるが、
国王陛下ご病気の最中では、
クーデターの後事態を収拾出来る人が存在しない。
ということはクーデターをやりづらい。
(日本とは、クーデターという言葉のニュアンスがかなり違うのである。
数年前まで、タイのクーデーターはほぼ日本の総選挙くらいの軽いイベントで、
クーデター慣れしすぎて半日くらいで全てが完了していたくらいである。
但し、それも事後の国王陛下の収集があってのことである。
国王の偉大さはこのことからも了解できる)
方策のなくなった黄色は、とりあえずデモをするのだが、
デモの主張は最悪なことに、「選挙で代表を選ぶな」というものだった。
「賢人会議を開催しろ」と。
繰りかえすが、黄色のバックにアメリカが居るのでは、と囁かれている。
わたしなどは、なんぼなんでも、そこまであからさまに民主主義を否定されると、
アメリカもやばいのではないか、といらぬ心配をしていた次第である。
おそらく水面下で、いろんな話し合いがなされたのだろう。
黄色もアメリカも、いろんな思惑があったのであろう。
そして、映画のようなコミカルな事態に発展した。
黄色のデモ隊がアメリカ大使館を取り囲み、
「いらん口を出すな!!」
「俺達には俺達のやりかたがある!!」
と叫んだ、というのだ。
アメリカ国務省の面々の苦悩が手に取るようによくわかる。
ああ、馬鹿な連中をバックアップするんじゃなかった。
今まで上手くいっていたのは要するに、
国王一人が優秀なだけだったのだ。
アメリカに出来る最善の事は、
いますぐ黄色から赤に乗り換えることなのだが、
長い付き合いだったから、切り替えにくいのかもしれない。
しかしなんとかせにゃ、
ロシア、中国にガンガンやられてしまう、という状況ではある。
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とりあえず赤が勝ちそうである。
ざっくり言えば、赤は民主派、黄色は王党派である。
タイの現国王は大変なカリスマで、
実際に物凄い名君なのだが、
国王の威信を宣伝したのはアメリカだ、
国王のカリスマはアメリカが作った、という説がある。
前代の王は第二次大戦後に謎の死を遂げて、
(実行犯は辻政信、という説もある)
若くして即位した。
その後政務に励んで、タイを良い国にしたのは事実だが、
それを大きく喧伝したのはアメリカCIAというのがもっぱらの噂である。
アメリカの東南アジアにおける影響力保持の為らしい。
日本の天皇家が戦前そうであったように、
タイ王室も結構な財閥で、
有象無象がまとわりついている。
それらが色々悪さをするのだが、
国王陛下お一人では無論、
悪人退治の手が廻らない。
そこへ登場したのがタクシンである。
ホリエモンが
「タイのタクシンは田中角栄に似ている」と言ったが、
これは全くそのとおり。
政策実行能力は、大変高い。
それで選挙には強さを誇ったが、結局司法にやられる。
ロッキードパートⅡであった。
タクシンは結局国を追われて、タイに帰ってこれなくなった。
ロッキードパートⅡ以降は赤と黄色がくんずほずれずしながら、
今までタイを運営してきたのだが、
最近、黄色が弱まり過ぎた。
選挙で弱い、というより絶対に勝ち目がなくなった。
勢力挽回のチャンスがほとんどなくなった。
こんなときの定番はクーデターであるが、
国王陛下ご病気の最中では、
クーデターの後事態を収拾出来る人が存在しない。
ということはクーデターをやりづらい。
(日本とは、クーデターという言葉のニュアンスがかなり違うのである。
数年前まで、タイのクーデーターはほぼ日本の総選挙くらいの軽いイベントで、
クーデター慣れしすぎて半日くらいで全てが完了していたくらいである。
但し、それも事後の国王陛下の収集があってのことである。
国王の偉大さはこのことからも了解できる)
方策のなくなった黄色は、とりあえずデモをするのだが、
デモの主張は最悪なことに、「選挙で代表を選ぶな」というものだった。
「賢人会議を開催しろ」と。
繰りかえすが、黄色のバックにアメリカが居るのでは、と囁かれている。
わたしなどは、なんぼなんでも、そこまであからさまに民主主義を否定されると、
アメリカもやばいのではないか、といらぬ心配をしていた次第である。
おそらく水面下で、いろんな話し合いがなされたのだろう。
黄色もアメリカも、いろんな思惑があったのであろう。
そして、映画のようなコミカルな事態に発展した。
黄色のデモ隊がアメリカ大使館を取り囲み、
「いらん口を出すな!!」
「俺達には俺達のやりかたがある!!」
と叫んだ、というのだ。
アメリカ国務省の面々の苦悩が手に取るようによくわかる。
ああ、馬鹿な連中をバックアップするんじゃなかった。
今まで上手くいっていたのは要するに、
国王一人が優秀なだけだったのだ。
アメリカに出来る最善の事は、
いますぐ黄色から赤に乗り換えることなのだが、
長い付き合いだったから、切り替えにくいのかもしれない。
しかしなんとかせにゃ、
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2014年4月3日木曜日
タルコフスキー「鏡」・解読7
主人公の少年時代の思いでのシーン、
隣に居る少年が、回れ右の号令に反抗して、
360度回転するシーンがある。
これは、革命とは回転することであるから、
結局元に戻る、という意味である。
明快な反革命、反体制思想である。
しかしストレートには表明できないから、このような表現になった。
ちなみに、この少年は主人公でもなければイグナートでもない。
顔も違うし、服も違う。
服の違いはこのややこしい映画を読み解く重要要素であって、
タルコフスキーは服への配慮が大変素晴らしく、
整合的である。
主人公の少年時代の演技と、
主人公の子ども(イグナート)の演技は、
一人の少年が担当しているが、
イグナートの場合には、格子柄のシャツの上にセーターを着ている。
別の場面ではそのうえにジャンパーをはおり、頭に帽子を載せているが、
格子のシャツということは変わらない。
冒頭のテレビをつける少年も、格子のシャツであることから、
イグナートであるとわかる。
レオナルドの画集を開くシーンが2回ある。
両方とも主人公の少年時代である。
服の衿を見ればわかる。両方共コートを着ている。
うち一回はイグナートのシーンに近接しているので間違いやすいが、
主人公と見るのが妥当である。
オープニングクレジット終了直後、
美しい田舎の風景のシーン、
母はワンピースの上にカーディガンをひっかけている。
ところで作中、ワンピースのみのシーンもあり(子どもの水浴び)、
カーディガンをひっかけるシーン(主人公の寝起き)もある。
時系列ぐじゃぐじゃだが、
再現してワンピースのみ→ひっかける→冒頭のシーン
と並べ替えて理解するのが正しい。
タランティーノの「パルプ・フィクション」みたいなもんである。
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隣に居る少年が、回れ右の号令に反抗して、
360度回転するシーンがある。
これは、革命とは回転することであるから、
結局元に戻る、という意味である。
明快な反革命、反体制思想である。
しかしストレートには表明できないから、このような表現になった。
ちなみに、この少年は主人公でもなければイグナートでもない。
顔も違うし、服も違う。
服の違いはこのややこしい映画を読み解く重要要素であって、
タルコフスキーは服への配慮が大変素晴らしく、
整合的である。
主人公の少年時代の演技と、
主人公の子ども(イグナート)の演技は、
一人の少年が担当しているが、
イグナートの場合には、格子柄のシャツの上にセーターを着ている。
別の場面ではそのうえにジャンパーをはおり、頭に帽子を載せているが、
格子のシャツということは変わらない。
冒頭のテレビをつける少年も、格子のシャツであることから、
イグナートであるとわかる。
レオナルドの画集を開くシーンが2回ある。
両方とも主人公の少年時代である。
服の衿を見ればわかる。両方共コートを着ている。
うち一回はイグナートのシーンに近接しているので間違いやすいが、
主人公と見るのが妥当である。
オープニングクレジット終了直後、
美しい田舎の風景のシーン、
母はワンピースの上にカーディガンをひっかけている。
ところで作中、ワンピースのみのシーンもあり(子どもの水浴び)、
カーディガンをひっかけるシーン(主人公の寝起き)もある。
時系列ぐじゃぐじゃだが、
再現してワンピースのみ→ひっかける→冒頭のシーン
と並べ替えて理解するのが正しい。
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