最近日本映画は好調です。
なぜ好調か。製作サイドの努力をうんぬんする声が高いのですが、
実は単純な話です。
テレビの魅力が弱まっただけです。
実は1950年代、日本映画は世界最高水準でした。
小津の「東京物語」が1953年
溝口の「近松物語」が1954年
黒澤の「七人の侍」も1954年
巨人がそろいぶみしていました。
しかし1959年、皇太子様ご成婚の影響で、家庭に一気にテレビが普及しまして
その余波を受けて、日本映画は長期没落にはまりました。
ところが平成に入って以降、テレビの面白さが長期没落しています。
それで映画館に人が戻ってきたと。
あとレンタルDVDが100円というのは大きいですね。
ページ
2016年11月29日火曜日
2016年10月21日金曜日
罪と罰
罪と罰
アップしました。
ドストエフスキーの「巨大さ」について、
とりあえずの解が見つけられたと思います。
登場人物をグループ化して、
巨大さを演出しています。
岡田英弘が昔激語して曰く、
「ロシアは存在しない。
今日我々が見ているロシアは、
ロシア文学者たちがでっち上げたものだ」
天才は、自分のアイデンンティティーに不安を持つ人々が、
多くいる社会に出現します。
社会が稀代の詐欺師を必要としている時に、
稀代の詐欺師、つまり天才が出現するのです。
ロシア人は明らかに悩んでいました。
自分たちは西洋人なのだろうか。
クリスチャンであるのは間違いないが、
本質的にはタタール人なのではないだろう。
そんな不安を打ち消すべく、
強力な天才が出現して、
理念を組み立てて建築物のように小説を書いた。
だから、ドストエフスキー、トルストイ以降、
ロシアの芸術家は小粒になってゆきます。
ドストエフスキーにすがれば良い分だけ、
努力の必要がなくなったからです。
ドストエフスキーが永遠であるならば、
ロシアは今後、彼以上の天才を産まないでしょう。
必要がないからです。
アップしました。
ドストエフスキーの「巨大さ」について、
とりあえずの解が見つけられたと思います。
登場人物をグループ化して、
巨大さを演出しています。
岡田英弘が昔激語して曰く、
「ロシアは存在しない。
今日我々が見ているロシアは、
ロシア文学者たちがでっち上げたものだ」
天才は、自分のアイデンンティティーに不安を持つ人々が、
多くいる社会に出現します。
社会が稀代の詐欺師を必要としている時に、
稀代の詐欺師、つまり天才が出現するのです。
ロシア人は明らかに悩んでいました。
自分たちは西洋人なのだろうか。
クリスチャンであるのは間違いないが、
本質的にはタタール人なのではないだろう。
そんな不安を打ち消すべく、
強力な天才が出現して、
理念を組み立てて建築物のように小説を書いた。
だから、ドストエフスキー、トルストイ以降、
ロシアの芸術家は小粒になってゆきます。
ドストエフスキーにすがれば良い分だけ、
努力の必要がなくなったからです。
ドストエフスキーが永遠であるならば、
ロシアは今後、彼以上の天才を産まないでしょう。
必要がないからです。
2016年10月18日火曜日
「君の名は。」
「君の名は。」解説【含ネタバレ】
アップしました。
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20161003/56/5700156/2/302x316x809bef2c9f8c25a7fe1360d1.jpg
登場人物の工夫が、この映画で最も注目すべきポイントだろうと思います。
こういう工夫が大切だとは、みんなわかっています。
細田守なんか、物凄く凝った、凝りすぎて狂気に近い工夫をしています。
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20150812/56/5700156/0/680x362xe180c5ccd970fc00c66f6e4a.jpg
しかし凝ればいいってものじゃないようです。
ドストエフスキーの分析やっているのですが、
罪と罰
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20160928/56/5700156/19/888x1409xa0b206f3d534d548f79c966.jpg
に比べて
カラマーゾフの兄弟
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20160429/56/5700156/1/865x715x46d8dc946f623233be3590fb.jpg
のほうが登場人物表シンプルになっています。
そして作品としてはカラマーゾフのほうがワンランク上ですね。
1、登場人物表を工夫して作らなければならない
2、それをブラッシュアップして、シンプルなものにしなければならない
ということが言えるのではないでしょうか。
アップしました。
登場人物の工夫が、この映画で最も注目すべきポイントだろうと思います。
こういう工夫が大切だとは、みんなわかっています。
細田守なんか、物凄く凝った、凝りすぎて狂気に近い工夫をしています。
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20150812/56/5700156/0/680x362xe180c5ccd970fc00c66f6e4a.jpg
しかし凝ればいいってものじゃないようです。
ドストエフスキーの分析やっているのですが、
罪と罰
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20160928/56/5700156/19/888x1409xa0b206f3d534d548f79c966.jpg
に比べて
カラマーゾフの兄弟
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20160429/56/5700156/1/865x715x46d8dc946f623233be3590fb.jpg
のほうが登場人物表シンプルになっています。
そして作品としてはカラマーゾフのほうがワンランク上ですね。
1、登場人物表を工夫して作らなければならない
2、それをブラッシュアップして、シンプルなものにしなければならない
ということが言えるのではないでしょうか。
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