ページ

2018年12月28日金曜日

ユダヤについての仮説2

ヒエログリフからフェニキア文字が派生し、フェニキア文字から古ヘブライ文字が派生した。
to
と言っても、フェニキア文字と古ヘブライ文字は実は同じものなのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97

丸に十字の文字の角度が45度違うだけである。

だいたい古代の民族なる概念は、現代の民族以上に不明瞭である。
ターレスはギリシャ哲学の祖であるが、フェニキア人である。
どんな種族でも、ギリシャ社会に入ればギリシャ人である。

で、あっさり言ってしまえば、
古代社会において、フェニキア人もユダヤ人も、大差ない。
人種的にはどうせまちまちで、
海上交易で栄えているのがフェニキア人、
それに取り残されている弱小勢力の田舎ものがユダヤ人と認識して、
まず大丈夫だろうと考えている。

発掘された聖書―最新の考古学が明かす聖書の真実


には「ソロモンの栄華、という事象は考古学的には発見されていない」「ダビテ家が実在したのは立証されている」とのことであって、聖書の記述は相当眉につばつけて読む必要がある。
おそらく栄えていたのはフェニキアであって、内陸部ユダヤは(同種同文でありながら)、地味でたいして栄えていない存在だったはずである。

2018年12月27日木曜日

ユダヤについての仮説1

古代中近東世界にはおおまかに2種類の文字があった。
エジプトのヒエログリフと、メソポタミアの楔形文字である。

楔形文字はハングルやカタカナのようのもので、視認性が悪い。
そのかわり覚えやすく使いやすいはずなのだが、
元来シュメール人のものであった文字を、
アッカドやらアッシリヤ人などが使うので、
使いでが大変悪かった。

同様な事情がタイにもあって、
中国語に近い声調言語、音の高低での表現が多い言語を、
サンスクリット系の文字で表現しようとしているのが、タイ文字である。
母音や子音の細かい分別はたいしたものだが、
決してマスターしやすいものではなくなっている。
タイ人はおそらく中国語と同じく長江中流域に発生した言語で、
タイ人の南下とともに言語として別の発展ルートをたどったのだろう。

あるタイ人に聞いたところでは、
「タイ文字には実に苦労した。
アルファベットのほうがはるかにマスター簡単だった。
結局タイ文字マスターできたのは小学校6年生のときだった」
そうである。私はちょくちょくタイに行ったが、マスターできなかった。
「アルファベットと同等だろう」と考えてアプローチした私が馬鹿だった。

話もどって楔形文字も、
別民族の別言語の人のマスターには不向きだったようで、
シュメールとはまったく別の言語を話すアッカドやアッシリアの人々も、
いざ文字を書く段になると、シュメール語にかなり縛られていた、という話を読んだことがある。

そこへゆくと、安定的に文字を運用できていたのがエジプトである。
なにしろ民族の入れ替わりが基本無い。同じ民族が同じ文字を使い続けている。
エジプト内部で表語文字から表音文字(ヒエラティック)が発生したが、
エジプトの外でも同様に、ヒエログリフを元に表音文字が発生し、
それが今日のアルファベットの基礎になっている。

発生したのは、原カナン文字、およびフェニキア文字である。
カナン、フェニキアは現在のイスラエル地方であり、
エジプトにも近く、メソポタミアにも近い。
両者に近い場所で、書きやすく読みやすい文字が発生した。
このことによって、その土地に住む住民は、
エジプト、メソポタミア両地方の神話、伝説に触れることができ、
それらを書き記すことができた。
これが聖書の成立起源であると考える。

問題は、文字の発生によりたまたま歴史書製作の機会を得ただけで、
カナンには強力な王権が存在していなかったことである。
ヤマト朝廷抜きの日本書紀だったのである。

2018年12月14日金曜日

「豊饒の海」追記16

第三巻「暁の寺」の前半部分は、タイとインドである。
三島は太平洋戦争を直接描くことはせず、タイとインドへの旅行記にとどめた。
おそらくその「暁の寺」の影響を受けた作品が、
松本清張「熱い絹」(1972年)である。

「熱い絹」は、タイのシルク王、ジム・トンプソンの失踪事件を扱う。
ジム・トンプソンはタイでシルクを扱うブランドを立ち上げた人物だが、
当時のOSS、すなわち今日のCIA上がりのスパイで、
人脈を生かしてビジネス的に成功するのだが、
1967年なぞの失踪をとげる。今日まで遺体は見つかっていない。

以下ネタバレになるが、
「熱い絹」の今一人の重要人物は、マレー侵攻作戦のときに現地に取り残されて、
その後現地人として生きた元日本兵である。彼は人々に故郷静岡の茶の栽培を教え、最後は自決する。「豊饒の海」の裏登場人物であってもおかしくない設定である。
ここで取り上げられているのは、イギリスのインド洋支配→日本軍の進駐→アメリカ勢力圏への編入という、東南アジアの歴史そのものである。別に作品としての品格は高くない。いつもの松本清張である。しかし、着眼点はすばらしい。当時の日本人でジム・トンプソン失踪事件に注目できた人はほとんど居ないだろう。

三島は松本を嫌った。激しく嫌った。ひとつには松本がいわゆる気取った文化人を悪く言うからでもある。同時に、おそらく三島の中でも、松本の文章こそがこれからの文章だろうという、予感があったのではないか。今日三島風の文章を書く人はほとんど居ないが、松本風ならわんさか居る。本人たちも意識せず、松本風文章を書いている。文体の影響力としう意味では、三島以上の存在である。それを好むと好まざるとにかかわらず、これは認めなければならないだろう。

そして着眼点も、三島に続いてすばらしい。「暁の寺」の舞台が華北でもなく、華中沿岸部でもなく、東南アジアおよび南アジアに設定されていることは、三島ファンにももう少し重要視いただきたい。批判者はしばしば最大の理解者になるのである。