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2019年5月5日日曜日

コミュニケーション・サークル・追記2

貨幣論といえば岩井克人である。
氏の「ヴェニスの商人の資本論」は、古い本だが大変優れている。
その後の著作、考え方には納得いかなかったが、ヴェニスは今でも名著だと思う。

シェイクスピア研究家でも、岩井氏ほど丁寧に作品を読み込むことは、ほとんどしていないようである。読み解きをしている私からみても、並の文学研究ではない。若干牽強付会気味だが、それでも一流といってよい読み解きである。

無論本職の経済学でも優れている。サミュエルソンの助手をしていたくらいである。恐ろしく頭が良い。近年読んだ「経済学は何をすべきか」という本で岩井氏は、「インフレ目標政策がハイパーインフを招くと叫んでいる人々は、貨幣について考えられなかった人です」とはっきり言っている。優れている。現在の貨幣は万年筆マネーであるということも、理解している。この世代では懸絶した見識の持ち主の一人ではないか。

とここまで褒めたのは、ではなぜ岩井氏は復興増税に賛成してしまったのか、ということを考えたいからである。たった一つの過ちで、生涯の業績をふいにしてしまった。

岩井氏は御本人によれば、東京生まれだが両親は島根のご出身らしい。出雲の阿国とは、どこかで血が繋がっていても不思議ではない。出雲の阿国の大衆演劇によって、伊勢の山田羽書発行の下地が作られた。

「なぜ普通の両親から生まれて、教養のバックグラウンドがない自分が、貨幣論なんかやっているのかよくわからない」とは本人の弁である。バックグラウンドはあるのである。出雲の阿国なのである。阿国とはすなわちオオクニヌシ、長い歴史の文化背景があるのである。氏はおそらくそのことの、利益と危険性に気づかないままだった。

人間は個人では存在できない。逃れられない背景を生まれながらに背負う。彼の背後の出雲の阿国がおそらく、同時代のシェイクスピアの読み解きを可能にした。そしてシェイクスピア、阿国により発生した山田羽書にしろ金匠手形にしろ、兌換紙幣なのである。文化は人を支配する。良い方向に誘導もするが、悪い方向に誘導もする。

2019年5月1日水曜日

コミュニケーション・サークル・追記

コミュニケーション・サークル【貨幣・言語・音楽】
https://matome.naver.jp/odai/2155622226434432401
をアップした。自分でもなんだかよくわからん内容であるが、考えの整理としてはそれないりに価値があるのではないかと自負している。逆に言えば、現実的な政策提言としては大して価値がない。残念だか自分の実力なので仕方がない。

唯一まともな政策提言になっているのは、「フォントの重要視」である。今現在も横書きで文字を書いているが、石川九楊氏に言わせればそれは非常に無理があるらしい。なぜなら漢字もひらかなも縦書きを前提に文字が開発されたからである。ハネ、トメ、ハライすべて縦書きを前提に組み立てられている、だから横書きで並べても不自然さがつきまとうそうである。

私自身は自分で書いた文字が自分で読めないほどの悪筆である。縦でも汚く、横でも汚く、斜めでも汚いから差は全くない。それでもパソコン画面でやはり縦のほうが若干読むスピードが上がる。Kindleは縦書きに設定している。それはつまり、現在のフォントが縦書き用のものであり、漢字かなまじり文の本格的な横書き、横読みフォントは開発されていないと考えるべきである。このあたり文化省が研究機関に命じて集中的にデーター集めるべきである。読む速度、誤読率など、大きなデーター集めれば開発方針わかってくる。

未来の横書きフォントは、数字もアルファベットも親和的な、横書きメインのものであるべきである。なぜ世界最高レベルの知的水準にありながら、我々に数値的で理性的な判断が欠落する瞬間があるのか、それはおそらく文中に数字を組み込みにくいからである。英文ならば会計データーを組み込んで違和感がない。縦書きでそれを実現するのはたいそうな手間である。

日本の新聞は縦書きである。改善の見込みが薄い。情弱老人御用達である。人民日報は古くは縦書きであったが、現在は横書きである。知的水準に差が出るのも、むべなるかな。




2019年4月18日木曜日

機能不全

忘れられていることですが、大日本帝国陸海軍は自前の大学を持っていました。陸軍大学、海軍大学は、軍人の中でも成績優秀者しか入学できず、優等で卒業すればエリート街道が確定していました。しかも頻繁に帝大に聴講に行かされたそうで、ある意味当時の日本の最大の頭脳集団が軍部でした。
敗戦した時、陸軍と海軍の将官が語り合って、片方が「実はうちの大学の授業には、まともな戦術がなかったんだ」というと、相手も「いや、実はうちの大学もそうだった」と答え、「どうしようもない、救いようもない国だ」と詠嘆したそうです。最大の頭脳集団が、内実はそうだった。先生にたいする従順さが裏目にでますね、こういうときは。

遡って考えれば、「林家三代」と言いまして、江戸幕府の官学の林家も林羅山、その子、孫までがまともで、以降はなんの実力もない存在だったようです。徂徠以降大量の経世家が出ましたので、一般の水準としては世界有数です。でも官学としては機能しない。

つまり、官学が機能しないのはわが国のれっきとした伝統であり、それが端的に現れたのがかつての陸軍大学、海軍大学、そして現代の東京大学経済学部だったということです。これは関係者の頭脳が劣っていたのではありません。だったら改善は簡単です。そうではなくて「優秀な頭脳集まりながら、機能しなくなるしくみ」がわが国にはあるのです。これの改善は恐ろしく難しいです。

問題のポイントはおそらく「翻訳」にあります。林羅山はもちろん儒学です。漢文を使います。帝国陸海軍も東京大学も、西洋の文献が重要になります。その際におそらく、本来の思考エンジンである「やまとことば」が若干機能不全になるのだろうと思います。自分に引き付けた話になりますが、精度の高い読み解きは、おそらくこの機能不全の最大の特効薬になるのではないかと、期待しています。