その後も散発的にわかる人はコンスタントに居るのだが、政治畑に多い。逆に言えば文学系が不思議なことに「わからなくなった。」
一方こちらは、通貨発行がわからないか、はっきり間違えるわけでもないにせよ、感度が鈍い人。
要するに文化人でわからない人が増えたのである。文化人がわからなくなったのである。
内容的淵源探求の労力は私には払えないが、順序的に手塚が根源にあるとわかる。
手塚に反発する宮崎は、太宰に反発する三島のごとく、一枚剥がせば下僕のように忠実な後継者だから、困ったことにきっちり弱点を踏襲してしまった。そして決定的作品、
「千と千尋の神隠し」が生まれる。
「千と千尋の神隠し」解説【宮﨑駿】
当時宮崎は司馬と親しかったはずだが、司馬がなんと言ったかは不明。私は司馬の監督不行き届きを攻めたいほどの気分である。
村上春樹も「ニーベルングの指環作品群」につらなりながら、どうも通貨発行に興味が薄いようである。村上龍は「経済も大事だ」と考えたまではよかったが、野菜先生なんぞに意見を聞いていたのでは、わかる資質があってもわからななくなるに決まっている。これは人選した編集者にも責任がある。庵野は「シン・ゴジラ」を見てもおそらく十分理解できていない。島田は問題外の蚊帳の外である。嘘だと思うならば「悪貨」なる小説、ドラマを見ていただきたい。最後まで我慢して鑑賞できたら、今日では勇者に分類されるほどの、それほどのレベルの低さである。
やはり手塚は巨大だった。日本コミック王朝の高祖というべき存在だった。文学者からアニメーターからまるごと影響をかぶっている。偉大すぎたのである。消化に時間がかかったのである。