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2021年8月24日火曜日

物語世界の誕生

 もしも視覚記憶が度外れて優秀で、サッカーの試合を1つまるごと記憶できる人が居たらどうだろう。その人はその試合の物語を完璧に語れることになる。


もっとも、90分の試合を言語で完璧に語るには、10倍程度の時間が必要になる。実用に耐えない。ビジュアル情報なしで一試合語れるのは、10分程度が限界だろう。そうでなければ、聴衆が飽きてしまう。となると100倍濃縮しなければならない。99%を削らなければならない。99%削った物語が魅力的で語り継がれるものになるか。絶対にならない。例えばこちらのテキスト速報


https://soccer.yahoo.co.jp/japan/game/live/2021080303


実際に動画を持っている人が、研究分析するのに役には立つ。章立て表のようなものである。だが章立て表がそうであるように、第三者が見て面白いものではない。よって、もしも「U24 日本スペイン戦」を物語にするには、動画と章立て表見ながら、別の仕事をしなければならない。それはより一層大胆に情報を削除し、必要とあらば架空の情報を付け加える作業である。


そうして事実を改変して作られる物語世界は、実際の試合から相違したものになる。当然である。物語は事実ではない。物語は現実ではない。しかし事実と全く関係がないわけでもない。

2021年8月23日月曜日

作家と記憶力

 前回動画で手塚の記憶力が凄いというのがわかった。黒澤明も凄い。


https://note.com/fufufufujitani/n/n6039e0dd7a98?magazine_key=m13e8d289d960


ご参照ください。今みたいなディスプレイ並べた環境ナシで、複数本のフィルムを一気に編集できる。宮崎駿も凄い。動画今見当たらないが、、、

彼らは映像作家だから凄いわけではない。文章作家の志賀直哉も凄い。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E5%A4%9C%E8%A1%8C%E8%B7%AF


「謙作が大山の地に立ったときの大自然の描写は、志賀がこの作品を書く数十年前に大山を訪れた時の記憶だけで書いたと言われる、日本文学史上白眉とされるものである。」

読んだ感じでは、トルストイも凄い。太宰は並。三島は普通に優秀。シェイクスピアはよくわからない。確実に記憶に問題ある人物一人いて、ドストエフスキーである。


以前に書いたが、ドストエフスキーはてんかんの発作があり、発作後はしばらく記憶喪失状態だった。重要な点を忘れてしまって作品書いてしまって、後で「構成を台無しにしてしまった」と悶絶していたようである。気の毒だが、だからこそキャラ配置に凝って、おそらく作品の組み立て間違いにくくしてある。

というわけで記憶力は作家に必須の能力ではないが、作家には記憶力が優れた人物が多い。

2021年8月22日日曜日

スポーツ観戦と記憶:【天才過ぎる】原稿を描かずにアメリカに行ってしまった手塚治虫。前代未聞の国際電話で原稿を仕上げる事を決意する。【岡田斗司夫/切り抜き】


手塚が「自分の書いた全作品、全コマ記憶している」という話である。

それで、こういう記憶力持った人物がスポーツ観戦するとどうなるんだろうな、と思う。てゆうか監督できるんじゃないか。運動神経よければ名選手になれるんじゃないか。イニエスタなんかいかにも記憶力高そうな顔している。

昔ジーコが「私は一度運転した道路は忘れない」と言っていた。「ホームチームが有利なのは、スタジアムの風景を暗記しているからだ」とも言っていた。スポーツも実は、記憶科目なのではないか。

江夏豊が「王、長島と対戦した時の配球を思い出しながら解説できる」という話も聞いたことがある。実際の対戦から20年経っても、1球1球配球の意味を説明しながら再現できる。超人的な記憶力だから、それゆえに、記憶力に復讐される。突然場外ホームランを打たれる。驚いて飛び起きる。全身ぐっしょり汗をかいている。よく見る夢だったそうである。引退から何十年たっても、記憶力が良すぎて、現役時代の恐怖がいつでも再現される。

つまりおそらく、江夏は「野球物語」ストーリテラーとしては、手塚レベルの天才だったはずだ。だから、細かく聞いてくれる人が居たからだが、「江夏の21球」が成立した。

物語作家の偏差値はだいたい記憶力に比例する。私は劣等生だから章立て表作るが。