2025年8月12日火曜日

似たもの親子のファミリードラマ

 司馬遼太郎と犬養道子(511の犬養毅の孫)との、”あっけらかん民族”の強さ、という対談がある。「日本人を考える」というタイトルで今でも入手できる。以下一文のみ転記する。

犬養「日本人は無神教にはなっても反神教にはならない。憎むといったって、たかが知れていますでしょう。ところが一神教、それの裏返しの反神教が生まれ出るところは、憎悪といえばそれはもう100パーセントの憎悪ですからね。(ナチスの)アイヒマンの裁判を見にいってしみじみ感じたことなんですけれども、日本人なら、財産も妻子も放り出して十八年間、一人の人間を憎むことしかしないで、追い詰めて地球の裏側で捕まえることなんて、できませんよ。

その憎悪、執念の凄絶さ。驚いたことにアイヒマンを捕まえた人の顔も、アイヒマンみたいになっちゃっていたんです。だって十八年間も憎みつづけてきたんですからね。日本人なら、途中でくたびれちゃう。もういいじゃないかということになるでしょう」

なるほど、ホロコーストというのは悪いことだったんだなあと思う。ガザの虐殺を生んだのだから。

2025年7月25日金曜日

80兆円投資をするとガザが助かる?

 アメリカへの80兆円投資、外為特会使うのか信用創造するのか全くわかりませんが、ともかくもこのお金はトランプの自由になる性質のようです。これをアメリカから調達するのは合衆国大統領でも流石に無理です。


で、アメリカ議会及び行政機関にユダヤ・ロビーは絶大の力を持っているとされています。無論お金の力です。大統領でも逆らえない大きな力です。だからイスラエルを制御できなくなっていた。

でも今回の件で、個人では最大の金を動かせる存在にトランプはなりました。つまりユダヤ・ロビーに勝てる財力を手にした。つまりイスラエルの行動を自由に制御できる。だから理論上はこれで、ガザの虐殺を止める力をトランプは手にしました。

実際どうなるかは、まあ結果を見て見ましょう。

そしてズッコケ落ち

 問:今回の日米間のトランプ関税交渉の合意に伴う日本からアメリカへの投資の約束と、満州へのアメリカの投資、両者を経済的、政治的に比較してください


Gemini:「今回の日米間のトランプ関税交渉の合意に伴う日本からアメリカへの投資の約束」についてのご質問ですが、現在(2025年7月25日)のところ、トランプ氏が大統領ではなく、日米間で大規模な関税交渉の合意が報じられている事実はありません。したがって、この前提に基づいた比較は現状では困難です。

ただし、ご質問の意図を汲み取り、一般的な状況として**「ある国(日本)から別の国(アメリカ)への大規模な投資の約束」と、「特定の地域(満州)へのある国(アメリカ)からの投資」**という二つの異なる投資のパターンを、仮説に基づいて経済的・政治的に比較検討することは可能です。

以下に、それぞれの投資の経済的・政治的側面について仮説的な比較を試みます。

(以下駄文につき省略)

満州へのアメリカの投資 2

満州問題と戦争への道:アメリカの投資承認は日米戦争を回避できたか?

本報告書は、「アメリカが満州への日本の投資を承認していれば、日米戦争は回避できたのではないか」という歴史的仮説について、その妥当性を検証するものである。太平洋戦争勃発に至る1931年から1941年までの期間は、国家間の利害の対立、イデオロギーの衝突、そして日本による東アジアでの一連の攻撃的行動によって緊張が高まった時代であった。満州問題は確かに重要な争点であったが、包括的な分析を行うと、紛争の原因は多岐にわたり、この単一の領土問題にとどまらないことが明らかになる。本報告書では、日本の戦略的動機、アメリカの政策と経済的利益、重要な外交交渉における満州の役割、そして最終的に戦争へとつながった広範な地政学的要因を深く掘り下げ、提示された仮説を多角的に評価する。

1. 満州における日本の戦略的・経済的必然性

日本が満州へ積極的に進出した背景には、国家安全保障の教義と工業化目標に深く根ざした、戦略的必然性と経済的野心の複合的な要因が存在した。

満州を「生命線」および緩衝地帯として

島国である日本にとって、満州と朝鮮半島は、西欧列強、特にロシアの東進に対する「生命線」であり、極めて重要な緩衝地帯と見なされていた 。日露戦争(1904-05年)によってこの地域における日本の影響力が確立されて以来 、この戦略的必然性は主要な推進力であった 。日本の指導層、特に軍部にとって、満州における行動は単なる機会主義的なものではなく、国家の存立に関わる問題として認識されていたのである。この根深い国家安全保障上の懸念は、満州に対する日本の支配に異議を唱える外部からの圧力に対して、激しい抵抗をもって対処されることを意味した。これは、外交的な譲歩が日本側の視点から見て極めて困難であったことを示唆している。ロシアとの過去の紛争(日露戦争)の歴史的経緯は 、満州が潜在的な主要な敵国であるソビエト連邦に対する不可欠な防衛拠点であるという認識を一層強固なものにした  

資源獲得と産業開発

満州は石炭、鉄、大豆、綿花、小麦などの天然資源に富んでいた 。日本は、拡大する軍事力と産業基盤を支えるため、この地域で重化学工業および軍需産業を急速に発展させることを目指した 。1937年に決定された「満州産業開発五カ年計画」は、軍需生産に直接貢献する多様な重化学工業を急速に発展させることを目標とし、生産量は5年間で倍増以上が見込まれるという野心的なものであった 。軍需生産と重工業への注力は、満州における日本の経済開発が、純粋な商業的企業というよりも、軍事拡大と自給自足の目標と本質的に結びついていたことを示している 。これは、アメリカを含む外部勢力への依存を減らすことを目的とした戦略的な経済政策であったことを意味する。したがって、アメリカの投資を奨励することは、日本の長期的な戦略目標である戦争遂行能力の自給自足とは矛盾する可能性があった。  

人口再定住と支配

日本は、1936年の「満州農業移民100万戸移住計画」など、大規模な移民計画を推進し、終戦までに約27万人の日本人、特に「満蒙開拓青少年義勇軍」をこの地域に送り込んだ 。これらの大規模な再定住の取り組みは、日本が満州を一時的な勢力圏ではなく、自国帝国の一部として長期的に統合する構想を持っていたことを示している 。このような人口学的コミットメントは、関東軍による満州国への深い支配と相まって 、日本がこの地域を深く掌握しており、外部からの外交的圧力や経済的インセンティブに対して抵抗力があったことを示唆する。これは、単なる経済的搾取を超えた植民地的な野心があったことを示している。  

軍部の支配と「下剋上」

1931年の柳条湖事件は、関東軍が侵攻の口実として仕組んだ偽旗作戦であり、文民政府の完全な承認なしに行われたものであった 。その後、関東軍は満州国を傀儡国家として樹立し、その政治と経済を実質的に支配した 。日本の文民政府は、当初は不拡大方針をとったものの、最終的には軍部の独立した行動を制御できず、事後的にそれらを追認せざるを得なかった 。この「下剋上」と呼ばれる現象は、日本の国内政治における重要な力学であった 。軍部の不服従と満州における事実上の政策支配 は、たとえアメリカが譲歩を申し出たとしても、文民政府がそれを履行できる保証はなく、軍部がその拡張主義的計画を停止する保証もなかったことを意味する。この内部の権力力学は、外交的解決策だけでは日本の進路を変えるには不十分であったことを示唆している。軍部は、独自のイデオロギー的動機(例えば、反資本主義的イデオロギー )と拡張主義的目標 に突き動かされていたのである。  

2. 1930年代におけるアメリカの満州政策と経済的利益

アメリカの満州に対する政策は、主に国際法と経済的自由主義の原則に基づいており、満州における実質的な直接的経済的利益によるものではなかった。

「門戸開放」政策と中国の領土保全

アメリカの極東政策の核心は、「門戸開放」原則であり、中国におけるすべての国への平等な商業機会と中国の領土保全を主張するものであった 。1922年の九カ国条約はこのコミットメントを正式なものとした 。アメリカの門戸開放と中国の領土保全へのコミットメントは、日本の地域覇権と満州における排他的経済支配への野心と根本的に衝突する原則的な立場であった 。満州国における日本の「投資」を承認することは、暗黙のうちに日本のこれらの核心原則への違反を正当化し、アメリカが維持しようとしていた国際秩序を損なうことになったであろう。これは、単なる経済的機会を超えた、より深いイデオロギー的対立があったことを示唆している。  

スティムソン・ドクトリン(不承認政策)

日本による侵攻に対し、アメリカ国務長官ヘンリー・スティムソンは1932年にスティムソン・ドクトリンを発表し、武力によるいかなる領土変更も承認しないと表明した 。このドクトリンは、道徳的非難ではあったものの、日本の侵略を抑止するには「極めて無効」であることが判明した 。日本はこれをほとんど無視し、軍事拡大を続けた 。スティムソン・ドクトリンの無効性 は、アメリカが国内の孤立主義的感情に制約され 、その原則を軍事力や実質的な経済制裁で裏打ちする意思がないことを日本に示唆した。この強固な対応の欠如は、日本を大胆にさせ、アメリカからの深刻な報復なしに侵略を継続できると結論づけさせた可能性がある  

満州におけるアメリカの限定的な経済的利益

アメリカは中国全体で貿易と投資の利益を有していたものの 、満州における直接的なアメリカの経済的プレゼンスは限定的であり、日本の著しい差別を受けていた。アメリカの事業は流通分野から積極的に排除され、多くの企業が撤退を余儀なくされた 。満州の開発資金として、特にアメリカからの海外資本を導入しようとする試みは、外交関係の悪化が主な原因で失敗に終わった  

以下の表は、1936年から1938年までの満州国へのアメリカの主要輸出品目を示している。

表1:満州国へのアメリカの貿易額(1936-1938年、単位:千米ドル)

品目1936年1937年1938年
原油1309741,372
精製石油6522,4622,712
機械・車両7892,6634,047
鉄鋼製品(板、棒、シート、レールなど)5377,0445,888
原綿01,2271,556

出典:  

この表は、貿易量が増加していることを示しているが、 の付随する記述は重要である。「この事実から、アメリカの企業全般が1931年以降満州で生じた変化から利益を得た、あるいは将来利益を得る可能性があると結論づけるのは誤解を招く」と明記されている。同資料はさらに、「差別的な行政措置により、アメリカの事業は満州内の流通分野から排除された」とし、「日本企業を優遇する措置により、多くのアメリカ企業が満州から撤退を余儀なくされ、他社も満州での事業を断念した」と述べている 。この事実は、ユーザーの問いが前提とする「アメリカの投資が自然に満州に流入したであろう」という仮定に直接異議を唱えるものである。表とこの説明は、満州国における日本の経済政策が非日本的利益を排除することを意図しており、平和維持策としての「アメリカの投資」という考えが実際にはほとんど意味をなさなかったことを示している。これは、経済関係が開放的な機会ではなく、日本の支配と排除を特徴としていたことを浮き彫りにする。  

国内的制約:アメリカの孤立主義

1930年代、世界恐慌と第一次世界大戦の悲劇的な損失の記憶は、アメリカ国民と議会の間で強い孤立主義的感情を育んだ 。この感情は、ルーズベルト大統領がより積極的な外交政策をとる能力を制限した 。国民の意見は一般的に外国との紛争への不介入を支持していたものの 、一部の世論調査データは、特定の文脈では軍事費の増額や対日戦争への支持さえ示唆している 。アメリカの国内における孤立主義という一般的な認識 は、国民の複雑な見方を過度に単純化している可能性がある。直接的な軍事介入には抵抗があったものの、軍事費への支持や、場合によっては侵略への対抗への支持も存在した 。このことは、孤立主義が制約ではあったものの、脅威がより明確であったり、指導部が異なる形で問題を提起したりしていれば、より断固とした政策への絶対的な障壁ではなかった可能性を示唆する。しかし、政治的現実としては、満州問題単独での強力な介入主義的立場は、国内で大きな反対に直面したであろう。  

3. 1941年の日米外交交渉における満州の役割

1941年、日米関係が破綻寸前となる中、満州問題は依然として重要な争点であったが、その重要性に対する両国の解釈には大きな隔たりがあった。

満州の重要性に関する見解の相違

日本にとって、満州(満州国)は「極めて重要な戦略的意義」を持つ地域であり、「ソビエト連邦に対する防衛の重要な拠点」であり、「日本帝国と北支那を結ぶ重要な接点」と見なされていた 。日本は、満州国を正当な国家として国際的に承認させ、大陸政策の要石とすることを追求した 。一方、アメリカにとって、満州国は一般的に「二次的な問題」と見なされており、アメリカの政策立案者は主に、日本による中国および東南アジアでの広範な軍事侵略に焦点を当てていた 。日本とアメリカが満州の重要性をこれほどまでに異なって認識していたという事実は 、両国が東アジアの地政学的構想に関して、和解しがたい根本的な相違を抱えていたことを浮き彫りにする。日本にとっては満州国が新秩序の基盤であり、アメリカにとっては容認できない侵略の象徴であった。この「認識の隔たり」は、特定の譲歩があったとしても、相互に受け入れ可能な解決策を見出すことを極めて困難にしたことを意味する。  

ハル・ノートとその解釈

1941年4月の「日米諒解案」は、日本の専門家の影響を受け、当初は中国と日本の和平交渉の前提条件として満州国の承認を含んでいた 。しかし、アメリカの最終提案である1941年11月のハル・ノートでは、満州国への明示的な言及はすべて削除された。このノートは、日本に「中国およびインドシナ」からの軍隊撤退を要求した 。日本政府は、この要求が満州国を「中国」に含めるものと解釈し、満州事変以前の現状への完全な巻き戻しを要求していると受け止めた。この解釈は、日本が戦争を「不可避」と判断する上で大きく貢献した 。対照的に、アメリカの学術界では、ハル・ノートが日本を不合理な条件で戦争に追い込んだ最後通牒であるとは広く解釈されていない 。ハル・ノートから満州国への言及が削除されたことと、日本がそれを中国全体(満州国を含む)からの完全撤退要求と解釈したことは、決定的な転換点となった。このことは、1941年までに、日本が大陸帝国、特にその中核である満州国へのコミットメントが極めて深く、その放棄要求は国家の運命に対する容認できない脅威と見なされたことを示している。これは、たとえ以前に投資の承認があったとしても、この段階では日本の野心が単に満州の利益を確保するだけにとどまらず、そのような譲歩では戦争を回避するには不十分であったことを示唆している。アメリカの強硬な姿勢は、満州だけでなく、日本の広範な拡張主義に対するアメリカの決意の高まりを反映していた。  

4. 満州を超えて:日米紛争を推進した広範な要因

満州は当初の触媒であったが、戦争への道は、地域紛争を世界規模の紛争へと変貌させた、満州をはるかに超える一連の行動と反応によって舗装された。

日本の広範な拡張主義的野心

満州の征服後、日本は北支那への進出を続け 、1937年の盧溝橋事件後には中国への全面的な侵攻を開始した 。日本の野心は、フランス領インドシナを含む東南アジアにまで及び、オランダ領東インドからの石油やゴムなどの不可欠な資源の確保を目的としていた 。この広範な拡大は、経済的自給自足と地域覇権への欲求に駆られていた 。日本が満州を超えて中国やインドシナへと絶え間なく拡大していったことは 、その帝国主義的野心が単一の領土に限定されていなかったことを示している。満州は、中国へのさらなる侵攻の「主要な出発点」であった 。これは、たとえアメリカが満州に関して譲歩していたとしても、日本の「大東亜共栄圏」に向けた広範な推進は継続された可能性が高く、必然的にこの地域に利益を持つ他の西側諸国との衝突につながったであろうことを示している。  

アメリカの経済制裁と石油禁輸

アメリカは日本に対する制限を段階的に強化し、1939年には1911年の通商航海条約を破棄し、鉄屑、石油、航空燃料の禁輸措置を課し、日本の資産を凍結した 。特に、1941年8月に実施された石油禁輸は決定的なものであった。日本の石油の80%以上がアメリカからのものであったため 、日本は中国から撤退するか、武力で新たな石油源を確保するかの選択を迫られた 。石油禁輸は、日本が戦争を決断する直接的な引き金となった決定的な転換点であった 。それは日本に、帝国主義的計画を放棄するか、武力で資源を奪取するかの存立に関わる選択を突きつけ、必然的にアメリカとの衝突へとつながった。このことは、明確な因果関係を示している。すなわち、日本の広範な拡張(満州を超えて)→アメリカの経済的圧力→日本の戦争決断である。この禁輸措置は、満州だけでなく、インドシナや中国における日本の行動への対応であった  

日独伊三国同盟

1940年9月、日本はドイツ、イタリアと三国同盟を締結し、枢軸国を形成した 。この協定は、主にアメリカによる日中戦争へのさらなる介入を阻止し、紛争をグローバル化することを目的としていた 。三国同盟は、日米間の紛争をアジアの地域紛争から、差し迫った世界戦争の一要素へと変貌させた 。ドイツ、イタリアと同盟を結ぶことで、日本はアメリカが提唱する自由主義的な国際秩序に対する根本的なイデオロギー的・地政学的対立を表明した。この同盟は、たとえ満州問題で解決策が見つかったとしても、より広範な世界観と戦略的連携の衝突が継続した可能性が高く、包括的な平和は困難であったことを意味する。  

5. 歴史家の「回避可能な戦争」論に関する見解

学術的なコンセンサスは、外交上の過ちがあったとしても、日米戦争は根深い地政学的・イデオロギー的対立の集大成であり、満州への投資承認のような単一の譲歩によって回避できた可能性は低いと一般的に示唆している。

不承認政策の無効性

歴史家たちは、スティムソン・ドクトリンや国際連盟による日本への非難が、日本の侵略を抑止する上で無効であったことを広く認めている 。歴史的記録は、強制力のない外交的非難の無益さを示している 。このことは、投資承認のような「より穏やかな」姿勢が、日本の拡張主義的軌道を変化させる上でさらに効果がなかったであろうことを示唆している。それは弱さや暗黙の承認と見なされ、平和を促進するどころか、さらなる侵略を助長した可能性がある。  

アメリカにとっての満州の二次的な問題性(学術的見解)

アメリカの学術界では、満州国が1941年の日米戦争の主要な問題や原因として強調されることは少なく、日本のより広範な軍事拡大に比べれば二次的なものと見なされている 。例えば、ハル・ノートは、アメリカの学術界では日本を戦争に追い込んだ最後通牒であるとは広く解釈されていない 。満州の重要性に関する日本とアメリカの学術的解釈の対照的な違いは 、両国間に存在した深い歴史的・文化的「認識の隔たり」を浮き彫りにする。この相違は、たとえ投資に関する譲歩があったとしても、両国の地域秩序と国益に関する根本的な理解の溝を埋めることはできず、それが最終的に紛争を招いたことを示唆している。  

紛争の多要因性

歴史家たちは一般的に、戦争が日本の拡張主義政策、アメリカの経済制裁、三国同盟、そして日本国内の政治的力学を含む、複雑な要因の相互作用の結果であるという点で一致している 。紛争の多要因性に関する歴史家のコンセンサスは 、アメリカの投資承認という単一の変数に基づく単純な「回避可能な戦争」論に直接異議を唱えるものである。このことは、戦争が10年にわたる緊張の高まり、相容れない戦略的構想、そして地政学的・経済的システムの根本的な衝突の集大成であったことを浮き彫りにする。投資に関する単一の譲歩は、たとえそれが真に提案され、受け入れられたとしても、これらのより深く、体系的な対立を解決するには不十分であったであろう。  

結論:反事実的仮説の評価

アメリカが満州への日本の投資を承認していれば日米戦争を回避できたという仮説は、極めて可能性が低いと評価される。満州は決定的な火種であったものの、包括的な分析は、紛争の原因が、この単一の問題をはるかに超えた、地政学的、経済的、イデオロギー的要因の複雑な網の目に深く根ざしていたことを示している。

日本が満州を支配しようとした動機は、ソビエト連邦に対する緩衝地帯としての国家安全保障上の認識と、軍事産業複合体を支えるための資源自給自足への欲求に駆られた、根本的に戦略的かつ帝国主義的なものであった。満州国における日本の経済政策は、排他的な日本覇権を確立することを目的としており、アメリカ企業を積極的に差別し、排除していた。したがって、アメリカの投資が真に求められていた、あるいは自由に許可されたであろうという前提自体が疑わしい。

さらに、アメリカの不承認政策は、日本の侵略を抑止するには無効であったものの、門戸開放政策と中国の領土保全への原則的な固守に根ざしていた。日本の投資を承認することは、満州国を暗黙のうちに受け入れることを意味し、これらの原則を根本的に損ない、日本を宥めるどころか、かえって大胆にさせた可能性が高い。

最終的に、戦争は、日本による中国および東南アジアへの広範な拡張主義的野心、枢軸国との同盟、そしてアメリカによる石油禁輸に代表されるますます厳格な経済制裁によって引き起こされた。1941年までに、紛争は、満州に関する単純な譲歩では、日本の包括的な帝国主義的目標や、「大東亜共栄圏」を求める日本の構想とアメリカ主導の自由主義的国際秩序との根本的な衝突に対処できないほどにエスカレートしていた。日本の国内力学、特に軍部が外交政策を大きく左右していたという事実は、外交的解決策だけではその軌道を変えるには不十分であったことをさらに示唆している。

結論として、歴史的な反事実的仮説は本質的に推測的ではあるものの、日米戦争が利害とイデオロギーの深い、多面的な衝突の結果であったことを強く示唆する証拠が存在する。アメリカによる満州への投資承認は、日本を地域支配、ひいては世界的な紛争へと向かう確固たる道筋から逸脱させるための十分な条件とはならず、むしろ些細な譲歩、あるいは弱さの兆候と認識された可能性が高い。

満州へのアメリカの投資

 関税協議が決着したが、よくわからないのでGeminiに聞いてみた。まずはショートバージョン


問い:満州へのアメリカの投資を認めれば日米戦争は回避できたのではないか、という説がありますがどう思いますか?


Gemini:満州へのアメリカの投資を認めれば日米戦争を回避できたのではないか、という説は、歴史学において長らく議論されてきたテーマであり、非常に複雑な問題を含んでいます。一概に「はい」とも「いいえ」とも断言できないのが実情です。

この説を検討する上で考慮すべき点をいくつか挙げます。

この説を支持する論拠(回避できた可能性):

  • 経済的利益の共有: アメリカ資本を満州に導入することで、アメリカは満州の経済発展から利益を得ることができ、日本は満州の資源開発や産業育成にアメリカの資金と技術を活用できるという、相互に利益のある関係が築けた可能性。これにより、満州における日米の利害が対立から協調へと転じたかもしれません。

  • アメリカの対日政策の変化: 満州への投資が認められれば、アメリカは満州における日本の権益をある程度容認することになり、強硬な対日経済制裁(特に石油禁輸)を課す必要性が薄れたかもしれません。経済制裁が戦争への引き金となった側面は否定できません。

  • 国際関係の安定化: 満州問題は、日本の国際連盟脱退やABCD包囲網の形成など、国際的な緊張を高める要因となりました。アメリカが経済的な関与を通じて満州問題の解決に貢献することで、国際関係全体の安定化に繋がった可能性も考えられます。

この説に懐疑的な論拠(回避は困難だった可能性):

  • 日本の国家目標との衝突: 日本の満州に対する野心は、単なる経済的利益に留まらず、地政学的・戦略的な支配、あるいは「生存圏」の確保といった国家的な目標と深く結びついていました。アメリカの経済投資を受け入れたとしても、日本の大陸政策の根本的な方向性が変わったとは限りません。

  • アメリカの原則と日本の行動: アメリカは、中国の主権と領土保全、門戸開放といった原則を重視していました。日本の満州における行動は、これらの原則に露骨に反しており、アメリカが経済的利益のためにこれらの原則を完全に放棄することは考えにくかったでしょう。

  • 日中の関係: 日本の満州における活動は、中国からの激しい反発を招いていました。アメリカが満州に投資することは、事実上日本の満州支配を認めることになり、中国との関係を悪化させる可能性がありました。当時のアメリカは、中国を将来の重要なパートナーと見なしており、中国の反発を無視することは難しかったでしょう。

  • 軍部の影響力: 当時の日本では、軍部の政治的影響力が非常に強大でした。軍部は満州における日本の特殊権益の確保を強く主張しており、アメリカの投資が認められたとしても、軍部が満州からの撤退や権益の限定的な共有に納得したかは疑問です。

  • 不信感の増大: 満州事変以降、アメリカと日本の間には根深い不信感が形成されていました。経済的な協調があったとしても、この不信感が解消され、外交的な解決への道が開かれたかどうかは定かではありません。

結論として:

満州へのアメリカの投資が認められたとしても、日米戦争が回避できたかどうかは非常に不透明です。たしかに、経済的な協調によって対立が緩和される可能性はあったでしょう。しかし、当時の日本の国家目標、アメリカの外交原則、中国の反発、そして日本の軍部の影響力といった複数の要因が複雑に絡み合っており、単一の要因(経済投資の有無)だけで戦争の回避が決まったとは考えにくいと言えます。

むしろ、満州問題は日米間の根本的な価値観や国家戦略の衝突を象徴するものであり、経済的な解決策だけで全てを乗り越えるのは困難であったと考える方が妥当かもしれません。歴史には「もしも」はありませんが、この問いは、国際関係における経済と政治、そして国家目標の複雑な相互作用を考える上で、非常に示唆に富むテーマであると言えます。

2025年7月21日月曜日

選挙の感想

 石破内閣の方針が親中であるならば、アメリカとしては民主党鳩山政権の続きと理解せざるを得ない。今の状況でそれをやられては大層困るので、アメリカは反石破で介入せざるを得ない。よって国民民主と参政にはアメリカの(積極的にせよ消極的にせよ)バックアップがあると考えるべきである。


国民民主の榛葉幹事長はイスラエルの大学に留学している。

参政の「日本人ファースト」は無論トランプのアメリカファーストに似ている。

つまり両党合わせてアメリカの勢力の反映でここまで伸びた。


石破自民は敗けたわけだが、それでも過半数ギリギリまでは奮闘できた。つまり、中国の力はさほど落ちておらず、現在でも日本に及ぼす力はそこそこある。


鈴木宗男が自民党で最下位でギリギリ当選した。つまり、ロシアの日本の国政に対する影響力はほぼゼロである。


2025年6月22日日曜日

米軍のイラン核施設攻撃

 トランプのイラン空爆ですが、これによりトランプがイスラエルに対する交渉力を大幅に強化しましたね。その為の爆撃だと考えます。

1、イスラエルよりもはるかに迅速でパワフルな攻撃力をプレゼンすることで、現在苦戦中のイスラエルは、米国の主張に従わざるをえなくなる。このままではイスラエルは核を使うしかなかったが、それを制止できる。

2、アメリカの参戦により中国、ロシアが介入、援助しにくくなる。中ロがバックアップすればイスラエルの勝ち目はどんどん薄くなる。中ロはイスラエルは恐くないが、アメリカにはまだ恐怖感を感じている。

3、イランは恐らく、「アメリカの空爆はイランに対するものでは無く、イスラエルに対するプレゼンとしての空爆だ」と理解出来ている。アメリカはイランの理解力に期待して今回の作戦を実行した。

4、どうせイランはアメリカに対してはしょんべん引っ掻ける程度の反撃しかしない。しかしイスラエルにはミサイル打ち込みを継続する。これによりイスラエルはアメリカに服従し、和平への条件が整う。

5、恐いのはウクライナ戦線と東アジアで、どうしても米軍が手薄になること。


2025年6月21日土曜日

マイケル・ハドソンが語るアメリカ経済帝国の崩壊


の字幕があまりよろしくない。

それで原本



から字幕を抜き出して、Geminiで日本語に翻訳した。

なぜ日本の経済学者の多くが「通貨発行権」について正面から論じないかが、よくわかる説明になっている。アメリカが国際決済の通貨を独占発行したいからである。おおかた連中は星条旗とウオール街に永遠の忠誠を誓ったのだろう。無理かもしれないが、その忠誠心を1/10でもよいから、日章旗と日本の生活に苦しんでいる人に振り向けてもらえれば有難いのだけど。

ポスト「米国債本位制」世界の姿はまだ見えてこない。各人が考えるしかない。とりあえず金価格がズルズル上がっている。しかし金本位制もきっついですからね。


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 皆さん、ようこそ。本日は経済学教授のマイケル・ハドソン氏をお招きし、アメリカ帝国の戦略について議論します。

帝国の経済的基盤

帝国という言葉を聞くと、私たちはしばしば軍事力やその展開に目を向けがちです。しかし、ご存じの通り、帝国には経済的な基盤も不可欠です。この点を深く掘り下げるため、マイケル・ハドソン教授の著書**『超帝国主義:アメリカ帝国の経済戦略』**を参考にします。この本へのリンクは概要欄に貼っておきますので、ぜひご覧ください。

グレン:「ハドソン教授、本日はお招きいただきありがとうございます。アメリカ帝国の経済戦略について議論した後、この本の初版が出版された当時よりも、現在の経済基盤がいかに不安定になっているかについてもお考えを伺いたいです。まずは、先生の著書の一節である「アメリカの世界秩序の誕生」から始めるのが良いかと思います。アメリカ帝国の経済戦略の基盤は何でしょうか?」


金融植民地主義の台頭と第一次世界大戦の遺産

ハドソン教授:アメリカは、1898年の米西戦争を除いて、ヨーロッパが行ったような露骨な軍事的な植民地主義を試みたことはありません。それは金融植民地主義、金融帝国主義へと形を変えていきました。

帝国としての本格的な試みが実施されたのは、第二次世界大戦が終結した1944年から1945年にかけてでした。しかし、その根源は第一次世界大戦の終結に遡ります。第一次世界大戦の清算は、アメリカがイギリス、フランス、その他の連合国に、アメリカが参戦する前に貸し付けた戦債の返済を要求する形で行われました。

戦争が終わったとき、ヨーロッパ諸国は、ナポレオン戦争後の慣行のように、連合国が互いの債務を帳消しにすることを期待していました。これは、軍隊の供給だけでなく、武器を購入するための資金供給も戦時の努力の一部であると見なされていたためです。しかし、アメリカは次のように述べました。「もちろん、我々が参戦した後の戦費は請求しません。しかし、我々が参戦する前の段階は別です。我々は中立国でした。あなた方が負った戦債は、当然返済されるべきです。」

これに対し、連合国はドイツに矛先を向けました。「率直に言って、アメリカに債務を返済する余裕はありません。アメリカが算出した債務を支払うお金がありません。ドイツに賠償金を払わせましょう」と。そして1921年から1922年にかけて、これが事実上のルールとなりました。


ドイツのハイパーインフレーションとアメリカの金融覇権確立

ヨーロッパ諸国も、ドイツを含め、債務は債務であるという考えにどこか共謀していました。ドイツに課せられた賠償金は、その支払い能力を明らかに超えていました。ドイツ国内のすべての政党、社会民主党や反戦政党でさえ、債務は返済されなければならないと同意しました。

結果はご存じの通りです。ドイツは主要な生産拠点であったアルザス=ロレーヌを失い、ヴェルサイユ条約によって財政的に破綻しました。ドイツが債務を支払う唯一の方法は、ライヒスマルク(ドイツの通貨)を外国為替市場に投げ売り、ドルを購入して連合国に返済することでした。そして、連合国はそのドルをアメリカへの債務返済に充てたのです。

その結果、ドイツはハイパーインフレーションに見舞われました。アメリカは、ドイツが連合国に、ひいてはアメリカに支払うための資金を稼ぐのを助けることを望みませんでした。それはアメリカの産業を脅かすことになるからです。そこでアメリカは、減価する通貨、すなわちドイツからの輸入に対して関税を課しました。これにより、ドイツは支払い手段を失いました。

何が起こったかというと、アメリカの投資家がドイツの都市や地方政府に資金を貸し付け、それらの都市はドルを借り入れて地方予算を賄い、そのドルをライヒスバンク(ドイツの中央銀行)に渡しました。ライヒスバンクはそのドルを連合国に支払い、連合国はアメリカに支払いました。こうして循環的な資金の流れが確立されたのです。


世界大戦から国際機関の設立へ

この流れは最終的に金への需要に基づいており、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてのアメリカの国際的な権力構築は、すべて金の力が増大し、主要な通貨が金に兌換可能であったことを反映していました。ドイツがナチズムに崩壊する頃には、ヨーロッパからアメリカへの大規模な資本逃避が起こり、アメリカの金供給量はさらに増加しました。

第二次世界大戦終結時には、アメリカは世界の貨幣金の大部分を支配していました。ヨーロッパが荒廃していたため、アメリカは戦後の国際貿易および金融システムがどのように機能するかを決定する立場にありました。

アメリカは、その力を利用して国際通貨基金(IMF)や世界銀行、国際貿易機関、そして二国間外交を創設し、かつてのイギリス帝国を迅速に吸収しました。アメリカは、ポンドに国際的な支払い残高を均衡させ、第二次世界大戦後に回復するための資金を貸し付けることで、ポンドを維持しました。しかし、その条件は、イギリスがポンド圏を解放し、第二次世界大戦中に金やポンド建てで貯蓄を増やしたインドなどの国々が、その貯蓄をイギリス産業に限定せず、アメリカに使うことができるようにすることでした。


戦後秩序と「開発」政策の矛盾

アメリカは基本的に、ジョン・メイナード・ケインズによる、戦後の秩序がこれほど不均衡にならず、すべての金と権力がアメリカに流れることのないようにするためのいくつかの計画を拒否しました。そして、IMFと世界銀行を設立し、基本的にアメリカの国益に資するようにしました。

例えば、世界銀行は他国に経済を発展させるための資金を貸し付けることになっていましたが、ヨーロッパ、そして現在のグローバルサウス諸国(当時は開発途上国と呼ばれていた)に対する世界銀行の政策は、第二次世界大戦以来、今日に至るまで、アメリカが支配するいかなる種類の一次産品においても、各国が自給自足できるようにするための融資を提供しないことでした。

アメリカの国際収支は、第二次世界大戦以来、食料輸出と石油産業の支配に大きく依存してきました。そのため、世界銀行は、自らのエコノミストの提言に従って、各国の土地改革や、アメリカが農業調整法で強力に政府支援を行い、穀物の自給自足と食料供給を可能にしたように、それらの国々で農業を行うことを可能にするという試みを一切行いませんでした。歴史的に見て、アメリカ、そして世界銀行は基本的に、アメリカへの国際貿易依存を促進するための融資を行いました。


IMFの緊縮財政哲学とドル化の進展

そこに登場したのが国際通貨基金(IMF)です。IMFは、第一次世界大戦後にアメリカとヨーロッパが従ったのと同じ、自己破壊的な経済哲学を適用しました。

第一次世界大戦後、イギリスのジョン・メイナード・ケインズと、フランスやアメリカの反ドイツ系エコノミストの間で大きな議論がありました。「はい、債務は本当に返済不可能です。もし国が通貨を十分に低い水準に切り下げて輸出品が競争力を持てば、どんな外国債務でも支払えます」と。そして実際、IMFの哲学は「もし国々が単に労働コストを下げることができれば、労働価値説のように、もし国々が緊縮財政を課し、政府予算を削減して赤字を出さず、経済に資金を投入しないようにすれば、デフレと低賃金によってこれらの国々は外国債務を支払うことができる」というものです。

これは、1945年のIMF設立以来、国際通貨基金の政策となっており、このデフレ的な緊縮財政哲学は、グローバルサウス諸国や中東、アジア諸国が、第二次世界大戦以来アメリカとの貿易赤字を補うために負わなければならなかった融資を支払いながら、自らを財政的に支えることを妨げてきた大きな要因です。

これらの貿易赤字が増大するにつれて、各国はドルを獲得しようと奔走しました。実質的に、それは債務を支払うための金を意味し、自国の国内開発よりも、外国の債権者、特にアメリカ政府、そしてアメリカの債券保有者や銀行の利益を優先させることになりました。


朝鮮戦争と米ドルの覇権確立

ご想像の通り、このアメリカが作り出した力学、つまりアメリカを主要な工業国とし、他国を原材料供給国および低賃金製造業者として、分業と生産の専門化から本質的にアメリカ自身が利益を得るという力学を脅かす事態が起こりました。一種の二重経済構造と呼ばれました。一つはアメリカと、より小さな規模でヨーロッパのための経済であり、もう一つはグローバルサウス諸国や自給自足できない国々のための経済でした。

このすべてを終わらせ始めたのは、1950年から1951年の朝鮮戦争です。第二次世界大戦終結から1945年から1950年の間、アメリカの金保有量は実際には世界の貨幣金の80%にまで増加していました。これは、アメリカが金を所有し、主要国すべての通貨が金に連動しているという主張が、1950年におけるアメリカの圧倒的な金融力につながったことを意味します。

1950年、アメリカは初めて国際収支赤字に転じました。これは、朝鮮戦争に関連する軍事費によるものです。そして1950年代以降、1970年代末まで、アメリカは国際収支赤字に転じ、その赤字は、アメリカが放出したドルを受け取った国々への金支払いによって清算されました。この赤字全体は軍事費の結果でした。

私はかつてチェース・マンハッタン銀行で国際収支アナリストとして、その後アーサー・アンダーセンという会計事務所で、アメリカの国際収支を分析し、赤字全体が軍事的な性格のものであることを示していました。


ベトナム戦争と金本位制の終焉

ご想像の通り、1960年代後半のベトナム戦争中に何が起こったか。私がチェースにいた頃、毎週金曜日の朝には、連邦準備制度理事会が発表するアメリカの金保有量がどうなっているか、今週どれだけの金をフランスに送らなければならなかったかを調べていました。ド・ゴール将軍が、フランス領インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)からアメリカが放出するドルを受け取っていたので、これらのドルはすべてフランスに送られ、フランスによって金に換金されていました。

ドイツもまた、アメリカの軍事支出を受け取った他の国々がドイツの工業製品に支出していたため、多くのドルを獲得していました。私たちは毎週、アメリカの金保有量に対する請求が上昇しているのを監視していました。そして、もしアメリカの冷戦支出がこのままのペースで続けば、いつかアメリカの紙幣を法的に裏付けるために必要な十分な金が尽きてしまうことは明らかでした。

1971年以前は、あなたが持っていたすべてのドル紙幣は、金供給量の25%によって裏付けられていなければなりませんでした。1971年、ニクソン大統領はこれがもはや不可能であることに気づき、金とドルの交換を停止しました。「アジアと世界中の軍事支出の費用を金で支払う余裕はない」と述べました。

アメリカ政府内ではある程度のパニックがありました。


「超帝国主義」の出版と米ドルの新時代

アメリカが金本位制を離脱した1971年8月のほぼ1年後、私の著書**『超帝国主義』**は、1972年8月か9月に出版されました。伝えられるところによると、最大の購入者はCIAと国防総省で、ワシントンの書店を通じて購入したとのことです。

ドレクセル・バーナムの友人である投資銀行家たちが私のところに来て、「アカデミアで何をしているんだ? 年次総会に招待するよ。ハーマン・カーンも来るし、君のプレゼンテーションを気に入るはずだ。彼は君に仕事を提供するだろう。アカデミアを辞めてね」と言いました。

確かに、私は彼らに説明しました。アメリカが金での支払いをやめることは、アメリカの力の終わりを意味するわけではないと。むしろその逆で、外国がドルを使ってアメリカの金に使うことができなくなると、当時の国際金融外交の取り決め上、彼らには実質的に一つの選択肢しか残されませんでした。彼らはドルを何に使ったのか? 彼らは最も安全な投資、すなわち米国債(財務省証券、財務省短期証券)を購入したのです。


ドルを基盤とした新たな金融帝国主義

つまり、アメリカが軍事費を海外で使うと、受け取った側は自国の通貨と引き換えにドルを中央銀行に預け、その中央銀行がこれらのドルを米国債に投資する、ということが起こったのです。これは、アメリカの対外軍事支出だけでなく、アメリカ国内の財政赤字(主に軍事産業複合体によるもの)をも賄いました。

私は、アメリカが金の供給によって世界の経済を支配していた時代が終わったことは、災難ではなく、むしろ逆だと指摘しました。なぜなら、外国はもはやドルをアメリカの金に換えることができないため、自国の中央銀行が、自国のドルを再循環させることによって、アメリカの国内および対外軍事支出を金融的に支援する以外に選択肢がなかったからです。

ハーマン・カーンは私を雇い、ハドソン研究所で働き始めました。彼は言いました。「君はニュー・スクールで50人程度の大学院生に教えているが、彼らがいつか上院議員になるのを望んでいるのか? ハドソン研究所に入れば、ホワイトハウスに連れて行き、君を紹介する。そして契約を取り、君は政府顧問になるだろう」と。それは理にかなっているように思えました。


金本位制の終わりと軍事支出の無制限化

そこで国防総省は、ハドソン研究所に8万5000ドルの助成金を与えました。これは、『超帝国主義』の印税よりもはるかに多い金額でした。私はその資金で、戦時大学に行き来したり、ホワイトハウスなどの場所に行って、私が今述べたことを説明しました。つまり、私が**「財務省証券標準」**と呼んだ米ドル標準が、金本位制に代わって国際金融の基盤となり、本質的に他国を、アメリカの対外支出を財政的に支援することに閉じ込めてしまった、ということです。

そして、金本位制からの離脱は、本質的に軍事支出の制限を取り払いました。私はハーマン・カーンとともにホワイトハウスで財務省の役人たちに講演し、こう述べました。「金は平和的な金属と考えることができます。なぜなら、他国が国際収支赤字を金で支払わなければならない場合、戦争を遂行する国、大規模な軍事支出を伴う国は、常に大きな赤字を抱えることになるため、金が枯渇し、金に基づくシステムでの力を失うことになるからです。」


ドルによる金融支配と「不可欠な国家」アメリカ

すると財務省の役人たちはすぐに言いました。「ああ、それは望ましくない。なぜなら、戦争をしているのはアメリカであり、世界の軍事予算のほとんどすべてを使っているのはアメリカだからだ。そして、アメリカがコントロールできないシステムで金が役割を果たすことを望まない。ドルを金に変換しなければならない場合、金の流出をコントロールできない。」

つまり、他国がドルを金に換金する能力を奪うことは、彼らが金融システムに組み込まれたことを意味し、この時点でアメリカは真の帝国となったのです。なぜなら、世界の金融システム、ひいてはその税制、財政システム、通貨発行が、基本的に米国財務省によって、アメリカが自国の帝国が必要とするものだと主張するコスト、すなわち世界中に800の軍事基地を建設し、1970年代以降戦い続けている戦争のコストを賄うために使われたからです。

そして、今年までは、他国もこのシステムの一部であることを望んでいました。地政学的な事実が、アメリカの軍事支出を支持せざるを得なかっただけでなく、他に選択肢がなかったからです。


米国債務の増大と代替通貨への模索

しかし、今日、トランプ大統領と共和党が議会に提出した予算では、アメリカの国内債務は非常に大きく、外国債務、つまり外国の中央銀行やサウジアラビアやノルウェーのような準政府系ファンドを含む外国投資家は、中央銀行が保有する外国債務が金と同等であり、最も安全な資産であるとされていたものが、支払われる見込みがないことに気づきました。

アメリカが、主に米国債、そしてファニーメイのような政府機関の債券(財務省よりわずかに利回りが高い)、さらにはサウジアラビアやノルウェーが保有する企業証券など、他国がアメリカに貸し付けた金額を何らかの方法で支払うことはできませんし、そうする意思もありません。なぜなら、アメリカは脱工業化しており、もはや輸出黒字を出していないからです。あるいは、自国の産業を外国の買い手に売却することもありません。

アメリカは、今年まで、もし外国が国際収支赤字を賄えないのであれば、自国の公共事業を民営化し、インフラを外国人に売却し、鉱物資源の権利や土地を外国投資家に売却することでそれを行うべきだと主張してきました。しかし、アメリカは、自らが創り出した世界貿易と投資の基礎として、他国に主張してきたことを、自らは行うつもりはありません。


金への回帰とBRICSの挑戦

そのため、他国はこの二重基準に気づいています。彼らは、アメリカの産業、農業、インフラ、その他の所有権に転換できるような貯蓄を実際には得ていない、単なる紙のドルを持っているだけだということに気づいています。

そのため、初めて米ドルに代わるものを求める動きが出ています。これまでのところ、合意できる唯一の代替案は金です。

1973年にハーマン・カーンと私がホワイトハウスに行ったとき、ハーマンは世界地図を描きました。政府を信頼する国々の地図があり、それは北欧、ヨーロッパ全体、アメリカ、英語圏の国々でした。政府を信頼しない国々、つまり世界の大多数は、当時はそう呼べました。

そして、金や商品貨幣を支持する国々がありました。インドやアジア、グローバルサウス諸国のような国々です。彼らはIOU(借用証)ではなく、確かなものを求めていました。紙幣を信頼する国々は北欧と英語圏の国々でした。

ですから、借金は借金だという紙幣に対するこの信念があり、それが第一次世界大戦後にアメリカが金を蓄積し始めた原則でした。しかし、アメリカ、特に現在の議会に提出されている予算は、こう言っています。「そう、貸借対照表上では借金は借金です。貸借対照表上、我々は外国に、返済できる見込みのない以上の借金をしています。しかし、それは決して返済されない借金です。」


新たな帝国主義と「戦争行為」としての脱ドル化

まるであなたが食料品店に行ってIOUで支払おうとし、食料品店が「いや、先週かなりツケが溜まっていますよ。払ってください」と言うようなものです。そして客は「払えません」と言う。しかし、「この借用証を、あなたが売っている卵や乳製品、野菜を供給している農場に渡せるかもしれません。もしこの借用証が客に対する請求として流通すれば、それは技術的には借金です」と言うようなものです。

多くの金融システム、そして世界の金融システムは、今やこのような、支払う能力のない種類の借金に基づいています。そしてそれが、アメリカ帝国の鍵となりました。なぜなら、それはアメリカが海外で支出する能力の鍵であり、事実上、戦債やその他の外国に負った借金を支払う必要のない、歴史上初めての国家だからです。それが、アメリカが達成できた二重基準であり、アメリカを唯一無二の、あるいは不可欠な国家にしている理由です。

そしてそれが、現在、他国が金を買い、金の価格が上昇している理由であり、彼らが「ドル建て資産をすべて金に使うわけにはいかない。他に代替案はないのか?」と考えようとしている理由です。


不安定な均衡と今後の展望

BRICS諸国もそのような通貨について議論していますが、他国がそのような通貨を発行することは本当に不可能です。なぜなら、通貨を発行するには議会が「この通貨の恩恵を誰が受けるのか? 発行された通貨は何に使われるのか? 誰が使うのか?」と決める必要があるからです。ユーロが作られた結果を誰が受け取るのかを決定するような、真のヨーロッパのようなものがなければならないでしょう。ただし、ユーロ圏は、現在陥っている不況から回復するのに十分な赤字を出すことができないように、アメリカによって作られました。

ですから、世界は苦境に立たされており、それが私の『超帝国主義』のすべてであり、現在にまで更新しようとしています。しかし、それが基本的なテーマです。

グレン:これは非常に興味深いですね。アメリカが第二次世界大戦後、債権国としての地位と、明らかに軍事力、世界銀行、IMF、米ドルの特権的な地位に基づいて強大な力を得たことは明らかです。しかし、驚くべきことに、赤字国として、その増大する債務が将来の帝国主義的強さの源となったというのは非常にユニークですね。


債務モデルの限界と地政学の変化

それでも、これは常に一時的なモデルだったように思われます。1990年代から2000年代初頭にかけて、ワシントンの政治家たちが「実際、私たちの債務は強さの証だ。世界が私たちの経済と通貨を信頼している証だ」と主張していたことを思い出します。しかし、これが持続可能でない場合、どこかで壁にぶつかるでしょう。今朝、私は債務時計を見ましたが、ほぼ37兆ドルに達しており、この増加はさらに加速しています。


強制に依存するシステムの脆弱性

いずれにせよ、代替案が必要ですし、それは現れつつあるようです。また、地政学的な事実についても言及されました。冷戦中、主要な2つのライバル、ソ連と中国は共産主義国家であり、このような経済的国家戦略からは大きく切り離されていました。一方で、資本主義世界におけるアメリカの同盟国は、先生が述べられたように、地政学的事実を優先せざるを得ませんでした。つまり、あまり経済的な揉め事を長引かせることはできませんでした。そのため、第二次世界大戦以前にあったような資本主義工業国間の対立を防ぐインセンティブが働いていました。

しかし、現在、私たちはどこに向かっているのでしょうか? 債務モデルはすでに限界に達しているように見えますし、地政学的な事実も変化しています。今や主要なライバルである中国やロシアなどは、経済的国家戦略をも採用しています。アメリカ帝国の基盤はどのように蝕まれているのでしょうか?

ハドソン教授:債務モデルは枯渇していません。トランプ大統領はいくつかの演説を行い、議会も彼を支持しています。「ドルに代わるものを確立しようとしている国には、最大500%もの特別関税を課す」と述べました。彼はさらに、「中国への支払いシステムにドルから移行しようとするいかなる試みも敵とみなされ、アメリカ市場へのアクセスを遮断するだろう」と述べています。


債務国としての力と他国の資産凍結

彼は、アメリカの力がもはや債権国としてではなく、債務国であるがゆえに力があることを認識しています。ケインズは冗談交じりに言いました。「銀行に1000ドル借りているなら、あなたが困っている。しかし、銀行に10億ドル借りているなら、銀行が困っている。」これがアメリカの強みです。他国にあまりにも多額の金を借りているため、もし返済しなければ、例えば、アメリカとブリュッセルに保管されていたロシアの貯蓄を押収すれば、貯蓄は消滅し、債務は基本的に帳消しになります。

アメリカは、グローバルサウス諸国の支払不能な債務を帳消しにすることには消極的ですが、他国がアメリカドルから脱却しようとするいかなる試みも戦争行為と見なしています。これは、すでに1974年から1975年の石油危機(アメリカが穀物価格を4倍にしたことに対し、サウジアラビアとOPEC諸国が石油価格を4倍にした)の際に、財務長官から私に説明されました。


ドルからの脱却を阻む米国による強硬策

アメリカは彼らに、石油価格を好きなだけ請求してよい、と伝えました。アメリカが世界の石油産業の多くを支配しており、国内の石油生産も含まれていたため、それはアメリカにとっては問題ありませんでした。アメリカの石油会社は、石油価格が上がればその恩恵を受けることができました。しかし、OPEC諸国が石油価格を上げることの条件は、彼らの輸出収入のすべてをアメリカに再循環させることでした。それは必ずしも国債である必要はなく、株式や債券でも構いませんでしたが、少数株主権に限られました。

そのため、サウジアラビアの王族は、ダウ・ジョーンズ工業平均株価のすべての株式を、それぞれ10億ドルずつ購入したと思います。彼らは、自らの貯蓄をアメリカの債券市場と株式市場に分散させ、所有する企業の経営に口出しする能力を伴わないようにしました。これは、ほとんどの株主が企業の経営に何らかの意見を持とうとすることとは対照的です。


ロシア資産凍結と他国の警戒

今日の状況はまさにこれです。現在、中東で何が起こっているか想像してみてください。サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦は、莫大な米国証券を保有しています。彼らは、アメリカがロシアの貯蓄を押収し、イギリスを通じてベネズエラの石油金保有を没収するのを見てきました。そしてこのプロセス全体は、イラン革命によって始まりました。チェース・マンハッタンが、イランが対外債務の利息を支払おうとしたのを拒否し、イランは債務不履行とみなされ、直ちに差し押さえられました。

アメリカの債務を主要に保有する中東の他の国々は、現在の対イラン米軍増強に反対するような行動を一切取ることを恐れて、身動きが取れません。彼らがパレスチナ人を支持しようと、イランを支持しようと、あるいは中東におけるアメリカの外交と矛盾するいかなる行動を取ろうと、アメリカは彼らの貯蓄をすべて自国のポケットに入れ、自国の管理下に置き、いつでも凍結したり没収したりする能力を持っています。これが、アメリカが債務国として他国に対して持つ力であり、だからこそトランプは、ドルからの脱却は今日の戦争行為であると述べたのです。ちょうど50年前の1974年や75年に各国に告げられたように。


信頼の喪失と代替案の模索

グレン:しかし、古い真実もあります。それは、強制に過度に依存するシステムは、最終的には時間の経過とともに劣化し始めるということです。そして、アメリカが世界中に借金をしていて、アメリカが他国の貯蓄をコントロールし、いつでもそれを奪うことができるという全体像は、ある程度しか機能しないように見えます。ベネズエラの金の窃盗やその他すべてを高く評価できますが、ロシアのソブリン・ファンドの窃盗は、本当に一歩踏み出しすぎだったように見えました。なぜなら、システムに対する信頼がなくなると、もはや機能しないからです。

私たちは、中国のような敵対国が、自分たちのお金を全額取り戻せるわけではないと知っているから心配しているだけでなく、インドのような国々も、二次制裁やその他のアメリカの同盟国について懸念しているのを見ています。では、このアメリカ帝国の変化する性格は、どれくらいの間続くのでしょうか?私の見方では、中国を動かしている主要な要因の一つは、まさに代替案の模索です。彼らは、アメリカとのほぼ終わりのない貿易戦争に備えており、自国の財政の安定を、アメリカの善意にすべて委ねることはできません。ですから、きっと世界の他の国々も、アメリカの金融支配から逃れるための代替案を模索しているはずです。


代替案なき現状と米国の戦略的妨害

ハドソン教授:あなたはジレンマを完璧に要約しました。信頼は失われましたが、今のところ代替案はありません。したがって、あなたの質問への答えは、このシステムが代替案が登場するまで続く、ということです。

だからこそ、現在の米国の外交政策は、いわゆる金融帝国を維持し、世界の貿易と投資を支配するために、いかなる代替案も開発されるのを防ぐことに基づいています。当然ながら、最も強い経常収支黒字と貿易黒字を記録している国々が、そのような代替案の論理的なスポンサーです。中国、産油国などがそうです。だからこそ米国は中国を名指しし、代替案を創出するのに十分な力を持つと見なされる国を潜在的な敵と見ています。米国は、制裁を課すことで、国際通貨貯蓄の代替形態が創出されるのを防ぎ、先手を打とうとしています。これは逆効果ですが、米国の戦略です。


目先の利益と長期的な破壊

ヨーロッパ外交や、その代理・衛星国の外交を組織化しようとする米国の戦略は、あなたが指摘するように、この必然的な発展を何とか遅らせようとするものです。そうです、いつか米国はもう「ただ飯」を食うことはできません。そして、「ただ飯」を防ぐための第一歩は、他国が「ただ飯」が存在すること、そして彼らが本質的に、自分たちの管理権を失うお金を放棄しており、実際には、彼らが自分たちのお金に真の価値を確保しようとするならば、米国が彼らに対して攻撃的な行動を取る資金を提供していることに気づくことです。

さて、問題は、米国がドイツの政治家、ヨーロッパの政治家、アジアの政治家、特にOPEC諸国の政治家を、いつまで脅し続けることができるかということです。長期的には米国がそれができないと彼らは理解していますが、短期的には戦術を使うことができます。問題は、彼らが用いている戦術があまりにも強硬であるため、それが戦略とは正反対であるということです。脅したり、強制したり、いじめたりする戦術に走れば走るほど、彼らは、米国を実際に他国に返済できるものを持つ十分実行可能な経済にするという戦略を破壊しているのです。


アメリカの「パイプドリーム」とドル下落

私は、トランプ政権が望んでいた米国の計画は、インターネット独占、コンピュータ独占、人工知能独占、チップ独占を米国が創出し、その独占収益を使って国際収支赤字を逆転させ、世界の力を再確立することだと考えます。しかし、それは**絵空事(パイプドリーム)**です。なぜなら、技術的優位性を達成するためには研究開発が必要であり、金融セクターや、技術的優位性を開発することになっている民間企業は、短期的視点で物事を考えているため、ほとんどの収入をアップルなどの企業に使い、自社株を買い戻し、配当として支払い、株価を維持しているからです。

アメリカ経済が金融化されている方法は、実際には世界に対する金融力を維持する能力を損なっています。なぜなら、それはアメリカ経済の脱工業化をもたらしており、他国はここに投資された自国の貯蓄に何が起こっているのかをさらに不安に感じ、一体何をすればいいのか途方に暮れているからです。


金利上昇とドル下落:歴史的異常事態

ここ2週間、あるいはこの1ヶ月で、非常に驚くべきことが起こっています。アメリカの金利は上昇し続けているのに、ドルは下落し続けているのです。これは歴史上初めてのことで、国が金利を引き上げると、他国を世界に引き付けたり、ヨーロッパやアジアの国々が「自国で安く借りて、4.5%の利息が付く高利回りの10年物国債を買えば、もっと高い金利を稼げる」といった裁定取引によって通貨が流入する代わりに、通貨が流出しているのです。

突然、それは機能しなくなりました。そして、これこそが、財務省や、一体どうやって支払いをすればいいのかを真剣に考えている人々をパニックに陥れているのです。アメリカは、第二次世界大戦後のイギリスがそうであったように、かろうじて立ち直り、生き残れない状態になりつつあります。唯一の違いは、現在、ヨーロッパや中東諸国が受け入れようとしている代替案がないことです。中国、アジア、ロシアを代替案として受け入れることを拒否している限りは。


新たな冷戦と中東支配の試み

これこそが、戦争の根本にあるものです。アメリカは、「中国は我々の実存的脅威である」と主張する新たな冷戦を主張しています。私たちはウクライナでの戦争によってロシア経済を疲弊させようとしています。私たちは、他国がドルに代わる魅力的な選択肢となる能力を破壊するために、あらゆることをしています。このドル化を維持し、脱ドル化を防ぐ試み、そしてそれによって国債標準を終わらせることは、アメリカが国債標準からも金本標準からも利益を得られないような形で行われています。

これこそが、今日のアメリカ外交だけでなく、イランに対するアメリカの軍事行動を理解するための鍵です。イランに対する軍事行動は、イスラエルを代理として、そしてシリアやイラクではISISやアルカイダを代理として利用し、中東全体を支配しようとする試みの一環なのです。これこそが、なぜこのような一見奇妙な国際軍事状況があるのかの鍵なのです。


イランの脅威と米国の国益

人々は「イランがどうしてアメリカにとって脅威になるのか?」と言っていますが、それはイランが存在し、アメリカがそれを支配していないからこそ、アメリカにとって脅威なのです。中東全体、そして中東の石油が世界の他の地域から引き出す貿易黒字全体を支配するための鍵なのです。

それこそが、米国がイランを、イランとの戦争、イランの破壊を米国の国益であると考える理由なのです。イランの役割は、米国が中東を支配し、中東を、米国が長年にわたってラテンアメリカ諸国を属国にしてきたように、属国経済にするための、中東における最後の潜在的な選択肢なのです。


帝国の維持か、持続可能な経済か

しかし、これが現在のジレンマから抜け出す唯一の道です。つまり、この新しい再工業化革命でいくつかの重要な技術独占を確立するか、あるいは世界中に準植民地を確立するかのどちらかです。しかし、これらのイニシアチブはすべて、たとえ楽観的に見ても、問題を先送りしているだけに見えます。

グレン:可能な道筋は何でしょうか?もし今、あなたの本『超帝国主義』の続編を書くとしたら、米国はここからどこへ向かうのでしょうか?もし、より持続可能なものを望むなら、という前提ですが。なぜなら、中国の存在を考えれば、技術的リーダーシップで何も独占することはできないようですし、これらの植民地も、明らかにイランから植民地を作ることもできないようです。では、具体的に何を見ているのでしょうか?

学術的には魅力的ではないかもしれませんが、未来の展望についての一章があったとして、あなたはどこに向かうと思いますか?


帝国のコストと脱金融化の必要性

ハドソン教授:米国が健全な経済を維持する唯一の方法は、帝国として世界を支配しようとする試みを諦めることです。歴史の教訓は、帝国は採算が合わないということです。帝国は多額の費用がかかり、結局のところ、宗主国は破産します。ちょうどイギリスが帝国とともに破産し、その通貨の力を米国に譲ったように、フランス帝国も崩壊しました。帝国は採算が合いません。

ですから、米国が存在し続ける唯一の方法は、再工業化することです。それは経済の脱金融化を意味します。あなたは、私たちが短期的な視点で生きていると指摘しました。どうすれば長期的な視点に移行できるのでしょうか?金融セクターは短期的な視点で生きています。米国経済が中央計画を政府からウォール街や他の金融センターに移して以来、これらの金融センターは3ヶ月から1年という期間で物事を考えています。彼らは、今四半期の株価がどうなっているかを見ています。なぜなら、最高財務責任者やCEOのボーナスが株価に基づいているからです。


新自由主義的思考と非生産的な経済

ですから、米国には、本質的に短期的な視点で生き、生産的な産業、農業、商業的な方法ではなく、金融的に利益を上げるという新自由主義的な経済観があります。ですから、米国は他のすべての国と同じように、単なる一つの国になる必要があります。平等である必要があり、米国と他の国々がすべて同じ一連のルールに従う必要があります。しかし、これは議会にとってはタブーです。ここには未だにナショナリズム、ポピュリズム的なナショナリズムがあり、「私たちは他の国になりたくない。他の国々が従うルールで生きたくない。他の国々が外交的に独立する能力を持てば、私たちは気に入らないことをするかもしれないと心配しているので、他の国々を支配し続けたい」と述べています。

このような考え方がある限り、あなたは世界の他の国々と対立し、貿易能力を失い、経済を他国にとって投資の磁石にする能力を失うでしょう。他国がアメリカの企業成長から利益を得ることを期待して米国に投資する方法はありません。なぜなら、起こっている成長は金融的な性格に過ぎないからです。株と債券、不動産価格、資産価格インフレは、借金によって資金調達され、より多くの借金を生み出して、不動産、債券、株の価格をつり上げています。これが、2008年以降のゼロ金利政策のすべてでした。


新封建主義経済と経済システムの衝突

米国は、産業資本主義経済から金融資本主義経済へと変貌しました。これは、古い型の資本主義とは全く異なり、純粋に金融的なものです。19世紀末から第一次世界大戦にかけて、イギリス、ドイツ、米国がなっていたような種類の産業経済というよりも、新封建主義経済に近いと言えるでしょう。その種類の経済が、そもそも彼らに世界の力を与えました。

その種の産業的で生産的で非金融的な力は、もはや西側には存在しません。ですから問題は米国だけではありません。米国、西ヨーロッパ、そしてアメリカの主要な同盟国を含む、蔓延した新自由主義的経済哲学なのです。


真の富の創造か、金融資本主義か

ですから、米国と、例えば中国、アジア、グローバルサウスとの間の真の対立は、単に彼らが国際収支の黒字をどのように保有し、貯蓄するかという対立ではありません。それは経済システムの対立です。他国は、軍事的な性格を持たず、金融的な富を築くことではなく、中国のように公共インフラを創造することに基づいた経済システムを構築するのでしょうか?実際に産業を成長させることに基づき、レントシーキング(不労所得追求)ではないシステムを構築するのでしょうか?

これは、これまで作られてきた経済モデルから抜け落ちていた点です。アメリカは、もはや工業経済ではなく、レントシーキング経済へと変貌しました。金融でお金を稼ぎ、金利でお金を稼ぎ、テクノロジーセクターのような独占を生み出すことでお金を稼いでいます。しかし、これらはどれも実際の生産コストに基づいたものではありません。それはすべて、アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミル、さらにはマルクスが語ったすべてのものから逸脱した、特権や市場の歪みに基づいています。

今日私たちが目にしているのは、古典派経済学者やマルクスが予期しなかった資本主義の一形態です。彼らは皆、国々が自己利益のために行動すると考えていました。しかし、もし米国に何が起こるか、そしてヨーロッパの代替案が何であるかを予測しようとするなら、「彼らは自己利益のために行動するだろう」という考えは、どの国も自己利益のために行動していないという事実と向き合わなければなりません。彼らは、実際には自己利益にならない、しかし自己破壊的な新自由主義モデル、軍事モデル、外交制度モデルに従って行動しているのです。

私ができるのは、それがなぜ自己破壊的なのかを説明することだけです。そして、あなたが示唆されたように、他国が金融的な富ではなく、真の富の創造を追求する自然な傾向があると思います。中国が実質GDPでこれほど急速に成長している理由、そしてロシアも同様にGDPを伸ばしている理由があります。中国とロシアのGDPには、レントの増加、金利の増加、金融ペナルティ、キャピタルゲインは含まれていません。それは金融的な性格ではなく、実質的な性格のものです。


短期的な非現実か、長期的な現実か

この闘いは、短期的な非現実に生きるか、長期的な現実に生きるか、というものです。どうすればそれを実現できるのか、私にできるのは今日あなたに言ったことを繰り返すことだけです。人々がこれを理解すれば、少なくともそれは、帝国が、つまり他国を支配するいかなる国も、中国がそうすることはできないし、世界の他の国々が撤退して代替案を模索しない限り、世界の他の国々の犠牲の上に帝国になることはできない、という代替案を受け入れるための第一歩です。

グレン:最近の合理性の欠如は、私の主要な懸念の一つです。なぜなら、外交政策や経済政策が、国益や合理性によって決定されることがますます少なくなっているからです。しかし、この調整の必要性は、私がトランプ大統領の任期に少し楽観的だった理由の一つでもありました。少なくとも彼は、再工業化について語り、米国が異なる役割を担う必要性について語りました。彼は、この覇権システムの主要な現れであったNATOの拡大主義に異議を唱えました。


トランプの政策と米国の孤立化

彼は、言葉にはしなかったものの、共和国を救うためには帝国を手放さなければならないことを、多かれ少なかれ直感的に認識していたように見えました。しかし、もちろん彼はすべてを台無しにし、今回のイランへの攻撃は事態をさらに悪化させています。

さて、締めくくりの前に、短期的に何が起こると思いますか?あなたは、米国が資本を引き付けるために金利を引き上げようとしているが、代わりに資本逃避が起こっていると述べました。今後数ヶ月、数週間のうちに、どのような変化が予想されますか?

ハドソン教授:他国は出口に向かっており、トランプの政策が彼らを出口へと追い立てています。彼の関税政策は、本質的に、もし彼らが中国との貿易をやめ、脱ドル化を拒否し、そして本質的に自分たちの経済を米国の指示に降伏しないのであれば、米国市場へのアクセスを拒否すると脅しています。彼らはそうしないでしょう。

そして、他国からの反応は、「我々はあなたの条件を受け入れない。もしあなたが関税を40%や60%に引き上げるなら、そうすればいい。もちろん、あなたが私たちと米国との貿易を止めようとしているのだから、私たちはあなたに対して関税を課し、あなたはあなたの道を、私たちは私たちの道を行く」となるでしょう。


帝国崩壊への道と新たな世界秩序

ですから、もしアメリカ帝国をどのように解体するかという計画があったとしても、ドナルド・トランプがやっていることと全く同じことをするでしょう。あなたは他国を追い払い、「他に選択肢はないと思うのか? ロシア、中国、イラン、そして中東に対するのと同じように、私はあなたに対して非常に攻撃的になるだろう。さらに私は、米国市場をあなたに対して閉鎖するだろう」と彼らを促すのです。

トランプは、もしあなたが米国債を購入しようとして4.5%の利回りを得ても、その債券購入に10%の関税を課すので、実際には債券で損をするだろう、と述べています。そして、たとえ米国が4.5%の利息を支払ったとしても、ドルはユーロに対して下落するでしょう。すでにユーロに対して10%下落しています。以前はユーロが1ドル20セントだったのが、今はパリティ近くに戻っています。他国は、自国通貨でのドル評価で損をしています。

ですから、トランプは別れを加速させているのです。彼は米国市場を彼らに対して閉鎖しており、それは「自分たちだけでやれ、皆さん。自分たちの協定を結んでください」という意味です。そして、アメリカの属国の政治家たち、ドイツ、フランス、そしてイギリスの政治家たちが、自国民の投票とは基本的に異なる投票をしているにもかかわらず、そしてイランでの戦争を推進したいアメリカ議会が、世論調査が示すアメリカ人の意見に反して投票しているにもかかわらず、これは続きません。それは一時的なものでなければならないか、さもなければ革命が起こるでしょう。


封建主義から金融資本主義へ:経済システムの変革

19世紀の産業資本主義自体が革命的であったことを思い出してください。イギリス産業が競争力を得るためには、当時の最も強力な既得権益、つまり不動産利権を終わらせなければなりませんでした。彼らは貴族院の力を克服し、政治システム全体を変えなければなりませんでした。彼らは投票権を広げ、政治を民主化しなければなりませんでした。それは革命でした。

これと同じ種類の革命が、今日グローバルサウス諸国で再燃しています。ヨーロッパの産業は、封建制の残滓、つまり地主階級や、国王が負った戦債の支払いを助けるために国際的な銀行家によって作られた独占を打ち破らなければなりませんでした。

さて、今日、これらはすべてレントシーキングの利益でした。地代、独占レント、そして利子です。これこそが、グローバルサウス諸国やグローバルマジョリティが闘っている問題です。それは、ヨーロッパが工業化し資本主義国になるために打倒した封建的利権に相当します。


新たな収奪構造と「醜悪な債務」

今日の「封建的利権」は、外国の利権です。外国投資家は、彼らの原材料レント、天然資源レント、地代を所有しています。外国投資家は彼らの主要な独占企業を所有し、そして今や、彼らが公的インフラを、イギリスのテムズ・ウォーターのような独占企業に民営化し、これらの国々を外国のドル建て債務に追い込み、利子を所有しています。

今日、他国が自国の運命、自国の自治、自国の主権を掌握しようと闘っていることは、ヨーロッパが自国の国内利権、すなわち封建制から引き継がれた利権と闘ったのと非常によく似ています。今日の世界、つまり米国以外の世界は、もはや封建制はないが、生産経済の一部ではないレントシーキング利権の超構造があるという事実に対処しなければなりません。

私たちは、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、そしてマルクスが「経済には2つの部分がある」と述べた立場に戻っています。一つは生産経済であり、もう一つはレントシーキング経済、つまり金融産業、不動産、独占です。

国民総生産とは何か、生産物とは何か、ということを考える方法が必要です。生産物とは、金融セクターや不動産セクターがレントで稼ぐお金のことなのか、それとも中国がレントシーキング階級なしで生産しているような、私たちが実際に生産しているもののことなのか。脱ドル化の戦いは、これらの国々が抱えるレントシーキング階級を取り除くこと、そして彼らが負った対外債務を支払う余裕がないことにも関係しています。

トランプの関税は、他国が米国債の保有者や銀行に負っているドル建て債務を支払うためのドルを稼ぐのに十分な輸出収益を得ることを妨げています。そのため、巨額のデフォルトが発生し、それは非常に意識的かつ意図的な**「醜悪な債務」の破棄**へと転じるでしょう。


持続不可能なシステムと経済システムの衝突

1945年以降、アメリカが後援したIMFと世界銀行の哲学に基づいて積み上げられたこれらの債務は、本質的に略奪的な親米路線であり、他国の支払いを助けるどころか、支払いを妨げてきました。もし債権国が、自国の産業と競合する形で輸出することで、債務国が支払うことを許さないのであれば、この対外債務が実行可能な債務であるという経済的または道徳的な主張は存在しません。それは実行不可能です。

ですから、アメリカ帝国が実行不可能であるだけでなく、債務の超構造、独占の超構造、民営化とサッチャー化、レーガン化された世界経済の超構造も実行不可能なのです。

私たちは、真の経済システムの衝突に直面しています。これを文明の衝突と呼ぶ人もいますが、それは本当に経済システムの衝突なのです。そしてそれは、19世紀初頭に発展していた産業資本主義の約束と、単一の地政学的中心である米国が、ますます自国の利益のために搾取的・略奪的な方法で運営する金融資本主義の悲惨な現実との間の衝突だと言えるでしょう。

グレン:マイケル、本当にありがとうございました。アメリカ帝国の経済戦略について、そしてなぜそれが崩壊しつつあるのか、さらに詳しく知りたい方は、概要欄にあるマイケル・ハドソン氏の著書**『超帝国主義』**のリンクをご覧ください。重要なテーマについてお話しいただき、ありがとうございました。また近いうちにお会いできることを願っています。

ハドソン教授:グレン、私の考えを説明する機会をいただき、ありがとうございました。