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2013年8月12日月曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説1

新しい文化のうち優れたものは必ず、
その国の文化の古層をなにがしかのカタチで反映している。
日本のアニメは発展を続け、古層を十分に反映できるようになった

ヤマトやガンダムは、
漢籍、中国の文芸を基礎にしている。
ヤマトのモチーフは、
目的地到達の物語という意味で、西遊記そのままである。
ガンダムにはシャアという魅力的な悪役が登場するが、
三国志の曹操によく似たキャラクターである。
戦争なくなったら物語の終わりだから、
未来永劫戦争続ける物語である。

宮崎駿は漢籍ではなく、神道の人である。
もののけ姫、あるいはトトロ。
トトロの基本モチーフは、
母に死に別れて泣くスサノオ(メイ)と、
それに困るさつき(アマテラス)である。
母のイザナミは病院にいるが、これは黄泉の国という意味であろう

押井守は仏教である。
自我はあるのか、無いのか、
輪廻転生から解脱できるのか、出来ないのか。
仏教の中でも、上部座仏教である。

大乗仏教に基づいたアニメは、私は見たことが無かったが、
おおかみこどもついに登場した。

作中の母親「花」は、人間の姿をしているが、実は阿弥陀如来である。
作中の狼は、人間である。
如来・人間という関係を、ワンランク下げて、
人間・狼という関係で表現している。

雨は結局、仏の道を選ばず畜生道に生きることに決めた。
それでもなお阿弥陀様はその生き方を認めてくれて、
遠くから狼の声に耳を傾けて下さる。

「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや狼おや」

弥陀の本願信ずべし、である

含むネタバレ 風立ちぬ・解説12

次郎と妹は同一人物である。
飛行機と菜穂子は同一人物である。
これがこの稀代の傑作の中心に座る構造である。

独創的で素晴らしい。
手を合わせて拝みたいほどである。
しかし賞賛ばかりではなんなので、少々批評を。

1、初夜のシーン、最後に振袖を映すシーン、あと3秒間長く映して欲しかった。
宮崎はダイナミックな動きの映画の編集になれていて、ゆったりとしたシーンはさほど経験が無い。少々粗雑な編集だったと思う。
2、菜穂子が列車に乗って山の病院に帰るシーンから、音楽のみ引き続いて飛行テスト成功のシーンに切り替わる。
飛行シーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。しかし列車のシーンがこれまた短すぎる。すぐに切り替わるから、音楽の連続性があまり生きていない。ラピュタのオープニングの系譜を引く、宮崎の得意技なのだが。これも編集問題である。
3、久石の音楽、決して悪くないが、弱い。久石自身全盛期を過ぎているのもある。同時に映画が良すぎてつりあっていないのも有る。
映画史上に残る作品はたいてい、映画に互角に張り合える名曲を使っている。タルコフスキーの惑星ソラリス無重力シーンでのバッハ、ビスコンティベニスに死すでのマーラーアダージェット。
そこまでの結合はこの映画には無い。無音シーンが素晴らしいから、作品としては互角以上なのだが。
4、死んだ菜穂子に再会するシーン、肥大化して消えるという処理はいかがなものか。バラバラになって小さな紙飛行機になって飛んでいって欲しかった。

とえらそうに書いたが、無理して書いただけで本当は不満は無い。

2013年8月11日日曜日

含むネタバレ 風立ちぬ・解説11

ラストシーンの直接的な元ねたは、司馬遼太郎である。

坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう

しかし司馬は太平洋戦争が書けなかった。あまりにも当事者であったから。あまりにも無念の気持ちを多く持っていたから。後を宮崎が継いだ。
結局、坂は膨大な残骸で埋った。雲のまにまに見えるは、あの世に飛び行く自機の集団であった。坂の向こう側に愛する人がいた。彼女も陽炎のように去った。それでも戦後を生きねばならない。