次郎と妹は同一人物である。
飛行機と菜穂子は同一人物である。
これがこの稀代の傑作の中心に座る構造である。
独創的で素晴らしい。
手を合わせて拝みたいほどである。
しかし賞賛ばかりではなんなので、少々批評を。
1、初夜のシーン、最後に振袖を映すシーン、あと3秒間長く映して欲しかった。
宮崎はダイナミックな動きの映画の編集になれていて、ゆったりとしたシーンはさほど経験が無い。少々粗雑な編集だったと思う。
2、菜穂子が列車に乗って山の病院に帰るシーンから、音楽のみ引き続いて飛行テスト成功のシーンに切り替わる。
飛行シーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。しかし列車のシーンがこれまた短すぎる。すぐに切り替わるから、音楽の連続性があまり生きていない。ラピュタのオープニングの系譜を引く、宮崎の得意技なのだが。これも編集問題である。
3、久石の音楽、決して悪くないが、弱い。久石自身全盛期を過ぎているのもある。同時に映画が良すぎてつりあっていないのも有る。
映画史上に残る作品はたいてい、映画に互角に張り合える名曲を使っている。タルコフスキーの惑星ソラリス無重力シーンでのバッハ、ビスコンティベニスに死すでのマーラーアダージェット。
そこまでの結合はこの映画には無い。無音シーンが素晴らしいから、作品としては互角以上なのだが。
4、死んだ菜穂子に再会するシーン、肥大化して消えるという処理はいかがなものか。バラバラになって小さな紙飛行機になって飛んでいって欲しかった。
とえらそうに書いたが、無理して書いただけで本当は不満は無い。
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