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2013年8月12日月曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説4

細田を初めて見たのはサマーウオーズ、つぎに時をかける少女、つぎにオマツリ男爵、その後おおかみこどもだったのだが、率直な感触は「これはモンスターだな」だった。おそらく彼は、今までみた映画のシーンをほとんど覚えている。つまり映画的演出の引き出しが圧倒的に多い。
私も高校2年と3年だけは、見た映画のシーンをかなり覚えられた。見終わった映画のシーンを目をつぶって再度上映するのである。20分程度の早回しで。当時昼食代を削ってレンタルビデオを借りて見ていて、それはそれは必死でみていたから、思い出せた。それを細田は、数十年続けている感触が、画面から伝わってくる。これは映画オタを一時期でもやった人間はほぼ全員感じられる部分だと思う。アニメ関係者も映画関係者も、おそらく似たような印象を持っているはずである。
くわえてポニョの不発があったから、これはてっきり王座交代かとおもっていたのだが、今回の風立ちぬで宮崎王朝は当面維持されることになった。
レオナルドとミケランジェロ、あるいはドストエフスキーとトルストイのような、素晴らしいライバル芸術家が切磋琢磨する姿を見れるとは、言葉にできぬほど良い時代であるし、なんぼ日本がポテンシャルが高い国であったとしても、流石に今が文化の絶頂期で、今後は少々ダラ下がりになるのではないかと思われる。
いずれにせよ、風立ちぬや、おおかみこどもに対する批判を口にする前にまず心がけておかなければならないのは、これは「マタイ受難曲」や「カラマーゾフの兄弟」に匹敵するような大芸術であって、必然として難解な部分を持つ、ということである。難解である以上最初になすべきは批評ではなく解析であり、解析が終了後批評が可能になる。通常の映画と同じような態度で批評しても、全く無効なのである。

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