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2013年8月16日金曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説6

例えば3セット取り出して考えてみる

母が吐くと父は鳥をとってくる
息子が吐くと姉はさぎを取ってくる

父(狼姿)は鳥を獲ろうとして川に落ちて死ぬ
息子(狼姿)は鳥を獲ろうとして川で死にかかる

父と花のアパートには燕の巣
息子の家出の前に燕の巣が倒壊

以上3セットは
1、鳥が狼の命の象徴であること
2、鳥に去られた時、狼の命運が尽きること
3、鳥の巣つくられた時点で母と狼族の生活が始まり、
なくなった時点で生活が終わること
を表現しようとしている。

言うまでもなく神道では、鳥居、つまり鳥の止まる木を、
聖なる境界としている。
鳥居は日本および照葉樹林帯特有の習慣だから、
日本および照葉樹林帯に住む人々を表現したのが、狼族である。
では鳥を獲らないでも生活出来る母親の花はなにか。
狼族ではにない。つまり日本人および照葉樹林帯の人間ではない。
私の考えでは阿弥陀如来だが、あるいは他に解があるのかもしれない。

2013年8月15日木曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説5

おおかみこどもの雨と雪は、
実はストーリーらしきストーリーがほとんど無い、
極端に薄い物語である。
12年以上に渡る長きを2時間で、駆け足で通り過ぎる。
だから話は薄くなって当然である。
通常ならばバラバラになるその薄さをつなぎとめる留糸が、
対句的表現である。いや厳密には対句ではないのだが、
説明が難しいのでまずはざっと見ていただきたい。

父は桃缶を妊娠中の妻に食べさせる
息子は桃を狐の先生に献上

母が吐くと父は鳥をとってくる
息子が吐くと姉はさぎを取ってくる

父(狼姿)は鳥を獲ろうとして川に落ちて死ぬ
息子(狼姿)は鳥を獲ろうとして川で死にかかる

父と花のアパートには燕の巣
息子の家出の前に燕の巣が倒壊

息子に脱脂綿で乳を含ませる
草平くんの耳の傷には脱脂綿がテーピングされている

娘が吐いて母(花)は獣医か小児科か迷う
息子は吐いて狼はいやだと言う

娘が落としそうななったビンを母はナイスキャッチする
韮崎家から木酢液のペットボトルをもらう

娘が倒しそうになったタンス(四角い箱)を母はからくも支える
韮崎家から冷蔵庫(四角い箱)をもらう

娘の先生(草平くん)に母が差し出すのは緑のジュース
息子の先生(狐)に母が差し出すのはピンクの桃

娘は子供の頃緑の離乳食を食べている
娘の先生は緑のジュース

雪は草平からみかんとパン(丸いものと平らなもの)をもらい 
花はきつねに桃と油揚げ(丸いものと平らなもの)を出す

雨が狐の先生に連れてゆかれた岩沢から見る湖には雲が映っている
花の駐車場の水たまりには雲が映っている

他にもあるだろうが、発見できたのは以上である。

2013年8月12日月曜日

おおかみこどもの雨と雪・解説4

細田を初めて見たのはサマーウオーズ、つぎに時をかける少女、つぎにオマツリ男爵、その後おおかみこどもだったのだが、率直な感触は「これはモンスターだな」だった。おそらく彼は、今までみた映画のシーンをほとんど覚えている。つまり映画的演出の引き出しが圧倒的に多い。
私も高校2年と3年だけは、見た映画のシーンをかなり覚えられた。見終わった映画のシーンを目をつぶって再度上映するのである。20分程度の早回しで。当時昼食代を削ってレンタルビデオを借りて見ていて、それはそれは必死でみていたから、思い出せた。それを細田は、数十年続けている感触が、画面から伝わってくる。これは映画オタを一時期でもやった人間はほぼ全員感じられる部分だと思う。アニメ関係者も映画関係者も、おそらく似たような印象を持っているはずである。
くわえてポニョの不発があったから、これはてっきり王座交代かとおもっていたのだが、今回の風立ちぬで宮崎王朝は当面維持されることになった。
レオナルドとミケランジェロ、あるいはドストエフスキーとトルストイのような、素晴らしいライバル芸術家が切磋琢磨する姿を見れるとは、言葉にできぬほど良い時代であるし、なんぼ日本がポテンシャルが高い国であったとしても、流石に今が文化の絶頂期で、今後は少々ダラ下がりになるのではないかと思われる。
いずれにせよ、風立ちぬや、おおかみこどもに対する批判を口にする前にまず心がけておかなければならないのは、これは「マタイ受難曲」や「カラマーゾフの兄弟」に匹敵するような大芸術であって、必然として難解な部分を持つ、ということである。難解である以上最初になすべきは批評ではなく解析であり、解析が終了後批評が可能になる。通常の映画と同じような態度で批評しても、全く無効なのである。