タバコについて。
「風立ちぬ」は煙草のシーンが都合6回出てくる。
1、震災直後、学校で本庄が煙草を次郎にせがむ
2、2年後、教室に計算尺の届け物があった直後、本庄が級友に煙草をせがむ
3、ドイツでユンカース社の見学後、次郎は最後の煙草を吸っており、本庄はシケモクを吸いはじめる
4、菜穂子を待つレストランの席で、カストルプと共に次郎がタバコを吸う
5、菜穂子と食事ができなかった後、ベランダから彼女の部屋を見上げながら、暗い中で次郎一人で煙草を吸う。
6、黒川邸の離れで、菜穂子の手を握りながら次郎は煙草を吸う。
1度の例外を除き、いずれも、直近に女性と別れる、離れる、合えなかったというイベントがある。
1、震災直後、次郎はお絹、菜穂子と別れて学校に行った。
2、教室に計算尺の届け物があった直後、次郎はお絹の後を追ったが、見つけられなかった。
3、ドイツでユンカース社の見学前に、本庄は結婚をしており、新妻と別れてドイツに来た。
4、レストランの席で菜穂子を待っていたがこなかった。
5、ベランダから彼女の部屋を見上げながら、菜穂子を思いながら次郎は煙草を吸った。
6、菜穂子の手を握りながら次郎は煙草を吸う。次郎のそばに菜穂子が居る。これのみ例外である。
だからこそ6のシーンは印象的になる。
「結核の女性の隣で煙草を吸うなんて」と激しく反応している人たちも、
無意識のうちに、この静かなシーンの劇的な意味をなんとなく感じているのではないか、
だから激しく反応しているのではないかと、思われる。
いずれにせよこのことからも、この映画が緻密に立体的に構成された作品であると理解していただけるものと思うのだが、
いかがだろうか。
ページ
2013年9月5日木曜日
2013年9月1日日曜日
日本アニメ映画芸術爆発の原因
おおかみこども、風立ちぬ、それ以前ならば押井の攻殻、あるいはもののけ、なんでこんなに素晴らしい作品が生み出されるのか、私は本当のことを言うと理解できていない。
ルネサンスの芸術には、メディチ家というパトロンが居た。メディチ家はようするに、王様である。バッハ、モーツアルト、ベートヴェンは、生活のかなりの部分を教会や貴族に依存していた。ドストエフスキーやトルストイは、そもそも貴族である。
今日本には貴族は居ない。お金持ちがパトロンになってアニメを作らせている、わけでもない。なんでこんなに名作が生まれるのか理由がわからん。とりあえず仮説を立ててみた。
1、日本至高説。日本の大衆社会が大変高水準なものになっている。高度な芸術をやすやすと理解できる、かつての貴族階級の如き教養程度が高く文化的な大衆が大量に存在している。
(これは、私自身もその高水準な大衆とやらに加われるから、大変心地よい仮説である)
2、脱落アニメーター説。アニメや漫画のプロになろうとする若者は、わんさか居る。そして毎年毎年、その過酷な競争と劣悪な環境に敗れて、その業界から去る若者はわんさか居る。かれらはプロとしては続けられなかったかもしれないが、若干年でもプロの飯を食ったわけで、そいいう連中は消費者としては超一流になる。良い仕事を確実に正当に評価出来る元プロが、アニメ業界にはおそらく数万以上の単位で存在する。かれらが消費の中心となり、クオリティの高い商品の生産を促している。
3、国風文化説。映画はアメリカのものであった。アメリカが優れていた、というより戦争直後は世界のGDPの50%をアメリカ一国で占めていたのだから、みんなアメリカ文化にあこがれて当然であった。しかしその比率は20%までに落ちた。もはやハリウッドは、年がら年中人類が絶滅の危機に陥り、年がら年中危機から間一髪で救われるという、ワンパターンな作品しか作れなくなっている。それってそもそも危機じゃあないんじゃない?まるで映画だ、という意味を成さない文句はさておき、アメリカ映画へのあこがれ、逆に言えばアメリカ文化の圧迫が日本からなくなった。唐王朝が衰退して日本に国風文化が発達したように、アメリカが衰退して第二次国風文化が芽生えつつあるのである。
以上3説、どれももっともらしく思える。どれもあてはまるのかもしれない。よくわからない。
一般的に言って、多民族社会というのは文化生産能力は人口に割りに低くなる。ローマ帝国とギリシャ都市国家の文化力を比較せよ。最初のうちはローマも元気はあったが、帝国として肥大しすぎると、コロセウムの見世物、つまり今のハリウッド映画みたいなのしか作れなくなった。(唐王朝は?いやあれは後漢滅亡から400年かけて鮮卑中国人なる民族が成立したと見るべきだろう。)
文化とは民族のアイデンティティを決定するものであり、多民族社会に文化は生まれにくい。アイデンティティがぶつかり合ったら、社会が崩壊するのだから、文化生産にブレーキをかけざるをえなくなるから。
ルネサンスの芸術には、メディチ家というパトロンが居た。メディチ家はようするに、王様である。バッハ、モーツアルト、ベートヴェンは、生活のかなりの部分を教会や貴族に依存していた。ドストエフスキーやトルストイは、そもそも貴族である。
今日本には貴族は居ない。お金持ちがパトロンになってアニメを作らせている、わけでもない。なんでこんなに名作が生まれるのか理由がわからん。とりあえず仮説を立ててみた。
1、日本至高説。日本の大衆社会が大変高水準なものになっている。高度な芸術をやすやすと理解できる、かつての貴族階級の如き教養程度が高く文化的な大衆が大量に存在している。
(これは、私自身もその高水準な大衆とやらに加われるから、大変心地よい仮説である)
2、脱落アニメーター説。アニメや漫画のプロになろうとする若者は、わんさか居る。そして毎年毎年、その過酷な競争と劣悪な環境に敗れて、その業界から去る若者はわんさか居る。かれらはプロとしては続けられなかったかもしれないが、若干年でもプロの飯を食ったわけで、そいいう連中は消費者としては超一流になる。良い仕事を確実に正当に評価出来る元プロが、アニメ業界にはおそらく数万以上の単位で存在する。かれらが消費の中心となり、クオリティの高い商品の生産を促している。
3、国風文化説。映画はアメリカのものであった。アメリカが優れていた、というより戦争直後は世界のGDPの50%をアメリカ一国で占めていたのだから、みんなアメリカ文化にあこがれて当然であった。しかしその比率は20%までに落ちた。もはやハリウッドは、年がら年中人類が絶滅の危機に陥り、年がら年中危機から間一髪で救われるという、ワンパターンな作品しか作れなくなっている。それってそもそも危機じゃあないんじゃない?まるで映画だ、という意味を成さない文句はさておき、アメリカ映画へのあこがれ、逆に言えばアメリカ文化の圧迫が日本からなくなった。唐王朝が衰退して日本に国風文化が発達したように、アメリカが衰退して第二次国風文化が芽生えつつあるのである。
以上3説、どれももっともらしく思える。どれもあてはまるのかもしれない。よくわからない。
一般的に言って、多民族社会というのは文化生産能力は人口に割りに低くなる。ローマ帝国とギリシャ都市国家の文化力を比較せよ。最初のうちはローマも元気はあったが、帝国として肥大しすぎると、コロセウムの見世物、つまり今のハリウッド映画みたいなのしか作れなくなった。(唐王朝は?いやあれは後漢滅亡から400年かけて鮮卑中国人なる民族が成立したと見るべきだろう。)
文化とは民族のアイデンティティを決定するものであり、多民族社会に文化は生まれにくい。アイデンティティがぶつかり合ったら、社会が崩壊するのだから、文化生産にブレーキをかけざるをえなくなるから。
おおかみこどもの雨と雪・解説7
構造はまだ解析中なので一旦お休み。
画風についての解説である。
細田監督は富山出身である。
おとなりの石川県能登の出身の画家が、
長谷川等伯である。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg/1024px-Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg
図は「松林図屏風」と言って、百済観音とならんで「国宝中の国宝」と位置づけられている作品である。ちなにみ言えば、百済観音も、絵画と彫刻という違いはあれど、松林図屏風のように柔らかく、瞹瞹たる表現で人気があるから、これらは日本人の根源的な好みを反映しているのではないかと思われる。
元来日本は降水量に恵まれた風土だが、北陸の石川、富山のあたりは、四季を問わず特に湿気が多い。湿気が多い環境のなかから生まれた画家が、古くは長谷川等伯であり、あたらしくは細田守である。
例えばジブリの作品が、線をくっきりと書き、濃く、強く、立体的であるのに比較して、細田は線を細く、淡く、柔らかく描く。その背後には、明快に長谷川等伯の美意識がある。
あるいは黒澤との比較では、黒澤はレンズの絞りをギリギリまで絞り込んで、近くから遠くまでピントが合った(被写界深度が深い)、シャープな画像を好んだ。そのため画面は密度が高く、劇的だが、時として少々どぎつすぎる傾向もある。対して細田のは、構図感覚は黒澤に近いが、被写界深度は浅めである。構図による遠近法より、空気により遠近法を好む。全てを明快に見せようとはせず、あいまいな暗示によって悟らせようとする。
以上をまとめれば細田は、黒澤、宮崎よりもより湿潤であり、より日本的と言える作風を持つ。そしてそれはおそらく、北陸の風土と北陸の文化の伝統が根底にあると思われるのである。
画風についての解説である。
細田監督は富山出身である。
おとなりの石川県能登の出身の画家が、
長谷川等伯である。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg/1024px-Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg
図は「松林図屏風」と言って、百済観音とならんで「国宝中の国宝」と位置づけられている作品である。ちなにみ言えば、百済観音も、絵画と彫刻という違いはあれど、松林図屏風のように柔らかく、瞹瞹たる表現で人気があるから、これらは日本人の根源的な好みを反映しているのではないかと思われる。
元来日本は降水量に恵まれた風土だが、北陸の石川、富山のあたりは、四季を問わず特に湿気が多い。湿気が多い環境のなかから生まれた画家が、古くは長谷川等伯であり、あたらしくは細田守である。
例えばジブリの作品が、線をくっきりと書き、濃く、強く、立体的であるのに比較して、細田は線を細く、淡く、柔らかく描く。その背後には、明快に長谷川等伯の美意識がある。
あるいは黒澤との比較では、黒澤はレンズの絞りをギリギリまで絞り込んで、近くから遠くまでピントが合った(被写界深度が深い)、シャープな画像を好んだ。そのため画面は密度が高く、劇的だが、時として少々どぎつすぎる傾向もある。対して細田のは、構図感覚は黒澤に近いが、被写界深度は浅めである。構図による遠近法より、空気により遠近法を好む。全てを明快に見せようとはせず、あいまいな暗示によって悟らせようとする。
以上をまとめれば細田は、黒澤、宮崎よりもより湿潤であり、より日本的と言える作風を持つ。そしてそれはおそらく、北陸の風土と北陸の文化の伝統が根底にあると思われるのである。
登録:
投稿 (Atom)