キリスト教映画
ミッション8ミニッツという映画を見た。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%9A8%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4-DVD%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B005MH1KIC
大変優れていた。
私の中で、三大キリスト教映画を位置を占めている。
「ベン・ハー」
これはキリストが登場するが、顔は見せない。
それでも見終わった後クリスチャンになりたくなるほど、
良い映画だった。
(もののけ姫におけるハンセン氏病快癒の奇跡は、
明らかにベンハーの影響だろう)
「サクリファイス」
タルコフスキーの遺作。
終盤、キリスト教の三位一体教義を、
見事に表現している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
父と子と精霊の三位が、
交わりそうで交わらず、
しかし、世界が再生される。
三つ目がこの
「ミッション8ミニッツ」である。
主人公はイエスである。
イエスだから、父と連絡を取りたがる。
精霊(携帯メール)を使う。
理不尽な状況に置かれたとき、
人はだれしも諦める。
主人公も諦めかかる。
しかし、あるとき忽然として、
巨大な勇気を発揮する。
「たしかに無理な状況だ、
だがそれでも諦めるべきじゃない」
私はクリスチャンではないが、
イエスは好きである。
それは彼がこのような、
とほうもない勇気を持っているからである。
西洋文化とわれわれ日本人が言うとき、
ゴッホやベートーヴェンがまず連想される。
彼らのアグレッシブな創作態度の根底には、
おそらくイエスという人のキャラクターがある。
ブッダではどう転んでも、
絵の具を描きなぐったり、楽譜を書きなぐったりはしない。
この作品の監督、ダンカン・ジョーンズというひとで、
デビットボウイの息子さんだそうだ。
注目していきたい。
ページ
2014年1月11日土曜日
2014年1月8日水曜日
映画雑感・仁義なき東京物語
深作欣二監督「仁義なき戦い」の特徴を列挙する。
1、舞台は広島県(呉市および広島市)
2、全て荒々しいことばの発音。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、山森親分、夫婦仲が大変良い
5、親と子(舎弟)の、家族の物語である
小津安二郎「尾道物語」の特徴を列挙する
1、舞台は広島県(尾道市)と東京
2、全てやたら上品なせりふ。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、周吉と妻、夫婦仲が大変良い
5、親と子(含む義理の娘)の、家族の物語である
したがって、仁義なきシリーズは、
東京物語を下敷きにした映画だと言える。
1、舞台は広島県(呉市および広島市)
2、全て荒々しいことばの発音。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、山森親分、夫婦仲が大変良い
5、親と子(舎弟)の、家族の物語である
小津安二郎「尾道物語」の特徴を列挙する
1、舞台は広島県(尾道市)と東京
2、全てやたら上品なせりふ。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、周吉と妻、夫婦仲が大変良い
5、親と子(含む義理の娘)の、家族の物語である
したがって、仁義なきシリーズは、
東京物語を下敷きにした映画だと言える。
2014年1月7日火曜日
映画雑感・継承
宮崎駿は1993年、Youtubeにもアップされているが、
黒澤明と対談をおこなった。
黒澤の最後の映画「まあだだよ」は、
1993年の作品である。
そして、1997年に、「もののけ姫」が出来た。
黒澤映画を少々でも見た人は同意くださると思うが、
もののけは黒澤映画の後継である。
オカルトな表現になるが、
対談のときに、なにかが黒澤から宮崎に渡されたのだろう。
たとえば「もののけ姫」の以下のシーン
あるいは「千と千尋の神隠し」の以下のシーン
は黒澤の得意なアングルである。
(「乱」より)
「もののけ」と「千と千尋」は、
言うなれば、半分黒澤が作った。
次の「ハウル」「ポニョ」には、
黒澤の影響はない。
同様に久石の音楽も、
もののけで格段によくなった。
荒々しい打楽器あり、精緻なオーケストレーションあり。
言うなればもののけと千と千尋は、
半分黒澤映画の音楽である。
荒々しい早坂文雄と、
精密な武満徹、
かれらの影響を受けながら、必死でつくったのが、
この二本の音楽なのである。
だからすばらしい。
(武満以上にオーケストレーション上手い作曲家、歴史上何人居るだろうか?
その意味でここで久石は、地獄のような辛酸を舐めたはずである)
そして音楽も、次の「ハウル」と「ポニョ」には黒澤の影響は無い。
真似とか影響とか言うと悪く思われがちだが、
文化というものは全て真似である。
宮崎が2作影響を受けて作品をつくるほどそれほど、
黒澤は大きな存在であり、
宮崎は力量が高い、ということである。
疑う向きがあるなら、
ビデオカメラ持って、
黒澤なり宮崎なりの真似をしてみていただければ分かる。
黒澤明と対談をおこなった。
黒澤の最後の映画「まあだだよ」は、
1993年の作品である。
そして、1997年に、「もののけ姫」が出来た。
黒澤映画を少々でも見た人は同意くださると思うが、
もののけは黒澤映画の後継である。
オカルトな表現になるが、
対談のときに、なにかが黒澤から宮崎に渡されたのだろう。
たとえば「もののけ姫」の以下のシーン
あるいは「千と千尋の神隠し」の以下のシーン
は黒澤の得意なアングルである。
(「乱」より)
「もののけ」と「千と千尋」は、
言うなれば、半分黒澤が作った。
次の「ハウル」「ポニョ」には、
黒澤の影響はない。
同様に久石の音楽も、
もののけで格段によくなった。
荒々しい打楽器あり、精緻なオーケストレーションあり。
言うなればもののけと千と千尋は、
半分黒澤映画の音楽である。
荒々しい早坂文雄と、
精密な武満徹、
かれらの影響を受けながら、必死でつくったのが、
この二本の音楽なのである。
だからすばらしい。
(武満以上にオーケストレーション上手い作曲家、歴史上何人居るだろうか?
その意味でここで久石は、地獄のような辛酸を舐めたはずである)
そして音楽も、次の「ハウル」と「ポニョ」には黒澤の影響は無い。
真似とか影響とか言うと悪く思われがちだが、
文化というものは全て真似である。
宮崎が2作影響を受けて作品をつくるほどそれほど、
黒澤は大きな存在であり、
宮崎は力量が高い、ということである。
疑う向きがあるなら、
ビデオカメラ持って、
黒澤なり宮崎なりの真似をしてみていただければ分かる。
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